【キリスト教の本質についての考察】
人とのつながりを考えるとき、福音書に見られるイエス様の姿が浮かびます。ヨハネ福音8章を見てみましょう。新共同訳聖書では、7章の53節から8章の11節が [ ] で囲まれています。これは、ある有力な写本には載っていないことを示しています。なぜでしょうか。姦通の現場で捕えられた女性をイエス様は責めず、拒否せず、「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」と言われた。そのイエスの姿は古代教会にとって、実に都合の悪いものだったのです。古代教会において、殺人・棄教・姦通は3大悪と捉えられていました。そのような時代、罪人をあまりにも簡単に受け入れ、赦す姿は受け入れ難かったのです。しかし、サマリアの女性、放蕩息子のたとえ話など、ありのままの人を受け入れ、抱擁し、ゆるし、迎え入れるイエスの姿は福音書に満ちています。【カトリック鷺沼教会のHPより】
日本聖書協会発行の新共同訳では、この部分に、「わたしもあなたを罪に定めない」と無条件の赦しを示唆するような前書きがある。聖書の中で姦淫を赦す箇所はここだけである。ヨハネ福音書は、共観福音書と呼ばれるマタイ・マルコ・ルカ福音書とは異なり、使っている素材としてのイエス伝承はかなり独自の系統のものである。使徒ヨハネがエフェソで著したというのが2世紀以降の古代教会の伝統的見解であるが、史実性に乏しい。歴史的批判的研究の場では、匿名の著者によって1世紀の末にパレスチナとシリアの境界領域で著されたと見るのが最近の趨勢である。この部分は後世に何ものかにより付け加えられたか、この匿名の著者が史実と異なる記述をしたのか、どちらかの可能性は高いと思われる。この部分だけでも、「犯罪の勧め」のような記述になっており、危険な解釈を許す箇所と言えよう。この著者はユダヤ人であったと言われている。「いのちのことば社」の新改訳聖書では、【The earliest manuscripts and many other ancient witnesses do not have John 7:53-8:11.】と注釈があり、「以前にはこのような記述はなく、目撃者もいなかった。」とある。
そのカトリックの教会の関係者が上記の内容を良いことであると思っているのかどうかは判断はできないが、次のような観想を抱いた。
上記の『姦通の現場で捕えられた女性をイエス様は責めず、拒否せず、「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」と言われた。そのイエスの姿は古代教会にとって、実に都合の悪いものだったのです。古代教会において、殺人・棄教・姦通は3大悪と捉えられていました。そのような時代、罪人をあまりにも簡単に受け入れ、赦す姿は受け入れ難かったのです。しかし、サマリアの女性、放蕩息子のたとえ話など、ありのままの人を受け入れ、抱擁し、ゆるし、迎え入れるイエスの姿は福音書に満ちています。』という部分については判断が難しいところであろう。「殺人」まで許すとなれば、被害者は泣き寝入りして、我慢した挙句に、加害者を許せ、とでもいうのであろうか。このようなことを強要するとすれば、完全に人間の自然な心理や感情を反することになり、弱いものいじめの、強者の論理に過ぎなくなり、人倫を乱すことにしかならないであろう。これでは、犯罪者にとっては福音(喜ばしい知らせ)であっても、犯罪被害者など虫けら同然で、人権無視であろうがどうでもいいということになってしまう。犯罪を犯したならば、その罪以上の償いをしなければならないと考えるのが、社会常識であり、法的に罰せられるのは当然と考えるのが、現代の法治国家では常識ではないか。
法律は守るのも面倒だし、人間の自由を拘束するかのように思えることもあるかも知れないが、そのような考え方は幼い子供ならば許されるであろうが、大人の論理や理屈として通用するはずがない。実は、法律は、一面では「弱者保護」の観点から作られているのである。一例を挙げれば、日本の借地借家法などは、弱者保護の観点から作られているのが現実である。法律を無視するような社会では、法律によって弱者を保護することができなくなり、弱者は切捨てられても当然ということになってしまうのである。
日本人というものは、源義経の例にもあるように、判官贔屓のところもあるし、イエスとユダヤ人とのどちらかが一方的に悪いという考え方はしないものだ。聖書を読めば、ユダヤ人に同情してしまう日本人も多いのではないかと思う。ユダヤ人が優秀な民族でありながら、世界中で差別されてきたのも、イエスが一因になっているとも考えられるからである。一応、聖書の言葉は神の言葉とされているのだから、そこに書かれているユダヤ人の言葉も、神の言葉ではないのか?無視してよいものなのか?ユダヤ人の主張に理はないのか?日本人の私には、イエスの発言は分からないことも多いが、ユダヤ人の言葉は理解しやすく、常識的としか思えないのである。私自身は自分のことを俗物とは思っていない。聖人とも思ってはいない。
ユダヤ人と日本人はよく比較されるが、ユダヤ人が性悪説に基いた律法主義であるのに対して、日本人は性善説に基く道徳を強調する。法律に関しては「最低の道徳」としか思っていないから、基本的に法律違反をしないのは当然である。プロテスタントの教会の人に、「聖書には犯罪者や酷い人やおかしな人が沢山できますね」と言ったら、それが人間の本質なのだと言っていた。キリスト教も一種の性悪説の立場なのだろう。日本には根づかないはずだ。日本の公的な教育機関が「聖書」などを読ませず、「論語」などの性善説にたった中国の古典を読ませてきたのは、日本人にとって性善説は当然であったからだろう。大学生の時に、倫理学の授業で聞いたことであるが、日本人に犯罪が極めて少ないのは、「論語」を主とする儒学(儒教)の影響が大きいと言っていた。儒教というのは「教」の言葉があっても、宗教ではなく、あくまで道徳の範疇に属する。死後の世界とか死そのものにつても、一切なにも記述されていない。
悪法も法であるとし、死を逃れる機会を与えられながらも、法に従い自ら毒杯を仰ぎ、従容として自ら死に赴いた哲学者ソクラテスと、律法を否定し磔にされ他殺された情けないイエス・キリスト。この事実だけでも、日本人ならば、ソクラテスのほうを高く評価するだろう。ソクラテスのほうが腹切り日本人の感性に合っているといえよう。聖書をよく読めば、イエス・キリストが律法を否定しているわけではないから、真相は謎なのであるが。
哲学というものが「全てを疑う」ものである以上、哲学者が宗教を疑うのは当然である。哲学者は自分自身をも疑うのであるから、はぐらかすばかりで、自信のないお話にならない奴だと思われても仕方がない。しかし、「信じるのは簡単だとする」軽信は妄信・盲信・狂信・迷信に至るのは当然であるまいか。哲学と宗教を擁護する神学とは異なるものである。「信じれば救われると思い込んでいる」だけなのと「信じて救われる」との差は歴然としており、信仰には行いが伴わなければならないとの記述もあるから、「信じれば救われる」と思い込んでいるだけで、その挙句、悪事をはたらく人間が赦されないのは自明ではないか。
【キリスト教における一番大切な戒めについて】
ローマの市民権を持っていたユダヤ人のパウロの書簡である「ローマ人への手紙」に次のような記述がある。
13:8だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。
13:9「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」という戒め、またはほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということばの中に要約されているからです。
13:10愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。
13:13遊興、酩酊、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。
13:14主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。
簡単にまとめると、「隣人愛」とは「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」という戒め及びその他の戒めを守るということになる。
イエス・キリストも「マタイの福音書」に、「一番大切な戒め」として、
23:37そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』
23:38これがたいせつな第一の戒めです。
23:39『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
23:40律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
と書かれているが、やはり、イエスの言い方では、「隣人愛」とは具体的にどういう意味かは分からない。しかし、パウロの書簡からは、「隣人愛」とは何かということが、具体的に記述されており、理解可能なものとなっている。
これらのことから、「パウロなくしてキリスト教なし」との言葉も納得できると思う。
【補足】
『エロスとアガペー』においてニグレンは、エロスは人間的な愛(自己実現の愛)であって原理的に自愛であり、自己中心的で低級な利己主義に近づく傾向がある神の愛であるアガペーは人間的な立場を超越した無動機の他者実現の道である。この二つは異なる原理、異なる次元、異質の愛であって対立関係にある。シェーラーは、愛の本質的作用を、「生命的作用」「心的作用」「精神的作用」に分け、それぞれ男女間の「情熱愛」、親子・友人にむかう「個体愛」、神や仏陀にむかう「精神的愛」を対応させた。生命的愛と心的愛がエロスにあたり、精神的愛がアガペーにあたる。その人格的な「真の愛」を実現し、他者の実在性を保持し、その人格を生かし、尊重しようとすれば、自己犠牲と絶対的な献身しか残らない。美しい愛、清い愛、感動的な愛は、「死に至る恋」となり、『狭き門』のアリサが、苦しみの末に地上の愛を捨てたように、愛は悲劇に終わる。他者実現の愛は自己否定の愛である。聖書の「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」を実践するならば、自分の幸福を放棄せざるを得ないのである。ニグレンはエロスとアガペーの結合は矛盾に満ちた妥協であって、実際の総合はあり得ないと断定している。つまり、キリスト教を信ずるということは自己否定の愛を実践することなのである。愛は本来は人生の他の要素である、性や感情や幸福や文化には還元できないものである。恋愛は性的欲望と結びつき、これを無視して、理性的・精神的な愛のみを認めれば、愛は結合の力を奪われ弱体化する。19世紀から20世紀にかけて、精神の形骸化と没落とともに、愛が不毛となり、愛のなさが訴えられ、「性」が代わりに登場してくるのは当然であった。元来、「性」に対する欲望の少ない日本人は「愛」にすら執着しなかったようで、「愛」が「性」にとって変わるということが起こらなかったようである。仏教では「渇愛」として愛を否定するようなところがあるから(仏教においては貪や渇愛は人倫において愛と呼ばれる)、先祖を祀る葬式仏教が主流の日本では、「性」はむしろ衰退してしまい、高学歴社会・晩婚化・高い未婚率が進み、少子高齢化という現象が起きたのではないか。しかし、性の快楽は愛そのものではなく、また快楽それ自身が真の愛ではないと気づくのではないか。パスカルは「精神は自ら信じ、意志はおのずから愛する。したがって真の対象のない場合は、それらは偽なるものに結びつかざるを得ない」と言っているが、愛は、快楽と結びつき、同情と混同され、感情と定義される。あるいは趣味となり虚栄心と結びつく。捉えようとすれば隠れ、握っていれば変容する。しかも、愛とは人間の現実的な生に常に大きな具体的な問題を投げかける根源的な力である。
小説家の坂口安吾の説明を参考にして記述してみる。
今から三百何十年前の話であるが、キリシタンが渡来の時、来朝のバテレンたちは、日本語を勉強したり、日本人に外国語を教える必要があった。そのために辞書も作り、対訳本も出版した。その時に「愛」という字の翻訳には非常に困却したという。
不義はお家のご法度という不文律が、その実際の力において、いかなる法律も及びがたい威力を示していた。愛はただちに不義を意味した。もちろん、恋の情熱がなかったわけではなかったが、その象徴は清姫であり、法界坊であり、終わりを全うするためには、天の綱島や鳥辺山へ駆けつけるより道がなかった。愛は結合して生へ展開することがなく、死へつながるのが、せめてもの道であった。「生き、書き、愛せり。」と、アンリ・ベール氏の墓碑銘にまつまでもなく、西洋一般の思想から言えば、愛は喜怒哀楽ともに活き活きとして、生存というものに強く裏打ちされているべきものである。しかるに、日本の愛という言葉の中には、明るく清らかなものがない。愛はただちに不義であり、邪まなもので、むしろ死によって裏打ちされている。
そこでバテレンは困却した。そうして、日本語の「愛」には西洋の愛撫の意を当て、「恋」には、邪悪な欲望という説明を与えた。そして、アモール(ラブ)に相当する日本語として、「御大切(ごたいせつ)」という単語を編み出した。「愛」という言葉のうちに清らかなものがないとすれば、この発明もまた、やむを得ないことではあった。日本人にとって「清らかさ」ほど大切なものはない。
「御大切」とは、大切に思う、という意味なのである。余は汝を愛す、という西洋の意味を、余は汝を大切に思う、という日本語に訳したのである。神の愛を「デウスの御大切」、キリストの愛を「キリストの御大切」というふうに言った。
これは決して昔話とは言えない。今日もなお、恋といえば、邪悪な欲望、不義と見る考えが、生きているのである。昔話として笑って済ませるほど無邪気ではあり得ない。
愛に邪悪しかなかった時代に、人間の文学がなかったのは当然である。勧善懲悪という公式から人間が現れてくるはずもないから、人間の立場からは不当な公式と思われたとしても、これに反抗を試みた文学者はあったが、少数派に止まった。色恋のざれごとを男子一生の業とするのは、あまりにも滑稽であるというのが、日本人の感覚である。しかし、これに反抗した者のみが、もののあり方を変えてきたというのも事実であろう。
精神は言語により構成され、言語が異なれば、認識の仕方も異なってくる。各国の言語体系の差を無視して相互理解が可能と考えるのは、あまりにナイーブと言えよう。外国人のことは基本的に分からないものだとの認識は不可欠である。分からないと思って、過度な干渉を避けたほうが安全である。相手を理解したつもりでも、誤解のうちに止まるだけなのである。また、理解とは哲学的に考えて、暴力的な側面があることを忘れてはならない。理解とは、相手(認識される側)が自分(認識する側)の論理に従って行動しているとの誤解・妄想であり独断に過ぎず、相手が自分の論理に従って行動していると思うのは錯覚・妄想であり、それに基づいて、働きかけられれば、こちらの意志や意向を無視することになる。
【その他の感想】
日本の高校での「倫理」の参考書から、日本人のキリスト教に対する解釈を引用する。
「神への愛と隣人への愛、これは言葉を変えていえば、神と隣人のために自己愛を放棄することである。人間が罪を犯すのは自己愛が強いためである。自己愛が強いと自己中心的な生き方になり、他の人々のことまで考えが及ばなくなる。イエスが求めた神への服従とは、なんらかの権威に対して盲目的に従うことではなくて、神が求めるところの正しさを知的に把握し、自分の自由な決断によって、自発的にこれを受け入れていく態度である。イエスは道徳的問題の決断を、一人ひとりの個人の良心にもとづいて問いかけている。」
このように、日本人はキリスト教を一種の道徳として理解している。道徳とは、本来、ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体のことである。法律と違い外的強制力としてではなく、個々人の内面的原理として働くものをいい、また宗教と異なって超越者(神や仏)との関係ではなく、人間相互の関係(人倫)を規定するものである。超越者との関係の規定に基づいて、人倫(人と人との間の道徳的秩序)を乱すのならば、道徳に反することになり、道徳には法律という形態の規範も含まれるから、罪を犯すのと同じで、場合によっては犯罪行為になるから、法的罰則の対象になることもあろう。道徳を守っていれば、多少のマナー違反くらいはあっても、犯罪を犯すということはあり得ないはずである。日本国憲法だけでも知っていれば、さまざまな下位の法律の原則を、簡潔に記述したものだから、犯罪防止には有効であろう。私の世代では、中学で日本国憲法を全文暗記させられた覚えがある。
【21世紀の日本で宗教とはどういうことであろうか?】
西洋近代哲学史(放送大学客員教授・東洋大学教授の量義治著)のまえがきには次のような記述がある。西洋哲学史はふつう古代哲学、中世哲学、近世哲学、現代哲学というように4つに区分される。各時代の哲学の一般的傾向を、哲学の流れとともに西洋思想史を規定してきたもうひとつの流れであるキリスト教との関わりにおいて見るならば、古代哲学はキリスト教以前の哲学、中世哲学はキリスト教哲学、近世哲学は脱キリスト教哲学、現代哲学は反キリスト教哲学である、ということができる。近世哲学が脱キリスト教哲学であると言っても、脱教会キリスト教哲学であって、一種の宗教哲学として、キリスト教との対決の途上にあったと言えよう。
現代においては、哲学はその役割を終え、自然科学・人文科学・社会科学に大きく分かれ、それらが更に細分化され、哲学も宗教も、科学の対象となり、科学の一分野に過ぎなくなった。
青野季吉(評論家)の言葉を紹介し、コメントを付する。
「わたしは信条によって生きてきたと言える人間ではない。無信条によってーーー無信条の苦しみとひそかに戦いながら、生きてきたような人間である。こう言いきってしまってもぴったりしないものが残るが、何かの信条で生きてきたというような表現をするより、このほうが気持ちが安らかである。わたしは子どもの頃から、何か信念や信条みたいなもので生きている人間を恐れていた。付近に腕力のすぐれた悪童がいて、そいつを見ると幼心でびくびくしたのがならわしとなったのかもしれない。文学ーーー当時の自然主義作品の中には、わたしに似たような人間がうようよしていた。禅や何かから示唆されて、人間たることを脱却するとか、超克するとか、ことごとにそういうことの不可能を知らされるばかりである。ある批評家は、わたしのことを、漂泊者とか放浪者とかいった意味のことばで表現し、その的確さには敬服した。信条や信念の披瀝は、それの弱さや動揺を暴露するに過ぎない。信条や信念の言葉で自分を力づけなければ生きてゆけないのが人間だ。正宗白鳥の『内村鑑三(宗教家(キリスト教)・評論家)』を再読して、その懐疑的な見方にあらためて同感した。(青野季吉:評論家、早稲田大学英文学科卒業)」
【大人になるということ】
聖書の三つの共観福音書において「幼子の祝福」について記述されている。そのような記述はヨハネの福音書には見られないので注意を要するであろう。マタイの福音書[19:13-15]には次のような記述が見られる。
「9:13そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが連れて来られた。ところが、弟子たちは彼らをしかった。9:14しかし、イエスは言われた。「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところへ来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。9:15そして、手を彼らの上に置いてから、そこを去って行かれた。」
この部分から言えることは、弟子たちのほうが常識的であり、イエスのほうが非常識な発言をしているということである。
「子ども」か「大人」かどうかの判別は単純である。法律や道徳などの社会規範を守る(守れる)かどうかで決まる。守らないならば「子ども」である。但し、大人(成人)かどうかは、法律で年齢によって決まるから、実質的に「子ども」であっても、法律を破れば罰せられるであろうし、不道徳なことをすれば評判を落とすのは当然である。それは、そのようなことをするほうの問題であって、非難されて文句を言うほうがおかしいのである。非難されるようなことをするほうがおかしいに決まっている。だから、基本的には、余程のことがないかぎり、日本人は、見知らぬ他人に近づいたり、ちょっかいを出したり、詮索したり、つきまとったり、話しかけたりすることはない。
内田樹著の「寝ながら学べる構造主義」(文春新書)にラカンを参考にして、「大人になるということ」ということがどういうことなのか分かりやすく説明してあるので、それをもう少し分かりやすく簡潔にまとめてみたい。
精神科医療では、患者の口にする言葉を軸にして、医師と患者だけの間でのみ通用する特異な語法を作り上げ、医師は患者が経験している内的世界を想像的に追体験する。一方、患者は妄想的な内的世界を言葉にして表出し、閉じられた世界から脱出する可能性を得ることができる。他者と言葉を共有し、物語を共有することが、人間の人間性の根本的条件である。精神疾患の治療とは、この人間の基本に問題のある人々を意思疎通(コミュニケーション)ができるようにすることが目的である。この人間の「社会化」プロセスが、「エディプス」(ギリシャ悲劇を題材にしたフロイトの表現)と呼ばれるものである。
「エディプス」とは、子どもが言語を使用するようになること、母親との癒着を父親によって断ち切られること、この二つを意味する。これは「父性の威せき的介入」の二つの形式である。これをラカンは「父の否=父の名」という「語呂合わせ」で語る。
何か鋭利な刃物のようなもので、ぐちゃぐちゃ癒着したものを鮮やかな切れ目を入れてゆくことが「父」の役目である。「父」は子どもと母との癒着に「否」(Non)を告げ、近親相姦を禁じ、同時に子どもに対して、ものには「名」があることを教え、言語記号と象徴の扱い方を教えるのである。換言すれば、人間の世界には、名を持つものだけが存在し、名を持たぬものは存在しないということを教えるのである。
言語学者ソシュールが言ったように、切れ目を入れること、名前をつけること、この二つは同じことを述べている。アナログな世界にデジタルな切れ目を入れることは、言語学的に言えば「記号による世界の文節」であり、人類学的に言えば「近親相姦の禁止」である。
言葉を学びつつある子どもは、いま学びつつある母国語がどのようなルールに基づいて文節しているのかは分からない。レヴィ・ストロースが信憑や習慣について言ったのと同じで、どのような制度であれ、その「起源」には決して触れることはできない。
「羊」について「ムートン」という語だけを持つ言語共同体の中で育ったものと、「シープ/ムートン」の二つの語を持つ言語共同体の中で育ったものでは、「羊」の見え方が違う。言葉を学ぶ子どもはそれを「まるごと」受け容れる他はない。
子どもが育つプロセスは、言語を習得するというだけでなく、「私の知らないところですでに世界は既に世界は文節されているが、私はそれを受け容れる他ない」という絶対的に受動的な位置に自分は「はじめから」置かれているという事実の承認も意味している。
子どもの成長にとって言語を使用することは不可欠であるが、それと同時に、この世界は「既に」分節されており、自分は言語を用いる限り、それに従う他ない、という「世界に遅れて到着した」ことの自覚を刻み込まれることになる。
『こぶとり爺さん』という童話がある。それは次のような物語である。
「昔、二人のお爺さんが隣り合って暮らしていました。二人とも、頬に大きなこぶがありました。あるとき、一人のお爺さんが山で雨にあって木の洞で雨宿りをしていると、鬼たちがやってきて宴会を始めます。はじめはこわごわ見ていたお爺さんですが、そのうちに調子に乗って、一緒に舞うと、これが鬼たちに受けて、「明日も来い。これはカタにとっておく」と言ってこぶを取られてしまいます。この話を聞いた隣のお爺さんが翌日山に出かけて、同じようにひとふし舞ってみせたのですが、これは不評で、鬼に両方の頬にこぶをつけられてしまいました。おしまい。」
こうしてあらすじを紹介すると、かなり「不条理」な物語である。「よいお爺さん」が日ごろから踊りの稽古に余念がなく、「悪いお爺さん」がそれを冷笑していた、との記述はない。もし、このように「合理的説明」を施したものがあったら、間違いなく、書き直した作家による改作である。長く伝承された説話は全て本質的に「不条理」な話になっているものである。「努力した人は報われる」というようなつまらない説話が何世紀も語り伝えられるはずがない。二人ともいずれ劣らぬ同じようなお粗末な素人踊りを鬼の前で披露したにも関わらず一方は報償を受け、一方は罰せられるという、実に不可解な話になっている。
実は、この物語の教訓は「この不条理な事実そのものをまるごと承認せよ」という命令のうちにこそある。この物語の要点は「差別化=差異化=分節がいかなる基準に基づいてなされたのかは、理解を絶しているが、それをまるごと受け入れる他ない」と子どもたちに教えることにある。
「鬼」とは、ある差異化が行われた後になって、「<誰か>が差異化を実行したのだが、その差異化がどういう根拠で行われたかは決して明らかにされない」ことを図像的に表象したもので、「鬼」というのは存在する「もの」ではなく、「世界の分節は、<私>が到来する前にすでに終わっており、<私>はどういう理由で、どういう基準で、分節がなされたのかを遡及的に知ることができない」という人間の根源的な無能の「記号」なのである。
単純に言えば、ある社会の言語体系や社会規範を、【5W1H】Who(誰が) What(何を) When(いつ) Where(どこで) Why(なぜ)How(どのように)作ったのか人間には分からぬということである。宗教ではこれを認めず、人間には知りえぬ超越者(神や仏)によるものと思い込んでいるだけで、実際は何も知らないのに、知っているような顔をするのが宗教家というペテン師の正体なのである。私は宗教家ではないから、はっきりと宣言するが、私は現在存在する日本の言語体系や社会規範を作った5W1Hについては全く分からないが、無条件に承認し受け容れるしかないと。他国のことは原理的に知りえないはずであると。かなり過去に成立した聖書や仏典は決して普遍的で永遠普遍のものではなく、日本ばかりではなく、世界中で、その国の言語体系や社会規範と齟齬が生ずる部分が増えているということである。世界も社会も変化生成の相にあるから、過去に固定された規範である聖書や仏典は、世界や社会の動きに追随できるはずがないのである。
この世には、神や仏ならぬ、存在しない「鬼」(比喩である)が存在して(矛盾である)、世界をあらかじめ差異化しているという「真理」を学習することである。それを学び知ったときはじめて、「子ども」はエディプスを通過して「大人」になるからである。
単純に言えば、「子ども」は母親から切り離され、父親に言語体系や社会規範を強制的に受け容れさせられることにより「大人」になるのである。
『こぶとり爺さん』の外界には存在しないはずの「鬼」が振るう権力と恐怖は、それが「どういう基準に基づいて差別化をしているのか見えない」という点にある。それは独裁者や暴君の権力と構造的によく似ているが、現実の世の中に存在しているのではなく、無意識の良心(超自我)という形で、一般の人間の内面に存在し、他者に対して権力を振るうのではなく、自分に対して権力を振るい、自分自身を支配するのであるから、犯罪を犯すことのない人間が育つのである。
人々が独裁者を恐れるのは、彼が「権力を持っているから」ではない。そうではなく、「権力をどのような基準で行使するのか予測できないから」である。「理不尽な決定を下すものに人は畏れを抱く」のである。どれほどの権力を持っていようと、権力の行使の仕方が合理的で明快なルールに則っていれば、その人は決して「暴君」とは呼ばれない。現代アメリカの大統領はおそらく歴史上最大の権力者だが、「合理的で明快なルール」に則って権力を行使することを義務付けられているので、誰も彼を恐れない。
他人に権力的な影響力を行使しようとするとき、人は必ず「理不尽」になる。
「私が無力無能である」という事実を味わったとき、反射的にその事実を、「私の外部にあって、私より強大なるものを私の十全な自己認識や自己実現を妨害している」という話型で説明する能力を身につけること、平たく言ってしまえば、「怖いもの」に屈服する能力を身につけること、それがエディプスというプロセスの教育的効果である。このようにして私の外部に神話的に作り出された「私の十全な自己認識と自己実現を抑止する強大なもの」のことを精神分析は「父」と呼ぶ。「父」とは、そのようにして「私」の弱さをも含めて「私」をまるごと説明し、根拠づけてくれる神話的な機能の別名である。「父」は外部に神話的に作り出されたとは言っても、人間の心理の、外界には「存在しないもの」への投影である。精神の内部にあるものが、外界にあるかのごとく思い込むのである。この「父」という機能は、何でも担うことができる。例えば、現実の父親、権力者、悪魔、ブルジョワジー、共産主義者、ユダヤ人、フリーメーソン、植民地主義者、男権主義者、etc. 「私」の自己実現と自己認識が「うまくゆかない」場合の「原因」に擬されるものはすべて「父」と呼ぶことが可能である。そして、「父」の干渉によって、「うまくゆかない」ことの説明を果たした気になれるような心理構造を刷り込まれることを、「成熟」と呼ぶ。
『こぶとり爺さん』という童話はその意味で聖書の「カインとアベル」と同一の説話構造を有している。聖書では、同じように供物を神に捧げたカインとアベルの二人の兄弟のうち、カインの貢ぎ物は主に拒まれ、アベルの供物だけ受け取られる。理由は不明。しかし、主の絶対的権威はまさにこの「理不尽な差別」によって説話的に基礎付けられることになる。しかも、現実には「主の絶対的権威」も実在せず、虚構であり、偶然のことに対する強引な説明であり、意味づけに過ぎないのである。人間の精神にはそうしなければ、納得が行かない傾向がある。人間は偶然をも合理的に説明しようと欲し、「主の絶対的権威」による必然としなければ、納得できず、安心できないのである。人間は精神を安定させるために妄想を抱かざるを得ないところがある。宗教というのも妄想の一種であろう。宗教を信じるとは妄想による精神の安定化であり、精神病患者と同じような心理的防衛機制が働いているようである。一例として、安心とは、浄土宗で、阿弥陀仏の救いを信じて疑わず、とあるが、これが妄想でなくてなんであろうか。「阿弥陀仏の救い」が存在すると妄想を抱いて安心を得るとは精神病患者と心理的には同じ防衛機制が働いているとしか言えまい。キリスト教も同じであろう。
