名言集8

1.「天では、神に栄光があるように。
地上では、平和が、
神に喜ばれる人々にあるように。」
(ルカ2:14)

“Glory to God in the highest,
And on earth peace among men with whom He is pleased.”
(Luke 2:14)

所感と祈り:
「神に喜ばれる人々」というところは、新改訳聖書では「御心にかなう人々」と書かれています。
町はずれの野原で羊の番をしていた数人の羊飼いに現れた天使が、神様をほめたたえて語ったことばです。
彼らは、天使のことばを聞く耳をもった人々でした。
神様はみことばに従う人々を喜び祝福を与えてくださいます。

主よ。みことばによって私たちの行く道を教えてください。
みこころにかなう歩みができますように。
御心にかない、喜ばれることを選び取っていくことができますように。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

2.「そうして言った。『私の主人アブラハムの神、主よ。きょう、私のためにどうか取り計らってください。私の主人アブラハムに恵みを施してください。』」(創世記24章12節)
*黙想と祈り
アブラハムの信仰は、彼に仕えるしもべにも伝わっていました。しもべもまた、「主よ」と祈る信仰を持っていたのです。「父なる神様。私たちの信仰が神様の真実を証しするものでありますように用いてください。」

3.この詩篇は、前半(1〜5)が57篇7〜11節、後半(6〜13)が60篇5〜12節と同じである。なぜこの両者がこの詩篇において一つに結び合わされたのかはさだかではない。しかしこの詩篇においては、万国の中において、神への感謝の声が聞かれるようにということと、神の栄光が現わされるようにということを願っている。そしてその声は、後半においては祈りになっている(6)。そしてその祈りに対して、神の答えがある(7〜9)。神はその選民とその周囲の国の上に、祝福を与えてくださる。10〜13節もまた祈りである。そして終わりに、人によらず、神によって勝利があると歌っている。「どうか敵から私たちを助けてください。まことに、人の救いはむなしいものです。神によって、私たちは力ある働きをします。」(詩篇108篇)

4.誰もの心に、何かに向かって燃える火があります。それを見つけ、燃やし続けることが、私たちの人生の目的なのです。(メアリー・ルー・レットン)

5.誠心より出ずれば、敢えて多言を用いず。(まごころより発する言葉は、多くを語らずとも通じるものです)「山田方谷(幕末期の偉人)」

6.
天使の大軍が天に帰ると、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださった、すばらしい出来事を見てこようではないか」と、互いに言い合いました。
(ルカ2:15)

When the angels had gone away from them into heaven, the shepherds began saying to one another, “Let us go straight to Bethlehem then, and see this thing that has happened which the Lord has made known to us.”
(Luke  2:15)

所感と祈り:
キリストの誕生を知らされた羊飼いたちは、直ちにキリストのもとへ向かいました。
町はずれで羊の番をしていた彼らにどうして天使が現れてくださったのでしょう。
彼らは、知らせを受けるにふさわしい者として選ばれたのだと思います。
彼らはまっすぐにキリストに向かう姿勢を持っていました。
しかも彼らの一人がそうであったのではなく、「互いに言い合いました」でわかるように、彼らは一同がそのような信仰者だったのだと思います。
みことばに従う忠実なしもべたちが共に集まる所に、主の使いが現れてくださったのでした。

主よ。私たちがみことばに聞き従い、主の御名によって集まることを喜び祝福してくださることを感謝します。
今、試練の中にある兄弟姉妹を強め、励まし、支えてください。
自分では祈れないほどに弱っているなら、祈れる友をお与えください。
愛と恵みに満ちた主が、その交わりの中に共におられることを感謝します。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

7.「天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、私の兄弟、姉妹、また母なのです。」(マタイの福音書12章50節)
*黙想と祈り
みこころを行なう者は神の家族だと言われています。イエスさまと弟子たちの結びつきは、それほどまでに深いものでした。「父なる神様。あなたのみこころを行なうことをますます喜びとすることができますように祝福してください。」

8.この詩篇は、呪いの詩篇の中でも最も激しいものである。しかしこの呪いは決して私的な呪いではない。神の正義に逆らう者に対する呪いなのである。わたしたちのい怒りは、しばしばきわめて私的であり、それゆえに利己的である。怒りそれ自体が悪なのではない。私的な利己的な怒りが悪なのである。神の正義が堂々と犯されているのに、少しも怒りを覚えないとしたら、それこそ神のしもべとは言えない。神に逆らい、神を公然と非難し続ける悪魔の徒は、決して神の国にふさわしい者ではない。そのような者に対する神の呪いにアーメンと言わなければならない。しかし私たちはその人が未信者にすぎないのか、それとも究極的な不信者なのかを決定することができないから、人を呪ってはならない。

9.名誉を失っても、もともとなかったと思えば生きていける。財産を失ってもまたつくればよい。しかし勇気を失ったら、生きている値打ちがない。(ゲーテ)

10.
何もかも天使の言ったとおりです。羊飼いたちはこのことをほかの人に話して聞かせました。
(ルカ2:17)

When they had seen this, they made known the statement which had been told them about this Child.
(Luke 2:17)

所感と祈り:
神様が私たちのためにしてくださったことや、お示しになったとおりになったことを分かち合うことは素晴らしいことだと思います。
神様の恵みが私たちのうちに何倍にも拡がります。
自分のうちに起きたことは、誰にも否定することはできません。
そして自分に起きたことは、自分が話すことでいちばん具体的で真実なものになるのだと思います。
神様が良くしてくださったことを忘れないでいることができるなら幸いです。

主よ。私たちの足りないところを補い、助けてくださることを感謝します。
私たちの弱さのうちに働き、栄光をあらわしてくださることを感謝します。
この一年の豊かなあわれみと恵みに心からの感謝をささげます。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

11.「彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。」(ヨハネの福音書10章4節)
*黙想と祈り
イエスさまは牧者として私たちを導いてくださいます。私たちはその声を聞いてついていく幸いな羊です。「父なる神様。あなたがいつも私たちの歩みを導き祝福してくださることを心から感謝いたします。しっかりとあなたの声を聞き分けることができるように助けていてください。」

12.この詩篇は短いが、新約聖書に13回も引用されている。一部は主イエスとパリサイ人との問答に引用されている(マタイ22:41〜46など)。イエス・キリストが救い主として神性と人性とを持っておられることを論証されるために引用された。使徒の働き2章35節、コリント人への手紙第一15章25節、ヘブル人への手紙1章13節、10章13節にも引用されている。これは、サムエル記第二、11章、歴代誌第一、19章にしるされているように、スリヤとアモンの大敵を二年がかりで敗って勝利を得た時に歌ったものであろう。ダビデはその勝利によって高ぶるのではなく、自分が理想の王よりもはるかに遠いことを感じて、将来、神ご自身が救い主として来られることを預言している。メシヤ預言である。(詩篇110篇)

13.どんなに勉強し、勤勉であっても、上手くいかないこともある。これは機がまだ熟していないからであるから、ますます自らを鼓舞して耐えなければならない。(渋沢 栄一)

14.一瞬一瞬、一日一日を大切にして、充実させていきましょう。せっかくこの世に生まれてきたのだから。「井垣利英(人材教育家)」

15.
I'll close my speech now because I see that there's only three minutes left before I'm supposed to finish - and I like to leave time for applause.
私のスピーチを終わりにしたいと思います。私に与えられた時間があと3分しか残っていません。私は拍手のための時間を残しておきたいと思います。

16.
私は生きていることが好きだ。時々狂わんばかりに、絶望的に、胸が痛いほど惨めになり、悲しみに身もだえするけれども、その間も生きていること自体は素晴らしい、とはっきりと自覚している。<アガサ・クリスティ>
 I like living. I have sometimes been wildly, despairingly, acutely miserable, racked with sorrow, but through it all I still know quite certainly that just to be alive is a grand thing. <Agatha Christie>

17.
この大祭司は私たちと同じ試練に会われたので、人間の弱さをよく知っておられ、ただの一度も、誘惑に負けて罪を犯したことはありません。
(ヘブル4:15)

For we do not have a high priest who cannot sympathize with our weaknesses, but One who has been tempted in all things as we are, yet without sin.
(Hebrews 4:15)

所感と祈り:
私たちは神様の御前ではすべてを知られています。
なにも格好をつけたり、よく見せようなどと考える必要はありません。
そのようなことは無駄だし、むしろ邪魔です。
私たちの弱さを理解してくださる主の御前にありのままの姿で出て、あわれみを受けることが大切なのだと思います。
そうすることによって、時にかなった恵みが与えられます。
主が喜ばれるのは私たちの砕かれたたましいです。

主よ。罪深く弱い私たちのためにキリストによる救いを与えてくださったことを感謝します。
どうぞ、みこころにかなう者へと成長させてください。
日々、御前にひれ伏し、みことばを受け取らせてください。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

18.「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。」(詩篇16篇8節)
*黙想と祈り
ダビデの信仰の祝福は、いつも神様を目の前に置いていたことでした。「父なる神様。あなたの愛はいつも私を取り囲んでいてくださいます。心から感謝いたします。」

19.111篇と112篇とはついをなしている。111篇は主の御業をさんびし、112篇は主を恐れる人をほめている。この両篇は、いずれもヘブル語のアルファベット順に作られている(日本のいろは歌のように)。この両篇は、過越の祭りの時に歌った113篇〜118篇の前提である。主のみわざについて、いろいろな面から述べている。主のみわざは偉大で(2)、「みわざを喜ぶすべての人々に尋ね求められる」(2)。「そのみわざは尊厳と威光」(3)。「主は、その奇しいわざを記念とされた」(4)。「彼らにそのみわざを告げ知らせられた」(6)。「御手のわざは真実、公正」(7)。「主は、御民に贖いを送り」(9)。これらの一つ一つをよく味わえば、実に心の慰めになる。(詩篇111篇)

20.(人に嫌われぬための五箇条)
一、初対面に無心で接すること
  有能な人間ほど、とかく慢心や偏見があり、
    どうしても有心で接する、これはいけない
一、批評癖を直し、悪口屋にならぬこと
一、努めて、人の美点・良所を見ること
一、世の中に隠れて案外善いことが行われているのに平生注意すること
一、好悪を問わず、人に誠を尽すこと
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安岡正篤(東洋思想家)

21.【 松下幸之助 名言集 】
・「人生にはカメのような歩一歩の歩みが大切二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば失敗する。」
・「失敗の原因を素直に認識し「これは非常にいい体験だった尊い教訓になった」というところまで心を開く人は後日進歩し成長する人だと思います。」
・「とにかく、考えてみることである。工夫してみることである。そして、やってみることである。失敗すればやり直せばいい。」

22.【 ドラッカー 名言集 】
・「今日、売れている製品が明日も売れるという保証はない。企業は、絶えず明日を担う製品をつくり出さねばならない。」
・「最初はダメでも何度でもやり直せという態度は誤りである。」
・「たとえ平凡で小さなことでも、それを自分なりに深く噛みしめ味わえば大きな体験に匹敵します。」

23.
反者道之動。弱者道之用。
天下萬物生於有、有生於無。
(老子、第四十章)
反は道の動なり。弱は道の用なり。
天下の万物は有より生じ、有は無より生ず。
「原点に戻ることが道の動きであり、
柔弱であることが道の働きである。
万物は陰陽の気から生じ、気は無から生じる。」

24.
No one is useless in this world who lightens the burden of it to anyone else.
- Charles John Huffam Dickens
【訳】 他の人が抱えている重荷を軽くできる人で、この世で価値がない人なんていないものだよ。
<チャールズ・ディケンズ: 1812年〜1870年。イギリスの小説家。>

25.
It is as hard to see one’s self as to look backwards without turning around.
- Henry David Thoreau
【訳】 振り向かずに後方を見ることと同じくらい、自分自身を知ることは難しい。
<ヘンリー・デイヴィッド・ソロー:1817年〜1862年。米国の作家、思想家、詩人。>

26.
神は、かけがえのないご自分のひとり子をこの世に遣わし、そのひとり子の死によって、私たちに永遠のいのちを与えてくださいました。
そのようにして、どんなに私たちを愛しておられるかを示されたのです。
(1ヨハネ4:9)

By this the love of God was manifested in us, that God has sent His only begotten Son into the world so that we might live through Him.
(1 John 4:9)

所感と祈り:
私たちが愛したからではなく、私たちが神様に対して振り向こうともしないうちから、私たちを愛し、私たちのための救いのご計画を立てられました。
私たちは自分の努力では、神様のきよさの前に立つことはできません。
罪深さによって罪を犯し、きよくなろうとすればその努力によって高ぶりの罪を犯すような者です。
自分は誰かよりましな者だと思うなら、その人をおとしめているのです。
どうしようもなく罪深い私たちだからこそ、キリストの救いが必要です。
自分の努力によってではなく、キリストを信じる信仰によって義とされる方法が必要なのだと思います。
私たちを愛してくださる神様は私たちに救いを計画し、その道を備えてくださいました。

主よ。過ぎようとするこの一年を振り返り、主がどんなに私たちを支え、助けてくださったかを覚え感謝いたします。
一年の終わりにこうして御前にひれ伏すことができることはなんという幸いでしょう。
私たちは心からの賛美をささげ、主の御名をほめたたえます。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

27.「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る。」(箴言16章33節)
*黙想と祈り
偶然と思えるような出来事の中にも背後には神様の主権による導きがあることを思いましょう。「主なる神様。この一年間もあなたの導きと守りによって今日まで歩むことができました。たくさんの恵みに心から感謝をいたします。」

28.この詩篇またハレルヤ詩篇、つまりさんびの詩篇である。主を恐れる人の幸いについてさんびしている。まず正しい人とはどんな人なのかということについて答えている。「主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人」(1)である。正しい者はつねに祝福を受け(2)、繁栄と富が与えられ、義はとこしえに失せることがない。主は恵み深く、あわれみ深い方であるから、ほかの人に恵みを与え、助ける人は神の祝福を受ける。しかも、正しい人は神がつねに支えてくださるので、動かされることがない。よくないことがあっても、動揺しない。いつも助けを要している人に、助けの手を伸ばし、悪に対しては、決然たる態度をとる。つねに神を恐れ、正義を物事の尺度とし、神にならってあわれみの心を持ち続けるのである。(詩篇112篇)

29.素直の一段になりましょう。「松下幸之助(経営の神様)」

30.有能な者は行動するが、無能な者は講釈ばかりする。(バーナード・ショー)

