嘘かと思った
偽りだと思った
けれど、どうもそれも違うらしい
彼のあの声と
彼のこの瞳と
総合すれば全て辻褄が合った
そして思うのは…
きっと自分は何かを間違えたのだという事
片想い【31】
「………安心しましたよ」
漸く紡いだ言葉が自分で思ったよりも酷く弱々しく響いて、白馬は背に嫌な汗が流れるのを感じた。
相手はあの『怪盗キッド』だ。
『偽り』を操る彼に『嘘』が一番利かない事は白馬とてよく分っていた。
「ばーろ。露骨に動揺した顔してんじゃねえよ」
「普通は動揺するでしょう? そんな話を聞いた後では」
「それもそうか…」
苦笑を浮かべて見せる快斗は酷く弱々しい。
その姿に、流石の白馬の胸にもチクリと棘が刺さる。
本来なら彼と彼は両思いだ。
それを引き裂いているのは紛れもなく自分。
彼にこんな顔をさせているのは紛れもなく自分だ。
「………なあ、白馬」
「…何ですか?」
少し躊躇った様な間の後、ジッと真摯な眼差しで自分を見詰めてくる快斗の視線を、白馬は呼吸が苦しくなる様な感覚を覚えながら見返した。
赤くなった目元が痛々しい。
それも全て自分のせいなのだと思うと、目の前の彼がいかに恋敵と言えども、息が詰まりそうだ。
「俺が言うのもなんだけど……新一のことさ、………幸せにしてやってくれな?」
「―――!」
目の前のこの男は、こんな事を言う人間だっただろうか?
こんなに弱々しく誰かに頼み事をするような…そんな男だっただろうか?
いつもの彼は何でも余裕綽々にこなしてみせて。
いつだって何だって、不可能な事なんて無いみたいな顔をしていたのに。
それだけで、彼がいかに傷付いているのか分る気がした。
「俺さ、………居なくなるから」
「居なく、なる…?」
「お前らの前から居なくなる。その方がお前だって安心だろ?」
「それは…」
「その方が…新一だって気が楽だろうしさ」
「黒羽君……」
一体何を言い出すのだろうか。
この目の前の男は。
こんな男は知らない。
白馬の知る快斗はいつだって大胆不敵で、いつだって嫌味なぐらい自信満々で。
こんな彼は……知らない。
「ずっと誘われてたんだよ。向こうの研究機関から」
「向こうって…」
「詳しい事は言わないけど、国外」
「…行くんですか?」
「ああ。本当は行く気なんてなかったんだけど……いい機会だし」
傷付いた瞳で彼はそう言う。
無理矢理張り付けた笑顔で誤魔化そうとしているが、その瞳は今すぐにでも泣き出してしまいそうだった。
常にポーカーフェイスであろうとする彼にしては、余りにも不格好な作り笑顔。
これで良かった。
これで安心だった。
彼が居なくなれば、彼も諦めるだろう。
彼が居なくなれば、彼は自分のものだ。
だからこれでいい。
これでいい筈なのに―――。
「………君はそれでいいんですか?」
―――白馬の口を突いて出たのは、そんな言葉だった。
「どういう意味だ…?」
「そのままですよ。君はそれでいいのかと聞いているんです」
「いいも何も……」
そう、いいも何も本人から否の返事を貰っては、これ以上どうしようもない。
それに、新一は最初から快斗の事を『犯罪者』だと思って見ていたのを知ってしまった。
そんな快斗の事なんて、本当はどうだっていいと思っているに違いない。
敵でこそあれ、味方になんてなり様がない。
「黒羽君…」
「ん?」
「………工藤君は、……」
「…何だよ。言いたい事があるならはっきり言えよ」
「いえ…」
内心の葛藤で、白馬の心も頭も一杯一杯だった。
快斗も。
新一も。
自分の所為でこんなに辛そうな顔をしている。
新一を離したくないのは当然だ。
けれど、きっと……もしこのまま快斗を完全に失ってしまったら、新一はずっと辛そうな顔をし続けるのだろう。
表面上は笑顔を作りながら。
それでも辛そうに泣きそうな瞳を白馬に向けるのだろう。
好きな相手を縛りつけてでも傍に居たいと願った。
けれど、それでは相手が幸せになれないのも、もう充分過ぎる程分っていた。
本当に見たかったのは――――彼の笑顔と、あのキラキラと輝く瞳だった筈なのに。
「お前が聞きたい事は全部言った。それから、新一にも……もう二度と会わない。だからもういいだろ?」
「………すみません」
そう言って、車を降りようとした所で白馬に謝罪の言葉をかけられて、快斗は白馬を振り返った。
「何でお前が謝るんだよ」
「……全部僕の所為なんです」
「お前の所為って…」
「……本当にすみません」
深々と頭を下げられて、快斗は訳が分らず混乱する。
新一が白馬を好きと言って。
白馬も新一を好きと言って。
白馬が自分に謝る様な事なんて何もない。
「やめてくれ。余計惨めになるだけだ」
不快さを隠そうともせず、歪められた顔を向けた快斗の瞳がそれとは裏腹に余りにも辛そうで、白馬はもう耐えらないと思った。
彼が好きで。
彼が欲しくて。
自分の中のドロドロした物で彼を無理矢理縛りつけた。
最初からそれを望んでいると思っていた。
彼が手に入るなら何でもやろうと思った。
そして、自分はそれを上手くやっている自信があった。
でもきっと―――自分はずっと苦しかった。
彼の傷付いた顔も。
彼の泣き濡れた瞳も。
本当はずっとずっと見ているのが辛かった。
でもそれは―――白馬が自分自身で選び取った道だ。
「すみません」
「だから謝るな。お前は―――新一の事だけ考えてくれてたら良い」
「……はい………」
「じゃあな」
今度こそ車から降り、寂しそうな背中を向け遠ざかって行く快斗に、白馬はどうしようもない罪悪感を覚えた。
バタンと車の扉を締めた時、白馬はどうしようもないぐらい申し訳なさそうな表情をしていた。
それが余計に快斗を惨めにさせる。
そんな彼を見たくなくて、足早に車から遠ざかった。
自分のせいだと彼は言った。
でもそれは違う。
新一が白馬を選んだのはきっと彼が『探偵』だったからだ。
自分みたいな『犯罪者』なんて最初からお呼びではなかった。
そんな事本当は最初から分っていた筈なのに、彼が自分を傍に置いてくれたからもしかして…なんて淡い期待を抱いてしまった。
期待すれば裏切られる。
期待すれば絶望する。
そんな事分りきっていた事なのに、余りにも彼の横が幸せ過ぎて、すっかりそんな可能性を忘れ去ってしまっていた。
信じられるモノなんて――――自分以外何もなかったのに。
「もう…誰も信じたりしない……」
改めて誓う様に口の中で小さく呟いて。
その瞬間溢れそうになった涙を必死に飲み込む。
もう泣かない。
もう悲しまない。
もう……誰も信じない。
自分にそう言い聞かせて、一度瞳をゆっくりと閉じ、ゆっくりと開く。
その瞳は―――――凍り付きそうに冷たい藍を湛えていた。
to be continue….