傷跡
暗闇の中、不意に冷たいものを感じて意識が覚醒する。
極僅かの刺激に対しても、傷つけられた精神は過敏に反応し身体が極度に緊張する。
ここは、アズカバンではない。
暴走しそうになる精神を押さえつけて、呼吸を整える。
ゆっくりと見回した小さな部屋の中に異常はない。
閉められた窓、小さなチェスト、そしてドア。部屋の中には家具はほとんど無く、個人を伺わせるものはさらになかった。
ここは、リーマスの家だ。ただ一人自分に残された古い友人の家なのだ。
もちろんこの家の周りに彼の張った結界が、何かに触れた形跡もない。
安全であることを確認してなお、一度反応した脳は緊張を解かず、彼はベッドの中で眠ろうとする努力を放棄した。
身体を起こし、床に降り立つと口の中で小さく呪文を呟き、黒い獣へ姿を変える。
気休めであることは重々承知している。何よりここへ彼らが現れたなら、まず自分の友人を護るためにも逃げ切ることを考えなくてはならない。恩人や、友人を巻き込まないために。
そう思いながら獣は床に丸くなる。
単純な暗闇にさえ、傷ついた精神は悲鳴を上げそうになる。
監獄で過ごしたように、恐怖に押しつぶされないよう、そうやって、夜が明けるのを待つ。
時計はようやく日付の変わったことを示す。
夏とはいえ、夜の明けにはまだ数時間ある。
不意に、獣の聴覚は壁越しのか細い悲鳴を聞きつける。
ぴくりと耳が動く。そのまま、悲鳴は止まったが、シリウスは人間の姿へ戻ると自分の部屋を出た。
「リーマス、入るぞ。」
声だけかけてドアを開ける。
暗がりの中、寝台の友人は踞るように身体を丸め喘いでいた。
軽い恐慌状態になっているのか、シリウスの呼びかけにも反応しない。
友人の名を呼んで肩に触れたシリウスの手は激しく払われた。
触れられる事への恐怖か、自分に触れる者を遠ざけようとしたためか、彼は滅茶苦茶に遠離ろうともがき、腕を肩にぶつけられたシリウスはよろめいた。
小さく舌打ちをして、押しのけようとする腕を捕らえ、かまわず抱きしめる。
「夢だ、リーマス。誰も傷ついていない。お前は誰も傷つけてない。」
彼の頭を抱き込むようにして、肩が浅い息を繰り返すのをなだめる。
「落ち着いて、周りを見ろ、誰も怪我などしていない。」
暫時して、縮こまっていたリーマスの手が、ゆっくりとシリウスの身体を離していく。
「…ああ、ありがとうシリウス。すまない。起こしてしまったのかな。
ごめん、もう大丈夫だよ。」
蒼白になっているのにひどく平静な顔で彼がそう呟くのを聞いたとたん、自分の中に微かな怒りの成分が生じたことに気が付く。
まだ、変わらないのだ彼は。
習い性のように彼は自分自身に嘘をつく。
自分から離れようとした彼の身体をもう一度抱きしめる。
「シリウス、私はもう大丈夫だよ、君も眠ってくれ。」
再び、もう少し静かな声でリーマスが呟く。
シリウスはそれには応えず、ただ、彼の頭を撫でる。小さな子供を慰めるときのように。
リーマスはもう、その手を止めようとはせず、じっとしている。
シリウスは自分と友人の状態を、酷く不安定だと解析する。
不安定だ、二人とも。
置かれている立場も、状況も感情も、何もかも。
そして自分は友人を抱きしめたまま、離さない。この手を離せないでいる。
夏の明け方が訪れるまでの時間を、そうやって過ごした。
つぶやき
再会後、1ヶ月くらい。5巻が出る前に書いちゃわなきゃマズいネタだと今頃気が付く。
病人二人。でも重症は実はシリウスの方。先生はこの後思い知ることに。
'03.06.19
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