「アサーショントレーニングは医療事故防止に有効か?」
 
〜番外 続「何故 エラーの指摘が出来ないのか」その2〜

 あとになって「あの人は(あるいは みんなは)××と言うけど、私は本当はおかしいと思っていたのに・・・」という苦い経験はありませんか?
 言わなきゃいけない、しかしなかなか言えなかった、ということはどんな世界でもあります。

 DFDR(digital flight data recorder)やCVR(cockpit voice recorder)に飛行データややりとりが記録され(そして分析される)る航空界とちがって私たちの「業界」ではそんな経験の多くは、心の中にしまい込まれてしまったり、陰でコソコソと「愚痴」のように、あるいは「俺は変だと思っていた」などと(まるで)自慢げに語られることはないでしょうか?(もちろん、あなたのいる立派な研修病院や大学病院ではそんなことは一切ないでしょうが)

 誰か(スタッフA)のエラーを別の誰か(スタッフB)が検出して指摘し、それを訂正すれば、何の問題も起きません。前回はこの単純な仕組みがうまく働かない理由を考えました。
 もう少し続けます。

エラーの発見→指摘→修正は難しい



エラーの「発見」「指摘」「訂正」というプロセスを阻害する背景としてこんな事がいわれています。(図はSasou&Reasonによる「チームエラーの回復」を森永が改変したもの。連載の番外9参照)

人のエラーを発見できない
1) コミュニケーション:過度な信頼、依存、権威勾配、職業的礼儀(遠慮)
2) 不適切な作業負荷:人の仕事を見ている暇など無い、
3) 知識経験の不足
4) 物理的距離:離れている、時間的差

人のエラーを指摘・修正できない
1) 権威勾配・職業的礼儀
2) 不適切な作業量、覚醒度
3) 知識・経験の不足
4) コミュニケーション
5) 物理的距離

 これらの中でも特に医療従事者間での「過度の権威勾配」「過度の職業的礼儀」の上に「間違った"チームの和"意識」や「人間関係を壊したくない」という心理が働いてしまうことが指摘されています。この関係は医者と看護婦・技師・薬剤師といった職種間だけでなく、医者同士、看護婦同士などの同職種内、また「下から上へ」だけでなく「上から下へ」つまり、先輩が後輩へ、あるいは同僚に対してエラーの指摘や疑問を口に出すことを躊躇してしまうことさえあるといいます(実際、僕も何度もあります)。

 またエラーを「発見できない」原因の中には1)-3)と重なるかもしれませんが「他人の仕事に無関心」「他人の仕事の評価(良くも悪くも)を(最初から)しない」というのもあるようです。
 物理的距離というのはともかくとして、他の要因はこの連載「組織の老化」で例に挙げた畑村教授の「老化した組織の隙間の図」がイメージとして浮かんできませんか。「老化」にともなってあの隙間ができていくのもこんな要因なのかも知れません。

(仕事の)スキルアップとコミュニケーションスキルの向上が必要だ

やはり必要な専門性・スキルアップと感性
 「その1」で述べたようにエラーを発見・指摘できない原因の多くが「わからない」「自信がない」ですから、確かな仕事ができるように、そして何が誤りであるかを鑑別できるように、また「何か変だ!」と感じる事が出来るようになることが第一です。よく「知らなかった」「解らなかった」ということが「いいわけ」「理由」にされますが、あるレベル以下はやはり「ペケ」ですね。病棟や手術室で私たちは「見学」「実習」しているわけではありません。もちろん管理・教育上の要因が最も大きいわけですが。

アサーショントレーニングで(「チームを壊さず」「喧嘩にならず」「自分もストレスをあまり感ぜず」)エラーの指摘が可能か?

