告げるだけが全てではない
告げるだけが良い事ではない
黙っている方が良い事も
見守っている方が良い事も
世の中多過ぎる程多いもの
だから、別に無理に言う必要はないんだ…
そうやって自分を誤魔化すしか術はなかった。
片想い【5】
その日、黒羽快斗は悩んでいた。
IQ400とも言われる天才的なその頭脳。
人目を惹く華やかな容姿、そして雰囲気。
手先の器用さは、マジシャンである為人並み以上なのは言わずもがなであるし、口先が達者なのもある意味裏の顔云々もあるだろうが、もしかしなくても元からの才能というのもあるだろう。
まあつまりは、黒羽快斗という男は、この優秀な人間が集う東都大学の中でも、顔良し頭良し要領良し、の三拍子そろった出来る男なのである。
そんな彼を今ここまで悩ませている原因は―――先日のあの一件である。
(やっぱり…何も言わずに普通に接した方がいいんだよな…)
大学の友人である――裏の顔でも好敵手ではあるが――名探偵の工藤新一。
その彼のかなりプライベートな部分を、先日からの色々(…)で色々(……)知ってしまった訳である。
ずっとずっと彼の想い人は幼馴染の彼女なんだと思ってきた。
それは裏の顔で何度か彼を助けた時でも、分り易過ぎる程分り易かった。
だからソレに関しては何も疑問に思わなかった訳で。
今になって冷静に考えてみれば、きっと自分と幼馴染の関係も周りにはこんな風に見えていたんだろうなぁ…なんてちょっと感慨深いものがあったりもするのだが、まあそれはこの際関係ないので置いておくとして…。
何はともあれ、快斗としては、彼の想い人が幼馴染以外の人間だとはまさか考えもしなかった。
それが先日、西の名探偵と称される服部平次の登場ですっかり覆ってしまった訳である。
一応表の顔では初対面(…)という事もあったにも関わらず、何だか突っ込んだ話までされてしまった訳で。
何をどうまかり間違ったのか、男である服部が男である工藤に告白したのだということまで聞いてしまった訳で。
まあ、確かに工藤は一見細くて華奢で、顔立ちも流石女優の息子と言うか何と言うか…まあ、その辺の美少女なんて目じゃないぐらい美人さんな訳だが…。
いかんせん相手は男だ。
快斗的には幾ら綺麗で細くて可愛らしくても、流石に工藤が恋愛対象になり得るとは思えない。
何たって健全な青少年。
抱くなら細くて可愛い男よりも、ちょっとぐらいぽっちゃりとした、そこまで可愛くはない、けれど女の子の方がましだと思ってしまう訳で。
まあ、それも良いとして…。
そんな服部のカミングアウトと共に告げられたのは「工藤の想い人が幼馴染の彼女ではない」という、余りにも衝撃の一言だった。
そんな事全く予想もしていなかった快斗にとっては正に寝耳に水の事態。
これは大変と後日工藤に詰め寄っても、工藤にしては珍しく返ってくる答えが歯切れの悪いもので、どうやら何かを隠していそうだから聞き出してやろう、と思ったら…昨日のアレである。
白馬鹿と工藤が自分が思ったより親しかったのには正直腹が立ったし、工藤が自分にすら話していない事を白馬には話していた事は正直ショックではあったのだけれど、今回は事情が事情。
しょうがなかったのかもしれないと自分に言い聞かせ、漸く事情が飲み込めたのだからまあ良いかとも思ったりもする訳ではあるが…。
(俺、今日工藤にどうやって接したらいいんだろ……;)
結局悩み所はそこである。
先日の服部のカミングアウトを聞いた後は、何も話してくれていなかった工藤が腹立たしくあっただけで、正直悩む事なんて何もなかった。
だが、結局のところ自分は工藤の色々を聞いてしまった訳である。
幼馴染が好きで。
でも男に告白(…)されて。
そんな相手(男)に気を使って他に好きな相手がいるなんて嘘をついて。
全く、工藤も本当に難儀だと思う。
そして、そんな気遣いで出た嘘を本気に取って彼に詰め寄ってしまった自分にもほんのちょっぴりの反省を覚える訳で。
しかも、白馬には「少し工藤君の事はそっとしておいたらどうですか?」なんて言われてしまった訳で。
だからと言って、あからさまに避けるのもどうかと思うし………。
まあそんな訳で快斗は正直―――とっても困っていた。
「あー…もう! どうしたらいいんだよ!」
「何か悩みごとか?」
「!?」
考えあぐねて口から零れた叫びに、予想しなかった声が返ってくる。
