水の音

 


金色の幸せな夢を見た。

午後の光が射しこむ部屋のソファで目覚めたとき、久しぶりの安堵感を感じた。

静まり返った明るい部屋。何時もなら狭い家の空間は友人の気配を伝えるが、いま感じるのはここに人はいないという事だけだった。

 

音の無い空間。

 

「…リーマス?」

自分の傍らにいたはずの友人の名を呼ぶ。

いつもならすぐ応える暖かい声は無い。

かすれたような声が自分の喉から出された。

「リーマス、」

友人の答えは無かった

突然恐怖に駆られる。

明るい部屋は光に色を無くし、そこに残る『暮らし』の気配を急速に消し去った。

白い虚無が自分を取り囲む。

温度を持たない手の感触が蘇り、身体が平衡感覚を失った。

強い緊張に体温が下がる。

傍らに吸魂鬼の気配を感じて蹲る。

これは、幻覚だ。

自分は、すでにあの場所にはいないのだから。

けれどそのことを確認させてくれる友人は現れない。

声を振り絞ったつもりが、聞こえたのはか細い苦鳴だった。

凍えるほどに冷たくなった手足は動かない。

冬の湖水のような冷気が自分の周りを取り囲んだ。

 

 

ピーターが泣いていた。

暗い石の部屋の中でピ−ターが泣いていた。

奇妙に歪んだ視界の中で、俯いた小柄な金色の少年に、薄茶色の髪をした、頼りない身体が近寄る。

『すごく怖かったんだ。すごくすごく怖かったんだ、リーマス。』

耳元に囁かれるように明確な言葉。

『何が怖いの?ピーター?

大丈夫だよ、落ちついて話してみてよ?』

二人の姿に酷い不安を感じて足早に近づく。

ピーターのまるくていつも薔薇色の頬がみるみるうちにげっそりとやつれて息を呑む。

 

『怖いんだ。

僕の知っていることはあの人に筒抜けなのに、シリウスは僕を疑わない。ジェームズは僕を疑わない。

僕は知ってしまえば隠すことなど出来ないのに。

痛いのは嫌だよ、リーマス。』

呪いだ、と自分は考える。

これは酷い呪い。

自分を汚し、彼自身を汚し、友人たちを汚す。

早くその声をふさがなくては、と焦るのに、二人に近寄れない。そいつから離れろ、と叫んだはずの声は音にならない。

『シリウスは最悪のカードを引いたんだ。

僕には隠しようが無かったのに。

僕は痛いのは嫌なんだ、怖くて嫌なんだ!!』

血の色をした涙がぼろぼろとピーターの目から零れ落ちる。

彼の手はいつのまにかもう一人の友人の身体に食い込んでいく。

リーマスの身体が、くたりと沈み、自分は悲鳴を上げた。

泣いていた声が哄笑へと取って代わった

泣きながら、狂ったような笑い声を立てるピーターに手を伸ばす。

怒りのままその喉を絞めあげる。

『完全無欠のシリウス、君は見ない。見ようと思ったものしか君は見ない。』

耳元に囁かれたそれは自分の半身でもある友人の声にも聞こえたし、まったく知らない誰かのもののようでもあった。

涙をこぼし、ひたすら笑いつづける身体は力を無くし水のように指の間をすり抜ける。

足元に投げ出された身体は黒髪の親友だった。

喉の奥で悲鳴が上がって、彼を起こそうとすると、髪を、腕を掴まれ、身体は凍り付いて呼吸すらままならず、自分は彼を助け起こすことも出来ない。自分に纏わりつく冷たい手。

纏わりついて、脳の中にも身体の中にも浸入してきて熱を水に入れ替えていく、かさかさに乾いた堅い指。

 

凍える腕を降りまわして奴らの手から逃れようともがく。

膨大な水の壁が自分を閉じ込め、押し包む。

 

指先に触れた熱に驚く。

 

小さい金色の熱が呼吸をするように輝く。

ここに熱が生まれた例なんて無い。何時も奪われるだけだ。

だから、がむしゃらに縋りついて、腕の中の熱を奪われまいときつく抱きしめた。

 

 

力なく投げ出された彼の腕に指の跡が残っていた。

なにをした?

自分は一体彼になにをした?

目覚めた後に自分がまだ悪夢の中に居ると知った時の様に叫び出したいような恐怖で身体が凍える。

酸欠を起こしたように痛む頭のすみで、シリウスは自分の行為を手繰り寄せる。

自分の身体の下に横たわる青白い肌、薄く、痩せた胸。

彼の細い喉にはくっきりと残った指の跡が見えた。

かすれた声で友人の名を呼ぶ。彼の頬に触れた指は震えていた。

 

なにをした?

自分は一体彼になにをした?

 

瞼が動いた。

ぼんやりとした目が自分を見上げ、呟いた。

音の無いまま、けれどその声を聞く。

…だいじょうぶ…

血で汚れた手が頬に伸ばされる。

不意に強い怒りがこみ上げる。

何がだいじょうぶなものか。

 

「?…ああ、大丈夫だよ、シリウス…」

自分は彼の使うこの言葉が大嫌いだった。

「…大丈夫だよ」

再びそう小さく呟いて、すっと目蓋が閉じる。

自分に触れる彼の体温に泣きたくなる。生きているものの熱。

平素は自分より冷たい彼の手が、今は金色の光を帯びているように感じる。

 

こんな形で友人を傷つけたと言う事実がシリウスを打ちのめす。

薄くて熱を持つ身体をきつく抱きしめた。

 

 

 

つぶやき

先生の身体が熱を持っていた(てか熱出した)のは黒田のせいです(きっぱり)

'040824



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