今までの同じような話を人類は無数に持っている。ほとんど「そのこと」を語ること以外に知性には仕事がないかのように、人間は同じ話型を過去おそらく数万年前から、神話として、民話として、宗教として、社会理論として、政治的イデオロギーとして、科学として、延々として語り継いでいるのである。
【現代哲学思想による脱宗教化と倫理学・道徳の復権に向けて】
私の主張はむしろ【哲学的「他者」教】とも呼ぶべき「倫理学」や「道徳」の復権である。哲学的に言えば「真理論」、「認識論」、「存在論」の重視から「倫理学」の重視への移行である。形而上学批判である。
哲学では神や仏はその超越性を強調して「絶対他者」と呼ばれる。「他者」とは、自己に対する何ものかであり、自我に対する他者の我として「他我」があるが、他人の意識である他我をいかにして認識するかは、哲学上の難問とされる。レヴィナスは、人間が神や仏を概念によって同一化し、そしてその同一化された神や仏を振りかざして、他者を同一化する思考に異議を唱える。神や仏が意味をなすものであるならば、それは人間にとって他なるものでしかなく、決して同一化されることがないはずである。絶対的他者なる神や仏との関係性は、人間のエゴイズムを徹底的に無化し、他者に応答するかぎりで成り立つ主体性を構成する。そして、このような主体性は、他なる人間と倫理的関係に入ることを可能にする。
他者は存在しない、存在するというのとは別の仕方で私に働きかける、もしくは存在でも悲存在でもない存在の彼方そのものである、とレヴィナスは言う。形而上学以後の宗教における心理的側面の強調、即ち宗教心理の主題化は、現代思想において批判される。心理的内省を通じて超越的次元と接続しようとする努力が、他者への配慮の欠落に帰結しているのである。「悟り」とは自己実現のことであり、他者への配慮は自己実現の肥やしとなってはならない。自己実現(悟り)が規範化されると、他者への配慮は自己実現の手段に過ぎなくなる危険がある。この危険を避けるためには、1.自我の脱中心化と自我とは他なるものの迎接という視点を維持すること、2.自己実現を規範にすることによって他者をそのためにの手段として遇する傾向に抵抗すること、3.主観的構成に回収されない外部性を有する他者との倫理的関係を保つこと、4.形而上学以後の宗教おける「ロゴス中心主義=自己の一神化」への批判的視点を有することである。
他者よりも法への従順さを尊ぶような宗教性に異議を申し立て、他者との対立のなかで生じる心の葛藤への批判的洞察をふまえて、他者との倫理的関係を築くべきである。
人間は自己であるためには他者を暴力的に同一化せざるを得ない。しかし、他者が他者である限り、他者は決して完全には同一化されえない。このような他者の現実性が乗り越えられないものである以上、われわれはそれに正しく応答する以外にはない。つまり、暴力的関係から倫理的関係に立つことを不可避的に要請されているのである。
レヴィナスなどの【哲学的「他者」教】に見られるように、人間の内在性のなかから超越性を見出そうという動向、他者の尊重、他者への愛や配慮を理想とする自律的な自己放棄という「脱宗教的霊性」が、育ちつつある。世俗化の進んだ先進国の社会では、「自己」の超越という関心と「他者」への倫理という関心が、いずれも宗教に代わる霊性として拮抗するということである。
蛇足になるが、「他者」と「他人」は異なるものであり、「他人」について認識する場合に、私の超越論的主観性による「他人」についての把握内容(構成内容)から漏れるものが必ず存在するが、それを「他者」と呼ぶ。神や仏の「絶対他者」に対しては、認識の対象にすらならず、把握不可能(構成不可能)であり、純然たる他者ということになる。
現代思想が問い直そうとしている西洋の形而上学的伝統には、当然のことながら宗教がからんでくる。一般に、とくに日本では、現代思想と宗教との関連は薄いと思われている。たしかに、宗教への直接的言及は目立たない。しかし、彼らの形而上学批判は、軸の時代以後の宗教に宛てられたものとして理解することが可能である。
たとえばJ・デリダは、神とも同一視されるロゴス(言葉、声、理性)を真実在とするロゴス中心主義を批判する。それは、ロゴスという本質とその外部からなる二分法を前提とし、本質との一致、本質の現前を真理とする。このような前提から、階層秩序的な二項対立をはらむ言説が次々と産出される。すなわち「パロール/エクリチュール」「内部/外部」「自己/他者」「同一性/差異」「本質/仮象」「善/悪」「精神/身体」「人間/動物」などの優劣を強調する二分法であり、「西洋/東洋」「男/女」などといった自己中心的な差別的言説である。そうして世界は階層化される。頂点に神が座し、それとの同一化、すなわち内部化の度合いが、階層内での位置を決定する。それはつねに他者の支配的同一化を狙っている。このような形而上学的言説を、デリダは脱構築しようとする。すなわち、二項対立のうち支配的な前者が実は後者に依存していること(もちろん優劣の単なる逆転ではない)を指摘しながら、境界線が決定不可能であることを暴露するのである。
E・レヴィナスはこの事態を別の角度から検討する。人間が神を概念によって同一化し、そしてその同一化された神を振りかざして、他者を同一化する。そのような宗教のあり方を、レヴィナスは神の他者性を強調することによって批判する。神という語が意味をなすものであるならば、それは人間にとって他なるものでしかなく、決して同一化されることがないはずである。絶対的他者なる神との関係性は、人間のエゴイズムを徹底的に無化し、他者に応答するかぎりで成り立つ主体性を構成する。そして、このような主体性は、他なる人間と倫理的関係に入ることを可能にする。レヴィナスとデリダのあいだには微妙ながら決定的な差異もあるのだが、他者の支配的同一化を批判するという点、とりわけ宗教においてその一つの典型が見られるという認識に関しては共通するだろう(また、宗教のなかに、他者性を廃棄する主体性だけでなく、他者に応答し、他者を証言する主体性があることを認める点においても両者は一致する。
アドルノとホルクハイマーは、自然支配の理性が、他者の道具的支配に転じてゆく様を批判する。まず、自然の力に驚かされて発した「マナ」という声が、神的力を喚起する呪力をもった言葉として使用されるという事例を、言語の使用の始まりを画する出来事としてあげる。神話において、人間は、言語を介して召喚された神を通して、自分自身を理解するようになる。ここにおいて、創造する神と秩序づける人間精神の同一化が図られ、自然はその客体とされる。啓蒙は、さらに主客の分離を断行し、人間と自然ないし神との親和的・類比的な関係性を断ち切り、理性の支配対象を外的自然と内的自然に定める。それは人間の自律を画する出来事であるかのように見えるが、実は、人間による人間の支配の連関、全体主義へと帰結するものである。かくして啓蒙は野蛮に帰する。アドルノは、自然との非支配的で非敵対的な関係性を模索する。決して同一化されない非同一性とのかかわり方として、最終的な肯定を目指さずに矛盾の論理である弁証法をそれとして徹底させてゆく「否定弁証法」を提示する。そして、未知のものを既知のものに同一化せずにあくまで未知のものとして経験する様態として「ミメーシス」に目を向ける。
このような全体主義批判は現代思想の重要なモティーフである。全体主義は、他者を同一化しようとする西洋形而上学の帰結であり、そして近代における世俗化は形而上学的な宗教的思惟の衰退どころかむしろその国家規模での徹底であると考えられる。おそらくフーコーの仕事は、ソクラテス以後から近代国家に至るまで、他者への配慮がどのような段階を追って欠落していったかをたどったものとして読み直すことができるだろう。
だがすでにソクラテス・プラトンにいたって、このような自己への配慮は、哲学的「真理」の探究と軌を一にする。以後、他者よりも真理を尊ぶ態度が次第にはぐくまれる。帝政ローマ期においては、政治的活動から離れた場面での自己への配慮が問題とされる。さらに、キリスト教においては、世俗外において、自己への配慮ではなく自己の認識がすすめられる。自己への配慮という利己主義は罪であり、自己を放棄して、隠された欲望の真理を認識して告白することが、魂の救済につながる。近代の道徳は世俗内の他者への配慮を説くが、そこでも自己への配慮は非道徳的なエゴイズムとして否定され、自己認識のほうが重視される。自己認識を重視するのは、道徳的自律を重んじるからである。そこでは具体的な他者への配慮よりも、むしろ他者への配慮を説く道徳的規則にどれだけのっとっているかという自己の真正さの検討がおこなわれる。こうして、自己への配慮を通じての他者への配慮は、自己の認識あるいは監視による近代的主体の構成にすり替えられ、対他関係は自己形成の肥やしとなる。宗教改革と世俗化を経てなお、自己開示の技術と自己認識の態度は受け継がれる。キリスト教の告白の技術は欲望を消し込んでゆきながら、一人ひとりを神と結びつけてゆくが、羊を一頭たりとも迷わせまいとするこの牧人型権力は、近代においては、人々を自律した主体として個別化し、一人ひとりを完全に世話することで全体化しようとする国家権力のモデルとなっている。
現代思想家たちの宗教批判の要点は、次のようにまとめられるだろう。(一)神の概念的把握、および(二)神と人間の類比的同一化が、(三)他者性の廃棄につながり、(四)近代における個人主義と全体主義の結合を準備した、と。現代思想のこのような動向を、ここでは「他者論的転回」と呼んでおく。それは、普遍的なものへの自己同一化を目指す西洋形而上学の帰結が個人主義と全体主義であることを踏まえて、他者の他者性を同一化することなく、それでいて相互不干渉や相対主義にもとどまらず、他者と倫理的にかかわる仕方を模索しようとするものである(したがって、よく誤解されることだが、現代思想家たちの多くは相対主義的でもなければ個人主義的でもない)。
他者の哲学をもっとも力強く説いたレヴィナスなら、その通り、他者は存在しない、存在するというのとは別の仕方で私に働きかける、もしくは存在でも非存在でもなく存在の彼方そのものである、とするだろう(L思inas 1977)。それは、自己と他者が互換的であるような現実のコミュニケーションの場面を度外視して、自己が自己であるかぎりにおいて、他者が他者であるかぎりにおいて、この他者について何が言えるかということを突き進めた、瞬間の思考である。デリダやアドルノは、レヴィナスほど極端ではなく、他者や非同一性を同一化しようとする暴力を自己がいやおうなしにはらんでしまうということの避けがたさを認める。にもかかわらず、いやだからこそ、この暴力をぎりぎりにまで落とし込むために、法の脱構築(デリダ)、概念の自己反省(アドルノ)というそれ自体完全には不可能な実践を敢行しようとするのである。レヴィナスの立場を「他者論」の極端な形態とするならば、デリダやアドルノの立場はむしろ「多元論」に近いかもしれない。しかし、他者の同一化に対するぎりぎりまでの抵抗という点では、彼らも「他者論的転回」を経た思想家とすることができるだろう。
他者論的転回を経た現代の哲学者からすれば、心理学はその基本的前提において批判されるはずである。「心理学」という名辞は、文字通りに解すれば、精神と身体の二分法を前提として、より支配的な位置に立つ精神についての、ロゴスによる概念的把握を目指すものであろう。しかも、この場合の精神とは、形而上学的実体としての魂の、さらにその形相にあたるような諸機能のことを指す。心理学はその定義において、一つのロゴス中心主義を体現する。また、そこでは主観において構成されたかぎりでの他者しか問題になりえず(問題とするならば倫理学となる)、その点で心理学とはその対象の限定においてすでに一種の独我論である。さらに、心理学の実践的部門である臨床心理学・心理療法は、自己開示と自己認識の技術、すなわち自己のテクノロジーを引き継いでおり、対人関係が問題になるとしても、それは他者への配慮そのものに向かうのではなく、自己同一性の再構成をもって結びとする。つまり、心身二元論、独我論的認識論、他者への配慮の欠落という点で、「心理学」は、現代思想家たちから論難される資格を有するのである。
現代思想が批判していたのは、形而上学以後の宗教における心理的側面の強調、すなわち宗教心理の主題化だった、と言うべきかもしれない。すなわち、心理的内省を通じて超越的次元と接続しようとする努力が、他者への配慮の欠落に帰結しているという点への批判である。この批判点が、超越的な次元への関心を失った世俗的心理学にもあるていど妥当するというのは当然のことかもしれない。
心理学が宗教を対象化するとき、宗教は神的事象ではなく、あくまでも人間的現象としてとらえかえされる。したがって、神による救済、あるいは苦難からの解放/解脱は、人間の心理的成熟のプロセスとしてとらえられる。そして論者によっては、このプロセスは自己実現プロセスとして定式化される。一面的自我を越えた・より以上のもの・(世界・他者・無意識)に触れることで、潜在的可能性としての自己を実現してゆくというプロセスを、人間の心理的成熟のプロセスとしてとらえ、それがもっとも劇的に現れるのが宗教体験であると考えている。神を主語とする救済が人間を主語とする自己実現に取って代わられたことは、たしかに大きな断絶である。また、彼らは宗教的現象を超自然的現象として教義化する宗教を批判し、自然に生起する宗教体験にこそ宗教の本質があると見る。しかしながら、このような議論は、他者論的転回を経た思想家たちの批判する近代的自律の図式にそったものであろう。神と手を切ったといっても、より高次なる・自己・の実現に関心が移っただけならば、他者への配慮は自己実現の肥やしとなっているだけかもしれない。
心的現象や心的現実としての経験が素材として重視されるユング心理学においては、他者そのものが扱われることはない。その点、彼の理論は徹底的に独我論的構制をとっている。しかし、そこでの「自我」と・自己・は通常の用語法を大きく逸脱する。ユングにとって主体が同一化するところの自我は、実はコンプレックスの一つでしかない。それは、最初から他者を同一化するほど大きくはないのである。自我は心の中心になろうとするが、そうすることでかえって自我の外部の暗やみにおびやかされてしまう。心の世界は、自我によって支配されることがなく、自我と対立するような無意識的内容によって満たされている。そして、これらの無意識的内容は、どれ一つ純粋に個人の生活史に由来するものはなく、人間精神の共通の構造として仮説的に設定される元型に由来する。・自己・とは、これらの意識と無意識を含んだ心の全体性とされるが、そのような自己は個人のものではなく、集合的次元に根差している。したがって、ユング理論は独我論を突き進めることで、独我論の不可能性に到達し、自己そのものが他者によって構造化されていることを突き止めたと言うことができるだろう。
独我論の果てにたどり着いた「自己の他者性」「内なる他者」が突きつける哲学的難問を軽視してはなるまい。それは現代の深層心理学ないし力動的心理学が共有している知見であり、この立場からすれば自己と他者の素朴な二分法こそ超克されねばならないとされるであろう。もちろん、哲学的他者論で言われる自己と他者は、人格的同一性の差異に還元されるようなものではない。そこで問題とされるのは物のカテゴリーや人格的同一性を超えたメタカテゴリーとしての・同・と・他・であり、レヴィナスによれば主体性とは・同・のなかの・他・(自己に回帰して同一性を構成することがないような自己性)としてとらえ返されるのであり、またリクールにおいて、同一性と区別される自己性とは「他者のような自己自身」とされるのである。「傷ついたコギト」を認知したあとでの自己論という点に注目すれば、現代思想は「自己の他者性」や「内なる他者」を発見したフロイト以後の哲学と言ってもよいのである。
宗教心理学は、他者の他者性の直視を契機とするということである。しかしながら、自己実現が規範化されると、他者への配慮は自己実現の手段に過ぎなくなってしまうという危険もある。また場合によっては、心のなかの他者しか見えなくなってしまうという陥穽もあった。宗教心理学が、他者論的転回を経た現代思想の厳しい審問に耐えうるようなものになるとしたら、それは次のような条件をクリアしなければならない。すなわち、(一)自我の脱中心化と自我とは他なるものの迎接という視点をこれまで通り維持すること、(二)自己実現を規範とすることによって他者をそのための手段として遇する傾向に抵抗すること、(三)主観的構成に回収されない外部性を有する他者との倫理的関係を保つこと、(四)かつ形而上学以後の宗教における「ロゴス中心主義=自己の一神教」への批判的視点を有しているもの、ということになるだろう。レヴィナスの「存在論より倫理学を優先させる」というスローガンを借りるなら、「心の存在論から心の倫理学へ」という転換、心一般のあり方の解明から、ユニークな心と心の倫理的関係を媒介する実践へという転換が図られねばならない。そのような方向性を持つものこそが、他者論的転回以後の宗教心理理論にふさわしいことになるであろう。
フロイトの宗教批判は有名であるが、その眼目は、神についての認知的命題への信仰が衰退するなかで、道徳の根拠を神の罰の恐怖のみに置くことは危険であるという点にある。それに代わって、人間共同体の存続という合理的根拠にもとづく破壊性の断念、他者のためにありたいというエロスの発動に、宗教以後の倫理の命運が託されたのであった。ここでは「神の法」の権力的効果を暴き、他者、他なる人間のために生きることが要請されている。
フロイト思想のこのような側面は、権威主義的宗教を批判し、人間主義的宗教の可能性を展開したフロムにも見いだされる。また、自律と共同性が同時に実現されるような相互性のなかで人間が生き生きとする状態を各発達段階に見いだし、それを人間の本来的な力強さ、「徳」として記述し、そのうえに壮大な心理学的倫理学、「心の倫理学」を提示したエリクソンもまた、硬直した道徳性を批判し、宗教における権威主義との葛藤を問題化している。彼らは、ユングやマズローのように大文字の・自己・を立てることなく、したがって自己実現のために他者を手段として遇するという陥穽にもはまらず、他者よりも法への従順さを尊ぶような宗教性に異議を申し立て、他者との対立のなかで生じる心の葛藤への批判的洞察をふまえて、他者との倫理的関係を築こうとする「心の倫理学」を打ち立てたということができるであろう。
転移とは、精神分析的治療の場面において、被分析者が、過去の重要な対象関係におけるのと同様の振る舞いをすることを言う。フロイトは、転移を、過去の対象関係のあり方を患者自身に自覚させるための手段として重視したが、それはあくまでも症状の一環であり、その正体が暴かれてしまえば、転移も症状も、もはや生じる必要がなくなると考えた。哲学的用語法に置き換えれば、転移とは、主観的に構成された他者表象を目の前の他者に押し付けるという錯誤のことである。フロイトが転移を解消しようとするのは、他者に誠実であるような真正の自己に近づくためである。この論法は宗教論においても見いだされる。フロイトはいわば神への転移から離脱し、目の前にいる人間の同胞に誠実であるような真正の自己に近づくよう説いているのである。
フロイト以後の流れでは、転移を純粋に分析場面で起こるものとする用語法の枠は外され、分析場面以外の対象関係一般とのかかわりにおいて転移を理解することが可能になった。それによって、転移は解消されるべき過去の感情の反復というよりは、対象関係のたえざる再創造の一環とされる。転移から脱却するよりも、転移の操作を通じて自己とその対象との相互関係をより豊かなものにするべきだ、と考えられるようになった。宗教論においても同様の変化が見られる。
ここでは、転移という仮象の打破や、「純粋な関わり」を結ぶことのできる真正の自己が目指されることはない。ある転移という仮象が別の転移という仮象に置き換えられてゆくだけである。もともとフロイトにもありユングやヒルマンにおいて強められてゆく「仮象の多産性」への注目が、「真正の自己」へのこだわりから解放されたわけである。
他者に誠実であるような真正の自己を目指すフロイトと、関係の仮象性を逆手にとって多産性へと転じてゆく対象関係論・自己心理学の流れとを対比したが、これと同様の相違は、他者論的転回を遂げた現代思想家たちのなかにも見いだすことができる。前者は、他者に適切に応答する唯一独自の「私」(「自我」ではなく)を擁護するレヴィナスの他者論に近く、後者は、自己と他者の二分法に反対し、他者が私に関わる他者であるためには他我でなければならないことを指摘したデリダに近く、これは純粋な他者論というよりも多元論と呼んだほうがよいだろう。相互に対称的な自我同士の横並びの共同性を描くような思考を、レヴィナスは、他者性の全体性への回収として批判し、それに対して、自己と他者の非対称性に基づく倫理的関係のあり方を描こうとする。しかし、ここで言う多元論の関係性のあり方とは、全体論のそれとは異なり、相互的非対称性を特徴とするものである。われわれは、自己であるためには他者を暴力的に同一化せざるをえない。しかし、他者が他者であるかぎり、他者は決して完全には同一化されえない。このような他者の現実性が乗り越えられないものである以上、われわれはそれに正しく応答する以外にない。つまり、暴力的関係から倫理的関係に立つことを不可避的に要請されているのである。しかし、このような他者は、自我を持つことなき絶対に私と無縁な他者ではなく、私と似たような自我をもつ他我としてしか、私には経験されえない。
リクールは、コフートの両極的自己の枠組みの哲学的含意を探る論考において、臨床における転移と哲学における思考実験はともに自己と他者の関係性を際立ったかたちで照明するという前提に立ち、受容し承認してくれる対象を求める「鏡映転移」をヘーゲルの主人と奴隷の弁証法と対比し、理想的他者と関わろうとする「理想化転移」をレヴィナスの他者論と対比し、他の人間を自分自身のように経験しようとする「双子転移」をフッサールの他我論と対比している。対比の末に厳密な体系を描こうとするものではないと断ってはいるものの、リクールがそこで示そうとしているのは、哲学史上は鋭く対立すると思われる他者の諸理論が、いずれも関係性の心理の契機の一つを際立たせたものに過ぎないということであろう。
現代思想による宗教心理学の審問という本章での作業が、どのような意義を有しているのかについて述べておこう。L・フェリーによれば、現代社会における世俗化のますますの進展、「義務の終焉」とも呼ばれるような事態は、実は外的義務の終焉に過ぎない。レヴィナスなどの哲学的「他者」教に見られるように、人間の内在性のなかから超越性を見いだそうとする動向、他者の尊重、他者への愛や配慮を理想とする自律的な自己放棄という「脱宗教的霊性」が、むしろ育ちつつあるとフェリーは考える。まず、神の人間化が起こり、権威主義的な法の神より、人間的な愛の神の再発見が、宗教の重要な課題となる。それと呼応して、人間の神化が起こり、聖なるものとしての人間への配慮や共感が、自らの内的必要として目指される。人類全体との連帯を志向するがゆえに、他者のために、内側からなされる自律的な自己犠牲、この「他者」教とも言える動向を明確化し、それを支持してゆくことが、自己本位の傾向に対する必要不可欠な歯止めともなる。
神の人間化、人間の神化、神性をもった人間同士の愛へと進むこのような傾向を、フェリーはヒューマニズムとして一括するが、すでに見たように現代思想家たちの多くは神と人間のアナロジーと、「神人」たちの連帯による他者の排除に異議を唱えている。したがって、フェリーが描いている動向は、正確には「他なる人間のヒューマニズム」と呼ぶべきであろう(レヴィナス支持を一貫するのであれば)。また一元的連帯ではなく他者性を尊重した連帯、多元主義的連帯でなければならない。
外的義務の拒絶から「真正の自己」を求め、自己超越への関心に終始する動きとして、セラピーの興隆や東洋宗教への関心をあげていることである。そして、それに代わるものとして、他者論によって告知されつつある新たなヒューマニズムを取りあげ、それを脱宗教的な霊性として評価しているということである。図式的に理解するなら、世俗化の進んだ先進国の社会では、自己の超越という関心と、他者への倫理という関心が、いずれも宗教に代わる霊性として拮抗するということである。
宗教研究が、宗教以後の霊性をもその視野に収めるとするなら、他者論的転回以後の動向をも注意深く追う必要があるだろう。そして、宗教心理学が思想的には自己実現論を展開してきたという経緯をふまえるなら、現代哲学における他者論的転回のインパクトを受け止め、転回以後の宗教心理の理論の可能性を問うべきでもあるだろう。
【父性原理に基づくキリスト教に対する誤解と韓国の実態に対する心理学的考察】
元来キリスト教は、「狭き門より入れ」というように自らの意志行為で信仰生活をせよという、いうなれば父親的な厳しさがある。そうした教えを受容したのではなく、イエスの母のマリアの中に慈しみを見てとるだけならば、キリスト教の本質を見失っているのである。キリスト教とはもともと父性原理に基づいたものでありながら、母性原理に支配された人々が社会規範を守らないのは当然であり、キリスト教に関しても著しい誤解をしているようである。日本は父性と母性のバランスがかなりうまく取れているのではないか。
米国のベネディクトが,西欧の「罪の文化」に対して日本の文化の特徴を「恥の文化」と呼んだが,罪と罰に対する基本的考え方は,その国独特の文化を基底にしているからであろう。河合隼雄は,西欧の社会を「父性社会」,日本のそれを「母性社会」と名付けたが,「母性」「父性」ともに,グローバル的に変化してきているのが,現在ではないかと考えられる。本論文では,日本社会がグローバル・スタンダードの波にさらされる中で,母性社会が持っていた,社会のケジメや「恥」による抑制の変質と喪失が論じられる。日本は,おそらく部族国家の成立までは,母系社会の国であった,と思われる。それが社会の仕組みが大きくなるにつれて父系社会へと移行していった。それでも基底の文化は,母性社会のそれを現代にまで色濃く残している。未開の母性社会と,現代日本社会を比較すると,大いに共通した心理構造を見いだすことができると小此木啓吾は述べている。
母系社会は,父系社会にくらべ社会のしくみとしては弱い,と見なされている。したがって,母系社会は,父系社会の影響,人口の増加,貨幣経済の波及などの要因で,たちどころに崩壊してしまうともいわれてきた。もともと牧畜社会には母系社会は,ほとんど存在しなかった。西欧が父系社会中心であったのも,これが一つの要因であろう。また,大規模な王国や高文明を育てた国のすべては,父系社会である。先進国が父系社会であることは,大きな社会を動かすには,父系社会的システムが必要なのであろう。
政治システムと文化システム(父系・母系社会と父性・母性社会)母系社会・父系社会は社会の政治システムである。母性社会・父性社会は,社会の文化システムである。政治システムの変化に比べて,文化のシステムの変化は遅い。変化が遅いのは,人間の精神性に基づく文化の基底を作っているからでもある。母性社会とは,母性文化に根ざしている社会であり,父性社会とは,父性文化に根ざしている社会である。河合準堆によると,母性の原理は「包括する」機能によって示される。それはすべてのものを良きにつけ悪しきにつけ包み込んでしまい,そこではすべてのものが絶対的な平等性をもつ。「わが子であるかぎり」すべて平等に可愛いのであり,それは子どもの個性や能力とは関係のないことである。母性原理はその肯定的な面においては,生み育てるものであり,否定的には,呑み込み,しがみつき,死に到らしめる面を持っている。これに対して,父性原理は「切断する」機能にその特性を示す。それはすべてのものを切断し分割する。主体と客体,善と悪,上と下などに分断し,母性がすべての子どもを平等に扱うのに対して,子どもをその能力や個性に応じて類別する。極端な表現をすれば,母性が「わが子はすべてよい子」という標語によって,すべての子どもを育てようとするのに対して,父性は「よい子だけがわが子」という規範によって,子どもを鍛えようという側面と,また逆に切断の力が強すぎて破壊に到る面と,両面を備えている。
社会のタイプは次のように分けられる。「母系社会・母性社会」,「父系社会・母性社会」,「父系社会・父性社会」,「母系社会・父性社会」である。社会の成り立ちからすれば,多くの国では母性社会の方が先なので,最後のカテゴリーの「母系社会・父性社会」の国は実際には考えにくい。しかし,更なる文明の進歩の欠点を補う意味から,未来社会は母系(権)社会で,父性社会の構築にあるかも知れない。この基準から考えると,日本は,父系社会の母性社会の国だと言える。
超自我という概念を作ったのは,フロイトである。超自我とは,自我が成長の過程で両親のしつけという形で本能的欲求の禁止を取り入れて内在化させたものが,独立の精神機能となったものである。「良心」や「道徳律」はその機能の一つである。超自我は「自我理想」として自我に健康な規範的影響力ももっが,無意識的圧力としても現れる。超自我の形成過程は,フロイトによると,エディプス・コンプレックスが崩壊するときには、すなわち,母との同一視か父との同一視の強化のいずれかである。通常,男子は父親と女子は母親との同一視が強化される。エディプス・コンプレックスが衰微することによって,男児の性格の男らしさが堅固なものになるだろう。これとまったくおなじふうに,女児のエディプス状態は母との同一視の強化におわることになり,それが女らしい性格をあたえる。エディプス・コンプレックスは,単純な場合,男児にあっては次のように形成されていく。
おさない時期に母に対する対象充当がはじまり,対象充当は哺乳を出発点とし,依存型の対象充当の元型を示す。男児は同一視によって父をわがものにする。この二つの関係はしばらく併存するが,後に母への性的願望がつよくなって,父がこの願望の妨害者であることを認めるにおよんで,エディプス・コンプレックスを生じる。ここで父との同一視は,敵意の調子をおびるようになり,母に対する父の位置を占めるために,父を除外しようという願望に変わる。そののち,父との関係はアンビバレント(両価的)になる。この父にたいするアンビバレントな態度と母を単なる愛情の対象として得ようとする努力が,男児のもつ単純で積極的なエディプス・コンプレックスの内容になるのである。超自我とはエディプス・コンプレックスの遺産であり,したがって,エスのきわめて強力な興奮と,もっとも重要なリビドーの運命を表現するものである。超自我をつくることによって,自我はエディプス・コンプレックスを支配し,同時にみずからエスに服従する。自我が本来,外界現実の代表者であるのに反し,超自我は内的世界,つまりエスの代理人として自我に対立する。われわれが述べようとする自我と理想とのあいだの葛藤は,結局は現実と心理,外界と内界との対立をうつすものなのである。
