Chapter.21管理者の勝手な「思い込み」

安全における管理(者)の役割の重要性については、あのSHELモデルがM-SHELモデルにM(management)が付け加えられるようになったように、疑う余地はありません。しかし、管理者も人間である限り、自身が陥る誤ったヒューマン・ファクターの考え方があります。 


「管理者心得Q&A」 ヒューマンファクターズ版です。

1 「安全は管理者の業務に含まれない」
 安全に直接関連のない総務や事務部門などの管理者にみられる傾向といわれています。安全は、その専門部門の責任であって、自分には関係がないというわけです。もっと悪い場合は「安全を求めることが経済性や効率に反する」とされてしまうことだってあります。以前にこんなことがいわれたことがあります。「安全は大事だ。だから頑張って欲しい。ただし金はかけないように」
しかし安全は、いまや組織全体が取り組むべき大きな命題であり、社会的責任であることに間違いはありません。もちろん一番の「管理者」であり、スイスチーズの大きなアナでもある厚生労働省は「現場である末端のチーズの穴だけを自分でふさげ」とでもいっているようです。
管理者も厚生省も「事故やトラブルは会議室で用意され、現場にあらわれる」という原則を忘れてはいけないのです。

2 「事故は人間の「たるみ」により生ずる」
 勤勉で優秀な日本人組織特有の「完全主義的発想」で、とくに他人に対する厳しい評価と、現実を見つめる科学性に欠けるために発生する考え方です。
 人間の能力は変動しやすく、一生懸命に仕事をしていても、ときとしてミスを犯します。管理者自身の考え方が現場のミスを誘発する原因になっている可能性を含めて背後要因を追究し、それを排除する努力をするのが、管理者の役割といわれます。
 つい「たるんでいる!」とか「やる気の問題」といってしまいがちですが、精神訓話的発想は役に立ちません。言われた本人がごく短時間緊張しているだけです。「L」と他の要素の接点の不整面を(フレキシブルな)人間の側からだけあわせることを強調しているだけで、潜在的危険要素を隠してしまうことになります。「L」の内部の問題もあります。
 「たるんでいる」「L」も確かにいます。ときどき「ヤキ」を入れることも必要かもしれません。「違反行為」があればそれなりの対処が必要です。しかし「たるんでいるL」が一人いるからといって、簡単に事故をおこしてしまうならそれは組織の問題です。また昨年の安全文化研究会では「昔考えていたプロ意識とか職業観とかをあてにしてはいけない。そういうものをあえて求めない人もいる世代と仕事をしなければならない時代だ」と強調されていました。

3 「人間はいつでもどこでも正確な作業ができるはずである」
 人間は機械の部品ではありません。疲労や概日リズムや心配事や身体の調子により、人間機能は大きな影響を受けます。それを見抜き、予防するのが管理者の仕事といえます。シフト勤務の組み方や「危険な時間」などサーカデイアンリズムや「疲労」の知識が必要になります。事故防止のいろいろな対策はあくまでもその人が「覚醒している」ことを前提としているからです。
 旧国鉄で人間工学の面から事故の防止を研究した橋本邦衛は人間の意識水準を0からWの5つのフェイズに分けています。「フェイズ3」というもっともよい意識のレベルには人間はそう長い時間とどまれないそうです。簡単に言うと「適度の緊張」−「リラックス」の繰り返しがいいのですが、時にWになりパニックになったり、TからUでボーッとしていたりします。(橋本邦衛の「意識の水準」に関しては「安全人間工学」、または昨年のCRM-HFCセミナー「状況認識」を参考に)
*「I'm safe?」を覚えていますか。

4 「人間は、常に高い注意力を四方に払うことができる」
 人間の注意のチャンネルは、1チャンネルです。一方に高い注意を払えば、他方は不注意となります。指差呼称により、指と目と声の総合行為によって、注意を一点に集中させ、手順書は順序よく一行ずつしか書くことのできない理由を、十分に理解する必要があります。

5 「教育したことはすべてよく覚えていて、そのとおり実施できるはずである」
 教育によって得られた知識は、実際の行為には必ずしも反映されません。安全意識、危険に対する予測能力、安全保持についてのやる気によって行為は裏打ちされなければならない、といわれます。これがHFセミナーで最初に述べた「知識と態度」です。
 また、教育によって得られた知識は、時間がたつとともに次第に忘却されていくのも人間機能の特性です。知識のリフレッシュにはケースからまなぶことが有効だといわれています。

