天満宮(旧村社)


神社名:天満宮(旧村杜)
鎮座地桐生市梅田町五丁目560番地
(旧群馬県山田郡梅田村大字山地(字石鴨)五六〇)
祭神菅原道真公(菅原天神)

由緒

桐生城主由良成繁の重臣藤生紀伊守善久は、諾国遊歴の際、京都北野天満宮から神像を受げて自己の守り本尊としていたが、小田原落域後由良氏は桐生を退散して常州牛久へ移り、その際藤生善久は槻生郷へ土着、善久の弟藤生六右衛門は桐生川上流の此地石鴨に落着したので、神像をここに相って藤生家の氏神にしたという。大正初年には山地村の村社として村民七十余戸の尊信するところとなり、昭和二十一年六月三十日宗教法人令によって法人化し、昭和二十八年一月二十四日宗教法人法により、知事の認証するところとたった。

境内社
大山神社(祭神大山命)由緒不明
稲荷神社(祭神倉稲魂命)


天満宮参拝

細い道路をどこまでも、かなり寂しくなってくる。
さらに行くと道路の左側に見えてくる。
階段を昇り切ったところに本殿がある。
社殿の右側。
社殿の裏側に境内社。
社務所は坂の途中にある。


伝説

古老の語り伝えるところによると、むかし山地の天神が洪水で流山山して、桐生で久方の梅原押出(おんだし)の林に引掛って留った。洪水後村人が宮を探して梅原に至り、担って帰ろうとしたが重くて動かなかったので、御本体(御神体)だけを奉持して帰村した。後梅原では天神がこの地に御動座にたったとして祭杷し、村杜天満宮として祭りこれが今の桐生天満宮になった、という伝説である。