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神社名:護国神社(ごこくじんじゃ)
鎮座地:群馬県桐生市梅田町三丁目518
     旧山田郡梅田村大字高沢字寺裏と大字浅部薬師前石曾利との境界
祭 神:大山津見神
     速玉之男命、建御名方神、木花咲夜姫命、伊邪那美尊、ヨモツ事解之男命、元水分命、
     菅原道真公、須佐之男命、猿田彦命、大物主命、羽比岐命、国水分命、拷機千々姫命、
     阿須波命

桐生市史神社編由緒
元高沢村の村社大山祇神社を主神格として、左記の諸社が明治四十二年五月七日に合併許可となったものである。
元梅田村大字高沢村々社大山祇神社並びに同境内末社木花神社、水分神社、天満宮、機神社
九同村大字高沢村字諏訪無格社諏訪神社並びに同義内末社八坂神社、琴平宮
元同村大字浅部村字原村社熊野神社
元同村大字浅部村字原無格社八坂神社並びに同境内末社猿田彦神社、機神社、道祖神、菅原神社
なお合併と同時に旧浅部村と旧高沢村の境界線上に社地を定めて移転し、村杜護国神杜と改称したものであった。これは当時の神社行政の典型的なあり方を示すと共に、このような政府の方針を受け入るに至った村民の心情をまた見楽に語っている。一氏族なり一集落なりの人々が、血縁的にまた地縁的に氏神なり、都落神なりを中心に結ぼれて来た古い紐帯が、このような新しい神社行政によってどのように変っ来たか。小きい集落が一つの村を形成して独立していた古い村落形態が、時代の発展に同調して合併し、新しい村より大きな村とたり、更に町や市に包括され変貌してゆく。このような時代の動きと共に神杜のあり方にも変化が糧e。これぽ村人にとって大きいショックであったと思う。この神杜の伐置を見ると、比高一五〇ノートル程の高地のいただきにあり、境域の一端に立つと、高沢も浅原
も眼下にある。このような地位を選んで新しい村の氏神を杷ったことに、村民の心のあり方がよく示されているのではないか。護国神社という名称も、一般社としては特異である。これも当時の村人の国家意識の高揚や皇国的神祇観を端的に表わしているものであろう。
大正八年四月十一日神饌幣供進社に指定された。








社殿へ向かうため長い石段を登る。

やっとのことで神社の見えるところまでたどり着いた。



そこの標識には365段と記載されていた。



昭和十五年二月十一日銘の狛犬。



拝殿で参拝。



社殿右側に境内社が鎮座している。



本殿の左側にも境内社はが鎮座している。



拝殿手前右側には手水舎。



階段の途中には秋葉山大権現と彫りこまれた二基の灯篭があった。



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