武 士 の 一 分




                                            〔文中に挿入している花はすべて私が撮影した写真です〕          河野 善福

 山田洋次 が『たそがれ清兵衛』、『隠し剣 鬼の爪』に続く時代劇として監督した作品。 
つましく、身の丈にあった日々の暮らし。 ささやかではあるが、お互いを思いやる幸福感に満ちた夫婦。 それが失われたときに、妻は夫の
ために身を捧げ、夫は妻のために”一分”を賭ける。  原作は藤沢周平。

  【キャスト】
三村新之丞(木村拓哉)  木部道場で修業した、海坂藩の近習組に勤める三十石の下級武士。 毒見役という任務についている男。
三村加世   (檀れい)  新之丞の美しい妻。
徳平 (笹野高史 )     新之丞に仕える中間(ちゅうげん)の男。 父の代からの下男。
波多野以寧 (桃井かおり )新之丞の従姉
島田藤弥(坂東三津五郎 )海坂藩近習組の番頭(ばんがしら)。 心影流の免許皆伝者。
木部孫八郎 (緒形拳 ) 木部道場の剣の師範。 新之丞はこの道場で麒麟児といわれた剣の使い手。
樋口作之助 (小林稔侍) 海坂藩の広式番という役職。 殿様の食事をお毒見役が食べた後、事なきを確認するお毒見役の頭。 
山崎兵太 (赤塚真人 ) 海坂藩の近習組に勤める新之丞の同僚。
玄斎先生(大地康雄)   医者

                             
  【まえがき】
 ”毒見役” 封建時代に藩主が食事を取る前に、料理が出来上がるとまず家来が先に食べて、毒の有無を調べる係りが居た。 その係りを毒見役と言
った。

  【ストーリー】
 今朝も中間の徳平が「おはようございます」といつものように声をかけて、三村新之丞の家に顔を出した。 新之丞の妻の加世が「は〜い」と奥の部屋
から返事をした。 徳平はすぐに箒と塵取りを持って庭掃除に動いた。 
部屋では、この家の主人新之丞が朝食を取っている。 食べ終わった新之丞が「お湯呉れ・・」と言う。 隣の部屋で着替えの準備をしていた加世がお茶
を入れに来る。 亭主の横顔を見て「また、ため息を・・・」と加世が言う。 新之丞が「また?・・おれ、そんなにため息ばかりついているのか?」と問うと、
「何か、気にかかることでもお有になるのでがんすか?」と聞く。 さらに「近頃顔色も良くありましねえ」と言う。 「おめえに隠し事は出来ねえな・・・実はの
加世。 今のお役目が嫌でがんす」 「お毒見が嫌でがんすか?」 「こげえなもの形ばかりで中身もない。・・・正直言って馬鹿げたお役目だ。 実にくだ
らねえ!」 「だども、お殿様が観ておられる前で、お毒見なさるのは名誉なお仕事では有ましねか」 「俺がお上の目の前でお毒見するだと・・・。 あほじ
ゃのうお前は・・・たかだか三十石の平侍の俺がそげなこと、出来るわけねでねえか。・・・・台所のそばの薄暗い部屋さ座ってると、そこへお毒見の料理
が運ばれる。・・・おれがそれを戴いて無事を確かめると、ずうっと遠くにあるお上の部屋に料理が運ばれて、そこで召し上がる」 「お殿様はあなたの顔
をご覧になることは無いのでがんすか?」 「あたりめえでねえか。・・・加世は俺がお上の顔を見ながらお毒見すると思っとったのか?・・・おかしな女ごだ
のう」 「あなたが、お城勤めのことはあんまり聞くなとおっしゃったではありましねか・・・それをアホだなんて」 
 裃をつけ、刀を差して中間の徳平を従えて門を出る新之丞を加世が見送った「いってらっしゃいませ」 縁側の陽だまりには二羽の文鳥が、かごの中を
飛び回ってさえずっていた。

 海坂藩のお城の中。 お毒見役五人が並んで座り、食事が来るのを待っている。 戸が開いて、広式番の樋口に先導されて、二人の武士がお膳に食
べ物を載せて運んで来た。 お毒見役五人が、お椀を一つずつ取って自分の前のお膳に置き、ふたを取って口に入れる。 箸とお椀をそろえて元のお
膳の上に置いて姿勢を正す。 お毒見役の男が隣の男に「お主が口にしたのは何だそれ?」と聞いた。 「菜の花の塩和えざんす」 「味はどげだ?」 
「お上には失礼だども、薄味でちょっと戴きかねますのう」  広式番の樋口が「そのほうが身体にいいのだ。」と言ってから、声を高くして「ご一同、変わり
有ましねか?」と聞いた。 一同が黙って頭を下げると、樋口が台所に目配せをした。 台所から三人の武士がお膳を高く捧げ持ってやって来た。 彼ら
は樋口の先導で奥座敷に殿様の食事を運んだ。 部屋の前で待っていた三人の食事係りにお膳を渡し、お毒見役は全員引き下がった。
お殿様が太刀持ちの若者を従えて部屋に来ると、食事係りの三人が一人ずつ交代でお殿様の前にお膳を運んだ。 

 新之丞はお城からの帰り道に、お堀の魚を釣っている子供たちに、イタズラをして「だんな様・・・子供たちをかまったりするもんでねえ。・・・サムライとい
うものは真っ直ぐ前を見て歩かねばならぬ。・・・亡くなった大だんな様のお言葉だ」と愚痴を言う。 「やかましいの・・・くそたれ爺は」

 新之丞が部屋の中で刀を抜いて手入れをしている。 「のう加世・・俺は早めに隠居しようと思うがどうかのう?」 「隠居して、何をなさるのでがんす
か?」 「町道場を開いて子供方に剣を教える仕事をする。・・・俺はかねがね考えてることがある。・・・今までの師匠方の教え方を替えたいのだ。・・・子
供はみんな一人ひとり違う。・・それぞれの子供の人柄や身体つきに合った剣術を・・・例えば身の丈にあった着物を仕立ててやるように教える」 「眼に
浮かぶようですのう。・・・あなたがちっちゃい子供に剣を教える姿」 「だども、見入りは減るさけ、暮らしはきついぞ」 加世は「そげなこと、かまいまし
ね。・・・徳平、お前の孫も教えて貰ったら・・・あの聞かん子を・・」と、徳平に言う。 「だんな様、その道場には百姓や町人の子供も入っていいのかのう」
 「もちろんだ、身分など問わねえ」 「有難とうがんす・・・だんな様の竹刀でピシッと叩いてやってくんなへ」 「だから、そのように鞭で叩いて教え込むの
は、良くねえと俺は言ってるんだ」 外を見て新之丞が「おや、雨だ・・・徳平!・・早く帰れ!」と言った。 加世も「ご苦労・・」と声をかけた。

 雨の降る日の城内。 今日も毒見役の五人がくたびれた顔で座っている。 そこにいつものように広式番の樋口に案内されて、二人の男がお膳を持っ
てやってきた。 五人の毒見役が、これもいつもに変わらず毒見をし、箸をそろえ姿勢を正した。 お毒見役仲間が「三村・・・お前が頂戴したんは何だそ
れ」と聞いた。 新之丞は「たぶん赤つぶ貝の刺身だ」と答えた。 「ほう・・赤つぶ貝か?・・・めったに我々の口に入るもんでねえの」 隣のお毒見役が
「私どものほうでは壷焼きにします」と話した。 「ほう・・壷焼きか?」 樋口が「ご一同、変わり有ましねか?」と訊ねた。 一同が頭を下げたので、樋口
が台所に目配せをした。 樋口の案内で三人の食事係りが奥座敷にお膳を運んだ。 