ビクッとして後ろを振り向けば―――今一番会いたくない人物がそこには立っていた。
「く、工藤! お前そんな所で何やってるんだよ…!」
「何って…これから文章理解の授業だろうが。お前サボる気か?」
言われて、快斗は頭に今日の時間割を思い描く。
今日は三限が教養科目の文章理解の時間。
工藤と同じ時間に取ったのをそれはもう、すっかり失念していた。
「いや、そういう訳じゃないんだけど…」
「だったら早く行くぞ? それにしても、中庭でベンチに座って、何か凹んでるっぽかったから声かけようとしたらいきなり叫び出すし…一体どうしたんだ?」
言われて、快斗は力なく「ははっ…」と笑うしかない。
二限の授業を受けるつもりで学校に来たは良いのだが、どうしてもこんな状態で授業を受ける気にはなれなくて、中庭のベンチでぼおっとしていたら…すっかり時間が過ぎていたらしい。
中庭を通った先にある、一般教養用の校舎で、今日工藤と授業がもし一緒でなかったら、もしかして夕方辺りまであのままだったかもしれない。
それを思うと、良かったんだかどうなんだか…と思う。
「いや、別に何でもないんだ…」
「何でもないって顔には見えないけど…?」
「いやいや。そんな事ないって。俺は今日も元気だよ〜♪」
あはは〜♪と軽く笑い飛ばしてみたところで相手はあの名探偵。
誤魔化されてくれる訳がない。
「無理すんなよ。どうせ気にしてんだろ?」
「いや、それは…」
「別に気使わなくていいから」
「あ……うん……」
ぼそっとそっけなく言われた言葉の中に含まれるであろう様々な感情を、快斗は複雑な面持ちで受け止める。
気にしなくてもいいと言われた所で気にしてしまうのは仕方ない。
気にしなくてもいいと言われた方が、寧ろ気になってしまうのも仕方ない。
でも、ここで変に気にして気を使って関係を維持しようとすればそれこそ、今までの様な友人関係ではなくなってしまうかもしれない。
快斗としても、新一は大切な友人というか、親友だ。
失いたくはない。
白馬にはああ言われたけれど、やっぱり気を使って距離を置くなんて事、自分の性には合わない。
もうここまで来てしまったら、逆に腹をくくってしまおう。
そう覚悟を決めた快斗は少しだけ沈んだ顔をしている新一を見て考える。
自分に今出来る、この微妙な蟠りを消す手段は何だろうと。
そして、一つのそりゃもう簡単な解決方法を思いついた。
「なあ、工藤」
「ん?」
「今日は放課後ぱあっと飲みに行こう!」
「は?」
「いや、だから…こういう時は飲むに限るって! うんうん!」
「何だよ…それ;」
裏の顔では怪盗だったり。
片や名探偵だったり。
そんな二人とて、普段は普通の大学生。
こういう時は、飲んですっきりさっぱり酒に流してしまうに限る!
「こういう時は飲むんだよ! 普通の大学生は!」
「……お前普通の大学生のつもりなのか?」
「やだなぁ…名探偵! 俺は表の顔はぴっちぴちの大学生だってばvv」
「………」
突っ込む気も失せたのは、はぁ…という軽い溜息が返ってきたけれども、それは快斗にとっては日常茶飯事。
さらっと流して、ぽんっと新一の背中を軽く叩いた。
「という訳で、今日の放課後は一緒に飲みにいこーな♪」
「…わあったよ」
溜息交じりに返された言葉に満足して、快斗は意気揚々と教室へと入って行った。
先に教室に入り、きょろきょろと席を物色している快斗を見詰めながら、新一はまた一人内心で溜息を吐く。
(ったく、人の気も知らねえで…)
先日の一件があって、服部には自分の快斗への想いはばれていて。
先日の一件があって、白馬が自分の快斗への想いを上手く誤魔化してくれて。
自分の周りだけで二人も自分の気持ちを知っている。
しかも、ごくごく親しい人間が「分り易い」という自分の気持ち。
これがいつ彼にばれるかと思うと、一瞬たりとも気が抜けないと思う。
新一は、正直先日の一件で反省していた。
快斗と親しくなり過ぎた、と。
名前こそまだ名字で呼んでいるけれども、それでも大学で一番仲が良いのは間違えなく彼で。
表でも、そして裏でまでも関係のある彼が気になって気になって仕方なくて。
好きだからどうしても少しでも近くに居たくて、ばれてしまう危険性があるにも関わらず近付き過ぎてしまったのは間違いなく自分の方だ。
だからこそ、今日からは少しは反省してちょっとばかり距離を置こうと思っていたというのに―――。
(大体、あんなとこでぼおっとしてるのが悪いんだ!)