31.人生は恐れなければ、とても素晴らしいものなんだよ。人生に必要なもの。それは勇気と想像力、そして少しのお金だ。(チャップリン)

32.もし誰かが一度だけあなたを裏切ったのなら、それは彼らの責任です。もし彼らが二度もあなたを裏切るのなら、それはあなたの責任です。(エレノア・ルーズベルト)

33.手段は完全になったというのに、肝心の目的がよくわからなくなったというのが、この時代の特徴と言えるでしょう。(アインシュタイン)

34.「真・仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す」(親鸞聖人『教行信証』)
「真・仮」とは、「真」とは生きる目的、「仮」とは生き方や生きる手段のことです。「知らざるによりて」とは、区別がつかないから、ということです。「如来広大の恩徳」とは「人間に生まれてよかった」という喜びです。喜びといっても、欲望を満たす一時的な喜びとは違います。人間に生まれてよかったという心の底からの喜びです。「生きる手段」を「生きる目的」のように思い、生きる手段ばかり考えていると、心からの安心も満足もなく、つまらない人生になってしまうのだ、ということです。ですから私たちが、自分の生き方を見直し、自分に最適な生き方を見つけるには、本当の生きる目的を知ることが先決です。

35.
あなたが遣わされた救い主に
お会いしたのですから。
この方はすべての国を照らす光、
あなたの民イスラエルの光栄です。」
(ルカ2:31ー32)

Which You have prepared in the presence of all peoples,
A Light of revelation to the Gentiles,
And the glory of Your people Israel.”
(Luke 2:31-32)

所感と祈り:
新年明けましておめでとうございます。
世界を照らすまことの光である主の御名をほめたたえます。
今年も皆様の上に、私たちの主からの平安がありますように。
愛と恵みに満ちた主からの豊かな祝福がありますように。
私たちの心を照らし、幸いな歩みへと導いてくださった主に栄光がありますように。
元旦のこの静かな朝に、みことばに触れ、主を仰ぐこの幸いなひとときを心から感謝します。

主よ。主の御前で信念を迎えることができ、感謝します。
みことばによってどうぞ私たちを養ってください。
どのような問題があっても、主が共にいてくださることを感謝します。
どうぞ、いつも御心にかなった歩みができますようにお導きください。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

36.「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ人への手紙12章21節)
*黙想と祈り
善は神様のご性質の一つであり、悪が善に勝つことはありません。いただいたこの年も善いことを行なうことを追い求めましょう。「主なる神様。新しい年の恵みを感謝します。この年もあなたの喜ばれる道を歩むことができますようにお導き下さい。」

37.113〜118篇は、とくに過越の祭りの時に歌ったハレルヤ詩篇である。だから、主イエスと弟子たちは最後の晩餐ののち、この詩篇をさんびされたのであろう。三度、「主をほめたたえよ」(1、3、9)と歌う。いつどこででもその御名をほめたたえよう。主はいと高い所に座し、天地を顧みておられる。だから、私たちはへりくだらなければならない。7〜9節は、サムエル記第一、2章8節にあるハンナの歌と同じである。主イエスの母マリヤは、ハンナの歌のこの詩篇を心にとめて、「そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます...」(ルカ1:46〜55)と歌ったにちがいない。「主は、弱い者をちりから起こし...、御民の君主たちとともに、王座に着かせられ」たのは、ハンナの子サムエルにおいて事実であった。(詩篇113篇)

38.愛は憎しみより高く、理解は怒りより高く、平和は戦争より気高い。<ヘルマン・ヘッセ>

39.
あかあかと 火を焚く人の なつかしや
お地蔵さまもお正月のお花
(種田 山頭火)

40.
シメオンは両親を祝福してから、マリヤに言いました。
「剣があなたの胸を刺し通すでしょう。イスラエルの多くの人がこの子を信じようとしないで、滅びるからです。しかし、この子によって大きな喜びを受ける人も多くいます。こうして、多くの人の思いが現されるのです。」
(ルカ2:34ー35)

And Simeon blessed them and said to Mary His mother,
“Behold, this Child is appointed for the fall and rise of many in Israel, and for a sign to be opposed― and a sword will pierce even your own soul―to the end that thoughts from many hearts may be revealed.”
(Luke 2 :34-35)

所感と祈り:
神様は、人々が滅びることをどんなに心を痛めて悲しまれることでしょう。
「剣があなたの胸を刺し通す」という言葉は、マリヤに語られたものはあっても、シメオンをとおして神様の御思いが語られているのではないかと思います。
その痛みはどんなに激しいことでしょう。
キリストは私たちのために極限の痛みと苦しみを通られましたが、その救いのみわざを信じようとしない人々がなんと多いことか。
しかし、その救いを信じる者には、大いなる喜びが与えられます。
私たちは、心からの感謝と喜びをもって神様をほめたたえます。

主よ。この福音を語り告げる者として私たちをお遣わしください。
主がしてくださったことを語ることができますように。
そのとき私たちの心は喜びに満たされ、楽しさが増します。
https://youtu.be/NckNYFCJSRA
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

41.「しもべがまだ言い終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せて出て来た。リベカはミルカの子ベトエルの娘で、ミルカはアブラハムの兄弟ナホルの妻であった。」(創世記24章15節)
*黙想と祈り
神様はしもべの真剣な祈りに答えてくださいました。その祈りが口に上る前に神様はすでにすべてを備えておられたのです。「父なる神様。信仰をもって祈る祈りにあなたが答えてくださることを心から感謝いたします。」

42.第二のハレルヤは、歴史を回顧して、主がイスラエルを出エジプトにおいて顧みてくださった御業について歌っている。はじめの二節は、イスラエルの民が出エジプトの時、ユダは主の聖所となり、イスラエルは主の所領となったと歌っている。この詩は預言で、ユダの中から万民の主イエスが出ることの預言である。次の二節は、主の御前に自然界がおののくことを歌っている。紅海とヨルダン川が分かれたこと、シナイ山がふるえおののいたことを歌っている。次の二節は、自然界がおののくことを詩的に問う形で歌っている。そして最後の二節において、自然界がおののくことは、主の臨在のためであることを述べ、この世界の造り主が、実はイスラエルをエジプトから救い出されたのだということを述べている。(詩篇114篇)

43.運命というのはこころによって変えられる。そのこころが信念にまで高まったものであれば、それによって運命は変えられる。「稲盛和夫(京セラ名誉会長)」

44.【 本田宗一郎 名言集 】
・「こちらが望んでいること、こうやりたいと欲していることをスムーズに受け入れてもらうためには、まず先方の心を知らねばならない。」
・「チャレンジして失敗を怖れるよりも、何もしないことを怖れろ。」
・「人間に必要なのは困ることだ。絶体絶命に追い込まれたときに出る力が本当の力です。」
・「我々は、最初から苦しむ方向をとったから、あとは楽になった。真似をして楽をしたものは、その後に苦しむことになる。」

45.
あなたがたはもはや、神にとって見知らぬ他国人でも、天国に縁のないよそ者でもありません。
神の家族の一員であり、神の国の市民なのです。すべてのクリスチャンと共に、神の一家を構成しているのです。
(エペソ2:19)

So then you are no longer strangers and aliens, but you are fellow citizens with the saints, and are of God’s household,
(Ephesians 2:19)

所感と祈り:
私たちは神の家族です。
その一員にしていただけたことはなんと幸いなことでしょう。
この家族は、互いに赦し合い、愛し合い、仕え合います。
キリストがその模範をお示しになりました。
その一員にふさわしいふるまいを身につけることができますように。
私たちは愛し合うことで幸せを味わうようにつくられているのだと思います。
この世に生きていればさまざまな問題が私たちを悩ませます。
そのような中にあって、神様は私たちが互いに支え合うことを望んでおられるのではないでしょうか。

主よ。私たちに愛し合うことの模範を示してくださっていることを感謝します。
まず赦し合うことができますように。
そして互いに愛し合うことができますように。
兄弟姉妹としてかかわり合うことができますように。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

46.「良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて悟る人のことです。本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」(マタイの福音書13章23節)
*黙想と祈り
みことばを頭だけでとどめておかず、心に受け入れるならば本当に豊かな実を結ぶことができます。「父なる神様。私の心が良い地となって豊かな実を結ぶことができますように祝福してください。」

47.異教徒が戦いをいどんできて、「彼らの神は、いったいどこにいるのか」と言って、威張っている(2)。しかし、勝利はいつも生けるまことの神にのみあるのだから、あわれみと真実を持っておられる主にこそ、栄光を帰しまつらなければならない。そこで、敵に向かい、大胆に「私たちの神は、天におられ、その望むところをことごとく行なわれる」と答える。人間が作った偶像は、生ける神に対して死んだもの、それにより頼む者も、それと同様、霊的に死んだ者である(4〜8)。詩人は、次に私たちが拝むべき神を教えている。それこそ主、生けるのまことの神である(9〜14)。主は天地を造られた神であって、神の選民イスラエルは、全能者に恵まれる者である(15〜18)。だから、神をほめたたえよう。(詩篇115篇)

48.
一、人間的成長を求め続ける
二、自信と誇りを持つ
三、常に明確な目標を指向
四、他人の幸福に役立ちたい
五、良い自己訓練を習慣化
六、失敗も成功につなげる
七、今ここに百%全力投球
八、自己投資を続ける
九、何事も信じ行動する
十、時間を有効に活用
十一、できる方法を考える
十二、可能性に挑戦し続ける
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樋口武男(大和ハウス工業会長・CEO)

49.
キリストは人間となり、この地上で私たちと共に生活なさいました。彼は恵みと真実のお方でした。私たちは、この方の栄光を目の当たりにしました。それは天の父である神の、ひとり子としての栄光でした。
(ヨハネ1:14)

And the Word became flesh, and dwelt among us, and we saw His glory, glory as of the only begotten from the Father, full of grace and truth.
(John 1:14)

所感と祈り:
神様は私たちのところに来てくださいました。
私たちと同じ肉体をとり、空腹や痛みや辛さをも味わい、涙も流されました。
キリストは私たちのことをよく理解してくださいます。
私たちのうちに御霊を住まわせ、寄り添ってくださいます。
そして私たちの言葉にもならない心の深みまで理解してくださいます。
どんなにたどたどしい祈りでも、その祈りは届いています。
言葉で着飾る必要などなく、むしろ子どものように素直になって御前に心を注ぎだせばよいのだと思います。
言葉に表す前にすでに私たちのことをすべてご存知なのですから。

主よ。いつも共にいてくださることを感謝します。
私たちの状況も思いもすべてご存知で、助け導いてくださることを感謝します。
厳しい試練の中にある兄弟姉妹が特別にご臨在を感じ取ることができますように。
その心の疲れを癒やし、平安で満たしてくださいますように。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

50.「わたしは門です。だれでも、私を通って入るなら救われます。また出たり入ったりして、牧草を見つけます。」(ヨハネの福音書10章9節)
*黙想と祈り
イエスさまを通してでなければ、父なる神様のもとに行くことはできません。しかし、ここには安らかに憩う羊の様子が見てとれます。「父なる神様。私たちがイエスさまという門を通ってまことの救いに導かれますことを心から感謝します。」

51.この詩篇は、主によって九死に一生を得た人の感謝の歌である。病気がいやされるようにとの祈りをささげている(3〜4)。神の恵みによっていやされ、主の恵みと正義とあわれみをほめたたえている。特に無学な者を守り、低くされた者を救ってくださったことを感謝している。その感謝は、魂に平安を与え、大胆に主の御前に歩くことができるようにしてくださる(5〜9)。病気の時には、もう一つの悩みがあった。人間はいかに当てにならぬものであるかを知り、しかもなお主を信じた。そして、主に自分の誓いを果そうと言っている(10〜14)。主は聖徒(すべての信者)のいのちを大事にしてくださる。詩人は、自分が主のしもべの一人であることを覚えて感謝している(15〜19)。(詩篇116篇)

52.許すことで過去を変えることはできない。しかし、間違いなく、未来を変えることはできる。(バーナード・メルツァー)

53.一所懸命やらなかったことが失敗、やってだめだったことは失敗じゃない。「高田明(ジャパネットたかた創業者)」

54.【 財界の名言集 】
・「デパートは歌舞伎座だが、スーパーはストリップ劇場だ。」<中内 功(ダイエー創業者)>
・「官僚は虫歯みたいなもの。抜いてしまったほうが、国民はよほど良いサービスを受けられる。」<小倉昌男(ヤマト運輸元社長)>
・「人間として正しいことをすれば、宇宙はこたえてくれる。」<稲盛和夫(京セラ創業者)>
・「たわいない夢を大切にすることから革命が生まれる。」<井深 大(ソニー創業者)>
・「社員諸君にはこれから3倍働いてもらう。役員は10倍働け。俺はそれ以上に働く。」<土光敏夫(第4代経団連会長)>
・「仕事はチームスポーツなんだ。」<スティーブ・ジョブズ(アップル)>

55.
神の子どもである私たちは、血も肉もある人間です。そこでイエスも、血肉を持った人間の姿でお生まれになりました。それは人間として死ぬことにより、死の権力をふるう悪魔の力を打ち砕くためです。
これだけが、一生涯死の恐怖の奴隷となっている人間を救い出す方法だったのです。
(ヘブル2:14ー15)

Therefore, since the children share in flesh and blood, He Himself likewise also partook of the same, that through death He might render powerless him who had the power of death, that is, the devil,
and might free those who through fear of death were subject to slavery all their lives.
(Hebrews 2:14-15)

所感と祈り:
私たちと同じようになられたお方だからこそ、私たちの痛みや苦しみを知り、試練の中にある者を救い出すことがおできになります。
キリストを通して、罪深く弱い者であってもきよめられ、神様のもとに行くことができるようにしてくださいました。
もはや私たちは罪の奴隷ではなく、キリストを頭とする兄弟姉妹であり、神の子どもとしての権利が与えられています。
この恵みをいつも覚えていることができますように。
行いの伴う真の信仰者として歩むことができますように。

主よ。私たちと同じところにまで降りて下さり、救いを与えてくださったことを感謝します。
いつでもどんなときでも主に思いを寄せることができますように。
いつもこの心をあなたからのもので満たし、包んでくださいますように。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

56.「私は 心からのささげ物をもってあなたにいけにえを献げます。主よ あなたの御名に感謝します。」(詩篇54篇6節)
*黙想と祈り
感謝は私たちの品性を神様に近づけます。すべてのことについて感謝する信仰を養いましょう。「父なる神様。私たちが大きなことにも、小さなことにもいつも感謝をささげる信仰を持つことができますように助けてください。」

