Chapter.10「ダブルチェック」は有効か?
   10-1 ダブルチェックの理想型
   ある人のエラーをする率が100回に1回としたら同じような人がもう一度チェックをすると10000回に1回のエラーになる「はずです」
 つまり 1/100×1/100=1/10000  というわけです。
 「誰かの行動を、別の誰かがチェックし、疑問があればすぐに訂正する」これだけのことが制度として、ちゃんと機能していれば、 計算のとうり事故につながるエラーは減少するはずです。
 ところが、実際の現場ではこのチェック体制が働かずに事故につながってしまう例が多く見られます。 多重防護の「スイスチーズは大きな穴だらけ」[1]というわけです。
 それではなぜダブルチェックが有効に働かないのでしょうか?

 10-1-1「表層的照合」と「構造的照合」
   『医療事故』(朝日新聞社)の著者山内隆久氏(心理学者)(医療事故の心理学的研究)によると
『例えば、入院患者に薬剤が投与される場合を考えてみると、医師の書いた一週間分の処方箋どおりに薬剤を準備し照合するとき、 これは一つのルール(基準)による照合である(「定型照合」と呼ぶ)。ところが、「検査がある日はこの薬剤は除く」とか 「血圧を測って○○以上ならこの薬を加える」などと別の細かい指示が加えられることもある。
これは、複数のルールや臨時のルールを使う照合である(「非定型照合」)。
いくつもの書類やデータを見比べながら「非定型照合」するのは負担の大きな仕事である。  また、患者の名前や薬品名などは、書類に書いてあるものと一致しているかという形式的なレベルでの確認ができる(「表層的照合」)。  これに対し、その薬剤の作用が患者の症状や病歴からみて適切かという医学上の判断のレベルで照合すべきこともある(「構造的照合」)。  「非定型照合」が増えるとエラーの危険が増す。書類や指示は「定型照合」できるように、シンプルで分かりやすい形にする必要がある。

 また、重要な確認は、「表層的照合」と「構造的照合」の両方で行いたいものである。医療者は、「構造的照合」ができるよう専門知識を深めることが必要だ。
 場合によっては「表層的照合」しかできないこともあるが、その際は、照合を繰り返す、目で見るだけでなく口に出して確認するなどして、  とりわけ丁寧に慎重に照合することが必要になってくる』


いわゆる「内容的ダブルチェック」が必要だ、ということです。
 これは当院でも「医師の指示」から始まり「看護婦の与薬・注射」でおわる「投薬のプロセス」ですこし実施されています。

 私のところなんかへはよく「先生、薬この人には多いと思うんだけど…」とか「えっ、これ使うの?適応症にははいってないんだけど」 といったチェックが薬剤部からはいったり、「先生!経口薬と注射がダブってるよ」といったチェックが看護婦からはいります。
 確信犯的に用法用量を「逸脱?」することもありますが「おっとっと!」ということも少なからず、です。

「ダブルチェック」
 「ダブルチェック」というと「同じ文字が書いてあるか」とかいった形式的な場合が多いのですが  こうした義務づけられてはいない」が「内容的なピアチェックは  広げていきたいものです。
 はっきりと「おかしい」と言えなかったら「ん?」とか「○○ですか?」と疑問形を「装う」という手もあります。  立場の上下に関係なく広げていけるかどうかは「ASSERTION/INQUIRY 」とか「CONFLICT」とか  「organizational culture」とかいったものに大きくかかわってくるのですが…。
 (昨年のCRM-HFC seminarの資料を参考にして下さい)

 10-1-2 エラー率
  1/100×1/100=1/10000のエラー率という計算が成り立つか?
信頼度1/10の2人のダブルチェック1/10×1/10=1/100の信頼度という計算になってしまうか?
その違いはなにか?
 この違いは「システム設計」や「人間工学」から説明されています。システムを効率的で機能的に運用するために、通常多重化、つまり二重系にしてその信頼を高めようとします。
 二重系とは、例えば10回に1回壊れる部品をもう一個並列につないでおけばそのシステムが壊れる率は1/10×1/10で100回に1回の確率でしか壊れない勘定になり、 安全性は飛躍的に向上することになります。ところがこの二つの部品を直列につなげてしまうと壊れない確率は9/10×9/10=0.81となり 壊れる方の確率は 1-0.81=0.19 となりほぼ5回に1回は壊れる、という計算になります。

