魔法の庭
授業が終わり、ピーターと二人で寮の部屋に戻ると、シリウスとジェームズの寝台の間にある小さいテーブルに、きらきら光る小さな古い箱が置かれていた。
よく見ると六角形の細長い箱は異国風の見慣れないシンボルとそれぞれの面に違う花の浮き彫りがあり、絵のようにはめ込まれた宝石が部屋の明かりに輝いている。
半分開いた蓋から、中にいくつも仕切があり、小さい石の彫刻とか、ガラス細工とかが、いくつも入っている。
とても凝った造りだけど、二人の趣味にはそぐわない気がする。
たぶん何かの魔法具だろう。
うっかり触ると何があるか判らない。
「これ何?変わってるね」
なぜか互いの寝台に腰掛けて向かい合ってる二人にピーターが聞く。
「この前の夏休み、シリウスが叔父さんから部屋のものを譲られたんだ」
「シリウスの叔父さんて、あの?」
「うん、『あの』おじさんだよ」
「・・・叔父貴からいきなりフクロウ便が来て、『おまえも16になる。事の善悪は判断できる年だから、中身はおまえの自由にしていい』って言われたんだけど、入ってたのが叔父貴の部屋の鍵だったわけだ」
「用は使い方は自分で考えろって話でさ」
「シリウス、夏休み中、ジェームズの家にいたんじゃなかったの?」
それになりより、ジェームズが彼の実家に行くとも思えない。
「去年のクリスマス休暇のとき、僕の家の客間の暖炉とシリウスの部屋の暖炉をつないでおいたんだ。いつでも行き来できるように。」
「で、手紙を見た後、そこをつかって、とりあえず休み中に二人で部屋を漁っていくつかおもしろそうなものを見つけたってわけさ」
「・・・もっともさすがに彼の叔父上だ。一筋縄でないものが多くってさ。
戸棚の扉はパズルになってるし、本の封印はアナグラムだし・・・。
これはと思って勇んで解いたら、ひたすら紅茶カンが並んでいたり、本当に、ただの、マグルの小説だったり・・・」
「で、これはなに?」
「うーん、いうなれば携帯用散歩器・・・」
「?」
「たとえば君が遠い異国に旅をする。
長い長い旅だ。めずらしい風景や見たこともない食べ物や変わった習慣は君を楽しませるだろうが、たまには懐かしい風景を見たくなる。
そういうときにこれを使って楽しめるというわけだ」
「?風景を見せてくれるの?記憶再生装置みたいな物?」
「いや、もっと即物的な代物だ。・・・まあ仕掛けとして簡単って訳じゃなかったけどな」
「どっちかというと中継装置みたいな物だね、今のその場所を見せてくれる・・・ただし元の鍵となるものを見たい場所にあらかじめ仕掛けなくちゃいけなくてさ。
しかも一定の法則に従って配置できないとうまく動かないって判って、こうやって披露するのにずいぶんかかったって訳だ」
「へえ・・・」
「今はシリウスの家の庭に、鍵を仕掛けておいてある。
で、その鍵の一つを持って歩くと元の鍵が仕掛けられた範囲の風景を見て歩けるというわけだ」
「ふうん、
・・・どうしてわざわざシリウスの家の庭なの?」
「よくぞ聞いてくれた。
もともとのアイテムよりはずいぶん改良したけどね、この本体の鍵はあんまり小さいものじゃないんだよ。
一種の携帯魔法陣だからいちいち魔法陣描くよりは遙かに手軽だけど、でもちょっと目立つ。
マグルの街に仕掛けてみたいところではあるんだけど、じゃまにされて捨てられては魔法が成り立たないんだな。
学校内だと広さは十分でも誰かがいじりそうだし、校舎の壁に細工するのは無理だった。
僕の家じゃ、結局鍵の一部が隣の家に入ることになる。
で、やたらと広いシリウスの家の、特に人通りの少ない地点を選んでもらったというわけだ」
「・・・あの庭はあんまり家の連中がいかないからな。
ひいばあさんの趣味でほとんど魔法を使わなかったから、花が咲くのは春から秋までだし、時期もバラバラだし、木の刈り込みはするなって遺言がまだ効力もってて、屋敷妖精の管理が効かなくて、みっともないとかいってほとんど入らない」
「結果いくのは叔父上や君みたいな変わり者ばかり、僕らは仕掛けをし放題というわけだ」
シリウスを見ていたピーターが少し変な顔をした。
普段なら新しい魔法を試すときはいつだってシリウスが一番はしゃいで見える。
なのにさっきからシリウスはずっと気が乗らなさそうだった。
彼らしくない。
「君らは試したの?」
「当然さ。
でも、これは知らない人がどう見るかが重要なんでね。君たちの協力を仰ぐわけだ」
「確認、これはトラップがあるような仕掛けなの?」
「無い。今回のこれはほんとにただ風景を再現しただけのものだ。
何より君たちの身体は鍵を持った場所からは実際に動かない。この部屋で試したらこの部屋で立ったままってわけ」
「・・・」
「なに?」
「・・・めずらしいなと思って。