57.最も短い詩篇である。これは、お祝いの時に用いた頌栄である。ふつうの礼拝の時にも、おそらく頌栄として歌ったであろう。主をほめたたえるために、同じことばが三度書かれている。それは「主をほめたたえよ」である。主をほめたたえる理由が二つしるされている。その恵みとまことである。恵みには、罪の赦し、御守り、御導き、救い、永遠のいのちなどが含まれている。まことの中には、神の契約、真実、忍耐、正義などが含まれている。主をほめたたえるべき者はもろもろの国、もろもろの民である。つまり、生けるまことの神を信じる者は、ある特定の国民だけではなく、全人類である。救い主イエス・キリストは全世界の全人類の唯一の救い主でいまし、この唯一の救い主こそ、礼拝さるべき恵みとまことの神である。(詩篇117篇)

58.どんなことに直面しても、許していける自分でありたい。「戸澤宗充(日蓮宗一華庵・サンガ天城庵主)」

59.自分自身を信じてみるだけでいい。きっと、生きる道が見えてくる。(ゲーテ)

60.私たちは地球の悲鳴にちゃんと耳を傾けないといけません。これまで化石燃料や化学肥料、水資源をどんどん使って経済成長を追い求め、地球にものすごい負荷をかけてきました。20世紀型の大量生産、大量消費、大量廃棄という成長モデルでは、もはや人類は立ちゆかなくなっています。<国谷裕子>

61.このあいだタクシーに乗っていたら、「今年の春は花見をなさいましたか」と運転手さんに聞かれました。いや、もう忙しくて花見の機会はなかったと答えると、「先生、あと何年何回花見できるかと数えれば、少ないものですよ。高校野球を見ながらスイカを食べて、どこが勝った何だって言っているうちに一回過ぎてしまう。平均年齢までは、五木さんもあと3回か4回しかないんですから、しっかり花見もして、雪見もしてくださいよ」と言われました。なるほどそうかと思いましたが、そういうふうに自分の行き先というものがしっかり見えてくるところから逆算していけば、今日一日いのちがあるということや、生きているということに対して、ほんとに心の底からありがたいと思わずにはいられません。朝起きてから、そして夜寝る前、合掌して、「ありがとうございます」と口のなかでつぶやくというのも、限りあるいのちだから、その一日がものすごく貴重に思えてくるのです。この一日をしっかり生きなきゃ、というふうに思うんです。ですからネガティブな考え、ポジティブな考えと言うけれども、上っ面の明るさだけではだめなんですね。むしろ絶望のどん底、真っ暗闇のどん底まで落ちてしまって、そこからドーンと足を突いて飛び上がらないことには光のほうに行けない。温室栽培の、24時間人工の光線に照らされているところにいて、そこに一条の光が雲間から射してきたとしても、それを光明と感じて感激することはありません。真っ暗闇のなかで、爪から血が滲むようにして希望を探している。そこへ窓から一条の光が射してくるから、それを光明と感じて、人は感動するのです。(五木寛之)

62.During the New Year’s period in Japan, dining tables are traditionally topped with tiered boxes of seasonal foods. Although there may be some regional or generational differences, these boxes typically include delicacies from the sea and local farms. Many of these delicacies have symbolic meanings relating to hopes and dreams for the coming year. Fishing towns in Japan thrive at this time of year because many kinds of seafood taste even better than usual due to their increased fat content. Japan has a lot of areas suited to fishing, and many of them are located in the northern part of the country or along the coast of the Sea of Japan where the water is colder. I have long wondered why fish seem to prefer such chilly habitats. A book I recently read suggested a potential answer to my question. According to the book, oxygen enters water in various ways. For example, it can enter via photosynthesis by plants and algae or via direct absorption from the surrounding atmosphere. Once dissolved in the water, the oxygen remains there. What interested me the most was that oxygen solubility is greatly affected by the water temperature. The warmer the water gets, the lower its capacity to hold oxygen becomes. In other words, colder water holds more oxygen. As a consequence, colder ocean currents can nurture more microbes, and these microbes attract larger sea creatures. The water in the Arctic Ocean has the highest levels of dissolved oxygen in the world, so whales travel there from far away to feed on plankton and krill. In contrast, the sea water in tropical areas is less fertile, which is why it is more transparent. Ocean temperatures are rising due to global warming, and that will probably lead to a decrease in the amount of sea life. I hope the year 2018 will give us more opportunities to discuss this issue and think about solutions.

Best regards,
Eiken Mail Magazine Editor

63.
イエスは神の子であるのに、神に従うことには多くの苦しみが伴うことを身をもって学ばれました。
この経験を通してご自分の完全さを実証し、その上で、ご自分に従うすべての人に永遠の救いを与える者となられたのです。
(ヘブル5:8ー9)

Although He was a Son, He learned obedience from the things which He suffered.
And having been made perfect, He became to all those who obey Him the source of eternal salvation,
(Hebrews 5:8-9)

所感と祈り:
キリストは肉体的にも精神的にも私たちが経験する以上の苦しみを通られました。
うめきと涙をもって父なる神に祈られました。
それらはすべて私たちが救われるためでした。
私たちのために、苦しまれたキリストに感謝をささげます。
死に勝利され父の右の座におられ、いつも私たちのためにとりなしてくださいます。
このお方に従うなら永遠の救いを得ることができます。
この世ではさまざまな困難があっても、私たちには必ず主のもとで安らかに憩う時がきます。

主よ。私たちが行いによらず、ただ信仰によって救いを得ることができるように恵みを与えてくださっていることを感謝します。
みごとばを慕い求めるすべての人々のうちに平安がありますように。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

64.「乾いたパンが一切れあって平穏なのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」(箴言17章1節)
*黙想と祈り
私たちの心の飢え渇きは物質的なものでは満たされることはできません。本当に必要なのは心の平安です。「父なる神様。あなたが私たちに与えてくださる平安は、何ものにも代えられません。心から感謝いたします。」

65.これは、毎年祝いの時に歌ったものである。また宮詣での時、行列が歌ったものでもある。行列が出発する時、1〜4節を歌い、途中で、5〜18節を歌い、門に着くと、19節を歌った。次に、祝いの行列を迎える人々が20〜27節を歌った。到着した行列は、28節を歌って、これに答えた。そして終わりにみなが声を合わせて29節を歌った。まず感謝のための召集がしるされている(1〜4)。そしてイスラエルの民の経験を歌っている(5〜18)。これは個人的経験として書かれてある。巡礼者たちは門に着いて19節を声をあげて歌う。すると、門番がこれに答えて、門をあけてくれる。旧新約聖書の根本問題は、私たちはどうすれば正しい者となることができ、主の門からはいることができるかを教えている。(詩篇118篇)

66.相手に変わることを求めずに、自分がどこまで変われるかを問う。「青山俊董(愛知専門尼僧堂堂頭)」

67.
If you would be a real seeker after truth, it is necessary that at least once in your life you doubt, as far as possible, all things.
- Ren!) Descartes
【訳】 あなたが真実を真剣に追い求めるのなら、一生に少なくとも一度くらいはあらゆる事を可能な限り疑わってみることが必要だね。
<ルネ・デカルト:1596年〜1650年。フランス生まれの哲学者、数学者。>

68.
The past cannot be changed. The future is yet in your power.
- Mary Pickford
【訳】 過去は変えることはできないわね。でも未来はあなたの力のおよぶところにあるものよ。
<メアリー・ピックフォード: 1892年〜1979年。カナダ生まれの女優。>

69.
言者風波也。行者実喪也。
夫風波易以動、実喪易以危。
故忿設無由、巧言偏辞。
(荘子、人間世篇第四)
言(ことば)は風と波のごときなり。
行いはうることと喪うことあり。
それ風と波は以って動きやすく、
うることとと喪うことあれば、
以って危うくなりやすし。
故に怒りの起これるは由なく、
かざれる言葉と偽れる言葉による。

70.
イエスは身長も伸び、ますます知恵も加わって、神にも人にも愛された。
(ルカ2:52)

And Jesus kept increasing in wisdom and stature, and in favor with God and men.
(Luke 2:52)

所感と祈り:
誰にとっても時の流れは等しく、その中でどのように過ごすのかがそれぞれの人生です。
若いときには、できるだけ時間を大切にし、たくさんのことをしようと過密なスケジュールを立てたものです。どこに自分の可能性がわからないときには、いろいろと自分を試し、チャレンジすることは、適切であったのだと思います。
そうする中で自分の限界を知り、また、自分の役割を知ります。
一人で何もかもする必要はなく、神様が与えてくださった役割を忠実に果たすことが、人にとっても自分にとっても一番良いことなのではないかと思います。

主よ。私たちを成長させ、御用のために整えて用いてください。
主に用いられることほど喜ばしいことはありません。
自分にできることを忠実に果たさせてください。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

71.「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。」(ローマ人への手紙13章1節)
*黙想と祈り
私たちには上に立つ権威のために祈り、従うことが求められています。正しい権威への従順は神への従順を養います。「父なる神様。私たちが今年、神様に従うことにおいても成長できますように助けていてください。」

72.詩篇119篇は、すばらしいヘブル語のアルファベット詩である。しかしそれ以上に、この篇の内容はすばらしい。この篇の主題は、神のみことばである。それを次のような違った表現で述べている。みおしえ(1)、さとし(2)、道(3)、戒め(4)、おきて(5)、仰せ(6)、ことば(9)。詩人は、神のみことばをよく味わうようにと教えている。みことばによって私たちの生活をととのえるのである。祝福と幸いとは主のみおしえと主の道に歩む者、主のさとしと戒めを守る者の上にある。5節の祈りが、8節の決意へと導かれているのに注意しよう。詩人は、心を尽くして主をたずね求めることの幸いについて述べているばかりでなく、それは、彼が実際に経験したことだと言っている。今日の聖句の各節を、自分自身に当てはめてみよう。(詩篇119篇1節〜16節)

73.私はだんだん年がいくに従って、ますますポジティブに明るく感謝して、という生き方になってきました。一切ネガティブなことは考えまい、と。それはネガティブなこころがネガティブなものを呼び込むと考えるからなんです。「稲盛和夫(京セラ名誉会長)」

74.
それからイエスは、両親といっしょにナザレに帰り、彼らによく仕えました。
マリヤは、このことをみな心にとめておきました。
(ルカ2:51)

And He went down with them and came to Nazareth, and He continued in subjection to them;
and His mother treasured all these things in her heart.
(Luke 2:51)

所感と祈り:
イエス様は、両親を敬っておられたのだと思います。
そして彼らによく仕えました。
私たちは、神様の家族です。
このつながりは、利害関係でつながっているのではありません。
神様の愛、そして兄弟姉妹としての愛でつながっています。
互いに仕え合うことが神様の御心にかなうことなのだと思います。

主よ。自分の果たすべきことをわきまえさせてください。
その役割を忠実に果たすことができますように。
主に仕えるように人にも仕えることができますように。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

75.「この人は、主が自分の旅を成功させてくださったかどうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた。」(創世記24章21節)
*黙想と祈り
アブラハムのしもべは、神様のなさろうとすることを待ち望んでいました。それは神様への信頼の表われでした。「父なる神様。私たちも主のなさることを待ち望む信仰を持つことができますように導いてください。」

76.18節は、私たちが聖書を読む前に用いるといい祈りである。この箇所には、詩人が何度も繰り返している祈りが二つある。その一つは「私を、生かしてください」(25)という祈りで、119篇には5回出てくる。もしも私たちが神の不変の生きたみことばによって新生させられ、霊的に生かされていないなら、いくら聖書を読んでも決して得るところはない。もう一つのみことばは「私に教えてください」(26、29)という祈りで、119篇には7回出てくる。もしも第一に必要なものが「いのち」であるならば、次に必要なものは、確かに「教え」である。私たちは、聖霊が、聖書を通し、また私たちの生活のあらゆる経験を通して教えてくださろうとしている教えを学ぶのに、なんと鈍い者であろうか。(詩篇119篇17節〜32節)

77.人生は芝居のごとし、上手な役者が乞食になることもあれば、大根役者が殿様になることもある。とかく、あまり人生を重く見ず、捨て身になって何事も一心になすべし。(福沢 諭吉)

78.多くの人は見たいと欲するものしか見ない。「カエサル(ローマの英雄)」

79.
The great thing about being a cab driver is that you get to go to work every day in a taxi.
タクシー運転手であることの素晴らしいことは、毎日職場にタクシーで行けることである。

80.重荷が人をつくる。身軽足軽では人は出来ぬ。(徳川 家康 江戸時代の将軍)

81.
イエスは成長してたくましくなり、たいへん賢い子だと評判になるほどでした。
神も絶えずイエスを祝福してくださいました。
(ルカ2:40)

The Child continued to grow and become strong, increasing in wisdom;
and the grace of God was upon Him.
(Luke 2:40)

所感と祈り:
私たちを愛し、教え、導いてくださるのは、優れて素晴らしいお方です。
強くたくましいだけではなく、私たちの弱さや痛みをも理解してくださいます。
そのお方がいつも私たちと共におられます。
私たちが祈る時、その祈りを言葉以上に理解し、とりなしてくださいます。
私たちが、主に信頼するなら、豊かに祝福してくださいます。

主よ。どうぞ今日の一日のために必要な力を注いでください。
関わり合う人々に愛をもって仕えることができますように。
互いに喜びが増し加わるような祝福された人間関係を持つことができますように。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

82.「イエスはまた、別のたとえを彼らに示して言われた。『天の御国はからし種に似ています。人はそれを取って畑に蒔きます。どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなって木となり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るようになります。』」(マタイの福音書13章31,32節)
*黙想と祈り
からし種ほどの信仰を軽んじてはいけません。そこには大きな成長が秘められているのです。「父なる神様。あなたが私のうちに与えてくださった信仰の種が大きく成長し、実を結ぶ日々を歩めますように祝福してください。」

83.この詩篇119篇は主への謙遜な祈りが多いが、とくにこの箇所にはそうした祈りが多い(33〜41、43)。みことばによって主の喜ばれる道を歩むことができるようにという祈りである。また41〜48節のところには、恵みと救いを祈る祈り(41)と、ほかの人々を教えることができるようにとの祈り(43)がしるされており、その祈りの結果として、反対者に対して答えることができるということ(42)、みことばに服従すること(44)、困難からの解放と自由がえられること(45)、あかしをする勇気が与えられること(46)、神のみことばを喜ぶこと(47)、みことばを味わうこと(48)をしるしている。神のみことばに従った者が、主から与えられる恵みの結果は、このようにすばらしいものなのである。(詩篇119篇33節〜48節)

