ジーザス・クライスト=スーパースター 
         
                   〔エルサレム・バージョン〕


         

                              福岡シティ劇場 1階 S席  E列25番
                                               


                      当日のキャスト



  ジーザス・クライスト 柳瀬大輔   ユダ 芝 清道   マグダラのマリア 金 志賢
  大司教カヤパ 高井 治    アンナス 喜納兼徳   司祭1 長 裕二  
  司祭2  増田守人  司祭3 小林克人   シモン 高 榮彬  ペテロ 賀山祐介
  総督ピラト 村 俊英    ヘロデ王 半場俊一郎  
  

2004年6月11日(金)ソワレ

楽週も後半になりました。
週末が近づいて遠征組の方も増えているでしょうし、お客さまは8割がたの入りと
いうところでしょうか。考えてみれば、これまでチケット完売の日はたぶん5月29日
土曜日のマチネ公演だけじゃないかしら。
カテコも毎回盛り上がってるし、数は少なくても温度は高い劇場だと思うのですが、
空席があるのはもったいないな〜。


開演前、ホワイエで4月に放送された「ミュージックフェア」の収録模様が載っている、
会報誌「ラ・アルプ」増刊号を保存用に買い求めました。
これだけのカラー写真が載っていて、1冊100円というのが嬉しいことです。
改めて見ると、芝ユダの写真はおヒゲもないし、ちょっとふっくらした感じですね〜。



今日のお席は、最前列。
センターブロックでも上手寄りで、個人的にはベストポジションかも。
なんたって冒頭のアンサンブルシーンで村さんのお顔が見えますもの♪
高井さんも上手を向いて立っていらっしゃることが多いし、楽しみ。




オーヴァチュア


柳瀬ジーザスの登場。
ん?今日は髪がちょっと短いような気がします。jジーザスカツラにも髪が短いのと
長いのがあるのでしょうか。確かオペラ座のクリスティーヌはハッキリ髪の
長さが違う2タイプありましたよね。
と、こんなところでもオペラ座のことを思い出しては懐かしくなってしまふ☆



彼らの心は天国に


芝ユダのソロが始まりました。
昨日はちょっと芝さんの声がかすれてる気がしたけど、今日は調子が良さそう。
この場面で舞台にいるアンサンブルは、ジーザスとユダを除いて30人というところ
でしょうか。
よく見ると、のちにヘロデガール、ソウルガールになる女優さんも入ってますね。
つまり増田さんを除いた司祭とヘロデ以外はほぼ全員、この場面で登場していると
いうことなのかな。



ジーザスは死すべし


司祭軍団登場。
何度聴いても、この司祭グループの皆さんの声はいいですね〜。
小林さんには昨年、広島キャッツのデュトロノミーでお会いしたはずなのですが、
なにしろ初見の演目、全体を見るのに忙しくて、細かい印象は残っていません。
ただ、マキャビティにさらわれていく時、お年寄り猫にしてはスゴイ勢いで通路を
駆け抜けていったのがちょっと可笑しかったけど(笑)
目鼻立ちのハッキリしたお顔が印象的な小林さんは昔、ラウルも演じられたとか。
観てみたかったです。背も高いし、若造にしては頼りがいのある、力強い子爵様
だったのではないでしょうか。
当時のファントムは今井清隆さんだったようですけど、きっと重量級同士の戦い
だったんだろうなあ☆ 


喜納アンナス、今日は「それじゃ」の出だしがちょこっと遅れました。
今回、カヤパとアンナスの帽子の色が違うのに初めて気がつきました。
カヤパは黒、アンナスは焦げ茶なんですね〜。



ホサナ


高井カヤパは初日の頃に比べると、役に慣れてこられたのか、演技がハッキリして
きたような気がします。
民衆がジーザスを讃える様子を舞台手前から眺める時、高井カヤパは肩で荒い息を
しているように見えるんですよね。ここの演技も徐々に変化を見せてきたところ。
「この様子じゃ暴動が起こる 気をつけろ うるさいぞ」
カヤパの歌にアンナス義父さんが頷いていらっしゃいました。


