二人は危ない「本日のヒヤリハット」
 
――事例―――――――――――――――――――
人工呼吸器をつけている患者が同調しないので担当医が呼吸器を操作しながら、「塩酸モルヒネを5mg」と指示を出した。
そばにいた主任看護師が1mlのシリンジにモルヒネを10mg(1アンプル)吸引し、若い担当の看護師に「はい、5mgね」と渡した。
渡されたM看護師は「はい、5mgですね」と1ml全部注射してしまった。
この間、この間主任看護師はほんの少しの間、席をはずした。 (医者も「5mgだぞ」と念を押したが)主任看護師が戻ってきて「えっ! 5mgだよ、といったでしょ!」
医師の指示でM看護師は慌ててラインのモルヒネ(を含む輸液)を吸引した。血圧が下がったが、輸液で対処できる程度ですんだ。
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手伝ったのは「よけいなお世話」:
まずこの作業、基本的には緊急でないので一人で行なうべき仕事かもしれません(S)。 また、最初から業務上のル−ルとして二人で仕事を分け合っていたわけではありません。 たまたま、通りかかった「主任看護師」が「親切心で」手伝った、という関係です。 他の業務でも一人でやっているところに、親切から、手伝ったり口を出されたりすることは案外業務のリズムを乱しているかもしれません。 「親切でない」主任の場合は手伝いませんので(苦笑)、同じ仕事をしていても「口や手を出されたり、そうでなかったり」ということになりかねません。
同じようなことは手術室の場合によく見られるような気がします。 忙しくなったり(逆に、他の手術室が終わって「暇」になったり)すると手の空いた看護師が途中から入ってきて手伝うのですが、 手術の側(の看護師)を手伝うのか、麻酔の側を手伝うのかがはっきりしないことがしばしばです。 手術室は少し忙しくなると、だれかれとなく「あれをやって!」「これはないか!」と(叫び?)声が飛び交います。 当然、手伝いの看護師にも声がかかることになります。 ところが自分のスタンスはっきりしない上に、手術の途中経過も十分把握できていませんので、親切で手伝うのはいいのですが、仕事が中途半端になりがちです。 特に自分がやったことの確認行為がぬけがちになるようです。[1]

ちょっと知っていれば:
また本人に「モルヒネ」の(使用量、使用法、薬液量など)知識があれば、 「え!?ちょっと待て、この患者さんは老人で小さいし・・」と思えたかもしれません(Lself)。 また頻用する薬剤に対する教育がOJTばかりに任されていることも要因として考えられます。 (慢性的な人員不足はわかりますが)「まずは、現場に出て・・・」などという(管理者にとって都合のよい?)「教育」にも問題がありそうです。

確認会話:
「ふたりが考えていることは違うかもしれない」という前提での会話・確認行為でなければならないのですが、そんな意識はまったくありませんでした。 お互いに「○○と考えているはずだ」と思ってのやりとりになってしまいました(L−L)。 特別の確認会話をしなさいというのでなく、日常的な業務の会話を「誤解を生じにくく」かつ「確認行為」が含まれるようにする必要があります。(L−S)

正確なことば、用語の不統一、言葉に頼らない:
「この中から5mg」と渡したつもりがもらった側は「これが5mg」と思ったわけです。 (薬液の一部投与の場合ははっきりそれとわかるやり方が必要ですS)ですから「ハイ(これを)5mgね」と渡したときの、言葉は正確な使い方とは言えないわけです。 やり取りの「ル―ル」がない、といえます(S)。[2]
部署(手術室)によっては、薬液を溶解しシリンジにつめると同時に「何ミリグラム/何ミリリットル」 「何ミリグラム/ミリリットル」とシ−ルを貼るようにしているところもあります。 これは当院でもやっていますが、特に時間が掛かるわけではありません。[3]

言い方、上下関係:
言葉の抑揚、相手に過信させるような仕草にもエラーを誘発する要因はなかったでしょうか? コミュニケーションのほとんどは非言語的要素によって伝わる、ことを思い出して下さい(L−L)。 新人看護師が、先輩である主任看護師から「ハイこれ」と渡されているわけです (手伝ってくれてはいるのですが、受け取るほうにとっては「命令」のように聞こえるかもしれません)。 新人の側からあえて(思い込んでいますのでなおさら)「確認会話」はしにくかったことも考えられます。
以前FAAのHFサイトで「Phraseology」ということがあえて取り上げられているのを見たことがあります。 「言い回し」「言葉遣い」と訳すのでしょうがFAAが「あえて」取り上げるほど重要視されているということでしょうか。[4]

指摘を遠慮してしまった担当医:
担当医は横にいましたが(本当に5mgかな・・と、ちょっとうたがっていました) ところが確認するタイミングもつかめず、あれ?あれ?と見ているうちに10mg投与されてしましました。 「5mgだぞ」といいながら(作業を中断させて)「確認させる」行為が出来なかったのには遠慮がありました 「あんまり何でもがみがみ言っても・・」(L−L)というわけです。 これは「がみがみ」でなく確認行為なのですから、人間が本質的に持っている「嫌われたくない」という感情に囚われすぎてしまっています。

二人で行なう共同作業の落とし穴(ふたりはアブナイ):
当然のことですが、一人よりも2人のほうが、仕事の効率はあがります。一人ではできないこともできます。 ところが、2人で行ったためにうまくいかなかった、ということもたくさんあります。「二人は危ない」のかもしれません。

1)新しい仕事が増える:
一人なら仕事全体を自分でコントロールできます。自分のペースですから何に気をつければよいかも自分なりにわかっています。 それが、2人でする、となると、分業に伴う新たな段取りや手順が発生してきます(共同作業で発生する「プロセスロス」?)。

