実家で物を整理していたところ、1987年頃(私が32歳の頃)の詩が出てきました。随分と深刻な詩を書いていたようです。当時はヤスパースの哲学書とリルケの詩集を必ず持ち歩いていました。
仮面
ちょうど死を迎える人が
こころの牽引力を失うように
もろもろのものを解き放ちながら、自ら
人格と呼ばれる仮面をはぎとる者よ
多くの人々が自分と認めている仮面を
しかし、それは異様に思われるのだろうか
しきたりと素朴な信と知を生きている人々にとっては
そこから立ち現れるものの群れは
人々が知らないと思っているもの
そして、もはや個の私というものもなく
流れ出て
他の人の限定に委ねながら
他の人の人格に加えられてゆく
(1987年8月27日)
空白
彼は何も望まなかった
大いなることも何も
ただ子供のような好奇心が
神秘への強い憧憬が
彼をひとつの高みへと導いたのだ
もはや彼も忘れている高みへと
そこからの現実へのアドリアネの糸は断ち切られている
戻るすべもなく彼は疲れ果て
子供らしさを失った今も
彼の内部の世界は溢れながら
空虚な心を満たすかのように
拒みながら受け入れ続けている
そこへ空白がふと襲うのだ
長い空白が
次第に長くなる空白
突如、老人と子供が語らっているのが目に入ると
彼は汽車を降りた
(1987年8月26日)
憂鬱(ソネット)
黒く重たい空が夏の空を被い始める
雨の予感に彼は窓辺に歩み寄る
まるで不安であるかのように装いながら
しかし、それは彼にとって好ましいことなのだ
この痛ましい現実が中断されるのだから
人々の中に存在するために
何と彼は多くのことを語らねばならないのだろう
意味ありげな言葉を
実現することのない未来を
それらを疲れ果てながら捧げていかなければならない
今日から明日へと
彼はもう消えてゆきたいのだ
ああ空は晴れてゆく
彼の心に黒く重たい雲を残して
(1987年8月24日)
たそがれ
どこまでもゆくがよい
夕暮れとともに解き放たれ
この並木道を覗き込んでいる
空と雲と光のたわむれの綾の中に
織り込まれてゆく心よ
ふと日々が親しくなるとき
それを受け止めながら
言葉を残して
心は離れてゆく
私が終わるところへ、そして
全てが終わるところへ
(1987年8月21日)
時
朝の雑踏の流れの中を
ひとりの子供が座っている
将来の希望と不安を担いながら、まだ
そのことに気づかずに
名もない小さな花のように
主張のない主張よ
ごらん
そこで時がせき止められているのを
ああ、もう私たちにはでkないのだ
あのように時を持つということが
(1987年8月19日)
通り雨
夏の日は時折思い出したように
既に日差しの濃い陰に隠れてしまった
森の緑を蘇えさせるために
通り雨を降らせるのだろうか
雨の後
木の葉はおもむろに香りを放ち
和らいだ光のもとで
この時をどう現そうかと
風にゆらめく
そこには微かな鈴の音が
ささやかなひとときが安らっているようだ
しかし水に濡れた葉は躊躇いがちに
鮮やかな緑を空に示し
ふたたび強い日差しを求め始める
(1987年8月7日)
別離
これほどまでに依存しながら
そして不安と苛立ちと悲しみの中にありながら
冷静なもうひとりの自分が
私とも思えぬ自分が
冷たい美しさの貴女を認め
美しい繋がりを差し出すこともできず
予感に過ぎぬものが言葉を駆り立てながら
口ごもらせる
二人の関係が他に共有されたとき
解くこともできぬ心ない誤解を
呼びながら立ち去らせる暗い夜を
ほとんど意味も分らぬその夜を
何度予感したことだろう
(1987年8月4日)
白き鳩
冷たき風のまだ吹くも
梅の花咲く古き社の坂の下
寒空より白き鳩の舞い降りて
いにしえ思いて再び飛び立つ
餌を差し出すわが手にも
鳩は止まりて餌をついばむや
白き鳩のみ知るらむわが思い
われ鳩を見るごとく
願わくば神よ
人を慈しみ給え
(1987年2月21日)
妖精
ケーブルカーの中は立体的なジグソーパズル
君との僅かな隙間が埋められない