これは人間同士の関係でも同じだと言われています。 1/2の信頼性の二人が直列に組み合わされた場合の信頼性は1/2×1/2=1/4となり、並列に組み合わされた場合はエラー率が1/2×1/2=1/4ですから逆に信頼性は1-1/4=3/4となり3倍となります。

「ダブルチェック」する二人の関係は直列でしょうか、並列でしょうか?それを取り囲む「組織の雰囲気は」? (チームワークのあり方、communication、TAGにもかかわってくると思いますがこれは別稿および昨年のCRM-HFC seminar資料)
 10-1-3 「先輩(上司)の仕事を部下(後輩)がダブルチェック
            するとエラーの検出率が下がる」という事実

   これは想像がつきます。「あの人(先輩)がやったんだから間違いがないだろう」(依存・依頼)とチェックが甘くなったり、省略したり、 「(ん?と思うけど)きっと自分が間違っているのだろう」「言わなくとも気づくだろう」「言えない」(遠慮)など、と考えてしまいがちです。

これは東京電力HFでの実験結果です。
直接のダブルチェックでなくとも上司や先輩の行動や指示で「ん??」を発見したときの対応には悩みます(私も悩まれているのかもしれませんが)。 しかし、こと安全に関する問題に関しては勇気をもって指摘することが必要です。また指摘を受けたほうも「誰から言われた」とうけとめるのではなく 「何を指摘されたか」と受け止める必要があります
(JAS CRM CONFLICT、ASSERTION)。

 また処置などをする場合、実際の「作業」は後輩にさせて先輩は後ろから見ているようにしたほうが、全体を見て他の指示を出したり、 処置を見て誤りを指摘しやすかったり・・と、うまくいくことが多いといわれます。
 10-1-4 同じ思いこみ
   :同じ環境でのダブルチェックは同じ人の2回チェックに近い?

   「チームで思い込み」をしてしまう誘因のひとつに「同じ環境」があります。前に上げたチェックの「遠慮」や「依存・依頼」などということがなくても 「同じ環境」で働いている状況のチームのダブルチェックの能力は落ちます。
「チーム全体の思い込み」「ここまでやったんだからという…」、またダブルチェック自体が目的になっていることもあります。

 こんなときには「別の眼」が必要です。そのことに参画していなかった人、「考えの違う人」の眼です。
よそのひとからみると「何を騒いでるの!○○でしょ」ということはどんな世界でもあります。

典型的なのがスリーマイル島の放射能漏出事故です。 クリスマスツリーのように点滅する警報ランプに何が起こったかわからず当直員達がパニックになっているときに、 応援で駆けつけた別の運転員が簡単にあれ?ここのスイッチはいってるよと指摘したことで事故は収束に向かったのでした。

別の眼です。またチームに必要なのは皆と違う考えをする人をいれることです。


 10-2 組織の「Aging」の危険
 10-2-1 「ゆるやかなクロスチェック」が行われている組織
   どんな組織や技術でも萌芽期⇒発展期⇒成熟期⇒衰退期⇒破滅期という経過があるそうです。 一般には30年と言われています(この辺のことは『失敗学のすすめ』などをよんで下さい)
 下右の図はある技術が試行錯誤で萌芽期、発展期をへて成熟期に完成(これがマニュアルとなる)、 そして…という経過を表しています。これはこれで説明が必要なのですが下左の図はその時の組織の構造をイメージしています。
組織の中での役割分担と実際組織の成熟に伴う脈絡の変化
 今までは本来の「受け持ち」でなかったことに対してもきっと口を出し、手を出していた組織が、 成熟・完成するとともにテリトリーを守りお互いに口や手を出さなくなり、さらに経過すると組織の隙間ができるような事態になるというのです。
 この関係は「組織」だけに限りません。個人対個人の関係も同じなのです。 (組織の運営のためにはきちっとテリトリーを分ける、というのは仕方がないこともありますが)
 このような組織・人間関係での「ダブルチェック」の質を考えてみて下さい。 「なぜ?」というチェックはされるはずがありません。前に述べた「表層的照合」になってしまい、「構造的照合」はしようにもできないのです。 「遠慮」や「専門の人が言うのだから間違いはきっと自分の方だ」などと考えがちです。