  いつもに変わらず、樋口らは食事係りにお膳を渡し引き下がった。 樋口が毒見役たちのところに帰って来て「ご苦労・・戻って良い」と伝えて去った。
直後に三村が急に顔色を変えて苦しみだす。 「三村!・・どうした?」 「どうした?・・その額の汗は?・・」 三村は「大丈夫でがんす」と言って立ち上が
ろうとしたが、力が入らず、その場にうつ伏せた。 「広式だ!・・呼べ!」 樋口を呼びに一人が走った。
一方、お殿様はいつものように、太刀持ちの若者を従えて部屋に来ると、差し出されたお椀を持って食事を始めた。 そこに樋口が「お待ちい〜ます。 
お口付けてはなりましねえ。・・・毒でがんす!」と叫びながら駆け込んで来た。 お殿様があわてて食べ物を口から吐き出す。
 一方の三村は、七転八倒の苦しみ中。 樋口が駆け込んできて、「そのまま、・・そのまま!。・・動いちゃならねえ」と告げて行った。 台所にも「動いた
ものは叩き切る!・・」と告げて廻った。 場内は「そのまま、そのまま・・閉門!・・禁足!」と武士が叫びながら走り騒然となった。 大雨の中で城門が閉
められた。
           
 三村の家で加世は繕い物をしている。 木戸の開く音がした「徳平?・・・なしたん、今頃帰って来て?・・」 「えれえ事だ・・えれえ事だ!・・・だんな様が
毒さだった。・・・殿様に誰かが毒を盛ったんだ・・・お城は上を下への大騒ぎでやんす」 「だんな様がどうしたんでがんすか?。・・旦那様は?」 徳平は
部屋に上がることも無く、土間のかまちに腰をかけて話し出す「それが、さっぱり判からねえだ。・・・おれがたは、館さ一切入れねくて、通りすがりの侍
に、だんな様の事聞いても、”うるせえ”って言って、足蹴にされて、・・・ご新造様に伝えねばと思ってな、・・・またお城さ戻るども、いつでも出かけられるよ
う支度をしててくんなへえ」 徳平が急ぎ出かけたが、加世は何も手につかず望然としていた。

 城内の武士が集められている部屋に上役の武士がやって来る。  「長らく待たしたが、ようやく吟味が終わった。・・・お上のご膳に毒を盛った事実が
あれば、藩を揺るがす一大事であったが、その疑いは消えた。 まずは幸いであった。 お毒見役が口にしたのは、この赤粒貝の刺身であったが、この
肉は季節によっては猛毒を含むそうだ。 めまい、吐き気、激しい頭痛、高熱、時としては命の危険すらある。 この貝を調理するに当たっては、ふぐ同
様、慎重な包丁捌きが必要だそうだの。・・・したがって、調理の不手際によって起きた中毒ではあるが、責めを追うべきは調理人ではなく、もともと、この
ような危険な食材を今の時期に選んだことが間違いである。・・・と、言うのが大目付のご意見である。 よって、各々方は家に帰って良い。 居宅にてご
沙汰を待つように・・・。」と言った。  お毒見役の男が聞いた「あの・・・お尋ねして宜しいでがんしょか?」 「何だ」 「三村新之丞のその後の容態でがん
すが、・・まだ命は?」 「かなりの熱で苦しんで居るようだが、”脈はしっかりしているから、命は取り留めるだろう”と言うのが医者の見立てである」  帰
りかけたが、その上役は樋口を見て「樋口殿・・・みどもの部屋までご足労願いたい」と言った。

 樋口作之助がお経を上げている。 隣の部屋に女たちが大勢集まって泣いている。 お経を唱え終わると樋口は短刀を抜き、刃に懐紙を巻きつけた。
 着物の前を開き、短刀を腹に突き刺し「あッ!」と声を出し、後はうめき声が聞こえるだけだった。 隣の部屋の女、老人たちが合わせた手を上下に震
わせて、声を大きくして泣いた。 

 雨の中、荷車が城門を出て行った。 意識が無い新之丞が、むしろを雨避けに掛けられただけで、死人のように顔や足に雨を受けて運ばれた。
 新之丞の家。 医者が「まあ、危機は脱した。・・・もう心配ない。」と言った。 加世は「有難うがんす」と言って深々と頭を下げた。 医者は「薬を絶やさ
ぬようにな。・・・飲ませ方は判るか?・・・病人の身体を起して、口移しで少しづつ、むせぬように含ませてやる。 後は綿に水を含ませて唇を拭いてや
る、これも絶やさぬように・・・明日か明後日には意識が戻るであろう。・・・では、お大事に」と言って帰った。 加世は湯飲みに茶を入れて新之丞の枕元
に行き、頭や顔に触った。 動かぬ新之丞の顔をジッと覗き込み物思いにふけった。 湯飲み茶碗を持ち上げ、フーッと息を吹き掛け湯を口に含んだ。
 左手で自分のほつれた髪を持ち上げて、新之上の身体の向こうに右手を付き、両手で身体を支えながら静かに唇を重ねた。 そのまま加世は、新之
丞のはだけた胸の上に自分の顔をつけてため息をついた。

 「こんにちは」と、庭先で声がして、従姉の以寧さんが下女を連れて見舞いに来てくれた。 「新之丞はん・・」と枕元で声を掛けるが新之丞の反応はな
い。 「何にも聞こえねえよ。・・・何と言う事だろうのう、すっかり痩せて・・・」と、顔を撫でる。 加世が部屋に入ってくると「ありゃ、加世はん、まあまあこの
度は。・・・母親連れて湯治場さ行ってたもんださけえ、こげえ遅くなってもうて。・・・で、医者は何と?」  「薬絶やさねば、必ず意識も戻るけ心配いらね
えと」 「どこの医者だや?」 「玄斎先生でごわす」 「あの先生がそう言うなら安心じゃ・・・加世はん、しっかり看病せえ・・・決して諦めてはいけまし
ね。・・・こん人、こげえちっちゃいときに、大病して三日の間も死んだみていに物言わねかっただども、四日目にけろっと治って、握り飯四つも三つも食べ
たことがあるの。・・・だから丈夫な身体ださけえ必ず治る」と言って涙ぐんだ。 お茶を入れると言う加世に「いらねえ、いらねえ・・すぐ帰るさけえ。」と言っ
た。 「新之丞はん、私帰るども、すぐに良くなってくれの・・・判るか私の言うことを・・・」と言いながら、財布から紙に包んだ見舞金を差し出した。 「また
来るさけえ。くれぐれもお大事にの」と言って従姉は帰って行った。 加世が新之丞の枕元に行くと新之丞が眼をつむったまま小声で「やっと帰えった
か・・・」と言った。 おどろく加世に新之丞は「五月蝿くてかなわねえの、あの女ごは・・本人は見舞いに来たつもりかも知んねえど、」 加世は「徳平!」と
大声で徳平を呼んだ。 「だんな様が気い付きなはった!」 「だんな様!・・だんな様!」 「徳平か?・・・俺は何日間寝てたんだ?」 「へえ、・・今日で三
日目だあ、・・ようく気いついて下はった。・・よかった。・・ご新造様、えらかったのう。・・ようく看病した。」 加世は「あなた、お腹空きましねえか。」と手を
にぎって聞いた。 「何か食いてえの・・・」 「徳平!、重湯つくらねば」二人は嬉涙で笑った。 二人が去った後の床の中で、新之丞は顔の前で何度も手
を左右に動かしていた。