こんな高い山に登ったのも
ここまで来れば
過ぎ去った想い出が見えると思ったから
ほら、片瀬の海で君と私が歩いているのが見えるでしょう
でも、貝を拾って来ると言って
渚に消えた君の姿とともに
春の霞の中に
海は隠れてしまっている
山はまだ冬の名残をとどめて
白い雪が残っているというのに
あの滝に向って一緒に歩いてゆく
君の足どりは妖精のように軽やか
そう、君は森の妖精
どこまで行っても滝の音は聞こえてこない
滝の水も枯らして私をからかう
「どこに、滝があるのよ?」
ケーブルカーの中は立体的なジグソーパズル
君との僅かな隙間が埋められない
(1987年2月10日)
音楽
外部から来るものでありながら
言葉を介さずに
私の心の奥深い内部と手を取り
私の精神を守るもの
ひととき、私の命とともに流れ
心の奥底では
一体であることをほのめかしながら
時の流れの中に横たわり
消えてゆく
そして、私を再び孤独へと突き放す
この孤独は精神の孤独であり
母なる精神からの孤立である
音楽よ
お前はどうして終わらなければならないのか
そして、命も
それでも何かが永遠に漂い流れ続ける
(1987年1月30日)
幻想
木枯らしが吹いてくる晩秋に
小さな島にある塔に登る
打ち寄せる波の音も遠く聞こえない
太陽に向い立ちすくむ
光が海原に黄金色の道を刻み
彼方へと続いている
空と海の区別のつかない所へと
この道はまた、遠い昔の異国の森につながっている
その森の木洩れ日の落ちているところでは
白い彫刻が立っている
光に霞む目
やがて輝く道に幻惑された目は
かろうじて貴女を認め、気づくのだ
貴女と語らっているということを
そうして貴女は私の心を覗き込み微笑む
(1986年11月30日)
梅雨明け
梅雨明けの予感
薄明かりの喫茶店
ジャズの濁った和音が暖かく漂う
時は止まり、失われた時が
やり場もなげに駆け巡る
紅茶の苦味に慰めのジャズバラッド
知ることもできぬ遠い昔への
思いも届かぬノスタルジア
もの憂い午後の夢
(1987年7月6日)
昼の夢
訪れをためらう今年の夏
くすぶる雨の中
オートリバースのカセットから
エリントンの甘い曲が
繰り返し流れる
Prelude
to a
kiss
僕は君を想う
霧雨に霞む公園の緑の中に
陽炎のように立ち昇る君の幻
夢の中に君を追う僕の影
けだるい昼の夢
(1988年8月15日)
噴水
あまりのまぶしさに
木の影に身を隠す
すると冷ややかさの中に
木々の葉とともに全ての存在が輝き出す
ささやかな光が光の中に隠れている
飛ぶ鳥の周りを
声をあげて
噴きあがる水の彫刻よ
お前は光の中の白い光
あまりに受容的な水の
常に姿を変えねばならなぬ
形のない彫刻よ
誰もお前を捉えることはできない
ただ理由もなく音と形の脈動を繰り返し
その姿をひととき輝かせ揺らめく水面へと映す
そのとき、それを支えるものはもはやなく
すみやかに、不安と祈りの形姿として帰ってゆく
それを生んだ源へと
(1986年11月23日)
復讐
こうして彼女への復讐は失敗した
どうやって、彼女を愛さずして理解できたというのか
彼女を理解して、私に芽生えた愛
いや、逆だろうか
愛と憎しみは両立しない
想い出
想い出は
今宵
追憶の彼方で
言葉の結晶となり
心の海に深く沈む
ひとつの隠された化石
当然のように
当然のように
雨の中、二人は出会う
ひとすじの髪の毛の端が
あなたの瞳の上をかすめ
柔らかい光を受けて
一粒の涙のように輝く
すると
あなたの心の海に溶け込むように
そして、雨のように
完成されることのない、この生の不安は
静かに消えてゆく
新年
冷たい澄んだ空気の中で
決心をする
正しく生きよう
新しい年の訪れ
ある秋の日に
秋の晴れた日の空と海は光の輝きの中
それはギリシャ神話の初めよりロマンティック
波は静かに寄せる
こころをおびやかしもせず
寒さ知らずのウィンドサーファー
空を横切る鳥の群れ
人は少ししかいないけど
秋の浜辺を愛する人はどんな人?
