福田達夫君を励ます会

                                                                        河野 善福  記 
                                                             (挨拶および講演の概要を記したもので、発言のすべてではありません)

      日  時  平成25年10月10日 (木) 

      場  所  東京プリンスホテル プロビデンスホール



乾杯の挨拶をする森喜朗元首相


         
千 玄室 家元           高村正彦 副総裁             石破茂 幹事長           町村信孝 会長 


    【 裏千家第15代家元 鵬雲斎 千 玄室 大宗匠 あいさつ 】

 私は裏千家の15代目であります。今年90歳になりました。いま世襲ということで何かと話題になりますが、それぞれのお家の中で、それぞれの血を受
け継ぐという、世襲ということを私は非常に良いことだと思っています。達夫さんは政治家というお家の中で、おじいさんの、お父さんの、またお母さんの
ご自愛の中で育ってまいりましたので、達夫さんは、必ず将来の日本を背負っていただく大きな原動力になる方だと思っておりましたので、皆様にもどう
かご支援を戴きますよ、お願いを致しましてご挨拶に代えさせていただきます。
 

    【 福田達夫君を励ます会発起人。 福田内閣時の外務大臣・自由民主党副総裁 高村正彦氏 あいさつ 】

  「福田達夫君を励ます会」を開催いたしましたところ、大勢の皆様にお出でいただきましたこと、厚くお礼申し上げます。私は、福田総理に外務大臣と
してお仕え致しました。その時に秘書官として総理を支えていたのが達夫さんであります。息子が秘書官として勤務するということは大変なことです。出過
ぎれば叱られるし、引っ込みすぎても叩かれるのですが、達夫さんは見事にその任務をはたされていました。 安倍総理が数年前に、「政治家の息子で
秘書をやっているのはそんなに多くはないが、その最右翼が福田さんだ」と言った事があります。達夫さんにそのことを話したら「おかしいな、私は阿部さ
んとはそんなに接点はないのですが・・」と言っていました。接点はなくても、衆目が一致することなんだろうと思います。福田総理は、客観的に物事を見
れる方です。「まだまだ自分は国のために役に立てるのだけど、後を彼に託して大丈夫だ」と判断されたのだと思います。
群馬4区の有権者は2位とダブルスコアの大差で彼を支持したのです。商社マンとして、また秘書官として見識を養った彼は、一年生議員の中でも極め
て厚い信望を集めています。評判が良すぎて、一つも悪口が聞こえてこないことが逆に心配ですが、決断を要する時には国のために力を発揮していた
だきたいと思っております。


    【 福田達夫君を励ます会発起人。 福田内閣時の防衛大臣・自由民主党幹事長 石破茂氏 あいさつ 】

  福田内閣誕生の時に福田先生から「君、防衛大臣をやってくれ」といわれた時に、「もう二年も防衛庁長官をやったので他の方にお願いします」と言っ
たのですが、なかなか購えないものがありまして拝命を致しました。そのころ日本は、はインド洋に補給艦を出しておりました。活動期限が来ましたがどう
してもこれを続けないといけない、ということで、福田大臣のもとに高村外務大臣、町村官房長官、私も集まりまして、補給の継続を決定しました。
 次にイージス艦がぶつかりまして犠牲者が出ました。 その時に福田総理は、ご本人が行かれて心からのお見舞いとお詫びをなさいました。ありがた
い総理を戴いたと思いました。その時の秘書官が達夫君でありました。ねじれた国会の中であれやこれや言われて、誉めてもらえることは殆どありませ
んでした。総理には相談できにくい案件でも達夫さんに電話をして相談をしました。私は同じ大学の10年先輩になりますのでものが言いやすかったのか
も知れません。今度後継者として議席を得られました。今回の選挙では新人が119名います。自民党がボロ負けした時の党員の総数が119でした。
小選挙区制ですから、その選挙区ではたった一人の当選者です。いい事も悪いことも全部伝えてその上で賛同を得て行動するのが、国民に対する責任
だと思っています。福田代議士がお兄さん的存在で、皆を引っ張って行ってもらって、119人全員が次の選挙で戻ってきてもらいたいと願っております。
総理が何人出たかわからないようないい選挙区です。良い家庭に守られ大きく大成しますことを祈念し、挨拶に代えさせていただきます。