6 「すべての文書はよく読まれて、浸透しているはずである」
 現在の印刷物や情報の洪水のなかで、どの文書が重要であるのかは、他の不必要な文書や情報のなかに埋没して分らなくなっています。仕事でも文書でも優先順位をつけることと必要なときに必要なものが取り出せるようにしなければなりません。必要なものを浸透させるためには、二重、三重の強調策を講じなければなりません。
 また「文書を作ったり」「並べたり、揃えたり」すること自体が目的であるかのように錯覚しがちです。貴方の作った文書・マニュアルは現場で消化され、利用されているでしょうか?それともきれいに「棚に並べられている」でしょうか?大事に「しまいこまれて」いるでしょうか?(文書管理の問題は昨年のHFCセミナーの資料を参考にしてください)

7 「すべての作業者は、常にまったく健康である」          
だれでも健康を保ちたいと思っています。しかし、疲労、睡眠不足、欠食、心配事、二日酔などの半健康状態のものが70%、すでに何らかの病気にかかっているもの10%、高いパフォーマンスを発揮できるものは20%くらいであると考えておく必要があります。

8 「厳重に処罰しておけば、再発は防止できる」
技術者が自分の行動に責任を持つのは当然であるが、一生懸命にやっても犯す誤りを処罰によって防止することは不可能です。かえって事故に至る可能性のあるヒヤリ、ハット体験をフィード・バックする事故予防の芽をつんでしまい、ヒューマン・ファクターの問題を潜在化させてしまいます。これは医療界でも証明されています。ハーバード・メデイカルプラクテイス・スタディがそれをはじめて明らかにしました。「処罰」でなく「訴訟」と「損害賠償」ですが・・・詳しくは「アメリカ医療の光と影」(本会の「リンク」からリンクできます)(医学書院)を読んで下さい。
違反行為は別ですが・・・。

9 「『そんなことは常識である』といえば、技術者は誰でも理解し、納得する」
 特に技術者の世界でよく使われる言葉といいます。これは相手のプライドに頼り、反論を封ずる内容空虚な言葉で、何らの実質的教育内容を持たない、といわれています。ある意味で「脅し」のようなものです。身についた技能を他人に教えることは結構難しいし、何度もとなると煩わしいことですが、これを怠っていると自分にふりかかってきます。

10 「そもそも安全が存在し、危険は稀な事象である」
 多くの事故や失敗を乗り越えてきた先人の努力と工夫の蓄積によって、現在の安全がかろうじて保たれている状態が現在です。安全の中に安住していると、安全が普通であるような幻想に陥る事が多いのですが、そもそも危険が普通であって、安全への努力を怠るときは、いつでもどこでも誰にでも、危険が吹き出してきます。「われわれは危険の海を泳いでいる」「危険を避け泳ぎきった状態を安全だった、といっているだけだ」(J.Reason「組織事故」)

11 「家族の問題などは、職場の作業に影響を及ぼさないものである」
 影響を及ぼさないように努力はしていても、心配事や家族の病気などの情緒ストレスから抜け出すことが難しいのが、人間の特性です。とくに優しい父親であったり、夫であれば、なおさらです。緊張から解放されたとき、単調な仕事をしているとき、作業時間が終了する直前などの事故の心理的背後要因として重要です。

12 「自分のところだけは事故を起こしてほしくない」
 管理者は本当は誰でもそう考えています。私たちもそうです。「隣で何が起ころうと自分のところさえ起きなければいい」というのが本音かもしれません。
 しかし、安全は「祈り」でも「スローガン」でもなく、危険をしっかりと認識し、また起こりうるエラーを管理する(エラーと共存する「ERROR MANAGEMENT」)という、永遠に続く予防行動によって達成することができるものです。自分の組織の陥りやすい不安全要素を、冷静にみつめ、勇気をもって不安全要素を排除することが大切です。エラーが起きても直接事故に結びつかないような対策を考える。「他山の石」と昔からいいます。悪い言葉でいうと「他人の失敗蜜の味」ともいいます。「責任者」として自分のところだけは事故をおこして欲しくない、と思うのは当然ですが「ことを、わがこと」として感じるawarenessが必要です。「あんなことはうちでは起きない」と新聞を読むのでなく「うちでも起きうる」と。

