現実とともに進行したのは「主観(的事実)」、「客観」は結果?
 
続々 「主観的事故報告は無駄か?」
〜第71回日本心理学会のWSで感じたこと〜


「・・・・・だって○○だと思ったんだもの」 「だって、△△さんが何も言わなかったんだもの」 「同じ時間に並行してやっていたことも気になっていたし」 「久しぶりのデ−トに遅れそうだったから」などなど。 何かを起こした後の当事者の主張は「言い訳」「潔くないもの」として否定的に扱われる事が多いものです。 また、自分自身もそう思っていますから普通はあまり「言い訳」を主張しません。
 ところが「主観的報告」「言い訳」のなかにこそ予防対策にとって重要な情報がたくさんある、というのです。 第71回心理学会に素人ながら参加してみた感想です。

事故報告書に情報が無い(情報があれば事故対策はおのずからあきらかになる)

 「○○をした。それが間違いだった」というのはどんな事故報告にもでてきます。 それをつなぎ合わせると「事故の概要」は「理解」出来たような気になります。 しかし、何故○○をしたのか?またその後ろの何故?ということはどこにも記載されていないことがほとんどです。 その情報はまだ本人の心の中にあります。いや、ひょっとしたら本人自身も気が付いていないかもしれません。
 ある医療事故の研究者によると、事故が一段落してから事故調査に入ったときにまず気がつくのは、情報の少なさだといいます。 調査記録を読んでも再発防止の対策に結びつくような情報が殆どないことに驚かされるそうです (病院としてはそれなりに調査し「一件落着」したような時点です)。 分析以前に「何が」」「何故」(「誰」はある)という、対策を立案するのに肝心の事故発生の情報が(病院の)「報告書」では殆ど解らないというのです。

「誰がインタビューをしているのか?情報の収集をしているのか?」

私たちの現場のような場合、よほど重大な(世間的にも)事故以外は、 現場の上司やその部署の「対策委員」が当事者やその周辺にインタビューしたり、 「事実」を調べたりします。ところが現場の上司や対策委員は仕事の周辺の知識はあっても、 事故調査のインタビューの教育がされていたり、HF的情報収集を理解しているとは限りません。 (問題の含まれた)「現状」を容認(「こんなことは当たり前だ」と思っている)していたり、 当事者への「指導」「教育」とまぜこぜに考えていたりすることがあります★。 また、(話を大きくせずに)その場で解決策★をまとめようとしたりします。 ひどい場合には当事者に「注意」しておしまい、の場合もあります。

 「医療界では誰がインタビューしているのか?できるのか?」とは他産業の安全担当者からの指摘でした。 残ったデ−タや記録から「○○となった」その次に「○△となった」ということは時系列で解ります。 ところが、「何故?」を知っている、あるいは、さらにその上の「何故?」を解くのはインタビューにかかっています。 そこをきちんと、思っていたことを聞き取ることができる、思い出してもらうことこそが事故調査でもっとも大事なことで、 それが出来れば対策はおのずから明らか、といいます。 航空界や電力では特別に教育をうけ、仕事の全体像を知り、かつTAGを感じさせないような人材を意識的に養成することは当然のことになっているようです。 「聞き出すこと」に本気にならなければ対策に結びつく情報など得られないのではないか?というのです。

現実とともに進行したのは「主観」:主観的報告の重要性

 主観的報告の重要性はこの連載にもありますが、言い方を変えると「現実」とともに進行したのは 「主観(的事実)」であって「客観的事実」はその結果を(あとから)見ているのかもしれません。 とすると「主観」とそれに影響をあたえた要因こそが調査として最も知りたいことです。
 その時何を考えていたのか? 並行した仕事はどうだったのか? 急がされる要因はなかったか? 何か注意の妨げになる(集中できない、気になっていたこと)ことはなかったか? 仕事の条件は十分だったか? 足りないものはなかったか? 情報は十分提供されていたか? 相談する相手はいたか?経験はあったか? をみずから話してもらうための環境を整える必要があります。
 それにはインタビューをする人ばかりでなく風土・文化といったものがもっとも大きいのです。