海辺のカフェの軽い食事
学校を抜け出したカップルが二組と少年が三人
まるで青春グラフィティ
微笑みと笑顔
追憶と感傷
ドライカレーの辛さに
キャロットジュースの甘さがまろやかです
遠いあなたへ
かの時には言葉にもならず
心の奥の大切な気持ちは今も胸に残っているが
今、やっと言葉になろうとする感情は
それを口にする機会も与えられず
返事も来るはずのない手紙を書き続ける
かつて私たちの内側からやっとの思いで出てきて
私たちを優しくつつみ
私たちを越えて消えていった
言葉一つ一つに
もっと敬意を払うべきであった
雪の重みに耐えかねて折れていた山の木の
枯れた色を眺めながら
聞えてきた老人の歌は
私たちが長い間、単に
実感できない現実を物語っていた
私はあなたの前で自分を限定しなかった
あなたは、やがて、
忘却の彼方に
私の真の姿を思い浮かべることなどあるだろうか
明日
30年以上前ともなれば
誰がなんと言おうと懐かしいものだ
少年の日の憧れは今宵夢となる
4月のパリ
ニューヨークの秋
スペインの夏の夜の星
アンダルシアの太陽と風と砂
夢のなかの彷徨
ギターをつまびけば
あの娘を思い出す
まるで昨日のようだ
思い出の若き頃
父の青春
母の青春
それらがあったことにさえ
何故か悲しみを覚える
されど、今友がいれば
語れるかもしれない
明日のことを
いや、それは馬鹿げたことだ
捨てて、捨てて、捨ててしまうがよい
失うものがなくなるまで
捨ててしまうがよい
明日のことに思い煩うな
僕は自分のダンディズムを
音楽に託すだけだ
それだけに生きよう
初夏の風
五月の空を初夏の風が流れる
もうすぐボサノヴァが似合う季節
それでもなぜか気分は
ボサアンティグア
ドリス・デイの歌に耳を傾ければ
もうこころはノスタルジック
Darn
that dream
You go to my head
Day by
day
無関心な時計の音
計算機の本が無表情に私を見つめている
ああ
そんな日が来るのだろうか
全てが懐かしい日
人生
子供よ遊べ
風よ吹け
枯れ葉は散って
気が付けば
既に冬
僕の誕生日
母が風になってしまってから
時は止まったまま
永遠の中でワルツを紡ぐ
ピアノを弾く
リコーダーを吹く
仮想電脳空間の友から
誕生日のお祝いが届く
自分でさえ忘れていた記念日
秩序なきところに秩序を
生きることは辛いこと
でも、今日
時が僅かに動いた
そんな気がした
色褪せた記憶
今ふとあなたの気配に目覚めます
私たちの時はいつだったのでしょう
しかし、あなたはいます
そして、私もいます
同じように雨垂れの音を聞きながら
そよ風は溜め息のように吹き起こり
もう遠いはずの二人の間をまだつないでいます
物憂い冬の日の錯覚に
軽やかにわきあがるなつかしさと
かすかな甘い期待は喜びへと変わってゆきます
これ以上なにを望みましょう
しかし、私たちはどこまでいるのでしょう
そして、私たちはいつまでいるのでしょう
同じように色褪せてゆく想い出を抱きながら
喜びが悲しみで綾なされてゆきます
喜びが不安で綾なされてゆきます
私たちの時はいつまた来るのでしょう
私のメルヘン
それは確かに秋の日でした
ふたりは海のささめきの中にありました
あなたは風に刻まれた岩に座り
行こうとする私を引き止めるのでした
そして、
あなたは父親をそしりながら
その語る表情は愛情に満ちているのでした
そんなあなたを好ましく思いながら
あなたの存在に心をひたすら傾けているのでした
ただ、動かぬふたりの関係と
限りない安らぎがあるばかりでした
冬に向かって弱まり行く秋に日の光は
そんなふたりに不思議な温もりを与えているのでした
永遠
この私の命は一瞬なのです
でも、この秋の光のなかで
この一瞬が永遠であることを知る時
私の心にはささやかな平安が訪れるのです
あなた
目を閉じれば白い部屋
あなたがピアノに向かっています
外は雨
窓ガラスを伝わる雫が悲しげです
向日葵
教会があり、保育園があり、
人の歩み行く並木道があり、
子供らがこの夏を
無事に過ごすのを見届けると
やけに背の高い向日葵の花は
秋を知り
自ら、頭を垂れるのです
