湯を沸かすほどの熱い愛


                                                                 河野 善福

    涙、涙、抑えきれないほどの涙で、泣きながら最後まで観ました。

【 キャスト 】
幸野 双葉  宮沢 りえ   「幸の湯」を夫の一浩と営む主婦。
幸野 安澄  杉咲  花    一人っ子の16歳の高校女生徒。
幸野 一浩  オダギリジョー 「幸の湯」の跡継ぎで双葉の亭主。
向井 拓海  松坂桃李    無銭旅行中に出会う青年。
片瀬 鮎子  伊東  蒼    一浩と片瀬幸子の間の子供。
酒巻 君江  篠原 ゆき   安澄の実母。聴覚障害者、夫婦で食堂を経営。
滝本     駿河 太郎    探偵事務所の男。                    

【 ストーリー 】

 朝、公衆浴場「幸の湯」のガラス戸に「湯気のごとく店主が蒸発しました。当分の間、お湯は沸きませんん」と張り紙が出された。ベランダで母の双葉が
洗濯物を干している。食卓に戻って、テレビに夢中になっている高校生の安澄に「食べて・・・遅刻するよ」という。安澄は味噌汁を飲みながら「味が違う」
と文句を言う。
 玄関先で安澄は「お腹が痛い・・・、」と言うが、双葉は無視して玄関を施錠する。
 二人が家を出て、双葉が安澄に「遅刻するよ!・・・、途中まで一緒に乗っていかない?」というが安澄は「親と一緒なんて恥ずかしい」と答える。双葉は
「恥ずかしい親で悪かったわね」と言って自転車でバイト先に向かう。
 学校の教室。安澄が椅子に座っていると、脇を通る女生徒が次々にわざと椅子を蹴って通る。 安澄はいたずらに耐えて、横を見てほほ笑む。安澄の
横の壁には「笑って」と落書きをしている。
 図工の時間に安澄はリンゴの絵を描いた。先生が「よく描けてる。旨いなあ」と褒めてくれる。
 授業が終わり、安澄の周りを女生徒が取り囲む「うまい!!、ねえ私たちにも教えてよ」と言って、安澄のチューブ入り絵の具を取り上げて、中身を
次々とパレットに絞り出す。
 母・双葉のバイト先に学校からすぐ来てほしいと電話がかかる。双葉が学校に行くと、頭から制服まで全身絵の具で汚れた安澄が椅子に座っている。
 先生が「全部自分でやったと言うんです」と答える。安澄は「気付いたらこうなっていた」とうつむいたままか細い声で母に答える。双葉は誰が見てもいじ
められていると判る安澄に「安澄!、・・・何色が好き?」と聞く。安澄がかぼそく「みずいろ」と答えると「お母さんは断然赤!、情熱の赤が好き」という。双
葉は「お母さんっぽいネ」と言ってはにかむ。
 学校からの帰り道、双葉はとぼとぼと後を歩く安澄に「明日も学校に行こうね」というが安澄は答えない。双葉の自転車の後ろに乗った安澄が、母の腰
に手を回して頬を母の背中に押し付ける、双葉は黙って安澄の手を握り指に力をこめてやる。
 アルバイト先で双葉が倒れる。
 病院。医者がレントゲン写真を見ながら「自覚症状はいつ頃からありました?」と聞く。
 「時々めまいがして・・・でもそれ以外は元気なんです」と双葉は答える。
 MRI、血液検査などをした後で、医者は「現状がかなり厳しいということを申し上げます。・・・幸野さんはステージフォーの末期がんです。肺・肝臓・あと
脳にも転移している疑いが・・・」と伝える。
 双葉が、自宅の湯の入っていない浴槽の中に入り、隅っこで頭を抱え込んで泣いている。
