北の零年 YEAR ONE IN THENORTH(上)




  明治初期・四国の淡路から北海道に移住を命じられ、北の原野に明日を信じて生きた開拓移民の壮絶な史実を
もとに、大ヒット作「世界の中心で愛をさけぶ」の監督、行定勲監督がゼロから作ったオープンセットでドラマ化した大作。
    平成17年1月15日、16日 二度鑑賞
                       上映時間2時間48分

【物語背景】
 江戸時代、淡路島は徳島藩の支配下にあり、城代家老の稲田家が治めていた。 明治2年新政府が設けた禄制改
革の身分制度で稲田家の家臣は士族の下の卒族とされた。 この処遇を不満とした稲田家家臣は徳島藩からの分藩
独立運動を起こした。 これを叛逆とみなした徳島本藩の青年武士800人、銃士100人が淡路島の稲田家や家臣の家
屋を襲撃し、無抵抗の者を殺傷放火した。 即死15人、重軽傷20人であった。 明治政府は首謀者を処分し、稲田家
にも徳島藩から分離させるために北海道への移住を命じた。 世に言う「庚午事変(こうごじへん)」である。
 淡路から静内へ向かった第1陣は137戸、546人であった。 彼らは道もない北の原野に驚いたが、ここを開墾し耕
作を試みた。 しかし、収穫は思い道理に得られず苦しんだ。 元々住んでいたアイヌの人たちは鮭や鹿肉を常食とし
ていたと言う。

【キャスト】
小松原志乃 (吉永小百合) 四国・淡路の稲田家の侍・小松原英明の妻、明治維新後に新政府の命で稲田家の侍た
         ちと北海道の静内に移住を命ぜられ、開墾に励むが波乱の人生を歩む主人公。
小松原英明 (渡辺 謙)  四国・淡路の稲田家の侍、開拓民の中心的存在として妻の志乃と働くが、静内で生育する
          稲の種を入手するため札幌に向かったまま行方不明となり、5年後に帰ってくる男。
小松原多恵(大後寿々花・石原さとみ) 英明・志乃の子、志乃と牧場を経営し平太に恋心を寄せる。
馬宮伝蔵 (柳葉敏郎)  稲田家の侍、開拓民として妻加代とともに開墾に励むが、後に妻に逃げられる。子供の雄 
         之介は多恵の許婚であったが病死する。
馬宮加代 (石田ゆり子) 馬宮の妻、生き抜くために伝蔵を捨てて、倉蔵の妻になる女。
アシリカ (豊川悦司) アイヌの若者と見られていたが、実は元・会津藩の新政府軍からのお尋ね者。志乃に思いを寄
         せる男。
持田倉蔵 (香川照之) 弁舌巧みに開拓民をだます悪徳商人。新政府役人として静内分署長になり加代を妻とする。
堀部賀兵衛(石橋蓮司) 稲田家の家老。城主を迎える屋敷造りと、領民の移住受入れのための先遣隊の責任者。
エドウイン・ダン(アリステア・ダグラス) 農業・牧畜の指導者として北海道に来ていた米国人。志乃、多恵親子を救助 
         し牧畜の指導をする男。 妻おつる(鶴田真由)
モノテク (大口広司)  アイヌの老人でアシリカを匿っている男。
長谷慶一郎(吹越 満)と母すえ(馬渕晴子)妻さと(奥貫 薫)。
川久保栄太(平田 満)その子、平太(金井勇太) 



【ストーリー】
                     「淡路の春」

 志乃が縁側に続く部屋で昼寝をしている。 ヒバリが縁側に飛んできて志乃のそばでさえずる。 娘の多恵が「母上・・
母上」と母を呼びながら廊下を志乃のそばにやってくる。 ヒバリを見つけてそっと手を伸ばすが逃げられる。 「母上・・
今ヒバリが・・・」 志乃が目を覚まし、起き上がりながら「春ですね」と応える。 多恵は「母上、眠ってる場合ではござい
ません。 浄瑠璃が始まりますよ・・・早く、早く」と告げる。
 山間の空き地に作られた小屋の前に村人が集まっている。 浄瑠璃の三味の音が聞こえてくる。 志乃と多恵が手を
取り合って走って行くと、見物している村人の中に立って居る夫の英明が二人を見つけて微笑みうなずく。
  舞台では、浄瑠璃を唄う男と三味を打ち鳴らす男に合わせて、一体の人形を男二人がかりで操っている。 のどか
な春の淡路島であった。
 舞台の人形が徳島本家の侍たちに替わり、刀を振り上げて襲撃して来る。人形の首が飛び、家屋には火が放たれ、
村人は逃げ惑う。 
  ”徳島本藩の侍が稲田家が起こした独立運動を叛逆とみなして襲撃し、数人を殺害したうえ稲田家や家臣の家屋に
放火した。
  明治政府は首謀者を処分し稲田家を徳島藩から分離させるために北海道へ移住を命じた。 庚午事変(こうごじへ
ん)と言われている。”
                           

