今日はセンターでソファーに座って、小谷さんと年配の女性と3人で、テレビを見ながら4時まで話していた。楽しかった。今日は平穏な一日のようだ。7時ごろ、センターに夕食を食べに行く予定だ。今日はハヤシライスだ。別に楽しみにはしていない。


ストア派とエピクロス派が古代ギリシアにはあったが、結局エピクロス派の主張はストア派の主張に近くなってしまう。ストイックな生き方のほうが幸せなのだろう。足るを知るということだ。でも、親父が亡くなって寂しい。これはストア派とは関係ないことだ。誰か助けて欲しい。



毎朝、一時間半位、自転車で川崎方面に向かって一回りしてから鶴見に帰ってくる。途中、サンクス市場町店(横浜市鶴見区)に立ち寄り、伊藤園のお茶を買って飲むのが習慣になった。ここの店員さんの鈴木君、石井さん、小野さんは明るく朗らかな高校生だ。隣は市場町交番で、そこの警官とよく挨拶する。



「言葉は魂を治療するための本質的な工具でもあるのだ」(フロイト)「忘れる能力、欲望や理解を絶つ能力こそ分析家にとって根本規律だとみなされねばならない」(Bion)「つまり本来の経験は言葉というものを欠いているのだ」(ニーチェ)



そろそろ音楽活動を再開しようかな。演奏会を開くということではなく、ピアノ、リコーダー、作編曲、音楽ソフトの作成などです。



音楽の本三冊が手に届いた。「はじめてのジャズ Jazz Master Series」「ピアニストのためのスケールソロ・フレーズBook」「リハーモナイズで磨くジャンル別コード・アレンジ術」の三冊だが、役に立つかどうかはまだ分からない。難しい内容ではない。



鶴見川崎にはヤクザが多く、私も元ヤクザで、足を洗ったが、手も洗って、顔も洗って、仕事に行くようになり、詰められてしまった小指も伸びてきて、元通りに戻った。私の手の指はイモリの尻尾みたいなものだ。



現在、黒田さんが日銀の総裁しなっているが、候補として私の小学時代の友達も上がっていた。もし、彼が日銀の総裁に就任した暁には、お札を刷ってもらって、私にくれることになっていた。もちろん、印刷代は支払うことになっていたが、相当の利益が得られるはずだったので、極めて残念だ。



私には自称360歳の円周率みたいな年齢の友人がいるが、本当にそんなに歳を取っているようには見えないのは不思議だ。私とも260年ほどしか付き合っていないので、私にも確かなことは分からない。



東西冷戦時代に核戦争が勃発する危険性などなかったのだ。モスクワの「赤の広場」の「赤」のロシア語での意味は「美しい」という意味なので、「赤だ、赤だ」と非難しても、旧ソ連は美しいと賞賛されていると思っていたので、戦争が起こるはずは無かったのが真実だ。仲良くするためには褒めてあげよう。



3月ごろ酷い風邪をひいて、咳がなかなか止まらなかった。仕方なく両国の国技館に行き、お相撲さんに会ったら咳が止まった。さすが関取(咳取)だ。さすが日本の国技だ。



昔は固定為替相場制で一ドルは360円だった。決めたのは米国らしい。米国で日本語「円」の意味を調べたらしく、英語ではcircleなので、円周率が360度だから、そうなったらしい。為替相場なんていい加減で良かったのだろう。今は変動相場制で忙しい時代になったものだ。



先日、古美術商から電話があって、何かあったら買い取りたいとのことだった。実家に明の時代の壺があって、その中には、昔から知らない人が住んでいて、ディオゲネスの壺だとか言って、出て行ってくれない。そばに行くと眠れないからどいてくれと言われる。これじゃ、売りたくても売れないね。



多重人格で、家で一人でいる時は、正座して、背筋を伸ばして、論語なんかを読んでいるんだが、周りに人がいると、挙動がおかしくなるんですよ。外乱が少しでも入ると、制御が難しくなって、振動しながら発散していくような挙動になるので、無限大に発散する前に、家に逃げ帰ってくる毎日だね。



センターでは今日はカラオケ大会で、桶(オケ)にもいろいろあって、私は一人で風呂桶で歌っていたほうが気持ちがいいね。皆、いつか棺桶に入れられてしまうが、その中でも歌えたらいいね。親父は歌っていたよ。本当だよ。まぁ、私にしか分からないだろうね。本当は悲しくて泣きたいよ。



お金で買えないものがある。エホバの証人がそのようなタイトルのパンフレットを私にくれたが、内容はピントはずれだったと思う。お金で買えないものはとんでもないものだ。それは「苦労」である。若いうちに苦労しないでどうする?若い諸君!