84.信念、それは人生を動かす羅針盤のごとき尊いものである。従って信念なき人生は、ちょうど長途の航海の出来ないボロ船のようなものである。(中村 天風)

85.No Guts, No Glory(ガッツがない人間に繁栄はない) 「山田清志(東海大学学長)」

86.自分は完全な人間ではないと考えるからこそ、下々の言葉も聞き入れることができる。自分が完全だと思っているとき、人からその非を指摘されるとすぐに怒るから、賢人や君子も、そのような人を助けようとはしないのである。(西郷 隆盛 薩摩藩士・軍人・政治家)

87.僕が小学校の一年のときのある日、「ただいま」って家に帰ると、お母さんがいないときがありました。お父さんに、「お母さんどうしたの?」と聞くと、「稲刈りで実家へ手伝いに行ったよ」と言う。そして、「きょうはお母さんがいないから、おれが温かいうどんをつくってやる」と言って、親父がうどんをつくってくれました。ところが、温かいうどんのはずなのに、お父さんのつくったうどんはなぜか冷やっこいんです。一方、「ただいま」と家に帰ってお母さんがいるときは僕はいつでも「お母さん、何かないの?」と聞きました。すると、母は「おまえは人の顔さえ見れば食い物のことばっかり言って、食いしん坊だね。そこに、ほら、芋があるよ」って言う。そういうときは決まって、きのうふかしたさつま芋が目ざるの中に入っていました。かかっているふきんを取ると、芋はいつもひゃーッと冷たいんです。だけれども、お母さんのそばで食う芋は不思議に温かかった。これは、もしかすると女性には理解できないかもしれないけれども、男性にはわかってもらえると思います。お母さんが家にいると黙っていても明るいのです。あたたかいのです。(境野勝悟)

88.
「『心を尽くし、たましいを尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』(申命6:5)、それに、『自分自身を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい』(レビ19:18)とありますが、」
(ルカ10:27)

And he answered, “You shall love the Lord your God with all your heart, and with all your soul, and with all your strength, and with all your mind; and your neighbor as yourself.”
(Luke 10:27)

所感と祈り:
私たちにとってどうすることが大切であるのかが示されています。
神様に喜ばれることが何であるのかを考えて行動できますように。
関わり合う人にとってどうすることがその人のためになることであるのかを考えて行動できますように。

主よ。今日の一日をどうぞお導き下さい。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

89.「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。」(ヨハネの福音書10章11節)
*黙想と祈り
イエスさまはこのみことばのとおりにご自身のいのちを捨てて、私たちを生かしてくださいました。「父なる神様。イエスさまの命がけの愛とすばらしい救いの恵みを心から感謝します。」

90.49〜56節のところには、苦難の中における望みについてしるしている。ここには、神のみことばによって得るさまざまな恵みについて教えている。望み(49)、いのち、慰め(50)、勝利(51)、喜び(54)。57〜64節のところには、主を信じる者の霊的な経験が述べられている。祈り(58)、悔い改め(59)、服従(60)、迫害の中における勝利(61)、感謝(62)、主にある者同士の交わり(63)、恵みの経験(64)などである。50節のみことばは、私たちにとって大いなる慰めであり、また励ましである。「あなたのみことばは私を生き生きとさせてくださいましたので、私の苦しみの時の慰めです」(私訳)。このことがほんとうによくわかってくると、信仰も本物になる。(詩篇119篇49節〜64節)

91.互いに忍の心があれば、何事にも和が生まれる。「川上仁一(甲賀伴党21代宗師家)」

92.人が虎を殺そうとする場合はスポーツと呼ばれ、虎が人を殺そうとする場合は狂暴と呼ばれる。(ジョージ・バーナード・ショー イギリスの劇作家)

93.迷う、ということは、一種の欲望からきているように思う。ああもなりたい、こうもなりたい、こういうふうに出世したい、という欲望から迷いがでてくる。それを捨て去れば問題はなくなる。(松下 幸之助)

94.
神を第一とし、神が望まれるとおりの生活をしなさい。そうすれば、必要なものは、神が与えてくださいます。
(マタイ6:33)

But seek first His kingdom and His righteousness, and all these things will be added to you.
(Matthew 6:33)

所感と祈り:
神様は私たちひとりひとりをそれぞれの存在として愛してくださっています。
私たちがどのような状況にあって、その中で何を思い、何を必要としているのかもご存知です。
そして私たちが神様を求め、信頼するなら、その信仰に応えてくださいます。
神様は私たちにとっての最善をご存知のお方です。
その御心に従い、御手にお委ねすることが最善の道なのだと思います。
この世界で生きている時も、その後も、永遠に私たちの神様です。

明日のことを心配するのはやめなさい。
神は明日のことも心にかけてくださるのですから、一日一日を力いっぱい生きなさい。
(マタイ6:34)

主よ。私たちのひとりひとりを名前で呼んでくださることを感謝します。
この世界で生きている時も、その後も永遠に私たちの神様です。
信仰による平安の中で生かしてください。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

95.「それゆえ 私の心は喜び 私の胸は喜びにあふれます。私の身も安らかに住まいます。」(詩篇16篇9節)
*黙想と祈り
神様の願いは私たちの心を喜びで満たすことです。ダビデに与えられた平安は、私たちにも約束されているのです。「父なる神様。あなたがくださる喜びのうちを日々歩む者でありますように私たちを導いていてください。」

96.65〜80節のところでは、苦しみの経験がみことばを学び、さらによく守るようにさせたという意味で、有益であるということを述べている。これは、とりもなおさず、神がこうした苦しい経験をとおして私たちを取り扱ってくださるということを教えている。73〜80節のところにおいては、被造物である私たちが創造者でいます神に対する叫びをしるしている。「どうか私に、悟りを与えてください。私があなたの仰せを学ぶようにしてください」(73)、「どうか、あなたのしもべのみことばのとおりに、あなたの恵みが私の慰めとなりますように」(76)、「私にあなたのあわれみを臨ませ、私を生かしてください」(77)、「どうか私の心が、あなたのおきてのうちに全きものとなりますように」(80)。これらは、すべて信仰の叫びである。(詩篇119篇65節〜80節)

97.安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。現実には安全というものは存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。(ヘレン・ケラー)

98.
一、ポジティブであること
二、夢や目標、志を明確に持つこと
三、自責
━━━━━━━━━━━━━━
落合寛司(西武信用金庫理事長)

99.現実の世界には、成功の保証や行きたいところへ確実に運んでくれる線路はありません。でも保証できることが一つあります。それは、やらなければ、決して何も起きないということです。(アリス・ホフマン アメリカの作家)

100.
Zeal is a bad servant.
(熱心は悪い召使である)
「鹿を逐(お)う猟師[者]は山を見ず」
<その他の類似表現>
Too much zeal spoils all.

101.
Preconceived notions are the locks on the door to wisdom.
-- Merry Browne
先入観は知恵への扉に鍵をかけてしまう。

102.涅槃は私達が本来具えている「性」ですが、生死はそれが外に現象として現れた「相」であって、別のものではない。
「生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし、是時初めて生死を離るる分あり」
輪廻を解脱して涅槃の世界に達するには、人間界を生死しているうちに、煩悩即菩提・生死即涅槃を解することです。

103.
あなたを生かすために他の者が犠牲になった。
あなたのいのちを買い戻すため、
他の者のいのちと交換した。
わたしにとって、あなたは高価で尊いからだ。
わたしはあなたを愛している。
(イザヤ43:4)

“Since you are precious in My sight,
Since you are honored and I love you,
I will give other men in your place and other peoples in exchange for your life.
(Isaiah 43:4)

所感と祈り:
神の民に対する愛が宣言されています。
神様は、ご自分を礼拝する者を特別に扱われることを示しているのではないでしょうか。

わたしを神として礼拝する者はみな集まってくる。
わたしはそのような人たちを、
わたしの栄光のために造った。(イザヤ43:7)

神様はご自分を信頼し慕う者を特別に愛してくださるのだと思います。
神様からの豊かな祝福を受け取る者になることができますように。

主よ。私たちを呼び寄せてくださったことを感謝します。
その招きに応答した者は幸いです。
救いの恵みを与え、その恵みの中で生かしてくださることを感謝します。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

104.「銀にはるつぼ、金には炉、人の心を試すのは主。」(箴言17章3節)
*黙想と祈り
私たちの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価だと言われています(ペテロの手紙第一1:7)。試練は私たちの信仰を確かに成長させます。「父なる神様。試練の時に、背後にあるあなたの御手を信じて信仰をもって歩めるように守っていてください。」

105.81〜88節のところには、ダビデの詩篇の中によく見られる彼の苦しみの中での叫びに似ている。詩人は今、苦しみのただ中にいる。人々は偽りをもって彼を迫害し(86)、彼は絶望のどん底に至らんとしていた(87)。しかし彼は「みことばを待ち望んで」いた(81)。それは、彼が神のいつくしみによって生かされた経験を持っていたからである。89〜96節のところには、神とそのみことばの永遠性と確実性について述べている。ここでも、詩人は、彼が神のみことばによって生かされた経験を語っている(93)。私たちは神のものなのである(94)。この神が、私たちの真の喜びのために、みことばを与えてくださったのだ(92)。この事実を知ることは、私たちの慰めであり、また励ましなのである。(詩篇119篇81節〜96節)

106.明日を実現するための第一歩が昨日を廃棄することである。明日新しいことを行えるようになるための前提は、もはや生産的でないもの、陳腐化したものから自由になることである。「ピーター・ドラッカー(マネジメントの父)」

107.
Husband: I can't believe it, I've never seen you put the phone down after only ten minutes. How come!
Wife: It was a wrong number.
夫:信じられない、10分で受話器を置いたのを今までに見たことがない。どうしたんだ!
妻:間違い電話だったの。

108.自分の体に何を投与するかを決めるのは俺だ。(映画 ダラス・バイヤーズクラブより)

109.時が物事を変えるって人はいうけど、実際は自分で変えなくちゃいけないんだ。(アンディ・ウォーホル)

110.高いところから物事を見渡す、ということでしょうかね。自分の身の周りに限定されない広い視野を持つということです。フランスの知識人の間では、そういう考え方が伝統となってきました。モンテーニュやパスカルから、サルトル、カミュまでね。<篠沢秀夫>

111.
すでに主の恵みといつくしみを経験したのですから、乳を求める赤ん坊のように、熱心にみことばを求めなさい。
(1ペテロ2:2ー3)

like newborn babies, long for the pure milk of the word, so that by it you may grow in respect to salvation,if you have tasted the kindness of the Lord.
(1 Peter 2:2-3)

所感と祈り:
神様がまず私たちに愛を示してくださいました。
どのようなときでも私たちに恵みを注ぎ、愛し続けてくださいます。
そのお方を信頼し、そのみことばを慕い求めましょう。
乳を求める赤ん坊のように、生きるためにひたむきに。
みことばは私たちを養い、強め、成長させます。
主にあって、どのようなときも完全な信頼によって、平安をもって歩むことができますように。

主よ。みことばを慕い求める者に豊かな祝福を与えてくださることを感謝します。
あなたの恵みが私たちを包みます。
主のもとで憩わせてください。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

112.「主イエス・キリストを着なさい。欲望を満たそうと、肉に心を用いてはいけません。」(ローマ人への手紙13章14節)
*黙想と祈り
光の子どもとして歩む私たちは、イエスさまを身に着て生きる者です。「父なる神様。罪と肉の支配から解放された者として、イエスさまの似姿に変えられていく毎日を送れることを感謝します。」

113.97〜104節のところには、みことばを深く思うことのすばらしさについてしるしている。このみことばをいつも深く思っている人は、神がその人のことを敵にまさって賢くしてくださり(98)、すべての先生にまさって知恵を与えてくださり(99)、年をとった人たちにまさって物事をわきまえるようにしてくださる(101)。105〜112節のところには、私たちが人として生きていくのに必要ないのちの光としてのみことばについてしるしている。いのちの光としてのみことばは、私たちを生かし(107)、私たちが危険に行かず(109)、迷い出ないように導いてくれる(110)。たしかに、みことばは私たちが人間として歩む道において、正しく歩むことができるように輝く光である。(詩篇119篇97節〜112節)

114.お世話になった人たちや亡くなった両親への感謝の気持ちが人生を変えていく力を持っている。「八木功(ニーハオ食品会長)」

115.
過ちを改るに、自ら過つたとさへ思ひ付かば、
夫れにて善し、其事をば棄て顧みず、
直に一歩踏出す可し。
(西郷隆盛、「西郷南州遺訓」)

116.
It's not that some people have will power and some don't. It's that some people are ready to change and others are not.
- James Gordon Bennett
【訳】 意志力がある人もいればそうではない人もいる、ということではない。変わろうとしている人もいればそうではない人もいる、ということだね。
<ジェームス・ゴードン・ベネット:1841〜1918年。米国のニューヨークヘラルド新聞の発行人。>

117.
Confidence is contagious. So is lack of confidence.
- Vincent Thomas Lombardi
【訳】 自信は伝染していくものだ。そして自信のなさも伝染していく。
<ヴィンス・ロンバルディ: 1913〜1970年。 米国のプロバスケットボールのコーチ。>

118.
その時、天から声が聞こえました。「これこそ、わたしの愛する子。わたしは彼を心から喜んでいる。」
(マタイ3:17)

and behold, a voice out of the heavens said, “This is My beloved Son, in whom I am well-pleased.”
(Matthew 3:17)

所感と祈り:
キリストがヨハネから洗礼を受けた時に、天から聞こえたことばです。
神様のご計画のとおりにキリストがこの世界に来られ、その歩みが始まりました。
このキリストのおかげで、私たちは信仰によって救われ、神の家族とされています。
ですから、私たちも神様の家族に養子縁組された子どものような存在です。
私たちは血縁がなくても兄弟姉妹であり、互いに愛し合う関係に入れられました。
そして神様は私たちに対しても「愛する子」と呼んでくださるのだと思います。

主よ。私たちの存在も主が喜んでくださることを感謝します。
小さな者ですが、高価で尊いと宣言してくださることを感謝します。
どうぞ、この力の及ばない弱さのうちに主の御力を注いでください。
主が用いてくださいますように。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