 8時を過ぎて、母が自宅に帰っているとは知らないで、安澄が母に携帯電話を掛けるが出てくれない。しばらくベルが鳴って双葉が電話に出る。安澄が
「お母さん、ま〜だ、おなかすいて死にそう。・・・早く帰ってよ」と言う。双葉が答える「超特急で帰って美味しいカレー作ってあげる」
 双葉が喫茶店で男性と向き合って話している。「洗濯物を見る限りかなり若い女性と・・・」「探偵さんに頼んだら、こんなにも早くわかるのですね」と双葉
が言う。
 自宅での夕食時、沼津市の酒巻さんから送られたカニを食べている。「皆さんお元気でお過ごしでしょうか、今年も良い高足ガニが獲れましたのでお送
りします。・・・酒巻君江」と手紙が入っている。双葉は「形式ばったことを大人が書くより、子供が書いた方がいいから」と安澄にお礼の手紙を書くようにと
言う。「何で毎年私なの?」と安澄がむくれる。双葉は買ってきたばかりのブラジャーとショーツを取り出して安澄に渡す。安澄は「まだいいよ」と言うが双
葉は「大事な時にちゃんとした下着をつけてないと・・・」と答える。
 双葉は探偵の滝本が調べてくれた住所を頼りに、アパートの二階に行く。「片瀬・幸野」の表札がかかった部屋をノックする。ドアを開けて、そこに驚い
て立っている夫一浩がいる。双葉は夫が持っていた料理道具の「おたま」を取り上げ、いきなり夫の頭を叩いた。男の額から少し血が流れる。男は自分
で血を拭いて「やっと止まったよ」とにが笑いし、双葉に「少しやせたみたいだけど、綺麗になったね」という。双葉は家出中の夫に「そんなこと言われたら
話しづらくなるじゃん」と言う。
 双葉は夫一浩に「何で私がここに来たかわかる?・・・あと2〜3ヶ月しか生きられないんだって」と言う。
 家に帰った双葉はガラス戸に貼った「休業」の張り紙を破く。
 安澄は夜家に帰って、しゃぶしゃぶが準備されている食卓を見て「誰の誕生日?・・・誰か来るの?」と母に聞く。双葉が「誕生日でないとしゃぶしゃぶ作
っちゃダメ?」と聞く。
 「ただいま」と言って父の一浩が帰ってくる。
驚いている双葉と安澄の前に子供が入ってくる。一浩は安澄に「鮎子・・仲良くな、・・・大丈夫だいじょうぶ、妹だ」と子供を紹介する。
 一浩が連れてきた子供鮎子を加えて、四人が無口で夕食のしゃぶしゃぶを食べている。鮎子が席を立ってトイレに入り出てこなくなる。
 一浩が話す「10年位前になるけどな、・・時々行ってた店に幸子って子がいて、浮気したんだよ。・・去年、たまったま行った別の店で逢っちゃって、・・・
あの時の子供がいるって言われて・・嘘だろうって言ったけど、・・・困ってるようだし、一緒に暮らしてほしいという提案に乗っちゃったんだよ。・・・何にも
言わないで急に出て行っちゃって悪かったけど、決して二人が嫌いになって出て行っちゃった訳けじゃなくて・・・」。
安澄がトイレから出て、「そんな言い訳なんにも聞こえなかった・・・」と答える。
 朝、双葉がみんなを集めて言う「お店、明後日から再開するから、・・・みんな約束して・・・銭湯の仕事は4人全員ですること、・・・働かざる者食うべから
ず」
 家族みんなが手分けをして幸の湯の浴槽、脱衣室・洗面器などの清掃を始める。一浩が言う「安澄、ほら手が動いて無いじゃないか!、動かせ、うご
かせ」
  「営業再開」玄関に張り紙が出る。
 安澄と鮎子は「幸の湯再開」のチラシを近所の家のポストに配って歩く。安澄が聞く「鮎子ちゃん、鮎子ちゃんって本当にお父ちゃんの子なの?」「知ら
ない・・突然パパだって言われたんだもん。・・・あの人計算も弱いし漢字も読めないし・・・」