2)コミュニケーションが省略される:
また「二人」の場合、本来必要なコミュニケーションが省略される傾向にあります。 「接近共同作業」ほどなくなるそうです。この場合も「相手が確認してくれているはずだ」とお互いに量の確認を省略しています。 先輩看護師への「依存」「甘え」「過度の信頼」もありますし、後輩看護師への(言わなくともわかるだろうと)「過信」もあるようです。

でも、仮にこの間の会話を正しく「2WAY」で行っていれば近くにいる誰かが気づいたかもしれません。 「声を出す」確認行為は心理学的にも自分自身のエラーの防止に有効であることは色々なところで読みますが、 その他にチームでの仕事ですので「自分のしている仕事の現状」「考え」を発信していることになります。 「知識や記憶の外化」ともなりますし、「非公式なコミュニケーション」(情報の共有化)ともなります。 誰かが聞いてくれている、耳に入っているかもしれません。場合によっては横から(あるいは後から)「チェック」をいれてくれるかもしれないのです。[5]

「手を出さない」という奥の手:
もし、(作業上)可能であれば一人は手を出さないで見ている事(モニター業務)に徹する、あるいはすべき事を読み上げる、 というのがエラーの防止に有効といわれています。一緒におなじことをするのではなく「モニタ−業務」の重要性が最近重視されています。
例えば操縦室では、操縦桿を握っているパイロットはPF(パイロットフライング)といい、 無線などを担当するパイロットをPNF(パイロットノンフライング)と言っていましたが、最近ではPM(パイロットモニタリング)といい、 PFをモニタ−する重要性が強調されているようです。 また私達の世界でも一人が手順を読み上げ一人が執刀(確か特殊な剖検だった?) する、というのが、間違いも感染事故も少ない、というのを読んだことがあります(手順を読上げる側は、正しく行われているかをモニターする業務もあります)。
また「その手技がうまくいっているかどうか」ばかりでなく(一段高いところから見るようなことになりますので) 「仕事全体の流れ」も見(え)ることになります。その結果、危険要因に早く気がつき、チームとしての仕事の確実性も増すことになるようです。 「手を出さない」という「奥の手」と言えるかも知れません。

そうは言っても、親切な(うるさい?)先輩のあなたが、簡単に手や口を出さないで我慢していることが出来るかどうか、ということが一番の問題なのです。 あなたの「親切」(おせっかい)がエラーを誘発していることもある、ということも時々考える必要があるのです。

えっ?僕ですか?僕なら後輩に任せてとっとと消えてしまうかも・・・・・・ははは。
いかがでしたでしょうか?「ヒュ−マンエラ−ネタに事欠かない」当院の以前に出したケ−スを改めて考えてみました。 こんな小さな出来事でも考えるべきことはたくさんあります。このケースは発生の4−5日後に院内LANとsafety birdに掲載[6]しました。 小さな病院ですので「誰」というのはすぐわかります。 本人たちは「すぐネタにしてしまう」と不服そうでしたが、「いやいや、誰だか知らない(笑)が、この主任看護師とM看護師は医療安全に貢献しているんだよ」 といっておきました。
この連載にご意見、ご批判、ご教示をお願いいたします。



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註解

[1] 本当に忙しい時に手伝うことを否定するわけではありません。 でも、みんなのアドレナリンがカッカと出ているときに、仕事をきめてから手伝いに入るのでなければ、 あっちをちょっと、こっちをちょっとという手伝いになりがちだ、ということです。 それが新たなエラーの要因になることもある、といことなのです。まあ、バタバタしないのが一番良いのですが。 手伝う場合に一呼吸おいて、(前に掲載しましたが)全体像を外から見て、「手伝い」に入るのがよいかもしれません。

[2] 「半筒やって」を「3筒やって」と取り違えたようなことがよく例にでてきますが、肝心のところは、 「(仮に)電話(や無線)で話してさえも誤解が少なくなるような」用語を公的組織が決める(整理して推奨)ことも必要です。 各病院や各職種、部門が思い思いの用語をつくるとなお混乱します。 C.V.R.を「チャ−リ−、ビクター、ロメオ」とまではしなくとも良いと思いますが、基本的なスタンスは同じです。

[3] 松尾多加志先生らのいう「外的手がかり」やリマインダ−の一つだと思います。 これはこれで、何種類もの薬液を急いでシリンジにつめるときなど「貼り間違い」が生じる恐れがありますが・・・。

[4] 注の[2]、[3]に共通しますが、電話や無線(最近では院内PHSも多いので)でも誤解を生じない用語、言葉使い、言い回しを決める必要があります。 「電話指示は禁止」などということが様々なマニュアルにでてきますが、よほど人が余っている病院か、 よほど主治医が24時間不眠不休で走り回っている病院か、よほど人間関係の悪い病院?でなければできません。 現実に電話指示はやめられないのならば(無理に禁止すれば「違反」の誘因となります。 ウラで続けられる事になります)きちんとル−ルをつくる、ということなのです。

[5] 何かのプロジェクトをするような場合「大部屋のほうが仕事がはかどる」ということを聞きます。 これは、正式な会議や打合せとは別に、「非公式なコミュニケーション」(勝手に耳に入る、しかしやや不確実な) が四六時中続けられているからだ、ということのようです。 いつも「誰かに聞いてもらう」ことをあてにするわけにはいきませんが、ひょっとしたら・・・・ということです。

[6] 「Safety bird」は事故防止委員会HFグループの機関紙で月一回程度発行しているものです。


 
 
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