Chapter.13「新しい技術には新しいエラー、機械(器械)と人間と」
 確かに20年前よりはいろいろな器械が(で?)患者さんをモニターしています。 たいていの施設でちょっと前までは大病院の一部でしか出来なかった「こと」が普通のようにおこなわれています。 モニターは設定値をこえた場合にはうるさいくらいに「ピーピー」と。 昔と比べるとずいぶん安全に、難しいことが出来るようになったようです。
 それはそれで、医学(医療器械)の進歩なのですが・・

13-1 リスクホメオスターシス
「危ないカーブの多い道路が工事でまっすぐになった。もっとスピードを出しても大丈夫だ」
「最近の人工呼吸器は高圧警報や低分時換気アラームがついている。 (はずれたりチューブがつまったりすればわかる。おまけにガスや血行動態のモニターも沢山ついている。だから) 一人(の看護婦)で10人くらい看ることができる」
「良い薬がでたから、どんなに食べても(飲んでも)大丈夫」
「麻酔が良くなったから、手術はゆっくり(ちんたら)やってよい」
「飛行機が良くなったから、15時間くらい交代なし(操縦しても)で大丈夫?」(これ本当の話)

 何かが少しだけ「進歩」すると、その陰で個人としても、管理する側としてもこんな風に考えがちです。 そしてその「要求」の大きさは「進歩」の量よりも拡大しがちです。
 そしてその「進歩」「機械化」が(現場の)人間の特性を考慮したものであるか、ということが問題です。

13-2-1 「(必要なところからでなく)出来るところから」の「自動化」・「進歩」、「残ったところ」が人間に。
 機械と人間とで仕事を分けた場合に、「得意」「不得意」が必ずあります。 一般的な人間の特性を考えただけでもそうですが、ある特定の職業を対象に考えた場合にはその職業の人間の特性というものもきっとあります。 ところが人間の特性や器械の特性とは関係なくまた、「必要なところ」からでなく、「出来るところからの自動化」「機械化」が進められてしまうことがあります。

 その場合、器械を間に挟んでユーザー(である私達)と設計者の思考や感性には大きなズレが生じています。 一般的にはマン・マシンインターフェースの問題(SHELモデルでいうL-H)として扱われることが多く、 「使い易い」「使い難い」といった風に問題にされることが多いのですが、それだけでは済まないこともあります。

13-2-2 設計者の常識、使用者の常識
ユーザーは「コンピューターオタク」ではない
設計者はともすれば自分達と同じようにコンピューターをうまく使いこなせるユーザーを念頭においてデザインしてしまいます。 ところが、そんなユーザーはめったにいないことはもちろん、現場に何が必要か? 何を人間にさせ、何を機械がすればよいのか?といった検証なく、「これもできる」式に自動化・機械化が進められてしまうことがあります。 他メ−カ−との競合もあるのでしょうがカタログ上のモードや機能の数を競ったりもします。
ところが現場では、ほとんど使われる事のない「モード」や「機能」のために無用な混乱をひきおこすことがあります。 おまけに同じ種類の機械でもメーカーの違いによって操作法や警報、規格も違います。

 またその作業を行う場合の「(暗黙知のような)現場の習慣」や「流れ」を無視したような「論理的な新しい流れ」でシステムの設計がされたりします。 すると、人間本来の感覚と結び付かないことが多く、平常時は問題ないとしても緊急時などには、 いつもは(ちゃんと)「できるひと」でもエラーが誘発されてしまうことになります。

13-2-3 人間の得意なところは人間に任せる
 なれた仕事をしている技術者は計器をみわたし「安全」を確認する習慣があります。 医者も看護婦、技師も何か疑問や不安があれば患者さんの様子やモニターや医療機器のダイヤルの設定や計器を何度も見回して安心します。 ところがどんな職場でも最近の操作パネルは「多機能の」ウインドウとキーボード(もどき)になっています。

 なにかあるたびに一つの画面(ウインドウ)を切り替えて必要な画面を「呼び出し」(不必要に詳しい)「数値」を読み「入力」しなければなりません。 ウインドウ構造が重なり何処がどう繋がっているのかは(厚い方の)「取説」を読まなければ理解することは不可能です。 色の変わった「警報」「注意」の所だけを見ていればよい、という主張もありますが、 色もまちまち、カラーリングの目的である「認知負担の軽減」なんて事は考えてもいないようです。 眼で確認すれば済むものを、わざわざ脳と手を使うシステムにしてしまっているようです。 その結果、(使用していないとき、何も問題のないときの)操作パネルはすっきりと一見「整理」されて見えます。

 時間や気持ちに余裕のあるときは別になんということもなく対応出来るのでしょうが、 緊急時などには「・・・・ええい!くそ!」となりかねません。 ユーザビリテイの否定、扱う集団(設計者よりは普通の集団?)の特性やその「旧機種」からの 「認知的連続性」(こんな言葉はないかもしれませんが)が考えられているとは思われません。

 他にもシステムの設計の段階での使用者とのマン・マシン・インターフェースが考えられているとは思われないことがあります。 (必要かどうかは別として)出来るところだけやって、機械化(自動化)出来ない「残りは」人間の仕事、ということです。