現場の看護婦さんに悩みを語ってもらいました。
現状を考えると、「自分もストレスをあまり感ぜずに」エラーの指摘という以前に、何が「へん」なのかが解らないスタッフが多いようです。「そこ」に行き着くまえに、「前の勤務者がこうしていたから良いんだ・・」とか、根拠を考えた上で行動をしていないと思います。もし、変だな〜と思うことがあっても、きっと「今まではこんなやり方で行っていたけど、今はこんなやり方に変わったんだ」と勝手な解釈をしているのだと思います。そして、それを誰かに確認する事すら忘れてしまっているかのようです。逆に言うと、その危険性を知らない方が堂々と手早く仕事が出来るのかもしれませんが…
 そして、よくある「いいわけ」なのですが、「聞いてません」は良く耳にします。教えた側も、これを言われるとがっかりしてしまいます。せめて、「教えてもらったかもしれないけど忘れました」の方が、また教えようという気持ちになりますが・・
「若者」に教育するにあたり、色々問題はありますが、それはごく一部です。

本題に戻って私の経験をお話します。
エラーの指摘をする場合、上の人に言う以上に、同年代の人に指摘する方が難しい事が多いと言う話を聞き、それもそうだと思いました。
こんなことがありました。
 私は循環器病棟で7年程働き、その後はICUと循環器病棟との合併病棟で2年働いています。合併した当初は、人工呼吸器に対しては知識が少なく、ICU経験者に対しては引け目を感じる毎日でした。そんなある日、呼吸器離脱のためTピースインスピロンPeepバルブに切り替えたい患者さんがいました。私はICU側のリーダーとなり、朝の申し送りを聞きました。患者さんは、TピースにするとSpO2が低下し呼吸苦を訴え呼吸器から離脱できないとのことでした。申し送り後医師にそのことを報告しようかなと思いましたが、まず行ってみて自分で状況を見てからにしようと、受け持ちにTピースにするように言いました。そして、Tピースにしようとした瞬間、何かが足りないと思いました。インスピロン・Tピース・Peepバルブだけ・・一方弁がありませんでした。前日のリーダー・受け持ちが誰かをチェックしてもICU経験者でした。私の気持ちの中では、"こんなにICU経験者がいながらこんな事に気付かないのか・・、一方弁はいらないのか・・、私の方が間違っているのか・・ 別の2名の患者には同じ状況で一方弁はついており、何のために付けているのか初めて受け持つ看護師には説明してきたのだけど・・"等、色々葛藤がありました。もし、私がもっと若いときだったらそういうものなのだとそのままにしていたのかもしれません。とりあえず、自分の少ない知識を持ちながらこの事を聞いてみました。「TピースにPeepバルブを付けるには一方弁が必要ではないの?」と。夜勤者は、「必要なのですか?でも前のリーダーは○○さんで、受け持ちは○○さんですよ」とのこと。○○さんというのはICU経験者でそんな事間違うはずがないだろう、という意味でした。でも、もっと単純に考えて患者さんが苦しいようなのに、なぜその原因を考えないのだろうと、いう気持ちもありました。で、私は自分なりの説明をしてみました。その人のプライドもあり間違いを認めたくない気持ちもあったかもしれません。(そうしているうちに、自分でインスピロンをくわえて「私試してみたけど全然苦しくなかったよ〜」なんて言っていたのですが、今まで呼吸器付いていた患者と、健康なあなたは違うでしょう!とがっかりしました)。
結局「先生にきいてみようか」と提案し、医師にその事を言うと、「解っているつもりでやっているけど、何も解っていないんだなー」という言葉があり、私は心の中では「やっぱり・・」と思ったのですが、言われた側はやはり面白くなかったと思います。その後患者さんは順調に呼吸器から離脱できましたからまあいいのですが・・。

こんな時に、どういうふうに表現したらよいのか、というのはいつも悩むところです。自分としては、相手に解ってもらえるように説明したつもりなのですが・・。
このときは、自分の意見を言う代わりに相手の考えも聞き入れ、お互いに納得できなかったので医師に確認するという方法をとりました。こんな場合、いちばん大切になってくるのは、感情的にならないということだと思います。ともすれば意見の対立(の結果としての「コンフリクト」)を怖れるあまり自分自身の主張・意見を抑えがちですが、「エラーを非難する」のでもなく「わがまま」でもない、「アサーション(健全な自己主張)」という理念を共有することが自分の精神的健康にも、またエラーを事故につなげないためにも必要なのでしょうね。そうでなければ、どうしても「エラーの指摘=非難」というふうに「する方」も「される方」も受けとってしまいがちですから。
もっと大事なのはチームや組織全体がそういうことも何気なく自然体で受け入れる雰囲気作りですね。これには「うち(上)」からばかりでは無理で「外圧?」「外力」(外部の講師などに外から指摘してもらう)に頼ったほうが効果的なように思います。また「あ・うん」の呼吸を期待するわけではないのですが、普段からのコミュニケーションも、お互いを知るために必要だと思います。