 あらたまった「ダブルチェック」の機会でなくとも申し送りなどの報告の場でもこういう傾向は表れます。 本来はチェックされるべき事が「あの人が言うんだからきっとなにか…」と。 またマニュアルからわずかでもずれていたりすると全くの判断停止か、より間違ってしまう事になりえます。

 逆に、重なり合った組織(人間)の図を考えると日常的な仕事がゆるやかに「ダブルチェック」(クロスチェック・ピアチェック) されている状態ともいえます。このように重なり合った組織では、エラーの発生率こそ変わりませんが、発見・修正率は高いといわれています。

 「ことをわがこと」ととらえるawarenessに通ずるように思います。
 10-2-2 「know  why教育」
   ダブルチェックの問題とは少しずれますが、このことは現在日本の産業界全体で問題になっています。
 「成長期」のいろいろなプロセス(当然失敗したりの試行錯誤も含めた)を知らずに、できあがったマニュアルにしたがって 「効率よく」生産してきた世代が多くなるにつれて、失敗体験が継承されていないだけでなく、 「何にもないのに1、マニュアルが何故そうなっているのかわからない」とさえいうわけです。その極端な例が1999年のJCO事故です。

 事故を起こした本人たちに悪気は全くなく古いマニュアルの「必要のない効率の悪いプロセス」からの「kaizen」のつもりだったのです。 (「臨界」という概念を教育されていなかった事もその「kaizen」行動に輪をかけています。また生産性の向上への無言の圧力もあったことがわかっています)。

 おなじことは我々の現場でもないでしょうか。
 「業務改善」のつもりがたんなる「省略行動」になっていた等々…。
 あんまりいうと嫌がられてしまいますが。例えば呼吸器のチェックリストです。
 あれは記録の意味もありますが、チェックを続けていこう、ということです。
 少なくとも8時間ごとにチェックされる、確認されるわけです。「ちゃんと見ているからいらない」とか「記録用紙に記載してあるからいらない」 というのとは次元が違います。厚生省でさえ今年になってから当院と同じような人工呼吸器のチェックリストを出してきました。

 ひとつのHF的教訓があります。

「うまくいっているものをあえて変えることには危険が含まれる」
「無駄と思えることが続いているのは何か理由があるのかもしれない」

(これは私が勝手につくったものではありません。  ある病院の事故防止マニュアルにのっているものです。J.Reasonの「組織事故」でも同じことが指摘されています)
 このような事態を避けるために産業界では取り組みを始めています。例えばデユポン、カンタスとならんで無事故組織として名高いスリーエムは  「15%ルール」として自分の受け持ちに関係のない仕事に15%振り向けるように教育されている事は有名です。

 他の組織でも「ノウハウよりノウホワイ教育」「体験でなく経験を伝承」ということが積極的に行われ始めました。  こうした教育を続けることで一般に言われる組織の老化を若返らせ、寿命を延ばすことを目的にしているのです。


 10-3 それでも「ダブルチェック」をしなければならない、なら(HFC)
   「ダブルチェック」の欠点、限界ばかりを述べてきましたが、決して全てを否定しているわけではありません。  「ダブルチェックしたから安心」とか「すばらしい安全策だ」と思ってはいけない、ということです。
 大きな限界がある事を認識しておこなうべきなのです。

 またH(Hard)の側からの(FAIL SAFE,AFORDANCEなど)人間工学的防御も重ねる工夫も必要です。 それでもダブルチェックをしなければならないなら、とHFCでは次のような原則をあげています。

1) 相互の依頼心を排除、構造的照合ができるように

2) 技量を疑うようなチェックはしない

3) 信頼関係を維持
  (昨年のCRM−HFCセミナー記録を参考にしてください)

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1 「何もない」ということはJ.Reasonによると「幸運な無事故が続いているだけ」と考える必要があります。 組織としてはどうしても「経済的効率」「生産性」を追求する圧力をかけがちです。 「この世の中に安全など存在しない。危険の中を泳いでいるだけ、ぶつからなかったら、それを安全、と呼んでいるだけだ」(Reason 「組織事故」1999)