今日は彼は二限から授業だった筈だ。
それなのに、中庭であれだけぼおっとしていたという事は、きっと二限には出ていない筈。
二限と三限の間には昼休みを挟む筈だが、彼はきっと昼休みもあの状態だったのだろう。
というか、自分が声をかけなければもう暫くあのままだったに違いない。
正直声をかけない選択肢も考えたけれど、きっと彼があんな風に考え込んでいたのは昨日のあの一件か、あるいはもう少し前のあの一件か。
どちらにせよ、自分のせいである事は変わりないから、流石に放っておくことは出来なかった。
とりあえず―――責任は取らなくては、と思った訳で…。
(だからって、何で飲みになんか誘うんだよ…;)
本当に、「人の気も知らないで!」と叫び出したい気分だ。
快斗へのこの想いをどうこうするつもりなんて毛頭ない。
なんたって相手は無類の女好きの黒羽快斗だ。
男の自分がどうこう出来る相手ではない。
というか、新一とて、別に男が好きな訳ではない。
それでも、何をどう血迷ったのか…好きになってしまった相手は男だった。
(蘭あたりとくっついとけば何の問題もなかったんだろうけど…)
幼馴染には些か失礼な言葉だとは思うけれども、それでもそう思うのは事実だった。
彼女と付き合っていれば何の問題もなかった。
ただの普通のごくごくありふれたカップルになっていた筈だ。
確かに昔は彼女の事が好きで。
確かに昔は彼女の事を待たせていて、そして迎えに行く気でいて。
それでも―――彼に出会って、自分の世界は全く変わってしまった。
それまでの想いも。
それまでの価値観も。
それまでの世界が全て覆ってしまった。
自分が自分だと信じていたもの全てが。
それ程に―――彼の存在は大きかった。
「工藤ー! こっち空いてるぜ!」
答える代りに新一は片手をあげて、快斗の居る方へと向かった。
彼の屈託のない笑顔に目眩すら覚えながら。
「で、何で白馬まで一緒に受けてんだよ!」
「僕もこの授業を取っているんですから、受けていた所でなんの支障もない筈ですが?」
席に座って数分後。
新一の右隣りには快斗が、そして左隣の席には……何故か白馬が座っていた。
正確に言うと、何故か、ではない。
教養の授業である為、他学科とは言っても、白馬も同じ授業が取れる。
意図して取ったのか、偶然かは置いておいても、白馬の言っている事には何のおかしな所はない。
ちなみに、言い合いをしている快斗と白馬の間に挟まれている新一には、ちょっとばかり迷惑な話ではあるのだが。
「だからって、席まで近くに来なくたっていいだろ!」
「別に君の近くに来た訳じゃありませんよ。工藤君の近くに来ただけです」
「……お前らいい加減にしろ。教授来たぞ」
教室に入って来た教授の姿が、今程救い主に見えた事はない。
大人しくなった両隣りに満足して、新一は真面目にノートを取る準備をした。
「あー…だるかった」
「全く聞いてなかった癖によく言うよ」
授業後、うーん…っとおもいっきり伸びをした快斗に新一は冷たくそう言い放つ。
自分がきっと原因なのだろうとは思うけれども、それにしても快斗は結局授業中ずーっとぼおっとしっ放しだった。
それを横目に見ていた自分に、よく『だるかった』なんて言うものである。
「まあ、彼は工藤君と違って真面目な学生とは言えませんからね」
「……お前も人の事言えないだろ、白馬;」
片や、自分の左側の席で今手掛けている事件の資料をぱらぱらと読みふけっていた白馬に対しても、新一は冷たく言い放った。
全く、本当にどっちもどっちだと思う。
「そうだ、そうだ! 大体、俺は天才だからいーの♪」
「そうやって油断していると足を掬われますよ?」
「っていうか、お前らどっちもどっちだろ…;」
全く、似た者同士というか何と言うか。
結局は同じ穴の狢なんじゃないかと、新一は溜息を吐く。
本当に、両方とも真面目な学生とは言い難い。
