番外25 「ダブルチェック」再考
 

 「誰かが間違えたって、誰かが気づき、指摘し、誰かが修正すれば事故には結びつかない」
 「しかしその過程を阻害する要因もある」それを考えなくてはならない、

 というのがSasou & Reason の「エラーの回復過程」の話だったと思います。
そして、「気づき」「指摘」「修正」をする最も身近な手段が「ダブルチェック」ともいえます。

(1/10)×(1/10)= 1/100

「10回に1回 間違える人が二人でチェックすると0.1×0.1=0.01、つまり100回に1回のエラーになるだろう」というのが「ダブルチェック」が想定(期待)していることです。

例えば 
 R1,R2,R3それぞれの単体での信頼性が90%、60%、30%とすると、それぞれが並列の関係とすると
   R1+R2 の信頼性は96%、
   R1+R3の信頼性は93%
   R1+R2+R3の信頼性は97.2%、
   R1+R1+R1の信頼性は99.9%、となる(並列の場合)
  (「右手に論語左手にヒューマンファクター」システムの多重化などから)

 ところがこれは「機械系」の多重化の話、純粋な機械ならそうなるという、もともとは機械の信頼性理論?の話です。  とすると「人間系」にもそのまま使えるのか?そこに人間の「特性」が影響してこないか?という疑問が当然もちあがってきます。

今回はダブルチェックが期待(思惑)どおりに働かない理由を考えてみました。

 ここでは仮に 信頼性90%のR1さんと信頼性60%のR2さんの間での「ダブルチェック」を考えてみます
 (ただし失敗率が本人をはじめとした周囲の影響でいつも変動していることは省略してあります。
 また両方とも「人」ということで考えていきます)。

  *「ダブルチェック」などといってもこんな疑問が湧いてきませんか?
        「誰がチェックするの?」「AさんのをA’さんが?」  
  「状況を同じくする二人は似たような「眼」になっていないか」
  「同じ思い込みで「チェック」?」
  「いったい何を?」チェックするのか?「同じ工程の繰り返し?」
  「構造的」「表層的」照合?「定型的」「非定型的」照合?
   (「定型的」照合にしたほうが「楽」だが・・・)
 
 
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A.「 ×(掛ける)」 とは?

     結局どんなチェックになるか(するか)ということです。

*ダブルチェックには山内(桂子)らによると3パターンがあります。
     
A.時間差型二人が時間を置いてチェックする。
当院でいえば薬剤部の調剤と監査の関係が代表的。そもそも医師の処方の指示から投薬までのチェックがダブルでもありトリプルでもあるわけです。
B.役割分担型複数の確認対象に対して役割を分担。
読む役と見る役(輸血パックの血液番号の照合・確認)、手術室の確認で「術野」のガーゼや針の数と「外」の数を合わせる。
(例えば、「術野」6で「外」4 ならOK。付き合わせる)。薬剤部の調剤と監査役は「分担型」でもあるわけです。
C.同時型二人で同じチェックをする。
病棟での薬のチェック、点滴の混注のチェック。「○○という薬をします」「はい、○○ですね。OK」
 
  *クロスチェック、チェックバック
    「ちがう切り口で」チェックするということ。
「ダブルチェック」とは違うチェックになる。
 人でやるか?ソフトか?ハードか?の違いはあっても、リチェック(一人でチェックを繰り返す)、ダブルチェック、よりも有効といわれています。

チェックバックは逆からのチェックです。
これも単純なダブルチェックより有効。
 
  *R1さんと、R2さんの並び方
     チェックの仕方が並列?直列?(信頼性理論) 二人(あるいは機械)はどんな並び?時間差? 「安全確認型」か「危険発見型」か?
 
  *業務の区分けとオーバーラップ、俯瞰
    「責任」の有無とは別に自分の周囲を見る、意識のなかで自分の守備範囲を少し広げる、他人の仕事も見る、他人(同僚)の仕事に関心を持つ、
自分たち(チーム)の仕事の全体像を把握する。つまり仕事を一段上の視座からみる(俯瞰?)ことができるか、ということも大事です。

 
 
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B.チェックする側の問題

@チェックする側の気持ちもいろいろ(社会心理学的問題)
    二人、あるいは集団で何か行う場合、「みんなでやれば力が〇〇倍になる」というような、良いことばかりではありません。
人間の社会心理学的特性もダブルチェックに影響するようです。
 