 その夜、徳平が「ご新造様、・・・用が無ければこれで帰らせて貰うども」と言うと、加世がやって来て「徳平・・・ちょっと気に掛かる事があるんだど
も、・・・だんなさまは、どちらかと言うと恥ずかしがり屋で、私と話をするとき、眼を合わす事はあまりなさらねえだども、さっき重湯を差し上げた時、私の
目を真正面からこんなふうにじいっと見つめてお話になるのよ。・・・なしてやろ。」 「ご新造様の顔が綺麗だからでねえか」 「そんな事言って・・・」 「い
や、ほんとのことでがんす。・・じゃあこれで、・・・」と言って徳平は帰って行った。
 加世が薬を持って新之丞のところに行く。 新之丞が起き上がる。 「熱いので気を付けてのう」といって、新之丞の前にお盆ごと差し出す。 湯飲み茶
碗を取ろうとする新之丞の手が宙を泳ぐ、やっと茶碗を持ち上げて薬を飲む新之丞の横顔を、加世が不安そうに見つめる。 お盆の上に茶碗を戻そうと
して薬湯をこぼしてしまう。 加世が「あなた、もしかして、お目見えないのではありましねか?」と聞く。 「お前に心配掛けたくねえかったもんださけえ、黙
ってただもの、実は表が明るいか暗れえか位しか判からねえ」 「何でえ・・」と加世は泣き出した。 加世は「あんた、それば大事なこと、私に黙っていた
のでがんすか。・・私方は夫婦でありましねえか。・・・心配掛けたくねえかったの、なしてそげな遠慮を・・・私はあなたのこと心配したいのでがんす。・・・い
くらでも心配したいのでがんす」と言って新之丞の手をにぎった。 「んだか?・・・おめは、そいだふうに思っててくれたか?」 「明日、玄斎先生をお呼び
します。・・・きっと良いお薬下さりますさけ、大事にして、すぐ見えるようになります」

 医者の玄斎先生が来て、診立てを行っている。 加世に「武芸で鍛えた身体は違う。・・ことのほか心の臓がお強い。 ここまで回復すればもう安心して
よい。・・・引き続き今の薬を飲ませるように」と言った。 新之丞が「先生・・私の目のことでごわすど、いったい何時になったら見えるように・・・」 玄斎は
「あれだけの熱で苦しんだのだから、いろいろと障りは残る。・・・鳥目と言うのを知っておられるか?・・夜のなると眼が見えなくなる。 あれに似た容態だ
のう。・・・なあに心配は要らん、滋養を取ってゆっくり休養することが肝心。・・・慌ててはいかん。そっちの薬も調合しておくから後で取りに来ると良
い。・・・お大事に」と言って立ち上がった。
 玄関で手を洗いながら玄斎が言う。 「ご主人の目のことだが、実は赤粒貝の毒は眼に来て失明の恐れがある。 医術の本で読んではいたが、ご主人
の目はまさにそれだ。 ・・・よいか、ご新造。・・・これ以上手当てをしても無駄だと思う。・・・諦めるしかない。 まことにお気の毒だが、後は神仏に頼るし
かない」と言って立ち去った。 加世は徳平に「いずれ私の口から、お話ししねばなりましねかも・・・」と言って奥に入った。   
                                           
 ホタルが飛び交い、蛙が鳴く夜。 加世が新之丞の寝床のそばにやって来て「起きておられたのでがんすか?」と聞く。 「今、お前の夢見てた。」 「私
の?」 「指に小鳥を乗せたお前が笑っている。・・・俺は逃げてしまうぞ。と、言いたいのだども、その声が出ない。・・苦しくて、眼え覚めた。・・・そしたら、
今度は真っ暗闇の中にお前の声が聞こえた。・・・眼え覚めるということは何も見えなくなるということだの。・・・今の俺には」加世は団扇で風を送りながら
黙って聞いている。  「なあ、加世・・二人の文鳥が・・・もう寝てるか?」 「いいえ」 「まだか?・・」夏の夜、虫の声など聞きながら二人が話す。

 城の中。 今日もいつもに変わらず五人のお毒見役が台所の脇に控えている。 「聞いたか三村のこと・・・」 「眼え見えなくなってしまったのか・・・」 
「えらいことだ・・・これから先にどうやって暮らしを立てて行くのか?・・まさか按摩や琵琶法師と言う訳にものう」 「不憫な男だのう」 そこにいつものよう
に、新任の広式番の先導で料理が運ばれて、いつものようにお毒見役が料理の毒見をした。 お毒見役の男が「おめえが頂戴したの何だ?」と仲間に
聞いたら、新任の広式番から「口聞くな!」と怒鳴られた。 

 八目神社の境内。 加世が裸足で”百度石”と神社との間を廻って歩き”お百度参り”の願掛けをしている。 

 藩中の城下町の中。 加世が歩いていると、すれ違った侍から声が掛かった。 「卒爾乍ら、三村新之丞のご新造よね。 島田藤弥と申す。・・・私を覚
えておられるか?・・その昔、道場の行き帰りに何度かそなたを見かけた。」 「はい」 「そなたは文箱を手にして、寺子屋の帰りと見たが、あれがこの城
下で評判の美人、加世殿と私は知っていた。・・・その加世殿のご主人がこのたびの不幸な出来事。・・・玄斎先生の話では、最早二度と光を見ることは
出来ぬとか、まことか?」 加世が静かに頷いた。 「それは、それは役目とは言え誠にお気の毒、心から同情いたす。・・・これからの暮らしのことを含め
何かと心配であろう。・・・相談に乗る。・・・いつでもみどもの家にこられると良い。・・・遠慮は要らぬぞ。・・では」と言って立ち去った。 「有難うございま
す」と加世は頭を下げた。  

 加世が家に帰ると、徳平が庭で待ち受けていて、「大変なことしてしまった。」とあわてて言った。 「なしたんや?」 「お留守の間。 だんな様が俺を呼
んで、きつい声での。・・・お前方は俺の目のことで、玄斎先生から何か聞いているのであろう。 隠さずに申し述べよ。・・・うそをつくとタダでは置かね
え。・・・見えない眼で俺をにらんだそのお顔が、大だんな様そっくりで、あんまりおっかねえんで、つい本当のことを言ってしまったんだ、・・・申し訳ありま
しね」 「判りました。・・・今、どうしていますか?、旦那様は」 「縁側でいつものように小鳥の声を聞いておられますの」

 新之丞が縁側で、文鳥のさえずりに耳を傾け休んでいる。 加世がお茶を持って行き「只今帰りました」と言う。 「あなたの好きな蓬餅買って来ました
け、どうぞ・・・」と言って差し出すが、「今、いらね」と言って手で払いのける。 「徳平から聞きましたども、私はあなたの目のことで、隠し事いたしました。
 さぞ不快でがんしたでしょ。・・どうか許してくだへえ。・・・いつかはお話ししなければと思っていたのでがんすども・・」 「俺のことを思ってしたことださけ
え・・・辛かったのは俺なんかよりお前方のほうが多分・・・もういい下がって居れ」 「はい」 「俺を一人にしてくれ」 加世が居なくなった後で、新之丞は湯
飲み茶碗を取って飲もうとしたが、高ぶる気持ちを抑えきれず茶碗を庭に投げつけた。