群集とジーザスが歌う中、高井カヤパは悔しそうに、歯ぎしりするような表情を見せて
立ち去ります。
ファントムでも激しい演技はあったけど、こういう表情はあまり記憶にないなあ。
高井さんのファントムは、理不尽に虐げられる自分の人生に怒ってはいたものの、
こんな風に歯ぎしりするような、俗世的な憎しみを感じることはなかったような。



狂信者シモン


高シモンのソロ、やっぱり音程がはずれますね〜。
しかし今日は特にひどくないかい?ルックスが好きなだけにもったいないです。
・・と思っていたら、この日が高シモン最終日。
翌日から大塚俊さんに、シモンは交代となりました☆



ピラトの夢


村ピラトのソロ。
ここは安心して聞けるところですが、ラスト 「私を責めた」 の最後 「た」が
拝見するたびにどんどん早くなっているような印象を受けるのは、
気のせいでしょうか。

最後まで、夢の中にいるような、もしくは物思いに沈むような感じでしっとりと、
聴かせて頂きたいと思いますわムード歌謡好きとしては(笑)



私はイエスがわからない


結局、楽週はすべて金さんのマリア登場になりました。
井上マリアにもできればもう一度お会いしたかったな〜。


聞くところによると、金さんも熱心なクリスチャンだそうで、この役にかける
意気込みは井上さんに勝るとも劣らない、というところではないでしょうか。
ちょっと言葉が韓国なまりになるところもあるのですが、ラストの「愛してる」が
綺麗で大拍手がおこっておりました。



裏切り・賞金


今日は昨日の公演と違いカヤパに示された逮捕礼状を、芝ユダもちゃんと
見てます。逮捕礼状はユダに見せた後、長司祭さんが受け取って目立たない
ように、じわじわ巻いて片付けるのですね。
ふと「オペラ座」の冒頭「ハンニバル」のポスターを巻き取る場面を思い出して
しまいました☆



最後の晩餐


報酬として受け取ってしまった銀貨の袋を手に自責の念にかられるユダ。
渦巻き模様の照明の中で、現れたジーザスと向き合います。
このときの柳瀬ジーザスの表情がなんとも好きです。
なにも言わず、静かな表情でユダをみつめるジーザス。
自分を裏切り金で売ったユダを責めないのは、もう自分の運命が見えているから。
静謐という言葉そのもののようなジーザス。


ここは実際のこと、というよりもユダの心象風景の中だから、
より神格化されたジーザス像として立っているのかもしれません。


ユダはこのとき、ホントはジーザスに言葉をかけてもらいたかったんだろうなあ。
そんなことまでして、手を汚させて悪かったと。
マリアや他の使徒たちではなく、お前が一番自分のことを理解し、
想ってくれたのだと、言ってほしかった。
もっと言えば「愛している」の言葉を彼は待っていたのではないでしょうか。


「思うとおりに出て行くがいい」 「すぐに去れ!」と
激しく歌うジーザスは生身の青年として描かれているんですね。
ユダだけでなく、同じようにジーザスも苦しんでいる。
自分の運命を知ってはいるけれど、このときの彼は決してそれを悟りきっている
わけではありません。だから穏やかに「去りなさい」とは言えない。
感情が高まって涙をこぼすジーザス。


芝ユダも細い身体を震わせて泣いています。
この場面の訣別はなぜか、愛する恋人同士の別れみたいな印象がありますね。
「こんなにならずにすんだのに」のあとのシャウトが、泣き声みたいにせつなくて。


2,3歩、歩み寄ってから、きびすを返して走り去るユダの後姿が
傷ついた少年のように見えました。



ゲッセマネの園


聖書には、キリストは祈りの場に3人の使徒を伴って来て、祈っている間、
起きて待っているようにと言ったのに、戻ってきたら3人ともぐっすり寝込んでいた。
という話が出ています。
それを最後の晩餐と一緒に描いたようになっているので、ちょっとわかりにくい
かなあと毎回思って見ています。

別に良い年した大人が、夜中に一人でいるのがこわくて弟子達を
起こそうとしているわけではないのね(笑)