     
「社会的手抜き」
みんな(二人)でやると自分の責任、影響力が不明なため「全力」にならない。極端なのは「誰かがやるだろう」、
前の人がやったのだから大丈夫だろう(だから自分のチェックは手を抜く?)
「自己検閲」
ちょっと変だなーと思う。しかし、自分のほうが間違っているのだろう、と無言
「同調」
ほかのだれも「NO」と言っていないのに、自分だけ「NO」とは、いえない「みんなこれでいいといっているんだ。
早くしろよ!なんていうのも同調圧力
「傍観者」
誰かが言うだろう、するだろう。
「斉一性」
全会一致の圧力、「我々は皆同じだ!」「われわれに意見の違いなどありえない」
「追認」
「一度決まったことだから」「もうここまできたのだからいまさら・・」
「遠慮」
あの人がやったことだから、先輩がああいっていたから、言えない
「過信」
あの人がやったのだから大丈夫だろう
「手抜き」
「一度チェックしたのだから大丈夫だろう」「先輩がチェックしたのだから」
 
  A否定するだけの知識・経験が不十分
    十分わからないと「意図」「計画」「実行」「結果」のプロセスを考えることなく、きわめて形式的・表層的チェックだけでおわることが多い。
「やっと工程をおわったひと」と「やっとチェックをしているひと」ではだめです。
 
  BTAG(権威勾配)
    上司の仕事を部下がチェックする、などはだめ。ダブルチェックになりません。指摘できない、指摘するにしても指摘のタイミングが遅れがちです。
 
  Cタイムプレッシャー
    全体の経過に影響するのはやはり「タイムプレッシャー」。確認行為などさっさと終わらせたい、のが本音、
「何時も大丈夫だからよいことにするか」(思い込み)は論外としても「時間」に迫られると「ええい!GOだ!」となってしまいがちです。
また実際に時間に迫られると誰でも間違えやすいことが想像できます。
 
  D「ダブルチェック」が事故やエラーを誘発している?「俺だって暇じゃないんだ」
    医療現場でチェックを専門にしている人などなかなかいません
(薬剤の「監査業務」は例外?)。
自分の仕事を中断して他者の「確認行為」を要求される「人」のワークロードの負担が馬鹿になりません(→自分の仕事が抜ける? 自分の仕事に戻ったとき、「はて、何をしていたっけ?」となりかねなません。 僕なんて話し掛けられただけで、もとの仕事がどこまでやったか、すぐもとにもどることができません)わざわざ中断時のマニュアルみたいなものまで作られたりします。
ダブルチェックを(臨時で)求めるほうも自分の仕事がほかの人のエラーを誘発しているかもしれない、ということを意識する必要があります。
システマチックなダブルチェックならよいのでしょうが・・・(山内先生のいう時間差型がシステムに組み込まれている)

「医療安全に患者の参加」といいうのも聞こえがよいのですが、患者さんに要請する場合は「説明」から必要になります(結局患者さんとは情報の共有、という点が本当に難しい)。
例えば、患者さんのほうは毎日、毎日「名前を言わされる」。患者さんにしても「事故防止だからしかたない」と考えるか?(模範患者)、
「馬鹿馬鹿しく」て嫌になるか?「ちょっとからかってやるか?」と思ったりするかもしれません。 でも、そもそもこんなことができるのは「元気な患者さん?」だけです。
 
  Eダブルチェックが自己目的化?
    また、ダブルチェックに一生懸命すぎて本来の目的、本来の仕事がぬけてしまうことだってありえます。
「ダブルチェックはしたけれど、この人にこの薬、何のためだったっけ?」ではだめです。
 
  F「後(うしろ)のひと」に注意力の負担
    そもそも、資格を持った人間が、普通に仕事をしている場合、それほどエラーの発生率が高いわけではありません。
ということは、めったにないものを見つけなければならないチェックする人の注意力の負担は非常に大きくなります。
その負担を軽減するために、チェックポイントを絞るとか、工学的工夫とかが必要になります。

順番も大事です。R1の業務をR2がチェックするなどということは「掛け算」以上に危険です。
またチェックの数(人)を増やせばよいかというと3人をピークに信頼性は落ちるそうです。
(研修中の新人などの場合はかえって「(専任)見張り役」がいるのであまり問題になるトラブルは少ないと思います)
 
  G忙しいほどダブルチェックはしない
    また、本当に忙しいときはダブルチェックができなくなります。忙しいほどエラーが起きやすいと思うのですが、
とくに慣れた業務ですと意図しなくとも、形式的なチェックになります。「目」で見てはいるのだけれども見ていない、
復唱してはいるのだけれども「口だけ」という具合です。本来ルールベース、ナレッジベースですべきことをスキルベースでしてしまいます。
これは必ずしも「意図的」違反や「近道行動」とは限りません。ワークロードが大きく、スレットが重なり、
タイムプレッシャーなどがかかっているときなど、「つい」抜けてしまうのです。