    【 福田達夫君を励ます会発起人。 福田内閣時の官房長官・清和政策研究会会長 町村信孝氏 あいさつ 】

  福田達夫君を励ます会に大勢の皆さんがお越し下さいました事、私からも御礼申し上げます。冒頭にお母さまへの黙祷をささげたところであります
が、多分今日のこの盛会を一番喜んでおられるのは三枝奥様ではないかと思っております。101歳までお元気であったということは大変に嬉しいことで
あります。私は赳夫先生ご夫妻とゴルフをしたことがありますが、明らかに赳夫 先生より三枝奥様のほうが飛距離が出ていました。赳夫先生が不機嫌
になるのですが奥様がかまわずボールを飛ばされていました。そういう中で福田康夫先生とは1年間一緒に働きました。総理のそばに行くためにはこの
達夫さんのそばを通らねば成らないわけでありまして、お父さんとよりは達夫さんと顔を合わせることのほうが多かったと思います。「ちょっと総理に会え
ないかな」とか「これなんと思う?」とあらかじめ秘書官に聞いて、その上で作戦を考えるということがしばしばありました。
福田総理は今でも尊敬できる立派な方ですが、一つだけ解せないのは9月1日の夕方、防災の式典から帰ってこられて、部屋に呼ばれたとき、多分こ
の案件とこの案件だろうなと思って、書類を二つ持っていったのですが、「いや、実は辞める事にした」と、これこそ晴天の霹靂でありました。「ちょっと総
理、何をおっしゃるんですか、やめて下さい」と、言ったのですが、私より5分ほど前に総理の部屋に入って、辞めるということを聞いたのが、当時の幹事
長、麻生さんだったのです。そばに居た麻生さんは「もう、やったぜ」という顔でいました。私は約1時間説得しましたが、総理が第三者に言ったことはもう
覆せませんでした。8時半頃総理が記者会見で発表しました。なんであのタイミングで言われたのかがよくわかりません。事前に一言言っていただけれ
ばと、今でも怨みに思っています。
 総理もいつかは辞めるときがあるわけで、この素晴らしい後継者達夫さんへのバトンタッチも熟慮あってのことだと思います。この方はさまざまな経験
を踏んで成長され、必ずやお爺様のそしてお父様の後をついで最高のポストまでなっていただけると、そんな期待を持ちながら皆様方のお力添えをお願
いしてご挨拶と致します。

         
 佐々木幹夫 相談役        谷垣禎一 法務大臣         高市早苗 会長         山本一太 特命大臣 



     【 福田達夫君を励ます会発起人。 三菱商事株式会社・相談役  佐々木幹夫氏 あいさつ 】

  福田達夫先生。昨年の衆議院選挙に初出馬、初当選おめでとうございます。本日の会に政界・財界、また外国からも多数の方々にご出席賜りまし
て、発起人の一人として本当に嬉しく思っております。福田達夫君は1993年に三菱商事に入社されまして、2004年までの約11年間三菱商事の企画
調査部という政治経済の情勢や産業動向の分析をする仕事を担当されておりました。福田君のいた11年間の内の9年間を一緒に仕事をしてきました。
私は重要な案件は担当の部署に直接聞くのが良いと考えていましたので、電話で福田君を呼んだ事が度々ありました。私のスピーチの原稿を作っても
らったこともあります。ご覧戴くとおり、爽やかな男ですし、てきぱきと判りやすくグローバル感覚で仕事をこなす、既成概念にとらわれない本当に頼りに
成る部下でした。退職後の9年間は国会議員、政治家になるための修行の期間であったと思います。三菱商事で得た経験知見を生かし政界の防波堤
になる思いで活躍してもらいたいと思います。本日は三菱商事からもたくさんの後輩が応援に着ております。私はその応援団長として応援してまいりま
す。達夫君の奥様も当社にお勤めでありました。福田達夫君の益々のご健勝とご活躍を祈念致しましてご挨拶とさせていただきます。


     【  第2次安倍内閣 ...法務大臣 谷垣 禎一氏 あいさつ 】

  福田達夫代議士が当選されましてから10ヶ月がたちました。私は昨年の暮に新たに当選された代議士の会にお招きいただくと、必ず後援者の皆さ
んにお礼を申し上げるんです。当人にもよく頑張ったと。そう言うことの積もりつもりで3年3ヶ月野党に居りましたけど、何とか与党に戻る事が出来まし
た。3年3ヶ月は無駄ではなかったとお礼を申し上げるんです。ただ、福田達夫さんに対してはそのようなことを申し上げるのは誠に僭越で失礼なことナ
ンですね。昨年の選挙では達夫さんは当然の読みとしてカウントしておりましたので。達夫さんはお父様の康夫先生の秘書官として本当に苦労もしてき
ましたが、一国の総理を支える秘書官という仕事はなかなか経験できることではありません。その経験を積み、先ほどの高村先生のお話のように、高い
評価を得て難しい仕事をこなしてきました。達夫代議士は、これからは得がたい経験・資質と、福田家のご家庭のしつけが中枢にあるはずですから、こ
れらを生かして、必ず自民党そして日本国を背負って立つ代議士に成長していただけると私は信じて疑いません。
 私は野党の総裁として、当時の野田総理と「税の一体改革と社会福祉」の約束を取り付けたものとして、先般安倍総理が消費税の引き上げを決断して
いただいたことをありがたく思っております。まだ10%がありますから、しっかりと先を見据えて決断し、安定した政治、安定した経済運営をやっていくこ
とが大事であると思っております。達夫代議士の益々のご発展を祈念いたします。