抑圧する審級は超自我と呼ばれ,昇華する審級は自我理想と呼ばれる。社会的感情は,共通の自我理想に基づく他人との同一視の上に立っている。宗教,道徳,社会的感覚は元来一つであった。これらは系統発生的に父コンプレックスから得られ,宗教と道徳的制約は本来のエディプス・コンプレックスを支配することにより,また,社会的感情は若い世代におこる競争をなくす必要性によって得られた。
超自我の背後には,個人の最初のもっとも重要な同一視がかくれている。その同一視は両親との同一視である。ここに超自我の形成や自我理想の形成に,子どもが誰をモデルにどのようにこれらを形成するかが大きな問題となる。しつけが厳しいと厳しい超自我が形成されるのではない。むしろ,ラカンが述べているように「超自我が主体の諸機能を抑制する厳しさは,しつけの実際上の厳密さに反比例して確立されがちであると,逆なのである。それは,子どもが同性の親のイマーゴに同一化しているからこそ,超自我と自我理想は経験に対してこのイマーゴの細部に合致する諸特性を明かすことができるからである。このことば,父親のイマーゴの弱まった諸形態では,昇華エネルギーをその創造的方向からそらせ,自己愛的状態のなんらかの理想のなかへ閉じこめてしまうのを助長するような損傷を,強調することができる。父親の死は,それが発達のどんな段階で生ずるにせよ,エディプスの完成度に応じて,同じく現実の進歩を凝固させることにより枯渇させがちである。フロイトは,父性とは,まず子どもたちに対して,自分自身が自分の欲望を克服し,衝動を抑えこんで,それらと戦い打ち克っていくことに模範を示すような父親像-それが真の父性像であり,自分の衝動や,エゴイズムをほしいままにするような専制君主は決して父性的なものではないのである,と述べている。だから,父親のイマーゴの役割は大部分の傑出人の形成のなかで驚くほど認められる。さまざまな心理学的結果が父親のイマーゴの社会的衰退に随伴しているようにわれわれにはみえる。父性的権威と規範を喪失した子どもたちの間に,どうやらこの社会特有の病理を体現していると思われる病状が目立ってきたのである。例えば,家庭内暴力,手首などへの自傷行為,シンナー中毒,やせ症,などである。プロンフェンプレンナーは,父が男らしい厳しさと優しい愛情を兼ね備えている時に, 息子の男らしさの発達が最も促進される。子どもの道徳性や倫理感は,子どもは自分を叱ったり叩いたりする父親の現実の態度に同一化するのではなく,父親自身のもっ道徳感や倫理感に同一化する。モールトンは,現実の親の養育態度と罪悪感の関連について調査し,両親が愛情深い態度で養育に当たり,日常の躾けの面は父親が担当し,適切な叱責を加えるような場合に,子どもの倫理感が発達して,罪悪感が生じやすくなる。マッコードは,父親がもし自己抑制力をもっ毅然とした男性としての役割を保てば,子どももまた自己抑制力を発達させることができる,と述べている。このような過程は,父性文化を色濃く持っていたユダヤ人のフロイトをして,考えつかせたものである。それは,父性文化を中心とする近代ヨーロッパで,一番よく当てはまる考えであった。日本を考えると,日本も父権社会であるので,社会システムが父権を擁護していた時代には,一応は妥当しているように思われる。しかし,日本文化は,その基底が母性社会であるため,父権の擁護システムが無くなり,父権のイメージが衰退した時,欧米とは異なる様相を現出することが予想される。
イマーゴとは、本来はラテン語でイメージを意味する語。ユングが用いた概念で,シュピッテラーの小説《イマーゴ》(1906)にヒントを得て考えついたと言う。個人が他人を把握する仕方を方向づける無意識的人物原型を言う。ある個人が幼児期に家族との関係において,現実的および空想的に体験することを基にして形成されると考えられる。個人はそのイマーゴに基づいて他人を見るわけである。ユングの初期の概念であって,後にはあまり用いていない。
小此木啓吾が指摘するように,現代は,昔,フロイトがいったような意味での超自我,あるいは,普遍的な内的な規範が,内在化しない文化の時代になってきている。それを反映して,子どももまた,このような機能を家庭教育のなかで身につけることが難しくなってきている。親たちも超自我的な批判原理というものをだんだん失ってきているからである。そして,今の社会そのものが,自分自身の欲望に打ち克っことよりも,欲望をいかに満たすか,という術の発達した人間のほうが,社会への適応性がある。自分の欲望を抑えつけて我慢したからといって,それが社会で適応しない時代になってきていることが「父親不在」の背景にあると考えなければならない。現代の子どもは,昔に比べて自由になっただけに,先生(親)を理想化することが,なかなかできない。何かといえば,すぐに先生(親)に対して悪いイメージをもつ。また,教師の持っ権威性の弱さば,教師の中にも,カリスマ的人格特性を持った人が少なくなり,些細なことについても親が教師に対する批判的な言辞をもたらすため,教師の生徒に対する権威性の獲得が,ますます困難こなって来ている。その結果,有効なルールと抑圧がなくなった。かっての家族の間には,しっかりした秩序とルールがあった。ところが,現代の社会では,対人関係の距離を規制する規範,道徳,礼儀などのルールが急速に失われた。これが父親不在といわれる現象である。父親不在とは,父親が家庭の中で明確な存在感を持たない事実を意味している。父親の存在感とはもともと物理的なものではない。むしろそれはひとつのイメージであり,感覚的なものであるよりは理性的なものであり,無言の力,権威を持っものとしてであり,何らかの威光をもっという意味においてであった。父親のイメージは,家庭内で指導力を発揮する。裁判官的な判断を下す,規律やルールを維持するための監督者である。父性原理に基づいたユダヤ・キリスト教的な文脈での父親像から見れば,むしろ現代の父親は,父親と呼ぶことのできないような存在なのである。
父親の権威が失墜してしまったということを耳にするようになってから既に久しい。それは日本だけのことではなくて,ヨーロッパやアメリカでも,いわゆる先進国といわれる国々では共通して見られる現象である。グローバル・スタンダードは,契約主義と能力主義による自由競争が基本である。関税障壁の撤廃や規制解除は,それらの障壁が自由競争を妨げるからである。契約主義の特徴は,その背景に能力主義,あるいは達成主義が大前提として確立していることにある。人間関係の基本はつながりと相互援助である。親子や友達間に競争原理や達成主義が持ち込まれたら,能力格差と幸運などで,達成格差が拡大し,人間関係は崩壊する。このような観点が増大すると,教師は生徒から見てただの人であり,その先生の技能や教師としての能力が,客観的に生徒たちの評価の目にさらされる。教師が自分自身の能力をたのみにして,教育者としてやっていけるかどうかが,いまの教師たちに問われているのである。教師自身も,いままでのような「縁」の関係のなかに安住することなく,アメリカ的な達成主義,能力主義を身につけなければならない時代が到来しているといえる。これはこれで現実ではあるが,しかし,これでは学校はすべて予備校となる。確かに,教師自身,従来の社会慣習から抱かれていた教師イメージに安住し,自己の実力とイメージの帝離に気づかず,いたずらに生徒を抑圧していた嫌いはある。かといって,教師が持っていた超自我イメージの崩壊は,教師の精神的な薫育の雰囲気を学校場面から奪う。学校が,特定の社会に有用で,生徒や保護者が望むことにだけを教える場になる。個人の要求は個人的なものである。それは集団全体を視野に入れていない欠点を持つ。能力主義と達成主義を望まない(望めない)生徒は,学校から落ちこぼれて行くことになる。この根底に横たわる要因の一つとして,「いまの教育問題は,あまりに早くから,親や教師の理想化・神格化をしなさすぎるところにあるような気がする」,という指摘は,マスコミによる情報化の欠点と相まって考慮すべき視点を与えている。このことが親子の間にも起こってくる。特に,社会が風潮として持っていた父親イメージがなくなると,「日常の家庭生活の中で,父親がいなくて困るどんな機能が残っているというのか。家庭外で収入を得,その収入を家庭内に運んでくる以外に,はとんどの機能は父親なしで済ますことができる」,ということになってしまう。このようなことが,今,世界の先進国で起こっている。小此木啓吾はそれを「社会のモラトリアム化」と名付けている。彼の記述によると,昔は,家族神話が存在し,先祖代々受け継がれた言い伝えやしきたりがあり,誇りや名誉があった。それは,家族アイデンティティと呼ぶことのできるような歴史や伝統を持つものであった。その家族神話に恥じることのない行動の仕方とか物の考え方があった。ところが現代社会では,このような家族アイデンティティと呼ぶにふさわしい秩序をもち,それを子どもに伝えるような家庭が急速に解体した。家族アイデンティティは失われ,どの家族も家としての伝統から切り離された根無し草的な核家族になってしまった。特に,この傾向を,旧来の父性原理の解体という言葉で語ることもできる,としている。家風という言葉が死語に近い言葉になり,家族の特徴も,町の特徴もなくなった。今は,どの家を訪れてもどの町を訪れても,表面上は,風景も雰囲気もあまり変わらない。
父性社会の父親イメージは,「一神教で父権社会での父親のイメージは,家庭にあっては誤ることのない家長であり,社会にあっては正義と勇気と寛大さをその身に備えた君主であり,宗教では父なる至高の神であったからである」。ユングの父親の神話類型の記述も,「男性・法律・国家・理性・精神・自然力などに関係を規定します。父親は創始者であり,権威であります。従って,法律であり,国家であります。彼は風のように世界の中を動くものであります。創造的な風の息吹であり,精神であります」,である。父なる神は,神は唯一絶対の超越的創造神であり,万有の主催者とされ,その神と人間の関係は「契約」の観念に代表されるように,情緒的というより,意志的・倫理的色彩が濃い。モーゼの十戒にもっとも端的に示されている。これに対して,わが国の処罰が,「処罰については,一定のルールに則って行われるべきもので,処罰する側と処罰される側との関係を超えたルールの存在によって,はじめて処罰の納得性は担保される。従って,内申書の問題にせよ,規律違反に対する懲戒にせよ,権限の感情的な使用は,権威を損なうもので,それは一時的に効果を収めても,長期的にはマイナスに作用することの方が多い」,と本来は父性的であるのに,母性的要素が入ってしまう問題点を指摘している。でも,これが母性社会の処罰の方法なのである。感情が入らない懲罰は,「冷たい」との批判を受け,社会からも本人からも受け入れられないからである。
原初的母子一体の世界は,すべてあるものをあるがままに認め,許し,受け入れる世界と言える。物事を区分したり裁いたりする規範的原理でなく,総てのものを無差別に包み込む抱擁的原理である。しかし,文化・宗教のレベルではもともと「母なる神」が伝統的に「父なる神」を凌駕していた。寛容とゆるしの母性原理は,規範と筋目の父性原理と何らかのバランスをとってこそ,正しく機能するのであるが,今日では社会的にも文化的にも父性原理が弱まったため,母性原理は歯止めを失って肥大化してしまった,のである。また,日本において,家長的父親が意外にもろく後退してしまったのは,父の強さやからさが,家父長制を中心にした全体的な制度的構造によって賦与されていた借りものであり,父自身にそなわった内在的な権威に裏打ちされたものではなかったからであろう。
明治10年に来日した,お雇い外国人教師エドワード・モースは,「日本その日その日」のなかで,『赤ん坊が泣き叫ぶのを聞くことはめったに無く,母親が赤ん坊に向かって痛頼を起こしているのを見たことが無い。私は世界中に日本ほど赤ん坊のために尽くす国は無く,また日本の赤ん坊はどよい赤ん坊は世界中にないと確信する』。(私自身も日本人の子供は機会があれば授業中でも昼間でも居眠りや眠ってしまう大人しい子供が多く、腕白なのは少ないので目立ったという記憶がある。私自身も幼稚園の先生に寄りかかって、立ったまま寝ている写真が残っている。このような傾向は就職して社会に出る前の大学・大学院まで続いた。)
父性の弱体化は世界的な潮流だが,それは父性の確立の前段階である,母性の確立に問題が起こってきたからである。もともと,父なる神は,意志のある発達に伴う,より分化した父子関係の現れる段階に心理的根源を有し,条件的規範(父性原理)を主要な原理としている神である。超自我がエディプス・コンプレックスとの関連で出現してくることはすでに述べた。現在問題になっているのは,父親との関係が出てくる前の母子関係の秤の問題である。アンナ・フロイトは,このような超自我形勢の規制について,攻撃者との同一化を提唱した。この規制は,超自我の発達に必要な一つの前段階である。幼児は自分を批判する代わりにその批判を外界にふり向け,厳しく他者を批判するようになる。幼児は,自分の内部の悪しき衝動は他者に投影して,もっぱら他者だけを厳格に責める。これは,超自我発達の前段階であるが,やがて取り入れられた批判が内在化し,自我が自分の行動や内面的な過程を充分に自覚して,他者に対する不寛容さが消え,批判が外部にではなく自分自身に向けられるようになると,真の意味の超自我が成立したことになる。いずれにせよ,このような超自我形成理論から,子どもの超自我の正しい発達ためには,まず親の超自我のあり方や,子どもの指導のしかたが重要である。シュゲイングによると,母性とは,まず相手の身になって感ずる能力,子どもの必要とするものを直観的に把握し,いつでも準備して控えていることである。そして精神病の患者は,すべての幼児期にこのような献身への準備性一母性をそなえた母性-を欠いていたという。アンナ・フロイトは,施設では母親不在の空白を埋めるべく,母親代わりが十分に機能できるように考慮されているが,一方,父親不在の空白を埋めるための努力はまったく払われていない,と述べている。母親の機能が不十分であるため,ホスピタリズムにかかっていた養護施設の乳児のために,母親の機能を充足させた歴史がある。しかし,超自我や自我理想を形成するための父性機能の充実がいまだに十分ではない。だから実際に養護施設児の症状は,神経症より非行や反社会的行動が多い。このことは,養護施設児に対する父性機能の不十分さがあるのは確かだが,実際の養護施設では,子どもたち対する叱責や躾けは,十分なされている。養護施設児の方が,同年令の家庭児より,身辺自律や社会性の自立ができている。それができないと養護施設に適応できないからである。問題は,現在の養護施設には,ホスピタリズムを防止できるくらいの母性はあるが,叱責や責任を内在化できるはど強い母性的絆がないことである。
父性機能と母性機能は双補的なものである。ストーラーの研究によると,前エディプス期における父親の重要な機能を4っあげている。「母親を支え,助ける機能」「報酬と懲罰とにより子どもの行動を直接的に修正する機能」「同一化のモデルとしての父親の機能」「愛情対象としての父親の機能」。父親の役割とは,子に対して「安全な場所」をっくる役割を持った母を,安全にすることにつきる。母性原理はつなぐ機能を持ち,父性原理は切断の機能を持つ。母性原理の欠点は,母親の膝元を離れさせないことである。人間関係に論理的でないしがらみができるのである。乳児期に健全な母子関係を持った人は,エディプス期に父親の助けを借りて,両親に反抗できるのであるが,絆が弱いと,反抗は即関係の切断を意味する。だから,切るに切れないしがらみを抱えることになる。この感情が,内在化しないと,悪いのは全て自分以外の人となる。幼い子どもは自分が石に蹟いて転んだ時でさえ,その責任を石に課す。母親は,子どもを受け入れて,石を悪者として叩いて子どもの感情をなだめる。子どもの感情が人間に向いた時は,最初の時点では,母親がこれを受ける。母親が受けきれないような攻撃は父親が受ける。この攻撃を親が確固として受けとめるには,「子どもに優る体力を持っよりも,動じない意志やそれを支える信念が必要であろう。しかし,そのためには,親の行動が慈恵的なものでなく,社会の規範に従い,その意味で社会から支えられているとの実感が必要であろう」(瓜生武),となる。
社会構造と個人を仲介する父親の役割の中で,その双方にとってもっとも重要なのは,子どもをその社会構造に適合するように養育・指導し,社会へ送り出すという社会化の役割であり,父親の機能もはとんどそこに集約して観察することができる(速水洋)。
『近代人』であろうとする人は,個を重んじたくなる。だからできるかぎり人間関係を断とうとする。かくして,日本の近代人は西欧人が想像のできない奇妙な孤立状態におかれるのである。虐待を生じる家族には,社会的な孤立傾向がある。境界例のクライエントの増加も,母性段階での絆の障害が,弱い父性とあいまって,自己の感情の内在化を妨げ,攻撃を外にしか向けえなくなり,相手を巻き込むことでしか繋がりを持てない人の増加を意味しているのではないだろうか。現在の環境というのは,構造があいまいで,若い人が自分の欲望を自律的にコントロールしにくいのです」,という自由競争社会に必要な父性が足りずに,実際の母親との粋が弱っているのに,母性文化だけが残っているのである。このことば,少年非行に明確に現れている。昨今の非行の一大特徴は「低年齢化」であるが,低年齢化した少年たちのうち,女子青年が占める割合が,かなりの勢いで高くなってきており,とくに「問題の多い子」の中で,女子の占める割合が増えてきた。離婚請求の原因が「暴力」といえば,古来より夫から妻への暴力と決まっていたが,この常識が破られたのも現代の特徴である。妻の暴力に耐えかねて,相談に行ったり家庭裁判所に調停を申し立てる件数は最近激増している。子どもの家庭内暴力が,わかってもらえぬ親への最後のサインであることと一脈を通じるものがある(空井健三)。女子にとって,理解者を得るのは大変なのである。その基本に母親との同一視の問題が存在していると思われる。石附は「父子対決によって立ち直るのは,やはり親子間に基本的な信頼感が成立しているからであろう」,と基本的信頼感の成立の重要性を指摘している。基本的信頼感は母子関係を基礎としているのである。今,そのゆらぎが一番大きいのではないだろうか。これらの現象を起こしている基礎に現代社会の在り方の問題がある。それは,現代の女性は,「子どもを産み育てることの中でこそ女性は成長する」という伝統的な価値観と,「子どものために,家庭に閉じこもれば,女性の人間的な成長は止まる」という新しい価値観がともに存在する,混迷の状況に生きている」のであり,「最近の育児のファッション化にともなう子どものペット化」である。これまでは,問題として,主に過保護・化干渉・母性過剰の母親像がとりあげられてきたが,その対極として,精神的には娘のままの母親であり,こちらの方が増加しそうな気配がある」のである。矢野は「過保護の母親,娘気分の母親という両極端に共通して欠けているのは,社会的視野である。皮肉なことに,社会的視野をもった母性がなければ,子どもをとりまく環境はよくならない」,と主張するが,「社会的視野を持った」というのは,本来は,父性の役割だったはずなのだが。このように見てくると,父性の弱体化以上に,母性の揺るぎがあるのが,グローバルな現状であろう。
健康な家族は,父性と母性のバランスが取れており,子どもの主体性が尊重されていて,開放的である。核家族化し,夫婦単位で暮らす人々が増加しているが,日本ではまだ死に至るまで夫婦で,配偶者が亡くなったら一人で暮らすというレベルまでの個人主義には至っていない(東山弘子)と,その心理を分析し,まだまだ欧米並みの個人主義まで精神性が自立していないことを指摘している。今日の子どもたちがいろいろの行動でもって無言で求めているのは,ものまねや借りものの親ではない。個性的に生きている親と,そのような親が作りあげている個性的な家だろう,と佐々木譲も個性の確立の必要性を強調している。ユングの考えかたの素晴らしいところは,一方方向で考えないところである。母性文化日本は,「和」と「みんな一緒」が強調されてきた。
父性文化は個の確立の文化である。確かに,己と逆のものを統合するのが,個性化の過程ではあるが,日本文化の対極は西洋文化なのだろうか?もしそうであるのなら,西欧での父性の弱体化は説明できない。双補性という観点からすれば,日本が「父系社会・母性社会」であるとすれば,西洋のような「父系社会・父性社会」を求めるのではなく,また「母系社会・母性社会」の古代に戻るのでもなく,「母系社会・父性社会」を目指すのが,真の意味での今の日本の双補性ではないだろうか。
この社会は,女性が政治・経済システムを運営し,社会規範はハッキリしたルールを決めて守り,それに対する違反者には,白黒をハッキリつけて,断罪する厳しさをもった国である。宗教は絶対者を信仰する一神教である。 このようなシステムと今の日本システムである「父系社会・母性社会」とがバランスされれば,われわれはハッキリした社会的な枠組みの中で,個性を発揮できるのではないだろうか。大多数の女性が政治と経済を運営すれば,戦争は放棄されるだろう。貧富の差が解消されるだろう。男たちは,母性を子どものように求めずに,その本質を今よりも理解するであろう。しかし、実際にこのようにはならなかった国があるのではないだろうか。
【キリスト教と諸思想(ニーチェ、キルケゴール、M.ウェバー、ユング、ユダヤ主義etc.)】
【ニーチェ及びキルケゴールと「キリスト教と哲学」】
キリスト者であり、公共的な水平化からはみ出す例外者としての自己の宿命を感じ取ったキルケゴールは、自分に誠実であるために神の前に一人で立って、自己の自由とともに生じる責任を神の前で受け取る「単独者」のあり方を求めて、「主体性こそ真理である」とする「実存」の思想を深めた。キルケゴールはキリスト者に止まったが、反キリスト者であるニーチェとは大衆批判という点で一致しており、両者は現代哲学・思想に大きな影響を与えることになる。
ニーチェは民主主義的な平等やキリスト教に基づく平等が根本的には「群れを成す動物道徳の」同質的な平等であるとする。ニーチェは言っている。「芸術はかかる生の最も高貴な使命であり、真に形而上学的な行動であると確信している。」このような観点で、ギリシャ人にとって、形式付与と陶酔の原理を構成する幻想への意志としての芸術が生に関していかに優位に機能したかを示した。芸術は、理想化された形而上学に含まれるような究極的な真理から生を知ることはできないことから必要とされたのである。形而上学には悲劇としての生が見られる。芸術は生を否定せずにすむ方法となる。ものを作る力と予言の神であるアポロンは、劇の視覚的・客観的な面で現れる。ニーチェはプラトン主義により、ギリシャ悲劇が内部から破壊されたことに気づく。高次の理想主義であるプラトン主義は生の悲劇的な面を否定し、陶酔的な要素の必要性をも否定する結果になった。近代の文化では認識が大部分を占めているために人々は行動することを忘れる。
哲学が認識の領域で生を否定する一方で、キリスト教は道徳の領域で生を否定する。ここからニーチェはキリスト教の罪の役割へと向かう。このテーマから、行動的な性質と反行動的な性質との関係が考察される。キリスト教道徳は個々人の間の根本的な平等原理を要求する。ここで困るのは、生が、強者と弱者、金持ちと貧乏人、才能豊かな人と平凡な人、男と女といった「差異」を示していることである。生においてはあらゆる種類の差異が想定される。だが平等の幻覚を維持するために、キリスト教は罪を発明した。罪とは、積極的な意味で自分は別だと判断したならば、どうしても自分の身に振り向けずにはいられなくなるような「良心のやましさ」のことである。この差異(優越性)のため、彼らは他者の苦難の張本人とされてしまう。
罪とは必ずしも身体的な意味でのものではなく、生をそのまま受け入れられないという意味での弱者の思考の痕跡である。弱者はルサンチマン(恨み・つらみ)に支配され、自らの弱さを覆い隠すために偶像を作りだす。罪とは、より高い所に達する自由や本来の精神を、より弱い形で用いるための堕落のための装置なのである。平等を維持するために、より高い場所に至ろうとするよりも、より高い場所が存在することを否定しようとする。堕落するのも当然である。平等性の倫理とそれに伴う功利性という付属物に支配されているので、人々は皆同じものを求める。「牧人はなく、そこにあるのは唯の畜群のみ!誰もが平等を欲し、誰もが平等だ。自分は別だと感じるものは狂気に陥れられてしまう。」頑なまでに反動的な民衆は幸せになるより他の目的は考えられない。これが、平等と功利によってもたらされるとされる幸福である。群集は幸福を発明した究極の人を見たがる。反動的な思考は、創造性と独創性に伴う危険や苦悩を被らず幸福を望もうとする。より高次の人は創造的であり、生が平等倫理の計算の中に埋没するのを避けようとする行動的個人である。高次の人の思考は詩的であり、普通の言い方には翻訳され難い。ニーチェの思考の鍵となる多くの面には、「力への意志」「永劫回帰」「ニヒリズム」「反偶像主義」「価値の再評価」が含まれる。
ニーチェが思想家としてユニークなことは疑いない。ニーチェは純粋な詩を書いているのではないのだから、彼の理論は哲学ゲームの指し手のようなものと解される。ニーチェの反理想主義は、出来事は出来事自身の記述に還元できるとの可能性に従ったり、出会ったりしているようにも見えるが、メタファー(比喩)が言語の核心に潜んでいるのだとすれば、そのような主張は疑わしいものとなる。
ニーチェは自分では生の「否定者」であることを避けようとしても、生には生の否定も含まれていることを受け入れなくてはならず、幻覚への意志は芸術の形態をとるだけではなく、幸せへの意志という形も取りうるのではないか、と指摘している。
ニーチェはキリスト教を否定するだけではなく、認識論のみの哲学も否定しているようである。
「ニーチェの思想」についてWikipediaから引用する。
ニーチェはソクラテス以前の哲学者も含むギリシア哲学やショーペンハウアーなどから強く影響を受け、その幅広い読書に支えられた鋭い批評眼で西洋文明を革新的に解釈した。実存主義の先駆者、または生の哲学の哲学者とされる。
神、真理、理性、価値、権力、自我などの既存の概念を逆説とも思える強靭な論理で解釈しなおし、悲劇的認識、デカダンス、ニヒリズム、ルサンチマン、超人、永劫回帰、力への意志などの独自の概念によって新たな思想を生みだした。
有名な永劫回帰(永遠回帰)説は、古代ギリシアの回帰的時間概念を借用して、世界は何か目標に向かって動くことはなく、現在と同じ世界を何度も繰り返すという世界観をさす。これは、生存することの不快や苦悩を来世の解決に委ねてしまうクリスチャニズムの悪癖を否定し、無限に繰り返し、意味のない、どのような人生であっても無限に繰り返し生き抜くという超人思想につながる概念である。
彼は、ソクラテス以前のギリシャに終生憧れ、『ツァラトゥストラ』などの著作の中で「神は死んだ」と宣言し、西洋文明が始まって以来、特にソクラテス以降の哲学・道徳・科学を背後で支え続けた思想の死を告げた。
それまで世界や理性を探求するだけであった哲学を改革し、現にここで生きている人間それ自身の探求に切り替えた。自己との社会・世界・超越者との関係について考察し、人間は理性的生物でなく、キリスト教的弱者にあっては恨みという負の感情(ルサンチマン)によって突き動かされていること、そのルサンチマンこそが苦悩の原因であり、それを超越した人間が強者であるとした。さらには絶対的原理を廃し、次々と生まれ出る真理の中で、それに戯れ遊ぶ人間を超人とした。
すなわちニーチェは、クリスチャニズム、ルサンチマンに満たされた人間の持つ価値、及び長らく西洋思想を支配してきた形而上学的価値といったものは、現にここにある生から人間を遠ざけるものであるとする。そして人間は、合理的な基礎を持つ普遍的な価値を手に入れることができない、流転する価値、生存の前提となる価値を、承認し続けなければならない悲劇的な存在(喜劇的な存在でもある)であるとするのである。だが一方で、そういった悲劇的認識に達することは、既存の価値から離れ自由なる精神を獲得したことであるとする。その流転する世界の中、流転する真理は全て力への意志と言い換えられる。いわばニーチェの思想は、自身の中に(その瞬間では全世界の中に)自身の生存の前提となる価値を持ち、その世界の意志によるすべての結果を受け入れ続けることによって、現にここにある生を肯定し続けていくことを目指したものであり、そういった生の理想的なあり方として提示されたものが「超人」であると言える。
ニーチェの思想は妹のエリザベートがニーチェのメモをナチスに売り渡した事でナチスのイデオロギーに利用されたが、そもそもニーチェは、反ユダヤ主義に対しては強い嫌悪感を示しており、妹のエリーザベトが反ユダヤ主義者として知られていたベルンハルト・フェルスターと結婚したのち、1887年には次のような手紙を書いている。
“ お前はなんという途方もない愚行を犯したのか――おまえ自身に対しても、私に対してもだ! お前とあの反ユダヤ主義者グループのリーダーとの交際は、私を怒りと憂鬱に沈み込ませて止まない、私の生き方とは一切相容れない異質なものだ。……反ユダヤ主義に関して完全に潔白かつ明晰であるということ、つまりそれに反対であるということは私の名誉に関わる問題であるし、著書の中でもそうであるつもりだ。『letters and Anti-Semitic Correspondence Sheets』[15]は最近の私の悩みの種だが、私の名前を利用したいだけのこの党に対する嫌悪感だけは可能な限り決然と示しておきたい。
”
また、1889年1月6日ヤーコプ・ブルクハルト宛ての最後の書簡は、「ヴィルヘルムとビスマルク、全ての反ユダヤ主義者は罷免されよ!」と記している。主著『善悪の彼岸』の「民族と祖国」ではドイツ的なるものを揶揄して、「善悪を超越した無限性」を持つユダヤ人にヨーロッパは感謝せねばならず、「全ての疑いを超えてユダヤ人こそがヨーロッパで最強で、最も強靭、最も純粋な民族である」などと絶賛し、さらには「反ユダヤ主義にも効能はある。民族主義国家の熱に浮かされることの愚劣さをユダヤ人に知らしめ、彼らをさらなる高みへと駆り立てられることだ」とまで書いている。にもかかわらずナチスに悪用されたことには、ナチスへ取り入ろうとした妹エリーザベトが、自分に都合のよい兄の虚像を広めるために非事実に基づいた伝記の執筆や書簡の偽造をしたり、遺稿『力への意志』が(ニーチェが標題に用いた「力」とは違う意味で)政治権力志向を肯定する著書であるかのような改竄をおこなって刊行したことなどが大きく影響している。
