時間の流れを考える

時間進行の2次元表現

木下眞二

(2007年4月記載)



時間の流れに矛盾しない時計

 

 「意識としての時間の流れ」と「暦の上の時間の流れ」との関係を2次元的表現で考えてみたいと思います。

実際は、もっと複雑で、多くの次元で考えなければならないと思うが、ここでは、単純に、2次元的にあらわしてみたいと思います。


 次のグラフで、縦軸は、生まれた時を起点として、「暦上の時間」で、あらわしています。横軸は、「意識的時間の長さ」を、あらわしています。


生まれてから死ぬまで、意識的時間の流れが、暦上の時間の流れと、同じように進行するとすると、このグラフのように、ほぼ45度の勾配をもった直線として、あらわされると思います。


意識的時間の「長さ」と「量」と「質」と「方向」

 「歳をとると時の流れが速く感じる」のは、同じ暦上の1年の長さでも、歳をとった時は、若い頃に比べ、「意識的時間の長さ」が短くなるからと思われます。

従って、このグラフでは、若い頃に比べ、歳をとった時期は、グラフは急勾配になると思われます。

 同じ期間の長さでも、「意識の量」として、人生の間に、他の時期に比べて、非常に(長くではなく)多く感じる時期があると思われます。

ここでは、そのような多い「量」は、太線であらわすことにします。

 また、量的に多く感じられる時期でも、それが充実して楽しい時期と、重苦しく不快な時期があると思われます。

快い意識の時間では「赤線」で、不快な意識の時間では「青線」で、あらわすことにします。

 もう一つ、「意識的時間の流れ」には、進んで行く「方向」があると思われます。このことについては、後の方で考えてみたいと思います。

 次に、一つの例として、「浦島太郎」の物語を、2次元グラフで、あらわしてみます。

「浦島太郎の物語」

 次の2次元グラフは、浦島太郎の一生をあらわしたものです。

 「昔昔、浦島は」Aの時点で、室町時代?くらいに、浦島太郎は生まれます。

 「助けた亀に」Bの時点の若い時に、亀を助けてあげます。

 「連れられて、龍宮城に来て見れば、絵にもかけない美しさ。」Cの時点で、龍宮城に連れられて来ます。

 「乙姫様の御馳走に、鯛や比良目(ひらめ)の舞踊、ただ珍しくおもしろく、月日のたつのも夢の中。」CからDの時期では、とても楽しく(赤線)、そして、充実(太線)した時期です。

しかし、意識的時間の長さでは、故郷の人間世界の暦で、数十年も過ぎているのに、龍宮城では、わずか数年にも感じられませんでした。

 「遊(あそび)にあきて気がついて、お暇乞(いとまごい)もそこそこに、帰る途中の楽しみは、土産に貰った玉手箱。」Dの時点で、おいとまごいをして、龍宮城を去ります。

 「帰ってみれば、こは如何に、元居た家も村も無く、路に行きあう人々は、顔も知らない者ばかり。」Dの時点から故郷にもどって来ています。

浦島は、まだ若いままですが、故郷の暦では、数十年が過ぎ去っていたのです。

 「心細さに蓋取れば、」Eの時点で、玉手箱をあけます。

 「あけて悔しき玉手箱、中からぱっと白煙、たちまち太郎はお爺さん。」Eの時点で、浦島は玉手箱をあけたとたんに、時間は不連続的に変化し、太郎は老人となります。

悔しい思い(青線)をしながら、Fの時点で、人生を終わっています。

 このような2次元グラフを使って、いろいろなことを考えてみたいと思います。

 例えば、

*「歳をとってくると、意識的時間の速度が速くなる」

*「睡眠」

*「夢}

*「前世」

*「後世」

*「百万回生きた猫」

*「葉っぱのフレディ」

*「千の風になって」

*「時間は未来に進んでいるのか」「今日から明日へ?」

* あるいは、まったく逆に「今日からきのうへ?」

*「時間の断続性」あるいは「今だけ」→「素時間Δt あるいは dt」
 「進行方向は未来へ:ΔT/Δt」 「時は流れず」

*などなど。

続く

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