119.「そして私はひざまずき、主を礼拝し、私の主人アブラハムの神、主をほめたたえました。主は、私の主人の親族の娘さんを主人の息子に迎えるために、私を確かな道に導いてくださったのです。」(創世記24章48節)
*黙想と祈り
アブラハムのしもべは、旅の背後にある神の摂理を知り、すべての栄光を神に帰し、礼拝しました。「父なる神様。どのような時にもすべての栄光を神様にお返しして、謙遜に歩めますように助けてください。」

120.113〜120節では、人間の考えと比較して、神のみことばについて述べている。人間の心は、とかく二心を抱きやすい。しかし神のみことばは違う。また人間の心はしばしば悪を行なう。しかし、神のみことばはそれと正反対である。人間の心は欺きにみちている。しかし、神のみことばはまことである。121〜128節のところは、ちょうど81〜88節のところがそうであったように、ダビデの苦しみの中での叫びを歌っている詩篇に似ている。これは、しいたげられている者の訴えである。しいたげる者は、理不尽に詩人をしいたげる。しかし、詩人はただ神にのみより頼んでいる。そして神にすべてをまかせ、「今こそ主が事をなさる時です」(126)と言って、神の救いの御業に大いなる期待を寄せている。(詩篇119篇113節〜128節)

121.われわれ人間は「生」をこの世に受けた以上、それぞれ、分に応じて一つの心願を持ち、最後のひと呼吸まで、それを貫きたいものです。「森信三(哲学者/教育者)」

122.
「悔い改めて、神に立ち返れ。神の国が近づいたからだ。」
(マタイ3:2)

“Repent, for the kingdom of heaven is at hand.”
(Matthew 3:2)

所感と祈り:
どのような罪人であっても、悔い改めて神様に立ち返るなら、神様は迎え入れてくださいます。
しかし、人間の努力では、そこにとどまることができません。
またいつのまにか罪の沼に戻ってしまうのです。
そのような弱い私たちのために、キリストが完全な救いの道を備えてくださいました。
御子の身代わりの死によって、私たちは救われます。
その救いは、行いや努力によるのではなく、信仰による救いです。
その恵みの中に入ることができますように。

主よ。罪深い私たちのために、信仰による救いを与えてくださったことを感謝します。
その恵みによって私たちは安心してみもとに進み行くことができます。
足りない欠けた者であっても、とりなしてくださる主の愛とあわれみに感謝します。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

123.「天の御国は畑に隠された宝のようなものです。その宝を見つけた人は、それをそのまま隠しておきます。そして喜びのあまり、行って、持っている物すべてを売り払い、その畑を買います。」(マタイの福音書13章44節)
*黙想と祈り
人生において本当に価値のあるものを見い出しましょう。私たちの心がそこにあるからです。「父なる神様。あなたこそが何ものにも代えがたい私の宝です。心から感謝します。」

124.129〜136節のところでは、神のみことばのすばらしさのために、その生きた神をしたい求めるということについて述べている。まことに神のみことばの霊妙さは、これを守る者にしてはじめてわかることである。みことばは愚かな者を賢くするし、歩みをたしかなものとし、不義に支配させることがないようにしてくれる。137〜144節のところでは、神のみことばの正しさが述べられている。神は正しいお方なのであるから、そのみことばもまた正しい。みことばは、私たちをさばく力を持っている。みことばは正義と真実をもって私たちに迫ってくる。どんなに悩みや苦しみの中にあっても、神のみことばは私たちを慰め、励まし、また、ほんとうの喜びを与えてくれる。また、私たちに知恵を与えてくれる。(詩篇119篇129節〜144節)

125.一所懸命、悔いのない瞬間、瞬間を生きていく。くよくよしていても始まらないから、シンプルに物事を考える。「高田明(ジャパネットたかた創業者)」

126.
Television is just chewing gum for the eyes.
テレビは目のチューインガムにすぎない。

127.国の安危存亡に関係する外交を軽々しく論じ去つて、何でも意の如く出来るが如くに思ふのは、多くは実験のない人の空論である。(伊藤 博文 長州藩士・政治家)

128.−人に自分のことを 想像される時 笑顔の自分を 思い浮かべられる 人間であれ−(井上敬一)

129.叩かれたからといって、へこんでしまうことはないわ。あれだけ叩いて卵を泡立ててもケーキはふくらむもの。(メアリ・ジョンストン)

130.
このバプテスマのヨハネの働きについては、その数百年前、すでに預言者イザヤが語っています。
「荒野から叫ぶ声が聞こえる。
『主のための道を準備せよ。
主が通られる道をまっすぐにせよ。』」(イザヤ40:3)
(マタイ3:3)

For this is the one referred to by Isaiah the prophet when he said,
“The voice of one crying in the wilderness,
‘Make ready the way of the Lord,
Make His paths straight!’”
(Matthew 3:3)

所感と祈り:
神様の救いの計画は成就しました。
私たちはその恵みを受け取ることができます。
神様が備えてくださった道を、信じて選び取ることができますように。
そこには、神様からの豊かな祝福があります。

主よ。私たちを整え、御心にかなう者へと成長させてください。
主に喜ばれることを行うことができますように。
すべてを主の御手におゆだねし、平安を受け取る者にしてください。
どのような道をたどったとしても、いつでもどこでもどのような状況にあっても、御手の中にあることを感謝します。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

131.「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。」(ヨハネの福音書10章14節)
*黙想と祈り
私たちがイエスさまに知られているとはなんという幸いでしょうか。しかも私たちはイエスさまのものなのです。「父なる神様。あなたの恵みに心から感謝し、私たちも心からあなたを愛します。」

132.145〜160節には、神との交わりをしるしている。神との交わりは、ふつうみことばと祈りによって行なわれる。ここで「呼びました」(145〜147)と言っているのは、祈りのことである。神との交わりは、朝早くなされ、また一日中行なわれ、さらに夜にもまた、なされる。153〜160節には、神の顧みを願う祈りがしるされている。ここには、「私を生かしてください」(154、156、159)という表現が繰り返されている。それは「みことばにしたがって」と「あなたが決めておられるように」と「あなたの恵みによって」と言われている。私たちが生かされるのは、神ご自身によるのである。そして、神のすばらしいご性格によるのである。(詩篇119篇145節〜160節)

133.慈愛のまなざしでまわりの人を見つめる心を持ちたい。観音さまのように。「横田南嶺(臨済宗円覚寺派管長)」

134.人生でも、企業でも、一度貧乏とか不況とかを立派にくぐり抜いてきたものなら、そいつはどこまでも信用できる。(本田 宗一郎 本田技研工業の創業者)

135.ふまれても ふまれても 我はおきあがるなり 青空を見て微笑むなり 星は我に光をあたえ給うなり (武者小路 実篤)

136.
このヨハネの教えを聞こうと、エルサレムやヨルダン川流域だけでなく、ユダヤの全土から、人々が荒野に押しかけました。
神に背く生活を送っていたことを全面的に認め、それを言い表した人たちに、ヨハネはヨルダン川でバプテスマ(洗礼)を授けました。
(マタイ3:5ー6)

Then Jerusalem was going out to him, and all Judea and all the district around the Jordan;
and they were being baptized by him in the Jordan River, as they confessed their sins.
(Matthew 3:5-6)

所感と祈り:
まっすぐに神への道を説く者のところに人々が集まってきます。
人の心の中には、本人が気付かなくても、神様を求める渇きがあるからではないでしょうか。
ヨハネのもとにはるばる遠方からも人々が押し寄せました。
そして教えを聞いて、自分の罪を悔い改めた人々には、洗礼が授けられました。
自分の罪を認め砕かれた心を、神様は喜んで迎え入れてくださいます。

主よ。伝達手段が格段に便利になったこの時代に、人々に福音が届けられますように。
まだ関心すら示したことのない心を開き、主がお入りくださいますように。
まことの神様がおられることを知ることができますように。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

137.「神よ 私の祈りを耳に入れ 私の切なる願いに 耳を閉ざさないでください。」(詩篇55篇1節)
*黙想と祈り
ダビデは自分の祈りを「切なる願い」と表現しています。まさに心を注ぎだした祈りです。「父なる神様。あなたが私たちの切なる願いにも耳を傾け、答えてくださることを心から感謝します。」

138.161〜168節には、神のみことばを恐れ(161)、喜び(162)、愛する者(163)は、神を心よりさんびし(164)、心には大いなる平安があり(165)、救いをつねに望み(166)、神の御前に歩む(168)ということがしるされている。169〜176節にも、神のみことばを守る者に与えられるさまざまな恵みについてしるしている。みことばを守る者は、知恵が与えられ(169)、おりにかなった助けが与えられ(170、173)、もろもろのことから救われる(144)。だから、みことばに従う者は神をさんびし(171、175)、神により頼む(170、173〜174)。たとい迷い出したような時にも、みことばは助けとなる(176)。(詩篇119篇161節〜176節)

139.最後はいつも何とかなる。「宮崎知子(鶴巻温泉元湯陣屋旅館女将)」

140.心の底から涙を流すことを知らない者は、本当に笑うことも知らない。(ゴルダ・メイア)

141.
しかしイエスは、「今はそうさせてもらいたい。なすべきことは、すべてしなければならないのです」とお答えになり、ヨハネからバプテスマを受けました。
(マタイ3:15)

But Jesus answering said to him, “Permit it at this time; for in this way it is fitting for us to fulfill all righteousness.”
Then he permitted Him.
(Matthew 3:15)

所感と祈り:
罪を悔い改める者たちに授けていたバプテスマを神の御子が受けられました。
私たちと同じところに降りて来られ、仕える者の姿を取られた御子の誠をそこに見ることができるのではないでしょうか。
キリストは、私たちの模範となられました。
ことばと行動でお示しになった教えに従う者となることができますように。
私たちは信仰によって救われましたが、まことの信仰は行いを伴うものなのだと思います。
口先だけではない真実をもって歩むことができますように。

主よ。何が主に喜ばれ、正しいことであるのかを見分けることができ、それを選び取って行動することができますように、成長させてください。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

142.「友はどんなときにも愛するもの。兄弟は苦難を分け合うために生まれる。」(箴言17章17節)
*黙想と祈り
よき友や兄弟は神様からの賜物です。神様はこれらの人たちを通しても私たちの必要に答えてくださいます。「父なる神様。私たちに与えられている友や兄弟姉妹を感謝します。お互いの重荷を負い合うよい関係を築いていくことができますように導いてください。」

143.救いを求めるこの祈りは、偽りと欺きとのはびこる情勢から生じたもので、精神的に追放状態にある人の叫びである。この詩篇の作者は、悩みの中から主に呼ばわって、答えられたという経験を持っていた。その確信から、神への救いを祈り求めている。うそつきや偽証人の社会にある作者は、真理を知っているがゆえに、悩み苦しんでいる。ここに述べられている激しい中傷は、当時一般には、神の宮と城壁を再建するのに反対したサマリヤの人たちの流言飛語と考えられている(エズラ4以下、ネヘミヤ4以下)。「ケダルの天幕」(5)とは、サマリヤの混血民族のことを表わしているのではないだろうか。「わたしは平安を...彼らは戦いを...」という難問の意識は(7)、熱誠こめて故郷エルサレムの周辺に帰ってきた人々を悩ましたものだ。(詩篇120篇)

144.世間の毀誉褒貶が触れえないだけの深いものを自分に持たなければならぬ。「安岡正篤(東洋思想家)」

145.変化に早く適応すること。遅れれば、適応できなくなるかもしれない。最大の障害は自分自身の中にある。自分が変わらなければ好転しない。(スペンサー・ジョンソン アメリカの医学博士・作家)

146.
A baited cat may grow as fierce as a lion.
(いじめられた猫はライオンぐらい獰猛になる)
「窮鼠(きゅうそ)かえって猫を噛む」
<その他の類似表現>
A stag at bay is a dangerous foe.

147.
Spoon feeding in the long run teaches us nothing but the shape of the spoon.
-- E.M. Forster
スプーンで口まで食べ物を運んでもらうと、結局はスプーンの形が分かるだけで何も身につかない。

148.人生あまり難しく考えなさんな。暗かったら窓を開けろ、光がさしてくる。(中村 天風)

149.
イエスが、バプテスマを受けて水から上がってくると、突然天が開け、イエスは、神の御霊が鳩のようにご自分の上に下るのをごらんになりました。
(マタイ3:15)

After being baptized, Jesus came up immediately from the water;
and behold, the heavens were opened, and he saw the Spirit of God descending as a dove and lighting on Him,
(Matthew 3:15)

所感と祈り:
イエス様が宣教をお始めになる前に、まずバプテスマを受けられました。
その時にご自分の上に御霊が下るのをご覧になりました。
その後、聖霊に導かれて荒野に行き、悪魔の試みに対し、みことばによって勝利されました。
そのときに悪魔は退散し、天使たちが来て、イエス様に仕えました。
そのような事があってから、イエス様は宣教をお始めになりました。
この順序には大切な意味があるのだと思います。

主よ。私たちを整えて、御用のために用いてください。
日々の歩みが御霊に導かれたものになりますように。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

150.「もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」(ローマ人への手紙14章8節)
*黙想と祈り
私たちは全生涯をかけて主を証しする者です。生を通しても、死を通しても主のご栄光を証しするのです。「父なる神様。私たちをあなたのご栄光をあらわす者としてお造り下さり心から感謝いたします。」

151.これは、詩人の詩篇として親しまれてきたものである。旅の前途は、喜びに満ちたものか、悲しみや困難が待ちうけているものかわからない。しかし、私たちの人生の旅路を全く守ってくださるお方は、私たちの救い主、天地の造り主、生けるまことの神である。捕囚から故国に帰ったユダの人々は、祭りのたびに、都上りの歌を歌いながら、エルサレムに上ったと言われている。この詩篇もその一つである。人間社会の栄枯盛衰にもかかわらず、少しも変ることなく泰然と構えている山々、それは旅人の不安をかき消すものであった。しかしもっと確かなものは、その山々も含めて、全宇宙を創造し、今にいたるまで支配される全能の神である。その神からこそわたしたちの助けはくる。主は私たちを守ってくださる。(詩篇121篇)

152.マイナスは自分の心掛け次第で必ずプラスになる。「戸澤宗充(日蓮宗一華庵・サンガ天城庵主)」

153.
So how are the acoustics of the new theatre? The actors can hear every cough!
ところで、新しい劇場の音響効果はいかがですか? 演者にはすべてのせきが聞こえます。

154.この世よりいい世界があるなんて思わないわ。モーツァルトよりいいものがある?あるいはバッハより?あるいはあなたより?(映画 ある愛の詩より)

155.笑いとばせるようなことを見つければいいのよ。(マヤ・アンジェロウ)

