24)「安全が普段着の行動となる文化」「事故防止マニュアルを否定する組織」
一流のところは何か違います。
といっても、ホテルやブランドショップなどのことではありません。「無事故組織」と評判の高い企業でのことです。
どんなところが違うのでしょうか?私たちが学ぶべき事はないのでしょうか?
「トップの姿勢が違う」
とにかく、安全を最優先している、という姿勢を見せています。
(本当はそれ程でなくとも)「そうみせる」必要があります。「安全第一」という言葉でなく態度です。例えば、
会社で安全の講演会や勉強会があるときなどそこに参加することを、スケジュールの中でも最優先するそ
うです。そして現場の職員と一緒に同じ講演を一番前で聞いたりします。また定例の会議の最初のテーマ
は「事故」「災害」だそうです。「社長(あるいは工場長)も同じ講義を聴いていた」。そしてそういう態度が続
くと、それだけで現場の人間の意識が変わるそうです。
「事故をおこさないように担当者がしっかりやっておくように
云々」ではなく、トップは「見せる」必要があり
ます。
「安全のためのマニュアルを作成しない」
これは安全が別物として認識されている間は安全でない、という発想からどうしても必要なマニュアル項目
であればノーマルな作業手順のなかに入れてしまおう。「安全のために何をする」でなく「必要な作業を正し
い手順で実行する」という発想です。
この考えは厚生省やそのリスクマネージメントマニュアルに沿って「マニュアル」を作った病院(「お上にみ
せるために」仕方なく作ったのならいいのですが)と考え方が違います。実際、「どこに出しても恥ずかしく
ないような立派な厚いマニュアル」をつくった病院があるようです。しかし、誰が読むのでしょうか?きちん
と本棚にしまってあるのではないでしょうか?「屋上に何とかを重ねる」のように
私の先輩の病院(研修指定病院)でも当初、立派なマニュアルを作ったそうです。ところが、誰も読まなか
ったと言うのです(その担当だった先輩は「誰も読まない!」と怒っていましたが、「それは読まないのがあ
たりまえ」という私の意見に半分納得、もう半分は「お前もおかしいな」とそれ以上は同意しませんでした)。
作業手順や職業上の知識を得るためならそのための「マニュアル」は読むのでしょうが、結局、棚に飾ら
れたままになってしまったようです。その結果、その病院では、薄い事故防止の考え方だけを書いたもの
を「事故防止の手引き」として配布したそうです。
(病院ではないですが)「無事故組織」といわれる組織は、SOP(standard
operative procedure)を「HF的な目」で見直すことこそが「(実践的な)事故防止マニュアル」になる、と考えています。
「安全を一人称で考える」
「災害ゼロが○○日続いた」とか「死亡率が何%下がった」という統計でものを考えていいのでしょうか?
組織にとっては「%」ですが、本人や当事者にとっては0か100です。「○○さんの事故を教訓として安全を
考える週間」と言うような形で記憶にとどめさせ、それをバネにして「安全への知識や行動に転化させる」と
言う形のほうが事故防止として有効であり、「被害者」の希望にも添うような気がします。「無事故組織」と
言われている組織は、もちろん客観的な(第三人称?)分析はしていますがそれと同時にあえて事故を第
一人称で語り伝える、という工夫をしているようです。統計学的な(客観的な)数値を見せるよりも「名前の
あるある人の事故
」を語ることのよってその組織の安全への意識作りをしていくわけです。本当は、当事
者にとっても、その部門の管理者にとっても「早く忘れてしまいたい一日」だったはずです。しかしそれをあ
えて「語り」「語らせる」ことで経験を共有化・伝承する工夫をしています。そのことは同時に職員(社員)の
一体感を創り出し、組織の風とうしもよくしているといいます。
少し話はずれるかもしれませんが作家の柳田邦男さんは最近「2.5人称の眼」を提唱しています。当人(1
人称,2人称)じゃなくかつ全くの第3者(3人称)でもない2.5人称の眼、です。(「いのちへ 2」講談社など)
私達の業界でも同じです。こそこそと管理者に「事故届け」を提出し「おこられ」「今度注意するように」などといわれ(書類はしまい込まれ)手続き上は「一件落着」しても、本当は誰にとっても「落着」していないわけです。組織や管理者の側からの(枝葉をとり去り)「客観的にまとめた教訓」も必要と思いますが、「当事者」の「かたり」が最も有効な(失敗)「技術の伝承」になる可能性があります。「当事者」にとっても「かたる」ことで経験が共有化され自分自身だけのことでなくなり、それで自身も救われることになるのではないでしょうか。
また、患者さんにとっても「医療被害者の5つの願い
」(加藤良夫愛知大学法学部やBMJ)には「何が起こったのか知りたい」、「同じ間違いを(他の患者に)繰り返さないで欲しい」、というのが患者の願いの上位
である事は前に書きました。
「風通しのよい組織」「事故を隠さない」
有名な話があります。T電力からの依頼で無事故組織として名高い「旭化成」を見学したグループが安全
担当者との面談の最中に担当者に連絡が入ったそうです。すると担当者は「ただいま無事故・無災害
○○○○日の記録が中断しました」と見学のグループの前で発表したそうです。黙っていればわからない
のに・・です。おまけに、会社の運動部での練習中のケガだったということです。
「(他人・他組織の事故を)わが事として考える」
この連載の一番はじめの「知識と態度」で述べた事につながります。
連日のように報道される医療事故の報道を見て私達はどう受け止めているでしょうか?