それは敬虔な祈りの姿
そう思わせるのは
昔日の教会での日々
あの絵葉書に描かれたモスクでの老人の敬虔な祈り
道行く人々の追憶がふと形になったもの
リルケの神様の話
そうかも知れぬ
確かなことは
人々の想いを担って
来年も向日葵は花を咲かせること
多分、今年よりもいくばかりか明るい花を
フロッピディスクから出てきたような彼女が
明るく挨拶をする
「おはよう!」
横顔
優しげなる横顔の
憂いを帯たる横顔の
美しき横顔の
弱々しき横顔の
遠き横顔の
かの人に会いたる前に
完成されていた追憶
梅雨
梅雨明けの予感
薄明かりの喫茶店に
ジャズの濁った和音が暖かく漂う
時は止まり
失われた時が
やり場もなげにかけめぐる
紅茶の苦味
慰めのジャズバラッド
知ることのない遠い昔の
想いも届かぬノスタルジア
物憂い午後の夢
しゃぼん玉
どこからともなくシャボン玉が
ふんわりと飛んでくる
子供の夢が飛んでゆく
玉虫のように色を変えながら
それは子供の瞳
素直にまわりの世界を映して消えてゆく
全ては過ぎ去る
しかし、祈っておきたい
想い出だけは消えはしないと
心の中にしまい込まれ
きっといつか花を咲かせることを
そして死が静かに訪れるとき
ひとりの天使がそっと
その実を刈り取ることを
学問
学問の王道なし
数学を知らざるものこの詩を読むべからず
ゲーデルの不完全性定理を知らざるもの
この詩を読むべからず
熱力学に従わざるものなし
統計力学も力学的な熱力学の証明
何故フロイトはエネルギーを語りエントロピーを語らないのか
エントロピーは時間の矢である
それは死の予感である
ああエロスとタナトスよ
カラテオドリーの定理
花の名と北欧の神々の名との区別もつかない
若き日より
理解されぬために努力を重ねた
自然形而上学者は不幸な定めにある
アインシュタインの形而上学は幾何学である
点、線、超曲面は実在しないが、
それを観念できぬものは不幸である
時空は人間が存在しなくとも実在するだろう
ゆえにそれは脱構築不可能である
神は人間が考える程人間くさくはない
万物は多次元の超曲面である
それを予見したければ偏微分すべし
その総体を知りたければ積分せよ
されどそのすべはない
ポアッソンの方程式は解けないのだと
それを導出してから、大学教授は笑った
しかし、カタストロフィの理論があったっけ
ああ我が春はまだ遠い
ディオニッソス、アポロンは花か
ミモザ、リラ、ビバーナム、チューリップ、水仙、ラナンキュラス、バラ、フリージア
これらは春の神々か
今宵の月は言葉か物か
象形文字に鳴れた目に英語は難しい
時折通り過ぎる想い出は懐かしい追憶の彼方へと私を追いやる
昨日は、人生観は哲学の問題だと言って、外人教師を喜ばせた
知を喜ばないものは居るのだろうか
春の最中に
桜の花が身にしみて美しく感じられるようになった頃から
春がくると
公園を何度も往復し
桜の花が散るのを惜しむ
友人もいず、ただ
永遠の中に一瞬を感じるために
桜の花の複雑な軌道の錯綜の中を
一人歩いてゆく
孤独な老人に出会えば声をかけたくなるような
そんな春のひととき
セラミックの特性を支配していた超曲面が
懐かしく頭をよぎる
全ては幾何学に還元できるのではないかとふと思ったりする
一片の花が散るとき
人の命を思う
時の流れを感じる
不幸な論理である排他的論理和を計算すれば
それはひどく非線形で
ただ微分できることだけが幸いである
得られたものはただそれだけであったか、いや
グリーンスリーブスの旋律はドリアンである
そう思う時
まだ可能性を感じる
理論とは生成理論であらねければならない
ビル・エヴァンスのダンディズム
ポール・デスモンドのユーモア
デーブ・ブルーベックのリリシズム
これらを在らしめる動的生成運動
万物が再生する春にこそ確認されねばならぬ
「不思議の国のアリス」の旋律に踊るこころに
「ワルツ・フォー・デビー」の旋律に流す涙に
春の宵に綻び始めた桜の花は
吹く風に顔をそむけつつ
美しく、悲しげに
はらはらと石の上に散り始める
しかし、それはまだ春も半ばのことである
少年の夏
爽やかな夏の風
氷をいれたグラスの表面に結ぶ露