君らが新しい魔法を試すのに、ただ見えるだけの魔法選ぶのって」
ジェームズがちょっとだけ苦笑する笑顔になった。
「君は時々ほんとにカンがいい」
彼にしてはめずらしい表情をみて、そうか、と思った。
彼はたぶん、この魔法を改良してリリーに贈るか何かするつもりなんだ。
シリウスはそのことを知っていて、少し鬱いでる。
「・・・やっぱり、なにかあるの?」
「いいやピーター、さっきも言ったろ?今回の魔法はただ見えるだけだ」
ジェームズは人の感情を読み取るのが本当に得意で、そして誰よりシリウスのことを判ってるけど、リリーが絡むとそれがうまく働いていないみたいだ。
小さな石の彫刻をジェームズから受け取り、右手で握り込むと、左手をピーターとつないで、指示された呪文を二人で唱える。
視界がぐにゃりとねじ曲がって、僕はあやうく転びそうな気分になった。
ゆっくり視界が白くなって風景が鮮明になると、僕らは花園に立っていた。
見上げれば雲みたいな花の固まりのバラ、横には僕らより背の高いフォックスグローブ、足下にはたぶんラベンダー、そしてらせん状に回りながら上に伸びていく大小様々の名前も知らない花、花、花。
とりあえず白い石の小道に沿って歩いてみることにした。きょろきょろとあたりを見回しながら、様々な形の花の中を歩いていく。歩くにつれ(歩いているという感覚しか感じなかった)、ゆっくりと視点も移動する。
でも音がない。
僕らが歩く音はしないのかもしれないけど、ふつうの庭なら葉の揺れる音や鳥の声や蜂の羽音がしているものだ。
それがまったくない。
風景が鮮明なだけにかえって夢の中にいるような気分になってくる。
自分たちの後ろにも白い石の小道が延びていて、前にも延びて先はやっぱり花の茂みの向こうに隠れている。
そして庭の花はすべて白だった。
それが6月の日差しを受けて満開にさざめいている様は地面から直接光がこぼれているように見える。
ゆらゆらと花が揺れる。
枝から離れた花びらがふわりと目の前を横切る。
まるで蝶々みたいだ、と思った。
音が全くしないせいで、二人とも無言で歩く。
バラの茂みが揺れて、小さな影がよたよたと現れた。
思わず足が止まる。
庭子人はバラの枝が身体に触れるものもかまわずにふらふらと道を横切っていく。
その様子が尋常でない気がしてじっと見ていると、背後から自分とピーターを突き抜けて現れた屋敷妖精が無造作に麻袋に庭子人を放り込んで去っていった。
魔法で再現された光景だから、屋敷妖精が自分たちを見とがめることは無いと判っていても鼓動は早くなった。
陽光の降り注ぐ庭の風景に、不意に染みのように不安がにじむ。
これだけ花が咲いていて天気も良いのに、鳥の影も蝶の姿も無い。
音がないせいだ、と思ったものの見回してみてもそんな小さな生き物の気配はどこにもない。
ただ白い花が満開の枝が伸び、鈴の形をした小さい花が小道の白い石の上に広がる。
ゆったりと曲がりながら小道はバラのアーチの向こうへとのびる。
歩く足下に、音もなくただ白い花びらが零れる。
つないだ手から何か伝わったのだろうか、隣を見るとピーターと目があった。
すぐに同じ不安を共有しているのが判る。
そして、あの二人に臆病者といわれるのが怖くて、ここから出たいと言い出せないでいることも。
「・・・ここはきれいだけど、僕はもういいや。君は?」
「・・・僕はリーマスがいいなら・・・」
「じゃあ、還ってお茶を飲もうよ」
手のなかの『鍵』を放して、僕らは寮の部屋に立ち戻った。
「おつかれ?二人とも。早かったね。
この魔法はどうだった?」
「・・・とてもきれいだったよ。
でも花が咲いてるのに、においがしないのはさみしいね。
花のにおいとかがしてればよけいに感動するんじゃないかな。
それに・・・音がないと、なんか怖かった。
・・・花も庭もきれいなせいかな」
「怖い?」
「うん、僕はなんか怖かった。ピーターは?」
ピーターはちらりとシリウスのほうを見て、
ちょっと怖かった、と云った。
そうか、とジェームズが考え込む。
「今回はべつに不安を与えたいわけじゃないからなー。
うーん、それが改良目標になるナー」
僕もピーターも怖いと思った理由は、本当はたぶん音がなかったせいじゃない。
鳥の気配も虫の気配もない、ただ花の気配しかしないあの庭が怖かったんだと思う。
ただ、シリウスの前でそれを云うのはどうかと思った。
あれはシリウスの家の庭だといったけど実家嫌いの彼がめずらしく嫌っている風でもないのにわざわざ言うようなことだとは思わなかったのだ。
「でもすごくきれいな庭だったよ、ありがとう、シリウス、ジェームズ」
シリウスがちょっとだけ笑顔になって肩をすくめて見せた。
'08.05.06
つぶやき
ジェームズのこれは半分わざとです。