     【 自由民主党・政務調査会長  高市早苗氏 あいさつ 】

  本日は達夫様の励ます会に、こんなにたくさんの方がお出でくださいまして有難うございます。私がパーティーらしきものを開催できるようになったの
は、当選4回になってやっとでしたから、ほんとうにおめでとうございますと申し上げます。幹事長もさっき達夫さんと呼んでいましたが、私もこの間までそ
う呼んでおりました。達夫さんは私たちとは観て来た景色が違う人でした。一つは商社での経験があって、のっけから国際通であり、経済政策が非常に
強いということで、1年生議員ではあまり例がないことですが、中小企業消費者対策の調査会や、雇用問題調査会の役員をしてくださっています。
総理秘書官という私どもでは想像の付かないお仕事をされてますから、日本全体・世界全体を違う景色を見ながら大きくなられたということで、即戦力の
国会議員として、ご活躍をしていただいています。
この会場に来ましたら、達夫先生のお母さまの笑顔にお迎え戴きました。奥様と康夫先生とご一緒に初詣の日に食事をしたことがありますが、元日から
牛肉でしたので驚きました。赳夫先生には大変お世話になりました。私の家はしがないサラリーマンの共働き家庭でした。1回目の選挙は無所属で落選
しました。赳夫先生が落ち込んでいた両親を東京まで呼んでくださって「娘さんはまだ若いんだから、また頑張ったらいいよ」と励ましてくださいました。そ
れで家の両親は泣いて喜びました。直前まで2回目の挑戦は反対していたのですが、両親が許してくれたのは赳夫先生のお陰でした。そんな長いお付
き合いの中で、康夫先生の総裁選挙のときも達夫さんと一緒にやらせていただきました。私とは3月誕生も2日違い、星座も血液型も一緒で、打たれ強
くて恥ずかしがりや、多分性格も一緒やと思います。今後はビックなビックな政治家、若手のエースとして活躍して戴きたいと思います。親しみをこめてエ
ールを送りますので、今後ともよろしくご支援をお願いします。


     【 自由民主党・内閣府特命担当大臣 山本 一太氏 あいさつ 】

  昨年、私を18年間支えてくれた秘書の八島学が40代で急逝しました。私は八島学と一緒に福田康夫先生の総裁選挙を戦い、昨年は福田達夫代議
士を誕生させるために衆議院選挙を戦ってまいりました。私の選挙の前に亡くなりました。残念に思います。私が当選した日の会場で皆様に挨拶してい
る時に、達夫代議士が私のそばに寄ってきて、ちっさい写真を差し出しました。達夫代議士はこの写真をずっと持って私の選挙を応援してくれたのです。
こう言う福田達夫代議士が私は大好きなんです。その夜の祝賀会で達夫代議士が声を上げて泣いていたとききました。これが上州人です男気が有っ
て、親身があって、そして相手との関係を大事にする。本当に福田達夫代議士を誕生させることが出来てよかったなあと、心からそう思いました。
私の昨年の4回目の選挙を、三人がそれぞれの地域で選対本部長になって戦ってくれましたが、福田達夫代議士はおそらく自分の選挙より一生懸命に
なって私のために戦ってくれました。次の選挙は三年後に成ると思いますが、群馬4区で私に戴いた票を福田達夫代議士に投票してもらう、そう言う気
持ちで応援を続けたいと思っています。あせらず、騒がず、落ち着いて、いい仕事を一つ一つ積み重ねて、王道を貫いて、そして、お爺様やお父様のよ
うな日本のリーダーを目指してもらいたいと思います。これからも兄貴分として、福田達夫代議士の成長を見守り、皆さんと一緒に応援をしたいと思いま
す。お父様とお母さまにもずっと見守っていただくことをお願いして、私の挨拶と致します。