しかしながら、ルカーチ・ジェルジや戦後に刊行のトーマス・マンの、ニーチェをモデルにした小説『ファウストゥス博士』において、ニーチェをナチズムと結びつけて捉えるべきかのように示唆する観点をもつ研究者や作家も存在する。
とくにそれは優生学に基づいた政策を人間に当てはめることを肯定する態度に表れている。
“ 「子を産むことが一つの犯罪となりかねない場合がある。 強度の慢性疾患や精神薄弱症にかかっている者の場合である。・・・ 社会は、生の受託者として、生自身に対して生のあらゆる失敗の責任を負うべきであり、 またそれを贖うべきである、したがってそれを防止すべきである。 しかもその上、血統、地位、教育程度を顧慮することなく、最も冷酷な強制処置、自由の剥奪、 事情によっては去勢をも用意しておくことが許されている。」(『力への意志』734) ”
ナチスはユダヤ人虐殺以前に、障害者を強制「断種」して、 その後、精神病院にガス室をつくって障害者を多数「安楽死」させていた。上記のニーチェの思想はナチスの行為を正当化するものとの誤解を与えかねないものであった。
ニーチェの哲学がそれ以後の文学・哲学に与えた影響は多大なものがあり、影響を受けた人物をあげるだけでも相当な数になるが、彼から特に影響を受けた哲学者、思想家としてはハイデガー、ユンガー、バタイユ、フーコー、ドゥルーズ、デリダらがいる。1968年のフランス五月革命の民主化運動も、バックボーンはニーチェ精神だった。
「キルケゴールの思想」についてWikipediaから引用する。
キェルケゴールの哲学がそれまでの哲学者が求めてきたものと違い、また彼が実存主義の先駆けないし創始者と一般的に評価されているのも、彼が一般・抽象的な概念としての人間ではなく、彼自身をはじめとする個別・具体的な事実存在としての人間を哲学の対象としていることが根底にある。
「死に至る病とは絶望のことである」といい、現実世界でどのような可能性や理想を追求しようと<死>によってもたらされる絶望を回避できないと考え、そして神による救済の可能性のみが信じられるとした。これは従来のキリスト教の、信じることによって救われるという信仰とは異質であり、また世界や歴史全体を記述しようとしたヘーゲル哲学に対し、人間の生にはそれぞれ世界や歴史には還元できない固有の本質があるという見方を示したことが画期的であった。
哲学史的には、キェルケゴールの哲学を特徴づけているのは、当時のデンマークにおいても絶大な影響力を誇っていたヘーゲル哲学との対立である。
ヘーゲルの学説においては、イマヌエル・カント以来の重要問題となっていた、純粋理性と実践理性、無限者と有限者、個々の人間と絶対真理の間の関係はどのようなものか、という問いが取り上げられる。ヘーゲルによれば、有限的存在は、まさにそれが有限であるがゆえに、現実の世界においてつねに自らの否定性の契機に直面するが、そのとき有限者はその否定性を弁証法的論理において止揚するという方法で、その否定性を克服し、より真理に近い存在として自らを高めていくことができるとされる。
これに対して、キェルケゴールにとっては、個々の有限的な人間存在が直面するさまざまな否定性、葛藤、矛盾は、ヘーゲル的な抽象論において解決されるものではない。そのような抽象的な議論は、歴史、現実における人間の活動の外側に立ってそれを記述するときにのみ有効なのであって、歴史の内部において自らの行く末を選択し決断しなければならない現実的な主体にとっては、それは意味をなさないものなのである。このような観点からキェルケゴールは、ヘーゲルの弁証法に対して、彼が逆説弁証法と呼ぶところのものを提示する。逆説弁証法とは、有限的主体が自らの否定性に直面したときに、それを抽象的観点から止揚するのではなく、その否定性、矛盾と向き合い、それを自らの実存的生において真摯に受け止め、対峙するための論理である。
キェルケゴールは自らの思想の特徴を具体的思考と呼び、これをヘーゲル的な抽象的思考に対置する。抽象的思考とは、そこにおいて個々の主体が消去されているような思考であるのに対し、具体的思考とは、主体が決定的であるような思考だとされる。
この延長において、キェルケゴールは「主体性は真理である」と定式化するが、逆説的なことに、彼は「主体性は非真理である」とも言う。ここにおいてキェルケゴールが意図しているのは、次のようなことである。すなわち、歴史的、現実的な選択の場面においては主体性以外に真理の源泉はありえない(主体性は真理である)が、このことは主体性がヘーゲル的な意味での絶対的真理の源泉であるということを意味しているのではなく、実際には、主体はつねに絶対的真理から隔てられている(主体性は非真理である)のである。
【「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(M.ウェーバー著)】
西欧諸国の資本主義の成立に果たしたプロテスタンティズムの役割は大きかった。
以下に、Wikipediaから、M.ウェーバー著作の「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」についての要約を引用する。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(Die protestantische Ethik und der 'Geist' des Kapitalismus)は、ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーによって1904年~1905年に著された論文。(研究者や学生はしばしば略してプロ倫と呼ぶ)
プロテスタントの世俗内禁欲が資本主義の「精神」に適合性を持っていたという、逆説的な論理を提出し、近代資本主義の成立を論じた。
オランダ、イギリス、アメリカなどカルヴィニズムの影響が強い国では、非合理性を持った合理主義によって資本主義(ここでいう資本主義とは近代資本主義のことである)が発達したが、一方で非合理性を持たない実践的合理性の顕著なイタリア、スペインのようなカトリック国や、他方でルター主義の非(実践)合理性の強いドイツでは、資本主義化が立ち遅れた。こうした現象は偶然ではなく、資本主義の「精神」とカルヴィニズムの間に因果関係があるとヴェーバーは考えた。ここでいう資本主義の「精神」とは、単なる拝金主義や利益の追求ではなく、合理的な経営・経済活動を非合理性のうちで支える精神あるいは行動様式(エートス)である。
ヴェーバーによると以下のようになる。
カルヴァンの予定説では、救済される人間は予め決定されており、人間の意志や努力、善行の有無などで、その決定を変更することはできない(つまり善人でも救われていないかもしれないし、悪人でも救われているかもしれない)。全知全能なる神の意思は人間には不可知なので、自分が救済されている選ばれた人間かどうか、予め知ることもできない。
予定説は、仏教などの因果論とは、まったく正反対の論理である。因果論においては「善行を働けば(因)救われる(果)」という、人間の神や仏に対する働きかけ(例えば寺院へのお布施や教会への寄付などの善行は、金によって神仏から救済を買う行為といえる)による救済が可能であるが、しかしそれはある意味、人間が神や仏を救済の手段や道具として使役し、人間の下位に置く発想であり、それは神の絶対性に対する冒涜である。そこでカルヴァン主義では神の絶対性を守るために予定説が採用されたのである。つまり予定説においては、神は人間の行為や意思や思惑に一切左右されることのない、人間の主として、絶対専制君主として、振舞うのである。
善人でも救われていないかもしれないし、悪人でも救われているかもしれないとなれば、人々は悪事を働きそうなものであるが、実際にはそうはならなかった。
キリスト教においては人生は一度きりである。仏教のように何度も生まれ変わる(輪廻転生)ということはない。死(第1の死)後に、再び肉体を与えられて臨む、最後の審判において、神によって救済される人間として選ばれなかった(予定説では「選ばれていなかった」)者は、さまざまな説があるが、ここでは完全に消滅するとする(第2の死)。そして救済や復活はもう二度とありえないのである。
しかし善行を働いても救われるわけではなく、予め救われているかどうか知ることもできず、もし選ばれていなかったら消滅し、もう二度と救済されない、という予定説の恐るべき論理は、人間に激しい精神的緊張を強い、そこから逃れるために、「神によって救われている人間ならば(因)、神の御心に適うことを行うはずだ(果)」という、因と果が逆転した論理を生み出し、一切の欲望や贅沢や浪費を禁じ、そちらへ向かうはずだった人生のエネルギーの全てを、信仰と労働(神が定めた職業、召命、天職、ベルーフ)のみに集中するという、禁欲的労働(世俗内禁欲、行動的禁欲、アクティブ・アスケーゼ)という精神・行動様式(エートス)を生み出したのである。
そうして人々は、世俗内において、信仰と労働に禁欲的に励むことによって、社会に貢献し、この世に神の栄光をあらわすことによって、ようやく自分が救われているという確信を持つことができるようになったのである。
しかし、この禁欲的プロテスタンティズムが与えた影響で大事なことはそれだけではなく、なにより「利潤の肯定」、「利潤の追求の正当化」、つまり金儲けに正当性を与えたことであった。
世界史的に、それまで金儲けというのは、善と悪どちらかといえば悪であり、少なくとも積極的に肯定されるものではなく、正当性を持たなかった。
そしてプロテスタンティズム、殊にカルヴァン主義は最も禁欲的であり、金儲けを悪として徹底的に否定する宗教のひとつであった。金儲けに正当性が与えられない社会では、当然金儲けは抑制され、近代資本主義社会へと発展することは無い。
しかし最初から利潤の追求を目的とするのではなく、行動的禁欲をもって天職に勤勉に励み、その「結果として」利潤を得るのであれば、その利潤は、安くて良質な商品やサービスを人々に提供したという、「隣人愛」の実践の結果であり、その労働が神の御心に適っている証であり、救済を確信させる証であるとする、ここでも因と果が逆転した論理を生み出したのであった。ここに最も金儲けに否定的な禁欲的な宗教が、それとは全く正反対の、金儲けを積極的に肯定する論理と近代資本主義を生み出したという、歴史の皮肉がある。
そして人々は「結果として」の利潤の追求に励むことになる。利潤の多寡は「隣人愛」の実践の証であり、救済を確信させる証であるから、より多ければ多いほど良いとされた。より多くの利潤を得るためには寸暇を惜しんで勤勉に労働しなければならない。そのため人々は時計を用い、自己の労働を時間で管理するエートスが成立した。このことを端的に示す諺が「時は金なり」である。スイスなどのプロテスタント圏で時計産業が発達したのは偶然ではない。
それまでの人類の労働の在り方は、南欧のカトリック圏(非プロテスタント圏)に見られるように、日が昇ると働き始め、仲間とおしゃべりなどをしながら適当に働き、昼には長い昼食時間をとり、午後には昼寝や間食の時間をとり(シエスタ)、日が沈むと仕事を終えるというような、実質的な労働時間は短く、おおらかで人間的ではあるが生産性の低いものであった。
こうしてプロテスタンティズムは、人類の中に眠っていた莫大な生産力を引き出したのであった。
また、サクラメントなどの、非合理な、呪術・魔術は、救済に一切関係がないので禁止され、合理的な精神を育てるようになった(呪術・魔術の園[ツァウバー・ガルテン]からの解放)。
節約(無駄を省くなどの支出の抑制)のために、収支を管理して合理的経営を行うのに不可欠な複式簿記の導入や、生産性を上げるために、科学的合理的精神に基づいた効率の良い生産方法の導入が図られた。
また、禁欲的労働によって蓄えられた金は、禁欲であるから消費によって浪費されることもなく貯蓄され(資本蓄積)、利潤追求のために再投資されることになった。これにより大規模産業を興すことが可能となった。
このように、プロテスタンティズムが生み出した勤勉の精神や合理主義は、近代的・合理的な資本主義の「精神」に適合しており、近代資本主義を誕生させたのであった(ヴェーバーは資本主義の「精神」を体現した人物としてベンジャミン・フランクリンを挙げている)。
こうして(結果的に)プロテスタンティズムの信仰が近代資本主義の誕生と発展に作用したが、近代化の進展とともに信仰が薄れてゆくと(世俗化)、元々が宗教的なものであったことが忘れ去られ、利潤追求自体が自己目的化するようになった。また、「内からの動機」に基づくものであった利潤追求が、「外圧的な動機」によるものに変貌していった。いったん成立した現代資本主義社会は、外圧的な動機付けによってそれに適合した人間と資本主義の精神を再生産しながら、それでも動き続ける。ただしそれは人々の内面的な動機によって支えられたものではないため、そこに現代資本主義社会の存続の危機があるのである。
現代社会に生きる我々は、知らず知らずの内に、無自覚に、宗教的な生き方を強制されている。現代社会で当たり前とされる我々の労働の在り方というのは、実は地理的歴史的に見れば、決して普遍的なものなどではなく、きわめて特殊な、地域的時代的宗教的なものなのである。
【ユングの見解】
以前に、鈴木大拙の「即非の論理」について述べたことがあるが、それは、「AはAだというのは、AはAでない、故に、AはAである。」というものであった。これは形式論理的には全く意味不明であるが、好意的に解釈すれば、比喩的に自分が一旦死に、本来の自分として生き返る、という「死と再生のモチーフ」を述べているともとれる。キリスト教における「洗礼」も、懺悔して、古き自分が死に、悔い改めて、新たな自分として再生するという、「死と再生のモチーフ」の一類型に過ぎない。このような思考類型は日本では縄文時代以前から存在した。世界各国でも同様のようである。変化があったとすれば、多神教的な考え方から、一神教的な考え方に移行しただけのようである。神話を「宗教」と言い換えたに過ぎないのである。「死と再生のモチーフ」については、ユングの著作を参照されたい。
フロイトは、一人の哲学者ないしは形而上学者として、宗教の可能性を真向から否定し去っているけれども、ユングは、一人の心理学者であり、科学としての埒内にとどまろうとする。彼の対象は「要するに事実だけであり」、彼にとっての「真理」とは「事実であって判断ではない。」 私も理科系として、ユングと同じ立場である。したがって処女マリアによるキリストの誕生というような題材を取り扱う場合でも、このような理念が正しいかどうかは全く問題外で、ただこのような理念が存在しているという「事実」だけが考察の中心になる。その結果、ユングの諸説から「神の存在の証明」を引き出そうという読者に対しては、「それは悲しむべき誤解だ。」という答えがなされ、また、宗教的体験を単なる妄想として否定し去ろうとする唯物論者もしくは心理万能主義者に対しては、「われわれがそれをどう受けとるか、どう考えるなどは全く無意味なことで、もしこの体験が当の体験者に根本的な影響を与えるとしたら、論証によって、それを否定しようとするのは無駄な努力だ。」と説明している。そして、彼は無意識の要求を無視することの危険を説き、「人間たるもの誰しも究極の真理に到達することはできない。われわれとしては、自身で体験した限りにおいての真理を信ずるほかはない。そして、もしそのような体験のお陰で人生が、自分のためにもまた自分が愛している人々のためにも、より健全で、より美しく、・・・・より意味の深いものになるとしたら、われわれは安んじて、これを『神の恩寵』と呼ぶことができる。」という結論の到達している。この楽観論を、生ぬるいとか、安易な妥協ないしは逃避と称することは各人の勝手であるけれども、それが正しいかどうかを判断することは、誰にもできないことではある.
【「ユダヤ主義」】
私は日本人であるからユダヤ教徒ではあり得ないことをまずお断りさせて頂く。Judaismというのは普通、「ユダヤ教」と訳されるが、「ユダヤ主義」の訳語を当てることがある。「教」と「主義」の違いは、「教」は当否の判断を超越しているが、「主義」は経験のなかでその真理性を検証する必要がある。宇宙の構造、世界の起源と終焉、被造物の召命などに関わる「教」の対立においては、どの説教を真とするかは、権利上、誰にも決し得ない。しかし生活の現場での「あれをせよ、これをするな」の「主義」間の対立においては、すべての共同体が固有の経験的「真理」を有する以上抗争は避けがたい。
ユダヤ教はその根本経典が「殺すな、盗むな」に始まり、「聖檀の寸法」「食餌の禁忌」「潰れた片目の賠償額査定」に至るきわめてトリヴィアルな生活規範を含んでいる。これでは非ユダヤ人社会の経験的「真理」とことごとく抵触せずにはいられない。「律法ではなく信仰によって義とされる」という普遍的教義によって土俗的「真理」との摩擦を回避しえたキリスト「教」が布教戦でユダヤ「主義」を圧倒したのは当然のことであった。
それにも拘らずユダヤ主義はあえて「信仰だけでは足りない。人間は網羅的律法によってがんじがらめに縛り上げねばならない」と主張する。ここには人間に対する非常に厳しい見方が認められる。つまり、あるがままの、生まれたままの人間は平気で「殺し、盗み、姦淫する」から他者と共存しえない、故に制度や虚構の力を借りてこれを矯正しなくてならない、とする見方である。
このあつかましさを耐え難く感じる人がいるのは当然である。それ故にユダヤ主義者は「被拘束からの自己解放、疎外からの自己奪還」を祝聖するあらゆるイデオロギーと確執をかもさざるを得ないし、または抑圧的人間観ゆえに西欧の《超自我》として「老賢者」に擬せられる。
自由を守るためには自由に制限を加えねばならない。生きるためには生命力の横溢を制御しなければならない、のようなパラドックスは若者には「大人の詭弁」としか映るまい。しかしユダヤ主義の立場からすれば、それこそが人生の辛酸を舐め尽くした「成熟者の叡智」なのである。
現代の世界宗教がこのユダヤ主義を完全に無視するならば、唯の子供の遊戯に過ぎないと思われても致し方あるまい。その結果、韓国の統一教会などは完全な犯罪者集団に陥り、解釈次第でキリスト教も危険なものになりうることの証左であろう。
日本では、過去においてキリスト教会が聖書にはない戒律的、律法的なことを強調されていたことを批判し、戒律や律法や日本の法律を「悪習慣」とみなし、これらがあるのでは人生を楽しむことなどはできない、との主張をした冊子をある教会から渡されたが、おかしいと思う。
聖書がいう「罪」とは「犯罪」のことではない、などとホザクのは詭弁に過ぎない。聖書のどこにそのような記述があるのであろうか。言葉や文の意味に関しては複数の解釈を許すということは現代では常識になっている。言語学的には「罪」という概念には「犯罪」も含まれるのは自明のことである。「罪を許す」とは書かれているが、「犯罪を許す」との記述は聖書のどこにも書かれていない。許される「罪」とは「犯罪」には触れないものであろう。勝手に解釈すれば「犯罪」も許されることになり、これではキリスト教も唯の危険思想に過ぎなくなる。
「犯罪」に対しては神が許すのではなく、国家の司法権に委ねられるのは法治国家では当然のことである。新約聖書マタイ福音書二十二章には、「カエサルの物はカエサルに」という表現があり、神に対する努めと世俗の支配者に対する努めとを共に行うべきであると教えたイエスの言葉で、転じて、物事は本来あるべきところに戻すべきである、の意で用いられることもある。都合のよい聖書の箇所だけを引用するというのは如何なものであろうか。
【宗教と宗教病理】
西洋中世における普遍論争は普遍的な概念が客観的に存在するか否かを論じられたものであるが、その場合普遍概念が客観的に存在するという説を実念論(realisim)と呼び(トマス・アクィナス)、それを否定して普遍概念は単なる共通な名称に過ぎないと主張するものを唯名論(nominalism)と呼ぶ(ウィリアム・オッカム)。普遍概念とは複数の事物に適用されうる概念のことで、例えば、人間、動物などである。一般概念、一般名辞とも呼ばれる。名辞とは言語に表現された概念で、伝統的論理学の基本単位である。普遍概念の対義語は単独概念と呼ばれ、一つの個体のみを指示する概念で、固有名詞、あるいは普通名詞に限定を加えて「東京」「この机」などとも表される。個体概念、具体概念、単称名辞とも呼ばれる。簡単な話、普遍概念とは普通名詞のことである。
冗談に聞こえるかも知れないが、「神」や「仏」という言葉は普通名詞であることはご理解頂けるであろう。つまり普遍概念である。ある宗教を信じ、信仰を持つということは、これらの普遍概念に対して実念論の立場に立つことである。ただ、それだけのことなのである。唯名論は近世初期のホッブスの思想にはすでに明瞭にあらわれている。ホッブスの思想はライプニッツに受け継がれ、人工知能や認知科学に影響を与えた。しかし、西洋における実念論の伝統は極めて強く、フレーゲの如き大論理学者の場合にも実念論的な仮定を捨てることができなかったが、ラッセルの論理学、特にその階型理論(タイプ理論)は実念論と唯名論との微妙な混淆のために論理体系を極めて複雑なものにしている。純粋に論理的な見地からいえば、実念論はすべて排棄してよいものと考えられている。実念論の立場に立つ宗教が非論理的かつ不合理になり、いくら多くの概念を導入しても、整合性のある体系を作ることは不可能になる。信仰が人間の知恵にとっては愚で、誇りにとっては躓きであるため、「不合理なるがゆえにわれ信ず」の語も出てくる。自分の信仰に確信を持つということは、信仰というものの本質からは、考えがたいことなのである。自然科学において、命題論理や述語論理という言葉で使われる「論理」を否定することはできない。唯名論ないしオッカムの立場に反することは、自然科学の破綻を招くことにしかならない。
別の観点から、フッサールによれば、「神」や「仏」を認識するためには、意識の特性である志向性を向ける必要があるが、「神」や「仏」に対して志向性を向けることは不可能であるから、認識不可能なものであることは認めなければならない。「神」や「仏」を認識ないし理解できるというならば、妄想に過ぎないのである。物事は人間が認識できるから存在すると考えるのが普通で、「神」や「仏」はそのようなものではないのは明らかでろう。例えば「幽霊」が存在すると主張するのと同じである。
それにも関わらず、自然科学者はある種の神秘感ないし宗教観に近いものを抱いているのも事実である。それは、仏教ともキリスト教ともイスラム教とも異質のものである。私は大学で化学、特に物理化学を専攻したが、物質の状態図、相図、物理定数、自然法則などは、人間が勝手に作ったものではない。何故そうなっているかも人間には理解できないのである。よく誤解されるように、自然を支配できるかのような言い方が為されることがあるが、自然科学者や技術者は、そのような物理定数や自然法則を利用できるに過ぎず、技術開発などに対する制約条件は大きく、そんなに自由が利くような活動ではない。例えば、ギプスの自由エネルギー変化が負にならないような化学反応は絶対に起きず(一例に過ぎない)、そのようなことを弁えなければ、不可能なことを実現しようとして、無駄なことを繰り返すだけであろう。自然法則を、そのようにした、または、作った存在に対し、「神」という言葉で表現すれば、それはキリストでも仏陀でもアッラーでもないのは明らかであろう。もはや、これらの名前は古く過ぎ去ったものであろう。科学カルトのように科学万能を主張する訳でもない。もはや、過去の宗教は個人的な救済に留めるべきであろう。それで安心が得られるならば、それで良いと思う。それ以上のことを求めれば、宗教ではなく、呪術やオカルティズムに堕するだけだろう。
以下にインターネット上での記述を引用しておく。
・基調講演『宗教犯罪と病理』 精神科医:高橋伸吾(JDCC主任理事/東邦大学医学部精神神経学教室 助教授) および
・「宗教学痛論」授業用ハンドアウト(6):現代世界と宗教(2)ーカルト・セクト:教団論(宗教集団類型論)と現代の社会問題 から
精神病理学は異常心理学とも呼ばれるものです。
そのなかで以前から宗教現象を精神病理学的に研究する分野がございました。しかし、宗教精神病理という言葉はすでに矛盾を含んでいます。宗教が非日常的で、非論理的であることが社会通念上許容されている限り、その心理過程が正常か病的かという論理的な精神医学的判断が妥当なのかという問題があります。非日常的でない宗教はないわけです。すべての宗教は聖/俗や彼岸/此岸などの世界観、さらには生物学的生存には必要でない祈祷、念仏の類から修行・出家などの宗教行為を伴います。非日常的でないならそれは宗教ではなく、単なる倫理ということになります。
Schneiderの『宗教精神病理学入門』は個々の患者がもつ宗教体験の諸相を描いたカタログで、病者がもつ宗教体験がすべて病的であると断定する方向へ向かうことになりますが、それは論理的に飛躍していて、教祖が明らかに精神病と思われる既成の大教団もあります。だからといってその宗教性が無効であるというわけでもないわけです。
“宗教病理と犯罪”ということになりますと、宗教・精神病理・犯罪という3軸が相互に絡んでいっそう複雑になります。そのため宗教病理のいくつかのプロトタイプを列挙し、犯罪との関係をみていくことにしたいと思います。その前に宗教と犯罪とはそもそもいかなる関係にあるのかについて簡単にふり返っておきましょう。
考えてみれば宗教にはタブーや戒律があります。たとえば紀元前13世紀のモーセの十誡のうち、後半の五つには「殺してはならない」「姦淫してはならない」「盗んではならない」「偽証してはならない」「隣人の家を貪ってはならない」とありますし、また仏教の五戒では殺生・妄語・偸盗・邪淫・飲酒(おんじゅ)が誡められていて、そういう規範意識の強い精神風土であれば、少年非行の芽は事前に摘みとられるであろうことは考えられるわけです。
一方、法制面から信仰との歴史的関係をみると、世界最古の『ウルナンム法典』成立の経緯は、シュメール地域に大都市が形成され、各都市はそれぞれ守護神を祀り、君主はその守護神によって選ばれる主権の代行者だったことが背景にあります。多くの人が集まれば犯罪も増え、刑罰を必要としました。ウルナンムの流れをうけたのが「目には目を」の『ハムラビ法典』(BC18世紀)で、神の名において法律が成立しています。宗教倫理と法律は、ヒトが社会を形成する時に抱く共通感覚だと考えられます。だから典型的な宗教犯罪は悪をなす意識が加害者にないという特殊な事情があります。
ところでどちらかといえば、反主流の宗教教団がその時代や社会状況、法律との関係で“犯罪行為”をなし、教祖に対して精神鑑定がなされる場合があります。わが国ではその実例は著者の知る限りでは3件あります。当時、天皇に対する不敬罪、治安維持法によって逮捕されているケースです。大正15(1926)年の大本教の出口王仁三郎に対する今村新吉鑑定、昭和5(1930)年の天理研究会の開祖・大西愛治郎に対する杉田直樹・中村古峡鑑定があり、そして戦後、昭和23(1948)年の宗教団体・璽宇の教祖・璽光尊こと長岡ナカに対する秋元波留夫鑑定があります。璽光尊は、教祖自身が妄想型分裂病であったケースです。双葉山と囲碁の呉清源が入っていた団体です。以上、3件しかございません。
現在、オウム真理教は検察側の立証が続いていて、まだ弁護側からは何も出ていません。教祖が精神鑑定されるのかには、疑問符が付いています。宗教病理と犯罪の実例のほとんどは、教団ぐるみではなく、末端の信者が個別に関与するものと、一般的な迷信や俗信などの宗教的な精神病理が犯罪を修飾するものがあります。
宗教病理のプロトタイプ(原型)をどのように論(あげつら)うかということがあります。しかし、体系的に分類することはいろいろ試みましたが難しいのが現状です。さきほど述べましたような宗教病理学が抱える内部矛盾のため、ここでは犯罪に限定して、その病理を摘出するという役目のみを果たそうと思います。その場合、ちょうど Schneider が精神病質人格の無体系的分類で行ったのと同様に、「その病理のため、(信者)自身が著しい葛藤にさらされるか、周囲が多大な迷惑を被るような性質を有するもの」という判断基準をとりあえず与えておきます。そのうち、日蓮、池田大作、創価学会員の場合は、闘争的教説型と呼ばれる類型に相当し、次のような特徴があります。日蓮、池田大作は確かに精神病であったのは確実だと思われます。
.闘争的教説型
これは政教が不分離である場合にしばしば起こってきます。イスラム圏はいまだ政教不分離であるためテロリズムが日常的です。
宗教が真に民衆の救済を考えるならば政治と係わりをもとうとする流れがあるのも当然です。日本における鎌倉仏教のなかでも『立正安国論』を記した日蓮は傑出していました。わが国の戦後史で、政治と宗教の関連は創価学会を抜きには語れません。小田晋先生は、1960年代の同教団信者であった病者が、独特の教条主義“正法と三障四魔の闘争”を契機に犯罪へ至った鑑定例を取り上げています。教義のもつ反対集団への敵意が反社会行動として放散される場合があること、および同宗派の有するヒエラルキー構造が組織と個人の葛藤を招き危機犯罪の副次的原因となりうることを指摘しました。
宗教信念と政治闘争は、現世に住む信者にとっては単純に分類できるものではないのかも知れません。オウム真理教も衆議院選挙に立候補しました。この辺りから教団が闘争型へと変質してきたとされるわけです。
いちばん問題になるのは、集団への“迫害”です。強引な信者獲得や献金など、自ら迫害の火種をつくっておきながら、教団は社会との葛藤から次第に被害感を強め、追害するものを攻撃したり、一気に“ユートピア”へと逃れたりします。南米ガイアナでの人民寺院事件が典型例です。調査に来た議員ら5人を殺害したのち、137人の子供を含む900人が服毒自殺しております。教祖は麻薬中毒者だったということでした。オウム真理教の一連の事件もこの系列に属すると考えられるのですが、教祖が現世に執着するタイプであったために集団自殺は免れたと考えております。
宗教病理のプロトタイプは、挙げればもう少しあります。たとえば“感応”現象の問題があります。あと破廉恥罪も分裂病にはみられることもあります。けれども、マインド・コントロール下での教祖指令による各種犯罪は、別格に扱わなければなりません。なぜかと言いますと、行う行為が犯罪であることは理解できていても、それを制御する行為能力に重大な障害をもっていると、私は思うからです。もちろん、これは東京地方裁判所等では通用しない理屈です。「宗教団体を選んだのは自己責任である」という論議が繰り返されています。
