閉鎖空間

 

 

 

2.風の塔

 

 リーマスにとっては、何もかも初めての経験だった。
 学校で学ぶこと。
 同世代との共同生活。
 大勢の人間と常に接触する状態。
 秘密を知られることへの恐怖。
 秘密を知るものの視線。
 常に緊張を強いられる生活はリーマスの神経をすり減らす。
 彼は逃げることを考えなかったが、自分が休息を必要としていることも気付いていた。

 

 校内にはそれこそ驚くほどたくさんの空き教室があったが、それらは実際には一人になりたいときに気楽に使えるほど安全な空間ではなかった。予告無しに現れるゴースト、静かに入ってくる上級生の恋人たち、良からぬ相談をする生徒たち。
 ようやく探し当てたのは、城を構成する最も高い尖塔の屋上だった。
 タペストリーの陰に隠された階段は暗く、しかし思ったほど湿った匂いはしなかった。
 塔の上は強い風がぶつかる空間だった。
 しかし壁際に屈みこめば、風は擁壁に遮られ、頭上を通りぬける。
 早春とはいえ太陽に暖められた石の壁は眠気を誘うに充分だった。

 

 誰かの声を聞いた。
 叫び声とも、悲鳴ともつかない音。
 自分の手が暖かい液体に濡れているのを見て息を呑んだ。

 隠さなくては。
 急いで隠さなくては。
 とっさに手を拭こうと身体を見まわして、自分の服の肩から、髪からも赤い液体が滴っていることに気がつく。
 これは誰の血なのか。
 誰が作ったものなのか。
 誰かが自分の名前を呼んでいる。
 恐慌状態の中、リーマスは考える。
 逃げなくては。
 とにかくここから、逃げなくては。
 どこへ?どうやって?
 自分に逃げるところなどありはしないのに。
 何かが肩に触れたことに驚いて、満足に呼吸も出来ない口から、悲鳴が走り出た。

 

 眩い午後の光の中でようやく目の焦点が合う。
 悲鳴を上げて飛びおきた自分をびっくりした顔のリリーが見ていた。
「ごめんなさい、驚かせた?
 床に転がってたから、具合が悪くて倒れたのかと思って。」
 日溜りの中で悪寒に震える自分が滑稽に思えた。
「…あったかかったから…」
 酷い動機はまだ収まらない。
 そんな筈は無いと思ったのに、目が自分の指を確認する。
「…そうね。すごくお日様が気持ち良いよね、今日は。
 うん、これなら眠くなっちゃうかも。…リーマス?」
 リリーの深い緑色の目がこちらを覗き込むのについ警戒する。
「な…なに?」
「顔に床の跡がついてるよ。」
 呪縛から開放された手が、あわてて頬をこすった。

 

 何を聞くでもなく、リーマスの隣で日溜りに座り込んでいたリリーがふいに顔を上げた。
「リーマス、貴方は何時ここのドアを見つけたの?」
「え、あ先先月…の終わり」
 マダム・ポンフリーに塔に上る道があるのか聞いたのだ。
 朝日に輝いたホグワーツの城の中、最も高い塔。
 真っ先に朝日を浴び、最後の夕日を受ける尖塔。
 ある、と聞いて、冬の間中、それらしい場所をこっそり探し回った。
「なら、私のほうが見つけたのは早いね。」
 どきり、とする。
 来るなと言われたら…どうしよう?
「…優先権ってことで、私がここに来ることを許してくれる?
 …気になるなら、先に貴方がいるときは私は譲るし。お互いにそうしたらどうかな?」
「え、あ」
 内容の意外さに反応が遅れる。
「いや?」
 リリーの声には、拘りも屈託も無かった。
 改めて、リリーのほうを見る。
「あの、僕来てても良いの?」
「良いんじゃない?ここは本来学校の敷地で、私達は二人とも校則破ってるわけだから。
 ちなみに、ここに倒れてたのがジェームズ・ポッターやシオラ・ファーガスンなら、私は速やかに先生か管理人さんを呼びに走った。遠慮無くね。」
 小さく舌を出して見せたリリーの顔に噴出す。
 同室のジェームズ・ポッターは、やはり同室のシリウス・ブラックと並んで学年の悪戯成功率トップを走る少年だ。成績もずば抜けているが、学年当初から教師たちにマークされた。シオラ・ファーガスンは名門出身のスリザリン生だったが、マグル出身で飛びぬけて成績の良いリリーが気に入らないらしく、しょっちゅうリリーをあげつらう。
 立ち入り禁止の塔へ、ドアを破って侵入しているのだから、見つかれば減点されるのが間違いなしの行為である。
 確かに、良いも悪いも無い。
 よりによって同じ寮の一年生が!
 それがとんでもない事であるのにそのことがおかしくて、二人は声を上げて笑い始める。
 リーマスは、自分が久しぶりに「楽しくて」笑っていることにようやく気がついた。


 リリーはどうして?と思わず聞いていたリーマスに彼女はさらりと言った。

「『立ち入り禁止』と書いてあるドアがあったら、とりあえずは開けてみるのが礼儀って物じゃない?」
 その言葉にリーマスは目を見張る。
「学校内でそんな注意書ぶら下げるなんて、子どもたちに入ってくださいって言うのと一緒だよね。もちろん、『危険につき厳重注意』と書いてあれば、踏み出す前に考えるけど。」
 明るい声で笑いながら付け足す。
 この物騒さは、もしかしたらジェームズやシリウスと似てるんじゃないだろうか、とこっそり思う。
 それから、一人でゆっくり考え事が出来るところが欲しかったと彼女は呟いた。
 空き教室はいろんな使われ方をするらしいから。
 そういって肩を竦めた顔には、苦笑が浮かんでいる。
 その言葉にはリーマスも素直に同意する。
「それに、こっちのほうが、断然気持ちがいい。…同じ落ち込むにしても。」
 頭を上げて、真っ直ぐに人をみれるリリーのどこが落ち込んでいるのかは判らなかったが、彼女はリーマスの返事を待たず、視線を陽の方に向けると猫のように伸びをした。
「リーマス、手を貸して。」
 ふいにリリーがこちらを覗き込んだ。
「?」
「元気になるおまじない。」
 いわれて、リリーの手に自分の手を乗せる。
 日向で身体が温まったはずなのに、リリーの体温のほうが高い。
 暖かい指が自分の手を包む。
「…げんきになあれ、げんきになあれ、げんきになあれ…」
 おまじないだといっていたけど、身体全体が温まるような感覚が湧いてくる。だるかった背中や、痛んでいた腕から強張りが抜けていく。
 医療魔法とは思えなかったが、この「おまじない」の効果は明らかだった。
「…ありがとう…」
「元気になった?」
「うん。…うん。ほんとに痛くなくなった。すごいね。」
 一瞬、彼女の顔を疑問が横切ったように見えたが、すぐに笑顔が浮かぶ。
「これは私が出来ること、だからね。」
「?…ありがとう。」
 礼を言って立ちあがる。もう眩暈もしない。
 リリーは小さく手を上げて、壁に背中をあずけた。

 ゆっくりと壁を巡り、日陰になっている階段扉を開けた。
 塔の風を背に受けながら、扉をくぐる。
 急に暗い空間に入って、良く見えない足元に気を付けながら階段を降りる。
 リリーは一人でどんなことを考えるのだろう、とぼんやり思った。

 

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つぶやき

ルーピン少年とリリーさんセカンドコンタクト。
おかしーなー、まだシリウスとジェームズが出てこない。




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