あの時吹き荒れた嵐は、

私の外側と内側の両方を洗いざらい引き毟って空っぽにして消えた。

 

私達はたしかに確実に敵の一派に打撃を与えていた。

それは無疵の勝利では有えず、メンバーの誰もが常に狙われていることも知っていた。

主義のために他人を平気で殺す人間が、自分を傷つけられたといって立ち向かってくる様は不思議でいっそ滑稽ですらあった。

それにトカゲの尻尾をいくら叩いても致命傷にはならないが、このトカゲの尻尾には恋人や肉親がいて、それらの憎しみは当然こちらへ向けられる。

人殺しに正義も悪もありはしない。

人を傷つける者は憎まれる。

当然のことだ。

どれほど目立とうと、自分たちは英雄でも正義の騎士でもない。

駒であることを皆自覚していた。

ジェームズも例外ではなかった。

マスコミに動きにくくなると抗議すべきだ、といったことがある。

彼らは彼の業績を派手に書き立て、敵に狙ってくださいといわんばかりだと。

『本当に大事なものを見えにくくするには派手な物を隣に置くことだ。

僕等の常套手段だったろう?』

自分たちはせいぜい張り子のトラよろしく目立つほうが良いのだ、と彼は笑った。

『本当に重要な部分から目をそらすトカゲの尻尾だ。

耳目を集めたところで、頭ではない。

心臓でもない。

それが僕等の役目だよ』

 

だから

誰も

指導者自ら襲撃に出向いてくるとは…誰も予想してはいなかった。

彼がジェームズを裏切ることなど誰にも予想できなかった。

誰も

何故彼等が?

何故彼が?

何故?

 

私には何も聞こえなかった。

彼らがいなくなった。

世界の歓喜など知らない。

私を呼んでくれる人達がどこにもいない。

祝う人々も、歓声も知らない。

ばらばらの事実が目の前にあるのに、それらは何も語らない。

 

ただ、何故、と繰り返す。

 

答えられたところで、起こったことを無くせるわけではない。

置いていかれたことも、裏切られたことも。

ジェームズもリリーも二度と私を呼んでくれないということも。

それが理解できなかった。

…いや、理解することを拒んだ。

まだ、すべきことがあるはずだと、信じこんだ。

赤毛の友人の言ったとおり。

泣くことは事態を変えるわけじゃない。

すべきことがあるなら、そのために力を使った方がいい。

そうすべきだと。

 

…泣くことはつまり事態を受け入れることなのだ。

事態を認め、自分の無力さにもはや為す術は無い、と認めることだった。

 

私がなにもなかも無くして一人きりで残ったのだとようやく解って、

泣いたのはそれからずいぶんあとのことだった。

 

 

友人は身体も精神もまだひどく不安定な状態だった。

だから彼の精神に一度嵐がおこると、

私は彼の目の前に立ちながらいろんな者に変化して、私ではなくなる。

彼はいない者を見て、いない者の声を聞く。

こういう時は身体に触れるのは危険だと学んでいたが、

もう無いはずの鎖をはずそうと、彼が自分の爪で手首を深くえぐるのを見て、

それを止めようと手を抑えた。

彼の耳には私の声は認識されなかったらしい。

聞こえたのは大きな声、悲鳴かもしれない。

瞬間、目の焦点は合わなくなり、並行感覚が遠のいて、自分の位置がわからなくなる。

耳元と肩の鈍い痛みより更に強く、首に圧力を感じて明るい方へ頭を動かす。

見上げた友人の、普段はとびきり端正な顔は、怒りと、それ以上の狂気で酷く歪んで見えた。

食いしばった口唇のはじから血が出ていたし、強い怒りのためか恐怖のためか、

シリウスの開かれた目は赤く炯炯と光っていた。

ああ、これは、

ここにいるのは、あの日の彼だ。

彼の目の前に自分はいない。

彼が見てるのは半身を殺した誰かで、そのきっかけを作った誰か。

喉にぎりぎりと食込んでくる痩せた指をはっきりと感じる。

このままだと程なく窒息してしまう。

状況を認識しているのに思考はのろのろとしか回らなかった。

死んだらどうなる。

窒息したら、自分がこのまま死んだら、彼はもっと追い詰められる。

それはまずい。

とてもまずい。

そう思ったとき、ふいに圧迫感が遠のいた。

小さな悲鳴を聞いた気がしたが、確認する間もなく、肺が咳き込む様に空気を求めて喘いだ。

嫌な音をたてながら喉が息を吸い込む。

だが肺はまたすぐに喘ぐことになった。

瘧のように震える腕が何の抑制もないまま、自分を抱きしめ、胸を締め付けたのだ。

今はいない大事な友人の名前を聞いた気がした。

 

何故、と微かな声が苦鳴に混じった。

彼の腕も身体もがくがくと振るえていた。

 

何故

何故

 

自分が過去に何度も繰り返した言葉を、シリウスがつぶやく。

何故、という彼の問いに答は無い。

彼が欲しいのは真実で、けれど目の前にあるのはただ事実でしかない。

 

誰も彼に答えない。

 

事件の後、彼はまだ泣いていないのかもしれない。

彼の中で事件は止まったまま、時折嵐のように彼の見た情景を繰り返す。

そのたびに彼は怒りと恐怖で自らの精神を痛めつける。

 

朦朧とした頭に、自分が裏切ったのなら、彼はこんなに苦しまなかったのだという考えが浮かんだ。

でも、裏切ったのは自分ではなかった。

もはや、何もどうしようもない。

何を言えばよいか分からなくて、ただ、友人の名前を呼んだ。

声というより囁きの様に小さくてひどく掠れたそれは友人に届いたのかわからない。

 

彼はなにも変えられない。

自分はなにも変えられない。

死者のために自分たちに出来ることはなにも無い。

 

だから、もう泣いてもいいのだと、彼に呟く。

 

 

 

何度も。

彼の耳に届くまで呟こう。

 

 

'07.06.16 

 

 

つぶやき

…暗い。

…もちろん騎士団長は彼が突然重要人物に格上げされたことを知ってたと思いますよ。
でも彼らは知らなかった、という話。
何故、というコトバは理解できないときに使われるけど、理解しいたくないときにも使われてると思います。真実を知りたい、というコトバも同様。
真実は人の数だけある、という説に私は賛成です。
事実は一つでも解釈は無限にある。

だから探偵も警部も活躍できるのです(研究者もな…身も蓋もねぇ…)。




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