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Chapter.11.「あなたは上司や同僚の誤りをどう指摘しますか」において航空会社は事故の防止とチームパフォーマンスの向上を目的とした CRMトレーニングのなかでアサーション(コミュニケーション)トレーニングを行っていることを紹介しました。 (同じジェット旅客機を操縦する資格を持つ)副操縦士の40%が機長に対してものを言いづらいと感じていること、そのことがクリテイカルな場面におけるチームのパフォーマンスに悪影響を及ぼしていることが明らかなことから、航空界が真剣にこの問題を始めとしたヒューマン ファクターに取り組んでいることは一昨年のCRMセミナーでも学んだとおりです。 資格の違った職種のいりまじった医療の現場では全く同じとは言えませんが、上司や同僚(場合によっては後輩)のエラーを発見したとき (検出)「直ちに」「適切に」指摘できているでしょうか?またそのための教育がなされているでしょうか? いや、もっとはっきり言うと「何故エラーの指摘ができないのでしょうか?」 それを調査した研究[1]があります。今回はそこから少し紹介します。 「チームエラーの回復過程」しかし・・・ 私たちはたった一人で仕事をすることはまずありません。殆どがチームとして作業をおこなっています。集団で作業をするとパフォーマンスが 向上し、時間的にも作業がはかどります。しかし一方で集団の作業には、集団的浅慮、リスキーシフト、過度の同調、社会的手抜きなどの マイナス要因も入ってくることは前に述べたとおりです。(chapter ) 私たちの現場ではチームとして仕事をする過程で、発生したエラーを、別の誰かが検出(発見)し、エラーの生成者に対してそれを指摘し、 エラーの生成者が訂正する、という「エラーの回復過程」がうまく機能していれば、事故につながる前に回復することができるはずです。 しかし、1977年のテネリフェの事故がそうであったように、また1999年の横浜市大の事故がそうであったように、「間違い」に「気がついていた人がいた」 「疑問を持った人がいた」にもかかわらずに、エラーの指摘が十分になされず、事故に結びついてしまうことはしばしばあるようです。 何故「エラーの回復過程」がうまく機能しないのでしょうか? 図は「エラーの回復過程」(Sasou &Reasonの原図を森永らがわかり易くしたもの)です。あの「chain of events」のようですね。 何故エラーの指摘ができないのか 1)アメリカでの実験例 「ER」などをみている限りは、そうは感じないのですがやはりアメリカでも医者は「偉い」のでしょうか、こんな実験があるそうです。 医者を装った(心理学の)研究者が、患者の処方に関して極めて非常識な薬量の指示をだしました。どんなにクレームがくるかと思った らしいのですが、なんと95%の看護師がそのままその指示に従って投薬準備にはいったそうです。アメリカでも「こう」なのです。まして日本では・・・ 2)日本での調査 北九州市立大学の森永らは、「エラーの指摘を抑制する要因」を413名(複数回答あり)の看護師にアンケート調査しその結果を2003.3.に発表しています。 それによると他のスタッフの間違いや失敗を指摘することには困難を伴い、このことがエラーの修正・回復を困難にしているそうです。 詳細は原本(北九州市立大学文学部紀要)をあたっていただくこととして集計結果の要約は以下です。
このアンケート結果から、これまでの連載「アサーション」、「コミュニケーション」、「コンフリクトは必要だ」でのべてきたと同様のことが 「考察」として指摘されています。 そのなかで最も多かったのが「間違いへの確信が持てない」でした。エラーを検出しても、さまざまな理由によりエラーかどうかを判断することが 出来ずに、指摘が抑制されている、というのです。つまり、エラーの検出から指摘のまで間には、エラーかどうかを確認する「確証」という プロセスがあり、そこが引っかかっているらしいのです。 この(「確証」という)プロセスにはさまざまな情報や知識が必要となるにもかかわらず、医療現場ではそれを「共有」するシステムが不十分なため 「エラーへの(主観的)確信」を持つ事が抑制されてしまい、逆に「自分のほうが間違えているかも」とか「あの人のことだから (何か考えがあったのだろう)」という「他者への過信」も確証を抑制する原因になっているようです。 この他に指摘を受けるものとの「地位関係」もエラーへの確信度に影響し、指摘を抑制する傾向になるといいます。また「今後の人間関係の悪化」 を心配、などという背景にはエラー・事故に対して「あってはならないこと」とタブー視することや「エラーとその背景要因を共有する」ことに対する 意識の低さがあげられています。