 深夜「徳平・・徳平!・・だんな様の様子が・・」と言って寝ている徳平を加世が起こしに来る。  徳平が部屋に急ぐと、新之丞が起き上がって、部屋の
中の物をひっくり返している。 「どうなさった?」 「刀どうしたかな?・・・俺の刀?」 「お刀は納戸さ仕舞ってあるも・・」 「仕舞った?・・俺のいい付けも
なしに、なしてそんなことしたんだ・・徳平!」 「あなた・・・それは私が言いつけました」 新之丞は捕まえた徳平を投げつけて、「すぐここさ持って来い!」
と言う。 加世は「嫌です!」と叫ぶ。 「嫌ですとは何だ!・・おめえは俺の言いつけに背くのか?」 「ハイ・・背きます!。・・刀はお渡しできましね
え!、・・・そげなこと嫌でがんす!」 新之丞は加世に殴りかかろうとして、よろけて転ぶ。 「キャッ・・」 徳平が「ご新造様をぶってはならねえ。・・ぶつな
ら俺の面をぶちねえ」と言う。 「やかましやい・・加世!・・加世!」と新之丞が叫ぶ。 「ハイ・・ここさ居ます」と加世が走り寄る。 新之丞は加世の肩を
持って「俺は死ぬ!・・なんの値打ちもねえ男になってしまった。・・・死んだほうがましだ。・・」 「あなた・・そげな事は有りましね」 「俺は何にも見えねえ
んだぞ!」 「だからどうしたと言うのでがんすか?・・・ただ、お眼見えねえだけでありましねえか。・・・あなたは今までどおりのあなたでがんす」 「ちが〜
う!。・・・俺は誰かの助け借りねば、生きていかれねえ身体でねえか。・・・いずれお役ご免でお城勤めも叶わねくなる。・・そうすれば侍でもねえ。・・誰か
の世話になって、ホイト見てえな、みじめな衣装着るしかねえんだぞ」 加世が新之丞の身体にすがり付いて、「私がそばに居てればありましねえか」と言
う。  「お前もそのうち嫌になる。・・・俺みてえな者捨てて何処か行ってしまう。」 加世は「なんで?・・あなたは何てひどいことを・・・」と言いながら、泣い
て新之丞の肩をぽんぽんぶった。 さらに加世は「みなし児だった私はずっとあなたのお傍さ居て、あなたの嫁になることがタダ一つの望みで、・・・それ
をなして」と、言って新之丞の胸に泣き崩れた。 「あなたが居なくなった暮らしなら、考えられましねえ。・・・死ぬならどうぞ!、・・・私もその刀ですぐ後を
追って死にますさけえ、・・・死ぬなら・・・しぬならどうぞ!」泣いて抱き合う二人のそばを徳平が忍び足で出て行った。

 本家の座敷に親戚の者一同が集まって協議をしている。 本家の伯父が「誰かいい考えはねえのか?・・・役にたたねえ身体になってしまった新之丞と
加世がこの先どうやって暮らして行くのか?。・・・誰が引き取るか?。・・・」と話し始める。 「加世、」 「はい」 「おめえはどう考えているのだ。・・おめえ
がた夫婦のことで、このだっちい中、みんな顔をそろえたのではねえか」 加世は「あの・・皆さんにご迷惑をかけるつもりはありましね。・・・いよいよとな
れば、あたし働きますさけえ」と言う。 従姉の以寧が「あや・・あんたが働くと・・・何するや」と聞く。 加世は「機織ったり、縫い物したり、それでも間に合
わねば、料理屋で女中でも何でも・・・」 伯父が「馬鹿なこと言うもんでねえ。・・竹川につながる家から料理屋の女中など出せるか!」と叱る。  「おっそ
ろしいことを・・・」 「申し訳ありません」 「東吾殿!」 「はい」 「だまってねえで何か言え!。・・・おめえの考えは?」 以寧の亭主の東吾が言った「元は
と言えばお役の上であげな身体になって仕舞ったのださけ、何とかして30石の半分でもええさけ、戴けねえかのう」 以寧が「なあ、誰かにお願いしてみ
たらどうかの、兄はん」と提案した。 伯父が「そげなことは何度も考えた。・・・城代家老の服部様がご存命であれば、父上の代からの親しい間柄さけ
え、お願えでけたのだども、最早お亡くなりになって3年。・・・服部様につながる方々もね、みんな要職から離れてしまっている・・」と言った。  「加世殿、
誰か心あたりはいねか?、そげな事お願げえ出来る身分の高けえ方?」 「この際、どんなちっちぇえつてでも、すがらねばのう」 加世が言う。「先日、島
田様にお会いしましたのも、・・・」 東吾が聞いた「島田と言うと、お番頭の島田藤弥殿か?」 「はい」 以寧が聞く「なしてお前が・・・」 加世が説明する
「嫁になる前からの顔見知りで、ご挨拶しましたら、主人のことよくご存知で、相談が有ったらいつでも来るようにと、親切なお言葉を・・」 伯父が言う「そ
れは何よりの話である。・・島田様は若いがたいした切れ者だ。 加世、ぜひぜひお言葉に甘えてお願いして見れ。・・これはおめがた夫婦の一生の問題
ださけ、お城勤めが叶わねとなれば、家禄は召し上げとなり、今住んでる家は出て行かねばならねえかも知れねえ」 「そげなことになったら、あんたらど
こで暮らすの」 「そうして呉れるの、加世・・」 「わかりました。・・伺うだけ伺ってみて、お願いしてみます」 「ああ、えかった・・これで、肩の荷が降りたよ
うだの」 一同が「よかった。・・良かった」と言い、本家の小母が「ご苦労はんでがんした。・・・何もねえども、隣の部屋に支度してありますさかい、さあ、ど
うぞ・・」と言って料理のお膳が並んだ部屋に一同を案内した。

 加世が家に戻ってきた。 「只今帰りました。・・・おんざま、東吾様、以寧様方が、くれぐれもお大事にとの事でがんした」 「どげな話出た?」 「これか
らのあなたの暮らしを、どのようにお世話して行けばいいのか、こいようなご相談でがんした」 「俺は人から情けや施しを受ける身の上になったの
か?・・・いまいましいの」と、顔をこわばらせた。 「お腹すいたでしょうのう?。・・・今夜はあなたの好きな芋がらの煮物でがんす。・・・急いで支度します
さけえ・・・」


 新之丞の家に本家の伯父が来ている。 加世に手を取られて新之丞が部屋に出てくる。 「お待たせしました」 「おんざまには、何もお変わりなくお過
ごしでがんすか?。・・・このたびは私のことで、みなさまに心配かけて、真に恐縮でがすども、こげな身体になってしまった以上なんのお返しも出来まし
ね。・・・どうか私のことはお見限りくないますように・・・」 「わしは今日お前にいい知らせを持ってきたのだ。・・・いいか、新之丞。・・実は今朝大目付様か
らじきじきに呼ばれて、お前の今後の処遇についての、ご沙汰があった。・・・大事なとこださけ、ようく聞け。・・」 伯父は懐から紙を取り出し広げて読み
上げた。「三村家の家名は存続。したがって三十石の家禄はそのまま、三村新之丞は生涯養生に精をだせ。・・・こう言うことだ。」 紙を折りたたんで懐
にしまいながら「本来なば、この屋敷は召し上げ、十俵,二十俵の捨扶持で買い戻すんだって良いところを、誠に温情のあるお裁きを頂き、お前に縁の
つながる俺方も喜んでおる。・・・一刻も早くお前に伝えるべくお城からじきじきに参った。・・・判ったか?・・俺が今言ったことを・・・」と、言った。 「思いも
かけねえご沙汰で・・・驚いとります」 「加世も一安心であろう・・・近々登城してお礼を申し上げるように・・・せば、これで・・・」 「なにもお構いできませ
む・・・」 