 航空機などでは、不必要な「ゴーアラウンドモード」など「パイロットが手でやった方が余程早く上手」なものまで○○モードなどと (中途半端な)自動化するものだから、それがうまくいっているかどうか監視していなければならない、という仕事が増えてしまっているそうです (杉江弘「機長の告白」講談社)。おまけに「何かあったとき」には極端にワークロードが増えてしまう、といいます。 その時「機械がなにをかんがえているのか?」を理解することが非常に困難だといいます。 (途中から仕事を渡されても・・・ですね)

 こんなことが人間の正常な感覚とは乖離しているため、名古屋で中華航空機が墜落してしまいました。 「メーカーによる自動化の設計思想の違い、を理解していなかった」などといわれましたが、 (本来エアラインパイロットであれば誰でも出来る事を自動化してしまった) 余計な「人間の特性を理解しているとは思われない」「おまけ」のせいで墜落してしまった、というのが真実なようです。 (もちろんHF的にも理由はそればかりではありませんが)。

13-2-4「服に身体をあわせろ!」式の近代化、「カラオケ型」自動化
 昔の日本軍では兵士の身体にあった軍服は供給されなかったそうです。 そして上官から「服におまえの身体をあわせろ」という様なことを強制されたそうです。 現在でも黒田勲日本ヒューマンファクター研究所所長は、機械に人間を合わせる(人間の器用さ、柔軟性に過度に依存する)ことから 「カラオケ型」の自動化と指摘しています。 「新しい技術」とか「近代化」「進歩」などと言われているなかで、結局こんな発想になっているものはないでしょうか?

 私たちのような(ローテク)職場の場合、マンーマシンインターフェースなんて難しい言葉を使わなくともユーザビリテイ、 つまり「使いやすさ」「馴染みやすさ」程度ですが。


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 ここでは恥ずかしいので具体的な事は書けませんが、 見た目はきれいになった改造移動後の病棟の使いにくさなんて「バッドデザインコンクール」でもあれば応募したいくらいです。

13-2-4ユーザーが「納得(我慢)してしまう」おそれ
 最初はいままでのシステムになれ熟練していたユーザーも周囲から機械化・自動化されてくると(特に資格やプライドがあるほど、 インターフェースやユーザビリテイに違和感を感じながらも)「できない」とはいえなくなります。 本当は「こんなこと自分の手でやった方が安全確実、おまけに早い」と思っても、「そういう(新しい)ことに適応し使いこなすのも自分たちの技術だ」 と「positive」に考えてしまいがちです。そして多くの場合何とかこなすようになります。

 ところがその時、熟練した人間(あなた)がしているのは"それまでよりもワークロードが減少した同じ仕事"ではありません。 単に機械化・自動化できなかった「部分」であったり、自動化するにはコストがかかりすぎる、という「残った仕事」であったり、 「機械を監視する」という仕事、になってしまっている可能性があります。 つまり、自動化してワークロードが減ったのではなく、仕事の質が変わってしまっている可能性があります。 そしてそれが本来の人間の特性に合ったものかどうか、やりがいを感じることが出来るものかどうか、 新しいエラーを誘発する原因とならないか、という問題は残ったままなのです。

 また、どうしても「機械」に納得できず(自分の方が正しい、と)中途半端に「手を出してしまう」こともあります。 これもエラーを誘発する(あるいは事故にいたる)原因となることもあります。

13-3「チーム意識」を損ないかねないオーダーリングシステムの落とし穴
 外来で患者さんと向かい合いながら、あるいは病棟で、画面CRTを指しながら説明したり薬を処方したりと、 はやりの電子カルテやオーダーリングは「一見」格好がいいのですが、こんな所にもエラーを誘発する落とし穴があります。

 1)新しい薬剤監査システムはオオカミ少年
新しい(余計な)薬剤監査システムは入力者をイライラさせ、時間を喰い、 (現実と合わないワーニングが多すぎて「オオカミ少年」となり)使用者が「システムを信用しなくなる」可能性があります (当院の多くの医者の場合もう信用していません。「スキルベース」で反射的に「パス」を押してしまっています)。 現場を考えない設計者が設計したものを、現場を知らない管理者が「ある薬剤と別の薬剤の作用機序と適応症のチェックが出来ます」 「こんな機能もあった方がいいですよ」「追加○○○万円でできますし」といったセールストークにのせられて導入したものなのでしょう。 肝心の似通った薬剤名の選択ミスを防ぐ方法や複数の容量のある薬剤の選択ミスに対する認知負担の軽減などは考えられていません。 こうした「器械にあわせろ」式のオーダーリングはSHELモデルのまん中にいるLの私達が周りからツブされている感じになります。 (もちろんいくつもの利点はあり全てを否定しているわけではありませんが)