それぞれの宗教病理をみると、どうしてそのような考え方をするに至ったのか、つまり信念(ビリーフ)の形成についてもっと詳細に検討されるべきですけれども、このためには精神医学のみならず、JDCCのようないろいろな学問分野が集まっているところでディスカッションをすることが望まれます。
社会の病理現象
竹下節子氏などは「カルト」を集団のあり方・動き方に求め、その集団が表面的・外観的に宗教団体であるか商業・営利団体(「ビジネス・カルト」――竹下氏は韓国の「統一教会」やアメリカの「サイエントロジー教会」も実態はこの「ビジネス・カルト」であると考えている)であるか、環境保全団体であるか(「環境カルト」)、第三世界支援団体、
人道活動団体であるかといったこととは関係がないと考えている(竹下氏は「シンプルライフカルト」「健康カルト」などといった概念も用いている)。彼女によれば、「カルトとは数名以上のグループの動き方の一つを指すもので、集団で閉鎖に向かい、その中の個人」が「健全な識別能力や批判能力を失っている」ものである。「現代のカルト現象の
特徴は、正統と異端の関係の中での「マイナー宗教」という側面から離れたことだろう。カルトは「宗教」社会現象ではなくて、社会の病理現象の一つの形であるに過ぎない。宗教の名を冠している場合も、霊的なものを実際に追求しているというより、救いを求める人々に対する単なる誘い文句であったりすることが多い」。「現代のカルトの実態
は、外部の社会は悪に染まったもの、悪魔の仕業などと決めつけて外界と縁を切らせ、極端な教条主義、ラディカルでピュアイデオロギー、内部では、しばしば社会から弾圧・迫害を受けているという犠牲者の感情が育ちやすい。実は宗教的な看板の裏で、グループの目的の第一義は上層部における「権力」の追求であったりする。その権力は、信者を宗教的な「教え」に帰依させて得るものではなく、事実上、信者を心理操作することでのみ得られる」。「カルトがカルトたる理由は、その教義(宗教カルトであるなしにかかわらず)そのものにあるわけではない。勧誘方法、編成方法、外部からの隔離、脱出の困難さなどにある」「カルトがカルトになるのは、メンバーの自由や人権に抵触するグループの機能の仕方にある。リーダーやメンバーの行動をじっくり観察して良識のフィルターにかけねばならない」
○「カルト」は人々の不安感につけ込む。留学などで一人不安な海外生活を送っているような人がしばしばターゲットにされる。筑波大学のように1年生の多くが親元を離れて初めて一人暮らしをするような大学は、この点で「カルト」のターゲットになりやすいと言える。
○「カルト」は金集め・人集め・権力掌握などの本音をカムフラージュする。孤独を癒すサークル活動、仕事上の能力を育てる自己改革(自己啓発セミナー)、第三世界に中古衣料を支給する慈善団体、難病治療を推進する団体、文化団体などの姿を取ってターゲットに接近する。しかし、もっともポピュラーなのがやはり「宗教」。「詐欺師、ビジネス人間、あるいは妄想や人格障害をかかえたリーダーが、宗教者を装ったり自分で宗教者でだとか神だと思い込んだりしてしまう。もともとカルトと宗教とは親和性があるのだ。/しかし、宗教カルトの本質は宗教ではなくカルトにある」。(基本的に「宗教カルト」としての旨味を享受しつつ、「宗教」が警戒されていることから、さらに別の形態をとってターゲットに接近するという、二重にカムフラージュしたカルト(《本質》金集め・人集め→宗教団体→慈善団体《見かけ》)が多いこと、今後もこの形態がふえるであろうことにも注意を払うべきであろう。)
○それでもなお、「カルト」が「宗教」の姿を取りやすいのには幾つもの理由がある。まず、「宗教」の姿を取り、宗教法人として認可されれば、「信教の自由」という言い逃れを利用して自己保全を図ることができる上、さらに税制上の大きな優遇も受けられるからである。
宗教社会学からの新しい提言
北海道大学の櫻井義秀教授など。
(1)「カルト」には
a)集団の凝集性(内的抑圧と外社会からの分離)
b)成員に対する動員力の強さ(統制と服従)
が共通の特質として指摘されうる。
(2)宗教集団は多くが救済を独占する集団であることから、凝集性が高くなる特徴をもつ。そして、これが、信者や外社会に対する暴力的行為として認識され、社会的批判を受けることが「カルト問題」である。つまり、社会的凝集性と動員体制が強い集団のうちには《宗教的組織》と《非宗教的組織》があり、その《宗教的組織》は、いずれも教祖のカリスマが強く、熱狂的な信仰と献身が存在し、そのカリスマが信者の服従を導く権力の源泉になる危険性がある。しかしだからと言って、そのすべてを「カルト」と名づけて問題視するべきではない。宗教のこのような特徴は、そもそも社会を《活性化/破壊する》という両義的効果を持つ可能性を有するのであり、これをもって、そのような宗教的組織を一概に否定するべきではない。
(3)しかしながら、勧誘・教化過程における精神操作、信者に対する精神的・性的虐待、一般社会や信者からの金銭的収奪が認められ、そのために社会問題化し、法律家や精神医学者が集団に介入する正当性が認められるケースが存在するのも事実である。このような集団(「破壊的カルト」)(A)は、宗教集団の下位類型ではなく、宗教集団が、違法性・病理性を伴うと判断された非宗教的組織(C)のもつ特徴と重なる特徴(それ自体は「宗教的」なものではない)をもつことによって成立する概念である。つまり、問題とされるべき「カルト」は、社会集団一般に起こりうる病理現象(人権侵害、社会秩序からの逸脱、精神病理的行動)を伴うようになった「宗教集団」のみを指し、極めて強力なカリスマと献身とを特徴としていても、病理現象を伴っておらず、社会問題化もしていない宗教集団(B)とは、明確に区別するべきである。
(4)また、当該社会において問題化されなかったが、全体主義集団・国家も、指導者のカリスマや構成員・大衆の熱狂・自発的服従といった総動員態勢があったことが政治学によって考察され、歴史的反省がなされてきた。
(5)そこで、カルト問題の精緻な議論のためには、次のことが必要である。
(i)カルト問題における「カルト」概念を(A)に限定し、(B)の宗教研究、(C)の法律学・精神病理学、(D)の政治学における、それぞれの固有の対象と区別する。「カルト論」「マインドコントロール」などの特殊領域の議論を他の領域に適用しても生産的ではない。
(ii)カルト問題の指標が「人権」侵害、「社会秩序」からの逸脱であることを明確にし、当該社会で、さまざまな出来事がどのような理由・過程で社会問題化されてきたのかを考察することが「カルト問題研究」の主たる課題である。そこでは、社会集団における凝集性のメカニズム、その否定的側面を研究する心理学や社会学が有効である。さらに、教団固有の論理は宗教学が明らかにする。また問題に介入する法律学や精神医学、心理療法が、社会的実践の学としてカルト問題への対処を論じることになる。
(6)まとめ
1)「宗教社会学」は「カルト」はラベルにすぎず、実際にはどこにも存在しないと主張すべきではない。「カルト」は現に存在する。
2)しかし、それは、これまでそのように論じられてきたような「宗教集団」や「教団」の「類型」と考えるべきではない。「カルト」を「カルト」とするのは、病理的現象と社会的批判である。(「宗教社会学」も、これらの存在を否定すべきではない。)
3)その上で、「カルト問題」の研究は、「宗教学」とは区別して、学際的に行われるべきである。
○「カルト」と「宗教」の親和性:宗教においては日常的で利己的な自我に死んで、普遍的絶対的な者との一致を体現する新たな自己を生きることが求められると言ってよかろう。民俗宗教、民俗宗教など、人間の個我の確立以前から存在する宗教の場合、このような古い自我の死と新たな真の自己への目覚めを特に強調しないが、それはこれらの宗教の場合には、そもそもそのような閉じられた利己的自我が存立していない状況を想定しているからであり、初めから各人が普遍的な集合的自己に開かれた状態で生きる世界そのものを表現しているからである。これに対して、利己的個我の確立以後の世界に登場した世界宗教は、この利己的個我の破壊を第一の課題としたわけである。ところで、この利己的個我への執着を絶つことは自己の判断力の全面的な放棄ではないし、そこから生まれる新たな普遍的自己も、当の自我自身の本来の主体として当人の外部にある権力などではありえないのであるが、一見すると、これまでの自己の判断力への依存をはなれて、盲目的に外的権威に依存することと、表面的には類似する点がある。このように、「カルト」は宗教の本質的で重要な局面と本質的にはまったく異なりつつも表面的には類似する点がある。だから宗教もまた十分に注意していなければ、いつでも「カルト」(「宗教カルト」)に転落しうることを銘記しておくべきであると思われる。(竹下氏はローマ・カトリック教会内部のある公認グループがかつてそのような「カルト」へ転落し、公認を取り消されたいうケースの報告も行っている。)
資料
○「反カルト運動anti-cult movement」
「カルト」視される特定集団に批判的な人々や、「カルト」問題を社会的に啓発しようとする専門家によって推進される様々な社会活動。「反カルト運動」という言葉は、「カルト」概念に批判的な宗教社会学者が用いたもので、活動の当事者たちや一般社会ではあまり用いられない。アメリカ合衆国で1960 ~ 1970 年代にかけて東洋系の新宗教がオールターナティブな価値観を求める学生や中間層に広まったが、その教義や活動は、アメリカでは非正統的であったため、異端扱い(異様な儀礼としてのカルト)を受けることとなり、家族が子どもを教団から取り戻そうとしたりした。人民寺院の集団自殺事件以降、マスメディアも「カルト」の危険性を報道するようになり、これに精神病理学や臨床心理の専門家が介入するようになり、「マインド・コントロール」という精神操作の概念や「カルト」という全体主義的組織の概念が生み出された。しかし、アメリカ合衆国においては、元信者が教団を訴える裁判において勝訴する例が少なく、脱会カウンセリングが問題視される傾向にある。「反カルト運動」により「カルト」は社会問題であると広く社会に訴えることには成功したが、実質的な司法・行政上の問題介入は避けられている。
最後に愉快なカルトを紹介して、締めくくりとしよう。私は子供の頃からこのカルトで、このカルトは少年マガジンにも紹介されていました。スティーブン・スチルバーグの映画の基本的モチーフになっていますね。
○「UFOカルト」
1947 年、ケネス・アーノルド(アメリカの実業家、1915-84)が自家用飛行機を操縦中にUFOを目撃したと主張。また1950 年代、宇宙人にあった(コンタクト体験)、UFOに乗って宇宙を旅したと主張する人が現れるようになる。こうしたコンタクティ(宇宙人会見者)の主張を超越的真理として信じる人々が結成した個々のグループが「UFOカルト」と呼ばれている。代表的なものとしては、次の2つをあげることができよう。
(1)1952 年、カリフォルニアの砂漠で金星人にあったと主張したジョージ・アダムスキー(G.Adamski,1891-1965)を信奉する団体。「日本GAP」はアダムスキー信奉者団体としては世界最大規模である。
(2)1973 年にフランスの中部山岳地帯で異星人エロヒム(Elohim)に会ったと主張するクロード・ボリロン(C.Vorihon,1946-, ラエル)が主宰するラエリアン・ムーブメント。「宇宙人」は既成宗教における神や天使のような存在で、「コンタクト体験」は既成宗教における啓示のような役割を果たしていると見ることができる。
「信仰内容の信憑性と信仰への感情的熱狂度」とは関係ないということについて」
日蓮に対する論駁(あくまで一例として)
大乗仏教の経典は釈尊が直接説いたものではなく、後世に文学運動として、様々な人々によって執筆されたものであり、「法華経」をもっとも優れた教えと判断したこと自体ナンセンスである。日蓮は特に末法思想の上に立ち、末法の劣った能力しかない衆生にこそもっとも優れた教えが説かれなければならないとして、それこそが「法華経」であると主張した。「法華経」がもっとも優れた教えであるとの信念(判断)は検証不可能であり、信じるものにとっては真実であろうと、それは客観的な証拠とはならない。歴史的に見ると信念は常に知識との対比で論じられてきた。誤りうる信念は「ドクサ」とよばれ、真実の知識である「エピステメー」から区別された。信念システムは主体にとっての「あるべき世界像」の表現を持つ。信念は価値評価あるいは感情にかかわる要因を持つ。信念は全く主観的な体験あるいはエピソードに基づいている場合がある。ある信念がどのような領域の知識表現と関連をもっているか論理的に決定することはできない。信念内容の信憑性と信念への感情的熱狂度は関係がない。「信念」という言葉を「信仰」という言葉で置き換えても同様である。日蓮ばかりでなく、他の宗教や宗派に対しても、「信仰」に関しては同様のことが成立し、「信仰内容の信憑性と信仰への感情的熱狂度」とは関係ない。非常に醒めた見方かも知れないが、これが科学的には妥当な結論である。
【論駁対象部分】
久遠実成 (くおんじつじょう) とは、法華経の教えにおいて、釈迦は35歳で悟りを開いたのではなく永遠の過去から仏(悟りを開いた者)となって輪廻転生してきているという考え方。久遠成実、久成正覚などとも言う。「久遠」とは、漢語で「永遠」を意味する言葉で、時間が無窮であること。
【論駁】
仏教では基本的に諸法無我、諸行無常を基本的な考え方とするが、人空を説き、釈迦も例外ではなく、実体的に捉えることは間違いであり、実体でないものが輪廻転生することはあり得ないことであり、矛盾を示しており、久遠成実という概念も、諸行無常という仏教の基本的な考え方に反することである。この久遠実成という概念が、仏教の基本的な考え方に反しており、この概念を含む「法華経」全体が矛盾を含むことになり、「法華経」は仏教としては破綻しており、「法華経」はナンセンスである。他に何が書いてあろうと、「法華経」をシステムとして見た場合に、矛盾を一つでも含む以上、無効である。以上。
以下に、仏教の基礎知識と関連知識を記述しておく。参考にされたい。
【カルマ】
前世の善悪の行為が今世にも影響を与える。しかし仏教本来の思想では、過去・現在・未来の実在を認めず、それが業(カルマ)の力で結ばれるとは考えずに、その間で業による因果の関係を認めない。大乗仏教では業による三世両重の因果を考えず、業の作用を現在の内にのみ認める。したがって現在の努力が未来正において結実し、善き結果を得て救われるというような考えを否定し、現在の瞬間において生きながらにして涅槃に達することができると主張し、これが煩悩即菩提、生死即涅槃あるいは即得往生といわれ、大乗仏教の各派に共通の特徴である。大乗仏教は頓教といわれるが、これは時間の実在論あるいは実体間を否定し、業の時間的因果性を否定することによって成立する。業即ち行為は現在の瞬間において効果をあらわす。禅においては悟りを待つために座る事を厳しくいましめ、座る事その事がただちに悟りであると主張する頓悟の思想になる。
【空】
実体のないこと。三法印の諸法無我に相当する。これに反する説を「常見」と呼ぶ。何物もないということではなく、そういう主張は「断見」(虚無観)という。実体はないが現象はある。「常見」と「断見」との間の「中道」という。実体のない現象は、現象相互の限定または相互依存によって存在する。この現象の相互依存を因果または因縁または縁起という。因果とは現象が相互に原因となり結果となって依存しあうことである。「空」とは実体なき現象が相互の因果関係によって生滅することを言う。龍樹は「縁起を空と言う」と定義。空の思想は数学における関数の概念に類似している。現象を説明するのにその背後に実体を仮定せず、現象相互の依存関係だけを持ってする。「実体」とはカントの言う「もの自体」と同じ。同じ考え方で、科学が現象の知識を求めるのに対して、空の思想は現象への執着を離れることをめざす。空には、人空と法空との二つの種類に分けられる。人空とは人間が自我という実体を持たないことであり、法空とは物が実体を持たないことである。人空と法空を同時に主張する大乗仏教にあっては、この主張は原始仏教の諸法無我の説に忠実である。大乗仏教における空の思想は中道であって、肯定と否定を止揚する思想であり、弁証法の構造を持つ。この弁証法は天台の空伽中の三諦円融の説によく見られる。その体験は天台の止観(静座)によってえられ、禅につながるものであり、空の思想は禅の無の思想に移っていく。
【五蘊】
現実の世界は、無常の世界であり、苦の世界であると、釈迦は考えた。そこに常住不変の精神的原理があるわけでもなく、常住不変の物質的原理があるわけではないと考えるが、現代の自然科学から見れば、常住不変の物質的原理が存在すると考えるのが妥当である。それに固執することにより多くの煩悩が生ずる。しかし、真実には常住不変のものはなく、一切は無常である(諸行無常)。これを体得して、一切の苦を滅することをめざす。
一切が無常であるとは色・受・想・行・職の五蘊が、無常であるということである。
「色」・・・「かたち・いろ」即ち「感性的なるもの」
「受」・・・「領納性」「受容性」即ち「感受されてあるもの」
「想」・・・「取像性」即ち「一つの像をとること」一切のものは、それぞれ「一定の姿をもつもの」
「行」・・・「形成」または「為作」(なす・つくる・はたらき)
「職」・・・「了別」「区別して知る」、一切のものは「区別して知られてあるもの」「識別されてあるもの」
こうして五つの根概念にしたがって観られる。一切のものは、それぞれ個体としてあるのでなく、五種類の相においてある。色受想行識の五種類の在り方においてである。五蘊は、一切のものを、現にかくあらしめている「きまり」「規範」「理法」である。それは「法」とよばれる。一切はこのような理法においてあるのであって、決して、それ自身において存在するのではない。一切が「五蘊」のほかに「我」なるものも、あろうはずがない(諸法無我)。
【煩悩】
貧欲・瞋恚・愚痴の三つが根本煩悩。いわゆる愛欲・怒り・無知である。学派によって数え方が違っている。煩悩の起源は、十二因縁は無明(根本無知)で始まっているから、これを以て根源となす見方も可能であるし、また、結局はわれわれの我執に帰するから、執着を根源と考えることもできる。煩悩を断じて悟りを開くということは非常に困難である。しかし、大乗では、煩悩を断じて悟りを開くのではなく、煩悩の働きのままが悟りの作用であるという立場に立って、煩悩即菩提、生死即涅槃を主張し、煩悩の外に悟りを求めることは根本的に誤っていると考えるが、これはキリスト教などと対比すると、極めて危険な思想と思われる。実際、煩悩を実践して即身成仏と称し、成仏して悟りを開いたと勘違いした挙句、犯罪行為、反社会的行為、法律違反、虚言など迷惑行為を世界中で行い、世界中からカルトとして、危険視されている宗教団体が、日本に存在している。国連の常任理事国にさえなれず、2014年には非常任理事国にもなっていない日本が、国連がするべきことを行っているが如き報道がなされているが、5カ国の常任理事国のすべては、その宗教団体をカルト集団として危険視しており、日本がその宗教団体の圧力により、戦前の日本のような不穏な行動に出れば、国連としても理事会を開き、日本に対して決断を迫る可能性はあろう。日本として何か提案して、誤魔化したり弁解をしても、常任理事国には拒否権があるので、拒絶されるだけであろう。日本と敵対していると誤報されている中国も常任理事国のひとつであることを忘れないほうがよかろう。日本は既に真珠湾攻撃による太平洋戦争勃発で信用を失っており、今までも今後も信用回復は不可能であることを自覚して、己ををわきまえ、軍事的話題や靖国参拝といった時代錯誤の考え方から脱し、財政再建、景気回復、福島原発事故の後始末、震災復興などに努めるべきであろう。外国のことを問題にしたり、ちょっかいを出したりする余裕などない状況であることを自覚すべきであろう。信用回復不可能であることは、日本は絶対に国連の常任理事国にはなれなかったという歴史的事実が証明している。もはや、経済大国ですらなく、大国意識を捨て、謙虚な姿勢で、中国を含む近隣諸国との摩擦を避け、国際的に孤立する道は避けるべきである。
【仏教の無我説】
仏教は日常的な「われ、わがもの」という自我観念の否定に力点をおき、人が無批判に「われ、わがもの」と認めているものが真実の自己ではありえない、という否定的表現をとった。それ故、無我説と呼ばれていても虚無論ではなく、真実の自己の実現を目指す。一つは真実の我ならざるものの分析である。五蘊、十二処、十八界などは経験的に把握しうるものの中に真実の我のないことを示している。それにもかかわらず現実に「われ」という意識が存在する。仏教はこのありありとしたクオリアを持つ感覚を否定しようとするが、脳科学が発達した現代科学技術社会では、極めて原始的で自然に反する考え方であろう。大乗では、これを法性、真如、如来蔵、大我などの概念を持ち出して説明しようとするが、アニミズム的な原始的発想を免れていないように思われる。
【慈悲】
仏教においては、智慧と慈悲が重視される。智慧はこの世の暗黒を照らす光明であり、慈悲とはこの世の苦悩をいやすうるおいである。智慧と慈悲を身に受けることによって、個人のパーソナリティを生かすことができるし、また十全な社会活動を遂行することが可能である。慈は普遍的な友情を表す。悲は呻き、であり、苦悩するものに同感・同苦する思いやりである。慈悲を抜苦・与楽というが、抜苦は慈であり、与楽は悲である。上記の宗教団体にはこの理が分らず、反対のことを行い、無慈悲な行為を実行し、世界中で多くの人々を苦しめてきた。仏教は古い思想とは言え、良いところは現代でも取り入れるべきであろう。私もその宗教団体の所属者数名から、暴力を振るわれるまでに至り、殺人行為などを平然と行うようになるのは、時間の問題と思われ、早急に世界中に訴え、解散に追い込むべきであろう。もはや、破壊的カルトと言われても当然である。「観無量寿経」には、「仏心とは大慈悲これなり」とあるが、このことさえ弁えない破壊的カルト集団を放置するのは問題であろう。如来蔵や仏性は、煩悩に包まれている実体的なものでなく、心の作用に他ならないとし、それを、信解・禅定・智慧・慈悲から検討し、如来蔵そのものに慈悲の作用を認めているが、如来蔵という言葉に対する、アニミズム的な原始的発想の印象は拭えず、このような説明は避け、慈悲を字義通りに解釈し、実行すべきであろう。この種の議論に巻き込まれると泥沼と化し、本質が見失われてしまうのが、仏教の特徴であろう。上記の宗教団体も、その反対派も、仏教の概念の解釈を巡って、私には、訳の分らぬ無意味な議論に終始しているようである。このような単純な概念に対して、難解な時代錯誤の議論をするのは、自説に酔って悦に入っているようにしか見えず、見苦しいとしか言いようがない。現代が科学技術の発達した21世紀ではなく、1000年程前の時代の議論を聞いているようで、信じられない思いに駆られるのが現実である。これは理科系の人間としての実感である。
【禅の自由】
「善知識は内外に住せず、去来自由なり」(六祖壇経)、「生死に染まず去来自由なり」(臨済録)、あるいは「ただ如今、一々の境法に於て、都て愛染無く、亦た依住の知解なければ、便ち是れ自由人なり」(百丈広録)といわれるように、内外の諸条件により増減生滅する条件的な自由ではなく、無条件な境涯の自由である。それは一見自由意志に似ているが「因果不昧」といわれるように、決定論と対立するものではなく、決定論との対立をも空ずるような無分別の自由である。禅は仏教と思われているが、死後の世界や輪廻などを語らず、私は宗教とは考えない。だいそれたことを考えず、ささやかな日常生活を大切に味わいながら丁寧に生きることを勧める、生活上の心得と考えるのが適当と思われる。禅は主観客観の分化対立しない境地の体現を目的とするとされることもあるが、禅とはそのような神秘思想とは無縁であり、あくまで、日常生活を当たり前に円滑に営むことを目指した心得と考えるべきである。
禅の意味は静かに考えるということから、静慮の意味で、定ともいう。その他、三昧・等持・等至などとも類似した語である。仏教の基本的立場は、戒・定・慧の三学といわれ、戒は日常生活の規定、定はここにいう禅、慧は智慧で、禅は三学の一つになっている。したがって仏教の根底には禅があると言われるが、仏教という言葉の代わりに日常生活と言い換えても差し支えないのではあるまいか。今まで、仏教というものを、あまりに大げさに考えてきたように思われる。
【呪術と宗教】
デュルケムは、宗教が精神的・絶対的なものにかかわっているのにたいして、呪術は実利的・打算的であるとした。呪術を宗教に先行するとみなす説と、逆に宗教の退化とみなす説がある。上記の宗教団体による現世利益を求めての異様な題目の唱え方や繰り返しは、確かに、宗教というよりも、呪術に近いものを感じるのは当然であろう。
【自力と他力】
聖道門は自力の難行道であり、浄土門は他力の易行道であり、究極的には一致するものとされているが、双方を誹謗する宗派は、邪宗と言われても仕方あるまい。自分から他宗派を誹謗中傷しておきながら、反撃されて当然であるにも関わらず、それに対して迫害されているかの如き事実誤認の妄想を抱き、正しい最高の教えを説いたが故の結果であるかの倒錯した考えを抱くとは、まさに狂気の沙汰であろう。卑近な喩えで言えば、自分から因縁をつけて、喧嘩を吹っかけておきながら、相手の責任を問うとは卑劣極まりない人間と思われても当然ではあるまいか。まさに倒錯とはこのことである。
【根源的真理と相対的真理】
人間が生きるということは自由意志による判断・選択を本質としている。それ故に人間の諸活動において何が真理であるかということが常に問い続けられる。しかし人生にとって最も根本的な問いはそれら個別的真理の根底にある根源的真理が何かということである。かかる真理は唯一でなければない、と考える傾向が仏教にはあるが、哲学的な立場、特に実存哲学の立場から考えた場合に、人間にとっては根源的真理よりも個別的真理のほうが重要であり、個別的真理を集めてきて、それらをまとめて平均化し、捨象して、根源的真理を得ても、極めて情報量の少ない抽象的な概念しか得られず、個別的真理の特殊性、差異性、多様性、具体的内容は見失われてしまい、情報量の極めて少ない抽象的な概念である根源的真理をもってしては、人間は生きる指針を失うばかりで、自主的に考える能力を奪われ、思考停止に陥り、偽りの権威に盲従する結果となり、ファシズムや全体主義に陥る可能性が高くなると考えられる。現実に人々はそれぞれ異なった真理を主張する。それを否定するような思想は明らかに不自然であり、危険である。紀元前4,5世紀の思想の混乱期には多くの思想家が輩出し、異説を唱えたが、釈尊は、この抗争によっては諸思想の相対性を表すにすぎないという立場をとり、これを超えようとした。しかし、現代の哲学の状況から見れば、これは倒錯であり、現代においては、思想家は他の思想家の主張を受け入れ、自らの主張を積極的に相対化すべきことを、構造主義などの現代思想から学ぶべき時代である。宗教に関しては捨てるべきところは捨て、良いところだけを残す作業が残されているだけと思われる。新たな新宗教は必要のない時代であることを自覚すべきである。
【未開の思考】
文明人の知的活動は分離可能な断片を操作するのに対して、未開人はいわば論理的蓄財家であり、物理的・社会的・心的な現実の全側面がその思考においては分離されていない。しかし、こうした未開の思考も厳密なシステムをもつものである。仏教その他の宗教も未開の思考に近いものであり、文明人の知的活動とは相対化して区別しなければならないであろう。
【道徳】
「道徳」の「道」は「道理」等の熟字から明らかなように、「倫理」の「理」と通ずる。「徳」は善行を意味するが、「利」の意味をも含む(たとえば「徳用」)。他方、「倫」は「人間の仲間」、転じて「人間」をいう。したがって、道徳とは人が人らしくふみ行うべき道筋のことで、倫理とほぼ同義である。ヘーゲルでは、良心に従う個人的・主観的な道徳性と、家族・市民社会・国家に体現される社会的倫理としての人倫とが区別される。道徳では、人はあくまで人に留まることが基本であるが、人が人ならざるものになろうとするような種類の宗教は危険性を帯びることは理解できるであろう。もちろん、安全な宗教もあるのは事実である。宗教を明晰に識別する必要があろう。
【仏教の考え方の特徴】
「一切皆苦」・・・この現実の世界を無常の世界であり苦の世界であるとする。
「諸法無我」・・・常住不変のものがあると思い、それに固執することによって多くの煩悩が生じる。しかし真実に常住不変なるものはない。
「諸行無常」・・・一切は無常である。
「涅槃寂静」・・・以上のありのままの真理を体得することにより、一切の苦を滅することができる。
「一切皆空」・・・釈尊の説いた法でさえ常住不変なものとして実体化して固執してはならない。一切の諸法は空である。
「色即是空、空即是色」・・・教えは衆生を導いた後は捨てるべきである。それに固執してはならない。真理の世界はこの現実の世界をはなれてあるのではない。この現実の世界は真理そのものである。
唯識につても興味深いが、以上述べた基本的な説明を煩雑化したような感じである。
【日本人の血脈(江戸の儒学者たち)】
日本の宗教のことなどを調べても日本人というものが分かるはずはない。ただの葬式仏教だからね。それで日本人は不満はないよ。誰が外国人に仏教その他の宗教を教えてくれと頼んだのかね。しかも、外国人から文句を付けられる筋合いはないがね。それも、スポーツとエロ話にしか興味がないようしか見えない外国人にだよ。こういうことに詳しい外国人も多いようだから、日本人の振りをしている奴らの正体も世界中に知れ渡りつつあるようだ。NHKの報道を見れば、どこの国の人であろうと、これが日本人か、と疑問を抱くのは当然だろう。生物学的な同定も世界中で行われているようである。日本人の血脈に大きな変化が急に生ずるはずがないのである。以下の記述を読めば、理由が分かるであろう。私が生き証人と言ってもよいだろう。卑怯者!私とお前らの違いは明らかだろう。私が日本人だ。日本人を代表して抗議する!この堕落しきった性犯罪者集団の民族よ!私がこうしている間にお前らは何をしている?それはお前ら自身の心に聞け!恥を知れ!荻生徂徠に代わって切腹を申し付ける!何が信仰だ?信仰があるならば潔く自決しろ!これは宗教の話じゃないぞ。私は学問の話をしてきたのだ。私を何だと思っていたのだ。学問と宗教とどこが同じなのだ?