 新之丞が部屋に入ってくる。 「自分のお家の中くれえ、人の手を借りねえで歩けるようにならねばのう・・・何してるんだ?」 「お城に上がる時の裃の
手入れを・・・もしかして、お上がお言葉をくだはるかも知れねえって・・おずさまに言われましたがね」 「ひさしぶりだのう、袴穿くのは・・・しかし、気い重
いのう、途上するのは・・・」 「なしてでがんす」 新之丞が「眼の見えねえ俺を家中のものがた、まるで罪人でも見るようにじろじろ眺める。・・・見舞いの
声などかけられて、いちいち答えねばならねえ、・・・ぞっとするのう徳平」と言う。 上がり框に腰をかけていた徳平が「おれがここに居るのがわかるの
か?」と、驚いた。 「加世と徳平がうちの中で何をしているか位だいたい判るぞ・・・徳平、もしもお前が俺に殺意を抱いたとしたら、おれはそれも判るぞ」
 「なに言うだか・・・俺がだんな様に」 「軽口ではねえか・・・あや、肝心なこと忘れてた、俺の刀何処かに仕舞ったと・・・死ぬのは辞めたさけえ、床の間
に戻しといてくれ・・・刀は武士の魂ださけえのう。・・・そばに無ければダメだ」 

 お城の中。 山崎兵太に手を引かれ廊下を歩く新之丞を見つけて仲間が声をかける。 「三村!・・加賀山だ・・・」 「このたびは家中の皆様にご迷惑を
かけ、申し訳ねえことでごわした。 また、見舞いを過分に戴き、厚く御礼申し上げます」 「このようにお上がお言葉をくだはるそうでがんす」 「それはま
ず名誉な事で・・・」
 山崎と新之丞がお庭に座り、やぶ蚊に刺されながらお上のお出でを待っている。 新之丞が聞く「山崎はん・・・お上は、私がなぜここに控えているのか
をお分かりでがんしょか?」 「判からねえんでねえのか。・・・なにしろお年だっしゃかい」 二人が話していると遠くから「おなり〜」という声が聞こえた。 
「おなりだ!」二人は頭を下げ両手を着いた。 団扇を扇ぎながら廊下を進んできたお殿様は、二人を見つけて立ち止まるが「大儀!」と声をかけただけ
で行ってしまった。 

 新之丞の家。 新之丞が徳平を呼ぶ。 「お呼びかと?・・」 「加世は?・・まだか?」 「ご新造様はお寺参りださども、ぼつぼつお帰りになるので
は・・・」 「それにしても遅いの?」 「買い物で百軒町のほうにでも廻られたのでしょう・・・それとも和尚に捕まって、世間話の相手させられてるのか、何し
ろあの和尚はくっちゃべりだけ、おれはおしゃべりは嫌れえだ・・・特にあの波多野の奥様・」 そこに波多野の以寧さんの声がする。 「噂をすれば・・・」
 「ちょっと上がらせてもらうな・・・加世はんはお出かけだと?・・・新之丞はんこんにちは・・その後、お身の具合は如何でがんすか?」 「良くもねく悪くも
ねく、ま、こげなもんでがんしょ」 「本とに見えねえのかのう」 「見えましね」 「惜しいことだの、以前と、ちっとも変わらね美男子なのに・・・さ、新助こっち
さ来て、おじ様に挨拶せえ」と連れて来た息子を呼ぶ。 新之丞が「新助か?」と聞く。 新助が「こんにちわ」と言って頭を下げる。 以寧が言う「ちっとも
勉強しねえで、・・・今時はのう剣術が強うても出世はしねえの、学問が出来ねえっきゃだめ。・・この子は本当に学問が嫌れえでなあ新之丞。・・・誰に似
たんだろうなあ」 「母親似でねか?」 「うん」 「あっちさ行って、徳平と遊んできな」以寧は息子を遊びに行かせた。 
 以寧が新之丞に話す「新之丞はん・・・私、主人から妙な話きいたのだども・・・」 「何でがんす」 「加世はんのこと。・・・話なしてええかの?・・」 「伺い
ます」 「主人がの、新川町で加世はんを見かけたんだと・・・それが、加世はんお一人だがどうてこともねえのだども、男の方、・・・それもお召し物から見
れば、いかにも身分の高そうなお侍とご一緒だったのだと・・・あなた、心あたりはあらましねか?」 「いつのことでがす?} 「確か・・6日の晩・・その晩主
人がお仲間達と飲み歩るいたんじゃんすよ。近頃悪い遊びを覚えてのう・・」 「ご主人はその男の顔は見たのか?」 「それがあなた、暗くてはっきりと見
えなかったんだそうだ・・もちろん加世はんのほうは、はっきりと見たんでがんす・・・新之丞はん、大丈夫?。・・目が悪くなって、うちの中のことがようく見
えなくなっているのでは、ありましねか?」 「あなたは忙しいのにわざわざ、そげなくだらねえこと話に来てくれたのか?・・ん、・親切だのう」 「大事なこと
ださけえ、来たんではありましねか」 「加世は、・・加世はそげな淫らな事する女子ではありましね」 「本でも主人が、お茶屋の前でしっかり顔見た」 「も
う聞きたくねえ・・・あなたがそげな告げ口をすると言うことは、失礼だども、あなたの心の卑しさを白状してることだの」 「何てことを・・・私は、あなたのた
めを思って、こげな言いにくい事を言ってるのでがんす。・・・私の心が卑しいだなんて、あなた、そげなこと本気で言ってるので」 「帰ってくなはれ!・・そ
なたの面など見たくもねえ!」 「ああ、面が見えねでがんすか」 「徳平!・・以寧さんの帰りだ!」

 新之丞が食事をしている。 「はい・・那須の朝漬でがんす」と、言って、加世が茶碗の中に漬物を入れる。 無言で食べた新之丞が「湯呉れ!」と言う。
 「今朝はお代わりはなさらないのですか?」と聞くが、無言で食べて、加世が差し出す手を取ろうともしないで、一人で次の間に立ち去る。

 加世が花を持って、お寺に来る。 徳平が身を隠しながら、加世の後をつける。 加世が墓参りをしている。 隠れて見ている徳平が「ほうら見ろ・・・ご
先祖様にちゃんと手を合わせて、拝んでるでねえか?・・・罪作りだのう、旦那様は・・・あげなやさしいお方を疑ったりして」と独り言を言う。 加世は住職
と立ち話を始める。 「いいかげんに、くっちゃべりを辞めねえか」とまた独り言。 
 帰り道で加世はお茶屋に駆け込む。 「なしてご新造様は、こげなとこさ?・・」と考えていると、身なりの立派な武士が暖簾をくぐって同じ茶屋に入って
行った。

 お茶屋の中。 「よく、ござした・・・もう見えてがんす」と、女主人が武士を出迎える。 男は海坂藩近習組の番頭、島田藤弥であった。 「いつもの部屋
でがんす」 島田は階段を登って行った。

 加世が家に戻ってくる。 疲れたふうにかまちに腰を下ろし、ため息をつく。 新之丞の部屋の前に行って襖の前に座り、「只今帰りました」と告げる。 
中から返事がない。 加世は静かに襖を閉めて立ち上がった。 加世が着物を着替えて台所に居ると徳平がやって来る。 「もうお帰りでしたか?・・」と
言って立ち去る。 異様な雰囲気に気付いた加世は、「仕事を続けて、私の話を聞きなへえ。・・・今日、お前は私の後をつけて来たのう・・・それは、だん
な様のご命令だろうのう。・・そうでなければ、お前があのような事、する訳ねえさけのう。・・・私は、染川町の茶屋に入ったども、おまえはそこまで見たの
か?」 徳平は薪割りを続けながら「あれは、悪い夢だ・・俺は、あなたをちっちぇえ時から、よう知ってる。・・・そげなことなさる方でねえ。・・そげなこと、
ある訳がねえ。・・・俺が見たのは、あれは、ご新造様ではねえ。他の方だ。・・・だんな様にはそのように申します。」と言う。 加世は「何時までも隠しおお
せることではありましね。・・・とうとう来る時が来たのでがんす。・・・しかたねえ、何もかもだんな様に話します」と言って立ち上がった。 「徳平・・・私は何
べんも死のうと思いました。・・・だども、一人になっただんな様のことを思うと、可哀想で、可哀想で・・・私が愚かでした。・・・私がしっかりしていれば、こ
げなことには・・・」加世は顔を両手で覆って泣き崩れた。