*(良好事例―挽回事例)としてオリエンテ−ションでお話したのは2005年と2008年1月の新千歳空港での(使用中の滑走路に進入してしまった)インシデントです。
機長も副操縦士も吹雪や視界、hold over timeなどでワークロードが大きくなっている、タイムプレッシャー(スレット)がかかっているときに管制の無線を「期待をもって聞き」、 それを復唱(ダブルチェック)しないまま滑走を開始してしまったのが直接の原因でした。
オリエンテーションでは、”エラーはしたが、きちんとシステムが機能し、最初にエラーをした人もその後desired actをし「事故に至らなかった良い例」”として紹介しました。


 
  C.「”人の注意力”×”人の注意力”」の限界を補う工夫が必要

1.H(Hard)の側から
(フェイルセーフ,フールプルーフ、アフォーダンスなど)人間工学的防御・労働環境の改善も重ねる工夫が必要です。
 でなければ、ただの「安上がり」の安全策になってしまいます。
 (安全策として「ダブルチェックをしなさい」とルールだけを決める、とか「ダブルチェックをしなかったから」という非難だけをするようなことです)

@機械が得意なことは機械に任せる
    「或る条件ニ限る」といったチェックは機械の方が効率的だし、向いています。
たとえば、人工呼吸器などの設定などには或る程度以上の「変な設定」には警告が鳴る、といった設定がなされています。
これとて、ある程度までは「変な設定」でも「enter」を繰り返せば入力されることになりますし、患者さんの大小などもありますので完全に安全というわけではありませんが、
機械がチェックしていることになります。
 
  A人間の認知を助ける
    たとえば視覚を利用することです。ダイヤルや針の動き、値が「正常であればいつも上を向いている」ようにする(デジタルでも同じような考えで表示をすることは可能)。
正しくなければ視覚的に「ずれが生じるもののおき方」などもおなじことです。
異常は「光刺激」(当院でも放射線科などでの工夫)などでチェックの認知的負担を軽減することが可能になります。
そのほかにも同じ注射剤で複数の含量のものを採用しないとかです。
昨年のオリエンテーションで例に出した「新千歳」のインシデントも離陸の指示がハイテクにまじった「古い無線」だけになっている、という現状を
空港の設備上の問題としても考える必要があります(テネリフェと違ったのは地上レ−ダ−があったことです)。
 
  B単純な仕事はできるだけ機械で
     数を数えるなどという単純な仕事は機械が得意(カウンター)です。
 
  C間違ったときのバックアップ
     仕事が止まってしまえばよいのですが、それが出来なきゃ、音で知らせる(アラーム)など

 
  2.ソフト、運用の工夫
    チェックリストを使用する。先輩や同僚の頭の中の「知識」に依存するのでなく「リスト」でチェックしてもらうことも確かさを増します。 ただ、現場の実情に合わないチェックリスト項目の増加は「違反」「近道行動」を誘発します。

「先輩に指示して○○をしてもらう」なんていうのも「する」段階で先輩にチェックされるので効果的なダブルチェックになるかもしれません。

自分が行ったことを先輩・上司がチェックするルール(時には「ばかやろう!」なんておこられるかも)、この順が逆だとチェックの効果がさがります。

PNF(=PM パイロットモニタリング)の概念のように「指示してやらせる」・・・自分は「モニター」というのも有効なダブルチェックになりそうです。
このとき「自分でやった方が早い」などと思うのはだめです。

Sterile cockpit rule [1]雑談禁止、チェックしているときはその人の邪魔をしない。これは薬剤の監査業務、輸液の混注業務(病棟でも薬剤部でも)、などの日常業務でもおなじです。
ある業務をしているときには話しかけてはいけない、その業務以外の会話をしてはいけない、ということです。これはチェック以外でも大事なことです。
 
  3.システムとして日常の業務に「チェックされる仕組み」を組み込む
    申し送り、カンファレンス、ブリーフィングだってダブルチェックになります(いじわるでなく、そういう意識が必要)。

「やった」次のプロセスは「クロスチェック」になるかもしれません。
流れ作業ではないが「前工程」のエラーや疑問をきちんと指摘し、修正する。
そして「後工程」にわたす、我々の現場で言うと「申し送り」なんかがその例だし「修正」のチャンスなのです。
(看護婦だったら8時間ごとに「修正」のチャンスがきていると考えます。「何故」と考え、疑問をこだわりなく口に出来る雰囲気が安全文化です)
「パス」という形でなく、治療や経過の流れ、といった全体のイメージを持つことも重要になります。

