相互作用について


その日は年が明けて何度目かの冬の嵐で、ひんやりとした空気が扉やカーテンの裾から零れ、古い家のなかを満たした。

シリウスは動いている方が気がまぎれる、といって台所でごそごそ動き始め、リーマスはというと、こういうときは寝るのがいちばんとベッドにもぐりこむことを考えたものの、シリウスがいるのに暖炉の火を消してしまうわけにいかないと気がついて、居間で本を読んで過ごす事にした。

夕食の後には、果物のいい匂いがするお茶とカラフルなマカロンが供されて、甘い物が好きなリーマスはいそいそとカップを差し出した。

天気は悪かったけど、今日はいい1日だった、と終わってもいないのに二人して思ったものである。
しかし、はじめは香り付けのはずだったリンゴのブランデーが、気がつけば互いのカップを並々と満たしていたあたりで、話題はいささか予想外の方向へ流れ始めた。

シリウスが手の傷は、と聞いてきたので、リーマスは笑って左手を差し出す。
先日リーマスはカボチャを切ろうとして、うっかりすっぽぬけたナイフが彼の左手の甲を傷つけたのだ。
シリウスが回復薬を作ってくれたので傷はもう無い。
シリウスがしばらく手を観察するのにまかせて、自分はカップのブランデーを舐めていたので彼の言葉を聞き逃すところだった。

「…お前は自分を雑に扱いすぎる」
自分がどうやら自身を大切にしていないということは多少自覚も有ったし、他ならぬ同居人に幾度も指摘されたので、彼は苦笑する。

そのくせ自分のことは何をしても怒らないなんて不公平だと思わないのか、とシリウスは続けた。
同居する以上、双方の生活や習慣、考え方について、互いにそれを尊重することで摩擦を回避することは重要なことだ。ことに大人には学寮のように規制も罰則も無い以上、その回避の手段は会話によるいささかうんざりするような地道な理解の積み重ねしかない。
リーマスは自分の手を取り戻すと、自分はそんなに君を甘やかしてはいないよ、鳥を追いかけて湖に飛びこんだ君を叱ったし、この間泥だらけで帰ってきたときは喧嘩になるところだったし、と返した。
彼は何度か、黒犬になって家を抜け出し散歩して帰ってきたシリウスと、安全と目立たない行動について協議している。
シリウスが一瞬むっとした顔になり、それからわずかな時間考えるような顔をした。
「…ああ、聞いてなかったのか。
寝室でいっしょにいるときのことをいっている」
彼のいいたいことが判ってリーマスは少し驚いた。
それはたしかに二人に関する事柄ではあったのだが、 (おそらくは互いの)様々な理由でこれまで話題としてテーブルに持ち出されたことは無かったからだ。
律儀に(というべきだろう)シリウスは自分の意見を再度繰り返した。
それはリーマスが考えていたよりずいぶん長く続いて、どうやらだいぶ酔いがまわったんだな、と認めるしかない。

そして、そういうことはその場でいうほうが良いのじゃないか、とは思ったが、確かにあの状態では落ちついて話すのは無理な気もした。
酔ってはいるようだがシリウスにしても真剣な顔をしているので、これは自分も真剣に対応すべきだろうと判断してとりあえず黙って聞いてみることにした。
彼の意見をまとめると、つまりシリウスは自分を一方的に搾取しているのではないか、と気にしてるらしい。