 揺れ軋む船の中、横になる隙間もないほど女子供や老人が荷物の間に座っている。 どこかで幼い子供が泣きだ
す。 志乃が「大丈夫でございますか?。この長旅無理もありませんよ」と母親に声をかける。 「淡路を出てからもう半
月・・いったいいつになったら着くのですか?・・慶一郎」と母親のすえが息子に尋ねる。 奥にいた長谷慶一郎が「しか
し遠い・・・北海道はいったいどこにあるのだ」と誰に言うともなく言う。 馬宮伝蔵が言う「まったくこの仕打ちは何なので
しょうな・・・なぜ拙者らが北の未開の地に行かねばならんのだ」 川久保栄太が言う「将来性豊かだとは言え人より熊
が多い土地柄・・・うまくいくかどうか」 「蝦夷は淡路より何十倍・・いや何百倍広い土地なのであろう?」 「戦国の武士
のようにこの腕ひとつでお国を切り開き、一国一城の主になれる機会じゃねえか」 「さすれば私は一万・・いや百万石
の主になれるということですな」 「百万とはまた大きく出たな又十郎」 みんながどっと笑う。

 馬宮の妻加代が志乃に言う。「先遣隊に行かれた小松原殿も志乃様がお見えになるのを今か今かと首を永くしてお
待ちでしょうね」 「それはどうでしょう・・・私のことなど忘れて開拓に励んでいるのではないでしょうか」 二人が話してい
るところに娘の多恵が走ってくる。 「母上大変でございます」 「どうしたのですか?」 「北海道の冬はたいそう寒くて、
おはようと言う言葉が凍ってしまうんだそうです」 「まあ大変」 「だから冬の間は一言も口を聞いてはいけないと雄之
介様が・・・」船内みんなが笑い転げる。 「笑いごとでは有りません」 加代が息子に「雄之介・・・多恵さまにつまらぬこ
とを吹き込むのじゃありません」  志乃が多恵に言う「大丈夫ですよ・・・。北のはてとは言へ古くから人が住んでいる
のですから」 

 船内に駆け込んで来た男が「陸だ、陸だ・・・」と叫ぶ。 人々は我先に船の甲板に出て舳先に集まる。 遠くに雪をい
ただく山並みをみて誰もが不安そうな顔で口を利かない。

 沖合いに船を泊めて人々が上陸する。 大きな荷物を背にし子供の手を引いて、幾筋もの人の列が丘の上を目指し
て黙々と進む。 
             
 先遣隊の武士たちが殿のお屋敷を造営中の広場に男が何か叫びながら走り込んでくる。 「船が・・・船が着いた
ぞ!」 家老の堀部が「おお着いたか・・」と顔をほころばせる。 「第1陣が着いたぞ!・・」と仲間へ触れ走る。 小松原
英明も仕事の手を休めて広場の入り口に向かえに行く。 伝蔵が前に出て「ただいま到着いたしました」と挨拶する。 
「ご苦労であった」 「第1陣は皆無事に・・・2陣3陣と来月には参ります」 堀部が「よっしゃ、よっしゃ」と労をねぎらう。
 多恵が英明を見つけて走りより、抱きかかえられる。 顔があたる「お髭・・」 「痛いか?」英明の顔にはひげが伸び
放題になっていた。 志乃が夫英明に「あなたお勤めご苦労様です」と頭を下げる。 「無事であったか?」 「はい・・こ
ちらが殿のお屋敷ですか」と柱がやっと立ち上がった屋敷を見る。 「ああ・・この殿のお屋敷が我らの中心だ。 ここか
ら道を作り、開墾をし田畑を造る。 今でこそ何もないが、何年かしたら果てしなく稲穂が実る我らの国になるのだ。・・
淡路のように」

