組織の隙間、意識の隙間(1)
 
SAFETY BIRD BANGAI
(ある病院でおこった出来事ですが、理解のために一部修飾しています)
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ケース「大腸内視鏡 内視鏡検査中穿孔、腹腔内にエアが注入された」

関係者:術者 消化器内科医A(専門医)
外来看護師、外来婦長、病棟看護師、応援医師B(心臓外科)、応援医師C(循環器科)、応援医師D(外科)

 4日前に、他院から検査依頼で入院した「るいそう」「消化管出血」の患者。
 後から考えると「この日」にこの検査が絶対必要だったかどうか?は異論があるが、病態的・医学的には内視鏡検査の適応があるケ−スである。消化管出血の検査目的で内視鏡室(外来看護室管理)でCSを行っていた。担当は消化器内科10年目の内科専門医。当院でも前任地でもGS,CSの経験は十分あった。(「うまい」かどうかは不明である。一般に「ベテラン」には転勤してきてから技術的チェックはされることがほとんどない。いきなり現場投入となる。しかし、これまで合併症をおこした「経験」はなかったようである)
 内視鏡検査を担当している外来看護師、外来婦長も内視鏡検査で「消化管出血がとめられず」外科に依頼、という経験はあったが、それ以外の合併症の経験はなかった。
 つまり、関係したスタッフ全員が「不幸」にもこれまで「うまくいった経験」しかなかったのである。

 いつものように何気なく検査は進んでいたかのように、にみえた。ところが途中から腹部が膨満してきたことにだれも気が付かなかった。内視鏡は視野が悪くなると、やるほうとしては視野を確保しようとしてエアを送り込みぎみになるのだろう。介助をしている看護師二人も同じ画面を見ているので、すこしお腹が膨らんでいるなとは思いながらも、時々あること、と画面を見やすくするため少し暗くしてある検査室の中で画面に集中してしまっている。「痛い」と訴えたことさえ「お腹が張っているから」と「処理され」、文字通り皆の「注意」が画面「一点集中」になってしまっていた。術者の内科医は視野が確保できずに「どこをみているのか」わからない状態になっている。ところがこのとき患者の腹部はさらに膨隆し横隔膜を押し上げ、弱っている患者の呼吸をさらに抑制していた。
 最初から「呼吸が悪いような患者」には装着されている酸素飽和度や心電図、血圧の自動モニタ−を「意識」しているが、一見「ふつう」の患者の場合、モニターは一応は装着するが、皆が内視鏡の画面に一点集中してしまうことがある。特に出血したり、対象物としての腫瘍などが見えていたときがそうだ。また、検査がスム−スに進んでいないときにもそうなってしまう。
 警報は鳴っていたのだろうが気が付くのがおくれた。「呼吸がおかしいです」(止まりそう)と指摘をうけた内科医はすぐに検査を中止したが、パニックになってしまった。内視鏡検査は多分1000例以上経験しているがこんなことは初めてだった。どうしてよいかわからない。指示がだせない。看護師は「○○さん大丈夫ですか?」と声をかけるが、患者は返事など出来ない。とりあえず酸素マスクをかがせ、やっと病棟の部屋につれて帰ったときに殆ど呼吸が止まってしまった。Aは呆然としてしまっていた。病棟の看護師は患者に声をかけたり、バッグマスクで呼吸を補助しようとしているが有効な補助になっていない。気管内挿管を行おうとしたが、緊急時の経験などなく、どうしてよいかわからない。酸素飽和度は見る見る下がる。
 日中なので人はたくさんいるが、ここでも皆、医師Aの(あるいは「誰か」の)「指示」をまっているだけになってしまっていた。
 やっと「誰か」が他科の病棟に電話をした「誰か来て!」。