(第一話) 
  実は小生、深刻な悩みを抱えています。貧乏という持病があり、お腹がすいて困るのです。しかたなく、心療内科に通い、飢えをしのぐ薬を処方してもらっています。しかし、その薬が結構高価で困っているのです。どうやら、脳内の神経細胞間のシナプスという場所にある神経伝達物質の量を調整する薬らしいのですが、副作用もあるらしく、服用を止めようかと考えております。小生、子供の頃から、動物よりも植物が好きで、いろいろ勉強したことがあります。小生の家の近郊に県立公園があるのですが、よく観察してみると、食用になる野生の植物が自生しているのに驚かされます。小生は時折、草むらに分け入り、食用となる植物を採取してきて、茹でて食し、空腹を満たしております。武士というもの、腹がへっては戦ができません。食用になる植物をみつけるには、小鳥やカラスの行動を観察するのが肝要です。これらの動物が食せる植物であれば、人間にも食せると考えてよいからです。特にカラスは人間以上の見識があると考えてよさそうです。公園には池もあり、ザリガニなど時には動物性タンパク質も摂取することが可能です。ただ、アメリカザリガニはよく茹でないとジストマなどの寄生虫に集られる恐れがあるので注意が必要でしょう。特に若い人はこのようなことを知らない人が多いようです。これらは正に現代の若い世代が忘れている、日本人の知恵なのです。今の日本は厳しい状況にあります。ホームレスになった場合を想定して日々知恵を磨く必要があろうかと思います。
  空腹が続き、眠れない夜が多くなりました。このような夜には、昔のことが思い出されてしかたがありません。かつて、世界ヘビー級チャンピオンであったモハメッド・アリはボクサーでありながら、極めて知性的な人でした。彼の箴言に「私は謙虚になるには偉大すぎる」というものがありましたが、分野は違いますが、もっともだと思うところがあります。小生も計算機に作曲させるなど、天才的なところがありますので、なかなか謙虚になれず、世間に認められず、ひもじい生活を送らざるをえないのだと思います。格闘技といえば、最近のK1とかプライドというのは極めて優雅さに欠けていると思います。かつて、ジャイアント馬場という偉大なプロレスラーがいたのはご存知でしょう。彼は実に優雅で貴族的なレスラーでした。彼のあまりに素早い技は、テレビカメラの走査速度では捉えることができず、テレビを見ている我々には、彼の動きが見えず、何もしていないのに、外人レスラーが跳ね返されるという一見信じがたい光景はざらでした。小生も子供の頃、祖父と一緒にテレビを見ながら、彼の技を見ては、祖父と目を見合わせて肯きあったものです。「プロレスはスピードである」と言ったのは確かジャイアント馬場ではなかったかと思います。それでいて、彼は決して相手を傷つけないのは不思議でした。正に、剣道で言えば「活人剣」そのものであったのです。柔道も究極の技は「空気投げ」です。アントニオ猪木はジャイアント馬場に戦いを挑みましたが、ジャイアント馬場は決して応じませんでした。アントニオ猪木も偉大なレスラーであり、破壊力は強大です。それゆえ、もし対戦していたとしたら、ジャイアント馬場も更に強大な破壊力を発揮せざるを得ず、悲劇が誕生していたでしょう。(ニーチェを参照)。アントニオ猪木はモハメッド・アリと対決しましたが、アントニオ猪木は、マットに横たわるという奇抜かつ独創的な戦略をとり、両者引き分けとなり、正に東洋の知恵と西洋の知性が宥和した形となりました。正に、かつての格闘技は優雅な舞踏であり思想であったのです。
  今日、喫茶店(ベローチェです)に行って、なけなしのお金をはたいてコーヒー(168円)を飲みに行きました。家で石油ストーブを使った場合の石油代とコーヒー代のトレードオフを考慮し、熟慮の末、決断したのです。C言語でプログラムを記述し、結果を出すまでに2時間近くかかりました。ベローチェの店員さんは美人が多く、採用の際にオーディションがあるそうです。やはり、コーヒーを飲みに来て良かったと思いました。店の中には、どこの国か分からないのですが、民族衣装を着た人達がいらしゃいました。たぶんギリシャ人なのでしょう。彼らの言葉が全く分からなかったので小生はそう判断致しました。英語にもこのような表現があるので、間違いないでしょう。最近は外国の方が多いですね。先日もモルモン教の青年たちと駅前で英語と日本語の混ざった会話を楽しみました。彼らはnative Americansを崇拝しているのだそうです。近所のコンビニにも中国人やフィリピンの方が働いておられます。日本人は見知らぬ人に話しかけることはめったにいないので、小生のような日本人は珍しく見えるようです。フィリピンにも小生のようなおかしな人がいるそうです。その人が日本語の「3時のおやつ」という表現を知っているのには驚きました。