でも柳瀬ジーザスの
「誰もいないのか ペテロ・・ヨハネ・・・・・ヤコブ」 というセリフには
一人が不安でたまらない小さな男の子みたいな、なんともいえないムードが
ありますけどね〜。



逮捕


ユダとジーザスの悲しいシーン。
ゲッセマネまでのジーザスは生身の青年として悩み苦しみ、傷つくのですが、
この時から十字架にかかるまでのジーザスは、なにもかも洗い流されたかのような
静かな表情を見せるようになります。
ユダが自分に向かって歩いてくるのを、黙って待つジーザス。


キスと抱擁。


この親愛の情を示す動作が裏切りと死を意味する。なんて皮肉なんでしょう。
今日は芝さん、頬にキスしたあとジーザスを抱きしめる時間が長かったです。


だれよりも愛した人を、自分の手で窮地に陥れるユダ。
抱きしめた後、一瞬力が抜けて、ずるずるとくず折れるようになる表現がうまい。



「何が起きるのですか」と騒ぎだす使徒たち。あーもーキミたちは・・って感じ(笑)


ペテロが剣で、兵士の耳を切ったというのも聖書に出てくるエピソードですが
これも説明がないから、クリスチャンが決して多いとはいえない日本の観客には
理解しにくいところかもしれません。



群集がそれまでの支持から一転、ジーザスをあざける場面。
ジーザスにつばを吐きかける民衆もいるのですね。
下手で見ている司祭たち。喜納アンナスも嬉しそう。
でもそれ以上に満足そうなカヤパの笑みが印象的でした。



ピラトとキリスト


逮捕されたジーザスが総督ピラトの元につれて来られます。
総督も兵士がつき従っているはずなのですが、司祭軍団の方は衣装の統一感も
手伝ってホントに、徒党を組むいじめっ子みたいだなあ。
雰囲気だけは昔の不良って感じ(笑)



さて、動揺する気配も見せないジーザスの様子に驚いてひとりごちる、
村ピラトのセリフ
 「驚いたぞ まったく この静かな王よ」 が毎回、低くて渋くて、
それはそれは良い声なんですよね〜。
個人的には今回、村ピラトではこのセリフが一番グッときます。

あの声だけでも携帯の着メロにしたいくらい(笑)
・・・って、そんなの聴いた人の方が「驚いたぞ まったく」でしょうね〜☆



ヘロデ王の歌


暗転の間にヘロデ王の部屋が用意され、高井カヤパ、喜納アンナス、小林司祭の
3人が上手側に立って様子を見守っています。


日によっては高井さんが、ひらひらと真っ白い蝶のように舞うヘロデガールを、
じーっと目で追ってるように見えるのは気のせいでしょうか(笑)

ま、大司教といっても政治好きのナマグサ坊主ですから、別に良いけどね☆
でも、半裸の美女に心の中で舌なめずりしている、とことんヨコシマな大司教さま
・・なーんて役作りもアリかもしれません。


デキシーランドジャズ調の軽快なピアノの音楽、半場ヘロデの歌い方と曲調が
いまいち合わないけど、この曲そのものは好きだなあ。
ヘロデガール達がほっそりした手で軽やかにパチパチ拍手するのも
華やかな感じ。



やり直すことはできないのですか

初日の頃に比べると、ちょっとクセが出てきたけど、賀山ペテロの
「わかりはするけれど」の声も毎回楽しみにしています。
映画版ではホントに、遠くの丘というか山の上からペテロたちがジーザスを思って
歌っていましたっけ。



ユダの自殺


自責の念にだんだんと正気を失っていくユダ。
彼が死んだら自分も生きていられないほど、愛した相手なのに、なぜ金で彼を
売ってしまったのか。運命の神に利用されたのだとしか思えない。


なぜ自分がそんな役目を背負わされたのか、あれほど愛した男なのに。
なぜ彼が?  なぜ自分が?  なぜ、なぜ?