リーマスが積極的に働きかけることが無いというのはつまり、実際には望んではいない事態に自分が無理矢理つき合わせているのではないか、という危惧だ。
彼がその行為についてかなり気にしていることはリーマスもうすうす理解していたが、自分としてはこの関係は互いの同意の上だと思っていたし、別に自分を抑制しているつもりはない。
なのでそう正直に言うと、だったらどうしてそんなに積極性にかけた行動が取れるのか?お前は自分自身を騙しているのではないか?と追求された。
リーマスは少し首をかしげて考え始めた。
それは自分たちが幼い時分に彼が良く見せた顔、
シリウスからみるとちょっと困ったような笑っているような表情なのだ。
学生時代、それを見せられる度、彼は喚きたい気分になったものだ。
嫌ならそう言えば良いし、そうでないなら困った顔をする必要も無いだろう、自分の意見をはっきり口にしないのは卑怯だ、と。
実際何度か喚いたし、相方にたしなめられたこともあった。
今は、それが彼の身を守るためにつけた癖のようなもので、自分の言ったことを彼が(おそらく)真剣に考えていると知っているので、答えを待つことが出来るようになった。
彼の気持ちがわからずに怒鳴り散らしていた頃に比べれば(自分にしてみれば)、たいした進歩だ。

リーマスはいちおうシリウスの意見に対する誠意として、記憶にある限りの過去の自分の感情や考えを再点検していた。
考えて判ったことは、ざっぱに言えば、これまで何も言わなかったのは何を要求すべきか良く判らなかったのと、特別要求したいことがあるわけでもないからという、彼にすればごく当然のことだった。
「わたしはああいうとき、どう行動すればいいのか、はっきりいえば良くわからないけど、君は行動の前に必ず確認してくれるから、わたしは考えなくても良かったんだよ」
真剣な顔で自分の反応を待っていたらしいシリウスにそういうと、彼は一瞬黙りこんで顔を赤くした。
それからようよう絞り出すような声で、それなら、もう少し態度に表すようにしてくれ、とつぶやいた。
態度、とリーマスは頭の中で繰り返す。
彼はもともと自分の一生に関わりそうもない事柄を調べて知識を楽しむという熱意におそろしく欠けていたし、記憶力がやたらといい人間には想像も出来ないことかもしれないが、『解らないこと』が仕事や安全に関わらない場合、たいていは速やかに忘れ去る人間だった。
自分に望まれる態度なぞ、正直わからない。
そもそもなんでこんな話題になったんだっけ、と思い返そうにも酔った頭で記憶をたどるのはたいそう至難の業で、彼はそれをすぐに放棄する。
自分の答えを待っている間、シリウスは小声でぶつぶつと文句をつけている。
けれど、彼のその顔は悪戯の計画に乗らない自分をつまらないと云ってはまとわりついていた子供の頃の表情にそっくりで、その事実に笑い出したくなる。
彼は子供の頃と同じように赤くなって怒ってみたり、むっとした表情をしながら、こちらの意見を待ってくれる。

古くて小さい家の狭い居間が、背の高い天蓋付きの寝台が並んだ塔の部屋にいるような錯覚さえ覚えてしまう。

懐かしい気持ちに気をとられると自分たちの会話の中身を失念してしまいそうだった。
「…わかったよ。
君の期待に添えるように、もう少し気をつけて君を観察するよ」
リーマスにしてみれば精一杯考えてみた答えだ。
知らないことは学習するまでだった。
だがシリウスの反応はいささか自分の予想とは異なった。
彼は、今度こそ熟れたリンゴみたいに真っ赤になって、本気で怒り始めた。


つぶやき
実はこれまで黒田さんはいろいろと聞き出そうとはしていたが、先生気がついてなかったので。
酔ったはずみで直球な会話になった模様。
というより黙って先生が聞いていたから黒田は自分で考えていた以上にしゃべってしまった。
沈黙は禁、の事例(でも黒田はおそらく雄弁も武器なタイプ)。
学生時代、先生は基本的に己のことについてはコミュニケーション不全も甚だしい人です。目立ちはしないが実は問題あり。
黒田は気になる(気に入った)人間以外はまったくどうでも良い、という人間だから、やはりそれなりに問題がある。
二人とも大人になって矯正するチャンスを逃したので今はかなり問題。
気持ちや考えは言葉にしないと伝わらない、という人間関係の基本をただいま実践中。
…互いの理解が進んで良かったね黒田さん。
すっかり忘れていたバレンタイン更新
バレンタインの気配すらない代物とはこれいかに



’08.02.13


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