156.
怖いものがあっても、それ自体にわたしたちを支配する力はないわ。それを怖がる自分の気持ちに支配されてしまうの。真実を見つめれば、きっと不安から解放されるわ。<オプラ・ウィンフリー>
The thing you fear most has no power. Your fear of it is what has the power. Facing the truth really will set you free. <Oprah Winfrey>

157.
私たちはみな、すでに、イエス・キリストを信じる信仰によって神の子どもとなったからです。
バプテスマ(洗礼)を受けてキリストと一体とされた今は、キリストをその身にまとっているのです。
(ガラテヤ3:26ー27)

For you are all sons of God through faith in Christ Jesus.
For all of you who were baptized into Christ have clothed yourselves with Christ.
(Galatians 3:26-27)

所感と祈り:
神の子どもとされ、神の家族に加えられたことを感謝します。
キリストと一体にされているのだと書かれています。
そしてキリストを身にまとっているほど近くにいてくださいます。
誰よりも近くに誰よりも素晴らしいキリストがおられるのです。
なんという大きな恵みでしょうか。
この恵みは永遠に続くのです。
何ものによっても奪われることのない祝福と恵みです。

主よ。信仰へと導き、恵みの中に入れてくださったことを感謝します。
この世に生きている間は、問題が尽きることがありません。
しかし、その中でいつも共におられ、永遠の祝福を与えてくださっていることを感謝します。
主の恵みのうちに歩ませてください。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

158.「ラバンとベトエルは答えた。『主からこのことが出たのですから、私たちはあなたに良し悪しを言うことはできません。』」(創世記24章50節)
*黙想と祈り
アブラハムのしもべのことばを聞いて、リベカの父と兄は背後で働かれる主なる神様の導きを信じました。神様のみこころは私たちの心に従順と平安をもたらします。「父なる神様。あなたのみこころは必ず成し遂げられることを信じて心から感謝をいたします。」

159.エルサレムは、神がその名を置くために選ばれた所であった(申命記12:11、列王記第一18:29)。宮は神の家であり、すべての人の礼拝の中心であった。今日では、もうそのような意味での神の家はない。神を信じる者一人一人が神の宮であり、またそれらの人々が集まる群れ、つまり教会が、神の臨在するという意味での神の宮なのである。この詩篇は、礼拝のためにエルサレムに着いた旅人たちの気持をよく表わしている。彼らの旅の苦労は、もはやすっかり忘れ去られ、心は喜びでいっぱいになる。しかし地上のエルサレムでは、決して永続的な平和、真の繁栄を楽しむことはできない。私たちは真の平和の君が来られ、真の平和が存在する新しいエルサレムを望みながら、地上の旅を続けるのである。(詩篇122篇)

160.私は人が見過ごしたり、見逃したり、見捨てたりしてきたものを徹底して拾い上げ、それを大事にして今日まできました。「鍵山秀三郎(日本を美しくする会相談役)」

161.
The productivity of work is not the responsibility of the worker but of the manager.
(Peter Drucker)
「仕事の生産性は労働者が決めるのではなく、マネージャが決める。」

162.
You know you’re in love when you can’t fall asleep because reality is finally better than your dreams.
- Dr. Seuss
【訳】 君だって人を好きになると眠れなくなったりするだろう。 それは、現実が夢の世界より素晴らしいからだよ。
<ドクター・スース:1904〜1991年。米国の絵本作家。詩人、漫画家。>

163.
The human race has one really effective weapon, and that is laughter.
- Mark Twain
【訳】 人類は本当に効果のある武器をもっている。つまり、笑いという武器だよ。
<マーク・トウェイン:1835〜1910年。米国の作家、小説家。>

164.
しかしイエスは、お答えになりました。
「いいえ。聖書には、『人はただパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』(申命8:3)と書いてある。わたしたちは、神のすべてのことばに従うべきなのです。」
(マタイ4:4)

But He answered and said, “It is written, ‘Man shall not live on bread alone, but on every word that proceeds out of the mouth of God.’”
(Matthew 4:4)

所感と祈り:
私たちにとって神様の御言葉は私たちの内面の成長の食べ物として最高のものなのだと思います。
私たちを設計されたお方は私たちにとって何が大切なのかを一番ご存知だからです。
その御言葉に従うのは、私たちにとって間違いのない確かな生き方なのではないでしょうか。
神様は私たちに幸いを与えようとしておられます。

しかし、わたしに聞き従う人は、
何の心配もなく、毎日を平和に暮らす。(箴言1:33)

主よ。力不足で、失敗の多い者ですが、日々支えてくださることを感謝します。
どうぞすべてのことを最善への材料として用いてください。
失敗さえも、最善への足がかりと変えてください。
試練の中にある兄弟姉妹に特別に力を注いでください。
問題の中にあっても、揺るぎない平安を保つことができますようにお守りください。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

165.「イエスは舟から上がり、大勢の群衆をご覧になった。そして彼らを深くあわれんで、彼らの中の病人たちを癒やされた。」(マタイの福音書14章14節)
*黙想と祈り
イエスさまのまなざしはいつもあわれみに満ちておられます。そのまなざしは私たちにも向けられています。「父なる神様。あなたの深いあわれみを心から感謝いたします。」

166.この詩篇は、ユダヤ人がバビロンの捕囚から帰って来たあとで書かれたものかもしれない。神のあわれみによって、解放されたのちでも、ユダヤ人たちは、サマリヤ人やそのほかの人々の嘲笑の的であった。ユダヤ人帰国の指導者の一人であったネヘミヤは、「私たちをあざけり、私たちをさげすんだ」と言っている(ネヘミヤ2:19)。この詩人は、その時自分の味方になってくれるような強力な同盟者を求めて、嘲笑する人々を見下してやろうとは考えなかった。法廷に訴えることもしなかった。彼がしたことは、天に座しておられる方に目を上げるということであった。これこそ苦しみの時に勝利を得る秘訣である。その時、主は私たちを導いてくださるのである。しかし主から目を離す時、苦しみは耐えられなくなってしまう。(詩篇123篇)

167.「他に善かれかし」と願う、美しい「思い」には、周囲はもちろん天も味方し、成功へと導かれる。一方、いくら知性を駆使し、策を弄しても、自分だけよければいいという低次元の「思い」がベースにあるなら、周囲の協力や天の助けも得られず、様々な障害に遭遇し、挫折してしまうのです。「稲盛和夫(京セラ名誉会長)」

168.
イエスは言い返されました。
「『あなたの神である主を試してはならない』(申命6:18)とも書いてあるではないか。」
(マタイ4:7)

Jesus said to him, “On the other hand, it is written, ‘You shall not put the Lord your God to the test.’”
(Matthew 4:7)

所感と祈り:
イエス様はみことばで、悪魔の試みに対抗なさいました。
悪魔は、みことばをも巧みに使って誘惑をしてきます。
みことばを理解するときは、聖書全体で神様が私たちに何を教えているのかを知っておくことが大切なのだと思います。
みことばを部分的に用いて私たちを不安にさせたり、偏った方向に導くような力から守られますように。

主よ。みことばを正しく理解し、語ることができますように、助け導いてください。
御霊によって私たちの理解を助けてください。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

169.「わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。」(ヨハネの福音書10章27節)
*黙想と祈り
真偽を見極めるためには本物を深く知っていることが必要です。いつもみことばを読み、主の御声を聴く訓練をしましょう。「父なる神様。あなたの細き御声を聞き分ける者としてください。」

170.これは解放の歌である。詩人はあたかも頭上を越える激流、逆巻く水の中で溺れようとする人のようであり、また猛獣の歯にくわえられているあわれな餌食、またわなに捕えられて、のがれようもない野鳥のようなものであった。もし神が味方でなかったならば、彼はいのちを失ったであろう。詩人ダビデは、今、イスラエルの国民について歌っている。主は彼らを救われた。どのような事態をも思いのままになされる全能の主、危機の最後の瞬間にでも、そこに介入して、救出を実現することのできる神である。私たちの助けは、ただ天地を造られた主のみから来るのだということを覚えつつ、ひたすら神により頼むことは幸いなことである。主に救っていただいた私たちは、どのような感謝を主にささげているだろうか。(詩篇124篇)

171.その時その瞬間でどうジャッジするかの積み重ねが人生。「宮崎知子(鶴巻温泉 元湯陣屋旅館女将)」

172.
His teeth have so many cavities, he talks with an echo.
彼の歯には多くの空洞があるので。話すとエコーがかかります。

173.知るだけでは不十分である。活用しなければならない。意思だけでは不十分である。実行しなければならない。(レオナルド・ダ・ヴィンチ イタリアの芸術家)

174.過去ばかり振り向いていたのではダメだ。自分がこれまで何をして、これまでに誰だったのかを受け止めた上で、それを捨てればいい。(ステーヴ・ジョブズ)

175.
「立ち去れ、サタン!『神である主だけを礼拝し、主にだけ従え』(申命記6:13)と聖書に書いてあるではないか。」イエスは悪魔を一喝しました。
(マタイ4:10)

Then Jesus said to him, “Go, Satan! For it is written, ‘You shall worship the Lord your God, and serve Him only.’”
(Matthew 4:10)

所感と祈り:
神の御子であり、ご自分のことばに力のあるお方が、悪魔に対してみことばで応じたことはとても大切なことを示しているのだと思います。
みことばには力があります。
そのみことばを自分のうちに蓄え、自分の置かれた状況の中でその権威を用いることができますように。
みことばに従い、生活の中でみことばによって宣言し、適用していくことができますように。

主よ。私たちに生きた神のことばを与えてくださっていることを感謝します。
いつでもみことばを携えることのできるとても便利な時代に生かしてくださり感謝します。
この恵みを活かすことができますように。
御霊によって正しくみことばを理解し、生活の中で適用させてください。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

176.「あなたは私にいのちの道を知らせてくださいます。満ち足りた喜びが あなたの御前にあり 楽しみが あなたの右にとこしえにあります。」(詩篇16篇11節)
*黙想と祈り
神様が下さる喜びは満ち足りた喜びです。それはまことのいのちの道のうちにあります。「父なる神様。あなたが私たちの人生を喜びや楽しみで飾ってくださることを心から感謝します。」

177.自信を持て。頻繁に失敗しろ。不可能に対して健全な疑問を持て。(ラリー・ペイジ)

178.機を活かすには気力が旺盛でなければならない。

179.人間は何万年も、あした生きるために今日を生きてきた。(手塚 治虫 漫画家・アニメーション監督)

180.
この世の人々の生活や考え方をまねてはいけません。
むしろ、神に喜ばれることは何かを思いながら、なすこと考えることすべての面で生き生きとした、まったく新しい人となりなさい。
(ローマ12:2)

And do not be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, so that you may prove what the will of God is, that which is good and acceptable and perfect.
(Romans 12:2)

所感と祈り:
私たちの行動や態度には、私たちの考え方や価値観がにじみ出ます。
何を大切にし、どのような優先順位を決めるのかによって、人に対する優しさや思いやりが変わってきます。そしてそれらが私たちの品性として人に与える影響になってきます。
神様が忍耐をもって私たちを愛してくださっているように、私たちも互いに赦し合い、愛し合うものでありたいと思います。

主よ。どのような時にも変わることなく私たちを愛してくださるように、私たちも安定した心で人を愛し、良い関係を築くことができますように。
主に喜ばれることを考え、何が正しく、良いことであるのかを適切に判断し、選び取って行くことができるように御霊によってお導きください。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

181.「喜んでいる心は健康を良くし、打ちひしがれた霊は骨を枯らす。」(箴言17章22節)
*黙想と祈り
私たちのたましいの状態は、からだの健康にまで深く影響を及ぼします。自分の心をしっかりと見張りましょう。「父なる神様。どのような状況の中にも感謝と喜びを見いだすことができますように助けてください。」

182.ちょうど山々がエルサレムの町をとりまいて、危険を防ぐ天然の要害をなしているように、神の力は神の民をとりまいており、その城壁の中にいる民の安全はかたく保証されている。だから、主により頼む者の堅固さは、動かされることのないシオンの山にたとえられている。だから、この詩人は、悪の「つえ」(権威)が約束の国の中に長く留まることはできないと確信を持っている。しかし本当に神の力により頼むことを知らない人々は、人の力や人の作った神のご利益に頼ろうとする。イスラエルは神の力によってバビロンの捕囚から解放されたにもかかわらず、今また正しい道を離れて、以前彼らを約束の国から連れ去った国民の「曲がった道」にはいろうとした。しかし神を喜ばせようとする人に、神は幸いを与えてくださる。(詩篇125篇)

183.神の民として選ばれながら、神にそむいた罪の審判を受けて、バビロンに捕囚となっていた年月は、イスラエルにとっては長い悲しみに満ちたものであった。彼らは笑いを失っていた。だから、突如としてこの捕囚が終わった時、彼らは夢ではないかと疑ったほどである。神の愛とはしばしばこのようなものだ。まことの神を信じない異教の民もこのことを認めた。しかし彼らが帰ってきた所は、楽園ではなかった。田畑は長い間、顧みられなかったので、作物の出来は悪かった。罪から解放されて帰ってきたカナンでの生活は決してなまやさしい生活ではなかった。ちょうど私たちがみことばの種をまく時のようである。しかし失望してはならない。労苦の「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取」るのだからである。(詩篇126篇)

184.人間界のことは如何に心配したからとて成るようにしかならぬもの。○『渋沢栄一 人生を創る言葉50』より

185.明日のことを語れるヤツはゴマンといるが、昨日までのことをキチっとやれるヤツはほとんどいないんだよ。(タモリ お笑いタレント・司会者)

186.「平生業成」とは、人生の大事業、本当の生きる目的が、生きている今、完成できる、だからはやく完成しなさいよ、ということです。

187.最終目的を心の中に持って始めなさい。(スティーヴン・R.コヴィー博士)

188.人は何度やりそこなっても、「もういっぺん」の勇気を失わなければ、かならずものになる。(松下 幸之助)

189.
あなたがたの信仰の指導者であり教師であるイエスから、目を離さないようにしなさい。
イエスは後にある喜びを知って、恥辱をものともせず十字架にかかられました。
そして今は神の王座の右に座しておられるのです。
(ヘブル12:2)

fixing our eyes on Jesus, the author and perfecter of faith, who for the joy set before Him endured the cross, despising the shame, and has sat down at the right hand of the throne of God.
(Hebrews 12:2)