主観的情報収集のヒント:「言い訳有用」

 WSでみなさんのお話を聞くなかから「本音」「主観的情報」をどうすれば得ることが出来るのかを自分ながら考えてみました (自分が当事者になったら、どんな人になら心から話すことが出来るか、ということになります)。

TAGを感じさせない位置、直接の業務と違うラインのひとがよいかもしれない。
仕事の全体像を知っていること その部分だけのベテランはだめ。
組織(仕事上の)から独立した態度・立場が明確(「だれだれのエラーのせい」などという結論は絶対ださない信頼感)であること。秘密の厳守。
「情報を教えてほしい」(みんなのために)という明確な態度。
「対策主義的態度」がよいかもしれない。原因や事象の細かな追究より「これからどうしたらよいと思う?」という発想。
当事者の主張を否定してはいけない。後知恵からみた「教育」などしない。とにかく話してもらうことを優先。
記載している調査票が「見えた」ほうが良い。何を書いているのかわからないと不安。


★この記事は事故調査が警察やお役所との関係がまったくない、ということを前提にしています。 あくまでも「院内(外も可)」で「事故調査は再発防止のために」という考えです。 警察が介入しているときはもちろん(警察と)情報が筒抜けの「医療関連死・・・・事業」の調査にはまったくあてはまりません。
★改善しなければならない現状、システム、不便さなどに対する感受性が「現場のベテラン」は低いといわれています。 「当たり前のこと」」「我慢すべきこと」ということが身にしみていると何かの背景要因として考えることが最初から排除されてしまっています。 また調査の途中で(親切な)「指導」などが入ると当事者の「主観的事実」の説明はそこで遮断されてしまいます。
★その現場だけの「小さな解決策」には問題があることが多いといわれています。

最後に「医療事故の分析法」がテーマだったWSの自分なりのまとめです。

1)分析を目的としてはならない
 分析法ばやりでSHELやRCA、H2-SAFER、なぜなぜ・・・などたくさんある。 多くは大規模産業(装置産業)からのかりもの。当てはまらないわけではないが「重い」「しっくりしない」という事実もある。 WSでも3人から3種類提案されたが、結論としては「分析法」を目的にしないようにしよう、ということ。 分析だけで疲れてしまっていないかだろうか?

2)HF的視点をもつための訓練としての分析法。
 大きなヒューマンエラー分析法を毎日の小さな事故に使うというのではなく、 ときどき使って、事故や自分、組織をみる「眼」をやしなうトレーニングとすることが大切。

3)HF的見方が出来る人が増えれば・・・
 こういう人が職場で増えれば解決策は容易になる⇒がんばって増やそう!

4)分析法は「取りこぼし予防」で最後にチェック
 分析法は「取りこぼし」「忘れ物」がなくなるし「系統だった」利点がある。直感的「分析?」だけではやはり危険?

5)なによりも「心からのレビュー(主観的報告)ができる土壌をいかにつくるか」ということが大事
 これはビーテイの序文と同じ結論


というわけで今回のまとめは。
「言い訳」は当事者をとりまく有用な情報源である
「主観」(の形成)に影響した情報(環境)を考えてみることが必要
「主観的報告ができる」、「聞いてみよう」という土壌を作ることが一番大切

でも、あまりにも「言い訳」ばかりだと人間性が疑われることもある(笑)



 今回は、はじめて医療以外の学会に参加してみて感じたことを一部掲載しました。
2つのWSに参加し、専門家のお話をきき、僕自身が本当に素人の素人であることを思い知らされました。 いつものことですが、心理学会に参加されていた専門家の方々のご意見を必ずしも理解できているわけではありません。 ご意見、ご批判、ご教示をいただければありがたいと思っています。



 
 
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