 最初に駆けつけた医師Bは、何がなんだかわからなかった。でも、目のまえにほとんど呼吸が止まっている患者さんがいるので、直ちに力づくで気管内挿菅をして人工呼吸を開始した。ところが血圧は回復しない、ショックのままだ。「何があったの?」「どんな経緯でこんな風になったの?」と聞いても誰からも納得できる答えがなかった。ただ、内視鏡検査時におこったらしいことだけがわかった。ショックなのでとにかく輸液の指示を出し、急速に輸液が入れられ、昇圧剤も注入が開始さたが十分回復しない。そのままICUに運んだ。
 ICUに運ばれたところで、Cが応援にきた。ほぼ同時にあらわれた外科のDにパンパンに張った腹部を触りながら「ガスが消化管のなかであろうと、そと(腹腔内)だろうと、アブドミナルタンポ、とかコンパートメントみたいになっているんじゃないの?それがショックの直接の原因じゃないか。どうせ開け(試験開腹)なきゃなんないのだから、穿刺してみたらどうだろうね」、D「うん、そうだな。どっちにしても開け(開腹手術)なきゃなんないしな」と腹壁に2箇所、太いエラスタ−針を・・・・・・、「シュ−ッ」と勢いよくエアが噴出した。腹壁が柔らかくなり、血圧は見る間に回復、呼吸バッグを押す手も軽くなった。そして、そのまま手術室にはこばれた。

 原因は虚血性大腸炎の穿孔と思われ、穿孔(あるいは、それに近い状態)に内視鏡的に気が付かずに(小さな穿孔を内視鏡で確認するのは実際には難しいときもある)エアを送り込んでしまった事が原因とおもわれた。緊急手術で結腸切除となった。

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調査委員会は「チーム要因」に触れなかった

 こんなことは「ない方」がもちろんよいのですが、頻度は少ないにしろ、検査や手術を行っている限り、ある割合で発生する合併症といえます。しかし私たちがここでとりあげたのは、事後の対応の問題もまた大きいと考えたからです(術者の要因が一番大きい、とは思いますが、それだけではないのでは、と)。

 召集された対策(調査)委員会で話し合われたのはこんなことだったようです。

 まず、関係者からの聞き取りは、当事者と看護師長だけで、現場にいた他の看護師、病棟の看護師には行われませんでした。また内容も以下のように事故そのものに関することと当事者の行為に関することだけで、"チームとしての動き(チ−ム要因)"(L-L、L-E、L-S)などの要因に関することは、問題にされませんでした。「事象の連鎖」のように "連鎖"として考えたり、"エラ−の回復過程が機能したか?"という発想もまったくありませんでした。つまり、調査されたのは
1.医師の個人的問題点 技術 経験 性格
2.適応 時期が正しかったかどうか。
3.(直接原因について)テクニックの問題か?突き破ったのか、もうあいていたのか?
4.「事故だったのか?合併症だったのか?」
ということだけでした。

「運悪く?」誰にも合併症の経験がなかった

 確かに、術者は内視鏡の経験は十分ありましたが、いままで合併症の経験がなかった(運が良かった?)ので、知識として知っているだけでした(0.04%の発生率?)。そのため、いざおきてしまうとパニックになりその後の対処が全く出来なくなりました。自分に「おきる」とはまったく考えていなかったのです。頭の中でシミュレーションしたことすらありませんでした。その結果、術者である自分自身がフリーズしてしまい、穿孔した(可能性)ことを周囲に宣言(状況認識の共有)したり、人(たすけ)を呼ぶことさえ出来なかったのです。ついていた2人の看護師もまた合併症や急変の経験はありませんでした。

 しかし・・・この事故で術者個人の対応の未熟さだけをあげつらっても、今後の対策にはなりません。例え人(術者)を入れ替えても「ある割合で同じことがおきる」ことはいまどきのヒュ−マンエラ−の考え方からすると常識です。
 それよりも、チームで仕事をしているのですから、この時、チームとして十分機能していたかどうか、というもう一つの視点が必要です。「起こったエラー?」の発見、修正、拡大阻止、という"本来用意されているべき"チームワークが検査や手術、術後に十分機能していたのか?という考え方です。緊急時の対応の組織的体制も同じです。

事故・緊急事態を宣言できなかった主治医

 まず「事故」「緊急」を宣言すること。これがなければ「チ−ム」ができません。「黙っていても誰かが自然に助けてくれる」という体制が出来ていれば一番よいのですが必ずしもそんな体制は作られていません。ですからできるかぎり周囲のメンバーが状況認識を一致させる必要があります。まず、異常事態であること、緊急事態であることを周囲のメンバーに認識させることが必要でした。気の利くメンバーがいればそれだけで自分の役目を認識し動き始めることが出来ます。
 そのうえで、可能であれば「わたしはこう思う」と(とりあえずの評価)をし「こうなる可能性がある」(状況認識―予測)、「だから○○をしたい」となると、"チ−ム"が形成されます。