 双葉が鮎子に言う「しょうがないでしょ。両親が早く死んで、高校中退して店継いだんだもん」
 一浩は町で友達に出会う。友達が「双葉と安澄なんか、お前を探しててみてられなかったぞ、どこへ行ってたんだ」と聞く。一浩は「ちょっとパチンコに
な」と答える。
 安澄が学校に行く前に風呂場を覗く。双葉がいて「安澄、ちょっと番台に座ってみな」という。安澄は番台に登ってほほ笑む。双葉が「なかなか似合って
る」と言うと、「嫌だよ・・ここはお母さんの場所でしょ」と言って出て行く。
 「幸の湯」の煙突から煙が出ている。双葉が番台にいて、一浩が釜に薪を放り込んでいる。
安澄が父親一浩にいう。「お店再開出来てよかった」。「そうだね」「でもこの1年、お母ちゃんがどんな思いでいたか・・・何もなかったような顔でいるのが
すごくむかつく」
 一浩が病院にいる。先生が「先月検査した時癌は複数の臓器に転移していて、手術も抗がん剤も、正直効果は望め無いと奥さんには伝えてあります
が・・・」
 車に乗って双葉は待っていた。戻ってきた一浩は「別の病院に行こう。大きい病院に行けばきっと直る」という。双葉は「私ね、少しの延命のために、自
分の生きる意味を見失うのは嫌、私にはどうしてもやらなきゃならないことがまだあるの。」と答える。
 体育の時間が終わって、教室に安澄が体操着を着たまま遅れてやってくる。先生が安澄に「こら。ちゃんと征服に着替えてから授業は受けなさい」と注
意する。安澄は「制服なくしました」と小声でつぶやく。生徒が安澄の姿を見てどっと笑う。
 風呂から上がった一浩が「制服買ってやろうか」と双葉に言う。「それ、絶対にダメ」と双葉が答える。
 朝、「おはよう、安澄・・朝だよ」と言いながら部屋に入ってきた双葉がカーテンを開ける。安澄は布団にくるまって動こうとしない。双葉は布団を強引に
剥がして「安澄!。起きなさい!!。学校へ行くの」という。「ないもん、制服が・・・」「今日は体操着で行けばいい」「やだ!ぜったいいやだ!!」「今日諦
めたら二度と行けなくなるよ」「じゃあ、行かない!、二度と行かない」「今すぐ学校に行く準備しなさい・・・逃げちゃダメ。今自分の力で何とかしないと!」
と言って安澄をベットから引きづりおろす。安澄は「わかってない」と母に言う。双葉は「判ってる!、」と答える。安澄は「判ってないよお母ちゃん!、私に
は立ち向かう勇気なんてないの・・・お母ちゃんとは違うから」と言って泣きだす。安澄が牛乳を飲んでいる。
 双葉が脱衣場に座り込んで頭を抱えていると、一浩が飛び込んできて「安澄、今学校に行ったよ、体操服着て・・」という。
 安澄が教室に入ってくると、素早く見つけた女生徒が「安澄さん、判っていると思うけど、次の授業は体育じゃないからね」と言って笑う。
 双葉は家の前で安澄の帰りを待っている。鮎子が「どうして待ってるの?」と聞く。双葉は「とっても心配だから・・」と答える。
 教室で先生が「もうみんなも知ってると思うけど、昨日幸野の制服がなくなった。皆を疑ってるわけじゃない。たまたま外部から入って来て幸野の制服を
盗んだのかも知れん。知ってることがあったら先生まで教えてくれ」という。(何にも変わらないよ)つぶやいて安澄は立ち上がり、体操着を脱ぎ始める。
先生が「おい、幸野何してる。幸野やめろ!」と言うが、安澄はどんどん脱いでいって、ブラジャーとショーツだけになって、「制服返してください」という。先
生が「幸野!・・とりあえず体操服を着な、なァ」と言うが、「いやです・・・今は体育じゃないから」と安澄は泣きながら言って立ち尽くす。緊張した安澄はそ