 
  4.チェックに人間の特性を生かす (全体像をみる、一段上のミッションからみる)ベテランの感(勘)性を生かす
    人間の特性を考えると人間の行うチェックは、表層的なチェックでなく、本当は「全体像をみる」ようなチェックが向いているような気がします。
自分の知識や経験、経験からの予測と「一つ上のミッションを思いやったチェック」(「そこで行われたこと」自体は正しいかも知れないが、 全体としてはどうか?違和感がある?というようなチェック)も人間でなければできないと思います。大先輩の「不安感(勘)」や「なにかしっくりこないなー」などという、 言葉に表せない「暗黙知」なども人間の優れた特性なのです。


しかし、「行う」最後は自分。せっかくここまで「無事」にきたプロセスの最後に失敗するのも、最後の最後にスイスチーズの「穴」を通り抜けてきた「危険」に気づき
ブロックするのも自分かもしれない、という緊張感は必要です。そうでなければスノーボールモデルのようにかえってエラーの拡大を招いてしまいます。
自分自身のPSFを整えておくことも必要です。

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  D.ダブルチェックもただではない(厚労省をダブルチェック?)
    なにかあると「ダブルチェックをしていない・・・」と経営者、管理者、お役人、マスコミは現場を非難します。
しかし、ダブルチェックにも本当はコスト(負担)がかかることを経営者・お役人・メデイアは認識すべきです。二人がかかわる、ということはその分「ひと」が必要です。
その分の「ひと」は確保されているのか?という問題はいつもおいてきぼりです。人がいないところで仕事をし「ダブルチェックを」と言ったって・・・・ということになります。

医療経済において、経営的に許される「人的資源」だって「有限」です。
「おまじないのようなダブルチェック」でなく効率的ななんらかのクロスチェックは必要だと思いますが、それを人的・経済的(ハードも)・時間的な保証なしに要求するのも無理なのです。
何といっても医療は「定価(低価)販売」です。その「定価」は毎年言いがかりのような理由で下げられています。
業務コスト(負担、安全要求も?)が増えているのに「定価」は「低下」、すると行き着く先は「質」(人も含めて)と「量」(供給)の「低下」です。

あのホーキンス機長の「SHELモデル」は単なる分析ツールではありません。
「そこで働く人間が活き活きと働き、かつエラーをしないようなSHELをつくる」ことを目指しているはずなのです。


「事象の連鎖」の上流こそ考える必要があります。

「安全」にはコストがかかります。もちろん「事故」の何十分の一もかからないのですが、大きな事故がおきなければ管理者も現場の人間もそのことをなかなか理解することはできません。
「通達」ばかりでコストを負担しないお役人のいう「医療安全」はかえって現場の負担、疲弊のもとになっています。

*          *         *

 
  今回は「ダブルチェック問題」を再度「考えて」みました。とはいっても、私たちに心理学や人間工学、信頼性理論などの知識・素養があるわけではありません。
聞きかじりのような知識とほんの僅かの経験で「問題」を分類してみようと思いましたがやはり手に余りました(笑)。ただただ、思いついたことを羅列しただけになりました。
ここで述べたような「ダブルチェック」の「疑問」を職場で発言(限界を言っているだけなのですが)してみると
「じゃあ、どうすればいいんだ?!」と短絡的に(少し感情的に)「正解の提示」を求められます(私達もそれを知りたい。苦笑)。
「すべてを否定する」わけでも、「すべてを肯定する」わけでもありません。ただ盲信してはいけないと思うのです。

この項も、いつものように間違いなどたくさんあると思います。「ここちがっているよ」とかの間違いのご指摘、ご意見などをお願いいたします。
読まれた方からの「ダブルチェック」をお待ちしています。掲示板でもメ―ルでもけっこうです。

   
*          註         *


[1]航空のsterile cockpit rule とまではいかなくとも、やたらと確認行為を要請されたり、確認のために言葉をかけられたりすると、 本当に僕の場合自分の仕事が抜けます。
たぶん他の人も同じだと思います。優先順位を考えたり、「気遣い」というのも案外大切です。
チェックではありませんが手術などで、もっともポイントのところ(リスクがあり集中度が必要なところ)でも同じですね。
(当院の手術室なんか「明るい」というか「騒がしい」くらいで・・・それはそれでいいのですが)

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「何が出来たらOKか」を「共有」する
 ダブルチェック(「確認作業」)が目的化してしまってはいないでしょうか。
本当の目的(最終の目的)が分からないま、その場、その場の確認作業をしてしまい、大切なところを端折ってしまうことがあります。
小松原先生のいう「一段上の眼」での確認も必要なのです。
 「そっちはOK?」、「こちらはOK,確認しました!」という言葉を鵜呑みにしてしまう。何を、どのように、どこまで確認したか、を確かめずに終了。
 当院でも以前、非常電源のテストであったことです。(管理人 S-1)
 
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