まあ、自分も事件があれば授業そっちのけでそちらに行ってしまうから余り人の事は言えないが、それでも事件さえなければ真面目に授業は受けている。
大学生としてはまあまあ真面目な部類に入ると思う。
自分で言うのもなんだが…。
「工藤が真面目過ぎんだよ。花の大学生なんだからもうちょっと遊びも覚えろって♪」
「黒羽君、工藤君に余計な事を吹き込まないで下さい」
全く、と溜息を吐いた白馬を快斗はじろっと睨む。
「お前だって人の事言えねーだろうが」
「どういう意味ですか?」
「女の子見るとすぐ口説く癖に」
「あれは口説いてるんじゃありません! 唯の女性に対する礼儀です」
「礼儀ねえ…」
全く、大したお坊ちゃんだと快斗は悪態付く。
「そう言えば、高校の時……転校してきたすぐ後だっけか? お前が青子の手の甲にキスまでしてデートに誘ったの」
「そ、それは…!」
「あれは口説いてたうちにはいんねーのかよ」
「あ、あれも礼儀です!」
「………白馬、無理すんな;」
二人のやり取りを見守っていた新一も、そこには思わず突っ込んでしまう。
大体、高校生のやる行動としては些か問題がある気もする。
まあ、それを言ったらこの目の前に居る男も大して行動は変わらないが。
「つーか、黒羽だって似たような事してんじゃねーか」
「俺はせいぜい、マジックで花渡すぐらいだぜ?」
こんな風に、とポンッと綺麗な薔薇を一輪何もないところから取り出してウインク付きで新一に差し出してくる快斗に、新一は自分の心拍数が上がるのを悟られないように、不機嫌そうな顔でそれを受け取った。
一瞬触れた手が更に心拍数が上がるのを助長させる気がして、新一は早々に手を引っ込めた。
「ばーろ。男相手に花なんかだしてんじゃねえよ」
「いーじゃん♪ 工藤は美人さんだから似合うよv」
いけしゃあしゃあと笑顔でそんな事をのたまって下さる快斗に、新一は嫌そうに顔を歪める。
ただし、それはあくまでもポーズでしかない。
本当は、まあ男だから美人だなんて言われても特に嬉しくはないのだけれど、それでも好きな人間に褒められて嬉しくない筈がない。
それはでも、表には出してはいけない事。
「男に美人なんて褒め言葉になんねえだろうが」
「そうかな? 別にいいじゃん。白馬も工藤は美人さんだと思わない?」
「まあ確かに。工藤君は美人だと思いますが…」
「……お前まで賛同すんなよ;」
がっくりと肩を落とした新一の背を、さり気なく白馬はポンポンと優しく叩いた。
その行動が持つ意味など知る由もない新一は白馬に、悪くはない苦笑を浮かべた。
「ったく、別にいいけどさ」
「まあ、工藤君の場合はご両親がご両親ですしね」
「確かに。工藤のお母さんはマジで美人さんだもんなー♪ 俺口説きたくなっちゃうv」
「……やめてくれ;」
「いーじゃん。俺下は小学生から、上は50、60代までオールオッケーなんだからv」
「小学生は犯罪だからやめとけって;」
なんとも無しに言われた言葉ではあったけれど、それは小さな棘となって新一の心にチクチクと刺さって行く。
彼は無類の女好きだ。
もしも自分が女だったら―――そんな事を考えない訳ではない。
まあ、でもそんな事を考えても、実際は気持ち悪さを覚えるだけなのだが。
「ま、俺は紫の上計画なんてする気はないから、流石に実際に小中学生に手を出す様な真似はしないけどさー」
「……高校生なら手を出す、って言ってる様にしか僕には聞こえないんですが?」
「ん? ああ、高校生だったらいざとなったら結婚できるしな」
「……問題はそこなんですか……?」
突っ込みながら、それでも呆れ気味に溜息を吐く白馬と、それにもめげずに『だって女の子は皆可愛いじゃんv』なんて言っている快斗に新一は力ない笑みを浮かべる。
そんな事はもう知っている。
今までだって。
そして、これからだって。
何も変わる事のない、これが日常なのだから。
そんな新一の様子に気付いていながら、白馬は内心で黒い笑みを浮かべる。
カレハマダナニモシラナイ