 その夜、男たちが集まり酒を飲み、踊り、唄い再会を喜んでいる。 馬宮が言う「岩倉具視に・・薩長のやからにだまさ
れた。」 川久保も「何のための維新だったのか・・知れたことを・・結局やつらのためだけの維新だったのだ」と言う。 
「こうなれば我らも会津と同じ維新の戦に負けたも同然だ」 「倒幕に命を駆けたつもりが、いつの間にかこんな北の地
に流された」 馬宮が英明に「貴殿も京都の勤番で痛めた傷で疼くであろう」と言う。 英明は右の腕をさすりながら「住
めば都とはよく言うたもんだ、春にしてはちと寒いが・・」と言う。 

 火を焚き夜勤の寝ずの晩をしている男のところに英明が来る。 「替わるさ・・」 「はい」 英明が倒木に腰を架け火に
木を放り込む。 いつの間にかそばに来た志乃が「お帰りなさいませ」と声をかける。 「まだ起きてたのか?」 「はい」
 「多恵は?」 「父上がお帰りになるまでは待つとがんばっていたのですが・・もうぐっすり」 「座るか?。・・・半年の間
厳しかった。・・ここには何もない。・・だがわしは殿と約束をした。必ずや緑の稲田をつくりお待ち申し上げておりまし
と・・・だからわしは弱音を吐かない。 ここでは皆心を一つにせねば生きては行けんのだ。・・ここには山も川も海もあ
るが、すべて淡路とは違う。・・それでも良いか?。・・耐えられるか?」 志乃は「あなたこの土地に来てお変わりになら
れましたね。 そにように胸の内など私に話してくださるのは初めてです」と言う。 「そんなことはない」 「今までは倒幕
だ勤皇だとお忙しくて、ずっとあなたの背中だけ見ていたような気がして、淋しい思いをいたしておりました。 ですから
今このようにあなたと向かい合うことができて、私はうれしいのです」 英明は志乃を抱き上げ自分のひざの上に横向
きに乗せる。 志乃は英明の荒れた手を見て「苦労をしているのですね」と言い「英明様・・あなたのこころざしをしっか
りと受け止めました。・・わたしはあなたさまに付いてまいります」 「志乃・・・」 「淡路と同じきれいな月が出ていますよ」
 英明が眼を瞑って顔を志乃の顔に近づける。「志乃の匂いだ・・」 二人はそのまま唇を合わせ、互いに強く抱き合う。



 山の中での伐採作業が続く、大木が斧を打ち込まれ、地響きを立てて倒されていく。 倒木を担ぎ出す。 巨木に梃
子を当てみんなが声と力を合わせて転がし運んだ。 雨の日も休むことはなく開墾作業は続いた。 「ヨイヨイヨイ・・ヨイ
ヨイヨイ」「ソーレ・ソーレ」と掛け声が響いた。

 殿のお屋敷が完成した。 屋敷前の広場に皆が集まり、家老堀部が挨拶した「皆、日々の勤めご苦労です。・・・皆が
切り出した1本1本の木でこうして立派なお屋敷も出来た。 殿もさぞ喜んでくださるであろう。・・さあ、今日は餅など食
うて疲れを癒してくれ。」 女性たちが皆に餅を配る。 

 男たちが鍬を振り上げ畑つくりをして居る。 女たちが鍬を持って大勢畑に来る。 志乃が先に畑に出て鍬を振るう。
 しかし、鍬が土に刺さらない。 観ていたすえが「百姓する為にこの地に来たのではないわ。・・さと、そなたも武士の
妻ならそのようなもの捨てなされ」と嫁に言って鍬をほうり投げる。 男たちの中から川久保がやってきて「鍬は腰を入
れて、こう起こします」と志乃に教える。 志乃が鍬を土に打ち込む。 観ていた女たちが畑に入り開墾を手伝う。 最後
に残されたすえもしぶしぶ鍬を持ちみんなが鍬を振るう。

 アイヌの男二人が遠くの木立の間から開拓民を見ている。 モノテク老人が「あの倭人たちどこから来た?」と聞く。 
若い男アシリカが「淡路から来たらしい。 ずっと南のほうだ。・・雪のない土地だ」と言う。 

 平太が山道を降りて、川のそばまで来た時、雄之介と多恵に出会う。 平太は背の荷物を降ろし、その場に座って頭
を下げる。 雄之介が言う「よせ、時代が変わったのだ」。 かごの中の物を見て「なんだ、それは?」と聞く。 平太は
「うばゆりです。・・これを団子にしてかゆに入れて食べると美味しいのです。 アイヌの子が教えてくれました」と答え
る。 「言葉が分かるのか?」 「身振り手振りです。・・・ここで生きるには住んでいる者の知恵を借りるしかないと、父ち
ゃんが言ったのです」 「お前、名前は?・・」 「はい、平太と申します」 「おれは馬宮雄之介だ、あれは許婚の多恵だ」
と多恵を紹介する。
                     