      
大澤正明 知事                福田達夫代議士夫妻                   福田達夫 代議士

    【 群馬県知事・大澤正明氏   あいさつ 】

  本日は、関係者の皆さん、またご出席いただいている皆様方のお力添えによりまして、福田達夫代議士の励ます会を盛大に開催できましたことを、
群馬県知事として厚く御礼申し上げます。有難うございました。福田達夫代議士は、言わずと知れた赳夫先生、康夫先生の三代目の代議士であります。
人気は赳夫先生、康夫先生に劣りません。しかし、人気だけではこの国政は乗り切れません。それだけに今日お集まりの先輩がたから、いろいろな角
度からのご指導を戴かなければ成らないと思っています。そのためにはなんと言っても次の選挙にも勝って、連続して国政に送らなければならないと思
います。私はその先頭に立って頑張っています。どうか皆さん達夫君の将来をよろしくお願い申し上げます。


    【 福田達夫代議士  感謝のあいさつ 】

  本日は、皆様ご多忙の中、このように多くの皆様にお越しいただきまして有難うございます。 党役員・閣僚の皆様方、国会議員の先生方、そして、先
輩・同僚の皆様、発起人となってくださいました四人の先生方、私の会にかくも大勢お集まりいただきました皆様に厚くお礼申し上げます。
 また、この会の始まります冒頭には私の祖母であり、福田康夫の母であり、福田赳夫の妻であった福田三枝のために黙祷を捧げていただきました。
祖母は101歳のまさに天寿を使い切る人生でございました。有難うございました。
 本当にこの会は多くの人のお支えで開かせていただきました。私は「人のために生きろ」と教えられて育ちましたが「人の支えで生きろ」という教えは家
の教えにはありませんでした。そもそも私は佐々木相談役の下で商社マンとして一生を送ろうと思っていました。「この国は世界2番目の経済大国にな
る」と教えられ、「経済の立場からこの国の、社会の役に立ちたい」そう思っていた人間でありまして、これほど多くの皆様に支えられて、これほど多くの
皆様の前でご挨拶を申し上げる。そういう立場には、今だに躊躇というか戸惑いと言うものを隠しえません。
 不惑を越えてもう46歳になって居ますがまだまだでございます。46歳という年でいえば、私の祖父福田赳夫が大蔵省を辞して、福田経済研究会と言う
ものを作り、政治を志した年であります。1951年のことで、サンフランシスコ条約が調印され、やっと日本が国際社会に復帰できることになった年です。
「戦火にまみれ灰塵に帰したこの国がもう一度国際社会の中で独立国として羽ばたき始める。これからこの国を自分の手で造ってみせる。」そういう決
意の下で、私の祖父福田赳夫は政界を目指したものと思っています。そしてその翌年に初当選をしています。
 それから60年たってこの国は、安倍総理のリーダーシップの下で、大きく前に進み出していると思っています。思考錯誤はあったと思いますがこの20
年間に、先輩方のご苦労と強い意志での努力があり、この国は再興に向かって立ち上がっていると思っています。その局面で私は国会議員という足跡
を戴いたのです。ぜひともこの日本再興の礎となるべく力を発揮したいと覚悟しております。
 これまでこの国が抱えてきた課題が今も残っていることに変わりはありません。少子化であり、経済もなかなか前に進まない中で、国際情勢も安定して
いません。しかし、その一方で、この国には希望があります。これまでの常識に捉われない新たな技、新しい視点を身につけている若い世代が成長して
います。 国際化が進みさまざまな荒海に乗り出していく中で、地域の伝統・固有の文化を育むことによってこの国は伸びる余地を残している。この国は
まだまだ落ちぶれたものではない。と私はそう信じております。
 私の祖父、父が60年間にわたり、皆様の信頼を得て行動してきたこと、その原点にはやはり皆様の生活があります。 この自民党に任せておれば、
この政治家に任せておれば、安心した生活が出来る。そういうお互いの信頼関係があったと思います。そこに住んでいる人々が、そこに住んでいても安
心であるということ、そこに生まれた子供達が自分たちが描いた夢を実現する。そのための技を手段を身につける手助けをする。そんな社会を造りたい
と思い、そう思って昨年の衆議院選挙に出馬しました。
 そうは言っても、私が、こう言う立場であっていいのかどうか、まだまだ、迷うところが多うございます。祖父が60年前に、自分自身の足で持って前に進
んで行った。その心境にはたどり着けているわけではございません。私は派手なことは出来ませんが、遠いところにある目標はしっかりと見据えた上で、
そこに向けて一歩ずつにじり寄る、そういう努力を続けたいと思っています。悩みながら進む毎日だと思います。そこに皆様のご指導、ご支援、叱咤で、
私を世のなかの役に立つものに育てていただけるものだと思っています。我々がしっかりと次世代に渡して行けるように、ご指導いただけますようお願い
を申し上げて、私のお礼のご挨拶を申し上げました。本日は有難うございました。


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