番外.その1「サバイバルアスペクツ」という視点
 
事故を起こさないこと、もちろんそれが一番いいのですが
 起きてしまったときに、もし○○が△△であったら死ななくてもすんだのではないか?けがももっと軽くすんだのではないか?と考える視点を「サバイバルアスペクツ」といいます。もっと早く助けにきてくれれば(助ける体制をを作っておけば)・・・もそうです。

 つまりこの連載6)「エラーをコントロールするという発想」の「エラーに備える」ののB「被害を最小にするために備える」にあたるでしょうか。もっともこの場合は事故後の「反省」「critiqu」なのですが。

 もう一つ(これも何かに書いてあったわけではないのですが)たとえば交通事故でスピード違反での事故を考えるとき「同じスピードを出していても事故を起こす(ドライバーと)場合とそうでない場合(あるいはドライバー)は何が違うか?」を考えることです。もちろんスピード違反がそれで許されるわけではないのですが。また、同じ事故に遭遇した人のなかで助かった人、死んでしまった人この違いは何か?今後に生かせないだろうかという視点、これもサバイバルアスペクツです。

《アメリカのNTSB(国家交通安全委員会)がまとめる事故報告書には、かならずサバイバルアスペクツ (Survival Aspects) という項があるそうです。「たとえ事故があっても、どう行動すれば、あるいはどのような設備があったならば、犠牲者や災害の規模を小さくし、より多くの生存者が得られるか」という視点です》

 

ガードレールが頑丈すぎて・・
 猛スピードでカーブのガードレールに衝突したというような、交通事故を考えます。確かに、猛スピードでカーブを曲がりきれなかった、ということが第一の事故の原因でしょう。しかし、死ぬ必要まであったのでしょうか。ガードレールの構造が杭に直接打ち付けてある構造とドイツの様に杭から横にでた腕に打ち付けてある構造では衝撃の吸収度が違うことをNHKのクローズアップ現代が検証していました。

 その他にも「シートベルトをしていれば・・」というのはよく言われますね。

我々の職場でも「(あのとき)もう一人いれば・・」とか「あいつに○○を教えておけば・・」というのだってサバイバルアスペクツの一つかもしれません


このとき問題なのはともすれば(特に最初の問題などは)「そもそも自分が悪いのに・・・何を言っているんだ」という言いかたをされてしまいがちなことです。そうするとそれ以上の論議にならず「被害を最小限にし」「生き残るための」検討は遮断されてしまいます。起こってしまった(起こしてしまった)事故を二度と起こさないための対策はもちろん必要ですが、起こってしまった「被害」を最小にする可能性を探る検討も必要です。「もう起こってしまったことだから・・」とそれ以上の議論を収束させがちですが同じことが繰り返されないためにもこの検討が必要なのです。

「敗軍の将」は「兵」を「自分を」そして「負け惜しみ」を語るべき
 我々にとっては「最後まであきらめない」ということと、もしこうしていたら、とか、この次同じ様なことがあったら・・と一見、あとからなんだかんだと言っているかのようですが、(次回の?)「chain of events」を断ち切る可能性も含め、被害の軽減のためのあらゆる可能性を探るという意味で大事なことです。
 

 「潔さ」を美徳とする日本人の感性にあっては、ましてや本人にとっては「負け惜しみ」に聞こえ、あまり言いたくない、他の人にとっても他人の失敗をあげつらうようなことは言いたくない、という気持ちはあります。しかし、「失敗経験の共有」ということはこういうことも含まれるのです。(「敗軍の将兵を語らず」ではなく「自己弁護」でもなく「負け惜しみ」を語ることこそが「敗軍の将」の義務ではないでしょうか?もっとも戦争も軍隊も大嫌いですが)

 

 この「サバイバルアスペクツ」という視点はマニュアルやSOPをHF的な眼で見直すときの重要なポイントの一つです。

 

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