ビル・エヴァンス(エバンス)の想い出

  初めてビル・エヴァンスの演奏を聴いたのは、高校時代のことだった。ちょうど、彼は日本公演の最中で、演奏がFM放送で流されたのである。放送された曲目は、「モーニング・グローリー」「グリーン・ドルフィン・ストリート」であった。「モーニング・グローリー」の演奏は終始聴きやすく印象派を連想させるものだった。「グリーン・ドルフィン・ストリート」の出だしの美しさには、はっとしたが、ジャズに慣れていなかったせいか、アドリブの部分はよく理解できなかったのを覚えている。その放送を録音し、テープレコーダで繰り返し聴いたものである。それがビル・エヴァンスとの最初の出会いであった。当時はジャズが廃れ、ロックが若者の支持を受けていた時代であった。私は何故か、オーソドックスなミュージカルやジャズのスタンダード・ナンバーやボサノヴァが好きで、友人と音楽の話をすると、話題が盛り上がらなかったのを覚えている。しかし、このようなタイプの音楽が好きな音楽ファンも多いようである。
  その後、初めて手にいれたのが、ビル・エヴァンスの「Intuition」(直観)というアルバムのLPであった。彼のアルバムのタイトルの特徴は抽象的で難しいところである。エディ・ゴメスとのデュオで、アコースティック・ピアノとエレクトリック・ピアノを交互に演奏しているアルバムである。油井正一のビル・エヴァンスもエレクトリック・ピアノの演奏となると、これまで凡庸なものかとの、辛辣な批評が妙に印象に残っている。しかし、評論家というものが、本当にアルバム全体を聴いているのかは疑問である。十分鑑賞するには、時間が必要である。このような批評にも関わらず、私にとっては素晴らしいアルバムであり、ハーモニーの美しさでは、彼の数ある名盤の中でも、出色の出来栄えであるという個人的感想を抱いている。特に曲目「The nature of things」の3拍子のロマンチックなハーモニーの美しい演奏は何度聴いても飽きないものである。ジャズとは一度聴いて分かる音楽ではなく、聴くたびに新しい発見があるような複雑な音楽である。自分の部屋ではなく、居間にステレオがあったため、夜中までそのアルバムを聴くことはできなかったが、もし、自分の部屋にステレオがあったら、朝まで繰り返しそのLPを聴いていたと思う。
  お金のあまりなかった学生時代には、苦しかったが、家庭教師で稼いだお金で、ビル・エヴァンスのリヴァーサイドでの伝説の4部作「Explorations」「Portrait in Jazz」「Waltz for Debby」「Sunday at the Village Vanguard」を手に入れ、生涯の愛聴版になった。特に、「Waltz for Debby」という曲そのものは、印象的なメロディーで、よく口笛を吹いたものである。私のワルツ好きはそれ以来で、現在ワルツばかり創っているのも、彼のこの曲の影響である。この4部作は伝説のベーシスト、スコット・ラファロとのインタープレイで有名である。この人はギターのようにウッド・ベースを弾くので驚いたものである。そのせいで、ドラムスのポール・モチアンが目立たなくなってしまったのは気の毒であった。その後、スコット・ラファロが交通事故死し、黄金のピアノ・トリオは現実には消滅したが、その名演は永遠に残ることになった。
  晩年のビル・エヴァンスはいわくありげなタイトルのアルバムを発表していたが、彼の悲劇的人生が背景にあるとは知らなかった。晩年のアルバム「You must believe in spring」もシンプルで美しいハーモニーを前面に打ち出した名盤である。「Intuition」も「You must believe in spring」も普段のビル・エヴァンスらしくないところがあるが、ハーモニーの美しさとシンプルさは、個人的には高く評価している。この評価に異存のある人たちは多いと思うが、あくまで私の評価である。70年代の彼は、テクニックを前面には出さず、凡庸になったと言われたが、私見では、彼のハーモニー感覚が研ぎ澄まされた時期である。特に「Gary's Theme」の瞑想的で静かな演奏は格別の印象がある。晩年の彼はフランス近代音楽を昇華させたようなピアノソロを時折聴かせてくれたが、彼が、もっと長く生きていてくれたら、そのような演奏をもっと聴かせてくれたであろうことを思うと残念である。彼が演奏中に倒れ、悲劇的最後を遂げたのは、1980年、享年51歳であった。私もその歳に近くなったが、感性が鈍いせいか、長生きしそうである。
  若い頃のビル・エヴァンスは極めてダンディで、知的な大学教授がピアノを弾いている趣があった。彼のダンディズムぶりは、Vap Videoの「Jazz625 Bill Evans Trio I&II」というDVDで窺い知ることができる。以前から時折雑誌で見る彼のポートレイトは気になっていたが、知的繊細さの化身という印象は否めない。男の私が彼の風貌に魅かれるのはおかしいであろうか。彼の演奏がかもし出すリリシズム、ダンディズムと一種の悲壮感は、彼の風貌と完全にマッチしているが、偶然の一致であろうか。
  私も、子供の頃から、ギターを弾いていたが、彼のピアノを聴くと、ギターという楽器にコンプレックスを感じざるを得なかった。32歳にして、ピアノに転向という無茶をしたのも、ビル・エヴァンスの早すぎる死がきっかけになっている。結果を言えば、ピアノという楽器はメロディーを作るのに適した楽器であるので、作編曲やDTMを趣味にしている私にとっては正しい選択であった。
  最後に、皆さんもできればビル・エヴァンスのアルバムを聴いて頂きたいものである。クラシックの好きな人も気にいるはずである。入手できるCDが少なくなってしまったのは残念であるが、宣伝だけはしたいと思う。彼こそは、フランス近代音楽の正統な後継者である。これだけは確かである。そして、私の青春そのものであったことも。


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