全てを語ることはできないが、少し、話をしたい。江戸時代の武士とは学者、主に儒学者の集団であった。武道に励んでいた訳ではない。だから、江戸幕府は明治維新で官軍に敗れたのである。伊藤仁斎、荻生徂徠、佐藤一歳、大塩平八郎などが有名であるが、たかが喧嘩に過ぎない赤穂事件、即ち忠臣蔵には対する荻生徂徠の意見には、日本人の特徴というものがよく現れている。この辺の事情は小林秀雄の著作などに詳しく記載されている。主に、インターネット上からの引用させて頂くが、詳しいことを知りたければ、小林秀雄その他の日本人の著作を見られたい。
荻生徂徠は朱子学を「憶測にもとづく虚妄の説にすぎない」と喝破、朱子学に立脚した古典解釈を批判し、古代中国の古典を読み解く方法論としての古文辞学(?園学派)を確立した。また、柳沢吉保や8代将軍徳川吉宗への政治的助言者でもあった。吉宗に提出した政治改革論『政談』には、徂徠の政治思想が具体的に示されている。これは、日本思想史の流れのなかで政治と宗教道徳の分離を推し進める画期的な著作でもあり、こののち経世思想(経世論)が本格的に生まれてくる。
元禄赤穂事件における赤穂浪士の処分裁定論議では、林鳳岡をはじめ室鳩巣・浅見絅斎などが賛美助命論を展開したのに対し、徂徠は義士切腹論を主張した。「徂徠擬律書」と呼ばれる文書において、「義は己を潔くするの道にして法は天下の規矩也。礼を以て心を制し義を以て事を制す、今四十六士、其の主の為に讐を報ずるは、是侍たる者の恥を知る也。己を潔くする道にして其の事は義なりと雖も、其の党に限る事なれば畢竟は私の論也。其の所以のものは、元是長矩、殿中を憚らず其の罪に処せられしを、またぞろ吉良氏を以て仇と為し、公儀の免許もなきに騒動を企てる事、法に於いて許さざる所也。今四十六士の罪を決せしめ、侍の礼を以て切腹に処せらるるものならば、上杉家の願も空しからずして、彼等が忠義を軽せざるの道理、尤も公論と云ふべし。若し私論を以て公論を害せば、此れ以後天下の法は立つべからず」と述べている。
この事件に関しては、落語や講談まで作られている。
「徂徠豆腐」は、将軍の御用学者となった徂徠と、貧窮時代の徂徠の恩人の豆腐屋が赤穂浪士の討ち入りを契機に再会する話。
よく知られる江戸落語では以下のストーリーである。徂徠が貧しい学者時代に空腹の為に金を持たずに豆腐を注文して食べてしまう。豆腐屋は、それを許してくれたばかりか、貧しい中で徂徠に支援してくれた。その豆腐屋が、浪士討ち入りの翌日の大火で焼けだされたことを知り、金と新しい店を豆腐屋に贈る。ところが、義士を切腹に導いた徂徠からの施しは江戸っ子として受けられないと豆腐屋はつっぱねた。それに対して徂徠は、「豆腐屋殿は貧しくて豆腐を只食いした自分の行為を『出世払い』にして、盗人となることから自分を救ってくれた。法を曲げずに情けをかけてくれたから、今の自分がある。自分も学者として法を曲げずに浪士に最大の情けをかけた、それは豆腐屋殿と同じ。」と法の道理を説いた。さらに、「武士たる者が美しく咲いた以上は、見事に散らせるのも情けのうち。武士の大刀は敵の為に、小刀は自らのためにある。」と武士の道徳について語った。これに豆腐屋も納得して贈り物を受け取るという筋。浪士の切腹と徂徠からの贈り物をかけて「先生はあっしのために自腹をきって下さった」と豆腐屋の言葉がオチになる。
荻生徂徠落語の噺の原典になる話とエピソード
儒学者の荻生徂徠(おぎゅう_そらい)の若い頃の話です。延宝元年(1673)、徂徠は父と共に江戸を追われ、上総に蟄居したのは14歳の時であった。
流浪し、書物も少なく、師も友人も無かった。たまたま古行李(こうり)の奥に、父が書き写した『大学諺解(げんかい)』(林羅山著)の1冊を見つけ、これを熟読し、よく味わった。また、種々の書物を探して読みあさり、独学したが、上総に10年余りいて、25歳の時、父と一緒に江戸へ戻った。
その後、父は家を出て、医官となり、第三子の叔達(しゅくたつ)に跡を継がせた。徂徠は芝浦に下り、生活費を稼いだが、ひどい貧乏であった。だが、少しも気にせず、勉学に励んだ。
ある日、入口に声がした。
「ごめんなすって。わっしは近くの増上寺門前の豆腐屋でござんすが、あつあつの豆腐粕を持ってきやした。食べておくんなせい。」
と言う。驚いた徂徠は、
「せっかくだが、支払う金子が今、手元にないので」
と断ろうとすると、
「どうせ余りもんだから、銭などいらねえよ」
と置いて帰ってしまった。それからは毎日、豆腐粕を届けてくれた。その豆腐屋は、食うや食わずの中で学問に励む徂徠の姿を垣間見て感心し、少しでも助けてやろうという気になったのである。
その後、徂徠はようやく認められて幕府に召し抱えられるようになった。まず、第一に世話になった豆腐屋に恩返しをと考え、毎月少ない給与の中から米三升を豆腐屋へ贈った。時の老中柳沢吉保は、荻生徂徠の評判を聞いて、書記に採用し、俸給十五人扶持を与えた。
当時、徳川五代将軍綱吉は学問を好み、たびたび吉保の屋敷に出掛け、徂徠に命じて家臣へ経書を講義させ、恩賞などを贈った。
やがて徂徠は古文辞学を説き、学問の総裁として活躍し、次第に食禄を増して五百石を拝領し、番頭格に進んだ。
「近世大儒列伝より」
■徂徠の逸話其の壱
藏一杯の書物を売るという話を耳にすると、早速、家財を売り払って60両程の金子を用意し、それを買い求めた。彼は日頃、時間を惜しんで読書に励み、薄暗くなると、戸外に出て読み、家人が灯をともすと、すぐさま灯のそばに寄って本を読んだ。
また、徂徠は草書が好きで、
「人には得手不得手があるもので、自分は楷書が苦手である」
と言って、草書ばかり書き、草書韻会を机の上に置いて学んだという。
「先哲像伝より」
■徂徠の逸話其の弐
藤元啓(げんけい=伊藤南昌)という者が字を書く事がうまいので、徂徠は自分の塾に置いて書を写す仕事をさせていた。ところが、元啓は徂徠の召使いの女と、ひそかに情を交わすようになった。徂徠は、それに気づいていたが、問いただしはしなかった。だが、元啓は知られたと悟り、とうとう塾から姿をくらましてしまった。
その後、しばらくして徂徠が町を通ると、元啓が印肉の行商をしているのを見つけた。すぐさま使いの者をやったが、元啓は家の奥に隠れてしまった。探し出して連れ帰らせ、また、もとのように塾に置いてやった。
「先哲叢談より」
■徂徠の逸話其の参
大岡越前が江戸町奉行の時、徂徠を招いて食事をした。
「私は天下の大役を仰せつかっていますが、学問が無くて、諸事に行き届かぬ事と思います。先生の門に入って学びたいものです。」
と言った。徂徠は
「あなたは優れた裁きをされています。今から学問の道にお入りになると、学問に偏り、お役の方がおろそかになり、かえってお勤めが粗略になる恐れがあります。」
と答えた。その言葉に越前守は、
「学問をする者は、お役目が務まらぬと申されるか。」
と尋ねた。
「学問は大道であって、ある時、急に思い立って始めても役に立つものではありません。なまじ、理屈が分かると、万事が悪く見え、かえって役に立ちません。奉行のお役目は天下の風俗を取り裁き、正邪を正す事にあります。これまでのお裁きで十分です。もし、学問をなさりたいのなら、ご隠居後でもよいと思います。元来が優れた方ですから、どのようにも達成出来ることでしょう。ご子息への戒めにもなりましょう。決して無益な事ではありません。
当分の学問は、かえって妨げになりましょう。」
「八水随筆より」
三遊亭円窓の噺、「徂徠豆腐」(そらいどうふ)によると。
正月二日、江戸の小商人は早々に商いにやって来た。
豆腐屋七兵衛さんが芝増上寺門前の貧乏長屋に入ってきた。転げ込むように住んでいた二十五、六の若者。朝から晩まで書物を読んでいるか、筆をとっているかの毎日。
注文で1丁売った。ガツガツ食べて4文の金が無いから、明日まとめて払うと言う事になった。翌日も同じようにガツガツ食べてツケにした。3日目も同じで、七兵衛さんが聞くと、学者の勉強をして、世の中を良くしたいと言う。それなら出世払いで良いからと、翌日から差入れが始まった。
味付きのおからがメーンで、あとは日替わりの売れ残り。三日に一度はお握り。女房の心尽くしのおつけ。若い学者は涙を拭きながら食べました。この長屋では「おからの先生」って言われるようになった。
ある時、七兵衛さん風邪をこじらして寝込んで商いに出られなくなた。
マクラも上がって、長屋を訪ねたが、もぬけの殻で、行き先も分からなかった。長屋で名前を聞くと「確か、お灸がツライ、とかなんとか言っていたよ」。
その後何回か足を運んだが戻らなかった。縁がなくなって夫婦の頭から先生の事が消えていった。
元禄十五年十二月十四日。赤穂浪士の吉良邸への討ち入り。
翌十五日の夜中。豆腐屋の隣りから火が出まして、あっという間に辺り一帯が全焼しました。
明けて十六日の朝。まだ焦げ臭いものが立ち込めた無残な増上寺門前。
大工の政五郎が豆腐屋七兵衛さん宅に火事場見舞いに訪れたが、着のみ着のままで焼け出され、魚濫坂下の薪屋さんに避難しているという。
薪屋さんで七兵衛さん夫婦に会い、ある人から頼まれて10両の金を持参したので受け取って欲しいと渡した。受け取った七兵衛さん、嬉しいが分からない金に手を付けられないと、薪屋と相談の上、神棚に上げ、困った時に使う事にした。
元禄十六年二月四日 四十七士の切腹。街では「なんてぇこった。あんな立派な義士たちをさッ」。とか「まったくだ。誰なんだい、そんなこと決めやがったのはッ」との声が大勢を占めた。
10日後政五郎が訪ねてきた。腰を痛めた七兵衛さん夫婦を大八車に乗せて、芝増上寺門前の焼け跡へ。
焼けたはずの店が建ってる。棟梁に聞くと七兵衛さんの店だという。そこに現れたのはあの、おから先生で過日のお礼を述べた。「あれから増上寺の了也僧正にもお世話に相成り、五年後、僧正のお口利きでご大老の柳沢美濃守さまのお引き立てをいただきまして、仕官が叶いました。また、なんらご挨拶もせず長屋を出ましたこと、お詫びを申し上げます。訪ねてきた友人たちに『このままでは体がもたない』と連れ出されたも同然で。」と詫びた。それから「火事にあって焼け出されたことを知り、すぐにお見舞いをと思いましたが、ご存知の赤穂の討ち入りがありました。以来、それに掛かり切りになりまして、お顔出しのいとまもありませんでした。この二月四日、赤穂の面々が腹を召し、ようよう動けるようになりまして、やっと、お詫び方々お目にかかることができました」。
10両も、おから先生が届けたものであった。
おから先生の本当の名前を聞くと、『お灸がつらい』ではなく、「荻生徂徠」だと言う。おぎゅう…? そらい…?と聞いて、七兵衛さん思い出した。「岩田の隠居が言ってた。『赤穂の義士に切腹をって、言い出した学者が”おぎゅうそらい”だ』って。その学者って、お前さんかいッ?」と訪ねると、その通りだという。
それだったら使い込んだが10両と、この家はいらないと言う。
徂徠が言うには、「ご主君を失った家臣一同、仇を討ちたしの一心は当然のことでありましょう。まさに義の一字でしょう。しかし、仇討ちはご法度、徒党を組むことも禁じられております。天下の大法を犯しております。法を曲げるわけには参りません」。ですから「私は法を曲げずに、法に情けを注いだのです」。
「仇を討ち、本望を遂げたのでしょうが、方々にはもう一つ思いがあったはずです。ご主君のおそばへ馳せ参じることです。それゆえ、わたくしは『赤穂の浪士に追い腹を』と言上したのでございます」 。
「そんなのは、学者の理屈だよ。」と言う七兵衛さん。
「いえ、これは武士の本分に通じることなのです。七兵衛さん。武士の差しまする大小二本の刀はなんのためでしょうか」。「人を斬るためだろうが」。「まさに大のほうは人を斬るためでしょう。討ち入りで存分に使われました。では、小の脇差はなんのためでしょう」 。「そんな・・・」。
「己で己を斬るためです。武士の本分、魂は小の脇差にあると、私は思っております。常日頃から己で己を切る覚悟のない武士はまことの武士ではございません。切腹は武士の誇り、誉れなのです。打ち首や獄門などとは比べようのないものなのです。また、散り際をいかにいさぎよくするか、武士というものはそこに生涯のすべてを懸けていると言っても過言ではないのです」 。
「切腹については浪士の方々から異議を申し立てる声は一つもございませんでした。二月四日、切腹の様子を検死役の方々が異口同音に申しておりました。『赤穂の方々、皆一様に清々しいお顔で、ご主君のそばに馳せ参じる喜びを現わしておられた』と。本望の叶ったことは間違いないと、私は思っております。 法を曲げずに、情けを注ぎました」。
「法を曲げずに情けを注いだというのは、七兵衛さん。あなたもなさっています。十年前、私は銭を払うような素振りで、都合、三丁の豆腐を食しました。無銭飲食です。法に触れた行いです。しかし、あなたはそのことには 触れず、『出世払いでいい』と情けをくださったではありませんか。あなたは天下の法に許す限りの情けを注いでくださったのです」。「そんなつもりじゃねぇんだよ」と、七兵衛さん。
「そのおかげで、私はなんとか世に出ることができました。私も、赤穂の浪士に法を曲げずに情けを注いだつもりです。十年前、長屋で七兵衛さんに言われました。『腹を減らしてここで死んではならぬ。どうせ死ぬのなら、世に出て見事に花を咲かせてから死ね』と。十年たった今、私、その言葉を赤穂の面々に言っているような気がしてならないのです。『見事に花を咲かせたのであるから、見事に・・・、見事に散れ!』と」。
七兵衛さん「焼け出されたときは焼き豆腐になっちまったが、今、先生の話を聞いているうちに、泣き豆腐になっちまった。なぁ、おっかぁ。武士に意地があるんなら、情けもあるはずだ。ご主君のそばへ送ってやるのも情ですね、先生」。「わかっていただけて、私も嬉しいです。ですから、十両もこのお店もお受け取りください」。「ありがとうございます。貰ったり返したりいたしまして。お豆腐だったら、とうに崩れてしまってます」。
徂徠は、「増上寺の了也僧正に七兵衛さんの話をいたしました。すると『寺でもその豆腐にあやかりたいものじゃ』とおっしゃいました。いかがですかな、増上寺へのお出入りは? 」。
早速納める事にしたが、名前をいただいて『徂徠豆腐』と付けた。
「徂徠豆腐を泉岳寺へ持ってって四十七士にもお供えし、四十七士に喜んでもらえれば、こっちの自慢になりますよ。それにしても切腹した赤穂浪士も立派だが、先生もてぇしたもんですね」 。
「いや、私は豆腐好きのただの学者ですよ」。
「いや、そんなことはねぇ。この店を見りゃぁわかります。先生はあっしのために自腹を切ってくださった」。
お疲れさまです。長い話最後までお付き合いくださり有り難うございます。
落語とはいえ、お前らに笑う資格はないぞ。それは分かっているはずだ。死ね、首つれ、飛び降りろ。これは俺だけが言っているのじゃないぞ。殺すとは言わないが、自決できないなら、日本から出て行け!日本人を侮辱するのか?中国人も台湾人も日本人の味方と観た。お前らにはもう味方はいない。世界から完全に孤立したのだ。
【落語と哲学・宗教・言葉・論理・数学(蒟蒻問答:漱石の夢十夜:モデル理論)】
【「蒟蒻問答」】
落語には哲学的なところがあるものがある。それは、「蒟蒻問答」という題の落語である。
安中在の無住の寺に、流れ者が、世話好きな蒟蒻屋の薦めで、住職になって住み込む。このにわか住職は、道楽者のなれのはてで、経一つ読むことすら知らないのだが、別に葬式もないのを幸いに、毎日、下男を相手に、酒を飲んで暮らしている。そこに、旅の禅僧がやってきて問答を申し込む。問答に負けたら寺を乗っ取られると聞いて慌てたにわか住職は、「住職は別の人間で今は留守だ」と言って旅の僧を一旦宿に帰し、蒟蒻屋に住職に化けてくれと頼み込むと、仏教については何にも知らない点では同様の蒟蒻屋が、大胆にも引き受ける。
翌日、再びやってきた旅の僧がいくら問を重ねても、蒟蒻屋の化けた大和尚は黙っている。「さては無言の行だな」と思った僧が、それではというので、身振り手振りで問をしかける。すると、今度は蒟蒻屋も、身振り手振りで答を返す。それが一々肯綮にあたっているものだから、旅の僧はすっかり恐れ入り、「われらの遠く及ぶところではない」と退散する。これだけでは、まことに不思議な話ではあるが、これには言葉による絵解きがある。
例えば、僧は、指で小さな輪を作って示す。すると蒟蒻屋は、大きな輪を作って見せて答とする。これを、僧は、「日の本は」と聞いて「大海の如し」という答を得たものと解している。しかし、蒟蒻屋の方では、「お前のところの蒟蒻はこんなに小さいんだろ」と聞かれたと思い、しゃくにさわって、「馬鹿をいえ、こんなに大きい」と答えたつもりだったのである。次に、僧は、「十方世界は」と聞くつもりで両手を拡げて差し出したところ、片手を拡げて見せられたので、「五戒を保つ」と答えられたと考える。蒟蒻屋の方は「十丁でいくら」と聞かれて「五百」と答えたつもりである。最後に僧は、三本の指を出して「三尊の弥陀は」と尋ねたつもりだったところ、右の人差指を眼の下にあてた答、即ち、彼の解釈では「眼の下にあり」という答をもらって、すっかり敬服してしまうのである。蒟蒻屋の方では「たかいから三百に負けろ」と言われたととり、けちな坊主だと腹をたて、あかんべをしてやったつもりなのである。
この場合には、第三者には、この絵解きがあるが、僧と蒟蒻屋とは、おたがいに、相手をまったく誤解したままで別れたのである。それでも一方は、「良い教えを受けた」と喜んで次の旅に出立したのであるし、他方は、「うまいこと、言い負かしてやった」とご機嫌だったのだから、話はハッピー・エンディングになっているわけである。
これは、身振り言葉の場合であるが、実は、話し言葉の場合にも、同じことが起こりうるのではないか。こういう疑問を誘うところが、この落語の哲学的なところなのである。実際、汽車の中で乗り合わせた人の一方が、能の話を始めたところ、相手は終始一貫、それを農(業)の話だと思い込んで調子を合わせていたという実話がある。
虎を描いたつもりの絵が他人には猫に見えたとか、椿を描いたつもりの絵が他人には苺に見えた、とかいった話もあり、絵を見せてそのモデルを察してもらおうと思っても、誤解を招くことがある。
モデル理論の教えるところから、実は、言葉のモデル、つまりその表現内容を一義的に決めるのは、不可能な場合が多い。このことは、別に困ったことではなく、数学が多方面で応用されるのは、言葉の持っているこの性質を利用してのことであることも少なくないのであるが、このことから、哲学上の諸問題にとって重要な結果が導かれる。
なお、言葉の持つこの不確定性ともいうべきものには、禅の方でも早くから気づいていたようである。そこで、言葉によって教義内容を固定することを排し、「不立文字」などというのであるが、それにも拘らず、禅僧は問答を好み、その結果、勝ったの、負けたのといって大騒ぎしている。「蒟蒻問答」は、禅における、このような風潮への、皮肉にもなっているのである。
禅も宗教と言われるが、日本では落語家からもこのように茶化される始末なのである。これも無宗教を基本とする日本人の特徴というものが、よく伺われる話である。今現在、如何に軽佻浮薄な民族が日本を跋扈しているかの証左であろう。まぁ、時間の問題であろうが。日本人が目立たないからといって、侮るのはいい加減にしたほうが良かろう。目立つから多数派と思うのは勘違いというものである。これは、日本ばかりではなかろう。出る杭は打たれる。目立つ奴らは目立たない人間に始末される。歴史は繰り返す。前例がある。「白鳥朱鷺に帰す」という言葉が日本にあることを忘れないがいい。
【漱石の「則天去私」(「夢十夜」より)】
明治の文豪・夏目漱石(1867~1916)に「夢十夜」という作品がある。一夜ごとの夢の話10話を集めたものだが、その第二夜は、「悟り」を開こうとして呻吟する侍の話である。悟りを開こうとするが、なかなか開けない侍。雑念ばかりが頭のなかをよぎる。あげくには、和尚にからかわれる。
和尚曰く
「お前は侍である。侍なら悟れぬはずはなかろうと和尚が言った。そういつまでも悟れぬところをもってみると、お前は侍であるまいと言った。人間の屑じゃと言った。ははあ怒ったなと言って笑った。口惜しければ悟った証拠を持ってこいと言ってぷいと向こうをむいた。怪しからん。」
侍は決心する。置き時計が次の刻を打つまでに悟って入室し、この「悟り」と和尚の首を引き替えにしてやろう、と。悟れなければ自刃しよう。侍が辱められては、生きていけない。だが、無情に、時は過ぎるばかりである。和尚の声が聞こえる、「--州曰く無と」。侍は焦る、「無とはなんだ、糞坊主め」と。和尚の嘲笑った声が聞こえてくる。侍は、ますます和尚が憎くくなる。
侍曰く
「悟ってやる。無だ、無だと舌の根で念じた。無だというのにやっぱり線香の香がした。なんだ線香のくせに。」
自分の頭を殴っても、奥歯を噛んでも「無」は出てこない。侍は、腹が立ち、無念になり、口惜しくて涙を流す。出口のない、残酷な状態である。そのうち蕪村の襖画も、畳も、行燈もあってないように見えてくる。それでも、「無」は現前しない。
話は、こう終わっている。
ただ良い加減に座っていたようである。ところへ忽然隣座敷の時計がチーンと鳴りはじめた。
はっと思った。右の手をすぐ短刀に掛けた。時計が二つ目をチーンと打った。
「父母未生以前の因縁を知れ」
この言葉の意味が判らず、夏目漱石は禅寺を訪れる。山道を登る途中で僧に出会ったが、その僧は、「上に行っても何もありませんぞ」と言って、飄々とすれ違い去っていった。
これは有名な逸話であるが、ご存知であろうか。
【カール・バルトの危機神学についての抜書き】
以下は、私が直接記述したものではなく、調べた内容を整理したものである。宗教については、私としてはあまり語りたくないのであるが、バルトから学ぶべきことは多いと思うし、バルトの思想として読んで頂きたいと思う。レヴィナスやヤスパースとも類似した側面があるように思われる。以下が、抜書きである。宗教のみに頼って生きることは、極めて危険なことであるとの認識についても、注意を喚起した上で、読んで頂きたい。このことについては、今回は痛切に実感したことである。
危機神学(弁証法神学)というのが彼の特徴で、「絶対他者なる神」を想定し、人間理性による神認識は不可能だと説いた。
第一次大戦後、ドイツ・スイスを中心にK=バルト・ブルンナー・ブルトマンらによって唱えられ、思想界に大きな影響を与えたキリスト教神学運動。神の超越性と人間の認識的な限界、すなわち神と人との断絶を主張し、両者の弁証法的関係から信仰が始まると説いた。
バルトは終末を、「歴史の各瞬間に対して超越的に介入してくる永遠がもたらす、危機的状況」と定義する。わたしたちはイエスと出会う時に、永遠の次元(「神の国」と言ってもいいでしょう)からの呼びかけに直面し、それまでの人生を根底から変えなければならないような決断を迫られる、それこそが終末だという。
http://www.rokko-catholic.jp/Training/tuesdayclass/tuesdayclass-rej...