「あんなとんでもないことはうちではするわけがない」「患者を間違えて手術、なんて考えられない」「牛乳を
点滴なんて考えられない」と「根拠のない優越感」に浸っていないでしょうか?
しかし、報道(必ずしも新聞だけではありません。新聞は「うけるように」書いていることが多く、「そういうこ
とがあった」程度に読んでいます)を読みそこに至る過程をHF的にみるとき、思わず「うちでもおきる」と確
信してしまうことがあります。「横浜市大タイプ」の事故などかなりの可能性で起こりえます。
「無事故組織」は特に同業他社の事故に関心が強い事が特徴といわれます。よく知られているのがカンタス・オーストラリア航空です。映画「レインマン」を知っていますか?自閉症のダステイン・ホフマンが「飛行機に乗るならカンタスしか乗らない」と叫んでいました。その会社です。
「Better late than never」(到着しないよりも遅れるほうがいい)
創業以来死亡事故ゼロを誇るオーストラリア・カンタス航空の安全標語だそうです。
組織として(あるいはそれに属する個人として)なにを最優先すべきかを知っている、ということです。見学
した人の話によると、会社の雰囲気としても何か他社の事故の情報が入ると自然に情報部門に人が集ま
り、「何があったのだ」「どうしてそうなったのか」と事故をまさに「自らのものとして」受け止める雰囲気
があるそうです。
また数年前日本の航空会社との業務提携の話し合いの最初に、日本側は料金の割合とか、どの便をどちらで・・とか切り出しました。すると、カンタスの担当者は事故発生時の責任と対処を最初の議題として提出し
たそうです。
「SOP」を遵守
(後日追加します)
「一つ一つが理にかなっている」
「無事故組織」を見学に行くと、普通の作業員が普通の仕事をしている。それを見ているとその行動のひとつひとつが理にかなっている。なるほど、こうだからああしているのか、と安心できる行動だということです。
Dupon社の工場を見学した人が、工場の床がピカピカに磨き上げられているのに驚いたところ、その答えが「(化学メーカーですので)何かこぼれたら、すぐわかりますから」と、どうしてそんなことを聞くのか不思議なようだったと言います。
「安全は引き合う仕事である」という認識
たいていの組織は「安全」に金をかけることが「無駄」とはいいませんが、かなりそう思っています。言葉を
変えると「安全を根性・精神力で買おう」としているようなところもあります。確かに資本主義経済ですので
安全のためだからといって無制限に「金」をかけることはできません。「無事故組織」だってそんな事をして
いるわけではありません。ただ「安全・予防に金と力をかけるところ」と「保険
をかけるところ」など、きちん
とリスクを計算しているようです。その結果、「安全に取り組むことが中・長期的に引き合う(もうかる)仕事
である」という認識にいたっているのです。
もう一つは人事でしょうか。非安全組織での安全管理担当者はどちらかというとエリートコースとはいえな
い部門として扱われていますが、「無事故組織」では組織全体を見渡す重要な部門として扱われています。
いずれにしてもどんな組織でも、表立って安全管理部門を否定することはないでしょうが重要性を認識さ
せる言葉があります。HFの国際会議での発言です。
「そんなに信じられないなら一度事故をおこしてみるがいい」
「no blame」は取り違えられている
Du pont社の職務規律、違反に厳しくエラーにはやさしく
アメリカのデュポン社は「無事故企業」の代表格です。
一般的に最近は「no blame」(個人を責めない)が無原則的に言われていますが、この会社は違います。個
人の責任をはっきりとうたっています。つまり安全に関するルール違反に関しては「解雇」もある、というこ
とです。(日本の一般の会社の雰囲気はどうも逆なようです。エラーに厳しく、違反に対しては大目に見る、
という雰囲気はないでしょうか。私たちの周りもです)そのデュポン社が1811年に定めた安全10原則です。
現在も生きているそうです。
「安全の10原則」(1811)
1) 全てのけが及び職業病は防ぐことが出来る
2) ライン管理者はけがおよび職業病の防止に直接責任がある
3) 安全は雇用の条件である
4) トレーニングは職場の安全を確保する基本的な要素である
5) 安全監査を実施しなければならない
6) 安全上の欠陥は全て直ちに改善しなければならない
7) 実際に発生したけがでなく、けがの可能性のあるものは全て調査しなければならない
8) 勤務時間内だけでなく勤務時間外の安全も重要である
9) 安全は引き合う仕事である
10)
安全プログラムを成功させるためにもっとも決定的な要素は人である
組織風土はHF(human factor)そのもの、良い雰囲気はHP(human
performance)を向上させる?