の場でいきなり牛乳を吐く。
 安澄は、保健室でベットに寝ている。いきなりドアが開いて制服が投げ込まれる。誰かが逃げる足音がする。
外で安澄の帰りを待っていた双葉のところに、制服を着た安澄が帰ってくる。「お帰り、・・・制服、・・頑張ったんだ」といって安澄を抱きしめ二人で泣く。
 双葉が浴場を掃除していると、鮎子が番台に上がっていくのが見える。鮎子が抽斗からお金を握って出て行った。
 夕食の後、一浩が「金を取るのを見たのは今日だけだろ?」と聞く。
 双葉が鮎子の部屋で、鮎子の持ってきたリュックサックを開けて見る。紙箱の中に手紙が入っている。"鮎子ごめんね、今度の人とはきっとうまく行くと
思う。来年お誕生日までにはかならず迎えに行くから  ママより"
 夜、8時半を過ぎても鮎子が戻ってこない。一浩が近所に探しに出るが見つからない。もどってきた一浩に双葉が、「あゆちゃん、誕生日いつ?」と聞
く。一浩は「たしか5月・・あッ今日だ」と思いだす。
 双葉は車のカギをもって走り出す。
 双葉は安澄と二人で、夫一浩が住んでいたアパートに行く。鮎子は鍵の閉まったアパートのドアの前でうずくまっていた。双葉は鮎子に「さぼった罰とし
て、明日一人で湯舟洗ってもらうから・・・」という。双葉が「一緒に帰ろうね」と言って立たせたら、泣いていた鮎子がおしっこを漏らした。双葉は濡れたパ
ンツを引き下ろして、鮎子を抱きしめた。「さあ、帰ろう・・・安澄、持てる?」と双葉は言った。鮎子のカバンとリュックを持ち上げた安澄は、濡れたパンツ
をドアノブに引っ掛けて「鮎子これにあり」とつぶやいた。
 朝、四人が食卓に着いた。皆が食べ始めたが鮎子はうつむいたままで座っている。「さあ、鮎子も食べよう」と双葉が言う。泣きながら鮎子が「これから
はもっと一生懸命働きます。どうか、出来ればでよいのですが、この家に居たいです。でも、まだ、ママのこと好きでいてもいいですか?。」といった。双葉
は「バカ、あたりまえでしょう。さァ、鮎子もシャアシャアしよう」と言った。みんなで「シャアシャア」と言いながら朝からしゃぶしゃぶを食べた。
 番台に座っている双葉に一浩が「俺にできることがあったら何でも言ってよ」という。双葉は「じゃあ、エジプトに行きたい」という。「何時か、ピラミットを
見せにエジプトに連れて行くって私に約束したよね」「何年前だよ」「そう、あなたは調子のいいことばっかり言って私を裏切った。・・お店を改装する約束
は?。・・安澄の部屋の本棚はいつ作ってやるの?。・・・1年前、1時間だけパチンコに行って来るって約束で出かけたまま帰ってこなかったもん。・・最後
に一つくらい約束守って・・・一生日本しか知らないなんて、人生もったいない」「でも、それはちょっと・・・」と困っている一浩の顔をみて、双葉は「じょ〜う
だん、・・・死んだら全部赦すから、後のことはよろしくお願いします」と頭を下げた。
 台所で双葉が安澄と鮎子に「ねえ、どこかに旅行に行かない?・・」という。安澄が「でも無理でしょう?」という。「お父ちゃんが何とかするって・・」。「じ
ゃ、行く、いくにきまってる」
 一浩のところに鮎子が「旅行に行くの・・・高足かにたべに・・」と報告に行く。「そう、よかったじゃない」
 双葉が一浩に「車借りてくれてありがとう・・・全部話してくるね、・・・大丈夫だよ、きっと判ってくれる」と言う。一浩が病気でしびれの来ている双葉の左手
を「大丈夫か?」と心配する。双葉は左手のこぶしで一浩の腹に一撃パンチを入れる。それを見ていた安澄が真似をして左手で一浩の腹にパンチを繰
