それはまるでスローモーション



けれど自分は動くことが出来なくて…



視界が真っ赤に染まった










〜wish〜












「ただいま…」

「お帰り快斗…って、お前どうしたんだ!」

雨の中帰ってきた快斗は片手に傘を持っているのにずぶ濡れで。

新一は急いで快斗にタオルを渡してやる。

「いったい何があったんだ?」

いつもの快斗とは身に纏う雰囲気が違って、新一は心配になる。

「別になんでもないよ。雨見たら濡れたかっただけ。あ、夕食作んなきゃね。」

そう言って快斗は髪を拭きながらキッチンに入ってしまった。

(いったい何があったっていうんだ)

快斗が言うように何もなかったとは考えられなかった。

あまりにもいつもと様子が違ったから。

けれど、夕食の時の快斗はいつもと何ら変わりはなくて…それが新一には心配でたまらなかった。








「新一はさ…人を助ける仕事してるんだよね…」

テレビを見ていた快斗がふと呟いた。

「快斗、お前何かあったんだろ?隠してないで言えよ。」

「新一は凄いよね。殺人事件の犯人とかさ捕まえちゃうんだからさ。」

「そんなに凄いもんじゃねぇよ」

「ううん、本当に凄いと思うよ。それで沢山の人を救ってるんだから。」

「でも、救えなかった奴もいる…」

すっと新一の目が細められる。そう…救えなかった人がいる…。

救いたくても…救えなかった人が。

「それでも、新一に救われてる人間の方が多いんだよ。」

快斗は何処か遠くを見ながらそう呟いた。

「でも、俺は沢山の人を傷つけてる。」

そう、昔は…シャーロック・ホームズに憧れていた幼い頃の俺はただカッコイイと思った。

『探偵』という職業が。

人がわからない謎を解いて、犯人を捕まえて…。ただ、カッコイイだけだと思っていた。

でも、現実は違った。

『探偵』になって思い知ったのは人間の複雑さ、傲慢さ、惨めさ、切なさ…そして悲しさ。

たとえ愛している人でも少しのすれ違いで殺してしまう。

そのすれ違いに後で気づいても、もうその人は帰ってこない。

残るのは、罪悪感と喪失感。

一生それを抱き続けて生きていかなければならない。

そして気づいた。何もかも暴いてしまう『探偵』は決してカッコイイものではないと。

それどころか、人の知られたくない過去の傷を再び抉り出して、それを白日の元にさらして…。

それは良い事なのか…それとも悪いことなのか。

時々自分でもわからなくなる。





タンテイハナニモカモアバイテシマウ


ソレハイイコト?ソレトモワルイコト?





「それでも、新一に救われている人の方が多いんだよ」

俺の考えている事の予想がついているのか、快斗は優しくそう言ってくれる。

(俺がなぐさめられてどうするんだよ)