カレハシラズニカレヲキズツケル
キズツイタカレヲジブンガナグサメレバイイ
そんなどす黒い感情がここ数日、前にも増して酷く心の中で渦巻いている。
きっとそんな事、彼もそして彼も気付いてはいないのだけれど。
だから白馬は、ゆっくりにっこりと笑って快斗に賛同してやる。
「確かに…女性は皆さん可愛いですもんね」
「だろ? 白馬はそういうとこは分ってんだよなー」
「君と一緒にされたくはありませんがね」
「るせーよ。で、工藤はどうなの?」
勿論新一には、その後に続く快斗の言葉なんて分りきっていた。
だって快斗にはそういう事にしてある。
しかも、昨日は白馬に駄目押しをしてもらったのだから。
「蘭ちゃんとは、どう?」
「別に…」
「まあ、工藤の事だからそうだとは思うけどさ……あんま待たせんなよ?」
苦笑気味にそう言われて、新一は返す言葉が見付けられず曖昧に笑うだけ。
好きな相手がいて。
その相手に自分の恋愛の心配をされて。
そう仕向けたのは自分。
それは紛れもない事実だけれど、それでも痛む心はどうしようもない。
「黒羽君、そういう余計なお節介よりも自分の心配をした方がいいんじゃないですか?」
「ん? 俺は別に女の子に困るような事は…」
「違いますよ。僕と工藤君は今日はこれで終わりですが、君は次も授業じゃないんですか?」
「えっ…。あ、やべっ! もう始まるじゃねえか! じゃあ、白馬、工藤、俺は次の授業行くわ!!」
白馬の言葉に快斗は時計を確認して青ざめると、慌ててその辺りの自分の荷物をかき集めてバッグに詰めると、風の様に教室から消え去ってしまった。
その余りのスピードに呆気にとられていた新一に白馬は苦笑を浮かべながら、その肩を抱いた。
それはあくまでも仲の良い友人として。
新一もさして疑問に思う訳がない。
それは白馬の役得。
「大丈夫ですか?」
「ああ…」
何を心配されているかなんて、皆まで聞かなくても分る。
何たって相手は白馬だ。
全て知っているのだから。
瞼を伏せた新一の顔を覗き込みながら、白馬は優しく微笑む。
「何かあったら僕が居ますから」
それは、白馬にしてみれば悪魔の囁きだと思う。
まあ、白馬が自分で言うのも何だが。
一ミクロンも快斗は新一の想いに気付いていない。
それを新一は分りきっているけれど、それでも何も言えない。
男が男を好きだなんて、それは確かに簡単に言えるものではない。
ましてや相手が無類の女好きのあの黒羽快斗では。
「さんきゅー…白馬」
消え入りそうに返された言葉に、白馬は思わず新一をこのまま抱きしめたい衝動に駆られる。
それでも、その思いを机の下の左手を握りしめることで堪える。
まだ失えない。
このポジションだけは。
「とりあえず、教養科目が同じ時は僕が工藤君の隣に座りますから」
「ああ、頼む…」
切実な頼みに頷いて、白馬は新一の肩からさり気なく手を外すと、帰り支度をするために自分のバッグを机の下にある荷物入れから引っ張り出した。
そして机の上に乗せてあった教科書と、今手掛けている事件の資料をバッグの中にしまいながら、横で同じ様に帰り支度を始めた新一に尋ねる。
「工藤君、僕はどうせ車ですから送りましょうか?」
相変わらず迎えはばあやに頼んである。
幾ら東都大学とは言えども、学生用の駐車場は完備されていないからだ。
(車通学を希望する学生全員分の駐車場を確保する事は、東都大学とは言えども流石に難しいらしい)
それに、こんな状態の新一を一人で帰すのは些か不安があったので、白馬はそんな事を言ってはみたのだが、返ってきた言葉は意外なものだった。
「いや、いい…。俺今日黒羽と飲みに行く事になってんだ…」
「………飲みに、ですか?」
「ああ…」
「どうしてまたそんな事に……ι」
先日自分は彼に言った筈だ。
『工藤君の事は暫く放っておいてあげたらどうですか』と。
にもかかわらず、快斗は新一を飲みに誘った…と;