り出し、さらに、鮎子が腹に頭突きをして、しばしの別れのデモンストレーションとなった。リュックなどを積みこんで、双葉と安澄と鮎子が旅に出る。
 双葉が高速道路のサービスエリアに車を止めて「何食べようか?」と子供たちに聞いていたら、窓をノックする若者がいた。窓ガラスを下すと、大きなリ
ュックをしょった見知らぬ男が「やっぱ、車は赤がいいですよね」と話しかける。若者は「あの、ダメですか・・・どこまででもいいんで」「悪いけどほかの車
当たってくれる。赤いの・・・」「この駐車場で赤い車はこれ一台だけですね」「でも、私たちこれからご飯なんで・・・」「案内しますよ・・かれこれ5時間くらい
ここにいるんで、誰よりも」「5時間も?」。双葉は子供たちに「どうする?」と聞くと二人がにっこりする。青年は「あの、向井です。向井拓海です」と自己紹
介をする。
 鮎子が向井に「今日の夜は箱根に泊まって、次の日に高足カニを食べる。で、そのあとで水族館に行くの」と説明する。「高足ガニって知ってる?」「あ
のでかいやつ?」。双葉が「そう世界最大の甲殻類で、駿河湾の深海で取れる蟹で、生きた化石とも言われているの」。安澄が「それ全部私が調べて教
えたやつ」とばらす。
車を走らせながら双葉が「質問・・拓海君好きな色は?。・・出身はどこ?」と聞く、「北海道ですよ」。拓海が答えると、双葉が「訛りがないもん・・・」と言う。
「何もかもお見通しだ・・はい、行ったこともないです、北海道」「嘘ついて旅してるのかァ・・なんで?」「迷惑なら降りますよ」「家族は?」「今の母が三人目
で・・・産みの母は一人目で顔も知りません。・・・腹違いの弟が二人で、父は建設会社の社長です。」「この旅はどこへ向かってるの?」「決めてないで
す。・・目標とか目的とか決めたらそこへ向かわないといけないでしょう」「じゃ、旅はいつまで続くの?」「そのうち、飽きたらやめようかな。時間は腐るほ
どあるんで」「あ〜あ、最低の人間を乗っけちゃったな・・・・あなたの腐った時間に付き合っていると思うと反吐が出る」
 また、サービスエリアに着いた。向井は「じゃ、僕はこれで・・」という。双葉は向井に抱き着いて「あなたはこれから日本の最北端に向かいなさい。それ
がたった今からあなたの目標・・・だって北海道出身なんでしょ。一回くらい言ってなきゃ」と言う。「じゃあ、目標達成出来たら報告に行ってもいいですか」
「いいよ、でも、ちょっと早めに来てね」と言って抱いた背を両手で叩いて別れた。
 宿で、双葉はトイレに入ってゴホゴホと咳をして血を吐いた。安澄がドアの外でオロオロして「お母ちゃん、大丈夫背中さすろうか?」と声を掛けた。
 翌日、三人は富士山の見える西伊豆の港街にやってきた。海辺のレストランで大きな高足ガニを注文した。店の女主人は耳が悪く、手話で注文を聞
き、調理場へ手話で注文を取り次いだ。子供たちはカニに大満足だった。蟹に手を付けようとしない母に安澄が聞いた「まだ、調子悪いの?」。「うう
ん・・・ちょっと食欲がないだけ」と双葉は答えた。
 双葉は「会計するから先に行ってて」、と子供たちを店から出して、レジに行き、お釣りを差し出した店の女主人の頬をいきなり平手打ちして店を出た。
車の運転席に乗ってじっと動かずにいる双葉に、安澄が「どうしたの?」と聞く。「さっきのお店の人が酒巻さん」「何だ、言って呉れたら挨拶したのに・・」
と安澄が言う。
 「安澄、聞いて、・・お父ちゃんは昔、酒巻君江さんと結婚してたの。・・・だから、お母ちゃんとは再婚で、・・・時期が来たらちゃんと言おうって・・・」「い