新一は苦笑して改めて問い直す。

「いったい今日何があったんだ?」

嘘偽りを許さない、その澄んだ瞳で快斗を見つめて。








「事故を見たんだ。」

新一の真実を見抜く瞳に見つめられ、嘘はつけないと観念した快斗はぽつり、ぽつりと話し出した。

「事故?」

「そう、交通事故。小学生の男の子がね乗用車にはねられたんだ」

それを目撃したのは本当に偶然だった。

学校の帰り道、いつもの道をいつもの様に新一の待つ家へ向かって歩いていた。

その途中の交差点でその事故は起こった。

原因は乗用車の信号無視。

赤信号にもかかわらず凄いスピードで横断歩道を渡っていた男の子にぶつかった。

男の子は病院に運ばれたが、出血多量で死亡。

それはさっきのニュースで見たから間違えない。

片や、運転手の男はかすり傷一つなかった。

そう淡々と快斗は語った。

「でも、それはお前のせいじゃないだろ?それにそんな事…って言ったらいけないかもしれないけど、

 自分に関係ない事まで気にしてたらお前の身がもたねぇぞ。」

「そうなんだけどね、動けなかったんだよ。」

「動けなかった…?」

快斗の言葉を新一は怪訝そうに繰り返す。

「そう、動けなかったんだよ。助けられたはずなのにね…。」

そう自嘲気味に快斗は苦笑した。








あの時、俺は信号を渡ろうとしていた。

そう、男の子の一番近くに居たんだ。

猛スピードで突っ込んでくる車も、渡っている男の子も…俺の視界には全てが入っていた。

走れば…そう、走れば間に合うはずだった。

KIDとして、警察と組織と渡り合うために体は鍛えてあったはずだ。

それなり以上の運動神経はある。

あの距離なら、走って、男の子を抱えて…そう頭の中でシミュレーションして。

いざ走り出そうとしたその時、体が動かないことに気づいた。

一瞬理解できなかった。何故自分の体が動かないのか。何故自分は助けに走らないのか。

しかし、次の瞬間にはIQ400のその頭脳は答えをはじき出してしまう。

この瞬間ほど自分の頭脳を呪った事はなかった。

気づいてしまった…そう、体が動かないのではない。体を動かそうとしていないのだと。

では、それは何故か。何故自分は助けに走らないのか。

それは…まだやるべき事があるから…。もしもの事があればそれが達成できないから…。

そう『パンドラ』はまだ見つかっていないのだから。

あれを見つけるまでは俺は死ねない。あれを砕くまでは俺は死ねない。

それからはもうスローモーション。

車が段々と男の子に近づいていって、それでも男の子は気づいていなくて…。

そして、俺の視界は真っ赤に染まった。

救急車のサイレンの音も、周りに集まる野次馬の群れの声も何処か遠くに聞こえて。

俺はただ、真っ赤に染まった道路をただ眺めていた。








「最低だろ…人を一人見殺しにしたんだからさ。」

またも快斗は自嘲気味に笑った。それはそれは痛々しい笑みで。

「助けられたか解らないだろ?」

だから、そう言うのが精一杯で。

そんな事では慰めにならないと解っていたが、それでもそう言わずにはいられなくて。

「いや、助けられたさ。それに助けられなくてもせめて助ける努力ぐらいしても…」

最後の方は声にならなかった。泣くつもりなどなかったのに…涙が溢れてきて。

そんな快斗を新一はそっと抱きしめた。

「人間なんてそんなに綺麗なもんじゃねぇよ。関係ない人間まで全部守るなんて到底無理な話なんだ。」

「それでも…新一ならきっと助けたんだろ?」

そう、自分の恋人は優しいから。きっとそんな場面に遭遇したら迷わず助けるだろう。

それこそ、頭で考える前に反射的に。自分の身など顧みずに。

「解んねぇだろ。そんな事。」

「いや、俺には解る。新一は絶対に助けるよ。たとえそれが犯罪者であってもね。」

そう、新一ならどれだけ人を殺した犯罪者でもきっと助けるだろう。

たとえそれが、肉親や愛する人を殺した者であっても。

新一はそういう人間だから。






だからこそ思う…自分はなんと酷い人間なのかと。

なんと醜い心の持ち主なのかと。

そんな自分が、この人のそばにいて言いのだろうか?

この綺麗な瞳まで自分は曇らせてしまうのではないか?






オレハキミノソバニイテモイイノダロウカ?


オレハコンナニモヨゴレテイルノニ


オレハキミノソバニイテモイイノ?






「俺には新一の側に居る資格なんてないのかもな。」

快斗がそう呟くと新一は俺を思いっきり抱きしめた。

「馬鹿な事考えるなよ。」

「………」

「俺から離れようなんて考えるなよ!」

それはまるで呪文の様に俺の心の深いところに染み込んでいく。

「俺は快斗しか必要ない。それに俺はお前の考えているようなお綺麗な人間じゃない。

 もしもお前に怪我でもさせるような奴がいたら、俺は確実にそいつを殺すぞ。」

水に落としたインクのように深く広く心を侵食していく。

「もしもお前が俺から離れて別の奴のところにいったら、

 俺はお前も殺すかもしれない、そうすればお前は永遠に俺のものだろう?」

そう言って新一は暗く笑った。

そう、殺してしまえば他の誰かに取られる心配も、KIDとして一人で死なせてしまう心配もない。

ずっとずっと一緒にいられるから…それは世界一暗く甘い夢…。

「新一…」

「だから、側に居ろ。じゃないと何するか解んねぇぜ。」

そう新一は悪戯っぽく笑う。さっきの暗い笑みなどおくびにも出さずに。

「…んっ…了解♪」

そして快斗も同じように笑った。








よっぽど精神的に疲れたのだろう。

いつもは新一より先に寝る事などめったにない快斗が自分より先に寝ている。

規則正しい寝息を立てている快斗の髪を優しくなでながら新一は一人呟く。

「お前がそいつを助けなくて良かったよ。もし助けきれなかったらお前も一緒にいなくなってたんだからな。」

この世から…永遠に…。自分一人を置いて…。

そんな事は許さない。だってお前は俺に気づかせてしまったのだから。

自分でもずっと気づかなかった、心の暗く深い部分を。


快斗を大切だと認識してしまってから、新一は変わってしまった。譲れない者が出来てしまったから。

たとえ他の誰を犠牲にしても守りたいと思う者が。

そのためなら、人さえも殺しかねない自分に自覚した当時は戸惑うばかりだった。

そして初めて気づいた。愛する者を持つという事はこういうことなのかと。

今まで自分が罪を暴いても、殺人犯の気持ちなど絶対に理解できないと思っていた。

けれど、今では一部の殺人犯の気持ちは理解できるから。

それは他人からみればただの殺人。けれど本人にとっては愛する人を守る行為。

たとえそれでどれだけ人が傷つこうが、愛する人を守れればいいと。


「だからお前はそれでいいんだよ…」

そう、『パンドラ』が永遠に見つからなければいい。

そうすれば意地でも快斗は死なないだろうから。

そうすればずっとずっと一緒に居られるから。

でも、もしもお前が万が一ヘマをした時は…安心しろ…一緒にいってやるから。

新一は暗く笑うと、愛する恋人の隣で幸せな眠りについた。








本当は『パンドラ』なんてどうでも良かった。

KIDとして、それを砕かなければ。

親父の敵を討たなければ。

そういう思いもあったけれど、それよりも今は大切なものを持っているから。

そう、あの事故の時脳裏に浮かんだのは新一の事。

長年捜し求めてきた『パンドラ』でも、大好きだった親父の事でもなく、浮かんだのは新一の笑顔。

この世で一番大切な人。

だからこそ、体が動かなかった。いや、動かさなかった。

新一に会えなくなるのは嫌だから。何よりも大切な人だから。

だから俺は、新一をとって男の子を見捨てた。

そう言えばきっと、心優しい自分の恋人は悲しむから。

だから、『パンドラ』のせいにした。

永遠なんて惨いものを与えるもののせいにしても罰はあたらないだろうから。

俺は新一の側に居られるなら何だってするよ。

それこそ、新一が言った様に殺人ですらね…。

そんな事を思いつつ快斗は幸せな夢の続きを楽しんだ。








貴方の為なら何だっって犠牲に出来るから


貴方の為なら誰だって犠牲に出来るから


だから俺だけの側に居て


俺だけを見つめていて


それだけが俺の望みだから







END.


『月の生まれる夜』の架印様に献上したブツです。
最初は明るかったんですよ〜(苦笑)←誰も信じないって。
それが何時の間にかこんなに暗い話に…。




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