「一点集中」とチーム意識・機能

 この例では検査が順調に進まなかったこともあり、(看護師2人とも)本来の患者をみまもる、モニターするという業務よりも、内視鏡の画像のほうに意識が集中してしまいました。(意識は)「自分も術者」になってしまいました。呼吸悪化の発見が遅れた要因はそこにもあります。患者が動いたりした場合にも、異常とは考えずに(正常化バイアス)「静かにしてね。がんばってね」という対応でした。また今までの「経験」から「痛がることなどありえない」と思い込んでいるのでので、精神的な不穏だ、と現実を否定してしまいました。
 心電図と酸素飽和度モニターは装着していましたが「警報」に関しての記憶もあいまいです(音量を低くしていたか、オフにしていた?いつも誤報が多いので「聞いていない」?)。そして、暗い中で文字通り "チ−ム"全員が画面に「一点集中」となってしまったのです。"みんなの気持ちがひとつになると危ないこともある"ということはこの連載でも書きました。

 ふと、患者の変化に気がつき、あわてた術者がパニックでフリーズしてしまったあと、他のメンバーも"(誰かの)指示を待つ"という対応しか出来ませんでした。日中の院内ですので、だれかを呼ぶことが出来さえしていれば、呼吸がとまったりショックになったりという悪条件にならずに、手術にもっていけたはずです。ところが、誰もが「声」を出すことなく時間がすぎてしまいました。安全文化でいう柔軟な文化、つまり「組織の中での役割」に拘束されることなく、だれもが安全の側に舵をきるためのリ−ダ−シップをとるということが出来なかったのです。

 「ここから向こうは"他人(ひと)の仕事"」

組織の硬直化、意識の隙間(組織の隙間)

 確かに直接的には術者の技術的問題が大きいので、その点ばかりが調査で取り上げられました。私たちも、当事者の「技術的問題」を容認しているわけではありません。
 しかし、なぜたった一つのエラー(トラブル)が取り返しのつかない事故へとつながってしまったのか?と考えると、この例の背景にチ−ム意識の欠如・組織の硬直化を感じるのです。
 チ−ムとしての行動が出来ていないばかりでなく「私〇〇するひと、あなた▲▲するひと」という発想はなかったでしょうか?「私のテリトリー(仕事・義務)じゃないから」という無関心や消極性、「他人事意識(当事者の医師に対してでだけでなく患者の安全の確保ということに対しても)」はなかったでしょうか?
畑村先生の組織の隙間の図が浮かんできます。


 チ−ムをつくり、患者さんに対する治療行為を行っていく場合に、任務の分担は当然あります。「そのなかで自分は〇〇を主に担当している」ということはあります。しかし、「自分の責任分野以外であっても自分の懸念を伝えたり」「リーダーがパニックになりフリーズしてしまった」ような場合、当然誰かが代わってチ−ムの業務を継続するのは当然のことです。もちろん業務を引き続き遂行できるともっともよいのですが、そうでなくとも「安全な中断」で良いのです。"use of resource"ですから「助けを呼ぶ」「呼ばせる」というのも"代わったリーダー"としての立派な仕事です。

 こう考えると「定められた自分の受け持ち業務を少しだけはみ出す」ことでエラ−(トラブル)から事故・障害へ至る「鎖」を断ち切ることが出来た可能性があります。
 そもそも一時的にでも「私の仕事ではない」と判断してしまった(あるいは何も判断しなかった、のは何故なのでしょうか?

隙間に起こっていること

 私たちは毎日チ−ムで仕事をしています。この例にはその間にある「隙間」の大きさを感じてしまうのです(「壁」、という人もいますが「隙間」、のほうが実際の感覚に近いような気がします)

 その「隙間」におこっていることはこんなことではないでしょうか?