弁証法神学の弁証法は、正→反→合のそれである。その点ではヘーゲル的だが、実際はキルケゴールの質的弁証法の影響を受けています。要点は、神と人との「質的差異」を、神の自己啓示である神人キリストへの集中において乗り越えるというものである。カール・バルトらの神学的立場を新正統主義とか危機神学ともいわれる。
(正)「人は神について語らねばならない」→(反)「しかし神は天にいまし、人は地にいるので、神と人との無限の質的差異の故に人は神について語ることはできない。両者は対立し緊張関係をもたらす」(ではその対立にもかかわらず人はどうして神について語ることができるのか?)→(合)「それは永遠の神が人となられてこの世に来て下さったからなのである。即ち、イエス・キリストが神と人とを和解させ、神と人とを結びつけてくれるからなのである。キリストが天にいます神と地にいる人とを和解させ、無限に隔った神と人とを結びつけてくるのである。故に人はイエス・キリストによって神を知り、神について語ることが可能にされ、許されるのである」
こうしてバルトの神学はその方法の故に弁証法神学と呼ばれた。要するに、イエス・キリストというお方は「まことの神にしてまことの人である」存在であり、このキリストにおいて「神と人との断絶」が乗り越えられるということです。だから弁証法神学の代表的神学者のカール・バルトの神学はキリスト中心主義なのである。バルトは宗教社会主義運動に加わっていたが,《ローマ人への手紙》(第2版,1922)においてキルケゴールのいう〈神と人間との絶対の質的差異〉をモットーとし,ドストエフスキーやニーチェからも時代の本質的な危機を学んで,19世紀の文化的キリスト教を激しく非難し,キリスト教の終末論的本質と教会の罪とを明らかにした。
19世紀のヨーロッパ人は、理性と文明を信じた。その結果が、第1次世界大戦という大量殺戮と破壊だった。これまでの神学、哲学、思想は人類を危機から救うことはできなかった。そこで、バルトは、まったく新しく、全てを初めからやり直すことにした。(中略)
人間の理性は信頼できない。人間の言葉も信頼できない。それにもかかわらず、人間は理性と言葉によって議論し、社会を構築していかなくてはならない。人知の力を超えた超越的な「何か」があることを知り、その「何か」に対する畏敬の念をもつことで、人類が破滅の道を回避できる可能性が生まれるとバルトは考えたのである。
バルトは戦う神学者だった。ナチスと命を賭けて戦い、戦後は西側の反共主義、東側のスターリン主義と戦った。その戦いは、自己絶対化をもたらす思想は神の意志に反する故に人間を不幸にするという信仰に基づいている。現下日本の再生のためにもバルトの思想から学ぶことが多い。
神ひとりが神であり、人間という他者に依存しないため、この自己依存性 (aseitas) が神の自由である。しかし神は自己のみで存在しようとせず、人間を創造し、語りかけ、交わりをもつ。なぜならば、「神我らとともにいます(インマヌエル)」という神のあり方が神の愛である、というキリスト論的方法論をバルトは確立させるに至った。
人間を解放するイエスの自由に基づく神学がアメリカには必要であると話し、もし自分がアメリカの神学者であったら自由について書く、と語った。
人は老年になると頭が固くなり、自分の殻に閉じこもりがちになる。しかしこれは自分で作った牢獄に安住することである。バルトが死ぬまで学び続けてあきなかったのは、自己の神学をも含めて、人間の作り出した観念、原理、方法という固定された家に安住することを嫌い、自己をいつも改革することを願ったからである。このバルトの生き方は、つねに自己を変革する神の自由に基づくあり方であるが、ティリッヒがバルト神学の中で最も高く評価した点でもある。
文化プロテスタント主義(近代主義神学。彼は最初期はこれに帰依していた)に対して猛烈な攻撃を仕掛け、神学のテーマが人間学に解消しているとして、神学の本来のテーマを回復しようとし、「言における神の啓示」(『新約聖書』「ヨハネによる福音書」冒頭)を主張した。その神学は彼の著書『ロマ書講義』や『福音主義神学』、『教会教義学』という膨大な著書において記されている。
彼の思想の変遷を表す著書として『ロマ書』において神という一般的抽象的言葉を用いたのに反して、『教会教義学』前半では、特に倫理問題を扱うにあたり、「神」よりも「イエス・キリスト」という言葉を多く用いるようになり、キリスト論に彼の神学が集中していった(「キリスト論的集中」)。教父たちから神学思想を引き出しつつ、そこに革命的な新しさを与え、体系を立てた。ただし「キリスト論的集中」は彼の晩年の思想とは異なり、キリストを通じての神啓示が教会を越えて起こる可能性に言及した『教会教義学』最終巻 (IV/3, § 69) などでは三位一体の第三位格である聖霊に注目している。
エミール・ブルンナーとの自然神学論争において彼が主張した「人間にはもはや『神の像』なし」という主張もまた再検討されうる。神認識がキリストの契機なしには起こらないという点ではブルンナーとバルトは主張を同じくするが、ブルンナーが主張した「人間における結合点」とは人間において聖霊の力が働いて神を認識することを言っているからである。彼はまさに近代の神学的課題やジレンマを一手に引き受けたと評価される。
また彼は改革派の神学をドイツ語圏(20世紀神学はドイツ語圏を中心に展開している)で再確認するきっかけを与えた。バルトに従えば神の律法は福音からして認識される。ルター派が主張する、「律法と福音」ではなく「福音と律法」という順序を主張した(同名の著作・邦訳書あり)。
その思想はマルティン・ハイデッガー、また日本では西田幾多郎、滝沢克己に影響を与えており、数々の著作集・説教集の邦訳が刊行されている。
かつてはジャン・カルヴァン以来最大の改革派プロテスタント神学者と称され、その影響力は世界の教会に及び、カール・マルクス、カール・ヤスパースと共に20世紀の思潮を決定付けた3つのKという人もいた。ヤスパースは、戦後バーゼル大学でバルトと同僚でもあった。
もともとイエス・キリストが2000年前に地上に伝えたキリスト教の教えというものはシンプルで分かりやすく、異教徒の人々にとっても普遍的な内容を持っているものである。それが、「神学」という小難しい学問になると途端に怪しくなってくる。
バルトは自身の神学理解について、基本的に危機としてとらえることから出発する。徹頭徹尾、人間が神について語る問題を危機ととらえるのである。並大抵の決意、覚悟では取り組めない緊張感を孕んだ全人的な営みとして信仰生活を理解するのは、バルトが全体主義の時代経験をくぐり、ナチスドイツの弾圧に苦しめられたキリスト教徒であるからだろう。彼が生きた時代背景がバルトらの神学理解に大きな影響を与えたことだろう。
昔、ハイデルベルク信仰問答をしていた時に、「責任(Responsibility)」という概念について教えられた。なぜ、responsibility というのか。「応答する」、「反応する」という意味を持つresponse を名詞にしたものがなぜ、「責任」になるのか。
新約聖書は神の言葉であり、それらの言葉を知った人間はそれらの言葉(これを福音という)が人間に対して示し伝えたところの意味を理解し、それに焦点を合わせて生きなければならない。この時、これら神の言葉=神からの伝言を受け取った人間のこれに対する態度、反応の仕方、応答する人格がどの様であるかということについて、後に神から審判される。そこに人間の人格態度への評価があるということができる。それゆえ、Responsibility を責任というのである。日本語では単純に「責めに任ず」という簡単な言葉だけで縦書きに訳された。
バルトは、神学は神の言葉、その理解でなければならないとした。常に圧倒的な存在である神と、絶対的に無力で愚かな存在である人間との危機的な関係を基礎にして考えている。当たり前のことだが、この当たり前がそれまでの神学にはどうにも怪しい面があったのである。キリスト教に対するイメージが、恵み、喜び、幸福といったばら色の内容だけではなく、試練、迫害、困難、闘争、挫折といったいばらの道としての意味を持っている。
危機神学の概念を打ち出し、21年にゲッティンゲン大に。その後、30年、ボン大学の教授になるが、ナチスの全体主義が吹き荒れる中、1935年、アドルフ・ヒトラー忠誠宣誓を拒否。あえなく退職処分となる。
文明の衝突とか宗教戦争の時代といわれる。だが、キリスト教徒の目から見ても、むしろ今の世界で真に世界平和にとって脅威と呼ぶに相応しいのは、「テロリスト」と一方的に呼ばれているイスラム教徒ではなく、あまりに傍若無人なアメリカのキリスト教福音主義であると思う。
実存主義について少しく触れて置くが、従来の神学は存在論の思考とある程度近い関係を持っていた。それゆえ本質的思考の方向を取り、人間を全く抽象的な本質存在において知的に捉え、論理的に論じれば十分であると考えた。実存は哲学においては古くから取り上げられているが(実存とは存在が現実の中に投げ出されている状態だからである)、実存よりも本質を重視した。しかし、人間に関しては実存こそが重要であるとキェルケゴールは考える。
神と人との断絶、絶対差、というようなことが重要問題になる。
教義学の著述は初期のバルトの思考から大きく踏み出すものであったが、キリスト教教義学(1927) を第1巻だけ出版して放棄し、絶版にした。それは神学的思考の中に取り入れられている実存主義的哲学思想を廃棄する転換をしたということである。実存主義と決別して、御言葉の客観性に立って教義学を述べなければならない。
バルトなき後、キリスト教はますます混迷を深めた。この混乱の助長にバルトがその意図に反して関わっていると言えなくもない。世界の不安を自覚させた人が、世界について肯定的に見る見方を奇妙な形で残したため、あるべき不安がなくなっている。危機神学をもう一度やりなおさなければならない。
【現代哲学思想による脱宗教化と倫理学・道徳の復権に向けて】
私の主張はむしろ【哲学的「他者」教】とも呼ぶべき「倫理学」や「道徳」の復権である。哲学的に言えば「真理論」、「認識論」、「存在論」の重視から「倫理学」の重視への移行である。形而上学批判である。
哲学では神や仏はその超越性を強調して「絶対他者」と呼ばれる。「他者」とは、自己に対する何ものかであり、自我に対する他者の我として「他我」があるが、他人の意識である他我をいかにして認識するかは、哲学上の難問とされる。レヴィナスは、人間が神や仏を概念によって同一化し、そしてその同一化された神や仏を振りかざして、他者を同一化する思考に異議を唱える。神や仏が意味をなすものであるならば、それは人間にとって他なるものでしかなく、決して同一化されることがないはずである。絶対的他者なる神や仏との関係性は、人間のエゴイズムを徹底的に無化し、他者に応答するかぎりで成り立つ主体性を構成する。そして、このような主体性は、他なる人間と倫理的関係に入ることを可能にする。
他者は存在しない、存在するというのとは別の仕方で私に働きかける、もしくは存在でも悲存在でもない存在の彼方そのものである、とレヴィナスは言う。形而上学以後の宗教における心理的側面の強調、即ち宗教心理の主題化は、現代思想において批判される。心理的内省を通じて超越的次元と接続しようとする努力が、他者への配慮の欠落に帰結しているのである。「悟り」とは自己実現のことであり、他者への配慮は自己実現の肥やしとなってはならない。自己実現(悟り)が規範化されると、他者への配慮は自己実現の手段に過ぎなくなる危険がある。この危険を避けるためには、1.自我の脱中心化と自我とは他なるものの迎接という視点を維持すること、2.自己実現を規範にすることによって他者をそのためにの手段として遇する傾向に抵抗すること、3.主観的構成に回収されない外部性を有する他者との倫理的関係を保つこと、4.形而上学以後の宗教おける「ロゴス中心主義=自己の一神化」への批判的視点を有することである。
他者よりも法への従順さを尊ぶような宗教性に異議を申し立て、他者との対立のなかで生じる心の葛藤への批判的洞察をふまえて、他者との倫理的関係を築くべきである。
人間は自己であるためには他者を暴力的に同一化せざるを得ない。しかし、他者が他者である限り、他者は決して完全には同一化されえない。このような他者の現実性が乗り越えられないものである以上、われわれはそれに正しく応答する以外にはない。つまり、暴力的関係から倫理的関係に立つことを不可避的に要請されているのである。
レヴィナスなどの【哲学的「他者」教】に見られるように、人間の内在性のなかから超越性を見出そうという動向、他者の尊重、他者への愛や配慮を理想とする自律的な自己放棄という「脱宗教的霊性」が、育ちつつある。世俗化の進んだ先進国の社会では、「自己」の超越という関心と「他者」への倫理という関心が、いずれも宗教に代わる霊性として拮抗するということである。
蛇足になるが、「他者」と「他人」は異なるものであり、「他人」について認識する場合に、私の超越論的主観性による「他人」についての把握内容(構成内容)から漏れるものが必ず存在するが、それを「他者」と呼ぶ。神や仏の「絶対他者」に対しては、認識の対象にすらならず、把握不可能(構成不可能)であり、純然たる他者ということになる。
現代思想が問い直そうとしている西洋の形而上学的伝統には、当然のことながら宗教がからんでくる。一般に、とくに日本では、現代思想と宗教との関連は薄いと思われている。たしかに、宗教への直接的言及は目立たない。しかし、彼らの形而上学批判は、軸の時代以後の宗教に宛てられたものとして理解することが可能である。
たとえばJ・デリダは、神とも同一視されるロゴス(言葉、声、理性)を真実在とするロゴス中心主義を批判する。それは、ロゴスという本質とその外部からなる二分法を前提とし、本質との一致、本質の現前を真理とする。このような前提から、階層秩序的な二項対立をはらむ言説が次々と産出される。すなわち「パロール/エクリチュール」「内部/外部」「自己/他者」「同一性/差異」「本質/仮象」「善/悪」「精神/身体」「人間/動物」などの優劣を強調する二分法であり、「西洋/東洋」「男/女」などといった自己中心的な差別的言説である。そうして世界は階層化される。頂点に神が座し、それとの同一化、すなわち内部化の度合いが、階層内での位置を決定する。それはつねに他者の支配的同一化を狙っている。このような形而上学的言説を、デリダは脱構築しようとする。すなわち、二項対立のうち支配的な前者が実は後者に依存していること(もちろん優劣の単なる逆転ではない)を指摘しながら、境界線が決定不可能であることを暴露するのである。
E・レヴィナスはこの事態を別の角度から検討する。人間が神を概念によって同一化し、そしてその同一化された神を振りかざして、他者を同一化する。そのような宗教のあり方を、レヴィナスは神の他者性を強調することによって批判する。神という語が意味をなすものであるならば、それは人間にとって他なるものでしかなく、決して同一化されることがないはずである。絶対的他者なる神との関係性は、人間のエゴイズムを徹底的に無化し、他者に応答するかぎりで成り立つ主体性を構成する。そして、このような主体性は、他なる人間と倫理的関係に入ることを可能にする。レヴィナスとデリダのあいだには微妙ながら決定的な差異もあるのだが、他者の支配的同一化を批判するという点、とりわけ宗教においてその一つの典型が見られるという認識に関しては共通するだろう(また、宗教のなかに、他者性を廃棄する主体性だけでなく、他者に応答し、他者を証言する主体性があることを認める点においても両者は一致する。
アドルノとホルクハイマーは、自然支配の理性が、他者の道具的支配に転じてゆく様を批判する。まず、自然の力に驚かされて発した「マナ」という声が、神的力を喚起する呪力をもった言葉として使用されるという事例を、言語の使用の始まりを画する出来事としてあげる。神話において、人間は、言語を介して召喚された神を通して、自分自身を理解するようになる。ここにおいて、創造する神と秩序づける人間精神の同一化が図られ、自然はその客体とされる。啓蒙は、さらに主客の分離を断行し、人間と自然ないし神との親和的・類比的な関係性を断ち切り、理性の支配対象を外的自然と内的自然に定める。それは人間の自律を画する出来事であるかのように見えるが、実は、人間による人間の支配の連関、全体主義へと帰結するものである。かくして啓蒙は野蛮に帰する。アドルノは、自然との非支配的で非敵対的な関係性を模索する。決して同一化されない非同一性とのかかわり方として、最終的な肯定を目指さずに矛盾の論理である弁証法をそれとして徹底させてゆく「否定弁証法」を提示する。そして、未知のものを既知のものに同一化せずにあくまで未知のものとして経験する様態として「ミメーシス」に目を向ける。
このような全体主義批判は現代思想の重要なモティーフである。全体主義は、他者を同一化しようとする西洋形而上学の帰結であり、そして近代における世俗化は形而上学的な宗教的思惟の衰退どころかむしろその国家規模での徹底であると考えられる。おそらくフーコーの仕事は、ソクラテス以後から近代国家に至るまで、他者への配慮がどのような段階を追って欠落していったかをたどったものとして読み直すことができるだろう。
だがすでにソクラテス・プラトンにいたって、このような自己への配慮は、哲学的「真理」の探究と軌を一にする。以後、他者よりも真理を尊ぶ態度が次第にはぐくまれる。帝政ローマ期においては、政治的活動から離れた場面での自己への配慮が問題とされる。さらに、キリスト教においては、世俗外において、自己への配慮ではなく自己の認識がすすめられる。自己への配慮という利己主義は罪であり、自己を放棄して、隠された欲望の真理を認識して告白することが、魂の救済につながる。近代の道徳は世俗内の他者への配慮を説くが、そこでも自己への配慮は非道徳的なエゴイズムとして否定され、自己認識のほうが重視される。自己認識を重視するのは、道徳的自律を重んじるからである。そこでは具体的な他者への配慮よりも、むしろ他者への配慮を説く道徳的規則にどれだけのっとっているかという自己の真正さの検討がおこなわれる。こうして、自己への配慮を通じての他者への配慮は、自己の認識あるいは監視による近代的主体の構成にすり替えられ、対他関係は自己形成の肥やしとなる。宗教改革と世俗化を経てなお、自己開示の技術と自己認識の態度は受け継がれる。キリスト教の告白の技術は欲望を消し込んでゆきながら、一人ひとりを神と結びつけてゆくが、羊を一頭たりとも迷わせまいとするこの牧人型権力は、近代においては、人々を自律した主体として個別化し、一人ひとりを完全に世話することで全体化しようとする国家権力のモデルとなっている。
現代思想家たちの宗教批判の要点は、次のようにまとめられるだろう。(一)神の概念的把握、および(二)神と人間の類比的同一化が、(三)他者性の廃棄につながり、(四)近代における個人主義と全体主義の結合を準備した、と。現代思想のこのような動向を、ここでは「他者論的転回」と呼んでおく。それは、普遍的なものへの自己同一化を目指す西洋形而上学の帰結が個人主義と全体主義であることを踏まえて、他者の他者性を同一化することなく、それでいて相互不干渉や相対主義にもとどまらず、他者と倫理的にかかわる仕方を模索しようとするものである(したがって、よく誤解されることだが、現代思想家たちの多くは相対主義的でもなければ個人主義的でもない)。
他者の哲学をもっとも力強く説いたレヴィナスなら、その通り、他者は存在しない、存在するというのとは別の仕方で私に働きかける、もしくは存在でも非存在でもなく存在の彼方そのものである、とするだろう(L思inas 1977)。それは、自己と他者が互換的であるような現実のコミュニケーションの場面を度外視して、自己が自己であるかぎりにおいて、他者が他者であるかぎりにおいて、この他者について何が言えるかということを突き進めた、瞬間の思考である。デリダやアドルノは、レヴィナスほど極端ではなく、他者や非同一性を同一化しようとする暴力を自己がいやおうなしにはらんでしまうということの避けがたさを認める。にもかかわらず、いやだからこそ、この暴力をぎりぎりにまで落とし込むために、法の脱構築(デリダ)、概念の自己反省(アドルノ)というそれ自体完全には不可能な実践を敢行しようとするのである。レヴィナスの立場を「他者論」の極端な形態とするならば、デリダやアドルノの立場はむしろ「多元論」に近いかもしれない。しかし、他者の同一化に対するぎりぎりまでの抵抗という点では、彼らも「他者論的転回」を経た思想家とすることができるだろう。
他者論的転回を経た現代の哲学者からすれば、心理学はその基本的前提において批判されるはずである。「心理学」という名辞は、文字通りに解すれば、精神と身体の二分法を前提として、より支配的な位置に立つ精神についての、ロゴスによる概念的把握を目指すものであろう。しかも、この場合の精神とは、形而上学的実体としての魂の、さらにその形相にあたるような諸機能のことを指す。心理学はその定義において、一つのロゴス中心主義を体現する。また、そこでは主観において構成されたかぎりでの他者しか問題になりえず(問題とするならば倫理学となる)、その点で心理学とはその対象の限定においてすでに一種の独我論である。さらに、心理学の実践的部門である臨床心理学・心理療法は、自己開示と自己認識の技術、すなわち自己のテクノロジーを引き継いでおり、対人関係が問題になるとしても、それは他者への配慮そのものに向かうのではなく、自己同一性の再構成をもって結びとする。つまり、心身二元論、独我論的認識論、他者への配慮の欠落という点で、「心理学」は、現代思想家たちから論難される資格を有するのである。
現代思想が批判していたのは、形而上学以後の宗教における心理的側面の強調、すなわち宗教心理の主題化だった、と言うべきかもしれない。すなわち、心理的内省を通じて超越的次元と接続しようとする努力が、他者への配慮の欠落に帰結しているという点への批判である。この批判点が、超越的な次元への関心を失った世俗的心理学にもあるていど妥当するというのは当然のことかもしれない。
心理学が宗教を対象化するとき、宗教は神的事象ではなく、あくまでも人間的現象としてとらえかえされる。したがって、神による救済、あるいは苦難からの解放/解脱は、人間の心理的成熟のプロセスとしてとらえられる。そして論者によっては、このプロセスは自己実現プロセスとして定式化される。一面的自我を越えた・より以上のもの・(世界・他者・無意識)に触れることで、潜在的可能性としての自己を実現してゆくというプロセスを、人間の心理的成熟のプロセスとしてとらえ、それがもっとも劇的に現れるのが宗教体験であると考えている。神を主語とする救済が人間を主語とする自己実現に取って代わられたことは、たしかに大きな断絶である。また、彼らは宗教的現象を超自然的現象として教義化する宗教を批判し、自然に生起する宗教体験にこそ宗教の本質があると見る。しかしながら、このような議論は、他者論的転回を経た思想家たちの批判する近代的自律の図式にそったものであろう。神と手を切ったといっても、より高次なる・自己・の実現に関心が移っただけならば、他者への配慮は自己実現の肥やしとなっているだけかもしれない。
心的現象や心的現実としての経験が素材として重視されるユング心理学においては、他者そのものが扱われることはない。その点、彼の理論は徹底的に独我論的構制をとっている。しかし、そこでの「自我」と・自己・は通常の用語法を大きく逸脱する。ユングにとって主体が同一化するところの自我は、実はコンプレックスの一つでしかない。それは、最初から他者を同一化するほど大きくはないのである。自我は心の中心になろうとするが、そうすることでかえって自我の外部の暗やみにおびやかされてしまう。心の世界は、自我によって支配されることがなく、自我と対立するような無意識的内容によって満たされている。そして、これらの無意識的内容は、どれ一つ純粋に個人の生活史に由来するものはなく、人間精神の共通の構造として仮説的に設定される元型に由来する。・自己・とは、これらの意識と無意識を含んだ心の全体性とされるが、そのような自己は個人のものではなく、集合的次元に根差している。したがって、ユング理論は独我論を突き進めることで、独我論の不可能性に到達し、自己そのものが他者によって構造化されていることを突き止めたと言うことができるだろう。
独我論の果てにたどり着いた「自己の他者性」「内なる他者」が突きつける哲学的難問を軽視してはなるまい。それは現代の深層心理学ないし力動的心理学が共有している知見であり、この立場からすれば自己と他者の素朴な二分法こそ超克されねばならないとされるであろう。もちろん、哲学的他者論で言われる自己と他者は、人格的同一性の差異に還元されるようなものではない。そこで問題とされるのは物のカテゴリーや人格的同一性を超えたメタカテゴリーとしての・同・と・他・であり、レヴィナスによれば主体性とは・同・のなかの・他・(自己に回帰して同一性を構成することがないような自己性)としてとらえ返されるのであり、またリクールにおいて、同一性と区別される自己性とは「他者のような自己自身」とされるのである。「傷ついたコギト」を認知したあとでの自己論という点に注目すれば、現代思想は「自己の他者性」や「内なる他者」を発見したフロイト以後の哲学と言ってもよいのである。
宗教心理学は、他者の他者性の直視を契機とするということである。しかしながら、自己実現が規範化されると、他者への配慮は自己実現の手段に過ぎなくなってしまうという危険もある。また場合によっては、心のなかの他者しか見えなくなってしまうという陥穽もあった。宗教心理学が、他者論的転回を経た現代思想の厳しい審問に耐えうるようなものになるとしたら、それは次のような条件をクリアしなければならない。すなわち、(一)自我の脱中心化と自我とは他なるものの迎接という視点をこれまで通り維持すること、(二)自己実現を規範とすることによって他者をそのための手段として遇する傾向に抵抗すること、(三)主観的構成に回収されない外部性を有する他者との倫理的関係を保つこと、(四)かつ形而上学以後の宗教における「ロゴス中心主義=自己の一神教」への批判的視点を有しているもの、ということになるだろう。レヴィナスの「存在論より倫理学を優先させる」というスローガンを借りるなら、「心の存在論から心の倫理学へ」という転換、心一般のあり方の解明から、ユニークな心と心の倫理的関係を媒介する実践へという転換が図られねばならない。そのような方向性を持つものこそが、他者論的転回以後の宗教心理理論にふさわしいことになるであろう。
フロイトの宗教批判は有名であるが、その眼目は、神についての認知的命題への信仰が衰退するなかで、道徳の根拠を神の罰の恐怖のみに置くことは危険であるという点にある。それに代わって、人間共同体の存続という合理的根拠にもとづく破壊性の断念、他者のためにありたいというエロスの発動に、宗教以後の倫理の命運が託されたのであった。ここでは「神の法」の権力的効果を暴き、他者、他なる人間のために生きることが要請されている。
フロイト思想のこのような側面は、権威主義的宗教を批判し、人間主義的宗教の可能性を展開したフロムにも見いだされる。また、自律と共同性が同時に実現されるような相互性のなかで人間が生き生きとする状態を各発達段階に見いだし、それを人間の本来的な力強さ、「徳」として記述し、そのうえに壮大な心理学的倫理学、「心の倫理学」を提示したエリクソンもまた、硬直した道徳性を批判し、宗教における権威主義との葛藤を問題化している。彼らは、ユングやマズローのように大文字の・自己・を立てることなく、したがって自己実現のために他者を手段として遇するという陥穽にもはまらず、他者よりも法への従順さを尊ぶような宗教性に異議を申し立て、他者との対立のなかで生じる心の葛藤への批判的洞察をふまえて、他者との倫理的関係を築こうとする「心の倫理学」を打ち立てたということができるであろう。
転移とは、精神分析的治療の場面において、被分析者が、過去の重要な対象関係におけるのと同様の振る舞いをすることを言う。フロイトは、転移を、過去の対象関係のあり方を患者自身に自覚させるための手段として重視したが、それはあくまでも症状の一環であり、その正体が暴かれてしまえば、転移も症状も、もはや生じる必要がなくなると考えた。哲学的用語法に置き換えれば、転移とは、主観的に構成された他者表象を目の前の他者に押し付けるという錯誤のことである。フロイトが転移を解消しようとするのは、他者に誠実であるような真正の自己に近づくためである。この論法は宗教論においても見いだされる。フロイトはいわば神への転移から離脱し、目の前にいる人間の同胞に誠実であるような真正の自己に近づくよう説いているのである。
フロイト以後の流れでは、転移を純粋に分析場面で起こるものとする用語法の枠は外され、分析場面以外の対象関係一般とのかかわりにおいて転移を理解することが可能になった。それによって、転移は解消されるべき過去の感情の反復というよりは、対象関係のたえざる再創造の一環とされる。転移から脱却するよりも、転移の操作を通じて自己とその対象との相互関係をより豊かなものにするべきだ、と考えられるようになった。宗教論においても同様の変化が見られる。
ここでは、転移という仮象の打破や、「純粋な関わり」を結ぶことのできる真正の自己が目指されることはない。ある転移という仮象が別の転移という仮象に置き換えられてゆくだけである。もともとフロイトにもありユングやヒルマンにおいて強められてゆく「仮象の多産性」への注目が、「真正の自己」へのこだわりから解放されたわけである。
他者に誠実であるような真正の自己を目指すフロイトと、関係の仮象性を逆手にとって多産性へと転じてゆく対象関係論・自己心理学の流れとを対比したが、これと同様の相違は、他者論的転回を遂げた現代思想家たちのなかにも見いだすことができる。前者は、他者に適切に応答する唯一独自の「私」(「自我」ではなく)を擁護するレヴィナスの他者論に近く、後者は、自己と他者の二分法に反対し、他者が私に関わる他者であるためには他我でなければならないことを指摘したデリダに近く、これは純粋な他者論というよりも多元論と呼んだほうがよいだろう。相互に対称的な自我同士の横並びの共同性を描くような思考を、レヴィナスは、他者性の全体性への回収として批判し、それに対して、自己と他者の非対称性に基づく倫理的関係のあり方を描こうとする。しかし、ここで言う多元論の関係性のあり方とは、全体論のそれとは異なり、相互的非対称性を特徴とするものである。われわれは、自己であるためには他者を暴力的に同一化せざるをえない。しかし、他者が他者であるかぎり、他者は決して完全には同一化されえない。このような他者の現実性が乗り越えられないものである以上、われわれはそれに正しく応答する以外にない。つまり、暴力的関係から倫理的関係に立つことを不可避的に要請されているのである。しかし、このような他者は、自我を持つことなき絶対に私と無縁な他者ではなく、私と似たような自我をもつ他我としてしか、私には経験されえない。
リクールは、コフートの両極的自己の枠組みの哲学的含意を探る論考において、臨床における転移と哲学における思考実験はともに自己と他者の関係性を際立ったかたちで照明するという前提に立ち、受容し承認してくれる対象を求める「鏡映転移」をヘーゲルの主人と奴隷の弁証法と対比し、理想的他者と関わろうとする「理想化転移」をレヴィナスの他者論と対比し、他の人間を自分自身のように経験しようとする「双子転移」をフッサールの他我論と対比している。対比の末に厳密な体系を描こうとするものではないと断ってはいるものの、リクールがそこで示そうとしているのは、哲学史上は鋭く対立すると思われる他者の諸理論が、いずれも関係性の心理の契機の一つを際立たせたものに過ぎないということであろう。
現代思想による宗教心理学の審問という本章での作業が、どのような意義を有しているのかについて述べておこう。L・フェリーによれば、現代社会における世俗化のますますの進展、「義務の終焉」とも呼ばれるような事態は、実は外的義務の終焉に過ぎない。レヴィナスなどの哲学的「他者」教に見られるように、人間の内在性のなかから超越性を見いだそうとする動向、他者の尊重、他者への愛や配慮を理想とする自律的な自己放棄という「脱宗教的霊性」が、むしろ育ちつつあるとフェリーは考える。まず、神の人間化が起こり、権威主義的な法の神より、人間的な愛の神の再発見が、宗教の重要な課題となる。それと呼応して、人間の神化が起こり、聖なるものとしての人間への配慮や共感が、自らの内的必要として目指される。人類全体との連帯を志向するがゆえに、他者のために、内側からなされる自律的な自己犠牲、この「他者」教とも言える動向を明確化し、それを支持してゆくことが、自己本位の傾向に対する必要不可欠な歯止めともなる。
神の人間化、人間の神化、神性をもった人間同士の愛へと進むこのような傾向を、フェリーはヒューマニズムとして一括するが、すでに見たように現代思想家たちの多くは神と人間のアナロジーと、「神人」たちの連帯による他者の排除に異議を唱えている。したがって、フェリーが描いている動向は、正確には「他なる人間のヒューマニズム」と呼ぶべきであろう(レヴィナス支持を一貫するのであれば)。また一元的連帯ではなく他者性を尊重した連帯、多元主義的連帯でなければならない。
外的義務の拒絶から「真正の自己」を求め、自己超越への関心に終始する動きとして、セラピーの興隆や東洋宗教への関心をあげていることである。そして、それに代わるものとして、他者論によって告知されつつある新たなヒューマニズムを取りあげ、それを脱宗教的な霊性として評価しているということである。図式的に理解するなら、世俗化の進んだ先進国の社会では、自己の超越という関心と、他者への倫理という関心が、いずれも宗教に代わる霊性として拮抗するということである。
宗教研究が、宗教以後の霊性をもその視野に収めるとするなら、他者論的転回以後の動向をも注意深く追う必要があるだろう。そして、宗教心理学が思想的には自己実現論を展開してきたという経緯をふまえるなら、現代哲学における他者論的転回のインパクトを受け止め、転回以後の宗教心理の理論の可能性を問うべきでもあるだろう。