所感と祈り:
私たちの罪の責めをその身に負われ、十字架にかかられた主を覚えていることができますように。
私たちを完全に救うことができるみわざの完成を思い、肉体的にも精神的にも極限といえる苦しみを受けられました。
私たちはそのことを通して備えられた救いの恵みを、ただ信仰によって受け取ることができます。
そればかりか、主は私たちのさまざまな問題による悩みにもかかわってくださいます。
具体的な助けを与えてくださる主を信じて歩めますように。

主よ。いつも変わらない愛をもって支えてくださることを感謝します。
問題があっても今日まで守り導いてくださったことを感謝します。
思い煩うことなく、主の御手におゆだねする信仰をお与えください。
足りない所を補い、弱いところに力をお与えください。
置かれた状況の中で、適切に対処することができるように助け導いてください。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

190.「ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。」(ローマ人への手紙14章13節)
*黙想と祈り
私たちの目の前に置かれた主にある兄弟姉妹は、自分と同様にイエスさまがそのいのちを捨てて救われた尊い存在です。「父なる神様。私たちが自己中心になってさばき合ったり、つまづかせたりしてしまうことがないようにお守りください。」

191.イスラエルの人々は、帰国すると、国は荒地と化しており、家も宿屋もなかった。彼らは自分たちの住居が必要だった。その時、彼らが感じたことは、主が家を建ててくださるのでなければ、勤労はむなしいということだった。次に町や城を建てなければならなかったが、敵が襲ってきては石垣を造らせないように妨害した。主が彼らの生活をおもんばかってくださらなければ、心安らかではない。その次に、彼らは子どもを必要としていた。強い国民をつくるには子どもがたくさん生まれなければならなかった。これも主が与えてくださらなければ不可能である。子どもは親がつくるのではない。神こそ、新しい人間の受胎と誕生をなしてくださるお方なのである。だから何事でも、主なしに行なうことは、まことに愚かなことと言わなければならない。(詩篇127篇)

192.分不相応の志を持つ者だと笑われる事を畏れてはならない。無謀な挑戦をしなくなる己れの老いを畏れよ。(孫 正義 実業家)

193.
Bad [Ill] news has wings.
(悪い知らせには羽がある)
「悪事千里を行く[走る]」
<その他の類似表現>
Bad [Ill] news travels fast [quickly].
Ill [Bad] news runs [flies] apace.

194.
The best portion of a good man's life: his little, nameless unremembered acts of kindness and love.
-- William Wordsworth
善良な人の人生の最も優れたところ、それは、小さくて、人に知られることも、人々の記憶に残ることもないけれども、その行いが優しさと愛情に溢れているところです。

195.「なんのためにこいつも生まれて来たのだろう?この娑婆苦のみちみちた世界へ」(芥川龍之介『或阿呆の一生』)

196.「人生不可解」(藤村操)

197.「生きる意味、命の尊さを説明できた哲学者を知らない」(カリフォルニア大学教授のフィリッパ・フット)

198.人身受け難し 今已(すで)に受く(釈迦)
『生まれがたい、人間に生まれることができてよかった』という喜びの言葉です。『よくぞ人間に生まれたものぞ』という生命の大歓喜です。人生全体の目的を果たすことこそ、本当の生きる意味なのです。

199.なるべく人の世話役を心がけよ。そして、報を望むな。求むるな。「安岡正篤(東洋思想家)」

200.今あなたの身に起こっているひどい出来事を、ポジティブにとらえられるかどうか確かめてください。(ジョー・ヴィターリ)

201.
悪魔のどんな策略にも立ち向かえるように、神のすべての武具で身をかためなさい。
(エペソ6:11)

Put on the full armor of God, so that you will be able to stand firm against the schemes of the devil.
(Ephesians 6:11)

所感と祈り:
信仰は守りの盾、救いはかぶと、神のことばは御霊のくださる剣です。
悪魔は、醜いイメージがありますが、実際には、狡猾に善良な姿を取り、甘美な誘いによって巧妙に仕掛けてくるのだと思います。
しっかりと信仰を目をもって、悪魔の策略を見破ることができますように。
一番大切な頭を守るのは、救いの恵みです。
神様の愛と恵みを心に満たしていることができますように。
イエス様がなさったように誘惑には神様のみことばで戦うことができますように。

主よ。御霊によって導き、いつも信仰による聡明をお与えください。
なにがみこころにかなうことであるのかを正しく判断させてください。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

202.「イサクは、その母サラの天幕にリベカを連れて行き、リベカを迎えて妻とし、彼女を愛した。イサクは、母の亡き後、慰めを得た。」(創世記24章67節)
*黙想と祈り
アブラハムのしもべは無事にリベカを連れ帰り、イサクは彼女を妻としました。神様はみこころの成就のために人をお用いなさるのです。「主なる神様。あなたが摂理の導きの中で時として人を用いられることを学びました。私もあなたに従順に従うことができますように助けてください。」

203.この詩篇は、巡礼者のよき主人とその家族について歌っている。よき人とはどんな人かというと、まず第一に、主を恐れる敬虔な人である。信仰はいつまでも現実の場において、その力が発揮される。つまり、その時、仕事の中において示される。信仰と仕事とを分離する考えは正しくない。勤労をとおして神の栄光を現わすのが信仰である。その人には平安が与えられる。いっさいの必要が満たされ、生活の心配はいらない。そのようなよき人には、よき妻がある。よき妻は夫を支えてよき実を結ぶ。またよき人にはよき子どもが与えられる。またよき人は教会の柱である。またよき人は真の愛国者であり、国の指導者である。「あなたはいのちの日の限りエルサレムの繁栄を見」(5)るというのは、そのことであろう。あらゆる点で祝福を受ける。(詩篇128篇)

204.判断して決めたら徹底する。「鈴木茂晴(日本証券業協会会長)」

205.
My wife is obsessively tidy. I just bought her a cuckoo clock and she's started putting paper under it.
私の妻は過度にきれい好きです。彼女に鳩時計を買ってあげたら、下の方に紙を敷きました。

206.今日あいつらから逃げても、明日か明後日には闘わなくちゃいけない。今日の僕には味方がいる。(映画 キッドより)

207.人間は、死ぬところに向かって、生まれた日から進んでいる。それしかわかっていない。あとのことは全部わからない。つまり、人間は、生まれてきて、毎日死へ向かって歩みつづけているということだな。そのことをよくのみこまねばならない。若いうちからな。(池波正太郎『男の素顔』)

208.人間とは何か。愚かな赤ん坊よ。無為に努力し、戦い、焦慮し、すべてを要求し、何物も受ける価値なく、小さな墓場一つが彼の得るすべてである。(トーマス・カーライル『何のために』)

209.たとえ可能な科学の問いがすべて答えられたとしても、生の問題は依然としてまったく手つかずのまま残されるだろう。(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』)

210.『生きる手段よりも、生きる目的はもっと大事』

211.『教行信証』が私に与えた指導教化は、ほとんど計り知れないほど大きいものである。(田辺元)

212.真仮を知らざるによりて如来広大の恩徳を迷失す。『教行信証』
「真仮(しんけ)を知らざる」とは、真(=人生の目的)と仮(=趣味や生きがい、目標)との違いを知らない、ということです。「如来広大の恩徳」とは生命の歓喜のことです。歓喜には、2つあります。1つに「欲望の歓喜」2つに「生命の歓喜」。「欲望の歓喜」とは、お母さんから、何かのお祝いにお小遣いをもらったら「かあちゃんありがとう!」という喜びです。おいしい料理を作ってもらった時の「かあちゃんありがとう!」もそうです。「生命の歓喜」とは、「かあちゃん、生んでくれてありがとう!」人間に生まれてよかったという喜びです。「本当の生きる目的と、手段の違いがわからないから、生命の歓喜がないのだよ」ということです。

213.すべての障害は、形を変えた祝福です。(ジョセフ・マーフィー)

214.人間は、自分の精神を健全に発達させるためには、自分の厄介な獣性や狂気にたいして原罪めいた意識をもっていた方がよい。それが精神活動の根本条件だといわぬまでも、自分自身を一個のプロブレム(問題)ととらえて自己に懐疑を差し向けることは、精神にたいする調味料であり防腐剤である。人間が一切の苦痛から解放されて快感に打ち震えつづければ、そのとき精神の発達は停止するであろう。<西部邁>

215.
ですから、神の前に謙遜になりなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。
悪魔はしっぽを巻いて逃げ出すでしょう。
(ヤコブ4:7)

Submit therefore to God. Resist the devil and he will flee from you.
(James 4:7)

所感と祈り:
自分の力に過信することなく、いつも神様の助けを求める謙遜さが必要です。
神様の御力によって悪魔に立ち向かうなら、勝利することが約束されています。
近づく者に神様は近づいてくださいます。
あらゆる問題に対して、自分でなんとかしようとする前に、御前に助けを求めることができますように。
神様が最高の知恵を与え、最善への道を切り開いてくださいます。

主よ。いつも主がともにおられることを確信していることができますように。
問題に対して思い煩うより、思いを御前に注ぎだし、平安をいただくことができますように。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

216.「群衆を解散させてから、イエスは祈るために一人で山に登られた。夕方になっても一人でそこにおられた。」(マタイの福音書14章23節)
*黙想と祈り
イエスさまは絶えず父なる神様との交わりの中に身を置かれました。その必要をよくご存知でおられたのです。「父なる神様。あなたが私たちをもご自身との親しい交わりに招いていてくださることを心から感謝します。」

217.この詩篇は、巡礼者の歌の十番目のものである。国の過去について歌っている。イスラエルの歴史は悩みの歴史であった。四百年間はエジプトの奴隷時代、四十年間はアラビアの砂漠の生活、それからカナン人との戦いの時代、王国になってからの繁栄の時代、王国分裂時代、七十年のバビロン捕囚時代と、悩みは多くあった。イスラエルの民は、奴隷になっても捕囚になっても、エジプト化も、バビロン化もしなかった。どんな状態にあっても、神の特別な選民であった。しかも、彼らもしばしば神にそむいて偶像教に堕落した。しかしいつも神の恵みによって、預言者が与えられ、まことの神に立ち帰って救われた。彼らは神の御座でいますシオンを憎む者を容赦しなかった。それは、個人的恩讐を越えた神の栄光への挑戦だったからである。(詩篇129篇)

218.求める心が人生をひらく。「星弘道(書家)」

219.難度海(なんどかい)を度する大船。『教行信証』(親鸞)
まず、「難度海」とは、人生のことです。「度」というのは、「度する」「渡る」ということで、「難度海」というのは、渡るのが難しい海、人生を「難度海」と言われています。教行信証には、その難度海で溺れ苦しんでいる私たちを明るく楽しく渡す、大きな船があるぞと書かれています。ですから仏教を聞けば、どんな人でも、『難度海を度する大船』に乗ることができます。そして、「人間に生まれてよかった」と、苦悩渦巻く人生が、光明輝く人生に転ずるのです。そんな本当の幸せになることこそが、本当の生きる意味であり、本当の生きる目的だと仏教に教えられています。(中村僚)

220.
事有急之不白者、寛之或自明。
(菜根譚)
事、之を急にして白(あきら)かならざるものあり。
之を寛くせば、或いは自ずから明らかならん。
「ものごとは急いでも明らかにならない
ことがある。ゆっくりやって自然に
明らかになることもある。」

221.大道に入る門はなく、到るところが道なれば、無門の関を透過して、あとは天下の一人旅。「無門関」

222.春に百花有り、秋に月有り、夏に涼風有り、冬に雪有り。つまらぬ事を心に掛けねば、年じゅうこの世は極楽さ。「無門関」

223.
For it was not into my ear you whispered, but into my heart. It was not my lips you kissed, but my soul.
- Judy Garland
【訳】 あなたのささやきは、私の耳にではなく私のハートに届いたわ。 あなたのキスは、私の唇にではなく、私の心に届いたわ。
<ジュディ・ガーランド:1922年〜1969年。米国の女優、歌手。>

224.
Nothing on earth consumes a man more quickly than the passion of resentment.
- Nietzsche
【訳】 世の中に、鬱積した憤りの感情ほど人を瞬く間に消耗させてしまうものはないだろう。
<フリードリヒ・ニーチェ:1844〜1900年。ドイツの哲学者 >

225.
その翌日、イエスはガリラヤへ出発されました。途中、ピリポを見つけ、「さあ、ついて来なさい」と言われました。
(ヨハネ1:43)

The next day He purposed to go into Galilee, and He found Philip.
And Jesus said to him, “Follow Me.”
(John 1:43)

所感と祈り:
イエス様はご自分に従う人たちを集めました。
イエス様に声をかけられた人たちはすぐにイエス様について行きました。
声をかけられる前から、イエス様は彼らのことを知っていたのかもしれません。
ご自分に従う人々を予めご存知で、お選びになったのではないかと思いました。
主は、私たちにも声をかけてくださったのだと思います。
御声を聞いて従う者は幸いです。
主がその者を祝福し、用いてくださいます。

主よ。信じる人たちが共に集い、共に賛美することはなんと麗しいことでしょう。
心からの喜びをもって歌います。
御名があがめられますように。
主に栄光がありますように。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

226.「わたしと父とは一つです。」(ヨハネの福音書10章30節)
*黙想と祈り
イエスさまは父なる神様と完全に一つであられ、そのみこころを行っておられました。「父なる神様。イエスさまご自身がどのようなお方であるのかを私たちに示してくださり感謝します。」

227.これも巡礼者の歌である。ご臨在の御前に立ち、祈りをささげ、罪を告白して赦しを待ち、主の豊かな贖いをいただき、国の福祉を祈る詩である。これは七つの悔い改めの詩篇(6、32、38、51、102、103、143)の一つである。神の赦しを求めるこの悔い改めの祈りは、個人的なものであるが、捕囚期の国民的な自責の念を実によく表わしたものである。この詩篇は、苦悩のどん底に始まり、確信ある希望の高みで終わっている。」私は主を待ち望みます。私は主のみことばを待ちます。私のたましいは、夜回りが夜明けを待つのにまさり、まことに夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ちます」(5〜6)。これほどに、主を待望する期待がまたとあろうか。(詩篇130篇)

228.ただひたすら謙虚に努めていく人間にだけ、福がくる。『ポケット修養訓』(致知出版社刊)

229.限りある命で、限りない欲望を満たそうとしても、悲劇があるだけです。(中村寮)