詳しくは原典にあたってくださいね。 「エラーの指摘を促進するために」 そして、「エラーの指摘を促進するための」対策として以下の提案がされています。 1) エラーに対するタブー視をやめよう。事故防止のためにエラーの共有が必要だ。 いまさら「人間はエラーをするものだ」などとIOMの引用をするわけではありませんが、「エラーを組織として共有する」という組織の方針を明示し、 エラーに対するタブー視をしないことが、エラーを共有し、回復のための指摘を促進することになるというのです。エラーも「単なる(しかし重要な) 情報のひとつ」などというと言い過ぎになるのでしょうが・・・ また「患者の前で・・」もエラーをタブー視しない、という原則から考えると何の問題もないようです。「患者の不信感を生む」からという「抑制」 はかえって間違いであることもわかります。 2) エラーかどうかの判断に関する情報知識、情報の共有が必要だ。 仕事そのものに対する正しい知識と同時に医療現場では情報と認識の共有ができていないことがあちこちで指摘されています(これについては別稿) 3) 対人関係を気にせずエラーを指摘するためのコミュニケーションスキルの研修が必要だ。 このためにはアサーショントレーニングが有効といわれています。一部の病院ではもう行なわれています。 「アサ-テイブ」であることは「他人の権利をそこなわない」で「自分の権利」を主張する事ができるというものです。エラーをタブー視せず、 このスキルを活用することでエラーの指摘に対する抑制を軽減し、受け止める方も指摘を「サラリ」と受け入れることで「チームエラーの回復過程」 を促進しよう、というものです。 ただ、組織全体ですることが必須で、一部のものが「アサーション」技術・知識をもっていてもだめなようです。下のものの指摘を、 上司が受け止められないと、「なまいきなやつ」となるでしょう。そうすると、出来るものもアサ―テイブでなくなってしまう、といいます。 もっともだいじなのはやはりトップの態度です。いちばん「指摘される側」がアサ―テイブでなければやはり、単に「生意気なやつ」となってしまいます。 「人事考課?」も下がるかもしれません。逆にトップも同じ研修をうけている、となるとまわりの見方も、組織の雰囲気も変わってくるに違いありません。 それにしてもJASCRMなどの「Assertion/Inquiry」「Conflict resolution」を含んだコミュニケーション教育は進んでいるなー。 Assertionを「安全への主張」って「訳してしまう」くらい明快だもな。 柳田邦男さんにいわせると「(医療界とは)30年違う」ということだ。 ところで ・え!?ぼくに対するアサーション(エラーの指摘)ですか? 機嫌のいい時に、節度を持って、控えめに、やってくださいね。そうでなければむきになって怒鳴りまくるかもしれませんよ ・え!?あのひとに対するアサーションですか? 闇夜で後ろから○○○ンとやるよりしょうがないんじゃないですか? やれやれ「エラーの指摘」「アサーション」は大変です。 「医療事故防止とアサーショントレーニング」は次回とします。 いかがでしょうか? この連載に対するご意見、ご批判、お叱りをおねがいいたします。 また、リレー連載の仲間に加わっていただけるともっとうれしいのですが。 今回は以下の文献を参考にしましたが、いつもながら内容を十分に理解できているわけではありません。きっと思い込み、早とちりなどがあると思います。ぜひご自分で原著にあたられることをお勧めします。 森永今日子 「医療事故防止におけるチ−ムエラ−の回復に関する研究(1)エラ−の指摘を抑制する要因についての質問紙調査による検討」北九州市立大学文学部紀要(人間関係学科)、10,55-62. また上記に関連した医療現場への提案として同著者による以下の論文もおすすめします。 看護2004年2月号(vol.56,no.2) 特集医療事故を防ぐために「コミュニケ−ションエラ−」「エラ−回復」という概念/山内桂子 のなかの (1)エラ−回復(エラ−の検出・指摘・訂正)とは 集団における心理特性の視点から (2)調査報告 看護師はなぜエラ−の指摘をためらうのか 質問紙調査の結果から [1]森永今日子 「医療事故防止におけるチ−ムエラ−の回復に関する研究(1)エラ−の指摘を抑制する要因についての質問紙調査による検討」北九州市立大学文学部紀要(人間関係学科)、10,55-62. | ||||||||||||||||
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