違う状況下でも、看護師という仕事をしている上で、ひとつの問題について(「誰が正しいのか」といった)「自分の思い」だけについて話し合うのではなく、この問題は「患者さんにとってどうすることが一番良いのか」「どう行動すればチームのパフォーマンスにとってよいのか」と考え、話合う事で解決できることもあると思います。最終目的を再確認するとか「仕事の全体像の理解」ということを含めてですね。
(そこそこ歳の)私でもこんな事で言いづらいと悩んでしまうのですから、経験の少ない人達はもっと悩んでいるのかもしれません。ですから、自分の考えを表現(表出)できるようなトレーニングとそれを受け止めるトレーニングの両方が必要ですね。

でも最近では、医師に対して平気で本人に向かって「白衣脱いだらただのオヤジじゃん」なんて平気で言うようなことを「コミュニケーション」と思っている若者もいますから、育てかた、教育にも問題がありますね。
あつ!最後に話がオバサン臭くなりましたね(笑)。             (以上)

(この連載で前にも書きましたが「アサーション」というのはこんなことでした。「健全な自己主張はチームを活性化する」も読んでみて下さい)
◆・必要な時、自分の意見をはっきりいえますか。
◆・頼まれごとをされたとき自分気持ちを偽らずに「イエス」「ノー」が言えますか。
◆・消極的になったり、攻撃的にならずに話し合えますか。

「アサーション」はHFs,HEの理解の上に
 どんなに「アサーショントレーニング」をしても単に「自己主張」が強くなるばかりでは(この連載の目的である)事故の防止・チームパフォーマンスの向上は望めません。アサーションによって「エラーの発見・指摘・修正」のプロセスを有効に作動させるためにはエラーや事故に対する正しい見方がほんの少し必要です。

 医療事故を単なる「個人の失敗」と考えるのではなく、「組織事故」と考えること。人間の認知特性や集団の中での振る舞い、集団としての特性を知ること(この連載の「チームワーク・・」「ダブルチェック・・」を読んでみて下さい)。また(最も頻度の高いであろう)コミュニケーションエラーに対する(認知)心理学的な理解など、ヒューマンファクターズ(HFs)、ヒューマンエラー(HE)全般に対するある程度の知識・理解がどうしても必要になります。

 仮に、そうした理解・認識がなければ、(何かを指摘するにしても)「ポイントがづれてしまう」ばかりかいたずらに「攻撃的なエラーの指摘」になったり、変に「まわりくどく」なったり、こんなところで「教育的効果(説教)」を狙ったり、「責任追及」になったりと、「アサーション=エラーの発見・指摘、安全への主張」の質が変わってくる様な気がします。


コンフリクト→コンフリクトリソリューションにも
 「アサーション」(=安全への主張、エラーの指摘)をするほうもけんかを売る訳じゃないのですが、される側にしてみると「他人から注意を受ける」ということは必ずしも心地よくありません。特に自分が自信を持っていることであったり、「注意」される相手が目下(めした)であったりすると(本当は自分自身も「そこに」疑問を持っていた場合でさえ、他人から指摘されると)、場合によってはそこに「軋轢」(コンフリクト)が発生することもあります。
 この連載の「コンフリクトは必要だ!」で考えたことがここでも有効です。

 コンフリクトを避けないこと、「アサーションされた方」も「誰に言われたか」でなく「何を言われたか」と考えること、「意見の対立」を「感情の対立」へと発展させないこと。「摩擦・軋轢、コンフリクトが発生する組織の方が健全な組織でありチームである」、という認識が必要なのです。
 そして、コンフリクトが建設的に解決された場合にチームに得られるのは達成感とより強化されたチームのパフォーマンスだ、ということを思い出して下さい。(私たちの場合ですと、ギャーギャー叫んだり、怒鳴ったり、わめいたりしながら、緊急の患者さんを診たり、面倒な手術がやっと終わって、「やれやれ、終わったね」と言うような場合でしょうか?もっとも「居酒屋にみんなで直行」が多いのであまり「クリテイーク(振り返り・反省)」にはなっていないようですが・・)