 2)「電話で話をつけてから・・・・」
 これがもっと多くの部門に拡がると大変です。いままで電話一本で済んでいた検査や手術の仮予約が、パソコンのデスプレー上ですることになります。 予約は重要度・重症度からでなく「早い者勝ち」(人気のチケットを買うときのようだ)になってしまい、 「押さえておく」なんてことまでおきるかもしれません。 それを何とかしようとする場合には、個々の担当医に電話で交渉して了解を取って、さらに予約を解除する管理部門に連絡して、新たに再入力する、 なんてシステムになってしまいかねません。結局は電話で話をつけているわけなのですが・・。 (こんなことがあっちこっちで進められている。「IT化」というならITを「イット」といったどこかの元総理大臣のほうが正しいかもしれません)

 3)「フェースーtoフェース」のコミュニケーションは?
 もうひとつは各部門のつながりが「フェースto フェース」あるいは、「ボイスtoボイス」ではなくなってしまうのではないか、という心配です。 例えば検査成績、黙ってきちんとした活字の報告書をパソコンにながしてくるよりも、 「先生、大変だよ!」と電話で「まず一言」、なんて事もなくなるかもしれません。 場合によっては必要に応じて検査を優先させてくれたり、「(ちょっと変だと思ったので)○○も見ておきました」 などということもなくなるかもしれません。こういうことをいうと「あんたが検査結果でもなんでもをキチンと指示と確認すれば済むことだろう!」 といわれてしまうのですが。私のように他人(ひと)に頼って仕事をしている(「これが(CRM)TRMだ」と私がいうと、皆が「ヤレヤレ」と苦笑しています) 人間にはどうもリスクが増しているような気がします。私が「時代遅れ」なのでしょうか? 
 それにしても「チーム意識」もうすれていくような気がしませんか。

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 今回は「人間のための機器の進歩」とか「人間と機械のかかわり」を考えたかったのですが日常の不満を吐き出してしまったようになりました。

 昨年、人工呼吸器事故の原因のひとつが設計思想や操作方法が各機種・メーカーによってまちまちであること、と指摘されたことが新聞に出ていました。 他にも多くの医療機器が同じ様な問題をかかえています。

 少し前、航空会社の方に「何故20台なら20台、同じ機種で統一しないのか?」聞かれたことがあります。 その時は「確かに、新設の施設なら予算的にもそういうことが可能でしょうが・・・」とお答えしました。 ところが、それもあるのですが医療従事者自身にも問題がありそうです。 機器の選考基準が数年ごとにモデルチェンジされ機械に加わる新しい機能を「単に」使ってみたいだけだったり、 (学会などでそのことが発表されると)本当にそれがすばらしいものであるかのように「錯覚」したり、で一貫性なく 「新機種」を買い足してしまっただけなのかもしれません。 また、昨年のある学会の機器展示では、病室のベッドの角度がナースステーションで管理・モニターできるなんてことまでありました。 患者さんやユーザーである私達を中心にした自動化・機械化であったり新しい機能・モードでなければならないことはもちろんですが、 それを見極める「眼」も必要なのかもしれません。

 同じことは機械を挟んだ何かのシステムを作り上げるときにもいえるかもしれません。 新しいシステム全体のなかで「人間」がどんな位置にいるのか? 制御の意思決定のループのなかにいるのか?いざというときにシステムのしわ寄せを「なんとかしなければならない」位置だけなのか?ということです。

 人間は本来、ものを考えたり、操作したりするように出来ていて、機械を監視するだけ、というような事には向いていないといいます。 また、そこに上達心や興味に訴えかけるものが何もなければ「覚醒」の維持すら難しいのです。

「誰のためのデザイン」の著者で認知学者のD.ノーマン教授は日本講演の最後にこういったそうです。
「もっとパイロットに操縦させろ!(そのほうが安全だ)」

 この連載に、ご批判、ご意見、ご教示をお願いいたします。

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* 参考
「医療」にそのままあてはまるかどうかはわかりませんが「自動化」「機械化」と人間の関係についてNASAは 「作業者が特有のスキル、生き甲斐を感じている仕事は自動化しない」という原則を主張しています。

 
自動化の原則(NASA.1988)
してはならないこと(Should not)
1. 作業者が特有のスキル、生甲斐を感じている仕事を自動化しない。
2. 非常に複雑であるとか、理解困難な仕事を自動化しない。
3. 作業現場での覚醒水準が低下するような自動化をしない。
4. 自動化が不具合のとき、作業者が解決不可能な自動化しない。


すべきこと(Should)
1. 作業者の作業環境が豊かになる自動化をせよ。
2. 作業現場の覚醒度が上昇する自動化せよ。
3. 作業者のスキルを補足し、完全なものにする自動化せよ。
4. 自動化の選択、デザインの出発時点から現場作業者を含めて検討せよ。


たまたま最近読んだ「ヒューマンエラーの科学」にも「ホンダ熊本工場建設時の3原則」というのがありほとんど同じ記述があります。

今回は以下の文献・資料を参考にさせていただきましたが、引用の誤り、解釈の誤り、「思い込み」があるかもしれません。 是非、原典にあたることをおすすめします。

1)杉江弘「機長の告白」講談社
2)ヒューマンファクター概念に基づく海難・危険情報の調査活用等に関する調査研究 中間報告書 http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/00508/contents/004.htm

またお気づきの点はメールでご連絡いただけましたら幸いです。

 
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