【レヴィナスの思想】
レヴィナス哲学が本質的に倫理学であるならば、そこでは当然、善と悪とが問われる。
「悪」は存在への固執に由来する。主体が自己の存在を肯定するために他者と関係する時、他者の他性は必然的に否定される。「他」は「同」によって承認される場合にのみ「他」でありうる。この関係に潜む暴力を、ヘーゲルは承認への闘争によって、それを翻訳したサルトルは対他存在の論理によって描き出した。主体の正のこの求心的な運動は、レヴィナスにおいても本質的である。しかし、この運動は、苦痛と「ある」(il y a)において限界を知る。苦痛は、苦しむ自己の存在に縛られ、存在から脱出できないことに由来する。極限において苦痛は、内世界的な活動からその意味と可能性とを奪い取る。残るは無意味な自己の存在の事実のみ。これに対し純粋動詞的な存在一般たる「ある」はさらに、主体の存在の自己性までもが消滅する体験として描かれる。光なく言葉なく、存在者の形なく、世界の文節も主体もなき存在の情態(創世記1-2)。死も不可能な「恐ろしさ」。「誰」の情動でもなく「存在の意味」の問を立てる間もないこの存在の過剰は、忘却も安眠も許さぬ「存在の苦痛=悪」をなす。例えばサルトルの即自存在とも解釈されかねないこの存在の無意味な過剰はしかし、存在論的事実に収まらない。存在が究極的に倫理学的に無意味ならば、苦の名の下に行われるどんな暴力も最終的には悪ではなくなる。レヴィナスにとって、存在の無意味は、正/不正以前に存在自体に由来する悪の開示である。こうして存在に固執する限り、他者への暴力、苦痛、悪から逃れることはできない。
主体が存在の悪と暴力とに耐えうるのは、苦痛が他者の苦痛を痛む形に二重化されるからであり、善によって予め方向・意味づけられ、予め「他のために在る」からであるとすれば、その要請自体に存在論的根拠はない。主体が自由に善を選ぶのではなく、善が主体を常に既に選択してしまっている(一方通行、不加逆性)。この点でレヴィナスは、自由と法との関係を論理的に解明しようとするカントとも別れ、善のイデアが存在を超越するとしたプラトンを評価する。善は存在/非存在、自由/隷属の対立を超えた意味の過剰であり、存在の何ではない「存在のいかに」(【存在するとは別様に】)である。また「善による選択」の概念に、神による民の選択というユダヤ教の伝統を読むのは間違いではない。彼の努力は、神を絶対的他性として、常に現前から思考される存在問題から切り離す所にある。
他に依存しない存在の自足(自律)を破り、他者への倫理関係(他律)の第一次性を説き、存在論の伝統を転倒させて第一哲学としての倫理学を主張するレヴィナスは、今日最も独創的な思想家の一人と呼ばれるに値する。
【ヴァルネラビリティ(可傷性・暴力誘発性)】
レヴィナス倫理学の中枢概念の一つ。倫理主体の主体性は、悟性や理性によってではなく、感性において定義される。その意義は、主体の倫理性が、分析し、比較し、判断し、立法する知性の自由に左右されない、という点にある(カントの実践理性との相違)。レヴィナスにおいて、「責任」は意志的当為ではない。
主著『全体と無限』でレヴィナスは、感性を、個体たる主体の正の「享受」に属す一様態だと考えていた。享受は、自らの生を自由に「味わう」こととして主体の生の本質的エゴイズムを基礎づける。「パンひとかけらのために他人を殺害する」、これがエゴイズムの論理である。
第二の主著『存在とは別様に』を準備する過程でレヴィナスは、感性についての解釈を翻し、感性を享受の上位に置き、感性を享受と「可傷性」との二様態から成るものとした。生身の主体が、他者が振う暴力に傷つくという当然の事実をこえて、他者の負う傷に、その悲惨に傷つく、これが可傷性である。ただし、他者の悲惨を、目に見える事実上の貧困・病苦・負傷に限って理解してはならない。主体が関わってくる他者は、強者・富者であっても、その素顔(ヴィサージュ)においては絶対的弱者であり、素顔は、死を前にした悲惨の極みから主体に向けて「汝殺すなかれ」と呼びかけ、叫んでいる。ひとが他者の事実上の悲惨を前に心動かされざるをえないとすれば、それは、素顔の呼びかけを否応なしに感受する、他者の非現実的な悲惨に無感覚ではいられない感性の構造に由来する(差異に対する非・無関心)。素顔の呼びかけによって主体は、自らが課した訳ではない、自分の過失に由来しない他者の苦痛・死・悲惨に対する「責任」を呼び覚まされる。従って、主体が自由に責任を「引き受ける」(サルトル)のではなく、自由がその責任を問われるのである。
感受と可傷性は感性の等根源的な二様態をなす。素顔の呼びかけに無反応ではいられない可傷性によって、主体は他者への応答に迫られる。その応答は、いかなる私的・公的利害とも共調しない無償の贈与をなす。素顔の呼びかけによって主体は、享受の利己的自由と無償奉仕との相反する二極に引かれる。可傷性は従って、主体を享受の外へと単純に連れ出す訳ではない。私的享受、つまり失うものなくしては、贈与の倫理的意味が失われる。享受が無垢ではないこと、すなわち、既に貧しい自分が更に与える苦痛を前に享受へ撤退することが暴力行使であり、存在が既に負債たることを告げる他者の素顔の呼びかけへの感受性(他律による開示)が可傷性の内実をなし、失う苦を超えて無償の贈与を行うのが責任の実現形態である。
他者の苦を苦しむ感性である可傷性は、他人の痛みを”思いやる”といった道徳の能力とは無縁であり、「他人の痛みは如何に理解可能か」という認識論上の問いとも関わりがない。それらの問いは、予め能動的で自律した主体を前提しているからだ。可傷性の概念によってレヴィナスは、主体を能動性によって定義する近代哲学の伝統と岐れ、主体を絶対的受動性・他律によって定義するのである。
【ヴィサージュ(素顔)】
レヴィナス倫理学の中心概念。自我の機能の射程を超越する「絶対に他なる者」としての他者は「素顔」において出現する。
レヴィナスは『デカルト的省察』の「第五省察」でフッサールが試みた他我構成の不備から出発する。その結果は、他者は私に似ている限りにおいて自我と同じもの、他我であり、その他者性は、自我の自己現前と違い間接的にしか与えられぬ所から消極的に導かれる。レヴィナスによれば、これでは、他者は私がそう認める限りでしか他者ではなく、私のこの世界に依存しない他者性が失われる。絶対的他者性は従って、他者が私の現前野の地平に現象しない所に求めなくてはならない。他者の非ノエマ的「公現」(エピファニー)、それが「素顔」である。
この概念の源泉をユダヤ教の伝統に探ることは、理解の上で重要である。しかし、哲学的に考えることがこれに優先する。この概念は、現象しない他者の現前(公現)なる哲学上の難問を呼ぶ。現象せずにどうやって他者性が告げられるのか。
他者は、強者も富者も例外なく弱さ・悲惨の極み(異邦人・孤児・寡婦ー申命記16-11)において私に否応なしに関わって来る。暴力に傷つき、今まさに死に行く者の眼差、これが素顔である。自己の死が現象学の超越論的自我の限界であったように(ハイデガー)、他者の死も現象学の限界をなす。死に行く他者を前にして私は、「汝殺すなかれ」、死に行くままになす(暴力)ことなかれ、との呼び掛けに応えるよう要請される(緊急性)。他者の顔を見たと思う時、素顔は死の方へ一歩先んじており、私の現在はすでに後れをとっている。応えるか否か、私の合理的選択の自由以前に私は他者の呼び掛けに捉えられる(「人質」オタージュ)。素顔はこうして、私の意味づける自由の権力性・暴力性を暴き、私を言葉による平和な、傷つけることなき応答、さらには他者の「身代わり」になるよう誘う(責任の構造)。私の主観性は、存在論的な自由以前に、他者への倫理的な関係によって定義される。「素顔」の概念によってレヴィナス哲学は、逆向きの、そして新たな超越論的哲学として読むことができる。
【同一化】
同一化とは知識(認識)を作る活動である。ある物を他の物と区別して把握することを識別という。デカルトのいう「明晰判明な知識」はこの識別=同一化なしにはありえない。「判明」は正確に区別され差異化されていることである。だから同一化と差異化は表と裏の関係にある。「私が私であることを認知する」ことを自覚というが、これは自己同一性の反省的確認である。反省は自己と他者との差異の認知である。この意味での反省(差異の意識)なしには自己同一性=自我はない。このように、反省と同一化は近代理性の最も重要な機能あるいは能力となり、自己反省能力あるいは自己同一化能力を持つ人間こそ真の自主的理性人であるという近代の理想が生れた。それは認識論の根本であるばかりでなく、実践的・倫理的行為の根本であった。
同一化なしには人間は考えることも行動することもできないが、自己反省を重ねれば絶対に疑うことのできない根拠=実体(真の自己同一なるもの)を見つけられのではなく、それは底なしの深淵に直面してそれに蓋をした代理物ではないかとの懐疑が生れた。マルクスとニーチェが開始した同一化一元論に立つ形而上学(同一哲学)批判は、20世紀に入って盛んになる。古代から近代にいたる様々の形而上学的思想は根拠を求め、根拠による同一化(基礎付け)を行ってきたが、この同一化は異質性を排除して一切の事物を同一性の地平の中に均質化する。ところが、思考とは元来同一化しえざる何ものかとの格闘であり、同一化を拒む頑固な事実(非同一なるもの)とのとぎれることのない対話であるはずである。同一哲学の同一化は非同一なものとの対話を中途であきらめ、仮設的な根拠を設定して体系づくりに走った。閉じた世界の構築に安住し、その外部を無視するとき、どんな厳密な思考もイデオロギーに転化する。同一化一元論が社会制度に浸透するとき社会化した形而上学が生れる。社会の諸制度は異質物を排除し、非同一的性格を持つ個人の異質性をすら削りとって特定の世界像と行動パターンにはめこむ。社会内での同一化は、権力の全体化作用ともいえよう。権力の支配とは権力に服従するイデオロギー的主体の産出である。政治権力の同一化構造と伝統的な形而上学的同一化原理とは根本的にはひとつである。同一化理性批判は権力的同一化=全体化批判に通ずる。20世紀の形而上学批判は、もうひとつの新しい形而上学をつくる運動ではなくて、思考と実践の両面で張り巡らされた同一化思考と同一化的支配の解体であり、同一化を「善」とするイデオロギー的虚偽の解体である。同一化の内在的吟味は非同一的なものの重要性を浮かび上がらせたが、まさにこの非同一性(同一化的限定を免れる無限)の思考こそ現代哲学思想の駆動力になっている。
【形而上学批判】
ハイデガーは、プラトンからヘーゲルにいたる西洋形而上学の根本体制を存在観の根底にまで遡ってあばき出した。形而上学の存在観は、物が立つ、物を立たせる、という「仕立て」の構造をもっている。ギリシア=ヨ-ロッパ人は、「在る」ことを「ますっすぐにー立つ」と了解する。これを垂直存在観という。事物が直立して存在するためには、直立させる「基礎」または「土台」が不可欠である。垂直存在観は、必ず、基礎としての根拠、実体、同一性を求める。垂直存在観に立つ形而上学は、したがって根拠哲学あるいは同一哲学である。知識の確実性、論理の直線性、倫理的実践の垂直性、これらはすべて垂直存在観からの帰結である。
形而上学はすべての存在者を唯一の根拠=根源=原理=実体から評価し、垂直体系の内部に位置づける。これを同一化と呼ぶ。同一化は見かけの上で差異を認めつつも、実際には差異を、より正しくは、異質性を消去する。同一化は同質化である。個物の独自性、異質性を奪うことは、個物の自立性と自由を奪うことである。アドルノは同一律に基づく形而上学的思考が権力志向的であることを解明した。形而上学的思考は内部に必然的に権力的支配を含む。外的自然の支配(技術的・生産的行為)が反転して内的自然を支配する構図を形而上学は自明の前提とする。この思考類型が制度に浸透するとき、自然の荒廃、精神の荒廃をひきおす。20世紀のナチズム、ファシズム、スターリニズムは「社会化」した形而上学の政治的現れである。
形而上学批判の課題は、第一に古代から近現代に至る西洋形而上学の根本的前提をくまなく調査し、徹底的な再審に付すこと、第二に、哲学プロパーを超えて拡大するこの思考様式の展開を追及すること、である。二つの課題は、相互に内的に結びついている。哲学固有の分野の中に社会哲学的視点を導入しなくてはならず、社会的諸制度(政治、経済、イデオロギー装置)の分析の中に哲学的分析用具を導入しなくてはならない。このような形で、一般的に、理性と権力の内在的共犯関係を文化の隅々にまで追及することこそ、現代形而上学批判である。デリダは「脱構築」をもって形而上学的思考の分析用具を開発し、フーコーは制度(工場、学校、病院、監獄、軍隊)と理性(科学的、哲学的)との不可分の関係を追及した。
【共同性】
共同性の問題は、かつて(たとえば社会学の成立期に)よく議論されたように、「社会」(ひとびとの共同体)は諸個人の活動の総和に還元できるか、それとも個人の総和を超えた独立の実在性を持つか、といった問題の形をとることはほとんどなくなってきている。共同性は現代ではむしろ、共同性は現代ではむしろ、共同性がそれとの対立のなかで語られてきた互いに分離している自己完結的な存在としての個人、相互的=対照的に関係しあう諸個人といった表象をひとつの擬制として捉えかえし、個的主体の存在にとっては他なるものとの関係こそが第一次的なものであるとする視圏のなかで問題とされる(その意味では、「人間の本質は個々人に内在する抽象物ではなく、その現実性においては社会的諸関係の総和である」というマルクスのテーゼに、現代の協同性論の発想のひとつの原点を見出すことができるだろう)。
共同性を個人間の相互的な関係、ないしは諸個人を統合する関係として捉える視点は、共同性について語りうる場所への問いを封じ込めている。人と人との関係は、同時にまた、私と他者という架橋も交換も不可能なものの問の関係である。したがって共同性の問題は、埋めようのない裂け目によって隔てられた他者と私との交通がどのような形で生起しているかという問題と、交叉させつつ論じなければならない。
たとえば現象学的な間主観性論、それは、世界をともに構成している複数の主観性の機能的な共同性を、他なるものの経験の原様態にまで遡って分析するものであるが、そこでは主観性の<自己>統覚と<他者>の開示と対照的な<世界>の構成とが、相互に補完し制約しあう一つの出来事であることが示される。共同性が、<私>の前人称的な基底としてだけでなく、世界構成一般の条件をなすものとして主題化されてくるわけである。このように自他の存在のみならず、世界の構成そのものが共同的=歴史的に媒介されているとすると(これは<物象化>論にも通じる視点である)、共同性の問題は、真理論や認識論、存在論といった哲学の基幹的な問題次元にまさに直角的に組み込まれることになる。また、知や言説が閉じた系をなすのではなくて、つねに歴史的なもの、政治的なものに浸透されていることが明らかになる。現代、世界の現出の事実的なものによる媒介(<伝統>や<生活世界>や<制度>による媒介)や、知と権力の内面的連関が指摘されたり、さらには、知の究極的な基礎づけの可能性や相対主義が知の中核で改めて問題化してきちるのもそのためである。
しかし、還元も止揚も不可能な自他の差異に定位しつづけるとき、こうした間主観性という問題設定もまた、自他の断絶を複数主体によって共有された存在空間のうちに包み込む「内在主義」を超えていないことが見えてくる。こうした視角から、ブランショ/ナンシーは、自らを閉じえぬ存在が、しかもたがいに相互的=共同的な関係に入りえず、ただ特異なもの、有限なものとしてその差異をさらしあう根源的な<分割(パタージュ)>のうちに、逆説的にも共同性の唯一のあり方が見出されるとしている。
【多様性】
多様性という言葉は思想や哲学の言葉としては十分に研究されていない。例えば、多様性は、多元性、複数性、多面性といった用語とも親類関係にあり、多くの側面が同時に同じ空間に並存しているといった意味しかもっていないように思われる。ひとつの事柄を複数の角度から眺めたり、あるものが複数の諸要素から成り立っている複合性を強調することだけのことであれば、多様性なる言葉は単なる事象の性格の表示語でしかなく、あえて思想の言葉とする必要はない。しかしながら、現在の文化状況では、まだ曖昧な多様性という言葉に批判的視点を導入してやれば、それは重要な機能を果たすことになる。この点を、一様性/多様性の対立の視座から説明してみよう。
一様性は一元性ともいう。現実の複雑性はひとつの根本的な原理に還元し、この原理から再び複合的現実を再構成してみせる作業は理論的思考がしばしばとる態度である。最も根源的な真理と思われる原理にすべてを還元する操作は、一元化ないし一様化といえる。古来、際限なく企てれれてきた「真理の探究」なるものはすべて一様化である。体系化という言葉も、唯一の原理に根拠を求めるかぎり、一様化である。どれほど複雑な要素や側面が提示されても、それらが唯一の原理に色づけされ、あるいはその原理の個々的表出であるかぎりは、見かけの上での複雑性や多様性は一様性の外被でしかない。思想の面でこの種の体系的一様化が求められるだけでなく、現実の社会的世界でも一様化が生じている。例えば、近代資本主義体系では、すべての物や人間は商品・貨幣・資本の内に包摂されて、万物が交換価値の表現になってしまう。政治的領域でも、権力の一様化が発展し、あらゆる人間がひとつの権力に自発的であれ強制的であれ服従せしめられる。日常生活においても、大量消費時代に入り、流行現象がたえず反覆されると、消費行動は一様化(画一化)する。経済・政治・思想の領域で一様化が全面的になるの現代の特徴であるとすれば、近代が理想として掲げた個人の自立と独立、自立的人間の相互的連帯の観念は地盤を掘り崩されてしまう。こうした事態への批判として、多様性への要求が立てられる。この場合、多様性は実質的には異質性の概念に近づく。均質化した世界への異議申し立てとして、多様性は批判力をもつことになる。個人の生活が非画一的で異質的な領域を抱え込み、それを生き抜くこと、現実世界が異質的なものを排除せず(一元化せず)、異質なものたちが自律的に協働しあえるように希望すること、これらが多様性の概念にいまやこめれれるようになった。したがって、多様性は、近代思想が高々と掲げつつも実現させることができなかった自律性の思想を再び取り上げて、新しい地平に据え直す働きをもっているといってよい。
【エクリチュール】
デリダが初期の作品において戦略的に採用した用語。あえて概念と言わないのは、定義による内包・外延の同一性をもたないため。「戦略的」なる形容は、この語(またはマーク)が音声言語(パロール)との対立の中に収まらず、この対立を脱構築することを示すためである。
デリダは、西洋形而上学の内部を走るリミットの一つを「音声=論理中心主義」に見る。プラトン以来、ヘーゲル、フッサールを経て今日に至るまで西洋哲学は、世界・存在を論理的に理解する(存在論=神学)ことを課題にしてきた。この考え方は、書かれたもの(エクリチュール)に対する言語の、そして音声言語の優位という前提解釈に支えられている。なぜ音声言語が優位を占めるのか。それは、音声が、現われるや否や言われた「内容」「意味」を残し直ちに消え去る透明な媒体であり、論理的・概念的思考の運動を妨げず、歪曲を加えずに表現し、伝達しうる媒体だと考えられてきたからである(父たるロゴスの支配)。
書かれたもの(エクリチュール)、例えば文字言語は、音声言語(パロール)を裏切らずに写し取る補助手段としてのみ地位を認められる。しかし、この支配への意志自体が一種の否認の身振りであり、エクリチュールがその支配を脱し、それを不可能にする危険を孕んでいることの間接承認となっている。エクリチュールは、差異が織りなすテクストとして残り、表現主体の意図、表現された内容に必ずしもそぐわない多様な解釈を許し、思想の全き自己現前を根本から脅すため、「危険分子」たらざるをえない。
しかしながら、エクリチュールがパロールや現前の根源性よりも根源的であることを証明することができる。その形式的性格として、あるマークの非本来的な文脈中での、あるいは無意味な反復の可能性、分割可能性、あらゆる意味で死を含む遺言の構造、等を挙げることができる。これらの性格は音声言語も本質的に共有するものであり、またこれらの条件なくしては音声言語も意味も論理も可能ではない。「ノイズ」「情報」はもとより、それに基づく生命・思考・意識に至るまで、エクリチュールに依存しない根源的一者が残したのではない(現<アシル>)エクリチュール、つまり差異の痕跡が織り成すテクストの効果だと考えなくてはならない。パロールはエクリチュールである。従って、両者は対立関係にはない。
エクリチュールは、起源・同一性・一者・現前を効果として可能にしつつ、その根源的支配を根源的に不可能にする。同一性の透明な全き現前とは、自らの足枷となる差異と、差異に捕らわれているがゆえの遅れ(差延)を跳び越えようとする目的論的な自己肯定にほかならない。西洋形而上学が、概念/比喩、論理/修辞、オリジナル/コピー(ミメーシス)、西洋/東洋、等々、これら対立を作り出し、前項の項の優位を絶えず確認してきたとすれば、エクリチュールの問いのもつ哲学的射程は広大である。対立の転倒が重要なのではない。アルファベット文化に対し表意文字文化なるものを対置するのは稚拙な考えに過ぎない。転倒でも弁証法的止揚でも、不可能な単なる脱出でもない別の問いの立て方が要求されているのである。
【カール・ヤスパースの「哲学の根源」と神学(宗教哲学)について】
カール・ヤスパースは実存主義哲学者として有名であるが、キルケゴールの影響を受け、精神科医、神学者としての顔も持っている。創価学会には参考にして頂き、反省して熟考して頂ければ幸いである。自らの精神病理を自覚して頂きたい。Wikipediaでの記述よりも理解しやすいであろう。以下にカール・ヤスパースの哲学を要約して記述した。
哲学の根源とは、「驚き(驚異)から問いと認識が生れ、認識されたものに対する疑い(懐疑)から批判的吟味と明晰な確実性が生れ、人間が受けた衝撃的な動揺と自己喪失の意識から自己自身に対する問いが生れる」
驚異の念をいだくことから認識が始まる。驚異の念をいだくことにおいて私は無知を意識する。私は知を求める。しかしそれは知そのもののために知を求めるだけである。もし私が存在者を認識することにおいて、私の驚きと驚異の念を満足さすことができたとしても、間もなく疑いが生じてくる。知識が積み重ねられても、批判的吟味に会うと、確実なものは何もなくなる。感覚的知覚は私たちの感覚器官によって制約せられるものであり、欺瞞的である。思惟の形式とは人間悟性の思惟の形式であるが、これは解くべからざる矛盾に陥る。どこに行ってもいろいろな主張の対立が見られる。哲学をすることによって懐疑が生じる。懐疑を徹底的に遂行しようと努めると、結局のところ、もはや何ものをも主張しないが、しかし同時に前進不可能な懐疑による否定への満足をもって懐疑を遂行するか、それともあらゆる懐疑から免れて、公正な批判に耐えうる確実性が存在するものであるかという問いをもって懐疑を遂行するかの、どちらかになる。「我思う、ゆえに我在り」というデカルトの命題は後者の例である。懐疑は方法的懐疑として、あらゆる認識の批判的吟味の源泉となる。徹底的な懐疑がなければ、真の哲学することもありえない。しかし、決定的な問題は、懐疑そのものによって、いかにして、確実性の基盤が獲得せられるかということである。
さて、世界内の対象的認識に専念し、確実性への道としての懐疑の遂行において、私は自分自身を忘れて、認識の遂行に満足しているが、自分の状況のうちにある私自身のことが意識されるようになると、事情が変わってくる。
ストア派のエピクテートスは、「哲学の起源は、自己の弱さと無力を認めることである」と言う。自分の無力を救うためには、私の力の及ばないことはすべて、私にとって無関係なこととして、その必然性においてながめる。それに反して私に関係のある事柄、すなわち私の表象の仕方や内容は、これを思惟にとって明晰にし、自由にする、と。
しかし、ヤスパースは、人間的状態として、「限界状況」という概念を導入している。限界状況としての「死・偶然・罪・世界が頼りにならないこと(無常ということ)」は私に挫折を示す。限界状況を正直にみるかぎり、この絶対的な挫折を認めないわけにはいかない。限界状況としての哲学の根源は、挫折することにおいて存在への道を獲得しようとする根本的衝動を起こさせる。人間が挫折をどのように経験するかということは、その人間を決定する要点である。すなわちそれは、1.挫折を見ることができないで、ただ実際において最後にそれに打ち負かされるか、2.それとも人間は挫折を糊塗することなく見ることができて、それを自分の現存在の常住不断の限界として目から離さないでおるかどうか、3.また、空想的な開放と安心立命を得るか、4.それとも解義不可能なものの前で沈黙して正直にそれを引き受けるかどうか、ということである。1.が一般人、2.が哲学者、3.が仏教徒、4.がキリスト教徒やイスラム教徒の立場である。
限界状況のうちには、無が現れるか、それともあらゆる消滅する世界存在に抗し、それを超越して、本来的に存在するものが感得されるようになるかのいずれかである。絶望でさえも、それが世界内で可能であるという事実によって、世界を超え出ることの指示者となるのである。
換言すると、人間は救済を求める。ところで救済は多くの一般的な宗教によって提供せられる。宗教の特徴とする点は、救済の真理性と現実性に対する客観的な保証にあるが、科学的な検証は不可能なものである。宗教の道は個々人の回心という行為に通じている。しかし、哲学はそういうものを与えることはできない。それにもかかわらず、あらゆる「哲学すること」は一種の現世の超克であり、救済の一類比物なのであり、「哲学的信仰」を示唆するものである。
「驚異と認識」、「懐疑と確実性」、「自己喪失と自己となること」の三つの動機は、人間と人間との「交わり」という一つの制約のもとにおかれる。真理に関して他の人々と一致することもあるし、また一致しないこともあるということ、私の信仰は、もしそれを私が確信するならば、それだけ他の信仰と衝突するということ、何らかの限界において、常に一致の望みのない、しかも服従か征服かのどちらかに終るところの闘争だけが残るかのように思われるということ、逃避と無抵抗が無信仰者をして盲目的に相互にむすびあわせるか、あるいは頑固に反抗させあうかどちらかであるということ、などである。これらすべてはかりそめのことでもなければ、非本質的なことでもない。
単に悟性と悟性、精神と精神との交わりではなくて、実存と実存との交わりは、非人格的な内容や主張を単に一個の媒体としてもつにすぎない。そこで弁護や攻撃は、権力を獲得するための手段ではなくて、お互いが接近するための手段なのである。闘争は愛の闘争であって、このような闘争にあっては、各人は他人に対してあらゆる武器を引き渡すのである。本来の存在の確認は交わりにおいてのみ存在する。交わりにおいて自由と自由が協同関係を通して隔意のない相互関係に立ち、それ以外のものとの交わりはすべて予備的段階であるにすぎず、むしろ決定的な点においては、あらゆるものは相互に要求されあい、根底において問われるのである。このような交わりにおいて、はじめてあらゆる他の真理が実現される。それにおいてのみ私は私自身であり、私は単に生きるのではなくて、私の生活を充実させるのである。神は間接的にのみ現れる。ただし、この場合、人間と人間との愛が欠けていてはならないのである。いなむことのできぬ確実性は個別的・相対的で、全体者に従属している。ストア学徒が欲していることは本当の哲学なのであるが、ストア主義は空なる、そして固定した態度に陥るのである。
この哲学的な根本的態度というものは、交わりが失われていることによる困惑のうちに、本当の交わりへの衝動のうちに、自己存在と自己存在とを根底において結合するところの愛の闘争の可能性のうちに根ざしているのである。
哲学の根源は驚異・懐疑・限界状況の経験のうちに存するのであるが、総括すれば、本来の意味における交わりへの意志のうちに存するのであると言われる。このことはすでに最初からして、あらゆる哲学は伝達への衝動をもち、自己を語り、傾聴されることを欲するということ、すなわち哲学の本質は伝達可能性そのものであり、またこの伝達可能性は真理存在から離すことはできない。
交わりにおいてはじめて、哲学の目的は達成される。そしてこのような目的のうちに、あらゆる目的の意義が基礎づけられる。この哲学の目的とは、存在の覚知・愛の解明・完全な安静の獲得である。
【カール・ヤスパースについて(Wikipediaより)】
(独: Karl Theodor Jaspers、1883年2月23日 オルデンブルク、ドイツ - 1969年2月26日 バーゼル、スイス)は、ドイツの精神科医、哲学者である。実存主義哲学の代表的論者の一人。現代思想(特に大陸哲学)、現代神学、精神医学に強い影響を与えた。『精神病理学総論』(1913年)、『哲学』(1932年)などの著書が有名。彼は、その生涯の時期ともあい合わさって、3つの顔を持っている。精神病理学者として、哲学者(神学者)として、政治評論家としての活動である。
【生涯】
早い頃から哲学に関心を抱いていたものの、父が法曹界に身を置いていたため、ヤスパースは大学で法学を学びはじめる。まもなく1901年には医学の道へ転向。1909年に医学部(メディカル・スクール)を卒業した後はハイデルベルクの精神病院で医師として働く。そこで当時の医学界の精神病に対する姿勢に疑問を抱き、精神医学の方法論の改良を目指すようになる。1913年にはハイデルベルク大学で精神医学を教え始め、以後、臨床に戻ることはなかった。しかし彼自身の精神医学に対する関心は終生変わることはなく、処女作『精神病理学総論』の分量を大幅に増やし、改訂版第4版として公刊したのは第二次世界大戦後である。
精神医学から哲学に転じたヤスパースは1921年から1937年まで同大学哲学教授を務める。この時代にハンナ・アーレントも彼の教えを受けた。ナチス台頭後、妻のゲルトルートがユダヤ人であったことやナチスに対する反抗で大学を追われたものの、妻の強制収容所送致については自宅に2人で立て籠もり、阻止し通す。大戦も末期の頃、ヤスパース夫妻の収容所移送が決定されもはや自殺する以外に打つ手がなくなるところまで追い詰められたが、その移送予定日も残すところ数十日程度に迫った、1945年3月30日にアメリカ軍(アメリカ陸軍第7軍第3歩兵師団)が、彼の住むハイデルベルクを占領したため、移送を免れた。後年自ら「自国の政府により殺される寸前、敵国の軍隊により命を救われた」と述懐しており、この戦争体験は彼の哲学に対して見逃すことのできない強い影響を与えたと言われている。ちなみに現在もハイデルベルクにはアメリカ陸軍第7軍の司令部がおかれている。戦後、ハイデルベルク大学の復興に尽力するも、ドイツの戦争責任問題について執筆した『責罪論』を巡って周囲から心ない非難を浴びせられたため、ドイツの将来に失望して、1948年にスイスのバーゼル大学の哲学教授となった。ドイツに対する裏切り者呼ばわりされ、彼は深く傷ついたという。
【思想】
限界状況のうちに超越者との遭遇が隠されており自己の存在と超越者を求める努力は、挫折する。しかし挫折を暗号として解読することに超越者の存在が証言されるとした。
彼はキルケゴールの影響を強く受け、特に著作『世界観の心理学』においては、キルケゴールの著作『不安の概念』及び『死に至る病』から多くを引用した「キルケゴール報告」の1章を設けている。そこからヤスパースは、神へと向かう人間存在(実存)についての「心理学的研究」というキルケゴールの方法論を見出し、その際の心的状態が「不安」及び「絶望」である。ヤスパースの主著『哲学』第2巻『実存開明』において、<交わり><限界状況><絶対的意識>の3つが彼の哲学の目標とするところの「存在意識の変革」へと達するための重要な概念である。まず<交わり>とは自己開示であり、各人が自らに閉じこもることなく他者へと向かい、それにより自己自身の存在に対する意識を反省するのである。次に<限界状況>とは誰もが突き当たる壁のようなものであり、それの典型的なものが「自己の死」であるとされ、それに突き当たることによって、各人がそれまで意識していた自己自身の存在に対する確実性の挫折を自覚させられるのである。そして最後の<絶対的意識>とは自己自身の存在確信にして、超越的な存在に面している意識である。<限界状況>により自己存在の有限性は意識させられたが、それはまだ消極的な有限性の意識であり、「無制約的なもの」という超越的存在に面することにより自らの有限的な存在が反省させられ、そのような超越的存在に面している自己自身という存在確信が得られるのである。そしてキルケゴールから得た<不安>とはヤスパースによると「絶対的意識の動因」となる。なぜなら我々は自己存在の確実性をいかなるものからも得られず、このような心的状態が不安であり、他者や財産及び自己自身の肉体のあらゆるものをもってしてもこの不安が解消されないので、そのために人間は「超越的なもの」へと向かって自己存在の確信を得るとともにこの不安を克服する勇気をも得るのである。
精神医学分野では、エトムント・フッサールの唱えた「奥にある本質病理に関する直観的推測」を排し、ひたすら患者の言葉の正確な記述に徹する「記述精神病理学」を試みた。
しかし彼の多彩な活動はとどまるところを知らず、特に戦争体験を機に彼は政治哲学的著作を数多く執筆し、既述されている『責罪論』もその1つである。また戦後に始まった資本主義と社会主義の二大陣営による東西冷戦が核武装競争と化す過程に対して、核兵器という全人類を絶滅させる恐れのある兵器、及びその破壊力に対する恐れから両陣営ともが気にかける手詰まり状況、このような状況を彼自らの概念である「限界状況」と捉え、政治的な対話を「交わり」と捉えるなど、単なる学問としての哲学にとどまらない積極的な活動を展開していたことも、彼の戦争体験が深く関わっていると考えられる。
1959年、エラスムス賞受賞。