(新一の方から食事ならいざ知らず、飲みに誘うなんて事はきっと天変地異が起こってもないだろうから)
その事実に、白馬は溜息しか出てこない。
全く……どうしようもない。
そんな白馬に、新一は快斗へのフォローのつもりなのか、丁寧に事情を説明してくれた。
「…今日、あいつ授業前中庭のベンチでぼおっとしてたんだ」
「ああ、前に工藤君が荒れて座っていたあのベンチですか?」
「………そうだよ」
不機嫌そうに言われた新一の言葉に苦笑しながら白馬が思うのは、彼らの繋がりがそれだけ深いのだという事。
意図した訳ではないのに、拗ねる場所まで一緒というのは、流石というか、何と言うか…。
白馬にしてみればそれは酷く嫉妬心を煽るモノではあったけれど、そんな事おくびにも出さずに新一に先を促す。
「それで、それがどうそこに繋がるんですか?」
「ああ。本当は素通りしようかと思ったんだけどさ…原因は多分俺の事だろうからそういう訳にもいかなくて、声かけたんだよ。
どうせ昨日の事とか、服部の事とか気にしてるんだろうと思って、気を使わなくて良いって言ったんだ。そしたら……」
「…?」
「どうもそれがいけなかったみたいなんだよ」
「いけなかった…?」
「ああ。多分あいつなりに考えた結果なんだろうけど…」
「…?」
はあっと一つ溜息を吐いて、肩を落とした新一に白馬が首を傾げれば、少し疲労した表情の新一がもう一度溜息を吐いた後に、こう答えた。
「アイツは、本当に正真正銘の鈍感男なんだ」
「……今更ですよね」
何だかとっても今更な事を言われて、白馬も思わず突っ込んでしまう。
それに新一は余計に疲れた顔を浮かべて、更に頭まで抱え込んでしまう。
「どうせアイツの事だから『元気付けてやろう』とか『蟠りをなくそう』とか思って誘ったんだと思うんだよ」
「………」
しっかり快斗の思考を読み切っているであろう新一に、白馬は内心で同情する。
新一でなくとも快斗とある程度の交友を持っている自分なら分る。
確かに彼は間違いなくそういう意図を持って新一を誘ったのだろう。
それは普通の友人関係なら何の問題もない。
彼に誤算があるとすれば、それは―――新一の快斗への感情が、『友情』ではなく『愛情』だった事だ。
「確かにさ、確かにアイツは悪くねえんだよ。
友達を励まそうとか、腹割って話そうと思ったら飲みに誘うのも悪くねえんだよ。悪いのは全部俺なんだけどさ…」
言いながら、新一は思う。
快斗は悪くない。
寧ろ友人として気を使ってくれていて、だからこそ、そうやって誘ってくれている。
友人としては、悪い奴どころか逆に良い奴だ。
間違いなく、黒羽快斗という男は、友人としては本当に良い奴なのだ。
友人としては………。
「まあ、今の黒羽君は工藤君の事を…」
「白馬」
「何ですか?」
「皆まで言うな」
「……分りました」
続けられるであったろう言葉を違う事無く予想した新一に、白馬は大人しく口を噤んだ。
『黒羽君は工藤君の事を、友人としてしか意識していませんからね』
そんな事、言われなくたって新一が一番理解している。
というか、そう仕向けているのは自分なのだから。
悟られる訳にはいかないと、必死に隠し続けているのは他ならぬ自分だ。
だから……彼が何も気付かずに、友人に接するように接してきても文句は言えない事は新一自身が一番よく分っている。
それでも、それでも…。
こんな風に、偶には愚痴だって言いたいことがある。
だって仕方ない。
それだけ―――『黒羽快斗』という男に惹かれてしまっているのは事実なのだから。
「工藤君」
「ん?」
俯き加減だった頭をあげ、白馬を見詰めれば心配そうな顔が返ってくる。
こんな時思う。
本当に白馬は良い友人だと。
「僕も一緒に行きましょうか?」
「………」
言われた言葉を頭でもう一度反復して、新一は考える。
確かに白馬に来てもらえば、問題は解決する。
二人っきりで話すよりは、自分も気楽に快斗に接することが出来るだろう。
けれど……。
「いや、大丈夫だ」
