番外その6 「Fresh Eye」(フレッシュアイ)私の経験
 

「思いこみから脱出したり」「チームとして最悪の決断をしない」ためにteamに「fresh eye」が必要なことは前から何度も書きました(chapter19や番外「あなたも当事者に・・」などを読んで下さい)。例としてTMI(スリーマイル島原発事故)などを出しましたが、身近?な例としてこんな事も「Fresh Eye」といえるのではないでしょうか?「自験例」です。

「明け方」の手術
(もうだいぶ昔のことです)
 その夜(といっても明け方)、先輩の外科医と(特殊な)銃創で出血性ショックの患者さんの手術をしていました。開腹し出血源を探し出してショックを離脱したいのですが見つかりません。真っ黒な血液はガーゼを束にして上から手で押さえつけておかなければ後腹膜の方からわき出してきます。患者さんは半分死んだような状態。麻酔医は看護婦と二人で輸血のバッグを押し急速輸血を続けてくれていますが追いつきそうにありません。時間が過ぎても同じ状態を繰り返していました。術者の僕は間違いなくパニックになっています。「出血点」と思われるあたりにやみくもに針をかけ始めました。何本目かの針を掛けた後、少し出血が少なくなったような気がしました。「よし!」とまたその周囲に針を掛けます。そうこうしてやっと出血が止まり、創を閉じることができるようになりました。朝の5時過ぎだったでしょうか。

 ところが、患者さんを覆っている布をはがしたとたん、真っ青になりました。左足が冷たく、色も真っ黒になっているのです。「必要な血管を結紮してしまった」「手術はやり直しだ」「人工血管の用意も」疲れきった身体と頭にそんなことがよぎりました。

 「もう一度・・・」と言いかけたとき、先輩が「なあJ、頑張りたい気持ちはわかるけど、チームを代わろう。もう少しでみんなが来る。疲れきった俺たちがやってもだめだよ。チームを代わってもらおう」とアドバイスしてくれたのです。

 1時間以内に朝の回診前のカンファレンスに皆来るはずです。手術のチームが途中で代わってしまうなどということは、普通はないことですが、当時、私の所属していた組織では(雰囲気がオープンで)特にわだかまりもなく行うことが時々ありました(時には他科の「○○をちょっと呼んで手伝ってもらおうか?」などということもしばしばでした)。

 30分ほどして、「おはよう」と現れたあるグループのチーフにわけを話してたのみました。患者さんを観察したそのチーフの判断は「うん。いいよ。でも一時的な圧迫による可能性もあるから、しばらく観察してから(再手術するかどうか)決めてもいいんじゃないか?」「とにかくみんなが来るまで観察していても大丈夫だよ」というものでした。

 まもなく開かれた朝のカンファレンスではそのチーフの言ったとおりの結論となり、再手術は行わないことになりました。数日後には下肢の色も血流も左右の差がなくなり、患者さんはその後大きな問題もなく退院しました。

 この朝、僕の頭は間違いなくパニックになっていたに違いありません。「突き進む」という選択肢しか考えることができませんでした。(橋本邦衛教授の)意識のレベルでいうと「フェーズW」でしょうか。サーカデイアンリズムとしても最悪の時間帯の判断です(マーチン・ムーア・イード「大事故は夜明け前に起きる」やこの連載「疲労を科学する」をみて下さい)。おまけに身体は(若かったので自覚していないにしろ)くたくたのはずです。あのまま再手術へ突き進んでいたら泥沼となり、患者さんは多臓器不全でなくなっていたに違いありません。

 朝のカンファレンスよりもずっと前に病棟に現れたあのチーフの「眼」がパニックと疲れ切った当直チームにとって「Fresh Eye」だったといまでも思い出します。

 また「チームを代わろう」と朝まで一緒に手術をしながらアドバイスしてくれた先輩の外科医(チーフよりも年齢も立場も「上」です)も「Team Resource Management」(あるいはCrew Resource Management)として最高の判断をしてくれたのではないでしょうか?

 また、「そういうことが許される組織の雰囲気」であったこともきっと影響しているに違いありません。

(注:現在では出血部位の確認法や血管損傷への対応法は進歩してきていますのでこのようなパニックになることは殆どないと思います。昔のことです。あっ、齢がばれてしまう!やばいやばい)

「別の眼」は「別のことに気がつく」:言わせる雰囲気・「口に出す癖」がチームを強くする?
 上の場合ほどじゃなくても、遅れて現場に入った人の方が問題点に気づく事が多い事は昔から言われていますね。「岡目八目」とかですね。救急室などでも少し遅れて手伝いにいった者の眼のほうが、いったん外から全体像を把握してから中に入るようなことになるため、結構正しいことがありますね。

 ところが「後から来て余計なことを言うな」とか「遅れて来たのにうるさい」とか「俺たちは最初から頑張ってこんなに大変だったのだ。(だから今のやり方が正しいはずだ!)」などという気持ちにならないとは言えません。またそれに対して、遠慮したり「チームの和」のために「口をださない」事だってあり得ます(最悪の場合「あとから私はこう思っていたのに」などということになります)。

 こんな時必要なのは一昨年のCRM-HFCセミナーでお話しした「コンフリクト・リソリューション」「team building」「use of resource」などといったスキルと考え方を活用することでしょうか?(記録を読んでみて下さい)また個人としては「積極的よそ見」をして周囲を把握したり、注意の集中の30%ぐらいを自分を見る事(「自分の管理」)に割当てるようにするといい、といわれています。・・・でも難しそうですね(航空界でも「心はジャンプシート」などという言葉もあります。訓練に訓練を重ねたパイロットの世界でも敢えてこう言っているのですから「難しい」、という認識なのでしょうね)。

 また「Fresh Eye」の立場?で発言する場合にも、(いくら雰囲気が良くても)タイミング、言い方、節度が必要です。相手の人格を否定するような表現、技能を疑うような表現は絶対に避けなければならないといわれています。

 後から遅れて参加したあなたには(「岡眼」ですから)全体像が見えやすいのです。最初から「その状況」にいた人には(何人いても)見えないことが見えるかもしれません。しかし、あなたが格段に優秀だから「見える」のではありません。今まで学んできたHFsからも理解できるように、「立っている場」がほんの少し違うだけなのです。明日は逆かもしれません。

 まあ、時には「一喝」も必要だと思いますが(笑)。

「手が代わるとうまくいく」?
 手術的な手技や処置をしていて、部分的にどうしてもうまくいかない時というのがあります。そういうときに「ちょっと手を代わってもらう」とすんなりできることがあります。日常的な「うまい」「へた」とは関係なくです。こういうことも「口では説明できない」「fresh eye」の様なものでしょうか?

 内科的な診断や治療の経過でも同じ様な気がします。あまり自分の意見や判断を言わずに「そのまま見てもらう」「相談する」と案外新しい展開が開けるかもしれません。「あっ、そうか!」という「正解型」結論にならなくとも「違うと思うけれど、そんな考え方もあるんだ」と少なくとも自分の為にはなります。また、時々(相談した患者さんのことを)覗いて、口をだしてくれる(いやいや「アドバイス」してくれる)かもしれません。


 僕の場合、最近すぐ「手を代わって」と「押しつけちゃう」傾向があると時々言われます。「押しつけているんじゃない。これがTeam Resource Managementだ」と説明しても誰も納得しないだろうな・・・(半分冗談です)

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