つ、結婚してたの?」「4〜5年前」「何言ってるの・・・私今16だよ。・・・うそでしょ」「嘘じゃない」「やだ!・・・そんなの絶対違う!・・・なんで、そんな意地悪
言うの」。双葉が言う「だって私は、あなたを生んでない・・・君江さんは、18歳の時にお父ちゃんに出会って、19歳であなたを生んだって。・・でもね、君江
さんにはあなたの泣き声が、あなたの気持ちが聞こえなかったの。・・・19歳の母親にはそれが耐えられなかったの・・・それで家を出たの。・・15年前の4
月25日に。・・・安澄、あなたはこれから酒巻さんに挨拶に行きなさい」
 一杯涙を溜めた顔で安澄は「嫌だ!」と言って顔を左右に振った。双葉は車のドアを開けて、「降りなさい!。・・安澄!」と言う。「嫌だ!」と言う安澄を
強引に引っ張り出して、「逃げちゃダメ!、出来る!・・安澄ならできる・・だって安澄はお母ちゃんの子でしょ。・・・夕方迎えに来る」と言って、泣いている
安澄を置いて車を発進する。
 安澄は「みなさんお元気でお過ごしでしょうか?・・・なんで毎年私なの・・・子供が書いた方が・・・」思い出している。
 一人残されてたたずむ安澄のところへ、君江が恐々歩み寄る。君江はメモボードを取り出して「もしかして安澄ちゃん?」と書く。安澄は泣き顔で小さくう
なずく。君江が驚いて泣き出す。安澄は手話で「こんにちは」「私の名前は幸野安澄です」と教える。「どうして手話を?」「母がいつかきっと役に立つ時が
来るから勉強しときなさいって・・・」。君江は泣き崩れる。
 双葉は鮎子に水族館に行ってクラゲを見ながら、「きれいな人だったね。・・・私よりずーっと若くて、元気そうで・・・」とつぶやく。
 双葉と鮎子がレストランに戻って、鮎子が安澄を迎えに店の中に入り、二人で車のところに戻ってみると、双葉が車の陰で倒れていた。
 双葉は病院に収容されてベットに寝ている。病室の前の廊下に安澄と鮎子が座り込んでいる。父の一浩が病院に駆け付けて二人を抱く。振り向くと一
緒に付いてきた君江がそばにいて黙って頭を下げる。
 病院の屋上で車いすに乗った双葉を安澄が押している。双葉が安澄に「君江さんとどう?・・」と聞く。安澄は「毎日メールで話している。来週逢いに来る
って」「そう」。鮎子には「鮎子、靴くたびれちゃったね」と言う。「全然大丈夫、履きやすいから」と言って鮎子はくるっと回って見せる。
 双葉は「最近毎日、同じ夢を見るの。・・・母さんが私を迎えに来てくれる夢。・・・それで判ったの、私のお母さんはもうこの世にはいなくて、私が死ぬと
きにはじめて迎えに来て呉れるんだって・・・だから、死んでも一人じゃないんだよ」と言う。
 病院からの帰り道、安澄が鮎子に言う「今日から約束だよ、お母さんの前では絶対に悲しい顔をしないこと」
 家に帰ると、父が「どんな感じだった?」と聞く。安澄は「昨日と同じ・・」と答える。「昨日と同じじゃわからないだろ。・・ほしいものがあるとか言わなかっ
たか?」「自分で行って聞きゃァいいじゃない」
 安澄が番台に座っていると、君江さんから携帯にメールが来る。「来週の月曜日、15時到着予定です。久しぶりなので緊張します」。続いて母・双葉か
ら「鮎子の新しい靴買ってあげて。あと、お父ちゃんのサポートお願いね」と来る。安澄は「人のことばっかり・・・」とつぶやいた。
 安澄と鮎子が病室にいる。安澄が「どうしてもって頼まれたから言うけど。父ちゃんが、なんでも望みがあれば言ってくれって」と言いながら、父の手作り