朝早く
公園に降りた露が
綺麗に緑を蘇らせていた
それは少年の夏休み
解ける氷が音をたてる
グラスを伝わる水の雫
そっと指でたどってみる
それとも、もういっぱいアイスコーヒーでもいかがですか
風に揺れる白いカーテン
僕の部屋は夏の空気に包まれる
僕たちは海岸へ出かけるところだ
ドビュッシーの音楽が流れる永遠の昼下がり
この瞬間を何に喩えよう
期待と夢
突然の雨
でも、もうすぐにあがる
雨上がりの虹
氷も解けてしまった
さあ、皆ででかけよう
心
春が来て綺麗な花が咲くように
私の心も豊かであればいい
夏の日の晴れた青い空のように
私の心も大きければいい
秋の日の柔らかな光のように
私の心も優しければいい
雪の降る夜のしじまのように
私の心も静かであればいい
春が来て
夏が来て
秋が来て
冬が来て
私の心も幾たびか四季を巡り
あなたの心と出会えればいい
木曾路
閉ざされた山に囲まれた町
細かく分岐した川の
いくつもの旧い木の橋を渡る
おびたたしい程の数の美容院
女たちは着飾り
道行く旅人を見つめる
この土地の過去を引き継いだ
秘めやかな眼差しに
キャサリンの笑みの浮かぶイメージを受け止めて
旅人はやがてこの町を立ち去ることになる
旅人は
学者のようにこの町のことを尋ね
かつて訪れた町のことを語る
それは夕暮れも近き黄昏時
山々は星空よりも暗く
ミネルバのふくろうの鳴き声の聞こえる頃
旅人の言葉にも
女たちは決して
この町を出ようとはしなかった
旅人の馬は
馬酔木の白い花を食べてしまっていたが
女たちは笑みを浮かべるばかりだった
夢
天使が人に恋すると人になるように
人に恋した狂人は何になるのだろう
僕はまた夢のなかで過去を救い出そうとする
思えばあの狂おしい日々
僕はなにを追い求めていたのだろう
人を愛するには
あまりに若すぎた頃に
しかし
これは運命だろうか
神の摂理だろうか
あれほどばらばらに見えたものが
ひとつの繋がりとなり
全ての偶然は必然となる
あらゆるものは一点に収束し
喜ばしき日が訪れ
そして、僕はまた夢を見始める
海
晩秋の海、それは
静寂の海
沈黙の海
夢の中にだけ出てくる海辺の家
玄関のところで傘をつぼめるあなたの姿
夢の中でだけ出会えるあなたと私
ここの賢い犬は
子供の頃、私の友達だった
語らいの中で時折わきあがる波の音は
私たちを祝福してくれる
誰も現実の中でだけは生きられない
勇気を与えてくれる音楽、そして
詩
夢
優しく迎え入れてくれる心の故郷
大きな海
小春日和
こんな小春日和の日には
近くの公園に出かけて
日向ぼっこをして
過去のことや未来のことを思うのさ
過去もそんなに悪いこともなかったけれど
よいことというほどのこともなく、それでも
何故かとても懐かしい
そうすると
なんだか明日は良いことが起こりそうで
僕は幸せな気持ちになる
そうさ
僕は微かな甘い予感に生きるのさ
この美しく木の葉色づく秋の日に
追憶
眼鏡の奥から
半ば車外の景色へ
半ば夢の中に
うっすらと窓へ
その横顔を映しながら
柔らかな優しさに満ちた眼差しを
どこえともなく投げかける人に
私の目は釘付けになる
限りなく遠い人の美しい弱さに
私の心はやるせなく重く沈んでゆく
この想いはあの人との半年の日々への追憶か
いや、この追憶は
それより以前に既に完成されていた
また私が私を笑っている
祈祷会
さながら異邦人のように
異なるしきたりの中に
ささやかな存在の足場を求め
拙い表現の祈りの中に身をまかせ
虚ろなまなざしを周囲に投げかける
信仰せられる神、遠い神、隠れた神、証明不能な神
信仰の不確実性を確信しながら
懐疑のない祈りに耳を傾ける大いなる矛盾よ
ああ祈りはながれ
をみなごに祈りはあふれ
聞く人の心静かなれば
しめやかに水曜の夜は更けゆく
悲しみ
ラベルの音楽を聴きながら
全てが淡くかすんでいく
音楽だけに開く心
うぐいす色の海を覆う雲は、いつも
黄金色の水平線までは隠さなかった
あの人々は
過ぎ去っていった人々の誤解と私の稚拙さ
私たちに悪意などなかったのだろう
そう信じて目は閉じ頭が垂れる
今はただ深い悲しみだけが...........