13 「他のものは事故を起こしていないのに、どうしてお前だけが起こしたのか」
 日常の業務において事故の発生確率はそもそも低いものです。しかし、同じような教育訓練をしているうちの一人が事故を起こしたといことは、他の作業者も必ず同じ事故を起こす可能性があることを証明したことになります。これがいわゆる「マーフィの法則」です。
管理者はともすれば個人の「事故傾性」を問題にしたがります。「あいつは事故を起こしやすい奴だ」と。しかし個人の「事故傾性」に関しての研究ではある個人に対して「事故傾性」を予測しようという研究は殆ど否定されています。それよりも「起こりうるものはいつか起こる」というマーフィの法則です。たまたま、ある人のときに起きた、と考え「なぜ」「どうして」その事故が発生したかを究明し、直ちに全員へ、予防方法をフィード・バックさせることが唯一取りうる方法です。
 またCRMseminar「Hazzardous attitude」でも問題になりましたが人がものを判断するときにはいろいろな心理の影響をうけます。その中でも「5つの危険な態度」といわれるものがあります。自分の今の決定判断がそういう心理的、感情的な心の影響を受けていないかどうか、冷静に判定できるようでなければならない。そして、もし影響されていると思ったならば、今の心理状態に抗して別の判断に従えるようでなければならない、というのです。これは「L」自身の問題として対処する必要があります。
Hazzardous Attitudeに関しては昨年のCRM seminar記録を参考にしてください。

14 「事故防止マニュアルがあれば事故はおこらない」(だから事故防止マニュアルをそろえる?)
  一昨年来、あっちこっちの病院でこんなことが病院長から命令があったようです。
その結果、東京で作られた?マニュアルが北海道庁で「道立病院事故防止マニュアル」としてコピーされ、各道立病院に配布され、こんどはそれが大阪に伝わり今度は表紙を変えて「府立病院マニュアル」なっているということが、厚生省のある審議会で問題になりました。一般に「よいものが普及する」事に問題があるわけではありません。しかし疑問と思われる点がいくつかあります。一つは分厚い「事故防止マニュアル」は必要なのか?という疑問です。起こしてしまったときの、基本的態度、対処法、連絡や事故防止の直接のヒューマンファクタースキルであるコミュニケーションの基本などは必要でしょうが(それはすくなく)、見ると一つ一つの手順書と重なることばかりです。こんなマニュアルは???ですね。
じゃお前はどうすれば良いというのか?というと確かに正解はないのですが、「マニュアルは薄く、雰囲気は厚く(熱く)」とでもいいますか、ヒューマンファクター・カルチャー(J.Reasonの「安全文化」に近いもの)を目指そうというわけです。気をつけたってきっと誰かがエラーをする。それは殆ど防げない。じゃ、別の誰かがそれに早くきづき、指摘し、修正・カバーする。エラーを起こしやすい状況や仕事に対する知識を共有する。そしてエラーが事故に繋がらないようにする。事故に繋がってしまったらそれを軽減化することを考える(ここまではCRMの「エラーマネージメント」そのものだ)。それでもだめなら、その時は誠実に・・。
二つ目は「マニュアルは読まれない」ということ。どんなマニュアルでもほとんど「つくった人たちだけのもの」で悪い場合には「マニュアル作りが目的になってしまっている」ようなことは実際「当院」でもそこかしこ、です。立派なマニュアルが棚に並んでいます。
三つ目は「事故防止マニュアル」もいいけれど、医師会も看護協会も厚生省も知っていながら「あんまり言わない」「言いたくない」こと。基本的な技術や知識が足りない問題、をはっきり言うべきです(とすると私自身も危なくなるかもしれませんが)。「Chain of events」ですから、最後の担当者だけに「責任」を押しつける訳ではありませんが、あるごく常識的な知識があれば「えっ、これ違うよ」「変じゃない」と疑問をもったはずのことが多いと思いませんか?
個人の問題でも有り、また教育していないという組織の問題、教育されなくても「働くことができる」というシステムの問題。これは、航空界や他の方々がはっきりと指摘しています。医療従事者の再教育、資格の更新が必要です。(この件はまた別稿)だから事故防止の「車の両輪」、「ヒューマンファクターカルチャー」のもう片方の車の輪は「プロとしての知識や技術」の維持・改善なのです。

どうも世の中、こちらが抜けている。「ん!一輪車か?ナルホド。車の両輪、なんていっても必要ないってことか」「いや、一輪車にもなってない」
  
(こんなことばかり言っているから嫌われるのかなー)
 
追伸:「事故防止マニュアルなんかくそ食らえ」という私の本音を補う文献がありました。世界的に無事故組織として有名な○○社では、こういう方針だそうです。
「SOP(手順書)の適時改定は必要だが、"手順に正しく従って仕事をする" 事が大事で、それと別に事故防止マニュアルがあること自体がおかしいと思わなければならない」と。

いかがでしょうか?
この連載に苦情、ご批判、ご意見をお願いします。


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引用紹介と註解[2005.9.1追加]


今回は以下の文献・資料を参考にさせていただきましたが、引用の誤り、解釈の誤り、「思い込み」があるかもしれません。 是非、原典にあたることをおすすめします。

1)渡辺邦弘「ヒューマンファクターの基礎」航空技術協会

またお気づきの点はメールでご連絡いただけましたら幸いです。
 
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