言わなければいけない事は幾らでもあった
言わなくていい事は幾らでもあった
もう少し言い方を考えれば良かったのかもしれない
でもきっと、アレが一番最善だった筈だ
彼に嫌われるには
あれが一番良かったのだと思うしかなかった
片想い【32】
何もする気になんてなれなくて。
白馬との電話を切った後、新一はぱたりとソファーに横になった。
けれど、散々寝てしまった後。
眠気など当然襲ってくる筈もなく、瞳を閉じるのも憚られた。
瞳を閉じれば、瞼の裏に蘇ってくるのは彼の姿。
真っ白な彼の姿。
そして―――自分が言った言葉にこれ以上無いぐらいに傷付いた彼の藍。
思い出したくなかった。
全て忘れてしまいたかった。
全部全部忘れて。
何も無かった事にして。
彼と『親友』に戻りたいとすら願った。
壊れた頭のどこかで、志保にそんな薬でも作って貰おうかとも思う。
そうして彼に全部忘れて貰って。
自分も全て忘れてしまって。
もう一度『友人』からやり直せたら…。
そんなどうしようもない事まで考えている自分が、酷く笑いを誘う。
ああ、何て情けないのだろう。
『探偵』なんてやって『真実』をいつも追い求めていた癖に、いざ自分の番になれば『真実』から逃げ『偽りの事実』を作り出す。
ああ何て……自分は汚く愚かな人間なのだろう。
ずるずると身体を持ち上げてソファーに座り直ると、ぼふっとソファーの背凭れに頭を打ち付ける。
柔らかい衝撃が身体を包む。
もう一度ぼふっと打ちつけて、一瞬だけ楽になった気がした。
何て自虐的過ぎる行為。
何て馬鹿みたいな行為。
こんなに自虐的な自分はいつ以来だろう。
思い出せない程遥か遠く、もしかしたら人生で今が一番自虐的なのかもしれない。
RRRR…RRRR…
突然鳴り出した携帯に一瞬ビクッとして、慌てて通話ボタンを押した。
「もしもし。あ、目暮警部…」
受話器の向こうから聞こえたのは馴染みの警部の声。
その声にどこか安堵する自分が居る。
「はい。分りました」
要件を聞き終えて、電話を切る。
近くで殺人事件がおきたらしい。
こちらにもう既に高木刑事が向かっていると言っていたから、そう時間はかからないだろう。
これで……この気持ちから一瞬でも解放される。
そう思った自分が最低の人間に感じられる。
人が……死んでいるというのに、自分は己のことばかりだ。
でも今は―――自分の最低さには目を瞑って、謎を追う事だけに集中することにした。
「ふぅ……」
遅いから送って行くという高木刑事の言葉を『近くだから大丈夫です』と丁重にお断りして。
夜の闇を歩く。
今の自分には独りが良い。
今の自分には暗がりが良い。
街灯の下を避けて暗闇を歩く様になってしまったのは、あの時からだった。
組織を潰す為の戦いの間は、息を顰め、隠れる様に過ごした。
あの戦いの中で、自分は多くの物を失い、そして大切な幾つかの物を守った。
疲れの為か、右足が少し痛む。
でもこれは……己の浅はかさが生んだ当然の結果だった。
この身体を取り戻すことが出来たのは、奇跡に近く……そして、新一のどうしようもない我が侭によるものだった。
本当はデータは全て燃やしてしまうつもりだった。
もう二度と、自分の様な、そして哀の様な人間を出さない為にそれは必要だった。
けれど―――自分は自分自身の欲望に勝つことが出来なかった。
ギリギリまで悩んで悩んで…結局は持ち帰ってしまったデータ。
本来なら組織共々燃やしてしまう筈だったそれ。
申し訳なさそうにデータを渡した新一に、哀は何も言わず解毒剤を作り上げてくれた。
本当は自分の罪を覚えておく為に元に戻る事を哀は望んでいなかった。
けれど、彼女は……自分が実験台になる為にその解毒剤を飲んだ。
『しょうがないじゃない。世界中探したって、被験者になれるのは私しか居ないんだから』
笑いながら言った彼女が酷く悲しそうに見えたのを知っていた癖に、新一は彼女を止めなかった。
狡いのを知りながら、彼女だって外見と中身が違う年齢だというのは辛いだろうという勝手な理屈をつけて、自分を納得させた。
そうして奇跡的に出来上がった解毒剤は、志保と新一を元の姿へと戻してくれた。
けれど何もかもが元に戻った訳ではない。
何度も縮むなんて事をしていて、身体に負荷がかかっていない訳がない。
特に心臓への負担は他にも増して酷かった。
加えて、キック力増強シューズで無理に足の力を引き出していた為の右足の損傷。
時々痛む胸も。
時々痛む足も。
幼く、愚かだった自分が犯した過ちから考えれば大したことは無かった。
あの時助かったのが―――奇跡の様なものだったのだから。
それでも、こんな風に少し疲れている時は、いつも以上に身体が過敏になるらしい。