音楽にだけ開く心
誰にも悪意は無かった
きっと
知識
たとえ、全ての知識が与えられたとしても
それでも尚、
神秘は失われない
君はそう思わないか
今は全能の神でさえも
探求の道を終えていないのかも知れない
光
あなたがいて
僕がいた
あんなに近くにいて
僕たちはお互いが見えなかった
今、僕は気づいたんだ
ああ、あの時、僕たちにはなかったと
少しばかりの勇気と
愛という光が
メロディー
こころの海の底に
想い出という化石となった
凍った言葉の結晶を
アルコールで暖めてみれば
夢のようなメロディーが
溶け出してくる
秋雨
金木犀の香りが昨日漂っていたと思ったら
今日は秋雨が降っている
眼をつぶると
雨が屋根にぶつかる音や
車のタイヤの音が聞こえてくる
しばらくすると
元気だったころの母のことが思われて
僕は悲しくなった
曲がり
自然という存在はどうしてこうも曲がっているのだ
空間も重力で曲がる
あのセラミックの特性曲線の曲がり具合ったらなかった
これ程の曲がり具合は
ミロのビーナスも適うまい
真っ直ぐな、鏡のような心にしか映るまい
心よ、せめて
変なふうに曲がらないでくれ
正直に世界を映してくれ
ああ、高く大きな秋空よ
一瞬
一瞬よ止まれの
この一瞬を捉えるのだ
言葉で、
音で、
絵で
捕らえられた一瞬は
永遠の平面に投射され
永遠の命を得る
うららかに
心にわきあがる
一つの数学的概念
落ち葉
赤や黄色に色づいた落ち葉たちは
公園の地面をカーペットのように敷き詰める
その上を子供たちが走り回る
風に舞い上がる落ち葉は
秋の光を受けて
時折、宝石のように輝く
この宝石のような落ち葉を集めて
あのひとに捧げよう
永遠
ふと立ち止まり
綺麗な花に見入るように
僕は人生を生きている
僕の生はテロスに達している
全てを放棄した人に時間は流れない
無時間性に生きる時
人は永遠に生きる
僕はただただ自分の人生を鑑賞する
この人生は思いのほか美しい
僕はもう死んでしまった
だからもう死ぬことはない
ただ永遠を楽しむだけだ
赤い風船
明日は立春だというのに
今日は雨の降る寒い日です
子供の手を離れた赤い風船が
冷たい風に吹かれて
横断歩道を渡って行きます
車に轢かれるな、風船さん
自分の意思も持たず
風に吹かれるまま
この私も
何も望まず、明日のことに思い煩わず
運命に身を任せ
生きて行くひとつの風船
運命は神が巻き起こし、万物を動かす風
それでも、私は
明日には、少しピアノが上手になっているのでしょう
それは、ささやかな小さな希望
風に少し逆らってみたい家路の途中
心変わり
私はもう知らない
人がなぜ笑っているのかを
そして、私は知らない
人がなぜ泣いているかを
きっと、私がアインシュタインや相対性理論といった言葉が好きなように
彼らはフロイトや無意識といった言葉が好きなのだろう
それは、人それぞれ
所詮、皆生きている世界が違う
全ての人々とうまくやっていくのは
とても不可能なこと
今まで人目を気にしていたのも
彼らを尊重してのこと
しかし、それはもう止める
いくらやっても無駄だった
少し後ろめたい気もするが
私は宣言する
私はもうあなたがたのことは知らない
こころ
喜びと悲しみと
楽しみと哀しみと
愛と憎しみと
時には怒りでさえ
ただ見つめてさえいれば
それらは静かに消えて行く
やがてこの私も消えてゆき
静けさの中に
音楽が溢れ
存在を微かに震わす
想い出
シャガール
緑と赤と空飛ぶ人
幻想
女のたわごと
気をつけよ
単純で理解しやすい話に
シャガールが絵の中に愛を入れたと?
表参道の古いアパート群
ここを通ると
自分の知らない想い出があふれてくる
これは母が持っていた記憶の欠片か
何故か母のことが今は思い出せない
今私は公園にいるのだろうか
目の前にルソーの絵のような風景がある
鳩や名も知らぬ鳥の群れ
噴水の音
人々の戯れ
私たちはこんなに近くにいながら
決して語り合うこともないのでしょう
冬に咲くすみれの花
子供の声
冬でも緑の常緑樹
私は祈った
神よ私を見出して下さい
母はどこへ行ったのです
過去の到来
未来は私たちを待っていやしない
しかし、過去は私たちを待っているのだ
私たちが成長し、過去を理解できるよう時熟するまで
過去は私たちを待っている
脈絡もない現在の経験は
ふと過去の記憶に結びつく
そして、私たちは過去の新たな意味を見つける
現在の経験も、
今の私たちには決して分かりはしないのだ
私たちは未来のためにではなく
過去を救い出すために時熟する
現在の経験とは過去の到来への契機なのだ
私たちは未来において過去の意味を発見するしかない
未来は何も知っていない
未来における過去の到来こそ唯一の希望だ
伝えること
私が「私」という言葉を覚えた頃