の材木の切れっぱしで造ったピラミッドを渡す。
 二人が家に帰ると、父が待っていて「おう、なにか言ってたか?」と聞く。安澄は「こんなにもスケールの小っちゃいお父ちゃんに、家族を託すと思うと安
心して死ねないわ。と言ってた」と言う。
 病院の双葉のところに探偵の滝本が訪ねてくる。「今日は、調査報告に来ました。・・見つかりましたよ、あなたのお母さん・・・向田都子さん、現在64
歳。・・旧姓朝倉都子さん、32歳の時に建設業を営む向田幸吉さんと結婚。・・今は幸吉さんと娘の美幸さん夫婦と、そのお孫さんと一緒に、東京都世田
谷区・・」。双葉が「会いたい。・・・今すぐに逢いに行けますか?」と聞いた。
 みんなが滝本の車に乗って、世田谷の母の家に行く。滝本が、「まず事情を説明してきますから、準備をしててください」と言って車を降りる。双葉は「安
澄・・・わたし、ちゃんと普通の人に見える?」と聞く。安澄は「うん。見えるよ」と言ってほほ笑む。安澄が「車いすを出すね」と言うのを「いい、・・心配かけ
たくないから」と言ってふらつく足で双葉は歩きだす。
 滝本が帰ってくる「あの・・都子さんには逢えたのですが、私にはそんな娘はいないって・・」。安澄が「なんで・・・そんなの変だよ。娘が、本当の娘が逢
いに来ているのに・・・」。双葉は「判りました」とうなずく。安澄が「お母ちゃん・・」と言う。双葉は「遠くからでいいので、・・・ひとめ、一目だけいいですか」そ
う言って、滝本に支えられながら門のところまで歩いていく。居間で孫を抱いて娘と寛いでいる母が見える。双葉は「お母さん」とつぶやいた。双葉は門の
上に置いてあった沖縄土産のシーサーをつかみ、それを投げた。ガラスの割れる音とキャーという声がした。「やばい、おんぶ」と言って滝本が双葉を背
負って車に逃げた。
 安澄が病院に行こうとしている。父の一浩が「電車代まだあるか?」と聞く。「うん、大丈夫」「最近、あんまりよくないのか?」「うん、行ってくる」。
 安澄が病室の前まで行くと、部屋の中から母の苦痛に耐えている声が聞こえてくる。看護師の「今、痛み止め打つからね」という声と「がんばって」という
声が聞こえる。安澄は部屋に入らないでそのまま帰ってくる。
 「幸の湯」に月曜定休日の札がぶら下がっている。安澄が表にいると「迷ったよ」と言いながら、リュックをしょった拓海君がやってくる。「あれから75
台、日本の最北端まで行ってまいりました」と言って笑いながら敬礼をする。安澄もつられて敬礼をして笑う。
 途中おばあちゃんに貰ったというジャガイモを、お土産だと言って差し出す。
 そこに、君江さんがやってくる。
拓海君は、安澄から話を聞いて「そうか、凄い人だな」という。
 鮎子が折り鶴をもって学校から帰ってくる。
拓海君、君江さんも座って、みんなで夕食を食べようとしている。父の一浩が「みんなにお願いしたいことがある。・・・今晩だけ付き合ってほしい。・・バカ
だってことは判っているんだ。・・けど、これしか思い浮かばなかった。・・・今晩だけ・・お願い」と言って、その場に土下座をした。安澄が「お父ちゃん、・・・
なにをするの?」と聞いた。
 病室で寝ている双葉の携帯が鳴った。「今はこれがお父ちゃんの精いっぱいなんだって、・・・ゆっくりでいいから外を見てよ!」安澄からのメールだっ
た。
 双葉がベットからゆっくりと起き上がり、窓辺まで行ってカーテンを開いた。
 ベランダに出てみた。外は暗くて何も見えない。下を見ると、人間ピラミットが見えた。滝本さんと夫と拓海君が一番下で、君江さんと安澄がその上に、
