【仏教における最高の教えは「法華経」ではなく「阿呆陀羅経」にあった(本当は日本は無宗教じゃないかも?)】
(日本は無宗教と言われていても、次のお経の隠れ信者が多いという知られざる事実がある。)



 釈迦が最後に説いたのは、実は「法華経」ではなく、「阿呆陀羅経」であることが最近の研究で明らかにされた。これは、江戸時代末期に発見されたもので、私が見る限り、釈迦が説いた最高の真理を語った経典である。私が保証する。間違いない。信じて欲しい。信じるものは救われるであろう。阿呆陀羅尼経にはいろいろあるようであるが、偉大なる荒川キヨシ尊師による一節をウィキペディアから引用しよう。



仏説(ぶっーせーつー) 阿呆陀羅経  (ソラ阿呆陀羅経)
すなわちだんだん、手枕やっかい
いたこ和尚が、唱えあげます、諸芸の一座のお定まり
芝居で三番叟(さんばそ)か、相撲なら千鳥か、祭文(さいもん)なればー
でれん、のれんの能管しらべか
浪花節なら入れごと枕か、阿呆陀羅経とゆーやつは(ソラ)
はげた木魚を横ちょにかかえて朝から晩まで
親のかたきか遺恨のあるよに、あちゃむき、すかか、こちゃむきゃ すかか
すかすか、ばかばか、ばかげたお経にゃ間違いないわい(ソラ間違いないわい)
えーい、すかすか、ばかばか、ばかげたお経を 誰がやっても、
なんべんやっても、同じことではござります、ちょいと出ましたお笑いに
「ないない尽くし」を取り寄せまして、「ないない尽くし」と出かけよか、
「ないない尽くし」の事なれば、やれ無い、それ無い、なんにも無い
江戸の土地には畑が無い、畑にハマグリ、掘っても無い
箱根の山には番所が無い、三本、差したる侍無い
ぶっせき坊主は聞き手がない、
今日日のお子達は抜け目がない
年いったわたしは、めんぼくない
西洋の薬は典薬ない  下手なお医者でおぼつかない
そこで命がうけあいない
女郎さんには、月に六度の検査があるからはたけがない
それじゃというて、請け合えない
見かけの、小男悪くは無い
おひげの無い人、値打ちが無い 金銀贅沢限りがない
借金するよーがまわらない
晦日(みそか)の言い訳、屁でも無い
あたごの姉さん、まぬけが無い
置き屋の姉さん、誠が無い
お客は貧相で、登楼(あが)らない ある人、めったに使わない
ダルマの女郎買い、見たことない 
それ、お足が無いので、登楼(あが)られないわい
やれ、学校、開けん所は無い、 学校開けて、横文字書く人、数少ない
書く人あっても、読む人少ない、
まだ明治の気質は開けてない
今の姉さん、如才が無い、男のよりもり迷いが無い
歌わん芸者は、流行(はや)らない
河内の木綿でこがない
売りと買いとは自由が無い、取っても取っても、まだ足りない
異国に取られて、なんにも無い、
大きな声では申せませんが、刑務所の隣に夫婦は無い
馬方小便だらしがない、馬にも腹当てあってもフンドシ無い
フンドシのうても、見苦し無い
坊主にハチマキ、こたえが無い 禅宗坊主にカカが無い
尼寺さんには亭主が無い お布施の貸し借り、見た事無い
あることあっても、取りに来るような、お人は無い
天気の青空、はてしが無い
スリバチばちさんには蓋が無い、スリコギさんには鞘(さや)が無い
お乳母(おんば)の小娘 見たこと無い
親より年いった子供は無い 
上からあがったためしも無ければ、下から落ちたるためしも無い
消化器、小便、とめどが無い
砂地に小便、溜まりが無い うしろに目がない
女に気が無い、若いときゃ二度無い 三度は、なお無い
畳の三角、卵の四角、雪の振り袖 蛙(かわず)の横跳び
子供の紋付き、自動車の三階、地球の回転 こいつばかりは見たこと無いわい
これじゃばかりじゃ、お笑いにならなんで
なにか一席やったら、事の善し悪しわかろかなれどと 残す節づけ
あほだら経~
 「ご無礼を申しました」


 ここには、見事に仏教の「無」の思想が表現されていると言えよう。西田幾多郎を遥かに凌ぐ、「無」の解釈である。見事である。これ以上の経典は「無」かろう。日蓮の、たかが経典の名前を唱えるという、原始的な偶像崇拝に過ぎない馬鹿げた奇抜なアイデアも、「阿呆陀羅経」に適用すれば、効果覿面、笑う門には福来る、笑って元気になって病気は治る、元気になって働けば現世利益も確実というものですよ。さぁ、皆で、次の題目を唱える、「阿呆陀羅宗」を作ろう。教祖様は募集致します。無償ボランティアで結構です。勝手になって下さい。私は他にしたいことがありますので、ご協力お願い致します。肩書きは「神様」でも「仏様」でも、何とでもつけて、名刺をお作り致します。「名刺と判子屋さん」が御座いますので、そこで作りましょう。それが本物のご本尊です。50枚で1000円程しか掛かりませんから、お買い得です。お客様は神様です。では、題目を提示しましょう。真言宗も取り入れて三唱することに致しましょう。

「南無阿呆陀羅経、南無阿呆陀羅経、南無阿呆陀羅経」

法華講とやらを真似て、阿呆陀羅講を作りましょう。皆で、如何に、自分が、馬鹿で阿呆で既知外であるか、自慢、披瀝しまくって、ハッピーになりませう。ついでに、阿波踊りならぬ、阿呆踊りをして、体操をすれば、健康になって、長寿も期待できるっていうもんですよ。

では、皆様、ご一緒に。お客様は神様で御座います。さぁ、阿呆陀羅宗へようこそ!