・気がつかない
1. そもそも考えない。関心がないので見ていない。
2. わからないので 異常に気がつかない。
・余裕がない。
1. 「他人」の分野までみる余裕がない。自分のことで手一杯
2. 自信がない・わからない:境界領域の知識が不十分
・手を出さない、口を出さないという判断
1. テリトリ−をおかさない:自分の口を出すところではない。譲り合い。
2. 過剰な信頼:きっと本人がなんとかする。
3. 責任は自分にない:いろいろ言っても自分の責任じゃないし、権威勾配。
・手や口を出しにくい。躊躇。タイミングの遅れ。
1. 遠慮
2. 指示待ち:そのうち誰かが指示するだろう。それに従う
3. 「まてまて」バイアス(既にある一腺を超えているのに「マテマテよく考えろ」と行動を過度に規制する。「正常化バイアス」という)
4. チームの指揮順位が不明瞭

 もちろん、どんな無責任な医療従事者だって、こんなことを考えてだまっていつづけるわけではありません。すこしするとやはり「気がつき」状況をそれなりに認識し何らかの行動を起こすのですが、その「遅れ」が結果に大きく影響することがあるのです。

 「完成された?(あるいは老化した)」組織はチーム、職種、個人のテリトリーも明確で業務の流れに無駄はないかのようにみえます。仕事は効率的で、時間も短くてすみます。しかし、その境界で何かが起きたとき、この例のようにその隙間が広がってしまっていることにあらためて気がつきます。

いかがでしたでしょうか?今回は「ある病院での出来事」を、理解のためにすこしだけ書き加え、修飾して考えてみました。この連載にご意見、ご教示をお願いいたします。いつもながら素人グループの雑文集です。「ここ変だよ」というようなご指摘はメールででもお願いいたします。



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註解

注1)
 術者の技術的問題に関して、特に(大学や他施設から移ってきた)ベテランに関してはチェックがされることは少なく、当院でも(人員に余裕がないこともあり)即、現場投入となります。内視鏡の検査ですと卒業後5年ほどで経験をつみますので大概のことは出来るようになります。この例でも10年目の消化器専門医ですので上席医もそのまま任せていました。

 今回の問題とは違いますが、移ってきたベテランと当該施設の「やりかた」との微妙な違いもトラブルを発生させることがしばしば、報告されています。ベテランの場合、殆どの業務は問題なく(明らかなトラブルが露呈しないまま)行われていますので、「その時」まで危険を内包したままとなります。時間のプレッシャーなどがかかると「つい」・・・。


注2)
「術者のフリ−ズ」で思い出したのが、もとラインパイロット内田トモキ氏の小説(新潮文庫)です。
機長が倒れたときの副操縦士の対応例:「機長さん大丈夫ですか?」と一々確認するのは間違いで、決められた問いかけに応答がなかったら「アイハブコントロ−ル(私が操縦します、の意)」と宣言、操縦(PFパイロットフライング)をとってかわる、ということがきちんと教育・訓練されています。本当に倒れたら「パイロットインコマンド(第一指揮順位)」というわけです。指揮順位が明瞭です。
 もちろん飛行機と違ってそんなに切羽詰っていないことが殆どですから、「声かけ」だけでもよいのです。その結果「術者」が「ハッ」と正気に戻ればいいのですから。

こんなときにその場を沈黙が支配したら本当に「お先真っ暗」です。


注3)
 「事故・異常事態を宣言できない」という例は意外と多いと思います。私たちの病院でもいくつか例があります。「自分が起こしたので恥ずかしい」と思ったり、「自分たちで何とかなる」と考えて後手後手になることが一番多いようです。「マテマテバイアス」(正常化バイアス)とでも言うのでしょうか。
 危機管理関連の文献によると、まず「周囲に宣言する」というトレーニングをすべきだといわれています。そうすることによって周囲のリソース(人や知識、情報)がそこに集中することになります。どんなにがんばっても自分ひとりの能力など限られているのです。「異常事態を宣言」して周囲のメンバーと状況認識を共有し、「提案型」の声かけをしながら「対処」をすすめていくことが必要なのです。そのときの「宣言」はオーバーインデケーションくらいのほうが良いともいいます。せいぜい、後でからかわれるくらいで済みます。
 日常的にも、何気なく人を呼んだり、助けを求めたり出来る組織の雰囲気をつくることが「安全文化」形成の第一歩なのです。


 
 
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