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(第二話)
昨日のクリスマス・イヴは毛布に包まって、クリスマスソングを聞きながら、ロマンティックな夜を独りで過ごしたのですよ。
あぁ、その前に数少ない知り合いに年賀状を書きました。
何%返事がくるか統計を取るのも例年通り忘れないつもりです。
MDに5時間20分クリスマスソングだけ録音したのがあるのです。
違う種類の音楽だが、こんなMDが50枚ほど。
私も暇ですな。
私は多才だけど、無妻です。(タサイとムサイは似てるでしょ)
無粋ですしね。
いっそ可愛いぬいぐるみを買おうかな。
でも50歳でぬいぐるみを買うの恥ずかしいと思うので、できないと思うけど、分からないというのが本当の話。
独り身には残酷な二日間も続く休日の第一日目は何とか自害せずに経過。
翌日起きると外は何故か明るかった。
自分の部屋のごみだけ集め、捨てる。
終わった後、虚無感に襲われるも、急に来年から英語のリスニングを再開するのだという欲望が抑えられなくなる。忽然として、オフィーリア。
古いラジカセが壊れて以来、休止していたが、聞ききれないほどのテープがあるのだ。
ラジカセを買うのだ。
テープレコーダーのついたラジオを買うのだ。
広大な公園をつきぬけ、橋を渡り、巨大な城のようなイトーヨーカドーの前を通り、
私は走った。
風を切って走った。
私はサトームセンに向かって一生懸命走った。
車で。
クリスマスの休日で店内は賑わっていた。
ラジカセコーナーへ行き、店員さんに、「このソニーのラジカセでNHKのAM放送の第二放送を聞けるでしょうか?」
と心配そうに尋ねてみた。
「ここに書いてある数字の周波数なら聞けますよ。」と店員さんは自信たっぷりにピントはずれの答えをし、ニヤリと笑う。
何だ、この笑いは?私がNHK第二放送の周波数を知らないのがばれたのだろうか。
まあ、気にしないことだ。多少図太くなきゃ、生きていかれんですからな。
品物を持ってレジへ移動する。
スゴイ美人の店員さんだった。
少しでも長く会話をしようと30マイクロ秒ほど策略を練った。
この位の策略に、私の頭脳をもってすれば、この位の時間で済むということだ。
「これ500円で売ってくれませんか?」
店員さんはギョッとしたような顔をする。こんなこと無理な注文ですからなあ。
「いや、冗談ですよ。でも、マケてくれません?」
と時間を稼ぐ。
「今、上のモノに聞いてまいります。」
これは、まずい、私も良心がうずいた。こんな美人を困らせるなんて許されないことだと真剣に思った。
「いや、冗談ですよ。サトームセンがケチなのはよく分かっていますから。」
どうして、こう憎まれ口をきいてしまうのでしょう。年配の男性店員が機嫌よさそうにニコニコしながら我々の話を聞いているのに気づいた。日本人でもユーモアが分かる人がいるのですな。
美人の店員さんは安心したように保証書を用意する。
私は謝罪の気持ちで、
「包装はいらんですよ。テープだけ貼り付けて下さい。」
謝罪の気持ちが通じたかどうかは分からないが、出口でビビッタ。
男性店員が私をにらんでいるのですよ。
私は、
「盗んだんじゃないですよ。このテープ見て下さい。」
その店員さんは、
「分かっておりますよ、サー、お気をつけて」
と顔からは想像できない冗談を飛ばす。日本人にもユーモアのある人がいるんですな。人は見掛けによらんですな。
私も口ひげを蓄えた恰幅の良い紳士といった外見ですからなあ、サー(Sir)も当然かもね。
いっぱいあるテープというのは、English Journalのことで、知っている人もいるでしょう。NHKの英会話もビジネス英語も聞きたいし、そのためには古いタイプのラジカセが最適です。
家電も古色豊かな機種が復活してますな。
そのNHKなんですがね、今日、公共放送なのに一民間企業に過ぎない会社を取上げておりましたな。一見その会社は素晴らしい企業のような印象を与えるようでしたが、意外や意外!
よく見て聞けば、如何にその会社が貧乏会社で低賃金か分かってしまう内容でした。その会社のお偉方のやせ我慢ぶりは、見る人が見れば明らかな内容でしたな。
世の中はその会社の製品だけでできている訳ではないのは明らかですからな。
これだけ世界一になっても、仕方ないですな。
日本の男性の「世界一」連発は精神年齢が疑われますな。
私は正直、金は欲しいです。本当に私は正直ですな。
総合すると私も「金と女性」を追いかけているようなストーリー展開になりましたが、
本当はストイックな研究生活をしている清貧な男です。
本当ですよ。書物とピアノが恋人。格好いいでしょ。
しかし本当にクリスマスは独り身には残酷ですな。毎年クリスマスソングだけが救いです。

(一部分、天の神様の目撃した事実と異なる記述がありますが、創作物として、神様、お許し下さい。メリークリスマス)