バスルーム
パッドフットを洗うのはとても気持ちが良い。
彼は散歩のあとで洗われるのが好きではないらしいのに、
鳥を追いかけて湖に飛びこんだり、
魚を見つけて川に入るから、そういう時は必ず洗っている。
そしてふかふかに乾いた黒くてなめらかな毛皮に頭を預けて昼寝をするのは本当にしあわせだと感じる時間でもある。
彼は頭がよすぎて時々思考の飛躍についていけない、と感じるが、今日の出来事もそうだった。
夕方、同居人が、何を考えたか、私の髪を洗いたいと言い出した。
当然、私は自分の髪くらい洗えるから、その必要は無いというと、
お前に必要性があるのではなく、彼がその必要性を感じているのだという。
一体どう言う意味だ?
わたしは髪だって耳の後ろだってちゃんと洗っている。
さすがに憮然とすると、彼は赤くなって、慌てて、そういう意味ではなくて、といった。
それからほんの数秒なにかを迷ったがすぐに顔を上げた。
俺が、お前をどうしても洗ってみたいんだ。
…それこそ一体どう言う意味だ?
わたしを洗って何が楽しいんだ、とたずねると、
お前は何時も楽しそうだが、犬を洗うのはどこが楽しいのかと逆に聞かれた。
パッドフットを洗うのは楽しい、とわたしは断言した。
ふかふかの毛の中で泡が溢れて白い雲みたいになって黒い毛皮にくっついているところも可愛いし、それを流すときに水の玉が毛皮をころころ転がっていくところもきれいだし。
それになにより、
きれいになったパッドフットのふかふかの毛に触るのはもっとたのしい、
とわたしはうっかり主張した。
シリウスがにっこり笑った。
彼はそっくり、同じ言葉を返してきた。
すぐにひっかかったと気が付いたが遅すぎた。
彼は公平だとか、対等だとか言う単語をちりばめた文章を、
桶をひっくり返した勢いで浴びせはじめた。
こうなれば小手先で倒せる相手ではない。
15分後、わたしは負けを認めざるをえなかった。
バスには湯が張られていて、お湯は良い匂いがした。
振り向いて無言でバスタブを指すと、
風邪を引くと困るから、オイルを入れた、と当然といわんばかりに返事が返る。。
湯冷め防止のハーブか何かだろうか。
最後の溜息をついて諦めると、さっさと服をぬいでバスタブに入った。
シャワーで少し熱めのお湯を流しながら、シリウスが丁寧に髪を梳きはじめる。
熱くないかとか、痛くないかとか聞いてくるが、とくに無いよとしか言いようが無い。
それから、また花の匂いの泡が頭の上に載せられた。
やっぱり丁寧に髪に梳きこまれる。
うちの石けんはこんな匂いだったろうか。
まったく気にもしていなかったから、そんなことも知らない。
となりにたたずむ気配は鼻歌が出てきそうなくらい楽しげだ。
私の髪の毛はどうひいきめで見ても黒犬の毛皮みたいにきれいではないし、自分で触っても良い手触りとはおもえないのだが。
一体何が楽しいのか。
まあ、パッドフットが洗われるのを嫌がるのがすこし理解できた気がする。
逃げるわけにはいかないし(バスルームが水浸しになる)、どうしたって緊張するからなんとなく疲れるし。
わしゃわしゃと頭を掻き回すシリウスを横目で見てみる。
シリウスは誰が見ても即わかるくらいご機嫌だった。
ものすごく う れ し そ う で た の し そ う な笑顔だった。
温かいお湯が再び降り注いで泡を流す。
うつむいた私の頬を泡がすべっていく。
そして私は、あきらめたようにバスルームへ向かうパッドフットの気持ちを理解した。
つぶやき
オイルはローズオイル(体がほんとに温まる)、シャンプーもローズ系で
もちろん黒田が用意しました。
…黒田は慣らしながら要求を上げていこう!
という作戦に出たようです(正しいが道は遠いかも)。
’07.03.10
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