芝ユダの歌はもう、心の叫びそのもの。
客席の周りの人も泣いていらっしゃいました。



ピラトの裁判と鞭打ちの刑


鞭打ちシーンで、一番ショーゲキ的なのは、刑が始まった瞬間の
民衆の嬌声だと思います。
背中の痛みに、身体をのけぞらせる柳瀬ジーザスの姿は、お芝居だと
わかっていても毎回胸が苦しくなるところ。
39回の鞭打ち、最後のほうは痛みのあまり、ちょっと気を失ったように
反応が鈍くなってぐったりしてくるところが、またリアリティがあって。


この残酷なショーを後方で立って見ている、高井カヤパさま。
いつも左足を乗せておく石があるとみえて、あれ、きっと立ち位置の
目印にしてるんだろうなあ。
なんとなく、そんなところが高井さんらしいデス☆

で、村さんはたぶん、毎回、目見当で適当に立ってらっしゃると思うわ〜(失礼)


カウント20あたりで、ジーザスがカヤパの前に連れて来られた時が、
悪役大司教さまの本領発揮ですね。


高井カヤパは眉ひとつ動かさずにその様子を一瞥し、
「もういい。向こうへやれ」という風に右手で、追い払う動作をなさいます。

この手の動かし方が、なんとも高井さんらしい切れの良さ(笑)
初日あたりは、こんなにハッキリ手を動かしてなかったような気がします。
まさに冷血、氷点下の悪役ぶりが、サディスティックで良いわ〜♪


「助けてやりたい 愚かなジーザス」
対する村ピラトの逡巡と苦悩の表情も、いつも細やか。
権力者とはいってもいざとなれば、役人としての保身に走る弱さが
よくあらわされていると思います。


十字架にかけるよう迫る民衆の力に押されたように、ちょっとあとずさったり
迷う中で救いを求めるように、一瞬カヤパの方を見たりするのですけど
カヤパはクールな表情をくずさず、無言のうちに突き放してるんですね。


ついに苦渋の決意をするピラト 「お前が望むのなら 死ね!」

ここの声量と迫力、まさに「凄い」としか言いようのない声に毎回クラクラします。
あぁ〜あの声だけでも携帯の着メロにしたい・・(しつこいですね、スミマセン・笑)






いよいよラスト。
今日はいつもより血のりが多かったのか、いつまでもポタポタ落ちていて、
とっても怖かった。


十字架を見ている群衆は12、13人くらいでしょうか。
それも徐々に減って行き、最後は息絶えたジーザスとそれを呆然と見つめるマリア、
抱き合って嘆き悲しむシモンとペテロだけになります。
下手の穴からもう一人、使徒らしい人が出てくるのですが暗くて、お顔は
まったくみえません。


ジーザスがぴくりとも動かない中では青いライトの美しさが、絵画の背景のよう。
これはジーザスという生身の男の人生が、宗教的な象徴になった瞬間を
表現しているのかもしれません。




カーテンコールはいつも通りの華やかさ。
「スーパースター」の曲に乗って、次々に俳優さんたちが登場しては笑顔でご挨拶。
芝さんが傾斜の向こうから、ソウルガールを呼び出すのに、この日は
傾斜に片ヒザをつき、さりげなくもスマートな動作で、ちょいちょいと指招きしたのが
えらくカッコよかった〜♪



舞台奥に一列に並んで、芝さんと柳瀬さんはいつも何か言葉を交わしています。
きっと仲がいいんでしょうね。仲が良いといえば、司祭さんグループ、特に
小林さんと増田さんあたりはいつも、小突きあって笑ったりしているのが
なんだか微笑ましくて好き♪


客席はもちろんオールスタンディング。
この日も大いに盛り上がって、熱いカーテンコールになりました。





・・さて、ジーザス観劇日記の最後にふさわしい(笑)カテコの思い出話をひとつ。


高井さん、楽週は傾斜を走り上る時、パンタロンの裾を持ち上げなくなって
いましたけど、5月、たしか2回目か3回目に観劇したときかな。
傾斜を上りきったのにちょっとの間、なぜか優雅に裾を持ち上げたまま
こちらを向いて立ってらっしゃった日があって、これがもう、可笑しかったなあ☆



      「高井さーん、可愛すぎです〜悪役悪役!」(笑)








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