足だけでなく、少しだけ胸に痛みが出てきている気がする。
(送ってもらうべきだったか…)
今更後悔しても仕方ない。
博士を呼び出すことも考えたが、それは志保を思って止めた。
志保と自分では随分と症状が違う。
それはきっと、自分が何度も元の姿に戻ったり、小さくなったりを繰り返した所為だろう。
だから極力志保には自分のこんな状態を知られたくなかった。
ただでさえ彼女を傷付けて、彼女に気を使わせている。
これ以上彼女を傷付けるのはもう御免だった。
ずるずると力の入らない足を引き摺る様に歩く。
痛みが無い調子の良い時は以前とほぼ同じ様に動く時もあるが、こうして痛みだしてしまうともう駄目だった。
引き摺られる足が何だか酷く惨めだった。
駄目だ。
今日は余りにも気持ちが卑屈過ぎる。
助けを求める様に暗い夜空を仰ぎ見ても、曇り空に彼の守護星は見つからない。
それにまた気が滅入る。
あの淡い優しい光があれば、少しだけでも救われた気になれそうだったのに。
そこまで考えて、口元にフッと笑みが上る。
救われたいというのか。
彼を傷付けたのに。
救われたいと願うのか。
彼を絶望に突き落としたのは自分なのに。
自分だけ救われる訳にはいかない。
何もかも……本当は手放してしまわなければならない。
この苦しみも。
この想いも。
心の奥にしまっておいても、もう誰の為にもならない。
寧ろ―――誰かを傷付ける刃にしかならない。
ずるずるふらふらと歩いている間に、随分と息が上がっているのに気付く。
少し苦しい。
このまま家まで歩くのは少し無理があると判断して、辺りを見渡す。
記憶と違わぬ位置にあった幼い頃によく遊んだ近所の小さな公園。
街灯が二つしか存在しない暗く小さな公園にずるずると足を向ける。
流石に時間が時間の為、公園には誰の姿も存在していなかった。
上がる息を抑える為に、ずるずるとベンチに横になる。
洋服が汚れるだろう事は想像に難くなかったが、そんな事を気にしていられる程余裕はなかった。
「情けねーの……」
苦しくて。
切なくて。
寂しくて。
涙が溢れてしまいそうになる。
こんな時、何に縋れば良いのだろう。
ふと思いついた答えを新一は即座に頭で否定した。
駄目だ。
今日一度、自分は自分の都合で彼を避けている。
こんな風に都合の良い時だけ、彼の声を聞きたいと思うなんてそんな狡い事は出来ない。
自分はまだ彼を想っている。
その想いは未だ消し去れていない。
そんな想いを抱えたまま、あの優し過ぎる彼に甘えるのは、余りにも酷過ぎる。
「……かい、……と…」
小さく呟いた言葉は夜の暗闇に溶けて………消えた。
「はぁ……」
流石に三日連続は不味いか…何て考えて、ぽてぽてと道を歩く。
行き慣れない店に行って飲んでも落ち着かず、ある程度飲んでは出て、そして他の店を探す。
それを三度程繰り返して、全く酔いの回ってこない身体に愕然とする。
本当ならこのまま寺井の店に行きたかった。
でも流石に三日連続は不味いだろう。
もうこれ以上気を使わせるのも、心配させるのも御免だった。
どうするか…。
どうしようか…。
ぼおっと、ふらふらと目的もなく歩いて。
思考が完全に停止していたらしい。
見上げた先にあった光景に――――自分でも愕然とした。
「………マジで、俺、情けな………」
かなり距離はあった筈なのに。
無意識でここまで歩いて来てしまった自分に快斗はがっくりと肩を落とし、慌てて周りを見渡した。
人影が無い事に安堵し、目の前の彼の家を見上げる。
灯りはついていない。
寝ているかとも思ったが、夜更かしが常の彼がこの時間にもう既に寝ているとは考え辛い。
「事件かな…」
事件か。
それとも白馬と一緒か。
どっちであったとしても、もう自分には関係ない。
「………帰るか」
まるでストーカーだと、自分を笑い飛ばしてやりたくなる。
昨日あんなに手酷く振られた後だというのに。
無意識で辿り着くのが彼の家だなんて、何だか酷くやりきれなかった。
もう何度吐いたか分らない溜息をもう一度吐いて、空を見上げる。
自分の守護星は今日は厚い雲に覆われて見えない。
それに余計に気分が重くなる。
せめてあの淡い月の光でも見えたなら少しは気が楽になったかもしれないのに。
「あー……ホント、馬鹿だな、俺……」
泣きたかった。
でももう泣かないと決めた。
心から凍りついてしまおうと決めたのに、未だ自分は凍り付けずにいる。
こんな風に未練たらたらで。
彼の身の周りをうろついて。
彼からしたらいい迷惑だ。
分り切った事実が心に突き刺さる。
ああ、どうしたら―――。
――――――どうしたらこの気持ちは溶けて消え去ってくれるのだろう…。
to be continue….