 山の中、多恵が”うばゆり”の花を持って走っている。 「平太・・・ここにもある。・・ここにも」 多恵がゆりを持って引き
抜く。 後ろのほうで熊笹が揺れる。 音のするほうを見るが何もない。 「キャーッッ」多恵の悲鳴と「バン」という鉄砲
の音が同時に聞こえる。  「こっち・・」雄之介が呼びに来て志乃が駆けつけた時、多恵は知らないアイヌの男に抱か
れて震えていた。 「多恵!・・」 「母上・・」多恵が泣いて志乃に飛びつく。 「何があったのですか?」 雄之介が「目の
前を熊が・・・それをあの方たちに助けていただきました」と答える。 二人のアイヌの前に大きな熊が倒れている。 二
人は熊の前にひざまずき祈りをささげている。 アイヌの老人モノテクが言う「アシリカ・・・お前始めて遭った日、生きて
る意味無いと言った。・・・だからお前にデ・アシリカルケルと名前付けた。・・自分見つめ、新しい道開くの男。そういう意
味だ・・お前子供助けた。・・お前生きてる意味あった。・・」 「オレは妻と娘を殺したんだ」

 海の見える丘の上、堀部が望遠鏡で沖を眺めて言う「船はおろか・・・鳥1羽すら見えん」 「もう3月も遅れていま
す。・・なぜ2陣は来ないのです?」 英明が言う「殿と一緒に来るかも知れんナ」 

    「1年目の秋」
 お屋敷の前の広場にアブに刺された男が「痛い、痛い!」と股を押さえて駆け込んでくる。 みんなが騒いでいるとこ
ろに「ちょうどよい薬がございます」と大きな荷を持った薬売りがやってくる。 「何者だ!?」 「薬売りの倉蔵と申しま
す。・・薬はもちろんタバコに駄菓子から味噌に醤油まで何でもそろえております」 「どこから来たんだお主」 「札幌で
ございます。・・淡路では皆様にたいそうお世話になりました。・・忘れていました・・お国許の内田様から書状を預かって
いました」と懐から手紙を出す。 家老の堀部が無言で顔色を変えて読む。 「何と?・・・内田様は何と?」 堀部は広
場に皆を集めて読み聞かせた「第2陣平運丸が紀州沖で難破した。 死者83名、・・・水死いたし候者・・有馬弥兵衛」 
「父上が・・」若者が泣き崩れる。 「岩佐清太・・田中弥助・・大田源太・・」堀部の声が次第に泣き声になっていき全員
の名前が読まれる。 それぞれの縁者が力なく座り込む。 「以上83名、右のとおりに御座そうろう・・合掌」読み終わっ
た手紙が堀部の手から落ちる。 皆泣きながら手を合わせ頭を下げる。 横に立っていた小松原英明が手紙を拾い上
げ「最後に殿のお言葉がある」と叫ぶ。 皆が注目する。 英明が読む「慣れぬ北のはてゆえ皆苦しかろう、辛かろう、
されど春までには必ず予も参る」 堀部が驚いて手紙と英明の顔を見る。・・合掌の後には何も書かれてないのである。
 英明が続ける「それまでにな身体をいとい、忍んでくれ」 みんなが声を上げて泣き出す。 堀部が手紙を引き取り「そ
うだ、殿が参られるまで皆でがんばるのだ」と言う。 雪が降り出す。 「雪だ」 「雪だ」 薬売りの倉蔵が引き上げようと
広場のはずれに来た時、雄之介少年が倉蔵の前に立ちはだかった。 「この者の正体が見えぬのか、この男の後ろに
は空から落ちる火の玉が見える」そういって雄之介は力なくその場に座り込む。 「雄之介・・雄之介!」母の加代が叫
び駆け寄る。 倉蔵は一目散に逃げるように去っていく。

    「1年目の冬」
 一面が白一色の山で、女も手伝い伐採開墾の作業が続けられている。 家の中ではすえばあさんが「あんな土地いく
らほじくり返したところで、秋までに採れたのはこんなもの・・到底やっていけるとは思えません」と数個いもが入ったざる
を見せる。 「大変です・・大変なのです。・・・早く!早く」と女が呼びに来る。 行って見ると大きな鹿が死んでいる。