 新之丞の前で、望然としている加世が居る。 新之丞が黙って立ち上がる。 「何時まで黙ってんだ。・・・おれの我慢にも限度がある。 答えれ!・・お
めえの相手は誰なのだ!。・・・名前言え・・」 しばらく沈黙の後、加世が細い声で口を開く「島田藤弥さまでがんす」 「島田!・・・番頭の島田さま?」 
「はい」 「いったいどげえな、・・・どげえな訳で」 「娘の頃、寺子屋の行き帰りに、何度か島田様とお会いしております。・・そのことをおんざまに申し上げ
たら、ぜひとも、あなたが城にとどめ置かれることを、願いに行くように、無駄になっても構まわねえさけえって、私にお命じになりましたので、私は仕方ね
く、お土産をもって島田様の屋敷に伺いました。・・・あなたに申し上げれば、そげなことは辞めろとおっしゃるに違がいねえさけ、黙って行きました。・・・島
田様は、私を奥の部屋に上げてくなはると、それはそれは親切なご様子で、用件は確かに受け賜った。と、おっしゃいました。」 

 島田は「そのように固くならずとも良いぞ、ご新造・・・そなたの夫の三村の処遇については、ご家老にじきじきに申し上げて、そなたの願いが達せられ
るように・・・尽力してみるからのう」と言った。 加世は「ありがとがんす」と深々と両手を着いて頭を下げた。 「だがな、ご新造・・・」と言った島田の手は、
加世の右手を押さえて引き寄せ、左手が肩に廻っていた。 「あ、いや!・・」と逃げようとしたが、もう動けなかった。  
 加世が今にも泣きだしそうな細い声で言う「ただし、ただと言う訳にはいかんぞ。と、おっしゃって、突然私の身体を・・・・私は恐ろしくて、大きな声も出せ
ませんでした。・・・私は死んだつもりで、身を任せました。・・・もちろん、一度のつもりでしただども、二度目には使いを寄こして、承諾しなければ、お前の
主人に言うぞと脅かされて、三度までそう言うことをいたしました。・・・私は地獄さ落ちました。・・・いずれ、あなたに知れてお手打ちになる。それは覚悟
の上でがんす。・・・どうぞ、ご存分に・・」 加世は両手を着いて、頭を畳に付けた。  新之丞が障子に向かっていた顔を加世のほうに移しながら言う「妻
を盗み取った男の口ぞえで、高々30石救われて喜んでた俺は・・・犬畜生にも劣る男だのう」 加世は「そげな冷たい目で、私を見ないでくだへえ」と言っ
て目をそらす。 「俺にはおめえは見えてねえ。・・」 「見えて無くても、氷のようなあなたのお気持ちがわかります。・・・お願いでがんす、一思いに殺してく
だへえ」 「おれの知ってる加世は死んだ!・・おめえはもう加世じゃねえ。」 「あなたのお命守るためでがんす。・・・そのためだば、どんげなめ、あっても
ええ!・・・お願いでがんす、その」 「徳平は居るか?・・・徳平!」 「へい」 「加世をたった今離縁した。・・荷物まとめて即刻この家から追い出せ!、今
すぐだ!」 「だんな様お願げえだ、今日はもう陽も暮れているし」 「徳平もうよい!・・・私の首をお切りにならないのは、せめてものお情けだと思いま
す。・・・私は出て行きます」 加世は立ち上がって、部屋を出た。  徳平が「後付けたりして、おれがわるかったんだ・・ご新造様は実家も無ければ、親
戚もねえ、この日暮れに一体どこへ行けと・・・あまりにもひどい仕打ちでねえか。・・おれが悪かったんだ」と言うが、新之丞は「やかましい!・・おれがた
夫婦のことだ、グダグダ言うならお前も出て行け!・・このくそっタレじじい!」と大声を出して障子を叩く。 加世が風呂敷を抱えて、「徳平、・・でば・・」と
言って土間に降りる。 「ご新造様、もうお立ちでがんす。・・・えれえことだ」 「だんなさまのこと、呉れぐれも頼みます。・・・これからはおまえだけが頼りだ
けのう。・・・徳平、いろいろと世話になったのう」と言って加世が外に出る。 新之丞は涙を流して立ち続ける。 外は激しい雷雨となっている。

 新之丞が木刀を下げて庭に出る。 周りの間隔を確かめて木刀を振る。 庭を動きまわって、庭木に切り込む。 殺気を持って打ち込む木刀に徳平が
後ずさりする。 「辞めたほうがいいと思うがのう。・・・もう気持ちは判るども・・」徳平が言い終わらぬうちに、新之丞はつまずいて転ぶ。 「てえげえにし
ねえと、怪我するぞ」走り寄る徳平に新之丞が言う「こうもりはなして暗闇の中をかってきままに飛べるのかのう。・・・俺がこうもりだったらのう」

 新之丞が剣の師、木部孫八郎の道場で、師と木刀を持って激しい打ち合いを行っている。 師、木部が言う「太刀筋は生きている。・・・よくここまで来た
な。・・」 「朝な夕な、中間相手に切り太刀の稽古をしました。」 「では、組太刀をやるか」 「出来れば立会いでお願いします」 二人はさっと身構えた。 
師、木部が距離を縮めて右に左に動く。 それに合わせて新之丞が向きを変える。 「わしの動きが判るのか?」 「ものの気配で判ります」 木部が不意
を付いて打ち込むのを受けて、返す刀で切り返した。 続いて新之丞が打ち込み右に走ったとき、木刀の先が壁を突き刺して抜けなくなった。 あまりの
気迫に木部が問う「どうしたんだ、お前?・・・何があったんだ?・・・誰かを切れたいのか?・・・相手は侍か?」 新之丞が頷く。 木部が「酷なようだが、
お前は眼が見えんのだ。・・・ひとかどの侍相手に、真剣勝負するなど狂気の沙汰だ。・・・やめとけ!」と言って立ち去ろうとしたが、「お言葉返しますど
も、私には相手の動きが気配で判ります。・・・だども、相手にはそれがわかりません。・・・そこに油断が生まれます。」と言って、引き止める。 木部が
「では、もう一度やるか」と言って、道場の立ち位置に連れて行く。 「いいか、三村・・・命のやり取りは道場の剣術とは違う。・・・相手は何をするか判ら
ん。」と言って木刀を構えた。 「切っ先を外すな」 「はい」 二人が打ち合って、新之丞が体勢を崩し壁に突っ込んだ。 体勢を立て直し構えた目の前
に、木部が茶碗を投げた。 そこに反応した新之丞の首元に木部の剣は止まっていた。 新之丞が座り込んでうなだれる。 木部が「事情によっては、わ
しが加勢しても良いが・・・相手は誰だ?・・・どんな訳があったんだ」と聞く。 正座した新之丞が、「勘弁してくんなはい。・・・武士の一分としか申し上げら
れましねえ」と泣き声で言う。 「もしお前に勝ち目があるとすれば、おまえに死ぬ覚悟が出来ていて、向こうは生きることに執着している。・・・そこしかな
い。・・・おまえに免許を授けた時、伝えた言葉があった。・・・覚えて居るか?」 「共に死するを以って真となす、勝ちはその中にあり、必死すなわち生くる
なり。・・・先生、もう一本お願いします」 「うん」 新之丞が木刀を持って立ち上がった。

