4. 雨の降る日は…
蔦の緑の向こうで、銀色の水滴が絶え間無く落ちていく。
リーマスは雨が嫌いではなかった。
あの音は大きすぎていただけないが、雷も光の剣のような力強さがとてもきれいで好きだった。
…真円の月の光を遮るのなら、冬の黒い嵐だって好きになるだろう。
けれど今日は、湿気と薄暗い空が回廊を陰鬱にしている、とリーマスは思った。
目の前の少年たちの身体は、もっと鬱陶しい、とも。
…自分が急いでいたのは確かなので、身体がぶつかった事に関しては謝罪した。しかし詫び方が悪いと言われても、それ意外にどういう謝罪のし方があるのかさっぱり思いつかなかった。
数人の少年(スリザリン寮のおそらく2年生か3年生と思われた)の身体が自分の進路を塞ぐに居たって、ようやく『絡まれている』と気が付いた。
どうやら自分は他人の動向に関する感心が薄いようだ、と内心で溜息をつく。考えてみれば、心当たりはある。階段で転んでみたりとか、人にぶつかったりとかが最近増えていた。これからはもう少し、周りを見て歩こう。
怯えもしないでただ自分たちを見ている下級生に苛立ち始めたのか、横合いから、いきなり右肩を小突かれた。
あっと思ったときには、抱えていた本が足元に落ちた。
明らかにマグルの物とわかる本に気を引かれたのか、リーマスの手がのびるより早く、小さい本が少年たちの手に収まる。
大柄な上級生数人に囲まれても崩れなかった無表情が崩れた。
リリーの本に彼らの手が触れているのがとても不快だった。
「返してください。」
とっさに声があがる。
しまったと思ったが間に合わない。
こういう手合いは無関心を通したほうがやり過ごせるのに。
少年たちの退屈そうな顔が打ってかわって、残酷な嫌な笑いを浮かべた。
「へーえ、」
本は、リーマスの正面に立つ少年へ渡る。細い金髪の下の目がニヤニヤとしながらタイトルを眺めた直後、すっとローブが流れて、小さな本は弧を描いて雨の中庭へ落ちていった。
リーマスの頭から不快さも恐怖も消える。
本を助けなくちゃ
彼らの身体を突き飛ばす様に退け、階段へ走ろうとした身体を突然掴まれた。
勢いの余った体がぶつかり、反射的に突き飛ばそうとした腕を取られる。
ひどく間近にルームメイトの整った顔があった。
「っ…いくな、」
怒鳴られたようにはっきりと彼の声が聞こえた。実際の声はさほど大きくもないのに、声に篭った力は叩くように強くリーマスの耳に響く。
こいつらに行かせろ、と続けたシリウスの後ろで声が上がった。
「っなんだこいつっ!」
とっさに振り向いた二人の目の端を教科書が飛んでいった。思わず目が追うが、それらもリリーの本と同様の軌跡を描いて中庭へ消えた。
「あ、」
ぽかん、とシリウスの口が開いた。
こんな顔してもきれいな子なんだ、とリーマスは場違いな感想を持つ。そして移動した視界に少年達の間に立つ華奢な影が映った。
真っ白の顔をして、恐ろしく強い眼差しのリリーが。
燃えるような緑の眼が、目の前の大きな少年たちを見据えている。
その腕がゆっくりと階下を指す。
「どうぞ。取りに行けば?」
異様にはっきりした声が耳を打つ。
挑発だ、と思った。
罵声を上げながら杖を取り出した生徒の腕にシリウスが飛び掛ろうとした。が、生徒はうめき声を上げて蹲った。
彼の正面に立ったリリーの手は相変わらず空である。シリウスにもリーマスにも何が起こったかはわからなかったが、その後は滅茶苦茶だった。
リーマスはリリーに掴みかかろうとする少年のローブを掴んで引きずり倒し、横から突き飛ばされて転んだ。顔を上げると、リーマスを突き飛ばした少年はどう云うわけか、リリーの前で頭から転んだ。
ホッとするまもなく、急に身体が持ち上げられて息が詰まった。床に擦った手が痛んだが、胸倉を掴んで引きずり上げた上級生を思いっきり睨んだ。
横から延びたシリウスの腕が彼の顔を払って、再び身体が床に投げ出される。
少年に長い足で見事な蹴りを入れ、二人目をのしたシリウスがうなり声を上げた。
起きあがって視線を追うと、視界の端にリリーの喉を締め上げて杖を振り上げるローブが見えた。
走り出そうとした足がもつれて床に投げ出された。
足首を掴まれたのだ。
蹴り飛ばそうと振り返るが人影は無い。
いきなり上がった上級生の悲鳴とシリウスの怒声に顔を上げると、リリーの身体がずるりと壁に崩折れた。リリーに向けられるはずの杖は腕ごと何本もの蔦で固定されたようになっていた。
それどころか、彼に掴みかかろうとしたシリウスの頭や首にも緑の縄が架かり、見る間に身体を埋めていく。くぐもったうめき声が上がったが、何が起こったのかまったくわからない。
自分と彼らの間の床は緑の蔦に埋められていた。
いや、自分の身体にも、シリウスほどではないが幾つもの蔓が絡み付いているのに気が付いた。魔法植物ではない。どう見ても城の外壁をおおっていたものと同種の蔦が次々と伸びてくる。外そうともがいて、彼らの傍に居たはずのリリーを思い出した。
慌ててそちらの視線を向けると、喉を押さえ、壁にもたれていたがリリーは無事だった。
彼女には緑の縛めは触れてもいない。
緑に包まれた目の前の身体を忙然と見ていた彼女の横に、なんの気配もなく細い影が立った。
「リリー、もう良いよ、彼はなにも出来ない。放してあげたら?」
落ちついた、切迫感など何処にも無いやさしい声。するするとその身体にも蔦が巻きつく。
「彼はもう君には何も出来ないよ。放してあげればいい。」
ギクシャクと酷くぎこちなくリリーの顔が彼を見る。
「放して、と頼めば良い。」
彼の身体に巻き付きかけた蔓が床に落ちた。
緑の縄が解けて、埋もれていた身体が床に延びる。咳き込むシリウスが少年の名前をつぶやく。
ジェームズが苦笑して、それからこちらを向いた。
「大丈夫かい?リーマス?」
自分の身体にあった戒めも解ける。呆然と座り込むリリーに駆け寄る。
「リリー、」
気が付けば、リリーの周りには彼女を守る魔方陣のように蔦が整然と円を描いていた。
「落ちついて、大丈夫だよ、リリー。」
ジェームズが再び、はっきりとした声でそう言った。
周りはいつのまにか何人もの大人で囲まれていた。
つぶやき
やばい、エライ事件にしてしまった…
03.11.23
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