贅沢なPAIN




ある夜の寝室で、彼は少し目を閉じて、質問に答えてくれ、といった。
私がボタンを外しかけた手を止めて、その場で目を閉じると、溜息のような音の後で、寝台に座って、目を閉じてくれ、という。
いわれたようにすると、彼はシャツの袖のボタンを外し始めた。
自分で、といいかけたが、目を閉じてくれ、とたたまれた。
両袖と首もとが楽になる。
それから右の腕に圧力を感じた。
どこに触れているのかわかるか?ときかれて、正直に答える。
これは?ときかれたが、今度はよくわからない。それも正直に答える。
聞かれてもわからない部分となんとなく圧力しか感じない部分、彼の手が移動するのが感じられる場所があったり、首の後ろに振られたときは少しひやりとしたり。
その間も彼が問いかけ、私が答える。
まるで実験しているみたいだと可笑しくなったが、数日前の会話を思い出し、彼の行動の意味に思い至って、どうしようか、と思う。

私の体の痛覚や触覚は実際だいぶがところ鈍っていて、腕や足のちょっとした打撲や切り傷など気がつかないことがあるほどだ。
人から指摘されたこともあったが、とくに気にしてはいなかった(生命にかかわる怪我がわからないとさすがにまずいが、それほどでも無いのだし)。
この事実は彼にとってあまり愉快なことではないらしい。
当然と言えば当然だが、彼がそのことに気がついたのは、
私達の間でこれまでとはまったく性質の違う接触が行われる様になったためだ。
まあ、検討したところでどうこうできる事情でもないのでそのままにしていた。
だいたい傷跡なぞ、彼にとって見ていて気持ちの良い物とは思わなかったから(彼は私の体に傷を見つけるととても痛そうな顔をする)、これまで、寝室で服を脱ぐようなときは、たいてい光量を落としていた。
この状態では、それははっきり見えているだろう。

そうして、私の体の感覚がまともに残っている場所があまり多くないことも。

彼が私の顔を見ていることが判るから、どのみちごまかし様も無い。
失敗した、と少し思う。
どうしよう、と取留めの無いことを考え、それからふいに感覚の残っている部分の共通点に思い当たる。
まとも(なのかどうかはわからないが)な感覚があるのは、首や腹部、動脈や内臓に近い場所で、いずれも下手に傷つければ致命傷となる部分ばかりだ。
あの獣でさえ。
あの獣でさえ、狂っても、己を殺すような傷を負わせることはなかったということだ。
それに気がついて、可笑しくなった。
うっかり、なるほど、と呟いたとたん、彼の気配がはっきり変った。
目を開けたとたん、彼が自分の呟きの意味を正確に理解したことに気がついた。

そんな顔をしなくてもいいのに。
そう思ったが、口にはしなかった。
彼は無防備に傷ついた子供のような表情をして、それから怒ったように目を伏せた。
思わず彼の頭を撫でてて、そんなふうに気にされると、どうしたら良いのかわからなくなる、というと、彼の腕がきつく背中を抱く。
このときの彼はとてもかわいいと思う。
辛うじて自由に出来た左手で、もう一度彼の頭を撫でる。
君は温かいし、もう少し力を緩めてくれると、なんとなく安心できて好きなんだけど、と言ってみると、少し腕が緩んで何処かむっとした顔で私を見た。
なんで安心なんだ?ときかれ、いつも、暖かいベッドの中で、君に丁寧に触れられていると気持ちよくて眠くなる
から、と言ったら怒りだした。
そういうときに眠るのはマナー違反だと叱られる。
マナー違反はまずいな、と思うが、なんと言ったら良いのかわからず沈黙していると、
とりあえずお前が眠くなる暇のないよう努力すると宣言された。
そして、彼の手が私のボタンに伸びた。
努力していったいなにがどうなるのかはわからない。
あったかくて安心できて気持ちよくて眠くなるということは私にとってはとても幸せなことなのだけど。
上手く伝えられると良いのに。
2つほど外したところで、彼の手が止まり、とっくに外されていた袖口を持ち上げた。
手首の少し上、圧力しか感じない古い傷の痕跡に、彼はゆっくり口付けを落とした。




つぶやき

いくら狼が狂っていても、腹とか手首の動脈とかは痛めつけないよね?
怪我の少ない部分は感覚もまともかも、という発想から何故こんな話になるのか謎だ…

’07.02.13



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