 新之丞の家を尋ねて、同僚が二人来ている。 庭先で同僚の山崎兵太 が「するとお前が毎日飯を造くっとるのか?」と徳平に聞いた。 新之丞に「あ
われだのう・・・夫婦ださけえ、他人には判からねえ事情があるだろうだども、それにしても、あんな美しいご新造を離縁するとはのう。」と言う。 新之丞が
言う。「山崎はん・・・お願いした事だども、・・」 「おう、その件だ・・調べは付いた。・・眼え見えなくなった、おめえに今までどおり、家禄を授けるという寛大
なお裁きが下ったいきさつだと思う。 ご家老たちの話し合いでは、財政窮乏の折、年20俵の飼い殺しといったん決まって、月番家老の野瀬さまが、お
上にご報告申し上げた。 そしたらのう三村。・・・あのお年を召されたお上がしばらく考えられて、もし、三村の毒見が無ければ、わしは勿論、奥の者た
ちまで無残なことになっただろう、と仰せられて、その場で家禄はそのまま、三村は生涯養生に精を出せば良いと、ご家老たちの結論を覆へされた。」と
山崎が言った。 新之丞は「そのお上の裁定は、どなたかの進言を入れられた事ではねえのか?」と聞いた。 「いや、あくまでお上じきじきのお言葉だ
そうだ。 これは野瀬様の口からおれが聞いた話ださけえ、信用してええぞ。・・もう頭呆けてしまっていると思っていたども、さすがに、われらのお上だの
う」 新之丞が尋ねる「すると、お番頭の島田様が、私のために口添えをして呉れたという事はないのだな」 「島田?・・なに言うか・・・あの御仁は自分の
出世しか考えない無慈悲な男だ。・・・おれがた下方の者のために、口添えなどするか。・・・そげな訳でお主はゆっくり養生すればよい、と言う事だ。・・・
どうだ、納得入ったか」 「手数をかけて、すまねえかった」 「奥方の綺麗な顔見れなくて残念だったのう」と相方に言って帰った。

 「徳平!・・徳平!」 新之丞はは徳平を呼びつけて「お前はすぐに番頭の島田の屋敷さ行って来い。・・・そして、こげなような口上を伝えろ」と言う。 
「明日、午の刻、馬場跡の川原にてお待ち申す。・・・それだけ言えば先方には判る。・・・ただし、屋敷の者に聞かれぬよう、庭先に廻してもらって、島田
にじかに話すように・・・なに、ぼんやりしている、行け!」 戸口まで出かけた徳平に新之丞が言う「もう一つ!・・・盲人だからといって、あなどるんじゃね
え・・・そのように言え、判ったな・・・行けッ!」

 番頭、島田藤弥の屋敷の庭。 徳平が頭を伏せて座っている。 島田が奥から出てきて言う。 「何者だお前は!・・・俺にじかに話がしたいとは一帯何
だ!」 徳平が恐る恐る喋る「おれは、三村新之丞さまの中間、徳平と申します。・・・」 「三村の中間がなんの用だ」 「みょうにち、午の刻、馬場跡の川
原でお待ちいたす。・・・それだけお伝えするようにと、だんな様が・・・」 「それは果し合いか?・・」 「おれは良くすらねえ、・・・だども眼が見えねえからっ
て、あなどるんでねえぞ」 「何!」 「いえ、おいじゃねえ、・・だんな様が必ずそう言う」 「この下郎!・・この俺を誰だと思っているのだ。・・・小石川の長
沼道場で、3年間の修業の果てに心影流の免許を許された、島田藤弥だぞ。・・・帰って主人に伝えろ。・・・眼も見えぬくせにいい度胸だ。・・・馬場跡の
川原に必ず行くとな・・・うせろ!」 徳平は慌てて逃げ帰った。


 新之丞が身支度をしている。 徳平が言う「だんな様・・徳平一生のお願げえでごわす。・・・どうか、本日の果し合いは」 「もう、言うな・・これは武士の
一分に係わる事だ。・・・島田は加世を騙した。・・ご家老に口添えしてやるなどと嘘ついて・・・可哀想に・・加世を手篭めと同じめに遭わした。・・・俺の腹
の中は今でも煮えくり返るようだ。」 「だども、島田様は江戸の有名な道場の免許をお取りに」 新之丞は「そげな事は判ってる。・・・一太刀でええ、恨み
をこめてあいつを切りてえ・・・死ぬのは覚悟のうえだ。・・・のう、徳平、・・今の内に礼を言っておくぞ。・・・父を失った幼ねえ頃から、こんにち迄、おめえ
には我侭の言いたい放題だったの。・・すまねえと思ってる。・・・永い間世話になったのう」と、言って徳平に頭を下げた。 徳平はただうつむいて泣いて
いた。 新之丞は刀を持ち、鯉口を切り、少し抜きかけた刃を顔前で止めた。

 荒涼とした川原にススキの穂が揺れる。 崩れかけた馬小屋の前に新之丞が立って居る。 徳平が落ち着かぬ気持ちを抑えきれずウロウロしている。
 徳平が新之丞の杖を持つ手を取って、「10間ほど先が赤川で、すぐ左手が馬小屋だ。・・・匂いで判るがの。・・・去年の洪水でなんもかも流されて、お
化け屋敷のようだ」と教える。 その頃川原の外れに島田藤弥が姿を見せた。 新之丞が徳平に「もういい、・・おめえはずっとさがって、どこか物陰さ隠
れてろ」と言う。 「くれぐれも足元に気いつけて、石ころだらけださけ」 「徳平!・・達者で暮らせよ・・・行け!」と、言って持ってきた杖を渡す。 新之丞
が懐から鉢巻を取り出して頭に巻く。 背後に姿を現した島田が「三村!・・俺だ、・・貴様、ご新造を離縁したそうではないか、それで始末は付いたような
ものだが、まだ気が済まぬか?」と言いながら近づいてくる。 新之丞が「手篭め同様に妻の身体を奪った男を、生かしておいては、私の武士の一分が
立ちましねえ。」と答える。 「大げさな口を利く男だのう・・・貴様はそのお陰で、今の禄を食んでいるのではないか?」 「うそを言うな!・・あなたはそうや
ってウソを付いて、加世をだましてもてあそんだだけだ。・・・この卑怯者!」 「卑怯者だと・・・上司に向かって何と言う口の利き方だ!・・・」と、言って島
田は持ってきた菅笠を投げ捨てた。 「おめえなど上司でも侍でも無い!・・」 島田は「盲人を相手に果し合いなど気が進まぬが、貴様がそういう口の利
き方をするなら容赦はせん」と、言いながら羽織を脱いだ。 カラスがさかんに鳴いている。
 「いつでも構えろ!」と言って島田が刀を抜く。 新之丞も刀を抜いて二人が向き合う。 上段に構えた島田が振り下ろす刀を新之丞の刀が受ける。 
「貴様!・・・眼が見えるのか?」 「うちの中間が言ったはずだ。・・侮りめさるな!。・・」 「なに!・・」島田が踏み込んで突き出す刀を新之丞が払い除け
る。 互いに一進し、また後がって刃を交わす。 新之丞が斬り込んだ時に小石に躓いて転ぶ。 新之丞は転んだままの姿勢で刀を振り回す。 「足元に
気をつけろ。」と島田が言いながら、隙を見て斬りかかる。 静かな川原にとんびの鳴き声だけが響く。 島田が踏んだ石の動く音で動きを知った新之丞
が刀を振り下ろし、互いに打ち合いまた離れる。 風の音にまぎれて島田が小屋の中に隠れる。