 馬宮の家の中、病気の雄之介を母の加代が看病している。 病気を気遣って多恵が来ている。 母の志乃が走って
きて家に飛び込むなり「多恵・・・鹿の肉です」とざるに乗せた肉を差し出す。 受け取った多恵が「すごい!・・どうした
のですか?」と聞く。 「まずはこれを雄之介に・・」と言った時、雄之介が寝たままで血を吐く。多恵は驚いて肉の入った
ざるを床に落とす。 「雄之介!・・」加代が飛びつく。 伝蔵のところにも知らせが走る。 「雄之介が・・」「何!・・」 伝
蔵が急いで帰る。 雄之介が「花・・花・・淡路の花が観たい」とうわごとを言う。 「花」と聞いた多恵は家の物置に走り、
着物を仕舞っている箱の中から花柄の着物を取り出す。 「これで花を・・・」 志乃はこれを見てうなずき多恵の気持ち
を知る。 すえばあさんも「多恵さん。・・私たちの着物もお使いなさい」と着物を差し出す。 

 雄之介が口元に吐いた血をつけたままで布団に横たわっている。 窓の隙間から「花」が見える。 大きな枯れ木に
花柄の着物を細く裂いて結んだ布が、風に吹かれてたなびいている。 雄之介が「花」と言った。 「雄之介さま・・淡路
の花です。・・淡路の花が咲いています」と多恵が言う。 雄之介が伝蔵と加代に支えられて庭に出てくる。 雄之介が
力なく言う「きれいだなあ・・・有難う」 「雄之介さま・・」多恵が呼ぶ。 木に結ばれていた細い布の1本が、ほどけて風に
乗り空に舞い上がった。 そして雄之介も息を引き取った。 加代が「雄之介・・雄之介!・・」といつまでも亡骸にすがっ
ていた。 多恵が「雄之介さま」と言って泣き崩れた。 布の花が激しく風になびいていた。 

 雪の道をのぼりを立てて、葬儀の列が進む。 雄之介の埋められたところは土が高く盛られている。 志乃が声をか
ける「加代さん。・・気を確かに」 「はい」  

        
      「2年目春」
「殿が来るぞ!・・殿が来るぞ・・」若者が走ってくる。 「殿が来るぞ!・・殿が来るぞ・・!」農作業をしていた人たちが
手を休めて、声のするほうに注目する。 「殿がくるぞう・・・」 「明後日。・・いや、早ければ明日にも・・・」 それを聞い
た英明が感きわまって座り込み泣き出す。
  英明の家の中、志乃が英明の髷を結いなおしている。 顔の髭を剃り、月代を剃って着衣を整え英明は殿の到着を
待つ。 屋敷の前には殿に見せようと浄瑠璃の舞台を急いで作る。 
 見張りやぐらの上で見張り番をしていた男が「殿が来たぞ!・・・」と叫ぶ。 「殿がいらした・・」 村の入り口にみんな
が集まり殿の到着を待つ。 やがて一行の隊列が遠くに見える。 歓迎に沸く人々の前に馬上の若殿を始め家臣の顔
が見える。 皆が広場に座り腰の刀を抜いて右横に奥き頭を深くたれる。 堀部が「殿・・お待ち申しあげておりました」
と出迎えの挨拶をする。

 屋敷の中、堀部が聞く家老の内田に聞く「廃藩置県?・・・。それはどう言うことだ・・内田殿」 「文字道理藩はもうない
のだ・・」 殿が横を向いて憮然としている。 「新政府が決めた!」 「我らだけではない・・全ての藩がなくなった」 英明
が問う「我らが苦労してこの地を作っているのは何だと申されるのか?・・」 内田が言う「この地は新政府のもの
だ。・・・開拓使のものになった」 「ばかな・・・移るならこの土地はくれてやると言った新政府が、その同じ口で今度は召
し上げると申すのですか」 栄太が問う「では・・国許のほかの方々は?・・」 「この地には・・・誰も来ぬ」 殿が小声で
「時の流れには逆らえなかった・・・ゆるせ」と言う。 英明はただ泣くしかなかった。