私はまだ美しい田園風景の残っていた
東京の片隅に住んでいた
その当時の私には
私が生まれる以前から
こんなに美しい世界があったことが不思議に思えた
渾然一体となっていた世界と私が
その時に分離し
私は世界と対峙したのだ
やがて、私は気づいた
遠い昔から
この世界を先人たちが築き、守ってきたのだと
私は感謝した
ありがとう
もう、あの田園風景はもうないけれど
私も次の世代に何か残さないといけない
まだ間に合う
残っている美しい世界を
次の世代に残そう
私たちの先人たちがしてくれたように
私を忘れる
曇天の梅雨空の下
緑を愛でながら
何も考えず
ひとり自転車を漕ぐ
息を数える
人影疎らなれば
ふと
私は私を忘れる
それは
静けさと安らかさの訪れ
後悔
あの日
母を傷つけてしまった
それが悔しい
それが悲しい
父母
幼き日
母がいないと泣いていた
父の足に絡まって遊んでいた
そんな父母が死んでしまうなんて
老眼鏡
老眼鏡を掛けるようになってから
周りがよく見えなくなった
その分、気持ちが楽になった
不思議だな
万物
万物はロールシャッハの染みのようなもの
人は万物を見ているようで
実は自分の心を見ているだけ
万物を語るようでいて
自分の心を語るだけ
下手なことは言わないに越したことはない
孤独の中のバナナとゆで卵
私の好物はゆで卵とバナナ
バナナは最近食べないが
毎日、ふたつのゆで卵は欠かさない
もう、50年以上も前のことだ
小学校の遠足のお昼どき
私は、バッグからバナナとゆで卵を引っ張りだし
ひとりで食べ始めた
母が入れてくれたものだ
同級生は私に近寄らず、私も同級生に近寄らず
私の孤独癖は昔からだ
しかし、今でも、友だちやガールフレンドが欲しい
いや、昔からずっと欲しかった
できれば、このままで死にたくない
バナナやゆで卵の世話をしてくれた母ももういない
晩年まで、毎日のように電話をくれた父ももういない
亡き父母との別れこそ最大の悲しみだった
それも、なんとか乗り切った
本当は、深い孤独は私に親しい
しかし、時々人と話したくなるのも事実だ
なにごともほどほどだ
2〜3年前に理想的な状況になったが
現在はまた孤独に戻ってしまった
しかし、慣れているせいか、苦ではない
あぁ!私は一体何をいいたいのだろう
会いたいな
会いたいな
会いたいな
夢の中でもいいから
あんなに仲良く暮らしていた
お父さん
お母さん
夢の中に来ておくれ
会いたいな
会いたいな
お父さん
お母さん
待っていても・・・・・
待っていても、なにも来やしない。何も起こりやしない。人から見捨てられたこの私には何の希望もない。このまま死を待つだけだ。毎日、同じことを繰り返す。同じ道を通って、同じ公園を訪れる。同じ道を歩く。家にいても本を読むばかり。知る人は誰もいない。深い孤独によく耐えられるものだと、我ながら、呆れる。
まぁ、そうは言っても、生活に困っているわけでもない。人間、それだけで満足すべきかも知れない。
待っていても、何も始まらない。しかし、私にできるのは、HPやブログを更新することくらいだ。あとは、どうしてよいか分からない。
最近は教会に通っているのであるが、待っていても、神の声も聞こえないし、好きなあのひとも、私に近づいてこない。人工知能の消去主義は説得力がある。いくら、心に強く念じても、何の効力もない、他者にも伝わらない。直接、言葉で表現せずにどうすれば通じるか?
人間には本当に「心」なんてあるのだろうか?もし、あるならば、もっと実効的であっても良さそうなものだ。テレパシーとか念力とか、心に力があって、物事に作用できれば可能なはずだ。あの人も、私の気持ちに気づいてくれるはず。でも、口にはできない。「心」は存在しても、何事にも直接作用することはできない。あぁ!心は孤独だ。
悪夢と二月の春
毎朝、悪夢に目が覚める
起きているときには忘れている無意識からのメーッセージにうなされて
目が覚める
毎日のことだ
寝床にいるのも苦痛になる
就寝時に寝床に持ち込み、真夜中にはそれから開放されたはずの疲れが
早朝の悪夢とともに再びよみがえってくる
目が覚めても疲れきってしまう
いまいましく、私は寝床から身を起こし
朝食をとる
いつもの花が咲いている公園に行くのだ
あそこへ行けば、疲れがとれるはず
今日は、まだ2月なのに、春のように暖かい
この暖かさなら
防寒着では汗が出るくらいだ
ゆっくりと自転車をこぐ
消防署の前のあじさいはまだお化けのようだ
しかし、6月になれば
瑞々しい花を咲かせてくれるはず
自転車をこぐこと1時間
私は悪夢から解放され
疲れもとれ
元気を取り戻して家に帰る
帰宅後、気分もリフレッシュして読書に取り組むのだ
今日は何の本を読もうか
これが、私の毎日だ
