八幡宮(旧無格社)



神社名:八幡宮(はちまんぐう)
祭 神:田原又太郎 忠綱公霊(足利忠綱)
(神杜は通称忠綱明神という。)
鎮座地:群馬県桐生市梅田町4丁目691通称皆沢(かいざわ)
tel 0277-32-0053
(旧栃木県安蘇郡田沼町大字飛駒6914)
境内社::三社相殿(神武社、菅原天神神社、雷電社)弁天社

八幡宮 桐生市史神社編由緒

下野国誌に
 「忠綱明神安蘇郡彦間村の貝沢というところにあり。足利又太郎忠綱の霊を祖るところなり。佐野軍記を考うるに忠綱は平家滅亡後上総介義兼朝臣をたのみて随従しけるが、ゆえ有りてここに来りて自害す。これによりて義兼朝臣その霊を鎮め祀る。」とある。
 また下野神社社沿革史〔明治三十五年風山広雄編)によると、「当社は今を去ること七九〇年前即ち建久五年三月十五日の創立に係る。これより先、治承四年高倉宮謀反の挙あるや、田原又太郎忠綱といえる人あり、位は従四位上にして官は足利下野守たり、力量衆に抽んで勇武絶倫を以って称せらる。ことに音声は雷のごとく一里の外に達するという。.されぼ是時も宇治川の戦に先陣となって功あり、平清盛之を賞するに蝶の紋章をゆ石し且つ旧地足利に於いて十二万石を領すべきを以てす。後建久五年におよび、故ありて今の飛駒の地に戦死すと伝う。其の状の口碑に残れる大略を挙ぐれぱ、是時忠綱公には味方の手のもの散々に打たれて今ははや頼み少なく見えけれど、英気は日頃に百倍して、単騎敵軍に突撃し、(中略)ここを先途と戦えど、衆寡当りがたく(中略)一方の血路を開いて走りいで民家に潜伏せしにまたもや烈しく追い来る敵のため見出され(中略)且つ戦い且つ退き、次第に山の麓に達せしかぼ、頂へ馳せ上り大木の下に隠れ息をこらしていたりける。ここは今の神祠のある処たり。しぱらくして敵軍のひきいる一頭の白犬あり、公の跡をおうて来たり遂に其の所在を見出し敵に知らしむ。時に敵将某はるかに之を見て、山鳥の羽すげたる征矢を番えて公を射る。忠綱ついに死す。土民その死骸を現今の社地に埋葬して其の霊を杞り、入彦間郷の鎮守と崇む。これその由緒の概要なり。爾来入彦問郷内にては白犬を飼い、山鳥の羽毛を携うることを忌むの伝承あり。(中略)社地高燥にして古松老杉蔚然と天外に隻立し、社殿蒼然として古雅荘厳の仙境なり。皆沢川その下をめぐり屈曲長蛇の奔るごとく水急にして清洌なり。下略)」なお昭和二十八年四月二十三日宗教法人として認定された。

八幡宮参拝

梅田湖から栃木県に向かって進むと道路沿いにある。下野国に属していたので、旧住所は栃木県である。
正一位八幡宮の額が掛けてあります。
本殿正面から見たところで、風雪に耐えてかなり老朽化しているので外側の建物に覆われている。
本殿正面。
本殿正面右側に境内社かある。
本殿正面左側にも境内社かある。
本殿右側の彫刻。
本殿左側の彫刻。
桐生市指定無形民俗文化財として皆沢地区の百万遍念仏かある。