230.摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益(りやく)。「歎異抄(たんにしょう)」
「利益(りやく)」とは幸福のこと。「不捨(ふしゃ)」とは捨てず、かわらない大安心ということ。「摂取(せっしゅ)」とはおさめとる。大満足できるということです。大安心・大満足の幸福ということです。今日の言葉では、相対の幸福ではなく、「絶対の幸福」といわれます。そんな大満足の幸福に、現在、生きている時になれると、言われているのです。生きる目的は、「摂取不捨の利益をえた」「絶対の幸福になった」というような、完成・ゴールがないと、目的とは言えません。あなたはこのまま生きていったら、何か人生のゴール、完成といえるものはありますか?相対の幸福は、キリがないのです。

231.世の中に奉仕すること自体が信用である。(本田 宗一郎)

232.名誉を失っても、もともとなかったと思えば生きていける。財産を失ってもまたつくればよい。しかし勇気を失ったら、生きている値打ちがない。(ゲーテ)

233.『ありがとう』の言える人間になりなさい。『ごめんなさい』の言える人間になりなさい。嘘をつくような人間にはならないこと。(いかりや 長介)

234.
目を上げると、イエスが歩いておられるではありませんか。
その姿をじっと見つめながら、ヨハネは「ごらんなさい。神の小羊です」と言いました。
(ヨハネ1:36)

and he looked at Jesus as He walked, and said, “Behold, the Lamb of God!”
(John 1:36)

所感と祈り:
バプテスマのヨハネは、自分の弟子たちに救い主を指し示しました。
正しい指導者は、自分の名声ではなく、真理をみつめ、人々を導きます。
人気に左右されるのではなく、何が正しいことで神様のみこころにかなうことであるのかを選び取ります。
神様は、そのような忠実なしもべに報いてくださるのだと思います。

主よ。真理に対する聡明をお与えください。
そして正しいことを選び取る勇気をお与えください。
人々に主が備えてくださった救いを指し示すことができますように用いてください。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

235.「私をみこころに留め 私に答えてください。私は悲嘆に暮れ 泣き叫んでいます。」(詩篇55篇2節)
*黙想と祈り
泣き叫ぶような祈りをささげるときにも、神様は確かに私たちをみこころに留めていてくださいます。私たちは答えを期待して祈れるのです。「父なる神様。どのような状況の時にも天の祈りの窓は開かれていることを心から感謝します。」

236.たいていの人はほんとうになにがほしいのか、心の中でわかっています。人生の目標を教えてくれるのは直感だけ。ただ、それに耳を傾けない人が多すぎるのです。(バーバラ・ブラハム)

237.人間は片手間仕事をしてはならぬ。やるからには生命を打ち込んでやらねばならぬ。「森信三(哲学者・教育者)」

238.
I'm not a yes-man. When my boss says No, I say No.
私はイエスマンではありません。ボスがノーと言うときは私もノーと言います。

239.考えることは最も過酷な仕事だ。だからそれをやろうとする人がこんなにも少ないのだ。(ヘンリー・フォード アメリカのフォード創始者)

240.
(1)聖書の通読―聖書の拾い読みではなく、聖書を順を追って日々何章かを読み進んでゆく。
(2)「ディヴォーショナル」(デボーションのための)と称される日々の短い読み物、特に、聖句の解説などに触れる。
(3)自分のたましい、心の状態を神の前にさらけ出して、思い巡らす。
(4)キリストにある兄弟姉妹、また、周囲の人々、さらに拡大して、全世界の人々を覚えて執り成しの祈りを捧げる。

241.花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身よにふる ながめせし間に (小野小町)

242.「祇園精舎の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり」(平家物語)

243.「諸行無常」は、あらゆる宗教と仏教を明確に分ける、仏教の旗印です。なんと、ほかに「諸行無常」と教えている宗教はないのです。必ず「固定不変の魂」なり、何なり、かわらないものが設定されています。(中村僚)

244.無常を観ずるは菩提心の一なり。
「観ずる」とは見つめること。「菩提心(ぼだいしん)」とは、本当の幸福になりたい心。「一」は「はじめ」と読みます。第一歩ということ。この「諸行無常」の現実を見つめることこそ、本当の幸福の第一歩である。一切の幸福は続かない。死によってすべてがはかなく崩れてゆく。残り1年の命となってもしなければならない人生で本当に大切なことは何なのか。

245.
「いっしょに来なさい。すぐにわかります。」
こう言われて二人は、イエスの泊まっておられる所までついて行きました。午後四時ごろのことでした。
その日二人は、それからずっとイエスといっしょにいました。
(ヨハネ1:39)

He said to them, “Come, and you will see.”
So they came and saw where He was staying; and they stayed with Him that day, for it was about the tenth hour.
(John 1:39)

所感と祈り:
イエス様は、私たちにも「いっしょに来なさい」と語りかけてくださいます。
声をかけられたアンデレたちは、すぐに従いました。
もっとよく知ってからにしようと躊躇するのではなく、もっと知りたいからついていくのです。
一歩を踏み出せなくて同じところを回っているよりは、まず行動してみることも大切なのではないでしょうか。
信仰による一歩のその先は、神様が開いてくださることでしょう。
道の無い所に道が開き、閉ざされた扉が開かれます。

主よ。限られたこの人生において、主とともに過ごす時間を持たせてください。
主に思いを馳せ、感謝をささげることができますように。
どうぞ、渇いた心を潤し、恵みの中を歩ませてください。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

246.「ことばを控える人は知識を持つ者。霊において冷静な人は英知のある者。」(箴言17章27節)
*黙想と祈り
ことば数の多いところには失敗もついて回ります。人の徳を高めることばを語れるように訓練していただきましょう。「父なる神様。私はとかく言葉で失敗しやすい者ですが、あなたの恵みによって成長できますように導いてください。」

247.ダビデが歌った都上りの歌である。ダビデは羊飼いであった。ダビデは王の権利を決して奪い取るようなことはなかった。王位についても、言いふらしたりはしない。かえって神によって選ばれ、預言者サムエルによって油を注がれ、サウル王によって宮に取り立てられ、多くの悩みの中より救われてイスラエルの王となり、ついに全国民の願いによって王位についた。よく国民の前にその罪と不行き届きをざんげして、ののしられてもののしり返さず、捨てられても国民に呼ばれるまで帰国しない謙遜な王であった。偉人は静かに落ち着いたものである。乳飲み子は母に乳をせがむが、乳離れした子は、母のそばにいるだけで安らかである。それは、ちょうど神の近くにいることによって安心している人のようだ。(詩篇131篇)

248.この詩篇も巡礼者の歌である。彼らの礼拝の中心は主であった。シオンは主の住まいであった。エルサレムの至聖所は主の宮であった。宮の中で最もきよいものは、その「御力の箱」であった。だから、巡礼者は宮の歴史を思い起こし、力の箱の安置されているところを歌うことは、ふさわしいことであった。この詩篇だけに「御力の箱」ということばが使われている。歴代誌第二、6章41節では、ソロモン王が、宮の献堂式の祈りの中で、この詩篇中の8〜10節を引用していることがしるされている。この詩は4つに分けられる。ダビデの誓い(1〜5)、御力の箱のこと(6〜9)、主の誓い(10〜12)、そして最後に、城が捨てられベテルもミツパもしばしばの住まいにしかすぎなかったが、シオンこそは永遠の安置所である。(詩篇132篇)

249.「なぜ生きるか」を知っている者は、ほとんど、あらゆる「いかに生きるか」に耐えるのだ。(ニーチェ)

250.上に行けば行くほど、傲慢ではなく謙虚になれる人が、本当のリーダー。「數土文夫(JFEホールディングス特別顧問)」

251.災難に遭遇しないのが最上の幸運なのに、人はこれを普通のこととし、災難に遭って奇跡的に助かると、非常な幸運とする。(海音寺 潮五郎 小説家)

252.四十九年 一睡の夢  一期の栄華 一盃の酒 (上杉謙信)

253.露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢 (豊臣秀吉)

254.お釈迦様は、人生は夢のようなものだと教えられています。死んで、夢がさめれば、すべて消えてしまうのです。(中村僚)

255.人間はただ電光朝露・夢幻の間の楽しみ。まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも、相添うことあるべからず。されば、死出の山路の末・三塗の大河をば、ただ一人こそ行きなんずれ。
「今まで頼りにし、力にしてきた妻子や金や物も、いよいよ死んでゆくときは、何一つ頼りになるものはない。すべてから見放されて、一人でこの世を去らねばならない。丸裸でいったい、どこへゆくのだろうか。」

256.
それからアンデレはシモンを捜し出し、「とうとうメシヤ(ヘブル語で、救い主)にお会いしたよ」と言いました。
(ヨハネ1:41)

He found first his own brother Simon and said to him, “We have found the Messiah” (which translated means Christ).
(John 1:41)

所感と祈り:
アンデレは、キリストに出会ったことを伝えるためにシモンを捜し出しました。
そして自分に起きた体験を伝えました。
私たちには、難しい教理をすべて理解していなくてもできることがあります。
自分に起きたことを語ることです。
自分の身に実際に起きたことは、誰にも否定することができません。
そしてそれを一番的確にできるのは自分自身です。
アンデレは、自分のできることを実直に行い、ペテロをキリストのもとに導きました。
それは実に大きな働きにつながることでした。
神様が私たちの小さなささげものを用いられるなら、大きな働きへとつながるのだと思います。

主よ。私たちが主に従い、ささげていくとき、その行為を用いてくださることを感謝します。
自分にできることから行動を起こさせてください。
そして主がその行動を祝福して用いてくださいますように。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

257.「そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。」(ローマ人への手紙14章19節)
*黙想と祈り
私たちがお互いの平和と霊的成長を焦点に生活するならば、人間関係は変わり、必ず祝福されます。「父なる神様。私たちが真に尊いものを追い求め、お互いを建て上げることができますように助けていてください。」

258.エルサレムの三大祭には、男子たちは全部集まってくる。もちろん多くの人々は自分の家族を連れてきた。そこで一つ心、一つ信仰、一つ希望のもとに、同じさんびを歌い、心を合わせて同じ感謝と祈りをささげ、一週間の交わりをして、睦まじく過ごすのが、イスラエルの人々の美しい風習であった。この詩篇は、その交わりの楽しみを歌っている。二つのたとえでこれを表わしている。一つは、礼拝の指導者の聖別式についてである。モーセがアロンの頭に油を注ぐことは、神の聖別の恵みを表わしている。もう一つのたとえは、同胞の愛にむつぶことは、ヘルモン山の露が下ってシオンの山にまで流れるようだというのである。これらのたとえは、いずれも、兄弟の交わりのすばらしさは、すべてのものに幸いを下すということを表わしている。(詩篇133篇)

259.
年弥々(いよいよ)高くして徳弥々たかし
【年を取れば肉体は衰えてくるが、心に修養を積んでいよいよ徳を高くしていこう】
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揚雄(前漢末の思想家)

260.チャンスが来るならば僕はそれを手に入れなければならない。次にチャンスが巡ってくるかどうかなんてわからないんだから。(ロジャー・フェデラー スイスのプロテニスプレーヤー)

261.「有漏路より無漏路へ帰る一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け」(一休)

262.『無明業障(むみょうごうしょう)の恐ろしき病』【有無同然(うむどうぜん)】

263.私たちが苦しんでいる原因は、欲や怒りや愚痴の煩悩なのですが、仏教の真髄からすると、苦悩の根本原因は、煩悩ではなく、無明の闇というくらい心だということです。無明の闇こそが、今回お話ししたすべての人がかかっている心の病であり、それさえなくすことができれば、煩悩はそのままで、絶対の幸福になれるわけですから、みんなの知りたいところです。(中村僚)

264.あなたが転んでしまったことに関心はない。そこから立ち上がることに関心があるのだ。(リンカーン)

265.
「先生。あなたは神の子、イスラエルの王です。」
(ヨハネ1:49)

Nathanael answered Him, “Rabbi, You are the Son of God; You are the King of Israel.”
(John 1:49)

所感と祈り:
ナタナエルは、ピリポからイエス様のことを聞く前から、イエス様に知られていたことに驚きました。
神様に対する畏敬の念を感じた告白なのだと思います。
私たちが神様を知るようになる以前から神様は私たちのことをご存知です。
私たちの置かれた状況も思いもすべて理解されるお方です。
その神様に従って生きることが私たちの最高の生き方なのだと思います。
神様によって祝福される歩みこそ、私たちの幸いです。

主よ。あなたは私たちの置かれた状況も抱えている問題もすべてご存知です。
私たちが具体的な祈りをもって求める時、その祈りを聞いてくださり、最善へと導いてくださることを感謝します。
主への信頼によって、平安をもって歩めるように信仰を強めてください。
いつでもどのようなときでも御手の中にあることを覚え、感謝します。
主の御名によりて、アーメン。

清水雅夫

266.「アブラハムは自分の全財産をイサクに与えた。」(創世記25章5節)
*黙想と祈り
神様の約束のとおり、イサクは父アブラハムの正式な相続人となりました。「主なる神様。あなたが約束されたことは必ず実現することを見せてくださってありがとうございます。ますますあなたに信頼する者としてください。」

267.これは、巡礼者の歌の最後のものである。祭りはすでに終わっている。明日は故郷へ帰る。最後の晩だ。帰らない人は主の家に仕える人だ。なんという名誉であろう。夜の間、宮を守る人である。その群れは二つに分かれ、一つは東に、一つは西に向かう。彼らは宮の囲いをまわって行く。出会う時、お互いにあいさつを交わす。夜明けになると、祭司たちは起きて身を洗い、服を着て朝の勤めの用意をする。くじでその勤めを決める。一週間の勤めをすると、その組は変わる。この詩篇は、衛士の歌とも呼ばれている。この詩篇は二つに分かれる。まず、主をほめたたえるために衛士を呼び出している(1〜2)。そして次に衛士の祝祷がささげられている(3)。一週間の勤めが祝祷で終わるのはすばらしいことだ。(詩篇134篇)

268.自分の価値観で人を責めない。一つの失敗で全て否定しない。長所を見て短所を見ない。心を見て結果を見ない。そうすれば人は必ず集まってくる。(吉田 松陰 幕末の志士)

269.われ心得顔のよしにて、何ごとを聴聞するにも、その事とばかり、耳へも確々とも入らず。(蓮如上人『御文章』)
「そんなことくらい、自分は分かっているという顔をして、何を聞いても、これはこういうことだろうと思い込んで、結局聞いていない」

270.人は誰かを輝かせようと思った瞬間に、一番輝く。「佐藤仙務(仙拓社長/脊髄性筋萎縮症の起業家)」

271.流行とは時代遅れになるものよ。(ココ・シャネル)





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