 夜、殿の屋敷の前、松明のあかる中を殿が出立の準備をしている。 「小松原殿・・これはいったいどういうことなので
すか?」 状況を読み取れない男が飛び出し「殿・・・連れて行ってください」と土下座する。 内田は追いすがる男を「無
礼者!・・」と足蹴にする。 皆が呆然と見送る中を、殿の一行の隊列が松明を掲げて遠ざかる。 堀部が言う「我々は
捨てられた・・・」 皆が打ちひしがれてただ立ち尽くす広場に民衆の幻影が映る「えじゃないか、エジャナイカ・・えじゃな
いかッ!」と踊り狂う集団が見える。 浄瑠璃の舞台を壊し、人形をつぶし、踏みつけて暴れて見える。 「えじゃない
か、エジャナイカ・・えじゃないかッ!」幻の集団は霧のように消えていく。 

 広場に立ち尽くす人々。 「淡路に帰りたい・・」 「同じ死ぬなら淡路で死にたいのう・・」 「淡路に帰りましょう」 「拙
者も帰りたい」 「淡路に蹴ろう・・・」口々に帰りたいという。 英明が「もういい・・・。もういい!」と叫ぶ。 英明はその場
に座ると腰の大刀を抜き左横に置く。さらに短刀を腰からとって鞘を抜き「主君などもう要らん。・・」と叫ぶ。 志乃が
「あなた・・・」と言うより早く、頭上に手を伸ばし髷を掴んで一気に切り落とす。 切り取った髷を眼の前において、ザン
バラ髪の頭で「ここしか無いのだ・・・・・・俺はここしか」と泣きながら言う。 伝蔵が「せがれの死を無駄にしてなるか」と
続いて髷を切る。 「それがしも・・」と高岡が続き、亀次郎が「又十郎・・切ってくれ」と泣き声で言う。 「父上・・・」又十
郎は父の髷を切り、自分の髷も落とす。 「拙者もここに残る」と次々に座り込み、全員が髷を落としてひざの前に置き
号泣した。

 志乃や英明が仲間と畑を耕している。 吏員の制服を着た男が馬に乗ってやってくる。 馬に乗ったまま耕している畑
に入ってくる。 「やめて下さい・・ここは畑です」 男は「ここは畑か・・・・はッははァ」と笑う。 服部を見て「そこの老いぼ
れ・・貴様がここの代表か?」と聞く。  英明が「いいから、その馬から下りろ!」と言う。 男が言う「お前ら何か勘違い
してないか?・・わしはお前らの戸籍を作るために着たんだぞ。・・戸籍が無かったら扶持米はもらえんだろ」 「新政府
から米がもらえるのか?」 英明が「今更新政府から、米など貰えまい」と言い、伝蔵が「一粒でも無心したら、まただま
されるぞ」と言う。 「何だとお・・」 英明が「我々は新政府の世話にならんと決めたんだ。・・我らだけでやっていく」と答
える。 皆が石を投げるなどして追い返す。 

 逃げ帰る馬の前に両手を広げて男が立ちはだかる。 「何だお前は・・・」 「薬売りの倉蔵と申します。・・あの村に出
入りしているものでございます」 「薬売りがオレに何の用だ」 「戸籍を造れば役所から扶持米が出ると聞きまして・・」
 「やつらには一粒もやらん」 「ただでやることはありません」 「お主・・なにが言いたいんだ」 

 家老堀部の家に英明が呼ばれる。 「ご家老・・お呼びでしょうか・・」 「稲がなかなか根付かんと報告があってな・・・」
 控えていた男が言う「私たちが淡路でやっていた農法ではとても稲は育ちません」 「今ある米も夏には底を着く・・わ
ずかなヒエやアワではこの冬は越せまい。・・・実は札幌に農園があってな、そこにはこの土地でも実る稲があるかも知
れんのだ。・・・お主、札幌に行ってくれぬか?」 「永くて半年・・それまでには戻りませんと田植えには間に合いません
から・・」 「頼んだぞ」家老の言葉にうなずくしかない英明であった。

 案ずる多恵に英明は「夢と言うものは、信じなければただの夢だ。だが、信じていればその夢はいつかきっと誠にな
る。父はな、ここに居るみんなの夢をかなえるために行って来るのだ。・・いいな」と言い聞かせる。 「行ってらっしゃい
ませ」妻の志乃が鈴を取り出し英明に渡す。 (チリン・チリンと鈴が鳴る)鈴を大切そうに懐に仕舞って英明がうなず
く。 皆が広場の外れまで来て見送る。 多恵が大きく手を振ると、英明は鈴を振ってみせる。 父との別れだった。

 多恵は雨の降る日も小川のそばまで行って父の帰りを待つ。 雪の降る季節になったが多恵はいつものところまで行
って父の帰りを待つ。 しかし、父は帰らなかった。
         【下に続く】
  

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