一番上に鮎子が四つん這いになって笑っている。
 一緒に来た滝本の子供が一人離れて隣に四つん這いになって笑っている。安澄と鮎子が声を合わせて「おかあちゃ〜ん」と叫んだ。拓海が「双葉さ〜
ん」と叫んだ。涙を流しながら双葉が「拓海君?」と聞くと、拓海が「やっと目的地に着きましたよ・・・しばらく住み込みで働かせてもらいま〜す」と答えた。
滝本さんは「僕は人数合わせのお手伝いで〜す」と言って笑った。一浩は、いつかエジプトに連れて行くと言った約束を果たせなかった。「俺がバカだっ
たから・・・」一浩が泣きながら詫びた。双葉は感動して涙をボロボロ流してベランダに座り込んだ。
 拓海君が風呂釜に薪を放り込んでいる。そばで一浩が「もう俺がいなくても大丈夫だよ」と言って笑って見ている。拓海君は「いやいや、まだ2か月の新
米ですよ」と言う。「俺はもう、安心して一日パチンコを打てるわ」と一浩は言う。「いってらっしゃい」「冗談だよ」二人は笑う。
 安澄が病院に行って、家族の出来事を双葉に報告する。安澄は「絶対にお母ちゃんを一人ぼっちになんかしない。・・・だから安心して・・・有難う・・・・あ
りがとう」と言って泣く。双葉はもう声が出せない。悲しげな顔で安澄を見ている。双葉の目から一筋の涙が流れた。「もう大丈夫だよ」と安澄が言った。
 「幸野双葉葬儀式場」幸の湯の前に看板が立って、弔問客が訪れている。浴室に祭壇が造られて、お坊さんの読経の中を弔問者が焼香をしている。
双葉の笑った顔写真が中央にある。読経はラジカセからの音だった。
 葬儀屋の係員が「最後のお別れは親族のみで行いますので皆さんはしばらく外でお待ちください」と言って弔問者を外に出した。
探偵の滝本が娘に「まゆな、ママの時もこうしてみんなでお別れしたんだよ。・・・おばちゃんにはもう会えない。人は死んだら二度と逢えなくなる。だから
まゆもママには逢えないんだ。・・・ごめんな、ずっと嘘をついてて、・・やっとパパ、まゆに本当のこと言えた」と言って娘を抱きしめる。
浴室の祭壇の後ろの壁には富士山が描かれている。葬儀屋の男が「なかなかいいもんですね、富士山を見ながらの葬儀と言うのも・・・」とお世辞を言
う。安澄が「お母ちゃんっぽい」と言う。
 安澄が遺影写真を持ち先頭に立って、棺が続いて幸の湯を出る。霊柩車に棺を乗せて、全員で合掌をし、警笛を鳴らして霊柩車が走り出した。霊柩車
と続く車が1台土手道を通って、河川敷の方に走っていく。人気のない河川敷で車を止めて、一同がにぎやかにお弁当を食べている。一浩が探偵の滝本
に「無茶ですよね」と語りかける。滝本は「はい、無茶です」という。「ダメですよね」「ダメです」二人の会話が続く。「面倒なことに巻き込んじゃって」。滝本
が言う「いえ、全く問題ないです。・・・不思議な人です。あの人のためなら何でもしてあげたいというか、・・・それって、その何倍もしてもらってると思える
からじゃないかな・・・たぶん、みんな心からそう思ってるから、・・・」
 幸の湯のかまどの前に、蘭の花弁にでうずまった双葉の死体がある。やがて幸の湯の煙突から赤い煙が立ち上り、お湯が煮えたぎっている。拓海君
が釜番をし、家族が全員で浴槽に浸かっている。
 鮎子が両手にお湯をすくって「温ったかいね。・・お姉ちゃん」と安澄に言う。「うん。凄くあったかい」と安澄が答える。
釜の前には蘭の花弁が落ちていて、釜の火は真っ赤に燃えている。

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