兼宮神社(旧無格社)


神社名:兼宮神社(旧無格社)
鎮座地桐生市梅田町一丁目816番地
tel 0277-22-0637
(旧山田郡梅田村大宇上久方字湯沢八一六)
祭神 神武天皇 豊受姫命 大日嚢命

由緒

山田郡誌記載の「杜伝由緒」(前原寛臣述)による。
「居に云う。当社は古来八意思兼神を以って御祭神と次す。しかるに中世以降当杜の境内を俗に「ジソム、、ウ」(陣向の廿旧宗)と称せしより明治初年神杜調査の節、誤って牽強附合の説に従い、神武の字音を採って御祭神を神武天皇ならんと想定L、遂に鶉帳調進の際、禦憩兼理廃して饗蚕一隻立てる隻れり。然れど孟人その裏菱わんこと、薫れ、堆篇額に兼、武二神の神号を刻して、これを永世に伝え、春秋二期の祭杷にも両神を別て、春は神武を祝し、秋は患兼柳を斎ぎ共にその柳恩に報い奉る。又云う。当杜は歓応二年桐生家檜杓山に築城の際、燭魍の勧請する処にして、村内字兼沢(金沢)にありしを・天正の末年里民協力して当地に移せり。然れども、ぞの故地を忘失せんことを恐れて、兼宮と称せLとぞ。(向田高柄築記明細帳附記)又桐生美和神杜杜家小島氏所蔵の桐生領七杜明神の神号を記せる古文警に、「桐生七杜兼宮大明神上久方村鎮塵産子湯沢、金沢」と記し奉り、砺して桐生家領内七杜明神を定めしは、天文年中大炊介循綱の時たること、桐生系図の一本並に桐生ケ岡小島文蕾に屍えたり。蓋し当杜は桐生家の崇敬杜にして古来七祉の一に列し、鰯内右数の杜なりしかど、も、綱生家没落の.時、その運命を共にし、僅かに旧上久方村湯沢、金沢の鎮守とLて維新に至りしが如L。明治五年無格杜に編入、同四十二年五月八日許可を得て、村内湯沢字伊勢窪に祭相せる無格杜神明官を合併し今日にいたる巳L

境内社(四社()
八坂神社((建速須佐男命)
機神杜(袴機千々姫命)
若木神杜(若川咋命)
稲荷神杜(宇気母智命)

兼宮神社参拝

鳥居の前後に階段がある。
右の狛犬。
左の狛犬。
拝殿の額。
本殿の左側に境内社あり。
道路を外れると鳴神山へのハイキングコースを示す大きな看板が道端に立ててある。