今回はHFから少し離れた感がしますが、事故を分析しヒューマンファクターが問題になれば当然その上の問題、組織の管理体制であるとか組織の風土・社風が問題になります。
世間で評判の高い「無事故組織」はどんなことをしているのかをあちこちから拾ってみました。なるほど「よい社風」とはこういうものか、良い「組織風土」とはこういうものかと少しは興味を持っていただけたら、と思います。有名な組織のことですからきっと「神話」や「逸話」的なものもあるのでしょうが、それを否定するような話も出てきませんのでかなり本当のことなのでしょう。
またこれらの企業は経営的にも安定しています。経営が安定しているから「安全組織」なのか、その逆なのかはわかりませんが、HFの専門家によると、「無事故組織」の社員は生き生きしていて、HPも上がっていると分析しています。
「病院の雰囲気」というのも間違いなくあります。その中のそれぞれの組織・部門の雰囲気も多分いろいろです。しかし「安全」という物差しで見たときに私達の「組織」はどこに位置しているでしょうか?
おまけ1 高労災企業は?
いままで「無事故企業」「安全企業」のいわゆるよい企業文化を見てきましたが最後に「高労災企業」は・・
という形でHFCの高野研一研究員が述べています。
1) 暗黙の了解や決まりが多い
2)
工期が迫ると安全基準がまもられないことがしばしばある
3) 上司の決定に無条件で従う事が好まれる
4) 努力しても結果がでなければ評価されない
5) 現場職員は工程管理を重視している
あてはまるものはないでしょうか?
おまけ2 「新幹線居眠り事故」にみる組織風土
この項を書いているときに山陽新幹線での「運転士の居眠り事故」の報道がありました。ここで問題とした
いのは、その時のトップの姿勢です。
記者会見をしたJR西日本の幹部は「あいつら、だらしない。とんでもないことをしてくれた。責任は会社に
はない」という内容の発言(表情も)でした。一昨年の日本航空機同士のニアミスの時のJAL副社長という
人物の会見も同じ様なものでした。そこには、事態の本質を探ろうという態度も当事者である社員をマスコ
ミの餌食から守ろうという態度も全く感じられないものでした。おまけに結果としても会社の運転士の健康
管理(いまどきサーカデイアンリズムを研究したり、睡眠時無呼吸のチェックをする、というのはトラック業
界でも常識です)に問題があったことが2日後にわかったわけです。国土交通省のばあさん大臣は「たる
んでいる」と吐き捨てました。これは国のトップとして最悪の対応です。事故調査は昨年やっと鉄道と航空
部門が合同した正規の「事故調査委員会」が行なうべきものです。
何もないときには、着飾りきどっていても、このようなときについ表れてしまう「組織の雰囲気」が大事だ、と
いうことです。
ちなみに安全問題に関してJR各社で温度差があるそうです。「西」と「東海」に問題あり、という確度の高
い情報です。
などとJR西日本の悪口を書いていたら、日本ヒューマンファクター研究所員であり元全日空機長の石橋明氏はさすがヒューマンファクターの専門家です。違った視点からこの問題を捉えています。以下引用です。
この新幹線運転士の居眠り運転問題に関しても、運転士の健康管理を強化すれば同様事故が防げるという短絡的な発想ではなく、この表面化した現象の背後に潜む潜在要因を究明する姿勢が求められている。例えば、自動化と人間のインタフエースの問題や自動化への過信の問題、機械と人間の役割分担の問題、組織や個人の安全に関する価値観の問題など事故事象を科学的に分析するための切り口は際限なく存在する。やさしく表現すると、自動化された運転席で眠気をこらえることが、運転士にとってどれほど難しい問題であるかを考えてみること、いつもきちんと作動してくれる自動システムを過信せずに、常に正確に監視(モニター)することの難しさを考えてみることなどの視点である。このような高度な技術を導入したシステムを運転する分野では、緊張せよとか、指差し呼称せよという従来型の施策では対応しきれないのである。組織や一人一人の安全に関する価値観の問題であり、それを規範とする行動様式の問題なのではないだろうか。今、「組織の安全文化」が強く求められているのである。
いかがでしょうか?
この連載に苦情、ご批判、ご意見をお願いします。
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引用紹介と註解[2005.9.1追加]
今回は以下の文献・資料を参考にさせていただきましたが、引用の誤り、解釈の誤り、「思い込み」があるかもしれません。
是非、原典にあたることをおすすめします。
1)桑野ら「その時機長は、生死の決断」 講談社
2)Human Factors 安全の秘訣 社会安全研究所
またお気づきの点はメールでご連絡いただけましたら幸いです。
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