満月
『ほら、俺達は何とも無いじゃないか』
隙間から朝日の射し込む廃屋で、光に目をしばたかせながら、
目いっぱい胸をそらせて俺はそういった。
『わかったろ、リーマス。ついに僕らはやったのさ』
リーマスの頭をぽんぽんとたたきながら相棒が晴れやかに笑う。
『これで、夜も一緒に遊べるね』
金色の頭を振り、眠そうな顔をこすりながらそいつの顔だってやっぱりうれしそうだった。
満月を初めて一緒に過ごした次の朝、
ぼろぼろの毛布に包まって、呆然と俺達を見ていたリーマスは、それを聞いて泣き出した。
ずいぶん体力の落ちていた俺は、満月のリーマスに付き添うことを控えていた。
獣の精神は比較的安定していたが、万一恐慌状態になれば、獣を押さえることはリーマスの負担が大きい。
十分回復したという自信がついたので、もうあんな薬を飲まなくても押さえられるから平気だ、というと、リーマスはこれは自分の義務だから、といって穏やかに笑って脱狼薬を服用し続けた。
リーマスがあの薬を飲み続けるのはどうにも不快だったが、彼が選択したことだから、俺にはどうにも出来ない。
それである朝、次の満月には人のままそばにいよう、と言った。
友人は穏やかに、しかし容赦無く要求を拒絶した。
再会してからの彼は、自分に対してとんでもなく寛容になっていたので、
それは不意の平手打ちのように響いた。
自分は一体どんな表情をしたのか、少し気まずそうに怯んだ友人に、
いつも通り獣でいる、というと僅かに目がそれた。
そうしてくれ、とつぶやく声が聞こえた。
散々押し問答をした挙げ句、廃屋に近寄るな、と釘を射された後で、
彼が自分達を信用していない、と片割れに八つ当たりをした事があった。
彼が恐れるのは自分自身だ。
片割れは、短くそういった。
信じてもらえる様に努力することは出来ても、
信じるかどうか決めるのはリーマスにしか出来ないことだ、とも。
リーマスはその事に関して、恐ろしく頑固だった。
あの頃も、おそらく今も。
狭い部屋のカーテンの隙間から、青い反射光が漏れる。
裸で床に立つリーマスがかすかに苦鳴を洩らす。
自分はそっと頭を動かす。
彼は、変化の最中を見せたがらないので、彼が変化するときは目を伏せることにしていた。
獣の自分はリーマスの匂いが異質な物に変化するのを感じ、かつてよく知っていた匂いを嗅ぎ取る。
黒い獣の姿で、月の光の届かない部屋の隅にうづくまっている身体に近寄る。
白く浮き上がる獣がこちらに頭を上げる。
病んだ狼の持つ力も飢餓も無く、ただ理知的な光を宿した目が、近付く物を確認し、ゆっくり閉じられ、白い毛に蓋われた頭は再び前足へと落とされる。
そのまま歩み寄る獣の爪が、床を掻く。
かつての油断できない力の気配は無い。
ここにいるのは、たしかにあの獣ではない。
古い床が微かに軋る。
鼻面を合わせて耳や目許を舐めるのは獣の習性だ。
背中に前足を置くと、抗議するような目がこちらを見上げる。
その鼻先をなめて、彼の身体にのしかかるように獣の前足を伸ばし、力をかけたまま、アニメーガスを解いて人間に戻った。
部屋の物体が濃淡だけではない色彩を浮かび上がらせ、視線を落とすと銀色の毛が視界を埋めた。
手の平に感じる、固くてぱさついた毛並み。
「リーマス、」
腕の中で、反射的に飛び退こうとした躯を押さえつけた。
狼が本気で逃れようとすれば、人間の腕力でどうなるものでもないが、
彼はこわばったまま動きを止めた。
おそらくリーマスは、狼の状態で自分を傷つける事態を恐れたのだ。
こわばった躯を抱きしめてつぶやいた。
「リーマス、おどろかしてすまない」
どういえば上手く伝わるのか分からないので思ったままを口にする。
「…ただ、俺はずっとこうしたかったんだ。
本当はずっとこうしたかったんだ」
たぶん、彼が人狼だと理解したときからずっと思っていた。
「俺は何とも無いだろう?」
だから、そばにいるのを許して欲しい。
黒いケモノの姿だけでなく、自分がいることを許して欲しい。
最近の彼は、自分の願いをたいていかなえてくれる。
けれど、これに関する限り、彼はその気配を見せない。
リーマスは今もこの事に関して、恐ろしく頑固だ。
腕を解くと、狼はそっぽを向いて不機嫌そうに背を丸めた。
それを見届けて、俺は再び獣に変わる。
狼に背をつけるように身体を丸め、前足に頭を乗せる。
月の光はまだ窓掛の縁を輝かせている。
つぶやき
あたって砕けてますよ、黒田…。先生の決意はダイアモンド。
がんばれ黒田、ダイヤを壊すのは難しいが出来ないわけじゃない。
(特定方向から圧力加えるとパッキリいくさ!
駄目なら燃やしてしまえ、所詮成分は炭素だ)
06.08.16