「INQUIRY」(確認・質問)という「手?」
 やはり「そこ、まちがってますよ?」とはあからさまに指摘できないことが殆どですね。立場上そんな言い方は出来なかったり、チームの雰囲気とか。そのほかにも、「あんたが絶対間違っている」とまでは断定できないレベルのこともあります。

 そんな場合、「INQUIRY」(確認・質問)という「手」があります。アサーションとともにコミュニケーションスキルのひとつなのですが、質問・確認形をとるのです。あまり(「ご機嫌を損じないこと」のみを目的として)「テクニック」として使うのではなく、日常的に「安全に対する疑問・質問」「自分の考えと違うとき」には口に出し「確認」するという習慣(ルール:SOP)をつくる必要があります。
 また「安全に関する質問・疑問に対しては馬鹿にしないで、答える義務がある」というルールも必要です。

 でも、僕の場合、やはりあんまり「質問」や「確認」がうるさいと「バカヤロー!うるさい!」となり、逆にあなたがエラーの誘発要因となってしまうこともありえます。やはり、ポイントをおさえてタイミングよく節度をもった「指摘」「質問」「確認」が必要ですね。

 結局、私なりにまとめますと以下のようになるのではないでしょうか

知識・経験の不足に加え
  過度のTAG(権威勾配)
  過度の職業的礼儀(遠慮)
  人間関係への過度の配慮
  情報や認識を共有する仕組みの不備
がエラーへの指摘・修正を困難にしている。
それをうち破るには「assertionする側」に必要なのは
  専門性の獲得(何がおかしいかわかる、何が危ないかわかる)
  assertion・inquiryなどのコミュニケーションスキル(タイミング、節度、礼儀も)この連載「あなたは上司や同僚のエラーを・・・」も読んでみて下さい。
「assertionされる側」に必要なのは
  異論を拒まない。「聞く耳」を持つ
  「誰にいわれたか」でなく「何を言われたか」と考える
  assertion(エラーの指摘=安全への主張)は権利であり義務である、という認識
  リーダーは発言しやすい雰囲気をつくる。
共通して
  「エラー=悪」「エラー=恥」と考えない(もちろんエラーをしない方がいいし、少しぐらい恥ずかしくてあたりまえだ、が、それよりもエラーが事故に繋がらないようにするにはどうすればよいのか?と考える
  他人に無関心にならない(我々はチームで仕事をしている。隣の仕事も自分の仕事の一部)
  「意見の対立」を「感情的対立」へと発展させない
  どうする(ふるまう)ことがCRM(TRM)を発揮しチームのパフォーマンスを向上させることになるのか、と考える。


 こんな事を組織(院内)で1回や2回講義しても何かが目に見えて変わるわけではありません。ヒューマンファクターカルチャーや安全風土がそんなに簡単に作られるわけではないことは各分野の安全担当者はだれでも知っています。しかし、こうした取り組み(セミナーや日常の会話など)にトップが恒常的に参加し、方針を組織内に明示することで、「個人」の意識の変革が促され、「その時」(「チームエラーの回復」のために)勇気をもって一歩前へ踏み出すことができるかもしれません。私達はその程度から始めなければなりません。