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引用紹介と註解[2005.9.1追加]


今回は以下の文献・資料を参考にさせていただきましたが、引用の誤り、解釈の誤り、「思い込み」があるかもしれません。 是非、原典にあたることをおすすめします。

1)(図)畑村洋太郎 「失敗学のすすめ」講談社
2)山内桂子ら「医療事故」朝日新聞社

またお気づきの点はメールでご連絡いただけましたら幸いです。


以下は「ダブルチェック」に関して04.4.ご意見(掲示板)をいただきましたがそのときの管理人S-1の返事です。一緒にご覧ください。
また医療安全推進者ネットでは05.6.に「切り口を変えたダブルチェック」でなければダブルチェックの精度が落ちる事を証明した実験結果が掲載されています。
. <--- No28 --->
.  難しい 返信
管理人S-1 04/09金01:56 #r28
はじめまして。ご投稿いただきありがとうございます。

「ダブルチェック」に関しましては「院内のセミナー」で何かしたわけでなく院内のLANでの連載だけでした。
 ですから山内先生の「医療事故」以外には「ダブルチェック」の特別な文献を参考に書いたわけではなく「雑多な情報で思いつき的」なものです。 ただ、「ダブル」も「組織」とか「集団」と考えられないこともないですから、そんな視点からも考えてみました。 (「組織」とか「集団」の思考とエラーに関しては芳賀繁先生の「ミスをしない人間はいない」「失敗のメカニズム」を参考にしました)

個人的にはこんな風に考えています。(レジメ的に)

「1/100×1/100=1/10000」にならない理由を考える

1)はじめの項はおいておいて
2)本当に「×」の関係なのかどうか?
二人は並列の関係か直列の関係か?
組織全体の雰囲気:口を出しやすいか(心の中に浮かんだ疑いを自分自身で打ち消していないか?)、何気なく注意することができるか?
業務の区分けとオーバーラップの兼ね合い、仕事の全体像の理解

3)本当に「1/100」なのかどうか?
「集団的手抜き」
「集団思考」
追認 :「一度決まった事だから」「もうここまで終わったのだからいまさら・・」
遠慮 :「あのひとがやった事だから」「先輩がやった事だから」
手抜き 「一度チェックしているのだから大丈夫だろう」「先輩がチェックしたのだから」 仕事の全体像の理解がされているか?

*それでも「チェック」しなければならないなら、HPの記事に加えて。
「(すこしでも)違う眼」:環境・状況を同じくする人のダブルチェックの精度は下がる「時間差をおく」:時間差があれば「いっしょにダブルチェック」するよりいいかもしれない。

*何か人間工学的チェックは出来ないか?
エラープルーフのしくみを組み込めないか?(正しくなければ進まない仕組み?)
最後の段階をチェックする管理的仕組みをくみこめないか?
忘れていても気が付く仕組みを組み込めないか?

私達の病院でも「ダブルチェック」は看護部では「一応」行う事になってます、 が横から見ていると「ダブルチェックが目的」になってしまっているようです。 山内先生の言う「内容的ダブルチェック」には「程遠い?」ですね。 薬剤部の「ダブルチェック」は「事故問題」以前から実施されていて何とか 「部内」でのエラーの発見・修正がうまく機能しているようです(ゼロではありません)。 これは上に述べた「時間差」と「別の眼」が機能していることと(看護婦と違って)「仕事に比較的集中できる」ことが原因かもしれません。

 一番うまくいってないのが「病院の管理部門」かもしれません。 その典型が廻ってくる「稟議書」の(○○部長ー××副院長ー△△副院長ー院長ー理事長などという)ハンコの押す箇所の並んだ書類ですね。 ダブル、トリプルどころか・・・(それより多い数はなんていうんだったっけ)。 まあ、まわってきたら仕方なく判は押すけど本当は、誰が責任もって見てるんだろう?と思ってしまいますね。

あっ、まずい。こんな事書いてしまって。これはあくまでも「例え」ですよ。

(4月ですから新人には「ダブルチェック」よりも)「知らない事は知らない、出来ない事は出来ない、という躾」 (ヒューマンエラー小松原明哲)が大事ですね。
 
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