北の佐川の"音曲捕り物帖"

leaflet 連載 第八十一回

『 Largoの会 Vocal Concert : 独唱の発表会です! 』


声楽の個人指導を受講している生徒さんたちが独唱する演奏会があり、マツダ合唱団の団員が多く出演するので聴きに行きました。
(2006.11.03up)

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Largoの会 Vocal Concert   
日時:2006年10月28日(土) 18時開演   
会場:ゲバントホール
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  ◆声楽の個人指導を受講している生徒さんたちが独唱する演奏会です。
  ・分かりやすく言えば、子供ピアノ教室の発表会の大人声楽版といったところでしょうか。 しかし、出演する方は真剣です。 3名の先生方の生徒さん33名による合同の発表会で、イタリア歌曲やオペラのアリアなどを中心に、休憩を含めて合計3時間にも及ぶ演奏会となりました。
  ・マツダ合唱団の指揮をしてくださっている門野先生の奥様が指導者の一人で、マツダ合唱団の団員も約10名が個人レッスンに通っており、今回の演奏会に全員参加する(独唱する)というのを聞いて、ビデオカメラを持って聴きに行きました。
  ・周りの皆が出演するので仕方なく参加することにした人がいるかもしれませんが、とにかくこの演奏会で独唱しようというその前向きな姿勢に敬服致します。
  ◆マツダ合唱団からの参加者は合唱暦の長い人や短い人などいろいろです。  皆、合唱団員としては何度もステージで歌っていますが、独唱した経験を持つ人は少ないようです。  当然ながらものすごいプレッシャーで、緊張して出だしの部分が震えたり、喉が締まって高音が出なかったりする人もいました。
  ・客席にもその緊張感がひしひしと伝わってきます。  仲間が一生懸命頑張って歌っている姿を目にすると、こちらまで緊張してきて、難しそうなところなど思わずガンバレと一緒になって体を動かして応援してしまいました。
  ・本人としては、練習の時の実力の半分も出せず悔しい思いをしながら歌い終えたかもしれませんが、聴いている私は、その真摯な姿から 表面的な上手い下手を超えたすばらしいエネルギーと感動をもらったような気がします。  ”皆、すごいぞ!”
  ・私はビデオカメラで真正面から撮影しましたが、ファインダーの中からアップで見ると、口の開け方や演奏する姿勢など、レッスンの教えを守ろうと必死に努力しながら歌っているのが良く分かりました。
  ◆ところで、皆がステージに立って歌うとき、先生(門野先生の奥様)は、正面後ろの 私がビデオの三脚を構えているすぐ横に必ず立たれて、演奏の様子をずっと観察されていました。
  ・時にはうなずきながら、時には思わず自らも歌っているかのように腹筋に手を当てられたり、さらには歌とピアノ伴奏がずれたりすると大きく手を上げてテンポを合わせるように指揮までされていました。  ステージで歌っている皆にはその姿は見えなかったかもしれませんが、平素、一生懸命指導していらっしゃる先生の思いが伝わってくるようで羨ましかったです。
  ・個人レッスンを受け、演奏会で独唱するということは、合唱団の一員として歌っているのとはまた違った多くのことが学べ、本人の成長・飛躍に大きくつながっていくものだと思います。
  ・私も、この歳ではありますが、個人レッスンを受けたくなってきました。
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  <おまけ>
  ◆独唱といえば、ちょうど最新の”ハーモニー”(日本合唱連盟機関紙)に、ソリスト向きの声と合唱向きの声を、倍音をキーワードに分析した記事が掲載されているというのを聞いて読んでみました。
  ・オペラ歌手の声は、アンサンブル向きの人の声に比べると高次の倍音を多く含んでいるのが特徴だ、というものです。  100人近くの声楽家の声のスペクトル分析を行って比較すると、倍音の次数の特徴からソロ向きの人とアンサンブル(合唱)向きの人に層別されるそうです。  面白かったですが、当たり前といえば当たり前の内容でした。  
  ・オケや合唱を従えて聴こえるように歌うというのは、要は目立つ声質が必要だということです(声量ももちろんです)。  目立つ声=周りの音に埋もれない声=溶け合いにくい声、ということでしょう。
  ・次数に低い倍音は根音と良く調和する基本的な和音になるので当然良く溶け合ってしまい その個人の声は聞こえ難くなります。  高次のしかも♯や♭の付いた倍音は普通で言えば不協和音ですから良くも悪くも耳につき目立ちます。
  ・したがって、オペラ歌手の声をスペクトル分析すると、アンサンブル向きの人の声に比べて、高次の倍音を多く含んでいるのは当然の結果だと思いました。
  ◆問題はここからです。
  ・それならば、低次の倍音と高次の倍音のバランスは何によって決まるのでしょうか?  ある程度それを変える ことが出来るのでしょうか?  それとも、持って生まれた宿命のようなものなのでしょうか。
  ・もうひとつ、高次の倍音を多く含んだ声質を持った人ならオペラのソリストになれるのかというとです。 (もちろん、音程、音量、リズム感、表現力etc.がそなわっての話ですが)  例えば、同じように高次の倍音を多く含んでいて目立つ声を持っていそうな人として、魚屋さんや、民謡歌手、演歌歌手などが挙げられますが、これらの人と、オペラ歌手のスペクトル比較分析した場合、どこに違いが現れるのでしょうか? そこが知りたい。

  ・まあ、それらはハーモニーの連載の続きで解き明かされるのでしょう。 楽しみです。

(!斬捨て御免!、!問答無用!)

十手