Chapter.27「ヒューマンエラー」への誤解
 
「ヒューマンエラー」への関心が高まってます。これは残念ながら私たちの業界のことではありません。産業安全の世界です。

その理由は

1) 機械が壊れにくくなった
 例えば私の車は買ってから10年を過ぎました。でもまだ1回も「故障」はありません。 点検整備は車検の時だけ、オイルやエレメントもその時だけ交換します。 バンパーが傷ついたり少しへこんだりしていますが、それはドライバーである自分のエラーです。
 機械が壊れにくくなっても人間がエラーをする頻度・人間の能力は上がっているわけではありません。 とすると、あらゆるトラブルに占める人間のエラー(ヒューマンエラー)の割合が大きくなります。 事故のほとんどにヒューマンエラーが関与している、といわれる所以です。

2) 一人の人間のコントロールするエネルギーの量が大きくなった。
 例えば、昔はせいぜい1頭の馬(1馬力?)を操作していた人間が、 手綱に比べると頼りのない小さなスイッチでその何万倍ものエネルギーを扱っています。 小さなスイッチの先に何があるか、ということは理屈ではわかっても実感として感ずることは難しくなっています。
 その結果、「小さなミス」でも扱っているエネルギーの量で結果が大きく変わってしまいます。


3)大きな事故の教訓を分析すると必ずといっていいほどヒューマンエラーが見つかる。
 事故には複雑な背景要因や、要因間の相互作用があり、一人あるいは少数の現場の人間のエラーだけを原因と考えてはいけないのですが、 いろいろな事故調査委員会などの報告書を見ると必ず(マネージメントも含めた)「人間のエラー」がでてきます。 こういう事実に対してM-SHELLのように「人間を取り囲む各要因間の相互作用の結果としてのヒューマンエラー」 として原因や対策を考えなければならなくなっています。
 こんなことがいわれだしたのは1980年代になってからです。

大きな誤解

 しかし、「ヒューマンファクター」とか「ヒューマンエラー」と言う言葉に飛びついた人の中には 「そうか、やっぱり本人がしっかりがんばらなくては」とか「やる気の問題だ」と考え、 ヒューマンエラーやヒューマンファクターという言葉が まるで機械設備や作業環境などの要因と対立する概念であるかのように考えてしまっている人が少なくありません。 これは大きな誤解です。そこでは「ヒューマンエラー」を強調することによって事故の要因の全てを現場の作業員の不注意とか、 個人の資質の問題として片づけがちです。そして他の要因あるいは相互作用の要因を考えることを放棄してしまいます。
 確かに本人の不注意や資質はあります(知識や技術、資格を含めてかなり大きな要因だと私は思っていますが)。 しかし、たった一つのエラーだけで事故に直結するとしたらそれはシステムの問題として考えなければなりません。 前からこの連載でのべているように人間を中心としたPM-SHELLの各要因間の相互作用の結果としてヒューマンエラ−を捉え、 原因を分析し予防策を考えなければ先に進まないのです。

 特に、私たちの業界では「個人の要因」にだけ目が向けられたり、 逆に全てを(自分のLの)まわりの要因に原因を求めたりする傾向[1]がありますが、 J.Reasonが「答えは其のあいだにある」というように、 L-self,L-E(環境、雰囲気)、L-L(周囲の人間、チームワーク、コミュニケーション)、 L-S(運用、マニュアル、特に教育)、L-H(器械)やM(最近はPも)を総合的に考える必要があります。
 エラーの発生を減らす努力と、しかし(人間のエラーは避けられないので) 発生した「エラーと共存する」、「エラーの影響をコントロールする」という考え方です。
 模範解答やゴールはなく、まるでモグラたたきのような気もしますがこれを続けていく以外ないというのが各業界の安全管理者たちの共通した認識です。
 「ヒューマンエラー」「ヒューマンファクター」という言葉が本来の意味で使われなければ同じテーブルで話をしてもかみ合いません。 「正確な用語=共通の解釈」もヒューマンファクターの「コミュニケーション」の範疇ですね。昨年のCRMセミナーの資料をみて下さい。

いかがでしたでしょうか。 この連載にご意見、ご批判、ご教示をお願いいたします。 また、こんなことなら「俺が」(私が)と思われた方はリレ−連載をお願いいたします。


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註解

[1]「私が悪うございました」とか「あいつさえまちがえなければ」といった全く 「個人の要因」にしてしまったり、逆に「エラーは環境が悪い=私は何も悪くない」といった両極端の反応が多いように思います。 個人要因だけを追及することは避けなければなりませんが、 だからといってそれを抜きにして環境や条件の問題ばかりを追及しても何も生まれてきません。 「こたえはその間にある」のです。

 
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