 新之丞が瞑想にふけり口にする「共に死するを以って真となす、・・・・必死すなわち生くるなり。・・・かかって来い、島田!・・・俺が死ぬ時は、おめえが
死ぬ時だ」  島田は背後の馬小屋の屋根の上に登り、遥か右のほうに刀の鞘を投げる。 新之丞が鞘の落ちた音に気を取られた一瞬に島田は屋根
から飛び降り斬り掛かる。 だが、新之丞の振り下ろす刀が一瞬早く島田を切った。 

 小屋の陰から徳平が走り出て、「旦那さん!・・・お怪我は?・・」と聞く。 「島田はどうした?・・」 「だんな様に腕斬られて、すぐそこに倒れてる」
島田は残った右手で体を支え起き上がろうとしている。 「止めをお刺しになりますか?」 新之丞は黙って首を振ってから「もういい・・・」とつぶやく。 
「佳代の仇は討った・・・」と続けて言う。  島田がうめきながら、刀を杖に立ち上がろうとしていたが、またうつ伏せた。 「徳平・・・帰えるぞ」 新之丞は
徳平を呼び、杖を受け取って帰って行った。

 新之丞の屋敷。 同僚の山崎兵太が来て、縁側に腰をかけて話す。「片腕を、スパッと斬られて、血だらけの身体で運び込まれたさけえ、城は上を下
への大騒ぎだ。・・・一命は取り留めたものの、何ゆえの果し合いなのかという厳しいお取調べに、島田様は一切答えず、その晩残こった片手で腹斬って
亡くなってしまった。」と言って、新之丞に右手で切腹のしぐさをして見せた。  さらに続けて「侍が片腕斬られたのでは、とても生きては居られまい。・・・
あの御仁にも武士の一分と言うものがあったのかと、ひとしき噂したものだども、・・・」と言う。 「して、その果し合いの相手と言うのは?」と、新之丞が聞
く。  「それなんだ・・・一刀の元に心影流の名人の片腕を斬って捨てた使い手はどこの誰か?、・・・それがさっぱり判からねえ。・・・あの番頭に恨みを
持つ男はなんぼでも居るさけのう。・・・見当がつかねえと言うことで、沙汰やみになったども、お主・・・誰だと思う?」 新之丞は黙って首を振る。 「んだ
なあ・・眼が見えねえおめえに、こんな事聞いてものう・・・もうすぐ冬だのう」山崎はこう言うと、「また顔出すさけ」と言って立ち上がった。 「わざわざ来て
頂いたのに、まずい茶しかあげられなくて・・・」と、言って新之丞は頭を下げた。 山崎は小鳥の籠を指差して「さいぜんから気になってたども、小鳥のつ
がい、片方死んでるぞ。・・・淋しいのう・・残された方は・・」と、言って帰った。
 新之丞は徳平を呼び、鳥かごを手渡す。 徳平は「あや・・・小鳥死んだか・・墓掘らねばなんねえな」と言う。

 新之丞と徳平が庭に居る。 徳平が小鳥の墓のための穴を鍬で掘りながら新之丞に話す。 「だんな様・・・先ほど、山崎様の話聞いてたども、島田様
との果し合いのこと、沙汰やみになったとかでようがした。・・・おれはいつ旦那様にお城からお呼びがあるかと、ビクビクしていたども、これでほっとし
た。」 「俺は、お城から呼び出しがあれば、その場で腹掻き斬って死ぬつもりだった。・・・むしろその方が良かったのかも知んねえな」 「なにを言うもん
だか・・・これから長生きなさらねば・・・」 「長生きなどして、なんか良い事でも有んのか?・・・来る日も来る日も、お前の造る、まあずい飯食うだけのこと
ではねえか・・・」 「そのことだけども、実は・・・かりがね飯炊き女を捜していたところ、ちょうど良いのが居てのう、雇いたいと思うんだども・・・良いかの
う」 「好きにしろ・・」「しば・・今日にでも呼ぶかのう」 「そげなこと、いちいち俺に聞くな・・おめえが決めろ」 新之丞は小鳥を埋めて、さっさと部屋に上が
ってしまった。 

 新之丞は庭に鳥かごを持ち出して、一羽になっら文鳥を取り出し指を広げる。 文鳥は勢いよく何処かに飛び去った。 加世との想い出につながる小
鳥を放って、しばし望然とした新之丞は、鳥かごを庭の焚き火の中において燃やした。 徳平が「旦那様・・・ご飯の支度出来たども」と呼びに来る。

 部屋の中。 新之丞がお膳を前にして徳平に話す。 「俺が間違ってた。・・・おめえに加世の後、付させるようなことしなかったら、・・・そうすれば加世を
追い出すことも、島田斬る事も無かった。・・・加世のことを疑ったのが俺の間違いだ。・・・」 聞いていた徳平は、茶碗にご飯を装って新之丞に手渡す。 
「面倒なこと考えるのは後にして、ご飯食べてくんなへえ」 新之丞はご飯を一口食べて箸と茶碗を下ろす。 ご飯の味を確認し、納得したように飲み込ん
でまた話す。 「では、何も知らねえアホのほうが良かったのか?・・・いや、そうではねえ。・・・何も知らねえ、アホの方が良かったなんて・・・そげな馬鹿
な」と自分に言い聞かせて首を振る。 続けて食べていた手を止めて「徳平・・・この飯、お前が炊いたのか?」と聞く。 徳平が「あの・・・先ほど話しした、
飯炊き女に炊かしたども、」と言って、お膳の上の煮物を新之丞の茶碗に入れる。「芋がらの煮物でがす」 新之丞は煮物を食べながら、見えない眼で徳
平をじっと睨む。 たじろぐ徳平に「徳平・・・この煮物もその女ごが作ったものか?」 「へえ」 「どこさ居る。そのおなごは・・・」 「台所の隅に控えており
ますども」 「ここさ来させろ」  「あれは下の女中でがす、だんな様の」 「構まわねさけ、ここさこさせろ!・・」 「いけましね」 「俺の言いつけが聞けねえ
のか」 このやり取りを台所で、加世が黙ってうつむいて聞いている。 徳平に手招きされて、加世が部屋にやって来る。 新之丞は茶碗を差し出して「お
湯呉れ・・」と言う。 加世がタスキを外し、新之丞のそばに行って、茶碗を受け取りお茶を注ぐ。 加世が茶碗を左手に持ち、右手で新之丞の手を取って
茶碗に近づけようとしたとき、いきなり新之丞が加世の手を握り締める。 驚く加世に「二度とおめえの料理は食えねえと諦めていた。・・・徳平のまっず
い飯で、ずっと辛抱していたんだぞ。・・・」と言う。 加世はもう声も出ない。 「どした、家留守にしてたあいだに舌無くしてしまったのか?」 「わたしがお
判りでがんしたか?・・・」 「アホだのう、おめえの煮物の味忘れるわけに・・・」 「せば、あなたのそばに居てもいいのでがんすか?」といって加世は泣き
出す。 新之丞が加世の肩を引き寄せる。加世が泣きながら新之丞の胸に顔を伏せる。 新之丞は抱きしめた加世を二度三度ゆするようにして「よく帰
って来て呉れたのう、加世・・・。」と言う。 「徳平、・・」 「へい」 「また鳥かごを買わねばのう」 「へい、・・つがいの小鳥をば・・」と、言いながら徳平が部
屋を出た。 二人は何時までも抱き合っていた。

                                       =  終わり  =
                              平成18年12月1日 ロードショー公開
                              平成18年12月9日    鑑賞 記載


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