紡いだ言葉は、冷静な言葉だった。
その言葉に、心配そうに白馬は続ける。
「ですが…僕が居る方が工藤君だって……」
「確かに、白馬に一緒に居て貰えば俺も気楽だと思う。だけど…」
「…?」
「それじゃ駄目なんだ。これから黒羽と友人関係を続けていくつもりなら俺も慣れなきゃいけない」
「工藤君…」
少し意外というか、そんな表情の白馬に、苦笑をしてしまう。
ああ、自分は相当白馬に頼り切ってしまっていたのだと。
これではいけない。
何も解決はしない。
これからも黒羽と仲良くしていくつもりなら、ここを自分で乗り越えなければいけない。
「だから、今日はアイツと差しで飲んでくるよ」
「そうですか…」
相変わらず心配そうな顔を浮かべる白馬に、新一はにこやかに笑って見せる。
この親切な友人に、少しでも自分は大丈夫だと見せたくて。
「大丈夫だって。今までだってやってこれたんだ。これからだってやっていけるさ」
「工藤君がそう言うなら僕は止めませんが…」
「ホント大丈夫だよ。そりゃ、服部の事とか色々あったけど……黒羽は相変わらず俺が好きなのは蘭だと思ってる訳だしさ」
そう。何も困った事じゃない。
快斗はまだ自分の気持ちに気付いていない。
そしてきっと、このままなら気付く日はどれだけ経ったってこない。
それだけが救い。
にこやかにそう言う新一に、白馬は少し考えた後で言葉を付け加えた。
「確かにそれはそうなんですが…」
「ん?」
「正直な所、それが得策かどうかも怪しいところだと思うんです」
「えっ…?」
平気だと、そう見せるために言った言葉に返ってきた意外な言葉に新一は不思議そうな顔を浮かべる。
それに白馬は腕を組み、座っている椅子の背凭れに少し深く寄りかかった。
「黒羽君は工藤君が毛利さんを好きだと思っている。まあこれは昨日僕が駄目押しをしておいたのもありますが…」
「ああ」
「けれど、さっき黒羽君が工藤君に言った言葉を聞いて思ったんですよ」
「言った言葉?」
「ええ。『あんまり彼女を待たせるな』そう黒羽君はいいましたよね?」
「ああ…」
確かに言われた。
その言葉が新一の胸にはチクリと刺さったのだから、それは間違いない。
白馬の言葉に同意した新一を確認して、白馬は更に続ける。
「その言葉が出ると言う事は、黒羽君はきっと、工藤君が毛利さんに想いを告げればすぐにでも恋人同士になれる状態だと思っている訳ですよね?」
「あ、ああ…。でもそれが?」
「…だとすると、そのうちこう言う筈ですよ」
「…?」
「『俺が協力してやるから、早く彼女に告白しろ』と」
「………」
言われて新一は固まる。
確かにそうかもしれない。
何だかんだ言っても、快斗は優しいし世話焼きだ。
それはごく親しい人間相手に限られるとしても、新一は間違いなくそのごく親しい人間に入る。
だとすれば…白馬の言うようにそう言われるのはもう、今日明日の事かもしれない…。
「そう言われた時、工藤君。君はどうしますか…?」
「それは…」
言われて新一は言葉に詰まる。
そう言われても、実際に好きなのは快斗の訳だから、まさか蘭に告白する訳にはいかない。
かと言って、快斗に本当の事を言うなんて……。
「…どうしようもないですよね」
「ああ…」
正直なところ、新一にはどんな得策も浮かんでこない。
きっと、そんな事を言われた固まってしまって、快斗に疑いを持たれるだけだろう。
蘭に告白する。
そう言われて固まる理由なんて一つしか思いつかない。
流石にそれでは快斗にもばれてしまうだろう。
本当に好きな人が――――他に居るなんて。
幼馴染をカモフラージュに使うのは些か気が引ける、というのはあるのだが、それでも…快斗がそう思ってくれているなら上手くやれる。
そう思っていたのが甘かったのか。
そんな完全に万策尽き果てた新一の耳に―――思いもよらない言葉が入って来た。
「工藤君。僕を君の想い人にしてみませんか…?」
to be continue….