番外.その14−2 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」〜判断をゆがめてしまう可能性がある個人的感情〜
 
 たくさんの情報やタイムプレッシャーのなかで強いられる「省エネ判断」「偏った判断」をさらに歪めてしまう要因に「個人的な感情」があります。
 嫌いな奴から忠告されたって聞きたくないですよね。僕の場合、まず否定したくなります(以外と自分もそう思われているかも知れません。まずいですね)。
 ところが「あいつは嫌いだ!」といった個人的感情がとっさの判断や行動に影響しているとしたら・・・。
* 嫉妬
「また、あいつが訊かれてもいないのに偉そうに言っている」
 
* 恨み
期待を裏切られたり、恥を掻かされたという個人的感情が意志決定をゆがめる。
「頭ごなしに考えを否定された」
「部下や同僚の前で怒鳴りつけられた」
悪化した個人感情によって協力関係の再構築が出来ない。
「あいつのせいで、みんなが苦労した。無駄働きをさせられた」
「もうあいつの言うことは聞かない!」
悪化した個人感情が原因となって「復讐」という行動に至る。
 
* 後悔:後悔の判断のエラー
失敗の経験に過剰に反応、以後の判断が客観的に出来なくなる。
「もうこれ以上危ないことは出来ない」
失敗から過剰に学習、行動の選択肢を極端にせばめてしまう。
「下手にこれ以上やって、もし全体がダメになったら」
「またダメかも知れない」:悪い結果(例えば自分の患者さんが手術で続けて亡くなる)が続くと、 本当は状況が違うにもかかわらず、積極的な判断が出来なくなってしまう。(手術であればそこで手が動かなくなってしまう?)
 
* 同情
同情や仲間意識のために、客観的な判断能力を失う。 「仲間意識が強く、厳しいことが言えなかった」「皆疲れ切っているし」 「いままでみんなでこうやって頑張ってきたんだ(本当は間違っていたかも知れない、という判断や疑問を持つことを躊躇してしまう)」
 
* 見栄
仲間とのコミュニケーションにおいて「言ったこと(内容)」がどのように評価されるか? よりも「言った自分に対する評価」を気にする場合がある。 「嫌われたくない」とか「こんな事言ったら私のことをみんなどう思うだろう」「出来ない、知らない、なんて言えない」
多くの人は格好のいい自分を演じたくなるので正直で 十分なコミュニケーションが阻害される。[1] 管制官の指示を聞き返すことが出来ない、副操縦士にはっきり確認することもできないまま操縦を続け墜落してしまった飛行機まである。 私達の現場でも同じだ。「申し送り」や「カンファレンス」で見栄や「知ったふり」「知らないふり」をする事はないだろうか?
 
* あきらめ
「どうせ言っても私の話なんていつも聞いてくれない」
「どうせ言ってもわからない(理解しようとしない)だろうから」
 
人間関係を含め何度かうまくいかないことが続くとあきらめがちになり「どうせ・・・」という感情が学習されてしまう。 すると最初の自分の判断そのものが狂ってくることがある。

「感情」が全てを支配している?
 個人的感情に限らず「感情」は人間の認知プロセスの中で主に「注意資源」に影響するようです。 「注意資源」は人間の認知プロセスで「入力」(知覚)、」「判断」、「出力」の全てのプロセスにかかわっており、 「短期記憶」「長期記憶」とのやりとりにも関与しているようです。[2]

*       *        *

「現在(いま)の自分」を観る
「個人的な感情や好き嫌いなど超越して公平無私にものを考えるべきである」などといっているのではありません。
 個人的感情があなたの判断にいつも影響を与えていることを知りなさい、 いまのあなたの判断(何もしないことも)や発言(黙っていることも)は個人的な感情や好き嫌いに影響されていないかを意識しなさい、 ということでしょうか。「セルフモニター」のひとつなのでしょうがむずかしいですね。 この連載の「コンフリクト」「危険な態度」や「I'm safe?」「グループダイナミックス」にも通じることかもしれません。

 CRMを学んだときの「意見の対立を感情的対立へ結び付けない」という原則を覚えていますか?
 ヒューマンファクターズの本質は「誰が正しいのか、ではなく、何が正しいのか?」 「誰がわるいのか?ではなく、誰が事故を防ぐことができるのか?」と考えることでした。 この原則に常に戻ること、そして「自分がどう振る舞うことが"CRMを発揮する"ことになるのか?」といつも考えることで 「普通であれば起こさないはずの事故」を回避することが出来るかも知れません。

 またまた結論の見えない話になってしまいましたが、いかがでしたでしょうか?この連載にご意見、ご批判、ご教示をお願いいたします。
 また、「こんな事なら、俺(私)のほうが」と思われたかたはリレー連載をお願いいたします。


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註解

[1]9月の講演に対するアンケートのご意見にありましたが 「コミュニケーションを業務として考える」と言うスタンスが 「感情」によるコミュニケーションのゆがみ・エラーを修正する突破口になりそうなのですが・・・

[2]感情と人間の認知プロセスについてはまた別の機会とします。

 
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