光の右手

これまで、他人の頭上にはいろんなものを降らせてきたが、自分の頭にプディングが降ってきたのは人生最初の経験だった。
さしものジェームズも隣で息を止めた。
周りにいた連中は素早く俺から遠ざかる。

「っごめん・・・ごめんなさい!
シリウス・ブラック?」

謝罪とともに階上から走り降りてきた細い影は、同室のリーマス・ルーピンだった。
 一瞬息を止めた彼は、意外なことにまっすぐに走り寄ってきた。

「ごめん!被ったんだね?けがはなかった?
ごめんなさい、腕をぶつけちゃって、」

リーマスは、初めて見る狼狽した顔で拭くものを探しているらしい。当然だ。
 陶製のココットは石の階段で砕けていたが、その前に頭部を撫でた。
 自分は頭からチョコレートの甘ったるい匂いを振りまき、肩からプディングを滴らせていたのだった。

しかし、拭くものが見つけられなかったらしいリーマスは、俺が予想もしなかった行動にでた。
 すなわち、小さい躯のせいで、いつも長めに手の甲を覆う自分のシャツで、俺の頬を拭き始めた。
 記憶にある限り、俺はこんなことをされたことはない。
 家のスパルタ教育は、マナーに関しても完璧で、物心つく頃には誰かに顔を拭かれるような事態は無かったからだ。
 親戚のおばちゃん連中に、顔をなで回されるような隙を作るなどプライドが許さなかった。
 それがこのていたらくだ!
 衆人が固唾をのんで見守る中で、自分が子供のようなことをされていると認識したとたん、血圧と体温と心拍数は跳ね上がった。 
 硬直した俺にかまわず、リーマスの袖は額のあたりを撫でる。
 「リーマス、それじゃ、君のシャツがベタベタだ。シリウス、着替えた方が早い。
リーマス、君も寮へ戻ろう」

傍らの友人が救いの声を発した。

リーマス・ルーピン。
 組分け式で見た彼は、他の子達に比べて、ずいぶんと細い小さい生徒だったが、特に目立ったわけではなかった。どこに入るのかどきどきしながら名前を呼ばれるのを待つ顔は、緊張と興奮で赤くなってはいたが普通の子供に見えた。
 が、いざ、同室になって一緒に生活すると、彼は曰く普通とは言い難い人間であることがすぐに知れた。
 はじめは人見知りする奴かと思った。
 ずいぶんと自分たちに緊張して、少しおどおどして、どこか要領が悪い印象があった。 
 幼なじみのジェームズはおいて、もう一人、同室のピーターがやはり同じような型だったから特に気にもしなかった。すぐに馴染んでいくと踏んだからだ。
 実際、あまり器用な方ではないようで、実験や実習の時には必死な顔で手を動かしていた。
 そのくせ、手伝おうと声をかけても、笑って断る。自分のする事に他人の手を出させない。害のなさそうな顔をしてるくせに、どこか人を拒絶するような雰囲気があった。
 もっとも頭が悪いって訳ではなさそうだ。いつも夜遅くまで談話室で勉強していたし、授業で指されても大抵答えるし、私語や悪戯をすることもないから、教師達から減点されることもない。不気味なほどの『良い子』と言えた。
 半年を過ぎても、家族のことや家の話は口にしない。話しかけられれば答えるが、誘ったところで自ら話の輪に加わることはほとんどなかった。たいてい笑顔でみんなの話を聞いているだけだ。
 大人しすぎて、いるのかどうかわからない。
 そう、「リーマス・ルーピン」は、あまりに大人しすぎて、目立たない。彼が何らかの『家庭の事情』で度々帰宅することがあっても、もはや誰もそれを気にしなかった。

同室の3人以外は。

いくら空気みたいだと言っても、そもそも同じクラスで同じ寮、同じ部屋で寝起きしていては、気にしないことの方が不可能だ。
 家から帰ってきた彼は、たいていひどい顔色で体調も悪そうだった。
 彼がそれでも授業を休まないことを半ば感心、半ばあきれて見たものだ。
 一度、あまりに具合が悪そうなのを見かねて、休んでろ、と言ったことがある。
 奴はひどく驚いた顔で自分を見た。
 それから、完璧な笑顔で、大丈夫だよ、と云った。
 朝食もろくにとれないような状態で、青い顔をしてる人間が口にする言葉としては上等過ぎた。
 このとき俺は、ずいぶんと人をなめている奴だ、と思った。顔色を変えた俺を見て、ジェームズが間にはいって俺をなだめた。リーマスは一瞬おびえたような顔を見せた。その後は、よりいっそう俺達を避けるようになった。俺自身も、奴を無視した。ジェームズやピーターはそれでも時々、奴に声をかけていたようだが、俺はもう放っておけば良いとおもっていた。

それが走り寄ってきて、詫びている?
 考えれば当然のことではあるのだが、ひどく狼狽して、泣きそうな顔は、まるで、こっちが何かしたみたいじゃないか?
 また、印象がちぐはぐだ。
 怒鳴る機会を完全に逸したまま、俺達は部屋へ戻り、着替えた。

「さっぱりしたら、食堂に行こう。食べ損ないそうだ。」
 ジェームズの言葉にリーマスは急にうろたえた。
 「リーマス、君、夕食は?」
 「あ、僕はえと、約束があるから、いかなくちゃ、ええと、シリウス・ブラック、ほんとうにごめんなさい。」
 その言葉にも驚いた。こいつが誰かと約束だって?
 ひどく慌ててリーマスが部屋を出ていったとたん、ジェームズが爆笑した。
 「あの君の顔ときたら!!」
 むっとして呻る。
 「突然あんな子供みたいに扱われて見ろ!誰だって硬直するぞ!」
 「リーマスの手を止めればよかったじゃないか?子供扱いは止めてくれとね。
 しかしケッサクだった!あのシリウス・ブラックが、プディングの爆弾を素直に被ったあげく真っ赤になってコーチョクしたのだから。明日にはクラス中がその話題で持ちきりだね。」
 語尾にハートマークをつけて喜んでいる友人の首にヘッドロックをかました。

夕食からの帰り道、俺とジェームズは、本を抱え、リリー・エヴァンズと話ながら大広間へ入っていくリーマスをみて驚いた。
 今現在、クラスの女子ほとんどを敵に回し、それでも平然と授業を受けられるリリーと、いるのかいないのか普段でもわからんほど大人しいリーマスの組み合わせは異様に見えたのだ。
 何より、リーマスが普通に笑って話をしていることに驚いた。
 「あの二人は、やっぱり僕の予想を越えるな。面白い。」
 何処か楽しそうなジェームズの声を、ぼんやりと俺は聞いていた。
 なんだあいつ、ふつうに笑えるんじゃねぇか、とか、一緒にいるのがなんでリリーなんだろうとか取留めの無いことを考えていた。

この騒ぎの後、再び俺はリーマス・ルーピンという人間を「奇妙な奴」として認識し始めた。



つぶやき
シリウスさんと先生って、当初はストレスの多い友人関係だったとおもいます

03.07.06





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