これだけが、一生続くのだろうか
それを思うと、私は少し憂鬱になる
冬の日の午後
冬の日の午後
永遠は一日のようであり
一日は永遠のようであり
私はもう老人でも
幼子のような心がときおり沸き起こる
少年の頃のあの日の冬の日も
今日一日と同じで
変えられたと思うものは
私自身だけ
他のものは何も変わらず
永遠の中に佇んでいる
ふと、木枯らしの音
この木枯らしの音もいつか聞いたもの
私は思った
孤独の中で
変えられるのは私だけ
永遠の中で存在は姿を変えず
毎日、私と出会う
私はあなたと出会う
失われたあなたと
己を忘れる
どうして、こんな人生になってしまったのか
妻もいなければ、子もいない
国になんとかしてもらいたくても
国には金もないし、借金だらけだ
民間には金があっても
お前など必要ない、目障りだ、といった感じだ
社長にも、学者にも、首長にも、音楽家にもなれなかった
なににもなれない人間は価値がない
今さら、どうしようもない年齢だ
しかし、私は正直に生きてきた
自分に不利と分かっていても
自分に正直に生きてきた
すべて、自分が招いたことだ
この歳であがいても見苦しいだけだ
潔く諦めて
余生を充実して楽しんで過ごすだけだ
人間は皆死んで忘れられる
歴史に残る人物など本当に僅かだ
歴史に残っても悪名じゃどうしようもない
私自身も物覚えが悪くなった
最近数年のノーベル受賞者の名前も覚えていない
今年もらった人の名前を覚えてもすぐに忘れてしまう
人は皆そんなもの
自分のことで忙しくて精一杯
忙しくで心を亡くしているうちが花
孤独で暇になれば、嫌でも
自分の心に向き合わなければならくなる
いかがすべきか我が心
これこそ人生の一大事
己を忘れることこそ、平安の道
一事に没入し
無になり、無心になる
これぞ、安楽の道だと最近悟った
野の花
名もない野の草にも花言葉がある
それは、「自然のなつかしさ」
私は花の名前を多くは知らない
いつも午前中に訪れる公園には
すみれ、水仙、菜の花などが咲いていた
他の花々の名前は残念ながら分からない
今日は、まだ二月なのに春のような暖かさだ
河津桜が狂い咲きしていた
公園のキャノピーでは
木々の間から
小鳥のさえずりが零れ落ちてくる
私は二月の春を楽しむ
私の人生の春はいつだったか
大学在学中ではない
浪人時代だ
ひとつの目的に向かって
一心不乱に勉強できたのは充実して楽しかった
私は予備校へは行かず、宅浪をした
独学好きの私には向いていた
何事も、結果よりも過程だと思う
結果、結果と叫ぶ人は可哀想になる
結果は結果で、それに至る過程にこそ意義がある
結果が出なければ無意味だという考えもあるが、
それは、自分では何もやらない御仁の科白だ
過程にこそ楽しみがある、充実感がある
結果などくれてやってもいい、失敗してもいい
結果が出た後の虚しさを知らないのか
結果を利用するだけの御仁には分かるまい
浪人時代はもう40年くらい前のことであるが
私の生活は、それ以来、あまり変わっていない
今はまるで年老いた学徒である
学者の「野の草」版である
勉強、独学は楽しい
大変そうに聞こえるかも知れないが
そんなことはない
老子は、限りある身をもって、限りなきを追う、危うきのみ
と言ったが
限りなきを追う幸福もあると思う
でなければ、退屈だろう
尽きない好奇心を持てるとはなんと幸福なことだろう
そして、知れば知るほど、知らない領域が増え、好奇心が増すのである
本当に退屈することがない
私は幸せだ
二月の雨と沈丁花
春雨の降る
悲しみの隙間から
沈丁花の香の
漂う公園
花々や木の葉から滴り落ちる
雨の粒は
悲しむ人の涙のように
私をも悲しませる
果たせなかった夢の数々
それほど大それたことを夢見ていたというのではない
ほんのささやかな夢の数々
それらが、私を悩ませるというよりも悲しませる
雨に釣られて
私の心も悲しみが支配する
一番悲しきことは
愛されなかったことよりも
愛さなかったこと、愛せぬこと
私は両親に愛されて育った、しかし
父や母や弟を愛さなかったこと
それが私を悲しませる
今は愛する隣人もおらず
弟も遠く離れていってしまった
父も言っていたように
私は要領の悪い人間
しかし、誰のせいでもない
自分で招いたこと
せめて
この悲しみに堪えて
流されないでいたい
明日はきっと晴れに違いない
そんな気がする、かすかな予感
春の知らせ
甘い香りに
春の訪れの知らせを載せ
沈丁花の花が咲く
一房の沈丁花を取り
ポケットに入れる
春の知らせをポケットに入れ
私はどこまでも行こう
あなたに出会うまで
そして寒さに凍えているあなたに捧げよう
この春の訪れを
愛せよ、そして汝の欲することをなせ
と、聖アウグスティヌスは言った
私もそうしよう
神と孤独