風邪と友人と贅沢
一寸した風邪をひいた。
ここのところ、例の調査で忙しくてちょっと疲れがたまっていたのと、2日で2回全身ずぶ濡れになったのが決めてだったらしい。
熱で食欲はまったく無かったし、ようやく食べたものも吐いたりした。
だからあんまり動きたくなかったので、この3日ほどおとなしくベッドに蹲っていた。
そしてシリウスは昨日くらいからかなり不機嫌だ。
たぶん、私が水分以外(味がついていると吐き気が来るので本当に水だけ)口にしないことを怒っているのだろう。
いいかげん何度も経験して判っているが、別に無理に食べなくっても、一応落ちついては来るのだ。
極端な高熱でもない限り、水分を取っていれば、普通の人間は2日や3日の絶食で死にはしないものだ。
それから食べたって間に合うよ、と言ったときには口元に言いたいことがたまっているのがはっきりわかって、思わず肩をすくめた。
一人暮しだったときは、こうなるとソファだろうが床だろうがかまわず転がって、動けるようになるまで倒れていたものだ。
一日でも二日でも。
いまそんなことをすれば、蒼白になった友人にたたき起こされ、ベットに運ばれるだろう。回復したあかつきには、真っ赤な顔で自分を叱り付ける彼の相手をしなければならなくなるので、面倒くさくてもともかく自力でベッドまで移動する。
パッドフットのときは、黙って傍で寝てくれるのに、人間の彼は(相変わらず)とても饒舌だ。
…少々面倒くさいほどに。
出来れば、今度目を醒ましたときにお腹が空いたと思ったなら、スープくらいは口にしよう。
…友人の精神衛生状態を慮って。
次に目が覚めると、部屋の中は薄暗くなりかかっていた。
明かりを付けようとして、枕もとの箱に気付いた。
自分の記憶には無い形と色だった。
どうやら空色らしい箱は、一辺はせいぜい5インチ程度の立方体で、全ての縁が細い金色の縁取りで塗られていた。
無造作に私はその箱を右手に取った。
こういう意味ありげな物は注意すべきだ。
現在この家に住んでいるのは私と友人だけで、私が置いた物で無いなら、彼以外の誰が置いておくというのか。
そして彼の過去の実績をいやというほど知っているのに。
後悔は先に立たず。
そして数瞬後にはもう後悔したのだった。
手の中の箱が振動した。
箱がくたりと崩れ、そこから溢れるような強い光と小さい爆発音が幾つも響いた。
箱の中から四方に光の束が飛び出して、その先でさらに爆発を繰り返す。
色とりどりの金属箔で作られたような光の花が自分の上に大きく開いた。
飛び散った火花は当然まわりに落下してくる。
とっさに火花から目を守る。
これは厳重注意だ、と思った。
いくら花火が小さくてもこんな狭い室内では危険だ。
この家が焼けて困るのは私だけではないのだから。
安全な隠れ家を確保するまで、あんな目立つ男とホテル住まいでは危険過ぎて話にもならない。
「目が覚めたのか」
音を聞きつけたのか、部屋のドアが開いて友人が平然と入ってきた。
さすがにぎょっとした。
彼が、降りかかる火の粉を払いもしないでずかずかとこちらへ近付いたから。
「どうだ、綺麗だろう?」
いろんな大きさの螺旋を描きながら、収縮してルーピンのまわりに散乱した。
花火の粉の様に光る小さな包み紙。
パンパンと弾けるような音は続いて、室内は光の粉で一杯になったが煙は無く、花火が幻術だと気がついた。
そして部屋の中には火薬ではなく、バニラやカカオ、シナモンやらの匂いが漂っていた。
「その…悪いけど回復祝いにはまだ早いよ?
それとも、なにかのお祭りだっけ? 」
一瞬友人はものすごく変な顔をした。
顎が落ちそうになったのは、無理繰り噛締めたけど、目が驚愕に開かれるのは防げなかったというような…
「…リーマス、今日は、何月何日だ?」
なにか言いたいことを押さえ込んでいる友人の風情に、気まずいものを感じて、早く答えなくては、と思い、とっさにカレンダーを探す。
友人がすばやく杖を振ってくれたので部屋が明るくなる。
が、自分の部屋にカレンダーなどというしゃれた物は存在しない。
困っていると、部屋に友人の大きな溜息が吐き出された。
「…教授、今日は3月10日だ。何か覚えておいでか?」
「あ、」
『なにか』の意味にようやく思い至った。
こんな年になっていまさら誕生日を祝う必用が何処にあるのか理解は出来なかったが、まあ、友人は昔からこういう祝いごとが大好きだった。
何を言えば良いのか、少々迷った。
しかし、彼が祝ってくれようとしたことは判ったので、まず礼を言うことにした。
「えーと、ありがとうシリウス」
まわりに散らばる金色や青や赤い箔にくるまれた何かを手に取る。
スニッチの半分ほどの直径しかない、とても軽い物だった。
青い箔の包みを一つ剥がしてみた。
一口にしかならないような小さなクッキーが現れた。
「すごい!
これハニーデュ−クスの新作かい?」
たった一口程度のクッキーが間に白いクリームを挟み、半分にチョコレートの衣がかかっていた。
上には若草色の粒が星の形にちりばめられている。
ああ、ここにも花火があったのか、と思う。
見るからに手の込んだ、綺麗なお菓子だ。
「違う。俺の新作だ」
思わず彼の顔をまじまじと見る。
いったい、友人の特技というのは幾つあるのだろう。
「中身は本物だ、こちらに魔法をかけて、光が飛び出すようにしたんだ」
「…本当なら腕によりをかけてケーキも焼く予定だったし、料理も用意したかったが、病人の胃袋には消化のいいものが必用だからな」
中年男の2人暮しに、そこまでやる必用が何処に?と質問したい衝動が起こったが、口にはしない。
「とりあえず、生姜と鶏のスープを用意した。食べられるようならもってくる」
なんてまあ、贅沢な生活だろう。
ぼんやりとそんなことを思った。
黙っている自分をどう思ったのか、彼が手の中のクッキーを取り上げ、杖を振った。
ベッドに散乱した光る粒が、いつのまにか大きくなった空色の箱にすいこまれて再び自分の手の中に落ちてきた。
「…こっちは、治ってからにしろ」
なんて、なんて。
「夕食は入らないとか、ぬかすなよ教授。治るまで菓子は禁止だからな」
…たしかに、それは困る。
せっかくの君のお菓子が湿気てしまう。
「うん、大分良いんだ。君のスープをくれるかい?」
尻尾を振りそうなくらいうれしそうな顔で友人が頷き、部屋を出ていった。
ああ、と私は溜息をつく。
なんてまあ、贅沢なんだろう。
彼と暮らすということは。
なんて、本当に!
…ちゃんと風邪を直して、彼のお手製花火クッキーを頂くことにしよう。
私は手の中の箱をサイドテーブルに置いた。
階段を上ってくる足音が聞こえてきた。
つぶやき
うーん、黒田さんは、きっと元気な病人だと思います。
06.03.10
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