先に、小林三樹(みつな)先生が、北方林業の5月号に掲載された「若葉薫る季節 日本の雨は有り難い」を載せましたが、さらに、この度掲載された「水は多すぎても少なすぎても困るもの」を、以下に転載します。
「北方林業」 2010年9月1日号忙中閑記欄
水は多すぎても少な過ぎても困るもの
小林三樹
沙漠の国から戻り適度に雨の降る日本に暮らせるのは有り難いと書いたのは5月号だった。その後、梅雨末期の本州・四国・九州は長雨と局地的豪雨に見舞われ大きな災害を蒙った。特に何百年も崩壊することなく森林に覆われていた山地斜面の深部崩落による土石流が多発したことは、尋常ではない降雨強度であったことをうかがわせる。
雨は降りすぎても、降らなさ過ぎても、そこに住む人々に多大な不幸をもたらす。テルテル坊主を吊したのは、運動会や遠足を翌日に控えての願掛けだったが、世界の諸民族に雨止め祈願よりも雨乞いの儀式が多く見られるのは、何ヶ月も続く日照りによる飢饉に人々がいかに苦しんできたかを想わせる。日本各地の源流には雨をもたらす龍神さまや白蛇を大切に祀る祭事と祠があるし、瀬戸内の各地には雨不足に備えて農地面積に匹敵するほどの溜め池が設けられてきた。
北海道にこのような雨乞い信仰が見られないのは、火山灰山地と積雪と森林がもたらす水資源に恵まれていたことと、水田については明治中期以降に近代的灌漑農地として開拓されたからではなかろうか。厚い火山灰地層、山地積雪、森林被覆、カルデラ湖、比較的緩い傾斜等は、北海道の河川に流れ出る水量を、日照りでも大幅には減少させずに豊かに保たせている理由である。農林漁業・自然享受観光等に北海道が備えている適性として、この水の豊かさ(渇水比流量の多さ)を再認識したいものである。
四大河川文明と呼ばれている古代文明は、いづれも上流山地がいただく積雪資源と森林資源の恵みを、下流地域がフルに活用して富み栄えた構図である。融雪洪水を巧みに利用して食糧を安定生産できた下流の国が、人口を増やし、国力を興隆させて、流域内の覇権を握った。水源国・地域(ナイル川上流国やチグリス川上流国等)は今、食糧増産等に水が必要であり、水利用をめぐって下流国と必ずしも良好な関係にはない。その点、北海道は雪山の恩恵に浴している状況は同じでも、ひとつの島の中での顔の見える関係であり、(かつての水質汚濁問題を除いて)そもそも水争いが少なかったのは幸いだった。そのかわり本州・四国・九州各県や外国での水資源がらみの社会的・政治的コンフリクトへの理解に欠ける点があると思われる。
水の大半は海に蓄えられていて、水と熱の大循環をつかさどり、お陰で高緯度地帯まで人の住める穏和な気候が保たれているのだが、水蒸気と大気の大循環も海水の大循環も、地球表面の微妙な熱バランスによって恒常性が保たれている。その熱バランスを狂わすほどに人の営みの総和が増大したことが、地球規模で気候を狂わせている元凶だ。今まで厳しい気候条件に置かれて発展が妨げられていた地域(極地、沙漠、乾燥地域、多雨地など)ほど、さらに厳しい異常気象に見舞われているのは真に不条理なことと思う。
私は営農どころか飲料水確保に苦労している乾燥国の技術系官僚に、地域の水資源制約下で持続的飲料水供給を工夫する発想力と技術力の醸成を支援するJICAの研修に関わって四年目になる。今年も10月下旬から12月下旬まで、ニジェール、マリ、チャド、セネガル、ブルキナファソほかサハラ周辺から10数名が札幌にやってくる。従来3ヶ月だった乾期が、4〜5ヶ月へと延びるようになり、牛の飲み水と草、人の生活が困難を増し一層の貧困に陥っている。
8月にはイラク、シリア、エジプト、チュニジアなどの環境計画官僚の研修に関わったが、彼らにとって水資源は深刻そのもの、食糧確保への現実の課題である。先進工業国の石油多消費が買い支えている原油価格の高止まりも、煮炊きと採暖に迫られて森林の不法伐採が止まない原因になっている。中近東に森林はもうほとんど無い。この閑話欄にそぐわないが、時には世界の現実の直視も肝要ではないだろうか。(藤女子大学)
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