 あなたの一言が重大な事故やインシデントを防ぐ最後の手段になるかもしれないのです。

  そしてその積み重ねがやがてわたしたちの病院を「安全な組織」へと変えていくのです。

*          *           *

 やっとの思いで、先輩や上司にエラーの指摘をしたら「おっ、そうか、気がついてるなら早く言ってくれるといいのに」なんて関係が続くとチームのパフォーマンスは上がって行くに違いありませんね。
 また「いくら言ってもダメ」な場合だってもちろんありますね。これはやはりもう一言だけあきらめずに「言ってみる(おく)」事が必要かもしれません。上司や先輩も見栄がありその場では「にべもなく否定」されてしまう事が多いかもしれません。しかし、「気がつくきっかけ」にはなり得ます。後でこっそり自分でなおすことを期待するということになります。(まあ、「外化」というか「ウルサイ!と蹴飛ばされてしまう目覚まし時計」みたいな効果ですね。でも、はっきりいって、「怒られるのも給料のうち」とも思いますが、放り投げて帰りたくなってしまうこともあります。言われる方も「うるさいな、この野郎、今やろうと思ってたんだよ」と思っているかもしれませんね)
 もっとひどいのは「どうせ言ってもだめ」な場合。黙って、バックアップの準備をする必要があります(「転ばないように対策を考える」のでなく「転んだときに怪我が軽くすむようにゴムマットをひいておく」「傷の手当の準備をする」みたいなことです)。「事象の連鎖」は自分のところがだめでも、どこかで断ち切る必要があります。(でも、こういう体制をいつまでも放っておくと「どうせ言っても」→「言わない」→「何も感じない・考えない」となりReason教授の言う「意識の腐敗」となってしまいます。)でも、あんまり露骨にやると怒られそうですね・・・。また「時が解決する(定年?移動?)」のを待つ、こともありますが、場合によっては長くかかりそうだなー。この行、冗談です。
 あっ、これば僕の経験ではないですよ。念のため

 とにかく、(ベテランの)人がやっているからといって無関心(おまかせ)でいないこと、と「自分が思っていること」と違ったら(自分の知識の確認にもなることですし)日常的に「ちょっと口に出してみる」こと位から始めましょうかね。

(この項ここまで)



* 注1
 よく「安全第一」と言う標語がありますが、これはダメ、というのがヒューマンファクターを考える人の常識になっています。「安全第一・・・」は100年前にUSスチールの会長が言った言葉だそうです。一般には「安全第一」だけが普及していますが、正確には「安全第一、品質第二、生産第三」と言うそうで、きちんとした順位がつけられています。つまり「安全第一、営業第二・・・」とはっきりした順位付けをしなければ、「安全も大事だが、営業も大事・・・」みたいなことになってしまい、(組織の価値観として)何が一番なのかわからなくなってしまいます。この辺のことは「安全の小窓」というページがすばらしいです。

 「無理をさせ、無理はするなと、無理を言い」ということも同じです。(工場などで)ラインでトラブルが発見されたとき、規定どうりにラインをすぐ止め点検するのでなく、次回の点検の時期まで何とかもたすようなこと、が「上?」から評価される、ということですね。(黒田勲先生のお話の又聞きですが)

* 注2
 「エラーの指摘ができない」ことと「ダブルチェックが有効でない」こととは共通の要因があります。連載「ダブルチェックは有効か」を読んでみて下さい。
 「この人だから間違いない」とか「さすが○○先生、こんなにひどい状態でもできるんだなー」などという過剰な信頼があると、(あのことに、気がついていないはずがない、などという)思いこみが先行し「言わなきゃいけないときに言わず」といったように判断を狂わすことがあります。そして気づいたときには、事態が進行してしまいその時にはどうにもならなくなっていることさえあります。

* 注3
  CRM: Crew resource management ,TRM: Team resource management

* 注4
 お互いに「疑問を持たずに、(だから口に出さずに)違うことを考えていた」ために間違った薬の量を投与してしまった、という例はこの連載にのせました。

いかがでしょうか。この連載に、ご意見、ご批判、ご指導をお願いいたします。
また、こんな事なら俺(わたし)が書いてあげるよ・・・というかたはリレー連載お願いします。ご連絡はメールで。

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引用紹介と註解[2006.2.18.追加]


今回は以下の文献を参考にしましたが、いつもながら内容を十分に理解できているわけではありません。きっと思い込み、早とちりなどがあると思います。ぜひご自分で原著にあたられることをお勧めします。

森永今日子 「医療事故防止におけるチ−ムエラ−の回復に関する研究(1)エラ−の指摘を抑制する要因についての質問紙調査による検討」北九州市立大学文学部紀要(人間関係学科)、10,55-62.

「安全の小窓」http://www3.alpha-net.ne.jp/users/j4704vmc/komadobkNo.html


 
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