第1巻第3号
第1巻第3号(1946/5/1)
LOCK 五月号
目次
新連載 蝶々殺人事件:横溝正史:p.2
短編 幽霊島通信:渡辺啓助:p.22
連載 女優の怪死:M・コール:p.50
短編 エンコノ六:サトウハチロウ:p.39
連載 蛇性の淫(完結):上田秋成:p.60
随筆 クイーンの大手品:江戸川乱歩:p.20
蝶々殺人事件について:横溝正史:p/17
紙上探偵 湖畔亭事件:丘丘十郎:p.36
蝶々殺人事件:横溝正史
横溝正史は、戦後本格探偵小説を書き始めました。
江戸川乱歩より1年前にデビューして、1981年に80才で死去するまで休筆はあったものの日本の探偵小説を引っ張ってきたのが 横溝正史です。
戦後最初の作品が、雑誌「宝石」の「本陣殺人事件」と、それより僅かに早い本書の「蝶々殺人事件」です。
どちらも横溝正史の代表作であり同時期連載自体が快挙といえます。しかし、前者はこの後に多くのシリーズに登場する 「金田一耕助」のデビュー作であり、後者が戦前から登場させていた「由利燐太郎・三津木俊助」シリーズである事からその後の 知名度は差が生じたと言えるでしょう。
どちらも本格で、密室事件で映像化の時に省かれる、叙述・プロローグがあります。
そして「本陣殺人事件」では、中盤に「金田一耕助」が登場して最後に謎を解く展開であり、連載時は名探偵捜しの趣向も 含まれていましたが、その後の探偵の知名度の向上でこの意味は無視される事になりました。
「蝶々殺人事件」では、既におなじみになっていた「由利・三津木」作品であるので、冒頭から探偵役と記述役が登場すると いう構成です。このような細部に作者の力量を感じるのが初出雑誌掲載に戻っての再評価です。
横溝正史自身が「蝶々殺人事件について」で本格宣言・謎解き小説宣言を行っています。そしてクイーンでお馴染みの「読者への 挑戦文」が入った日本最初の本格探偵小説として「蝶々殺人事件」は位置ずけられる事となりました。
横溝の代表作として、「蝶々殺人事件」をあげるマニアが多い事は「読者への挑戦文」が好きな事も理由ではないかと思えます。
戦後、一番に登場した横溝作品が、昭和20年台の本格探偵小説とそのスタイルの方向をつけたといえます。
作者自身が、「探偵小説が一色であってよい筈がない」というように本格に大きく舵をとられましたが、謎解き小説にも 色々な色がある事は、圧倒的な横溝等の存在感で昭和30年台まで逆に表に出にくくなりました。
雑誌のページ数は少なく連載の1回のページ数も少ないですが、第1回はコントラバスから死体が発見される所で終わります。
横溝作品の多くは「角川文庫」で出版されました。代表作は現役です。「蝶々殺人事件」は古書の世界ではかなり多い流通本です。
幽霊島通信:渡辺啓助
戦前から平成まで生きた探偵小説界重鎮です。
おおむね「怪奇探偵小説」と呼ばれる内容ですが、その周辺に広くジャンルを広げています。
作品数は多数で、今もいくつかは読めますが全貌はなかなか分かりません。本作者は単行本は多くありますし、短編集も同様です。 しかし、多いが故に特定の研究者以外は系統だてては収録状態は理解できません。
ちなみに筆者は、本作は本雑誌で読むのが初めてです。
女優の怪死:M・コール
本雑誌が3号で、本作品の連載3回目ですが、題名や作者名が毎回変わるという混乱が起きています。そして第4回の予告が 掲載されていますが、翻訳権の問題か?連載は中断しています。
現在では考えられませんが、翻訳者名が目次になく最後に小さく「大木一夫訳」となっています。
クイーンの大手品:江戸川乱歩
これは、クイーンと、「Xの悲劇」等の四部作のバーナビー・ロスが同一人物であった事を書いた随筆です。
乱歩は戦中に聞いたが、確証がなかったとしています。そして9年も隠しておれた事を驚きとも言っています。
蛇性の淫(完結):上田秋成
これも末尾に「武田邦造訳」となっています。
上田秋成の「雨月物語」の第7話で、現在では田中貢太郎訳が流通しています。
怪奇小説というのか、現在でも演劇等で取り上げられています。
「雨月物語」自体は1776年出版とされています。
次号予告
蝶々殺人事件(2):横溝正史
二本の調味料:ダンセイニ>掲載されたのは、第2巻第3号(6号後)
金色の悪魔:中島親
女優の怪死事件:コール>題名も?だが、第3回で掲載中止となった。