妻沼町では、聖天山を基点に、弥藤吾から西野、八ツ口を経て妻沼に戻る、約8`のコースを歩きながら探訪する「めぬま歴史の道」をつくっている。所要時間は約3時間かかるが、その一部を紹介したい。
聖天山・貴惣門
『めぬま歴史の道』の基点。県指定重要文化財で、1851年(寛永4年)完成。日本3貴惣門のひとつ。
聖天山の第一の山門で、高さ16m、重層の三つの破風を組み合わせた豪壮な建物。
斎藤別当実盛像
聖天山境内。長井荘(現妻沼町)は平重盛の時代平家の荘園で、斎藤別当実盛は長井荘庄官。平家物語、源平盛衰記などに登場する。
実盛は、源平合戦で1183年(寿永2年)白髪を染めて出陣し、討ち死にしたという。(町のパンフレット)
聖天山・四脚門
四脚門は中門ともいい、木端および側面破風中央にある懸魚の模様など、室町時代の特徴を残しているといわれる。
甚五郎門ともよばれている。
歴史探訪トイレ
聖天山境内の遊歩道の起点にあるトイレ。壁面に「妻沼の地名(妻沼・男沼の地名)の由来」と「太平記絵巻」を紹介するパネルがる。
トイレは、切妻づくりで身障者や子供に配慮したつくりになっている。
妻沼聖天堂(聖天山本殿)
国指定重要文化財。斎藤別当実盛が、1179年(治承3年)に古社(白髪神社と推定される)に歓喜天をまつって聖天宮と称し、長井荘の鎮守としたのが始まり。
桃山時代の建築美を伝える江戸中期の文化財。本殿にそって奥殿があり、中国の故事にならった裏面胴羽目の彫刻、七福神と唐子遊びなど精巧な彫刻が残されている。 ※聖天堂本殿右奥の備前堀に沿って古墳(円墳)がある。
歓喜院前・板石塔婆
県定重要文化財。善光寺式三尊像板碑で、通称「ひら仏」という。もと妻沼小学校の敷地内にあった。
歓喜院長楽寺
斎藤別当実盛の息斎藤藤六実長が1197年(建久8年)に聖天宮別当坊として建てた。国指定重要文化財「錫杖頭」が保存されている。(環内中央に歓喜天を配置し、柄に紀年、建立氏名が刻まれているという。高さ51a)
実盛塚
妻沼町西野。福川に沿って拓かれた長井荘の中心地であること、交通の便、堀の跡、また古くから「長井荘の首邑で実盛の邸跡なり」という伝承から塚が建てられた。
県指定文化財として指定されていたが、現在は解除されている。
大我井神社と白髪神社
1869年(明治2年)、神仏分離令によって聖天宮から別れて造営された神社。近くの妻沼小学校校庭から経塚4基が発掘されている。(大我井経塚)
大我井神社の北、妻沼小学校をはさみ利根川に向かって700m位のところに白髪神社がある。『めぬま歴史の道』のパンフレットには載っていないが、延喜式内の白髪神社の現在地と思われる。(写真上が大我井神社・下が白髪神社)
●妻沼・聖天院 周辺案内図
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